〇主のいなくなった隠居家
14年前母が死んでからずっと一人暮らしを続けてきた親父の隠居家が、ついに空き家になりました。私たちが暮らす家の同一敷地内の隠居なので、まさに味噌汁の冷めない距離を保ち、隠居といいながら同じ屋根の下に住んでいるような実感でした。夜が明け朝起きると親父の隠居へ「じいちゃんおはよう」と挨拶に行き、外出から帰ると本宅へ入る前に親父の隠居へ、「ただ今」とあいさつに出かける日課も、殆ど欠かさず行って来ました。
痴呆が進んだ最近は、夜と昼を間違えたり、エアコンの効いた台所の掘り炬燵に足を突っ込んで仮眠する姿もよく見かける光景で、風邪を引くからと布団に運んだり、そのままそっと毛布をかけてやることもしばしばでした。一番の気がかりは掘り炬燵に座布団や毛布が落ち込み、火事にならないか心配しましたが、何とかその心配が取り越し苦労に終わり、今では正直ホッとしていますが、隠居のそこここには一人で暮らす工夫が随所に施されて、偉いもんだと今更ながらその発想に驚いています。
親父は94歳まで「陽の当たる坂道」という電動自転車に乗って、7キロも離れた下灘診療所へ診察に出かけていました。94歳で往復14キロの道程を電動といいながら自転車をこぐ姿は、老人暴走族とか、急に進路を変える危なさか「わが道を行く老人」などと揶揄されましたが、危ないからと自転車に乗るのを止めさせてからは急に足腰が弱りました。それでも今年の春先まではまあ何だかんだといいながら、それなりに元気に過ごしていました。昨日私は西予市明間公民館で開かれた消費者講座の講演を頼まれて出かけ、帰りが10時近くになりました。いつものようにまず隠居へ足を運び明かりをつけ、ガランとした3つの部屋を印象深く見つめながら思い出に浸りました。
少し落ち着いたら親父の遺品等を整理し、少しリフォームして私たち夫婦が使う予定ですが、「ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞ思う」の心境で、昨晩も今朝も無意識のうちに隠居が気になり、親父の話題を家族みんなが話しています。在宅で介護をしているといいことばかりではなく、時には親父と少し強めの言い争いをしたりもしましたが、今となっては懐かしく、「もう少し長生きして欲しかった」と思うのは偽らざる気持ちです。私の兄弟は5人のうち私を含めて4人が町内に住んでいます。いつも気にかけて親父の元へ足を運んで声をかけてくれました。さっき妹が自分の畑で摘み取った切り花を持ってやって来て、親父の話に花を咲かせて帰りました。親孝行もそれほどできませんでしたが、それなりに幸せな親父だったように思います。
「住み慣れた 親父の隠居 空き家なる そこここ暮らしの 足跡残る」
「昨晩も 自宅へ帰り 隠居家へ 明かりをつけて 思い出浸る」
「今頃は 死出の旅路の どの辺り 母と再会 したのだろうか」
「孝行の 孝の字子ども 老いたるを 背負うと聞いて なるほど納得」