人間牧場

〇私の今年の10大ニュース(その3)

 ⑨11月28日、この日は甥の木下真佐夫さんの結婚式でした。ごく内輪だけのこじんま
  りした結婚式に夫婦で出席しましたが、妹に頼まれ何とこの歳で結婚披露宴の司会
  をすることになりました。もう歳だからと固く辞退したものの聞いてもらえず、結
  局やる羽目になりました。私はこれまでに537組もの結婚披露宴の司会をしていま
  すが、538組目の司会に多少戸惑いましたが、何とか無事大役を果たすことができ
  ました。披露宴会場である全日空の担当者が、私が大学で教えた女性であったこと
  にも驚きました。貰ったお祝儀は孫たちがリクエストしたお寿司となり、胃袋に収
  まりました。

 ⑩12月6日、国立大洲青少年交流の家で、恒例の第8回社会教育実践交流集会があり、
  特別企画インタビューダイアローグの司会を昨年に引き続きやりました。綿密な
  計画も立てずアバウトな司会でしたが、全国から集めたパネラーの発言も、フロア
  -の反応も良く、最高の出来栄えでした。発つ鳥跡を濁さずです。もうそろそろこ
  の辺で「おあとがよろしいようで~」と、終わりにしたいと思います。

 (その1)(その2)(その3)と、今年の10大ニュースを述べましたが、私にとってこの一年は、親父の死を筆頭に余りにも多くの出来事がありました。とりたてて目ぼしいことのないであろう初老のご隠居さんにしては、見ようによっては活き活きと輝いて生きているようにも見えますが、少し張り切りすぎた感じもした一年でした。日々の暮らし方の目標として定めている、「1・10・100・1000・10000」も、多少のデコボコはあってもそれなりに達成できて、健康寿命を延ばしていますが、来年は年明け早々家庭菜園に念願の小さなハウスを建てる予定で、人から見れば他愛のない夢が膨らんでいます。さあ今日から新しい年を迎える準備に取り掛かりましょうか。

  「今年も いろいろあった 来年も 色々あるだろう これが人生」

  「一番は 何はともあれ 健康で 夫婦長生き これが目標」

  「コツコツと 凡事徹底 これ以外 やる以外なし この歳なりて」

  「この一年 わが家の自給 また増えた やればできるの 信念持って」
   

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人間牧場

〇私の「今年の10大ニュース」(その2)

 ⑤9月26日、テレビ愛媛「い~よ」で人間牧場が放送されました。人間牧場はこれ
  までにもNHK「西日本の旅」や南海放送「もぎたてテレビ」などで度々紹介され
  ていますが、今回は双海町を紹介する1時間番組で、人間牧場以外にも色々な話題
  満載でしたが、1時間番組のメインは煙会所や人間牧場でした。人気アイドルひめ
  キュンフルーツ缶5人組も人間牧場へやって来て、風呂を沸かしたりかまどご飯や
  味噌汁作りに挑戦して、秋本ディレクターの努力でいい番組に仕上がり放送され好
  評を博しました。

 ⑥10月3日、私の誕生日に合わせ、人間牧場10周年記念事業や年輪塾公開セミナ
  -を行ないました。70人もの参加者があり、これまでで一番の盛り上がりを見せ
  ました。この日はウッドデッキに蚊帳を張ったりして、夜を徹した泊り込みの研修
  となりましたが、楽しい一夜でした。私もこの日のために「夕日徒然草・心の書」
  30話を執筆し、参加者全員に「人でも仕事でも愛する所に集まって来る・若松進
  一」というサインを入れて配布しました。いい年輪塾の仲間がいて幸せを噛みしめ
  ました。

 ⑦10月8日、パラグライダーで大空を飛びました。私はこれまでに2度パラグライ
  ダーに乗って大空を飛びましたが、その証拠がないので、インストラクターの高木
  さんにお願いして、タンデムで跳ぶ姿を高木さんが自撮り棒で撮影してくれまし
  た。71歳での飛行は危ないと妻は大反対でしたし、私自身も少し腰が引け肩に力
  が入りましたが、高木さんが素敵な写真を連写してくれ、大感激でした。幾つにな
  っても少年のような冒険心を持って生きている自分に乾杯です。

 ⑧11月19日、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの恒例
  となっている世界遺産を巡る旅に出かけました。今回は姫路城と京都の世界遺産群
  を旅しましたが、哲学の道をのんびりゆっくり散策しながら日本の美しい季節の移
  ろいを存分に楽しみました。特に目の覚めるような紅葉に彩られた京都は忘れられ
  ない思い出です。

  「予定表 めくりつ今年 振り返る 訪ねた街や 出会った人が」

  「毎日の ように続けた ブログ記事 指先ポンと 押せば記録が」

  「記録した 出来事すっかり 忘れたが ブログのお蔭 記録記憶に」

  「少年の ような気持ちで 今も生き ハラハラドキドキ ジーンが嬉しい」

  

 

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人間牧場

〇私の「今年の十大ニュース」(その1)

 毎年12月のこの頃になると、年賀状を作るため右往左往していましたが、今年は親父が7月に亡くなり喪に服しているため、年賀状を出すことが出来ません。本来なら喪中のハガキを出すところですが、それも意にそぐわず結局出さないことに決めたことを、ブログを通じでお詫びしたいと思います。

 私の年賀状はもう20年も、その年に起こった自分自身の10大ニュースを、メガネや虫眼鏡で読まなければならないような、少し小さい文字で書き綴ってきましたが、今年はそれもできないことから、ブログを使って10大ニュースを振り返って見たいと思います。
 ①1月16日、東京であった地域人材育成研究会に出席しました。そのついでに日本
  で一番高い東京スカイツリーに登りました。高さ634mは双海町の明神山と高さ
  が一緒で、スカイツリーオープンの年、子ども体験塾で同じ高さの明神山へ登りま
  した。スカイツリーからの眺めは最高でした。

 ②2月15日、今年行った所では一番南の宮崎県綾町の文化講演会に招かれ、10数
  年ぶりに綾町を訪ねました。綾町とは交流が長くて深く、色々なことを学ばせても
  らった思い出の町です。特に今は亡き郷田町長さんとは行ったり来たりの交友を深 
  めていました。日本一高いつり橋や、照葉の森、有機農業、綾城、自治公民館など
  今も忘れることができません。今年はこの他に長崎県や佐賀県、福岡県へ講演に出
  かけ、楽しい思い出をつくりました。

 ③7月6日、今年行った所で一番北の北海道札幌へ、講演に出かけました。北海道全
  土から社会教育委員が集まる研修会での講演でしたが、佐呂間の船木さんはじめ多
  くの仲間と再会を果たしました。老い先短い親父のことを気にしながらの北海道で
  したが、久しぶりの北海道はクラーク博士や新渡戸稲造の生き方にも触れ、心を洗
  われました。

 ④7月11日、親父が96歳の生涯を閉じました。私にとってこれまでの人生で一番
  悲しい日となりました。それでも「自分の家の畳の上で死にたい」と常々言ってい
  た思い通りに、自分の住みなれた家で息を引き取りました。1週間添い寝をして薄
  れつつある記憶を解きほぐし、老衰という最高の死に方をしてくれたので、私もそ 
  れなりに満足しています。14日には葬儀を行い、49日の納骨も無事済ません、
  親父の隠居をリフォームして、私のセカンドハウスにして使っていますが、今でも
  親父が生きているようです。

   「喪に服し 喪中のハガキ さえ出さず 年賀状書く 手間さえ惜しむ」

   「今年は 年賀ハガキに 書けぬゆえ 十大ニュース ブログで紹介」

   「今年も 色々あった カレンダー 記憶残りを ピックアップする」

   「あと6日 すれば正月 やって来る 来年こそはと いい年願う」  
   

 

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人間牧場

〇外反母趾

 私の左足は外反母趾です。外反母趾という言葉すら知らなかった若いころ、88歳で亡くなった祖母の足指が極端に曲がって、歩くのにも難儀をしている姿を見て、ばあちゃんの足はじいちゃんに先立たれながら、12人の子どもを産んだり育てたりして一生懸命働き過ぎたことが原因だと勝手に思い込み、殊勝にも「ばあちゃんに楽をさせてあげたい」といつも思っていました。

g外反母趾 私が50歳近くになったある日、風呂上りにふと自分の左足を見ると足の親指が、外反というより内反りになって入るのを見つけました。その後内反りは段々ひどくなり、足の親指が隣の指の上に乗る状態になってしまい、さてどうしたものかと思案しましたが、長く歩いたり走ったりした時以外は殆ど傷みもなく、病院に行くでもなしに今日を迎えていますが、一番困るのは靴を買う時で、つま先の広い靴を選ばなければ窮屈なので、少し時間がかかってしまうのです。

 ばあちゃんの顔や外反母趾でゆがんだ足を思い出す度に、私の外反母趾はひょっとしたら「遺伝」かも知れないと思うようになりました。最近はそんなこともあって仕事で外に出る時は別として、家にいたり農作業をする時は、妻に頼んで5本指と二股の靴下を買ってもらって愛用しています。私は着る物履く物には無頓着で、全て多少文句をいいながら妻が選んで、買って来た物を愛用しています。五本指の靴下は歩いたり仕事をしていると小指が抜けてしまいますが、二股は地下足袋と同じ形状なので足にフィットして、いい履き具合に満足しています。

 これまで私の靴下は殆ど無地でしたが、最近妻が買って来るものは多少お洒落です。少し気恥ずかしい古いタイプの人間なので最初は、「こんな派手なものは履けん」といぶかっていましたが、まあ見えないからいいだろうと履き始めてみると、まんざらでもないのです。昨日私が履いていた靴下を孫奏心が目敏く見つけ、「おじいちゃんの靴下はまるで人間の顔のようだ」と言いました。気がついてよくよく見ると確かにそう見えなくもないのです。

 面白いブログネタだと思って、タブレットで写真に撮ってfacebookにアップしたところ、仲間から楽しくも嬉しい書き込みが多数寄せられました。以外にも「実は私も外反母趾です」と告白があったり、「中々楽しい靴下を履いてお洒落だ」とか、まあ反応は様々です。ふと外反母趾のこのままでいいのだろうか?と、少し不安にもなりましたが、足や手は内蔵の各所にも連鎖していることを考えれば、一度病院で相談してみようか?とも思っています。靴下のマークが思わぬ脚下照顧となった一日でした。

  「二股の 絵入り靴下 履いている 親指顔に 似ている指摘」

  「わが足は 外反母趾で 曲がってる ばあちゃん譲り 遺伝でしょうか?」

  「わが足を 写真に撮って アップした 早速書き込み みんな暇じゃなあ」

  「このままで いいのだろうか 不安なり 一度病院 行ってみようか」

   

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人間牧場

〇冬至の夜は長~い

 昨日は一年中で一番夜の長~い冬至でした。毎年冬至の日の恒例行事となっている、ユズ湯と冬至カボチャを楽しみにしていましたが、ユズは大根の浅漬けを作るために妻が使ってしまい、カボチャも大豊作のシイタケ料理に気を取られたため、結局は食べずに終ってしまいました。まあ目くじらを立てるほどのことでもないので、今日か明日あたりにユズ湯もカボチャも楽しもうと思っています。

葉を落としたモミジの小枝に露の水滴がまるでイルミネーションのように
葉を落としたモミジの小枝に露の水滴がまるでイルミネーションのように

 旧暦暦によると今年の二十四節気は1月6日の小寒から始まり、大寒、立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬などを経て、昨日の冬至で幕を閉じますが、冬に至る冬至を過ぎると、年末年始があって忘れがちですが、いよいよ本格的な冬がやって来るのです。わが家は上灘川沿いにあり、西に急峻な山を背負っているため、12月中は日中でもまったく陽が当たりません。昨日のように風もなく夜露が強いと、まるで雨上がりのように一日中しっとり濡れて洗濯物も乾きにくいのです。

 シイタケが大豊作だったので、少し傷んだり開いたりしたものは、サナに広げて干しシイタケを作っていますが、折角乾きかけていたシイタケも、しっとりして乾かず、また数日前西条の井上さんが送ってくれた横野柿を、干し柿にするべくサナに干しているのもまったく乾かず、お手上げの状態です。12月22日の冬至の日に一番西寄りコースを辿る太陽は、冬至の日を境に北寄りへと進路を変えますが、多分これから一月いっぱいわが家では、太陽の光は望むべきもないのです。

 それでも私たち夫婦が食事に使っているダイニングだけは、谷間の木漏れ日が昼間ほんの短い時間ながら差し込むのです。昨日は妻と二人で昼食を取りながら、その木漏れ日が葉っぱを落としたモミジの小枝に着いた水滴が、まるでイルミネーションのような、幻想的輝きを見せていました。思わず二人で見とれてしまいました。人は何故かないものねだりをするものです。冬の太陽の光がないゆえかすかな木漏れ日にさえ感動するのです。もう少しの間燦燦と降り注ぐ太陽の光を待ちましょう。

  「今年は ユズもカボチャも ない冬至 冬を乗りきる 自信もなしに」

  「この時期は 太陽にさえ 見放され 冬の寒さに 身震いしつつ」

  「僅かだが 木漏れ日露に 反射して イルミネーション 見ているようだ」

  「冬の露 まるで大雨 降ったよう 全てを濡らし 洗濯乾かず」

 

 

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人間牧場

〇シイタケの収穫

 今年の初冬は暖かかったり、冬特有の北西の季節風があまり吹かないため、シイタケが大豊作です、ホダ場は家の裏と人間牧場の2ヶ所ありますが、家の裏のホダ場はもっぱら、息子家族が収獲を楽しんでいます。息子も孫もホダ場作りは何もしなかったのに、さも自分たちがやったような顔をしてしいたけを収穫し、私たちの所へ「おじいちゃん、おばあちゃん、これお食べ!!」と言ってお裾分けをしてくれるのです。

シイタケ1シイタケ2 シイタケ3 昨日は前夜から降っていたシトシト雨も午前中で止んだので、土曜日に餅つきをした後片づけが少し残っていたので、昼前人間牧場へ出かけ、使ったはがまや鍋をを洗ったり片付けたりしました。その後見回りのつもりでホダ場に下りてみると、クヌギの原木に沢山のシイタケが生えていました。早速手持ちのデジカメで証拠写真?を撮ったあと、収穫をしましたが、何と何とキャリーにいっぱいもあって、ルンルン気分になりました。

 帰宅途中皆さんに少しずつお裾分けして回りましたが、みんな大層喜んでくれました。前日八幡浜へお墓参りに行った帰りに、ある直売所へ立ち寄りましたが、今は鍋物の時期なのでシイタケが沢山売られているだろうと、店内を見回しましたが品薄な感じで、そのためでしょうか結構いい値段がつけられ、一級品は6個で千円などで売られていました。最近は中国産や菌床栽培のシイタケが多く、ホダ木で栽培されてものは重宝されているようです。

 昨日の夕食は鍋物にシイタケ、煮物にシイタケ、おまけにシイタケの付け焼きまで食卓にのぼり、まるでシイタケ三昧でした。私も妻もシイタケは大好物なので、当分はシイタケ料理を楽しむことができるようです。今朝親友の井上満宏さんに電話を入れシイタケの原木に使うクヌギの木を貰うよう頼みました。人間牧場のホダ木は全て井上さんに貰ったもので、近々チェンソーを持って山に入り、クヌギの木を伐採しようと思っています。伐採したクヌギの木は小切りして人間牧場へ運んで寝かせ、春にはシイタケ菌を打ち込んで1年間、さらに寝かせてシイタケの収穫を楽しみたいと思っています。

  「このところ 温度湿度が 最適で シイタケゾロゾロ 大豊作で」

  「シイタケは 煮て良し焼いて また良しと 料理色々 多いに楽しむ」

  「クヌギの木 チェンソー切って 寝かせ置く 種ゴマ打ち込み 養生一年」

  「原木に 生えたシイタケ 味絶品 これぞ田舎の 贅沢ですらい」 

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人間牧場

〇年末の墓参り

 昨日は急な思いつきで、妻の実家のお墓参りに出かけました。妻は八幡浜出身ですが、結婚が決ったころにはまだ夜昼峠のトンネル工事中で、八幡浜へ行くのに曲がりくねった峠道を越えなければあなりませんでした。それでも結婚式には夜昼峠のトンネルが完成し、妻は結婚衣装に身をまとってトンネルを越え、私の元へ輿入れしてきたのです。今は三崎半島を縦断するゴゼヶ峠を貫通するトンネルができ、海岸国道を走ってこのトンネルを抜ければ、八幡浜まで50分以内で行けるのですから隔世の感です。

大法寺山門の紅葉
大法寺山門の紅葉
大法寺山門
大法寺山門

 臨済宗の大法寺は飛行機を発明した二宮忠八ゆかりの寺で、妻の実家のお墓もこの境内裏山にありますが、山門の紅葉もまだ綺麗で、急な石段を登って山門をくぐり、水場で水桶に水を汲んでお墓まで行き、持参したシキビを墓地内の墓前花立に差し込んだり、掃除をして線香を手向け、祈りを捧げました。私は墓地から見える八幡浜湾の眺めが大好きで、左手に諏訪崎、右手に耕して天に至ると形容される向灘のみかん山が見え、別府航路のフェリーが大分へ向けて出港する姿が見えました。

八幡浜湾の眺望
八幡浜湾の眺望

 八幡浜の市街は戦争中空襲に遭っていないため、市街はそんなに高いビルディングもなく、細い路地が連なって長閑な風景を醸していました。妻と結婚してから40年余り、お墓参りの度に何度この風景を見てきたことでしょう。この街の人はこの街が、余り発展しないと嘆いているようですが、その逆の意味もあって変らないこともいいのではないかと思ったりします。よそ者の考えと暮らしている人の考えは違うので、余り口を挟むことではありません。

 妻の実家に立ち寄りました。妻の兄も兄嫁もガンの闘病生活中で、早くよくなって欲しいと心を痛めていますが、今のところ経過もいいようなので少し安堵しているところです。長浜に住んでいた妻の妹も、急逝して早一年があっという間に過ぎました。途中誘って一緒にお墓参りをした思い出も蘇りました。私たち夫婦は何とかそれなりに元気でいます。1ヶ月前妻は膝に肉離れを起こし、歩くのも難儀でしたが、通院のお蔭で快方に向い、やっとこさ実家のお墓までの石段を登ることができてホッとしていますが、はてさてこの坂道を登ってお墓参りができるかどうか?、これから先が少し心配なお墓参りでした。

  「海岸の 国道通り 八幡浜 お墓参りに 夫婦で出かけ」

  「飛行機王 二宮忠八 ゆかり寺 急な坂道 登って参る」

  「寺裏手 八幡浜湾 眺望は 私気に入る 絶景ポイント」

  「坂道を 登ることすら 難儀する 妻の姿を 気遣い歩く」

 

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人間牧場

〇年末恒例の人間牧場での餅つき(その4)

 今回の餅つきにはわが家の内孫2人、松本さんの娘さん1人の計3人が子どもたちが参加しました。内孫2人はやんちゃ盛りで、餅を丸めると言いつつ餅とり粉で洋服を真っ白に汚し、餅をつきたいと言っては餅つきに割り込み、存分に邪魔をしましたが、これもお愛嬌でした。松本さんの子ども小春ちゃんも暫く見ない間にすっかり大きくなって、最初は多少恥ずかしがっていましたが、その内馴れて可愛い仕草がみんなのアイドルとなりました。

餅つき子ども 餅つきは準備を含めると3時間にも及びましたが、12時過ぎにやっと一段落しました。私は急いでかまどを片付け、妻が用意してくれていた食材を使ってご飯1釜と味噌汁1鍋を作りました。この作業は私にしかできず、皆さんが餅つきの後片付けをしている間に、手早くやりましたが、12時30分にご飯も味噌汁も炊きあがり、水平線の家の板間の上に、持参した漬物と共に置いて配膳し、みんなが車座になって同じ釜、同じ鍋のご飯と味噌汁を食べました。作った本人が言うのですから間違いありませんが、手前味噌ながら、ご飯も味噌汁も最高の味で大好評、ハガマも鍋も底が見える完食の手合いでした。

かまど飯2 今年も人間牧場には年間千人を越える沢山の人を迎え入れ、かまどで何度ご飯や味噌汁を炊いて振舞ったことでしょう。人間牧場では極力残飯を出さないよう配慮した環境教育の一環として、かまどご飯と味噌汁、漬物と梅干し以外は出さないというシンプルな料理に徹していますが、まさにシンプル・ザ・ベストといった感じで、日ごろおご馳走に馴れている現代人ゆえに、こうしたシンプルさは大受けなのです。それでも使う食器、使った食器を洗ったり片付けたりする手間は毎回大変で、昨日のように夕方次男息子の新居転居日と重なったりすると、片づけが明くる日の今日に残ってしまうことも度々です。今日は中世の安久寺城郭調査に午前中同行したあと、しっかりと片づけをしようと思っています。

 

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人間牧場

〇年末恒例の人間牧場での餅つき(その2)

 下準備が一段落したころ、朝が峠の向うに住んでいる亀本さん一行が、セイロにかけたもち米が蒸気を吹き始めたころ、メンバー10人余がそれぞれ、人間牧場にやって来ました。浜田さんは注文していた餡子を持って現れ、田処から一足先にやって来た女性陣が餡子を適当な大きさに丸めてくれました。重い臼を倉庫から一人で動かし、亀本さんが臼や杵を綺麗に水洗いして準備をしてくれたので、早速間髪を入れず餅つき開始です。

 4年前までは臼取りは全部私の担当でしたが、その後水本先生が、また昨年からは兵頭さんがそれぞれやってくれるようになったので、私は亀本さんと二人でかまどに専念することができ大助かりでした。餅米を蒸す、蒸した餅米を臼に入れる、入れたもち米を小突く、小突き終わるとつく、ついた餅を餡子を入れたり平にちぎって丸める、丸めた餅を引っ付かないようセイロに並べて冷ます、冷ました餅をパックに詰めると、それぞれがそれぞれの役割にしたがってかいがいしく働きました。

 餅臼の数は16臼とまあ気の遠くなるような多さと忙しさでしたが、2時間余りで何とかつき切りました。臼取りも餅を杵でつくのも大変ながら、丸めて並べるのも一苦労でした。ついたお餅は皆さんの持ち帰り用と、日ごろお世話になっている近所や知人友人に配るため1パック10個ずつ、60パックも詰めました。餅つき、昼食、年輪塾学習会、後片付けが終ってから、私はそれらを30軒も配って回りました。正月を前にした今の時期はお餅が恋しい季節なので、みんな珍しがったりして喜んでくれました。

  「餅つきは 準備が大変 今年も 私担当 多少お疲れ」

  「参加した 人の手使い 遊ばさず しっかり使う 私の役目」

  「ついた餅 パックに詰めて お裾分け みんなそれぞれ 喜んでくれ」

  「かまど守 お湯を足したり 薪を入れ 時には杵を 持って餅つき」 

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人間牧場

〇投稿記事についホロリとしました

 今日の朝4時55分、いつものように書斎の窓から新聞配達のおじさんから、新聞を手渡しで受け取りました。毎朝「今日は寒いねえ」とか、「〇〇さんが亡くなったらしい」とか、季節の移ろいやご近所の話題を短い言葉で話すのですが、時々私が出張でいなかったり、休刊日だったりして何日か顔を見ないと、何となく食腸気味になってしまうから不思議です。

友人の投稿した新聞記事
友人の投稿した新聞記事

 昨日の朝一本のブログを書き終わったところへ、いつものように新聞配達のおじさんが単車でやって来ました。昨日の朝は突風が強く吹き荒れ、車庫上の発電用風車も音を立てて回っていました。「今日は特に寒い」と新聞を私に渡したおじさんは、足早に単車に乗って隣へ向いました。私は受け取った新聞を一通り縦読みして、いつものようにウォーキングに出ました。寒い北西の季節風をまともに身体に受け、約40分歩いた後少し早足で帰宅して、新聞をダイニングの持って行き、食事をしながら新聞を読みました。

 目に留まったのは投稿欄の「へんろ道」という囲み記事でした。若いころからよく知っている、伊方町三崎二名津の金森一臣さんの投稿記事でした。風の噂ですが金森さんの奥さんは若年性認知症で、いつかの投稿欄にも奥さんのことを書いていたので、風のうわさといいながら薄々そのことは知っていました。早速食事をしながら横に座っている妻に、この記事を声を出して読んで聞かせてやりました。書いた金森さんをよく知っているだけに、また認知症という病気がどういうことか知っているだけに、読みながら少し声がつまりました。

 認知症の奥さんのリハビリを兼ね、手をつないで田舎の道を散歩する初老の夫婦の姿を頭に描きながら、自分の身に置き換えました。この一ヵ月妻は、膝に肉離れを起こしたことが原因で、少しいびつな歩き方をしています。それでも仕事や家事を休むことなく、また私もそんなに手助けもせず今に至っていますが、金森さんのような優しい心遣いには遠く及ぶべきもないのです。夫婦の絆は長年積み重ねて出来上がるものです。これまで祖母、母、父の世話をして順番にあの世へ見送ってくれた妻の世話を、今度は私がする番だと思っていますが、逆に妻に迷惑をかける訳にはいかないので、せめて自分の健康は自分で守る気概で頑張りたいものです。

  「新聞の 投稿欄に 友人が 書いた文章 妻読み聞かせ」

  「冬日和 田舎の道を 手を繋ぎ 歩く姿は ほほえましいなあ」

  「私には とてもじゃないが できないと 友人誉める かくありたいと」 

  「老いの坂 そこまで迫り 他人事じゃ ないと実感 新聞読んで」 

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