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〇今日は健康診断の日

 今日は3ヵ月に1回の健康診断の日です。朝から食事をせずに家を出て、午前8時に県立中央病院へ到着しました。今は夏休み中なので、道も病院も余り混むこともなくスムーズです。自動受け機での機械受付と、外来受付を済ませて順番を待っています。いつものことながら予約時間は8時30分なのに、時間になっても診察の気配はなく、結局診察が始まったのは9時近くでした。

 ロビー待合室では入院経験を何度も繰り返した、病気に詳しい人が沢山いて、話が弾んでいました。聞くでもなく耳に入るそうした会話を聞きながら、私は手持ち無沙汰なので、近頃はタブレット端末を持参して、こうして思いつくままを文字にして遊んでいます。お蔭でイライラしながら診察時間を待つこともなく時が過ぎるのです。「若松さん。中へお入り下さい」と呼び込まれ診察が始まりました。消火器専門の主治医の先生と雑談を交わしながら、機械で測った血圧の結果を見ながら、ベッドに横たわるよう指示され、手で腹部を診察してもらいました。今日は血液検査もなかったので問診程度で、次の10月30日にエコー検査をする予約を取り、次の診察に向いました。

 2年前健康診断エコー検査で前立腺が少し肥大しているとの指摘を受け、以来尿検査と薬の服用、それに健康診断を受けていますが、今のところは問題もなく今日の全ての診察を終りました。病院は病気を治すところであると同時に、病気を見つけたりしてくれますが、正直なところ余り行きたくない場所でもあります。今日のように何の異常も見つからなければルンルンでしょうが、見つかったらどうしよう、悪くなっていたらどうしよう等と、気を揉むのは余りいい気分ではありません。とりあえず次の10月30日までの保証期間はあるようなので、健康増進に気をつけたいと思っています。

  「早来たか 三月1度の 診察日 行きたくないけど 予約までして」

  「どうですか 体調聞かれ 元気です 私を見ずに 医者はパソコン」

  「病院の ロビーで患者 博学な 病気の話 医者より上手い」

  「とりあえず 賞味期限は 三ヶ月 それまで元気で いれるかどうか」

 

 

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〇わが家の玄関はまるで虫ワールド

 小学校二年生の希心と保育所年長の奏心の、腕白盛りの男の孫二人がいるわが家では、春頃から玄関先はまるで虫ワールドのようです。チョウチョのさなぎが終ればオタマジャクシとイモリが登場し、続いて最近はセミやカブト虫、クワガタ等を入れた虫篭がやたら所狭しと並び、時折やって来る孫の友だちを交えて、朝から晩まで何かと賑やかです。

息子が持ち帰ったイベントの看板
息子が持ち帰ったイベントの看板
わが家の玄関先はまるで虫ワールド
わが家の玄関先はまるで虫ワールド

 最近はそれに輪をかけて同居している長男息子が、中山町出身の松山に住む友人と二人で、クワガタランドなる大人の遊びとしては世にも珍しい、地域づくり活動を始めたものですから、孫がもう一人増えたような錯覚にとらわれています。昨日の夜は伊予市で100円ショップの小さなイベントがあったようですが、息子たちは100円でクワガタ・カブト虫釣りなるものを考えて出店し、子どもたちの関心を集めたようでした。

 孫たちもお母さんに連れられて出かけたようで、小クワガタの雄雌2匹をゲットしたと意気揚々と帰って来て、私に自慢話を聞かせてくれました。息子もイベント大好きな私に似ていて、伊予市の商店街を中心にした地域づくりに関わって、ささやかながら楽しくやっているようです。孫もまたおじいちゃんである私と、お父さんである息子の姿を一緒に参加してみながら育っているので、多分同じような道を辿ることでしょう。

 うろ覚えながら子どものころ、バカボンという漫画で主人公が、「これでいいのだバカボンボン」と歌っていたようですが、親子孫3代、本当に氏名の若松ではなくおそまつ君の手合いです。でもこんな素朴な幸せの中で生きれることも幸せなのかも知れないと時々思うのです。わが家の玄関では早くも来年に向けて、カブト虫やクワガタの卵を孵す作業が始まっているようです。

  「遺伝かも? 親が親なら 子も子だと 納得しつつ 玄関先見る」

  「その昔 漫画で読んだ ことがある これでいいのだ 首をかしげる?」

  「息子夢 クワガタランド 作ること 仲間と共に せっせせっせと」

  「夏夜店 クワガタ釣りで 子ら夢中 自分で釣った クワガタ自慢」 

 

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〇ビールもどき

 私は三度の飯より好きだったビールを15年前、胆のう摘出手術をしたのを機会にきっぱり止めました。今でも友人が美味しそうに呑んでる姿や、真夏大汗をかいた後などは正直言えば呑みたい気持ちはありますが、そこは意志の強い私ゆえ一度決めたことは何が何でも意地を通しています。最近わが家で親父が亡くなり、葬式や仏事が続いていますが、妻が車を運転する人のために、ノンアルコールのビールを沢山買って来て、冷蔵庫に常時冷やしているのです。

ビールもどきのノンアルコールビール
ビールもどきのノンアルコールビール

 仏事の後の食事会になると「亭主三杯客一杯」という言葉どおり、私もノンアルコールのビールをコップ一杯嗜む程度呑んでいます。これまでにも年輪塾の会合やまちづくりの呑み会等では酒を呑まない私のために、松本さんや浜田さんが気配りをしてくれ、ノンアルコールのビールを呑んでいましたが、家で呑むことは殆どなかったので、ちょっとした寝酒風です。ところがこのビールもどきのノンアルコールビールは、泡もホップの味も本物のビールと殆ど変らず、酔った雰囲気になるのですから不思議です。

 どんな製法で作られているのか知る由もありませんが、酒を止めた私にもし本物のビールとノンアルコールのビールで目隠しテストをされても、舌や喉が昔のビールの味を忘れていて、私は見破ることさえできなくなってしまっているのです。
 昔は「酒を呑まないでまちづくりを語ることはできない」と言っていた私も今は、「酒を呑まなければ語れないようなまちづくりは本物ではない」などとうそぶいているのですから、そのいい加減さに呆れています。でも酒を止めただけのせいではありませんが、13kgも体重が減りながら、今もどうにか元気で過ごせているのは、酒を止めたからだと、自分を納得させています。

  「アルコール ゼロのビールが 登場し 昔のように ビール呑む真似」

  「ゼロだけど 酔った気分に なりにけり 車運転 少し心配」

  「近頃は 酒を呑まない こと知って 友人ゼロの ビール気配り」

  「呑まないと 決めて早くも 十五年 強い意志力 妻だけ誉める」

 

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〇花火大会の是非

 何といっても有名なのは東京隅田川の花火ですが、夏といえば花火と形容されるほど、全国各地で花火大会がこれでもかというほど行なわれています。特に今年は平成の大合併があって新しい街が誕生してから10周年を迎えたこともあり、花火大会に「合併10周年」という冠名をつけているところも少なくないようです。

墨田の花火 先日ある町の議会で「合併10周年花火大会」に1千万円の予算が計上され、賛否両論のホットな議論があったようです。この財政難の折、1千万円のお金が一夜のうちに消えてなくなるのですから、「はいそうですかと」と認める訳にいかないと難癖をつけた議員の質問はもっともな素朴な疑問です。また「合併十周年を機に町民が一致団結して未来を目指す足がかりにしたい」という町長さんの答弁もそれなりに納得するのですが、この議論は意外な方向に向かいました。

 再質問した議員は、「この花火大会が中央でやられることに問題がある。活性化のためにやるのだったら合併で支所化した旧町村でもやるべきだ」と我田引水を始めたのです。向こう意気荒い議員の質問に、来年は是非予算を組んであなたの出身地でもやりましょう」となだめようとしました。それを聞いた別の地区の議員が「それだったら私の地区でも」と相乗りし、結局合併した旧町村5地区で5年間に5千万円の花火大会の予算をつけることになってしまいました。

 5年間で5千万円といえば1億円の半分とはいえ大きな予算です。5千万円あれば活性化のためにもっと別のことを考えられるのに、こんなお粗末なやり取りしかできない理事者や議会が日本の各地に今なお存在しているのです。議会って一体どういう役割を持っているのでしょう。選挙で選ばれたといいながら「わしは議員だ文句があるか」と言わんばかりに、僅かな日数で高い報酬を受け取り、胸にバッジをつけ誇らしげな姿はどこか滑稽にも見えます。地方自治とは一体何なのでしょうか?。私には分りません。

  「一千万 合併記念 予算付く たった一夜で 口開け消える」

  「中央で やるのだったら おらの地区 我田引水 ドブ板議員」

  「来年は あなたの地区で やりましょう 町長約束 お粗末話」

  「合併は 見栄無駄省く ためにした これじゃあ賛成 浮かばれません」

 

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〇五行歌7月の歌

 私の所属している松山五行歌会から7月歌会の結果が送られてきました。私の今月の歌は次のとおりです。
  朝顔の花
  ヘチマの花
  ゴーヤの花
  窓辺に涼しく
  グリーンカーテン

 次のような講評が添えられていました。 
 ☆「近所にもこの歌のとおりの緑のカーテンがあるんだよ。」「色々あったら涼しいだろうなあ。」「お世話するのが楽しいです。」ゴーヤは今や人気の食材ですが、ヘチマも食用になるんだよ・・・・というトリピアも飛び出して楽しい作品でした。

 今月の出席歌一席は高市範子さんの次の歌でした。
  雨もいいなあ
  南堀端の街灯は
  ぼんやりと
  市内電車は
  交差点をゆっくりと

 今月の欠席歌一席は和子さんの次の歌でした。
  何をしても
  楽しい頃
  何をしても
  身に付く頃
  今、何をしても疲れる

  「今月も 私の歌は 駄作なり 人の歌見て いつも納得」

  「いいんです オンリーワンを 自認して 次の月にも 駄作を送る」

  「友人に 入らないかと 勧められ 入ったけれど その人脱会」

  「歌会に 一度も出席 せず経過 進歩するには それしかないかも」
 

 

 

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〇葬儀後の住所録整理

 親父の葬儀が終って2週間になります。今でも毎日のように、葬儀が終って知ったという人がわざわざ自宅まで弔問にやって来るので、私が主になって対応に追われていましたが、二週間が過ぎやった終った感じです。この2~3日前から、いただいた香典や生花、盛籠、弔電などの相手を一つ一つ調べて、パソコンで住所録を作る作業をし始めました。

 最近はパソコンに住所録のソフトがあるため何かと便利で、名前を打ち込み郵便番号を打ち込めば、郵便番号検索が働いて、住所が居ながらにして出てくるのですから意外と楽です。また葬儀の受付で弔電には受け付け名簿を書いてもらっているので、大助かりです。しかし田舎の人は知っているつもりで、その名簿に名前だけ書いて住所も郵便番号も、ましてや電話番号などは書かずじまいの人が多く、いちいち電話番号簿で調べて打ち込まなければならず、かなりハードな作業となっています。

 私は現職を退職し、兄弟もそれぞれリタイアしているので、葬儀に来てもらう人はそんなに多くはないだろうと、予測をしていましたが、その予測は的外れとなり返礼ハガキやお返しの品が足らなくなり、葬儀当日は急遽追加する大失態もあり肝を冷やしました。香典に書かれた名前を見ながら、あの人もこの人もと顔と名前が浮かび、ご厚誼に感謝しながら作業を進めています。何せその数が半端ではないのでやり終わるのには4~5日かかることでしょうが、正直かなり疲れる作業のようです。

 15年前母が亡くなった時、この作業はパソコンでなくワープロでした。今はランダムに名前を打ち込んでも、パソコンの力で名前があいおうえお順に並べ替えてくれるのでこれからの検索に大助かりです。住所録は49日の法要までに作業を終えればいいので少しのんびりゆっくりやろうと思っていますが、せっかちな妻は私の苦労を知ってか知らずでか、毎日のように「どこまでできた?」「もうできた?」と聞いてきます。梅雨明け間近の馴れない猛暑に大汗をかきながら、少し憂鬱な毎日を過ごしています。

  「退職後 10年経って 交遊も 少ないだろう 大きな誤算」

  「香典を 一つひとつと めくりつつ 名前と顔を 思い出しつつ」

  「住所録 田舎の人は 名前だけ 電話帳にて 調べ直して」

  「猛暑にて 少し憂鬱 住所録 作る作業が 当分続く」

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〇四国も遅ればせながら梅雨明けです

 今年は夏の太平洋高気圧の張り出し勢力が弱く、また7月としては珍しい3つの台風の影響で、四国より北や東の関東や甲信越、近畿に加え中国地方まで梅雨明けしたというのに、四国や北九州が置いてけぼりのようでしたが、昨日やっと四国地方が梅雨明けした模様だと、気象庁より発表がありました。前々日が暦の上の大暑だったし、昨日は土用丑の日という願ってもない日と重なったため、喜びも一入だったようです。

夕日に照らされた自画像
夕日に照らされた自画像
昨日の綺麗な夕日
昨日の綺麗な夕日

 梅雨が明けると待っているのは農作業です。雨が降ることを理由に農作業を休んでいたし、今年は在宅介護していた親父が7月11日に死亡し、家の中が今でもゴタゴタしているため、それどころではなかったため、作業が大幅に遅れてしまいました。今年に限っては仕方のないことと諦めるしかないようですが、それでも最低限のことをしないと来年につなげれないし、美観を損ねて周りに迷惑をかけるので、重い心を奮い立たせ、昨日は家庭菜園横の斜面の草を刈り大汗をかきました。

 今日はその片づけをしなければなりませんが、願うことなら長男息子に手助けの応援を求めたいと思っています。わが家の家庭菜園に隣接した人の畑も、持ち主の人が高齢で体調が思わしくないらしく、放任園化し始めました。他人の畑なので勝手に草を刈ることはできませんが、草刈機のバーが届く範囲で草を刈ってあげているものの、これもいつまで続くか限界のようです。
 昨日は梅雨明けを喜ぶように、前日の夕日夕焼けよりさらに綺麗な夕日夕焼けが見えました。台風から熱帯低気圧になり、再び息を吹き返して台風になった台風12号の行方も気になりますが、そろそろ体力全開で暑い夏に挑戦です。気力と体力が落ちているゆえみんなから「無理をしないよう」に言われていますが、誰も助けてくれないので・・・・。

  「待っていた 梅雨明け宣言 丑の日と 重なりウナギ 精つけ食べる」

  「梅雨加え 家のゴタゴタ 重なって 作業が遅れ 気ばかり焦る」

  「菜園の 横の畑の 持ち主も ついにダウンし 放任園化」

  「無理しない ようにと気休め 言うけれど 誰も口だけ 助けてくれぬ」

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〇梅雨の晴れ間の夕日夕焼け

 周りの地方では梅雨が明けて、連日35度を越す猛暑日が続いているというのに、四国愛媛双海では、梅雨末期の雨が毎日のように降り続いて、昨日暦の上では一番暑い大暑を迎えても、お天道様の顔を見ることができません。それでも梅雨明け間近かを感じさせるように、昨日は雲を押し上げるようにして夕日が顔を覗かせ、夕焼けがとても綺麗に見えました。夕日夕焼けに照らされた周りの景色を見ようと裏山に登り、西の方向を見ると、青島の弁天崎付近に雲の切れ目から、まるでスポットライトのように、夕日が照ら

梅雨雲を押し上げた西の空
梅雨雲を押し上げた西の空
残照
残照

していました。

 デジタルカメラが壊れたつい最近までは、タブレットを使って夕日夕焼けの写真を撮っていましたが、次男息子が不自由だろうからと余り高くないNIKONのデジカメを買ってくれたので、今はもっぱらこのカメラがお似合いとばかりに持ち歩いています。長男息子が音頭を取って今年の父の日にプレゼントしてくれた、少し高めのNIKON一眼レフカメラは、殆ど使うこともなくケースに入れたまま、書棚に置かれていますが、時ならぬ親父の騒動で使い始める時機を逸してしまい、長男息子から「いつ使うのか?」とブーイングが起こっています。

 facebookなどにアップされる友人たちの写真を見て、その素晴らしさはカメラがいいからだと勝手に思い込んでいましたが、どうやら「弘法筆を選ばず」だったようで、私の写真技術の不味さは腕前だったことを、今頃になって痛感しているところです。
 「秋の夕焼け鎌を研げ」「夏の夕焼け川向こう渡るな」という諺があります。秋の夕日は明くる日天気、夏は夕焼けでも急に雨が降って川の水が増水するので、川を渡らない方がいいとの例えですが、昨日の夕日夕焼けは夏ながら、ひょっとしたら梅雨明けの前兆かも知れないと、今朝の久しぶりの青空を見て思いました。

  「梅雨雲を 押し上げ夕日 夕焼けが 見えてすっきり 気分が晴れる」

  「デジカメで 夕日夕焼け 写真撮る 腕の悪さを 自分納得」

  「古老から 聞いた諺 思い出す 夏の夕焼け 川向こう渡るな」

  「梅雨明けの 前兆のよう 昨夕の 夕日夕焼け 綺麗だったな」

 

 

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〇金縛りの大声

 昨日の夜11時30分ごろ、私は寝ていた布団の中で、家の中に響くほどの大声を発したようです。遅い帰宅で食事を終え二階で寝ようとしていた息子もその大声に驚き、二階から降りて来ました。勿論一緒に寝ていた妻も飛び起きて、「どうしたの?、大丈夫?」と心配顔でした。夢の記憶を辿りましたがあいまいで、殆ど思い出ませんでした。でも声を出そうと必死にもがくのに、声が出ない場面だけははっきりと覚えていました。

 これを金縛りというのでしょうか。妻も息子も親父が死んでまだ10日ほどしか経っていないので、「夫や親父にもしものことがあったら!!」と気が動転して心配してくれたのはもっともなことです。最近人に出会う度に親父へのお悔みの言葉をいただきますが、その折私や妻の心労に対しても気遣いの言葉をかけてもらいます。私に限ってはタフで疲れ等ないと思って鷹を食っていましたが、やはり親父の死亡前後や葬式の騒動が目に見えぬ形で身体に染み付いているようです。

 さりとて49日の法要が済むまでは気を抜くこともできないので、少し体調に気をつけて過ごさねばと、妻と二人で話しました。このモヤモヤした気分に輪をかけているのが、梅雨末期のジメジメした天気です。近頃は毎日のように、昨日も一日中朝から晩まで雨が降って気分がすぐれません。日ごろは寝つきのいい私ですが、最近は寝つきが悪く寝汗をかいたり、時には昨日のような嫌な夢を見ることだってあるようです。昨日の夜の金縛りを教訓に少しリラックスしようと思っていますが・・・・。

  「金縛り 家中聞こえる 大声を 出して家族が みんな驚く」

  「親父の死 身体に相当 堪えてる これじゃいかんと 思いながらも」

  「明けぬ梅雨 モヤモヤさらに 輪をかけて 気持ちが滅入る 今日も雨降る」

  「人に会う 葬式参列 お礼言う 堪えんようにと ねぎらい言葉」

 

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〇親父の戒名

 親父は96歳でこの世を去り、あの世へ旅立ちました。若い頃は小学校しか出ていませんが教師に色々教わり世の中にデビューしました。その後は自らが漁師として働いて生計を立て、老いた後は診療所の先生である医師のお世話になりました。そして死と同時に導師であるお坊さんの導きを受けたのですから、教師、漁師、医師、導師と、師の付く自分を含めた多くの人にかかわりを持ち続けた人生でした。

DSCN0422 亡くなると、お坊さんが戒名をつけてくれます。その折院号か居士か聞かれますが、わが家は代々貧乏だし、歴史に名を残すような社会的地位もないので、戒名代はさておき母親が大姉だったため、一も二もなく居士を選びました。和尚さんは引導を渡すとき、その人の一生を思い出しながら、引導の言葉を述べますが、その総合的な結論を戒名にするのだそうです。

 親父の戒名は「大網栄進居士」です。葬儀の明くる日のお寺参りで、戒名について和尚さんの薀蓄を聞きましたが、「大網栄進居士」という戒名はさすがにいい戒名だと感心させられました。親父は13歳で船頭をしてから70歳を越えるまで、60年近くも漁師をしました。貧乏だったため筆舌に尽くし難い辛酸をなめましたが、往時は腕の良い鯛網漁師として、下灘漁協の年間水揚げ高1~2を争う活躍ぶりでした。

 また5t15馬力の小さな船で県外出漁し、伊豆の下田を基地に遠くは伊豆諸島の三宅島まで出かけているのですから、尋常とは思えない根性の持ち主だったようです。親父の名前は「進」です。戒名に名前の一字を入れてもらったことも大満足です。現段階では親父の生き方を越えていないし、今後も見込めないことから私も、何年か後にあの世に行く時の戒名は、多分親父と同列の居士になる予定だし、そうして欲しいと息子に頼んでおきたいと思っています。「大網栄進居士」という位牌を前に、今朝も線香を手向けて手を合わせました。

  「戒名を 如何しますか 問われたが 母と一緒の 居士に落ち着く」

  「和尚さんに 見てきたような 戒名を つけてもらって 私満足」

  「大網で 鯛を沢山 漁獲した 親父栄進 位牌刻まれ」

  「私にも つけるとしたら 居士似合う 歴史に刻む 功績もなく」 

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