人間牧場

〇親父の生前最後の日

 大正7年9月7日に生まれた親父は、今年96歳です。この1週間食べ物が喉を通らず、殆ど歩けない寝たきり状態になりました。私が講演で北海道札幌へ3日間出かけて家を留守にすることを、毎日往診に来てくれている診療所の先生に相談すると、「ひょっとしたら間に合わないかも知れないが、その時はその時」と出かけることを勧めてくれました。北海道での3日間はまるで爆弾を抱えたような心境で、自宅の妻と診療所の先生二人に電話で連絡を取りながら、どうにか役目を終えて3日後に帰宅すると、親父は私の帰りを待ち焦がれていたように安どの表情を浮かべ喜んでくれました。

 落ち着いた容態で2~3日過ぎましたが、今度は私が塾長を務める私塾年輪塾の修学旅行で陽明学者・近江聖人中江藤樹のふるさと滋賀県小川村へ、修学旅行に出かける予定になっていましたが、中江藤樹の親孝行を学んでいる私としては、どうしたものかと思案した挙句、塾頭や小番頭、筆頭塾生の勧めもあって、結局参加を断念しました。そんなこんなでこの4~5日は自宅で親父の介護をしながら親父が一人住んでいる隠居の掃除を、ただ黙々と朝から晩まで大汗をかきながら行ないましたが、特に夜は親父の隠居の部屋に行き布団を並べて添い寝をしたのです。

 親父と一緒に寝るのは小学生の時以来で、過ぎ来し日々や親父について随分思いをめぐらせることができてよかったと思います。昨日は息子も仕事が休みで自宅にいましたが、昼前何を思ったのか、すっかり痩せて軽くなった親父を両手で掬い上げるように抱きかかえ、庭の見える座敷まで運び、一人で座れない親父の後ろに回って息子は背もたれのようにして親父に庭を見せてやりました。とっさのことだったので私はあっけにとられてしまいましたが、大いに驚きました。昼間診療所の先生が往診にやって来て、浮腫んだ足の水を抜いてくれましたが少し破水をしたので、夕方再びやって来て処置をしな直してくれました。

 夕方には近所に住む妹もやって来て、親父が大好きだったくじらという店のソフトクリームを含ませてやると、「美味しい」と頷いてゴクリ一口食べてくれました。その後私も食事を早く済ませて親父の隠居に行って見ると、親父の容態が見る見るうちに変り始め、診療所の先生に連絡して往診要請をしましたが、先生が駆けつけた時には息を引き取った後でした。昨日から血圧が下がり始めていたので心配していましたが、薬石効なく午後8時22分他界しました。覚悟はしていたもの駆けつけた家族や親族は涙を沢山沢山流してくれました。親父生前最後の日は私も死に目に立会い、ドラマチックな一日となりました。

  「一世紀 近くも生きた 最後の日 家族看取られ 親父旅立つ」

  「この家の 畳の上で 死にたいと 常々言った 思い叶える」

  「最後の日 息子親父を 抱かかえ 背もたれなりて 外を見させる」

  「診療所 先生お蔭 長生きを させてもらって 親父満足」

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〇鳥瞰と俯瞰

 人間の考え方は色々ありますが、自分の位置や目の高さで判断することが多いようです。右にいると左に見えるし前にいると後ろに見えます。また人に出会ってその人の背や体重を判断する時も、高いとか太っていると思うのも自分を基準にしているようです。鳥瞰と俯瞰という言葉があります。「鳥瞰と俯瞰という漢字を読んだり書いたりしなさい」と言われても私のような凡人は読むことこそ何とかできますが、書くこととなると正直おぼつかない有様です。

 辞書で調べると鳥瞰も俯瞰も「高いところから見下ろすこと」と大差はありませんが、鳥の目で見る鳥瞰が地理的意味なのに対し、俯瞰は状況などを含めたかなり広義な考え方で人間にぴったりするような気がしています。
 俯瞰は将棋のようなもので、将棋盤の上で繰り広げられる相手との対決という時や場所を見ることと同時に、2手3手先という自分の考えと同時に相手の手の内や2手3手先を読まなければなりません。

 世の中にはマクロとミクロの世界があります。マクロにもミクロにも俯瞰を働かさなければなりませんが、そんな奥の深い俯瞰力は直ぐに身につくものではありません。WAY(どうしてこんなことになったのか?)よりWHAT(何)を考えることも大事なポイントです。
 今朝散歩をしていて緑のコケを見つけました。このところの長雨でそれは鮮やかな緑のコケが一面に広がっていました。立ちどまってコケを見ていると、いつもは何げなく通っている道の真ん中を、アリが一列になって行進していました。コケもアリも人間や自然から比べればミクロの世界でしょうが、ミクロの世界をマクロ的に見るとこれまた面白い光景で、しばらくの間立ちすくんでその光景に見とれていました。

 そこを通りかかった近所のおじさんが、「進ちゃん、何を見ているの?」と怪訝そうな顔つきで話しかけてきました。「コケとアリの行進を見ている!!」と答えると、「あんたも暇じゃねえ」と首をかしげて先を急いで立ち去りました。多分その人の目にはコケもアリも眼中にないのです。私が変っているのか、その人が普通なのか、よく分りませんが、何かにつけこんな疑問を持つ人間も一人くらいはいてもいいような気がするのです。帰宅してデジカメをポケットに忍ばせてその場所へ戻り、パチリ一枚写真を撮りました。やはり私はあのおじさんが首をかしげたように暇で変っているのかも・・・。

 

 

 

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〇外反母趾

 私の左足は人に言えないほどの外反母趾です。亡くなった祖母も外反母趾に苦しんでいたので、これは遺伝かも知れないと思いつつ、手術をする勇気もストレッチで直す努力もせずこの歳を迎え、「焼かないと治らない」、つまり死ぬまで治らないと諦めています。退職してこの10年、人間牧場などを造っているため、私にとってはかなりハードな農作業を、特に夏場はしていますが、地下足袋を履いて作業をする時踏ん張りが効かず、足元がおぼつかなくて転んだりするのは、やはり外反母趾のせいだと、ネットで調べて分りました。

外反母趾の左足
外反母趾の左足

 私の外反母趾は足の親指の下に人差し指が潜り込むようになっているので、親指の外側が靴に当たるので、靴を買う時は妻と一緒に出かけて、靴のつま先が少し広いものを探すようにしていますが、今のところ靴擦れは起きていません。しかし知れば知るほど外反母趾は怖い病気であることを認識しています。高齢のせいと思っていた少し前かがみで歩く姿勢は勿論のこと、時々悩ませていた腰痛も外反母趾に起因しているかも知れないし、これから先足腰に異常を感じるようになるのも覚悟しなければならないようです。

 私は元気男を自認して生きていますが、考えてみれば高校生の時柔道をやっていて両方を脱臼し、ソフトボールが投げられなかったりして外反母趾とともに軽い肢体不自由人なのです。これからはそのことを意識して余り無理をせず穏やかに暮らしたいと思っていますが、目下のところ続けている1日1万歩は、妻から「歩き過ぎ」だと注意をされても続けようと思っています。今朝は久しぶりに雨も上がり、少し薄い霧が出ていますが、朝日も山の端から顔を出し、爽やかな朝を迎えています。

  「祖母遺伝 外反母趾の 足を見て そんな気付きを 今頃になり」

  「調べると いちいち納得 するばかり 手術は嫌だし 直す気もなし」

  「足と肩 肢体不自由 思いつつ 上手にこれから 生きるためには」

  「人のこと 思っていたが いよいよと わが身足腰 おぼつかなくて」

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〇ミニマリストへの道

 戦時中の昭和19年に生まれ、今年70歳になった私は、日々の暮らしの中で「古い時代の人間」だと思うことが沢山あります。その際たるものは言葉で、英語や新語が得意でないため、テレビのコマーシャルや人との会話を聞いても、理解に苦しむことがしょっちゅうで、特に意味不明の流行語や外来語を聞くと若い頃はメモをして、辞書で調べたりしていましたが、最近はそれさえ億劫になり、分ったようなふりをして何の手合いもなくやり過ごしているのです。

 昨日テレビで「ミニマリスト」という言葉を聞きました。極力身の回りに物を持たずに暮らす人のことだそうです。着る物や小道具なども生活に必要なものを最小限に留め、シンプルな暮らしをするのだそうですが、その人たちから見れば、現代人はまるでゴミの中で暮らしているようだと言うのです。確かに私たち現代人はありふれた様々な物に囲まれて暮らしています。日々そんな豊かな暮らしをしている私たちが、果たして「ミニマリスト」になれるかどうかは、正直なところ私自身首をひねりました。

 わが家は代々長男が後を継いできたいわゆる本家です。ゆえに倉庫の中などには一年に一度どころかこの10年間、20年間一度も使ったことがない漆器や陶磁器皿などが山のように眠っているし、年中行事である正月の餅つき道具だけでもかれこれの量なのです。勿論処分したいものも沢山あって、捨て切れない弱さを垣間見ながら老いの坂道を下っているのです。それでも息子たち家族と同居するようになって、私たち夫婦の意識は幾分変わり始めました。それは若嫁の暮らし方が影響しているのです。若嫁は綺麗好きで、不必要なものは極力買わないし、不必要と判断したら躊躇することなく捨てています。私たち夫婦から見れば若嫁も「ミニマリスト」というに相応しい人間なのです。

 親父も大正7年生まれの古い時代の人間なので、道具類を沢山持っていますが、96歳という年齢のここに来て、身の回りの暮らしは外出も人付き合いも殆どしなくなったため、私たちから見れば「ミニマリスト」なのです。こうしてみると一番「ミニマリスト」でないのは私たち夫婦だけなのかも知れません。そこで今日から、「買う」でなく「捨てる」を基本に考えた「若松進一ミニ・ミニマリスト変身大作戦」なるものを実行してみようと思い始めました。「できるかどうか分りませんが」ではなく、「やろうと決意する」ことこそ大事だと、机の前の板壁にその目標を書いて張り出しました。さあ実行です。

  「現代は かゆい所に 手が届く 物に溢れた 豊かな暮らし」

  「テレビにて ミニマリストと いう言葉 始めて知って ?疑問の館」

  「ミニくらい だったらできる かも知れぬ ミニマリストに なろうと決意」

  「買うよりも 捨てるが基本 歳ゆえに そろそろ整理 整頓すべき」

 

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〇お迎えは足元からやって来る

 田舎に住んでいると、高齢者が杖をついたりマイピアという、車椅子式電動車に乗っている姿をよく見かけます。また近所の病院に行くと足が痛い腰が痛いと訴えて、病院通いを日課のようにしている人をよく見かけます。人間の暮らしに欠かせない歩くことすらおぼつかなくなるであろう高齢期年齢を間近に控えると、とても人ごととは思えず、「明日はわが身」を実感しています。

 ものの本によると、人間の骨は新陳代謝を繰り返し、成人は約3年で新しい骨に生まれ変わるのだそうです。だとしたらあと3年待てば今痛い関節や腰もひょっとしたら治るかも知れないと思うのは、素人の浅はかな考え方で、傷んだ部分の再生は中々のようです。骨には骨芽細胞という骨を作る細胞と、破骨細胞という骨を壊す細胞の2つがあって、その新陳代謝が体内で知らず知らずのうちに行なわれているのです。子どもは骨を折っても一週間もすれば骨芽細胞によって早く引っ付きますが、高齢になると骨芽細胞より破骨細胞の方が強くなり、骨を折ると中々治らないという道理が何となく分るような気がするのです。

 「お迎えは足元からやって来る」「転ばぬ先の杖」「骨折り損」などなど、骨にまつわる話は多いようですが、せめて煮干しや牛乳等でせいぜいカルシュームを摂ってピンピンし、健康寿命を伸ばしたいものです。最近ヒアルロンサン、コラーゲン、コンドロイチンなどといった言葉が独り歩きして、そうしたサプリメントがあたかも万能のように思われがちですが、騙されたり間違った使い方をして、かえって副作用を起こしたりトラブルもあるようなので、正しい知識を見極めたいものです。

  「三年で 人間の骨 新しく なること聞いて 嬉しくなりぬ」

  「細胞にゃ 骨芽と破骨 二つある 頷きながら 足腰さする」

  「効きますよ サプリメントの PR テレビで宣伝 うるさいほどに」

  「煮干し食べ 牛乳飲んで はて骨が 丈夫になるか? 少し心配」

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〇北海道札幌から無事帰って来ました

 親父の病気のことを気にしながらの北海道への旅は、僅か3日間だけなのに、とても長く感じる旅でした。ゆえに講演会場となった札幌から余り遠くへ離れることもできず、札幌の街を思いつくまま散策してこの3日間を過ごしました。今回の旅は1日目と3日目は移動日で、2日目も午後2時30分から午後4時30分までの僅か2時間の束縛でしたが、この日は殊勝にも講演に備えて午前中はホテルの一室で一人だけのミーティングをして過ごした結果、まあまあ自分で納得できる話ができました。

 今日の札幌の天気予報は午前中雨ということだったので、小樽へ小旅行をしようと思ってせっかく下調べをしていたのに濡れては大変と諦めてしまいました。雨が降らない間にJRの列車で少しでも早く移動しようと思って列車に乗り、新千歳空港を目ざしました。到着して間もなく何処かの駅で人身事故が発生した模様で、列車が不通・運転見合せとなってしまったようです。今にして思えば私には先見の目があったのではないかと思うほどで、私は新千歳空港から飛んだ飛行機に乗って、東京を乗り継ぎ無事夕方松山空港に降り立ち、妻の出迎えを受けました。

 北海道の思い出は折々撮影した写真を見ながら回想しようと思っていますが、空気が乾燥して、朝夕15℃くらいの北海道と違い、梅雨の曇り空の双海町は湿度が高いためでしょうか、飛行機を松山空港で降りた瞬間、まとわりつくような湿気を感じました。この3日間は旅先なれど札幌市内を中心に朝晩一人黙々と歩いたため、一日平均一万歩を3日間とも達成したようです。今夜は心配していた親父の病気も少し落ち着いているようなので、何はともあれ風呂に入ってゆっくり寝ようと思っています。

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〇道端に咲く草花の名前

 毎朝夕、暇さえあれば一日一万歩を目標にウォーキングしている私ですが、毎日歩く見慣れた道端でも、そこそこ季節の花が咲き、その気になれば結構楽しむことができるのです。私は田舎育ちなのでそれらの木の実や花の名前は属名というか、主に母親に教えてもらったとおり覚えているのです。例えば私が子どものころ家では乳を手に入れるためヤギを飼っていました。ヤギの餌を確保したりやるのは子どもである私の役目で、ヤギが食べていい草と好む草の見分け方を、母親から教わりました。

この花の名前が分りました
この花の名前が分りました

 丸いイチジクに似た実をつける葉っぱを最近まで「乳モモ」と覚えていましたが、インターネットで調べてみると正式和名は「イヌビワ」だったりして今は亡き母の顔を思い出して一人苦笑していますが、最近道端でオレンジ色の綺麗な花が咲いているのを見つけました。母親から聞いていた名前は、まるでムカデの足のように花をつけていることから「ムカデ花」と覚えていましたが、知人の水本孝志さんにこの花の写真をメールで送り、調べてもらったところ、早速返信メールが届き、南アフリカ原産アヤメ科モントブレチアという聞きなれない名前であることが分りました。和名はヒメオウギスイセンだと聞いて納得しました。

 この歳になって野に咲く花の名前を詮索する必要はもうないのかも知れませんが、何ともはや世の中は便利なったもので、ましてや名前まで調べてくれる、まるで生きた図鑑のような人がいるのですから驚きです。最近裏庭に別の黄色い百合のような花が咲いています。草刈機で草を刈った刈り残りの葉っぱから、茎を伸ばし咲いている花はキスゲに良く似ていますが、母親から教わった「キスゲ」もどうやら当てにならないようなので、近々水本孝志さんにネットで教えてもらおうと思っています。ホタルブクロも咲き終わり、その葉っぱに泡のようなものがあちこちに見えるのは、ホタルの卵と教えてもらい、子ども心に信じていたことも間違いでした。せめて孫たちには正しい知識を教えてやり、道端の草花や小動物に関心を持って欲しいと願っています。

  「この花の 名前も母に 教わった 属名ばかり 当てにはならぬ」

  「写真撮り 知人にネット 送りつけ 花の名前を 教えてもらう」

  「草茎に 泡の塊 ホタルだと 聞かされ真に受け 今の今まで」

  「無知により 生ずる不幸 知ることに よりて回避が できる信じて」

  「その昔 私馬鹿よね お馬鹿さん そんな歌まで あったじゃないか」

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〇今治市連合自治会研修会に招かれて

 2ヶ月前のある日、古い友人の元県庁職員小島さんから「自分の親友の今治市役所の職員から、講演依頼の口添えを頼まれたので是非受けて上げて下さい」と電話が入りました。一も二もなく「予定が合えば・・・」と電話を切るとおっつけ市民生活課の女性担当係長さんから連絡を受け、7月3日で調整に入りました。聞けば私が昨年の11月松山の友輪荘で開かれた、中国四国ブロック生活学校・生活会議運動研究集会で講演した内容が、まちむらという雑誌の129号で、5ページわたって見開きで紹介された記事を読んでのご依頼のようでした。

 演題もその時の「「明日の地域を創るために」で話がまとまり、昨日の午後からの研修会でしたが、食事も含んだ事前打ち合わせをするというので、約束の11時30分に間に合うよう、自宅を9時に出て松山~北条~菊間~大西経由の海岸国道を通ってのんびりゆっくり、会場となっている今治市役所の敷地内にある今治市公会堂へ到着しました。この公会堂は世界的な建築家で、今治出身で世界的に有名な丹下健三さんの設計建築物で、最近リニュアール工事を終えた見事な建物でした。老人グラブの研修会や婦人会の研修会などで何度かこのステージに立っているので、少し安心して望みました。

 美味しい昼食を近所の小料理屋で会長、副会長さんとともにいただいたあと、市長さんが楽屋まであいさつに見えられ、午後2時から研修会はスタートしました。研修会は千人収容のホールですが、予定参加者が300人なのでテープで囲った中心部分に参加者が集まり、こじんまりとしていました。それぞれ自治会の役員さんなので意識も高く、一生懸命私の話を90分近くも聞いていただきました。講演が終わると笑いのヨガという体操が指導員さん二人によって披露され、私もステージ上でリズムを取りながら加わり大いに笑いましたが、中々のものでした。帰りは玉川~奥道後経由の道を選び、ほのぼのとした気持ちで7時前に自宅に到着しました。

  「大は大 小は小なり 悩みあり 明日の地域 創る意欲を」

  「口添えを してくれた友 有難や 講演引き受け 昨日出かける」

  「久々に 瀬戸内右に 見て走る しまなみ界隈 自転車活気」

  「馴染み顔 幾つか楽屋 訪ね来て 握手をしたり 語らいしたり」 

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〇今月の五行歌

 昨日松山五行歌会を主宰する見山あつこさんから、6月の歌会報告が届きました。相変わらずの駄作ながら投歌していたので封を切り、出席歌、欠席歌の順に目を通しました。私の6月の欠席歌は次のとおりです。
  若い頃は
  背筋を伸ばして急ぎ足
  今はつまづかないよう
  下を向いてゆっくりと
  同じ自分なのに

 歌の後に次のような寸評が書かれていました。心を見抜かれてような寸評に、思わずにっこりしました。
 ☆今の私と同じだわという人が、若い頃と歳をとってからでは。歩幅も姿勢も変わってくるものですね。今日はショーウィンドウに姿を映して颯爽と歩いて来ましたと池内さん、歩き方の知識を学んで、踵(かかと)から歩いていますという感想はまあこさんから、歩き方を詠っているようですが、ご自身の人生の歩み方を含んでいるようにも捉えられますね。

 出席歌一席は紅梅さんの次の歌でした。
  物を片付けて
  身軽になろう
  台所を片付け
  娘を片付け
  夫を・・ オッと失礼

 欠席歌一席は不徳竹さんの次の歌でした。
  おいしかった!
  生きていて良かった
  ごちそうさま
  そういう母を見て
  私も生きてて良かったと思う

  「詠んだ歌 人それぞれに 人生の 機微が滲んで 納得手合い」

  「浅学の 自分自認し 投歌する おこがましくも お恥ずかしくも」

  「そういえば 今と昔じゃ 歩き方 随分違うと ショウウインドウ見る」

  「つまずかず 歩けるように そのことを 気にして下を 向きつつ歩く」

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〇庭木が枯れた

 わが家の庭には沢山の庭木が植えられています。その殆どは親父が長年丹精を込めて世話をしてくれたものばかりですが、中には親父の年齢と同じように老木もあって、枯死寸前のものもありますが、親父の意思を継いで大事にしたいと思うものの、趣味はあっても親父ほどの技術もなく、これから先が思いやられます。

枯れたモミジの庭木
枯れたモミジの庭木

 家の西側に植えているモミジとツゲの木の様子が最近おかしくなり始め、どうやら枯れたようなのです。何が原因かは不明ですが、他の庭木への影響がないようにしようと、昨日2本の木の伐採を思い立ちました。ツゲの木は手ノコでも切れますが、モミジは根元がかなり大きいため、思い切ってチェンソーで切ることにしました。

 倉庫からチェンソーを取り出してエンジンをかけ、枝から順番に切り落として、幹も薪に利用する長さに小切りしました。ものの10分ほどの作業で全ての切断作業を終え、切った木は薪用に庭の隅の薪置き場に収納しました。暇を見つけてマサカリで割っておこうと思っています。庭の定位置にしっかりと根を張って庭を形作っていたモミジやツゲがなくなると、庭全体がどこか淋しい感じがするものです。裏の畑に植えているモミジやクロガネモチの根切りをして準備をし、来年の春にはその場所に植えたいと思っています。

 家の庭木も、親父の老化とともに新たな変化を余儀なくされ始めました。跡継ぎたる私が親父の技術を早く身につけて手入れをするのが何よりですが、それも遅きに失してしまいました。失って始めて知る親の大きな力を、どう復活するのか、息子も既に42歳で、そろそろ私も息子に微力ながらその力を受け継ぐ時期に来てしまいました。色々考えさせられる今日この頃です。

  「庭木枯れ チェンソーにて 切り倒す 親父の顔を 想いながらも」

  「何故枯れた? 庭木に聞いても 知らんふり 可哀想だが 薪割り使う」

  「親時代 終って私 終りそう 息子に伝授 心もとなく」

  「枯れた木の 後に植える木 品定め 今年の秋に 準備始める」 

 

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