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〇やっとグリーンカーテンらしくなりました

 書斎の窓に朝日が差し込むので、ブラインドを下ろしたり上げたりして遮光していますが、息子の発案で「グリーンカーテンをしたらどうか」ということになり、大きな植木鉢2個とプランター2個を使ってヘチマ、朝顔、夕顔の苗を約1ヶ月前に数本植えました。その後伸び始めたツルを巻きつかせるため、山から竹を切って来て垣根を作り、そこへ園芸用の網を張りました。

目論見どおりグリーンカーテンになりつつあります
目論見どおりグリーンカーテンになりつつあります
ヘチマも大きな実をつけています
ヘチマも大きな実をつけています

 自分で言うのもおこがましいのですが、手前味噌ながら近所の人が羨むほどの出来栄えで、誉めてもらう度に悦に入っていました。数日前台風11号の接近で垣根は強風に揺れていましたが、葉っぱが4~5枚風で吹き飛んだ程度で、傷むこともなく持ちこたえました。いつの間にか垣には大きなヘチマが五個もなり、朝顔も綺麗な花を咲かせ始めました。夕顔もゴーヤもそのうち成長してくれることでしょう。今朝は天気雨というのでしょうか、弱い夏の太陽が顔を覗かせていますが、緑陰効果は抜群で、涼しい風が窓越しに入っています。梅雨明けももう間近です。クリーンカーテンは目論見どおり夏の暑い日差しを遮ってくれることでしょう。

朝顔の花も涼しげです
朝顔の花も涼しげです

 今年はヘチマが順調に育って実をつけているので、夏の終わりにはヘチマ水とヘチマのスポンジを作る計画です。ヘチマ水はヘチマの茎を根元から切り、一升瓶に差しておくとヘチマの水が逆流して瓶に溜まる算段ですが、上手く行くかどうか・・・。ヘチマ水は天然の化粧水になるらしく、美顔の妻の顔がさらにグレードアップするかも知れません。ヘチマの実はスポンジ状にしてお風呂で使おうと思っています。まだ作り方を調べていないので、誰かに聞いてやってみようと思っています。緑陰で楽しみヘチマ水やスポンジも楽しむことができるヘチマは、エコの代表選手のようなものになるかも知れません。誰かスポンジの作り方を伝授して下さい。

  「書斎窓 外にグリーンの カーテンを 腕によりかけ 作り正解」

  「ヘチマ五個 大きな実つけ ぶら下がり 夏を演出 黄色い花も」

  「朝顔の 花も鮮やか 雨に塗れ 蜂やチョウチョも 雨宿り来る」

  「暑い夏 梅雨明け間近か 来る予感 グリーンカーテン 少し涼しく」 

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〇夏の夜の花火

 台風11号の余波を受けて、台風が去った今も天候が不順で、奄美や関東地方では梅雨が明けたというのに、四国はまだ梅雨明け宣言が遅れているようです。家庭菜園の野菜類も長雨や日照不足で少し枯れ始めたものもあるようで、気を揉んでいます。昨日は久しぶりに草でも刈ろうと思い立ち、朝起きると作業服を着て準備をしたものの、結局雨が上がったのは午前10時頃でした。それでも雨に濡れた草は切れ具合が良いので思い切って畑へ入り、草刈機で果樹園や菜園の畦を中心にブンブン草を刈り、すっかり綺麗になりました。

家の庭で花火をする孫たち
家の庭で花火をする孫たち

 昨日はふたみの夏祭りの日です。主会場となったシーサイド公園には朝から大勢の人が訪れていたようですが、私は親父が亡くなってまだ一週間しか経ってなく、喪に服さなければならないので、お祭りのようなハレの行事は極力控えようと思っているので、昨日は気になってはいたものの夏祭り会場へ行くことを遠慮しました。わが家へは前日から娘家族が泊まりに来ていて、内孫2人に外孫2人の男の子が加わり、まあ賑やかな2日間となりました。前夜は若夫婦が花火を買って来て、自宅の庭でほんの小さな花火大会をしました。子どもたちは花火が大好きで、大いに盛り上がったようです。

自宅から見えた夏祭りの花火
自宅から見えた夏祭りの花火

 昨晩は孫たちも親に連れられて夏祭りに出かけ、一旦夕食に帰って再び花火見学に出かけました。私たち夫婦は家で留守番をしていると、午後8時30分過ぎ、外で大きな爆発音が聞こえました。家から全ての花火は見れませんが、山の端に綺麗な花火が、また大きな六尺花火は山の端を越えて見えました。夫婦でささやかながら夏の花火を楽しみました。
 この町の夏祭りを始めたのも私だし、夏祭りを長年運営したのも私です。ゆえに夏祭りといえば血が騒ぎますが、今も多くの人の思いによって、さして楽しみのないこんな田舎でも、ささやかながら夏祭りを続けてくれる多くの関係者いることを、感謝しなければなりません。昨日は多分朝から定まらぬ天気に翻弄され続けたことでしょうが、ご苦労様と労いの言葉を贈りたいと思います。

  「わが家でも 孫が集まり 花火する 夏の思い出 日記に書いて」

  「夏祭り 雨に翻弄 されたはず 昔の自分 思い出重ね」

  「喪に服し 祭りの参加 控えたり 心の中で 血が騒ぎつつ」

  「ド~ンドン 夜空の向こう 山の端で 花火上がるを 自宅から見ゆ」 

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〇子どもふるさと体験塾(その2)

 台風11号の影響で、楽しみにしていた底引き網体験は残念ながら没になりましたが、昨日の雨天対応プログラムは、それに負けないくらい盛り沢山で、参加した子どもたちも大喜びでした。底引き網に替えて共栄網の煮干し加工場を見学して、衛生管理の観点から、日ごろは滅多に見ることのできない加工場内を全て案内してもらいました。大きな冷風乾燥室では実際に強力な送風に当たり、釜揚げしたチリメンを急速冷凍するマイナス23度の冷蔵庫にも入れてもらい、運よくチリメン運搬船が陸揚げ堤防まで帰り、ホースで加工場まで運ばれる姿も見ることができました。

加工場見学をする子どもたち
加工場見学をする子どもたち

 二部は上灘漁村センター2階の調理室で、漁協役員さんと職員さんが総出で、調理実習をしてくれました。子どもたちも鱧の骨切り、鯛の刺身、タコのブツ切り、ノークリ(サメ)の三枚おろしなどを体験させてもらい、それらを使ったタコ飯、お刺身、お吸い物、ノークリと鱧のから揚げを堪能するほど腹いっぱい食べました。新鮮な魚はとても美味しく、魚嫌いな子どももいましたが、美味しいと言いながら舌鼓を打っていました。これまでのこうしたプログラムの調理実習は女性の方が殆どでしたが、今回は男主体の船頭さんたちが主役で、腕は一流でした。

 

鱧の骨切り
鱧の骨切り

三部は漁村センター3階の大広間をお借りして、私がリーダーとなり腹ごなしにレクリェーションをやりました。このところの天候不順や台風接近で、夏休みに入っているとはいいながら、外で思いっきり遊ぶこともできず、モヤモヤした気持ちの子どもたちもこの日は、久しぶりに笑顔で大いにレクリェーションを楽しみました。最近は子どものレクリェーション指導ができるリーダーも少なく、ましてや歌唱指導などもしないため、プログラムの進行だけに重きが置かれ、参加した子どもたちの心を揺さぶることが疎かになっているような気がしてなりません。子どもたちのにこやかな笑顔の笑い声が大広間に広がっていました。

大広間でのレクリェーション
大広間でのレクリェーション

 四部は灘町海岸とシーサイド公園砂浜のボランティア清掃です。台風11号の接近でこの2~3日海は大時化でした。ゆえに風や波にあおられて沢山のゴミが漂着して、美観を損ねていました。折りしも明くる日の今日は双海の夏祭りの日です。そこで少し時間的余裕があったので、急遽みんなで海岸の清掃をすることにしました。ビニールの袋を持ってみんなで燃えるゴミと、燃えないゴミに分別しながら拾いましたが、多勢の力は大したもので、沢山のゴミを集めることができ、夏祭りの主催者から大いに感謝されました。ボランティア活動をするのは気持ちがいいものです。子どもたちも久しぶりに晴れた青空に浮かぶ真っ白な入道雲に見守られ大汗をかきました。

海岸清掃する子どもたち
海岸清掃する子どもたち
入道雲が湧く台風一過の青空
入道雲が湧く台風一過の青空

  「加工場 工場長の 案内で 日ごろ見れない とこまで案内」

  「お魚の 料理挑戦 船頭さん 腕によりかけ 子どもに指導」

  「大広間 レクリェーションで 笑い声 日ごろモヤモヤ 吹き飛ばすよう」

  「台風が 運んだゴミを ボランティア すっかり綺麗 今日夏祭り」

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〇雨天時メニューの子ども体験塾(その1)

 たった一日なのに、台風11号に翻弄された昨日と、台風一過の今日とでは、こんなにも違うものなのかと思わせるほど今日は天気が回復し、夏の日差しが照りつけています。多分台風が梅雨前線まで連れて行って、梅雨明けしたような雰囲気です。
 今日は子ども体験塾の底引き網体験の予定でしたが、海岸線は海が穏やかに凪いでいるように見えても、中海に出るとうねりが高いと判断して、底引き網体験プログラムを中止し、あらかじめ予定していた雨天時プログラムに変更することを、昨晩の時点で決めて、昨日のうちに連絡網を使って子どもたちに連絡をしました。

海岸清掃を終えた集合写真
海岸清掃を終えた集合写真
体験塾で双海の漁業について語る私(冨田さん撮影)
体験塾で双海の漁業について語る私(冨田さん撮影)

 雨天時プログラムは底引き網体験に変えて、共栄網のイワシ加工場の見学を予定しました。午前7時10分に地域事務所のロビーに集合し、開会式が行なわれました。少し時間的な余裕があったので、双海町の漁業について実行委員長の私が薀蓄を垂れました。運よく地域事務所のロビーには、親父が造った巾着網船団の模型が展示されていて、話が随分リアルになったような気がしました。 
 その後海岸国道の路側帯を歩いて、台風一過の伊予灘を眺めながらイワシ加工場へ到着し、和田工場長の案内で工場内をつぶさに見学しました。私も新築なった加工場の中を見学するのは初めてだったので、興味津々でした。煮干し加工とチリメン加工の2ラインを見たり、-20度の冷凍庫の中へ入れてもらったり、子どもたちは大喜びでした。

 そのうちチリメンを積んだ中積み船が岸壁に接岸し、国道下のトンネルを潜る長いホースを通って工場内へ入る姿も見ることができました。会議室で子どもたちは熱心に和田工場長に質問していましたが、台風のお蔭で違ったいい体験ができたようです。 
 その後元来た道を引き返し、上灘漁協の2階にある調理場まで帰り、漁協役員さんの指導で鯛や鱧、サメのさばき方実演があり、子どもたちも調理体験をさせてもらいました。この日のメニューはタコ飯、鯛とタコの刺身、鱧のお吸い物、それに鱧とサメの天ぷらでしたが、子どもたちはそのおいしさに大満足の手合いで、何度もお代わりをしていました。昼食後のレクレーションや、灘町海岸・シーサイド公園の清掃ボランティアも楽しい思い出となりました。

  「台風で 底引き体験 変更し 加工場見学 それも充実」

  「町内に こんな工場 あるなんて 目を白黒し 熱心見入る」

  「鯛に鱧 タコサメ使い おご馳走 みんな満足 何度もお代わり」

  「夏祭り 前の公園 ボランティア 海岸清掃 汗を流して」

 

 

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〇台風11号四国直撃

 台風といえばお盆が過ぎ、秋風が吹き始める9月の210日前後がシーズンですが、今年はまだ梅雨が開けていないというのに、早くも12個も台風が発生し、台風11号は昨晩四国高知県室戸付近に上陸し、ネットで見たところ、ただ今午前6時前、香川県を通過中のようです。大型で強い台風、しかも雨台風のようで、一時間に20km程度のゆっくり速度を維持していているため、各地で被害が出ているようです。

今朝の台風11号状況
今朝の台風11号状況

 被害や避難をしている地域の人たちにはすまない話ですが、台風の直撃を免れた私たちの地域では今のところ大した被害もないようで、正直ホッとした気持ちで朝を迎えました。私は昨日の午前中、白波が立つ海の様子を見ながら、風と雨の対応をしました。側溝の溝さらえや家庭菜園の野菜などが吹き飛ばされないよう、杭を打ったり、竹で補強する等しましたが、直撃は免れたものの、これほど大きな台風なので強く吹くであろう吹き戻しの風を心配しています。

 昨日は裏庭に置いた蜜蜂の巣箱も、風で吹き飛ばされないよう、巣箱の上にさらに少し重い重石を乗せて補強しました。このところ親父のことで巣箱などには手が回らず、ほったらかしの状態でしたが、蜜蜂たちは巣箱が満杯状態になっているのか、巣箱の入口前面の板壁には沢山のミツバチがたむろしています。梅雨が明けたらそろそろ採蜜作業もしなければならず、気焦りがしている今日この頃です。何はともあれ早く台風が去って、梅雨が明けて欲しいと願っています。

  「台風が 四国直撃 上陸し 刻々変る 予報に一憂」

  「石鎚の お蔭瀬戸内 それほどの 被害もなくて 胸撫で降ろす」

  「遅いけど 早く来いよと 言うように 今は早よ行け イライラ募る」

  「蜜蜂も 巣箱の外に たむろして 雨風去るの 待っているよう」 

 

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〇主のいなくなった隠居家

 14年前母が死んでからずっと一人暮らしを続けてきた親父の隠居家が、ついに空き家になりました。私たちが暮らす家の同一敷地内の隠居なので、まさに味噌汁の冷めない距離を保ち、隠居といいながら同じ屋根の下に住んでいるような実感でした。夜が明け朝起きると親父の隠居へ「じいちゃんおはよう」と挨拶に行き、外出から帰ると本宅へ入る前に親父の隠居へ、「ただ今」とあいさつに出かける日課も、殆ど欠かさず行って来ました。

空き家となった親父の隠居家
空き家となった親父の隠居家

 

ガランとした人気のない室内
ガランとした人気のない室内

痴呆が進んだ最近は、夜と昼を間違えたり、エアコンの効いた台所の掘り炬燵に足を突っ込んで仮眠する姿もよく見かける光景で、風邪を引くからと布団に運んだり、そのままそっと毛布をかけてやることもしばしばでした。一番の気がかりは掘り炬燵に座布団や毛布が落ち込み、火事にならないか心配しましたが、何とかその心配が取り越し苦労に終わり、今では正直ホッとしていますが、隠居のそこここには一人で暮らす工夫が随所に施されて、偉いもんだと今更ながらその発想に驚いています。

 親父は94歳まで「陽の当たる坂道」という電動自転車に乗って、7キロも離れた下灘診療所へ診察に出かけていました。94歳で往復14キロの道程を電動といいながら自転車をこぐ姿は、老人暴走族とか、急に進路を変える危なさか「わが道を行く老人」などと揶揄されましたが、危ないからと自転車に乗るのを止めさせてからは急に足腰が弱りました。それでも今年の春先まではまあ何だかんだといいながら、それなりに元気に過ごしていました。昨日私は西予市明間公民館で開かれた消費者講座の講演を頼まれて出かけ、帰りが10時近くになりました。いつものようにまず隠居へ足を運び明かりをつけ、ガランとした3つの部屋を印象深く見つめながら思い出に浸りました。

 少し落ち着いたら親父の遺品等を整理し、少しリフォームして私たち夫婦が使う予定ですが、「ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞ思う」の心境で、昨晩も今朝も無意識のうちに隠居が気になり、親父の話題を家族みんなが話しています。在宅で介護をしているといいことばかりではなく、時には親父と少し強めの言い争いをしたりもしましたが、今となっては懐かしく、「もう少し長生きして欲しかった」と思うのは偽らざる気持ちです。私の兄弟は5人のうち私を含めて4人が町内に住んでいます。いつも気にかけて親父の元へ足を運んで声をかけてくれました。さっき妹が自分の畑で摘み取った切り花を持ってやって来て、親父の話に花を咲かせて帰りました。親孝行もそれほどできませんでしたが、それなりに幸せな親父だったように思います。

  「住み慣れた 親父の隠居 空き家なる そこここ暮らしの 足跡残る」

  「昨晩も 自宅へ帰り 隠居家へ 明かりをつけて 思い出浸る」

  「今頃は 死出の旅路の どの辺り 母と再会 したのだろうか」

  「孝行の 孝の字子ども 老いたるを 背負うと聞いて なるほど納得」 

 

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〇遺影と喪主あいさつ

 親父が死んで葬式の準備をし始めた時、告別式をお願いすることにしたJAルミエール伊予の担当者から、「遺影を作るので適当な写真を提出して下さい」と言われました。親父は几帳面な性格そのままに、自分の書棚にきちんと写真集を何冊か整理をして、いつでも取り出せるようにしていました。家族みんなでアルバムをめくりながらどれにするか決めあぐみました。

 というのも、親父は47歳の時美顔ならぬ鼻ガンを発症し、10時間に及ぶ大手術で、片方の頬骨と上歯グキを摘出して片目はまったく見えなくなり、身体障害者となったのです。ゆえに特殊な入れ歯を入れてこの50年間生活して来ましたが、歳をとるとそれらも合わなくなって、入れ歯を外すとまるで画家ムンクの叫びのような顔になるのです。そのため親父が一番いい顔だった鼻ガン発症の直前、47歳の時の写真を満場一致で決めました。親父の最近の顔姿を知っている人は「あれっ?、この人誰?」と思うかも知れませんが、イケメンだった親父を偲ぶよすがになったと、みんなで喜びました。

 さて当日読経と焼香が終ってやらなければならないのが喪主あいさつです。学歴もなくことさらな地位もなく、歴史にその名を残すこともなく消える元鯛網漁師ですが、私は親父の偉さを手前味噌ながら少しだけ話しました。親父はガンが発症する前、5トン15馬力の小さな漁船に乗って、瀬戸内海の漁師ながら将来を考えて太平洋へ乗り出し、伊豆下田を基地にして、伊豆半島を漁場に遠くは三宅島まで漁をしに出かけています。
 天気図さえ満足のかけない瀬戸内の漁師が紀伊水道、潮岬、熊野灘、伊良湖、遠州灘
犬吠埼を航海した偉さは、相前後して愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に出かけている私にしか、低気圧の墓場といわれる冬の伊豆諸島の想像を絶する大時化は理解できないのです。

ムンクの叫びに似て
ムンクの叫びに似て
親父の遺影
親父の遺影

 もう一つは70歳で漁師をやめ陸に上がってから、自分の思い出の彼方にある戦前・船中・戦後、瀬戸内海で活躍した和船の模型を50隻余りも製作し、その幾つかは家の敷地内倉庫を改造して造った海の資料館「海舟館」に、他の資料とともに展示し、廃れ行く双海町下灘の漁業を語り継いできたのです。その一部は愛媛県生涯学習センターの手で口実資料としてデジタル化されていますが、私などとても真似のできない資料を大事に保管しています。
 几帳面で口うるさかった昔人間ですが、晩年は地域の人とも交流したり、特老へデイサービスに行く等して、穏やかな老後を過ごしました。下灘診療所の先生と、母亡き後15年間も世話をしてくれた妻の二人がいなければ、享年98歳の天寿を全うすることはできなかったことを、参列者のみなさんに伝えました。

  「別人と 思えるほどの 顔写真 使って遺影 みんな驚く」

  「一介の 漁師で名前 残さずに 一井に消える これも本望」

  「瀬戸内の 漁師であるのに 太平洋 荒波越えて 三宅島まで」

  「今回も 思いつくまま アドリブで 少し親父を 持ち上げました」

 

 

 

 

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〇母ちゃんと父ちゃんの思い出

 私の母親は14年前の10月4日に亡くなりました。私の誕生日が10月3日ですから、こじ付けをするなら私の誕生日に、私の成長を見届けてからあの世に旅立ったようです。私は一番肥えていたころの体重は、総理府派遣青年の船「にっぽん丸」で、建国二百年のアメリカへ渡り帰国した時68kgありました。その後多少増減を繰り返しながらベスト体重は63kgでした。若いころ(当時の体重は60kg)母が地元の洋服屋さんに頼んで仕立ててもらった式服が身体に会わなくなり、母親に相談したところ、「身体に服を合わせるのではなく、服に身体を合わせなさい」とたしなめられましたが、母が死ぬ前私は胆のうを患い摘出手術をした結果、55kgまで13kgも体重が激減し、母の葬儀時には、新調を考えていた古い式服がダブダブになり、今もその式服を冠婚葬祭では愛用しているのです。

 自分を産んでくれた母が無くなって、すでに14年が経っているというのに、未だに母親は私の記憶の中にはっきりと行き続けているのですから不思議です。さて一昨日亡くなり、昨日通夜を済ませ、今日葬儀をする享年98歳の親父は、なくなってまだ2日しか経ってなく、このところの混乱で思い出に浸る余裕等ありませんが、遺体を長年住み馴れた隠居から本宅へ移し、主のいなくなったガランとした3つの部屋を見ながら、また親父が長年手塩にかけて手入れした庭を見ながら、さらに親父の手づくり品や収集品を見ながら、親父の存在が偉大だったことを、あらためて思い返すのです。親父は学歴も役職もない田舎の漁師として生き、歴史に名前を残すこともなく消えようとしていますが、そこここに私が真似のできない多くの物を残していることに驚くのです。

 その際たるものは、70歳で漁師を辞め、陸に上がってから始めた和船模型造りです。「自分が見たり関わったりしてきた、瀬戸内海で活躍した和船模型を造りたい」と、設計図もさしたる工具も使わず、ましてや片目が見えない不自由な身体障害者の体を押して造り、家の横に海の資料館「海舟館」という倉庫を改造した二部屋に飾っています。その数ざっと30隻ですから、これはもう驚嘆というほかはないのです。 
 元気で言葉が喋れればこれらの展示を一般公開して説明させたり、何処かのギャラリーを借りて個展でもしてやりたいと思っていましたが、叶わぬ願いとなってしまいました。幸せなことに親父の口述記録は愛媛県生涯学習センターのデータベースにデジタル化されて残っているようなので、暇を見つけて展示を文字で書き起こしたいと思っています。今日は親父の葬儀が13時30分から行なわれます。いい旅立ちになりますよう・・。

  「十四年 前に亡くなる 母思う 式服着る度 あの一言が」

  「地位名誉 学歴もない 親父だが ほんのちょっぴり 偉大な仕事」

  「親超える こともできない どら息子 僅かな望み 伝えることしか」

  「さあ今日は 親父をしっかり 見送ろう 私にできる ことはそれしか」

 

 

 

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〇今日は友引

 親父が亡くなったのは一昨日の夕方でした。その日は涙の乾く暇もない中で、葬儀に関する話し合いを殆ど知識もないまま、祖母や母の葬儀で経験した幾つかを思い出しながらやりました。私の頭の中では「もしも親父に何かあったら・・・」という意識が働いていたので、ダイニングの壁に吊るしているカレンダーを何げなく眺め、日日の下に先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口と小さく書かれた六曜を見ていたので、もしや友引で一日延びるのでは?と気になりました。

 おっつけやって来たJAルミエールの葬儀担当者から、明日は友引なので通夜は13日、葬儀は7月14日です」と告げられ、科学的には何の根拠もないであろう六曜に従わないと、火葬場が休みという事実も知ることができました。先人が長い年月をかけて守ってきた民族の風習を破って、友引に葬式をするほどよもだではないので、仕方のない事実として受け入れ、その言葉に従って友引を避けましたが、予想はしていたものの急な親父の逝去で動転していた家族の心に、一服一休みの涼風が吹いたことは事実です。

 今日7月13日月曜日は凶禍が友人に及ぶとする友引です。今日は夕方6時30分から自宅で通夜を営みます。「家の畳の上で死にたい」と口癖のように言っていた親父の願いを叶えてやることができましたが、この上はせめて親父の人生の大半を過ごしたこの家で通夜を営み、親父の人生を偲んでやろうと思っています。12人兄弟姉妹の長男らしく、既に親類縁者多数の弔問や来訪を受け、96歳という天寿を「老衰」という形で幕を引いた親父を、むしろ涙より微笑で送ろうとしています。友引を強く意識した一日になりそうです。

  「友引で 葬儀一日 遅れそう ふっと一息 肩の力が」

  「友を引く 六曜友引 言い伝え 忠実守り 今日はお通夜」

  「お医者さん 老衰ですと 診断書 書いてもらって 安堵の胸を」

  「涙より 微笑似合う 親父の死 長寿全う みんな喜ぶ」

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○梅雨の晴れ間の夕焼け

今日は朝から、ムシムシする湿度の多い、梅雨特有の一日です。蒸し上がりといって、間もなく梅雨明けだと思います。昨日は梅雨の晴れ間の綺麗な夕焼けが見えました。家に不幸があって夕焼けを楽しむことは出来ませんでしたが、少し勇気を頂きました。

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