人間牧場

〇超大型台風がやって来る

 NASAから送られてきた上空400kmからの宇宙写真が、テレビの天気予報で紹介されていました。今回南の海上を北上している台風19号は、最大成長時には中心気圧が900hPaという、信じられないような大きさで、台風の目はまるでブラックホールのようにも見えました。今朝5時の時点では930hPaと多少衰えていますが、それでも930hPaですから驚きです。

126年台風19号 一週間を挟んで2度も台風が同じようなコースを辿って日本にやって来ることは特別であり、また今までは九州や四国が台風銀座と止呼ばれていたのに、台風とは無縁で安全と思われていた首都圏を直撃するのですから、これはも異常としか言いようがありません。台風の風雨に慣れていない都会人の狼狽ぶりを田舎人の私たちが見ると、首を傾げたくなるような光景です。
 台風は秋の果物である稔りを迎えたリンゴやブドウ農家にとっては、まさに招かざる客なのです。丹精込めて作った農作物が一瞬にして落下するのですから、農家の人は台風19号の行方に一喜一憂していることでしょう。 

 小さなわが家の家庭菜園ですら、18号の直撃は免れたものの、一日中吹き荒れた北東の吹き戻しの強烈な風にあおられ、ブロッコリーやキャベツ、大根は軒並み倒れて心が痛んだことを思うと、農家の心配は他人事とは思えないのです。幸い野菜類は自然治癒力で元気を回復しつつありますが、今度の台風も18号と同じようなコースを辿っているので、最小の被害は覚悟しなければならず、今日はもう一度菜園を見回り、出来る予防策だけは講じたいと思っています。

 昨日は大洲から帰宅後、小松菜とカブ菜、ピーマンやシシトウを収穫し、近所やじゃこ天のおばちゃんたちにお裾分けをして喜ばれました。私の野菜つくりのもう一つの楽しみは作った野菜を近所や知人・友人にお裾分けをしてあげることです。この地域は漁家が多いので、野菜は多少作っていても買うことが多いようで、とても喜んでくれます。お陰様でわらしべ長者のように野菜が魚に変わり手元に返ったりして喜んでいます。貰ったり差し上げたり、これも田舎ならではの長閑にして温かい暮らしなのです。

  「一週間 挟んで台風 やって来る 気が気じゃないぞ 農家の人は」

  「わが家さえ 吹き戻し風 まとも受け 家庭菜園 多少の被害」

  「近頃は 台風銀座 言われつも 進路変更 温暖化せい」

  「文明の 世にはなったが 自然には 未だ勝てずに 災害日本」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇夕日に魅せられて

 何はさて置き、夕日のことになると夢中になる私を見て、妻は私のことを「夕日気違い」と呼んでいます。私はこれまで、そう言われても仕方のないくらい夕日にこだわって生きてきました。若い頃に金もないのに、島根県宍道湖嫁ヶ島に落ちる夕日を見に出かけたのを皮切りに、大阪四天王寺の夕日、新潟出雲崎の夕日、北海道留萌黄金岬の夕日、西伊豆の夕日、和歌山県白浜の夕日、長崎県崎戸の夕日、西表島の夕日など、全国の名だたる夕日を見る旅に出かけたものでした。

恋人の聖地百選モニュメントのハート型穴から見える夕日
恋人の聖地百選モニュメントのハート型穴から見える夕日

 その結果、双海町の夕日もオンリーワンになりうると確信し、夕日を地域資源にしたまちづくりを、まさに「夕日気違い」となって推進した結果が、今のわが町の夕日に繋がったのですから、悔いなき人生といっても決して過言ではないのです。そんな過ぎ越し人生の集大成は、何といっても下灘駅とふたみシーサイド公園から見る夕日です、下灘駅は夕日のまちづくりの出発点となった所だし、ふたみシーサイド公園は空想の世界を現実世界にした造形場所です。

 下灘駅は自宅から8キロほど離れていて、直ぐに出かけることは出来ませんが、ふたみシーサイド公園は自宅から1キロほどしか離れていないためわが庭のようなもので、思いつけば直ぐにでも出かけることができるのです。昨日は家の前に聳える双海町のシンボル本尊山が、夕焼けに赤く染まったのを見て急に思いつき、夕日を見に出かけました。昨日は超大型台風が近づく前の静けさでしょうか、空も海も道具立てには満点で、手持ちのデジカメで幾つかのアングルで写真を撮影しながら、夕日の美しさを思う存分楽しむことができました。

 夕日は見る位置によって様々な表情を見せてくれます。またその表情を記録と記憶に留めるべく写真に撮るポイントを探すのは、短い時間ゆえにまた忙しくも楽しいひと時です。昨日はあちらこちらに夕日を見ながら恋を語っているのでしょうか、若いカップルの姿が見られました。一組のカップルと対話しながら夕日について薀蓄を話してあげると、感心しきりに話が弾みました。昨日は夕日が最後の一瞬まで見える最高のひと時でした。昨日見送った夕日が今朝は朝日となって昇ってくるのですから自然とは素晴らしいものです。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇皆既月食

 昨日の夜は3年ぶりに皆既月食が見えるとあって、周辺ではその話に話題が集まっていました。わが家でも二人の孫がそれぞれ小学校と保育園で聞いてきたのか、「今晩はお月さまが地球の陰に隠れる」といって騒いでいました。夕食を終え風呂に入って、月食が始まる午後7時半を待ちました。昨日は4日前日本列島を襲った台風18号も去って、外気温が少し冷たく感じられるような夜でしたが、孫たちには「風邪を引かないように」ジャンバーを着せ、玄関先の庭に出て一緒に観月をしました。

皆既月食の真っ赤なお月様
皆既月食の真っ赤なお月様
皆既月食のメカニズム
孫に説明した皆既月食のメカニズム

 孫たちは私に、「どうしてお月さまが赤くなるの?」とかを質問していましたが、まだ小さいゆえに小難しい話は理解すべきもなく、私の説明にも「ふーん」と軽くいなされてしまいました。それでも東の空にポッカリと浮かんだ、いつもとは違う赤味を帯びたお月様に感心したようでした。昨日は少し雲がありましたが、まあ何とか皆既月食の様子を見ることができました。それにしても宇宙に関しては知らないことばかりで、まさに神秘の世界です。あの月へ人間が宇宙船アポロに乗って、行って帰ったのですから、兎の餅つきくらいしか知らない私には信じられないのです。

 3年前に次の月食が3年後だと聞きました。3年くらいは生きていると思い込み、3年後の昨日元気に皆既月食を見ました。次の皆既月食は4年後だそうです。果たして元気で皆既月食を見ることができるでしょうか?。加齢とともにその日への不安を感じるようになっています。お月様をはじめ太陽や他の星たちが光年という光の速さで地球からの距離を言っているのに、人間は4年、10年、長くてもたかだか100年を論じているのです。宇宙の物差しと人間の物差しは単位が違い過ぎます。ゆえに1日24時間を有意義に過ごさねばと、皆既月食の月を孫たちと一緒に見ながら思いました。

  「散歩する 途中みんなで 立ち話 月食見たと 身振り手振りで」

  「あの月に 人間行った 信じれぬ 月は兎が 餅つきですよ」

  「満月の 月が赤味を 帯びている 孫がどうして? 質問するが・・・」

  「4年後は 元気で皆既 月食を 見れるかどうか 心もとない」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇旅のつれづれ(その9)

 最近はまるで同行二人のように、愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生からいただいた、二宮金次郎の銅像を手提げ袋に入れて持ち歩くことが多くなりました。加えて大阪梅田駅近くの古書街で、1万円の値札の付いていたものを値切り倒して、5千円で買った中国の古書「大學」に加え、国立大洲青少年交流の家の松岡孝治所長さんが輪切り木板に掘ってくれた、中江藤樹の「知行合一」も手提げ袋に入れているので、木になるカバンとともに、両肩にずっしりきて少々堪えますが、3点セットなので辛抱強くやっています。

 今回の九州福岡宇島行きにも、講演に使おうと思って持って行きましたが、参加者や事務局の皆さんが教育関係者にもかかわらず、二宮金次郎像が大學の本を読んでいることを知っている人は少なく、しかも書いている大學の一節にどんな意味があるのかも、意外と知られていないのです。私は年輪塾のお陰で二宮金次郎が読み、中江藤樹が大きな影響を受けたといわれている、大學を学ぶことができました。しかし二宮金次郎が大學を読んでいることを知っているだけでは、何の役にも立ちません。二宮尊徳の教えを自分の人生に映しながらどう実践し、どう人に伝えるかです。これからも銅像と本と木彫りの3点セットで・・・・。

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

○あっという間の10年

 退職してから10年 双海町の教育長を最後に、現職をリタイアしてから10年が経ちました。過ぎてしまえばあっという間の10年でしたが、私にとってはこの10年、さしたる病気もせず、また講演などで全国各地へ出かけたり、人間牧場で仲間とともに年輪塾や子供体験塾を開いたりして、ふるさと教育を楽しくやっり、それなりに充実した日々を送っています。 先日徳島県佐那河内村の原村長さんが人間牧場へ見えられ、「現職をリタイアして10年にもなるというのに、全国各地からお座敷がかかるということは驚嘆に値する」と褒めていただきました。 今日も九州からオファーがかかり九州までのこのこと出かけ実に楽しい一日でした。そういえば私の場合は相手様に、「呼ばれないと行かれない」のですから、原村長さんが言われるように凄いことだと思いました。私はインターネットの自分のホームページで、プロフィールや講演ジャンル等を紹介していますが、その画面を見たりブログ記事を読んだりして呼ばれることもありますが、圧倒的に多いのは講演先で私の話を聞いた人が紹介しアメーバー的に口コミで広がっているのです。年間100日を越えるオファーに感謝しつつ・・・・・。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇今日は一日九州へ出張です

 台風の接近で、交通機関に麻痺が残っているかも知れませんが、今日はこれから九州へ出張です。歳をとったせいでしょうか、最近は起きようと尾思った時間に、目覚まし時計の手助けを借りることもなく、午前3時半、ほぼ予定通り目覚め、外出着に着替えて書斎で出発時間の午前5時を、アメーバブログを一本書き終えて待っています。松山まで自家用車で行き、松山駅から岡山・小倉経由で福岡県宇島という指定された駅を目指しますが、到着は12時頃のようです。帰宅は未明か小倉若しくは岡山で一泊するかも・・・。

 元気に行ってきます。

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇9月歌会の結果

 先日見山あつこさんから、毎月届く松山五行歌9月歌会の結果が送られてきました。私が先月欠席歌の部に投歌したのは次の歌でした。
  自分の目
  時には鳥の目
  虫の目と
  器用に使い
  いろいろ思う

 講評には次のような寸評が書かれていました。
 ☆物事を一方的に見るのではなく、いろいろな方向や角度から見つめることは大切ですね。歌を書くようになって、自分を見ているもうひとりの自分がいるということに気づいたという方もいますが、素晴らしいことです。「時には鳥の目/虫の目と」作者は言います。あなたはどんな目がほしい?「私は猫の目、うちの猫ちゃん、私たち夫婦のことをどんなふううにみているのかな?」という人も・・・。

 なるほど言い得て妙なる寸評です。私は自分の目のことを思って歌を作りましたが、これは単眼でした。考えれば私の身の回りにいる家族や動物たちも、私をしっかりと見ているのです。特に一番長い時間をともに過ごしている妻は、私のことをいつもどんな目で見ているのでしょうか。時には頼りない夫と見ていたり、喧嘩でもしたものなら、憎らしいと思って見ているのかも知れません。私もこの際妻に対する優しい眼差しを持ちたいものと、寸評を読んでハッと気がつきました。

 私の歌は久々に入選末席の五席の称号をいただきました。孫の運動会では3人が走って3等というのがありましたが、ひょっとしたら私の5等も、5人走ってビリの5等だったのかも知れないと、自分で自分の作品を読み返しながら心の中で笑ってしまいました。ちなみに出席歌の一席はよーこさんの次の歌でした。味わい深い歌に感動しました。
  生きる意味なんて
  わからないけど
  お月さまが欲しいと
  手を伸ばしてた娘と
  今年も並んで見る幸せ

  「わが歌に 五席称号 書いてある 五人で五席 ドゲではないの?」

  「虫の目と 鳥の目二つ 書いたけど 寸評猫の 目もある教え」

  「どうすれば 立派な歌が 作れるか 浅はかだけど 考え込んで」

  「閃いた だけど一瞬 直ぐ消える 思い出せない やはり歳だな」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇ハズ虫の大行進

 昨日は台風の接近で南寄りの風が吹き、温かい一日でした。前日70歳の誕生日を迎えたのを機に、少し性根を入れて健康のための努力をしようと、心のネジを締め直し、1日1万歩を目標にしているウォーキングを、少し大股でやりました。私のウォーキングコースは山道坂道が多いので、大股で歩くと汗が出る程の運動量になり、携帯電話についた歩数計の履歴を見ると、昨日は11,745歩でした。一歩50cmで計算すると6km弱歩いた計算にになるのですから、まずまず納得のいく運動量です。

ハズ虫の行進
ハズ虫の行進
食べ尽くされ茎だけになったハズの葉
食べ尽くされ茎だけになったハズの葉

 ウォーキングコースのあちこちにはススキの穂も出揃い、山栗やコナラのドングリも落ちて、秋本番を実感しましたが、足元の山道には無数のハズ虫が尺取虫のように、何匹も並んで大行進をしていました。ハズ虫が何の幼虫なのか知る由もありませんが、黒い縞模様の体と頭とお尻がオレンジ色のハズ虫は、機用に体をくねらせ、行く当てもない行進をしていました。周りを見ると既に食べ尽くされ、無残にも葉茎だけ残されたハズ草が秋風に淋しく揺れていました。

 何年か前、ハズ虫が異常発生し、下灘駅の構内レールの上を、無数のハズ虫が大行進しているのを見ました。小さいとはいえど生き物の命ですから、容赦なく踏み潰して通る列車の車輪を、非道だとも思いましたが、このハズ虫がやがて蛾の成虫になれば、農作物に被害を与えることを考えると、これも世の定めだと静観するしかありませんでした。わが家や人間牧場にはハズが沢山生えていますが、ハズ虫が来る前に草刈をしているので、ハズ虫が発生することは余りありませんが、秋の深まりとともにこれらのはず虫は、命を連鎖して短い一生を終えることでしょう。

 

 

 

 

  「ウォーキング コース道端 ハズ虫が 並んで行進 尺をとりつつ」

  「ハズ虫は 大きくなったら 何になる 蛾だと思うが 未だ分らず」

  「ハズの葉を 茎だけ残し 食べ尽くし 並んで行進 どこへ行くのか」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇本の移動

 息子たちと同居するため、元応接室だった部屋を書斎として使うようになって早3年余りが経ちました。最初10畳の広さは広過ぎると思っていましたが、使われていない娘のピアノがデンと置かれていたり、壁半分全て備え付けの書棚がありますが息子と共用のため、いつの間にか私の書棚ケースも行き場を失って移転、加えて来客用の座椅子や机も入りまあ手狭な感じで、最近は来客の殆どはゲストハウスである私設公民館煙会所へ案内しなければならない始末です。

 買ったり貰ったりした本類も相当溜まって縦積みされているので、本の移動を思い立ちました。移動といっても本の行き先は人間牧場です。読み終えた本、読んでいる途中の本をキャリー3箱に入れて軽四トラックの荷台に積み、人間牧場へ出かけました。人間牧場を開設した10年前、殆どの本は水平線の家の壁面一面に設えた書棚に移動させましたが、あの広くて大きな書棚さえいつの間にか本で満杯で、もうこれ以上は無理なようで、70歳を迎えたのを機に要らない本は処分しようと思っていますが、中々捨てきれないというのが本音のようです。

 息子が「紙ごみ」と悪評するブログ記事のプリント綴りも今は休止していますが、はてさてどうしたものか思案で途方に暮れています。それでも殺風景だった人間牧場の中心施設である水平線の家の壁面書棚に、本類が並んでいるだけで、知的空間のようになるのですから、本の威力は凄いものです。とりあえず昨日は持って行った本を隙間に詰め込んでお茶を濁しましたが、これからは暇をみつけて整理整頓しようと心に誓いました。自費出版した本も「町に吹く風」「昇る夕日でまちづくり」「今やれる青春」「ミレニアム2000年その日私は」「夕日徒然草・地の書」「同・水の書」「同・火の書」「同・風の書」「同・空の書」「同・心の書」と10冊目となり、多少倉庫に眠っています。そろそろ上り潮が下り潮に変わる潮目時かなと、感じた朝でした。

  「本類に 囲まれ暮らす 幸せも そろそろ整理 整頓時期か」

  「デジタルの 時代といえど やはり本 知的感情 くすぐりながら」

水平線の家の本棚
水平線の家の本棚
[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇今日は朝から何かと忙しい

 私が毎日日課のように書いているアメーバブログは、半年前から始めたfacebookへ、自動的にアップされるようになっていますが、時々エンストを起こしてfacebookへ信号を送れなくなるのです。私はその修理方法が分らず、その都度私にブログのいろはを教えてくれたし、今も指導してくれている娘婿にメールを入れて、遠隔操作で修理をしてもらっています。この一週間もどういう訳か送れなくなり、急遽娘婿に助け船を出して直してもらいました。お陰さまにて今朝のアメーバブログ記事はfacebookにアップされたようです。

 ところがところが、今朝のアメーバ記事は、今日10月3日が私の誕生日ということもあって、自画像つきで書いたため、早速誕生日の祝意メッセージが次々と入り始め、今朝はその対応に追われています。気がつけば今日私は、70歳の大台となりました。自分ひとりで今日の日を迎えたような大きな顔をしていますが、私が今日あるのは多くの人のお陰だと、しみじみ思っています。と同時にこれから年齢を加えながらどう生きればいいのか、自分自身の健康のこと、高齢になった親父のこと、家族のこと、町の将来のことなどなど、沢山のことに思いを巡らせました。

 アメーバブログとワードプレスブログにそれぞれ、合計2本のブログ記事をこの10年間、殆ど毎日のように書いていますし、毎日3枚のハガキも20年を越えて書いているので、差し当たりこの日課だけはこれから10年間続けて行こうと思っています。若い頃ある人から「平凡道を非凡に歩め」という言葉をいただきました。平凡なことでも毎日続けると、人が真似のできない非凡になるというのです。毎日2本のブログも毎日3枚のハガキも、いわば誰にでも出来る平凡です。でもこれを10年間続けると、平凡が非凡に変わるのだと、自分に言い聞かせ実感しながら生きています。

 私はさして強くもなく、さして賢くもありません。ましてや格別の地位も財産もない、どこにでもありふれた田舎者の人間です。ゆえに高望みをするべきもなく今を生き、これからもささやかに生きて行こうと思っています。幸い私には多くの仲間や知人友人がいます。また自分にとってかけがえのない双海町という愛する町もあります。さらには心許せる家族もいて、これ以上の幸せはないのです。幸せとは幸せと感じる心だと意識した2014年10月3日、誕生日を迎えた朝でした。

[ この記事をシェアする ]