人間牧場

〇世界遺産を巡る旅(その6)

 世界遺産を巡る旅の3日目は日光東照宮です。その前に鬼怒川ライン下りをやりました。宿舎であるホテル三日月の直ぐ傍に乗船場があって、私たちのツアーは3隻の船に乗船しました。ライフジャケットを着用し、急流では水しぶきで濡れないよう、ビニールシートをその都度みんなで持ち上げるのですが、一番前の席に陣取った私は、少しタイミングが狂うと容赦なく水しぶきがかかって来ました。船頭さんは操船の櫓を漕ぎながら茶目っ気たっぷりなお喋りをして、みんな大満足の手合いでした。

鬼怒川ライン下り
鬼怒川ライン下り

 鬼怒川の両岸の紅葉も真っ盛りで、川に架かった大つり橋を下から眺めながら約40分の船旅が終わると、いよいよ日光東照宮へ向けて出発しました。私たちのツアーは特別拝観のため、緋の袴を着た日光東照宮の巫女さんが親切丁寧に案内してくれました。陽明門は現在修復修理中で残念ながら見ることは出来ませんでしたが、陽明門の幻の壁画を見ることができてラッキーでした。また今回は一般見学では出来ない将軍着座の間にて、お払いを受けました。ツアーを代表して私が将軍着座のお席にて玉ぐし奉奠の栄誉をいただき、感無量でした。

日光東照宮
日光東照宮五重塔

 日光東照宮は何年か前一度訪ねたことがあります。また一昨年栃木県の招きで宇都宮へ講演に出かけた折は、日光を目指したものの残念ながら観光客が多くて混雑し、結局行かず終いだったので期待も大きく、今回は世界遺産を巡る旅ということもあって、思う存分楽しむことができました。
 直会のあと東照宮近くのドライブインで、少し遅めの昼食として湯葉づくしの豪華な日光葵御膳を食べ、満腹の手合いでした。日光から羽田までは心配された渋滞もなく、世界一の電波等スカイツリーを横目に見ながら羽田に到着し、19時15分発ANA599便に乗り、無事20時50分松山空港に到着し、迎えに来た妻の車で自宅へ帰り着きました。トラブルもなく思い出に残るいい旅ができました。

 

  「鬼怒川を 水しぶき上げ 川下り 船頭さんの 櫓がギュギュしなる」

  「つり橋を 下から見上げ 川下り 両岸紅葉 今が盛りと」

  「東照宮 将軍着座の 御席で 玉ぐし奉奠 光栄浴す」

  「3日間 世界遺産を 巡る旅 何事もなく 思い出残し」

言わざる・見ざる・聞かざる
言わざる・見ざる・聞かざる厩舎
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人間牧場

森の中の朝日の出
森の中の朝日の出

〇世界遺産を巡る旅(その4)

 ホテルビィレッジは草津温泉の中心地湯畑から車で5分余りの郊外にあります。周囲を森で囲まれた環境抜群のホテルでの夕食はバイキングでした。日曜日だったこともあり二つもあるバイキング会場は満席で、和洋混じった料理に13人の仲間は同じ席を囲んで、舌鼓を打ちながら談笑しましたが、食べ放題と言われてもそれ程食べることもできず、ましてやアルコールも飲まない私には多少難儀でしたが、24時間開放の温泉だけは別格で、夕食を済ませて少し眺めのお風呂を楽しみました。

 温泉は湯畑から引き湯している源泉かけ流しといったところですが、草津温泉は湯温が高く、中には43度の湯船もありました。テレビ旅番組で紹介していた通り、タオルを頭の上に被り、熱いかけ湯を桶で20杯以上被り、「草津よいとこ一度はおいで~」などと、鼻歌交じりでいい汗をかきました。
 その夜はホテルの無料マイクロバスで湯畑のライトアップを見に行きました。ライトに照らされた湯畑の湯煙はとても幻想的で、湯畑の周りを硫黄の匂いを嗅ぎながら散策しましたが、湯畑の石柵には草津温泉を訪れた歴史上に名を残していている有名人の名前が刻まれていて、それらを見るのも楽しみにひとつのようです。

 明くる朝私は河野さんと二人で、ホテル周辺を散策しながら散歩を楽しみました。ヴィィレッジ周辺にはマンションやスキー場、ゴルフ場まであり、かなり大きな開発がされているようでした。散策途中森の向うから真っ赤な朝日が印象的に見えました。この朝日が今夕には双海の夕日となって瀬戸内海に沈むのですから不思議としか言いようがありません。思えば人間は地球上の何処かで同じ太陽を見ながら暮らしているのです。朝食もバイキングでした。ツアーも二日目になると、顔も知らなかった同じツアー客とあいさつや声をかけれるほどになり、「何処から来ましたか?」などと会話も進み、私もちゃっかり双海の宣伝をさせてもらいました。

真っ赤に色づいたリンゴ畑
真っ赤に色づいたリンゴ畑

 ホテルを出発して朝の湯畑を見学しました。夜のライトアップした湯畑を見ているので、左程の感動はありませんでしたが、それにしても湯畑は壮観で飽きぬ風情でした。ツアーには買い物場所がつきもので、浅間酒造で試飲したり、お昼は原田農園で特選牛と松茸の特選網焼き膳を食べました。また農園裏手には真っ赤な色の実を付けたリンゴ園が広がり、リンゴ大好きな私は食べ放題の試食コーナーで色々な品種のリンゴを沢山食べました。中にはお土産にリンゴを買い求め宅配便で送っている人もいるようでした。

 

 

  「早起きし 少し寒いが 周辺の 落ち葉踏みしめ 散策散歩」

  「昼と夜 同じ湯畑 趣が 違って見える 楽しからずや」

  「ツアーでは お土産店に 立ち寄って 試飲試食で 腹が太りて」

  「土産等 買わぬ私は 持て余す トイレ休憩 これも勉強」

ホテル裏の綺麗な紅葉
ホテル裏の綺麗な紅葉
ライトアップした湯畑周辺
ライトアップした湯畑周辺
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人間牧場

〇高山社跡(その2)

 高山社跡は高山社の創始者・高山長五郎が養蚕法の改良をを行なった高山社発祥の地です。高山家は中世からの旧家でしたが、長五郎は先祖伝来の屋敷を壊して蚕室を建てて研究を行い、試行錯誤の中から「清温育」という優れた養蚕飼育法を確立したのです。長五郎は飼育法をこの場所で指導し、多くの社員・生徒を育てました。また卒業生の中から優秀な者を全国へ養蚕指導員として派遣して清温育を全国に広めたのです。藤岡町に本社を移した後は「高山分教場」として機能しました。(藤岡市教育委員会発行のパンフレットより)

絹産業遺産群高山社跡
絹産業遺産群高山社跡

 高山社の創始者高山長五郎が生まれたのは文政13年(1830)で、その後18歳で名主となりました。明治6年に高山組を組織し養蚕の指導を行いました。明治19年高山長五郎は56歳でこの世を去りましたが、日本の養蚕に大きな功績を残しています。高山長五郎の清温育とは、蚕の飼育が天の虫と言われるほど当たり外れの大きかった時代に、収穫量の安定と品質の向上を格段に進歩させました。この養蚕法は温度、湿度、空気の流通を調整し、細かい部分まで飼育管理を徹底する指導法です。温度調整は、暑い時期は部屋を開放して温度を下げ、寒い時は火力を用いて部屋を温め、湿度調整は、湿度が高いときは、火力で空気を流通させて乾燥を促し、乾燥している時は窓を閉じて空気流通を断ち、桑葉が乾かないように気を配るのです。また管理は新鮮な桑を与え、盛食期や脱皮後の桑の与え方、脱皮後の桑の与え方など、脱皮時の管理方法についてきめ細かく指導したようです。

 今回世界遺産に登録されたのは、富岡製糸場と田島弥平旧宅、荒船風穴、それに今回訪ねた高山社跡を含み絹産業遺産群ですが、長屋門、蚕室などは最近まで人が住んでいて現代建築材が使われ、桑貯蔵庫などを含めた構造物は建築物的な価値よりも、高山社の与えた教育的影響が評価されたようです。登録されてまだ4ヶ月足らずなので、諸施設の改修はこれからといったところのようでした。いつの日か絹輸出で日本が大いに発展する基となった富岡製糸場も訪ねてみたいものです。

  「日本の 近代化には 絹なしで 語ることなど 出来ぬ時代が」

  「高山社 跡の存在 知らなんだ 行って驚く 日本あちこち」

  「いつの日か 富岡製糸 行きたいと 新たなのぞみ またひとつ増え」

  「登録に 保存行政 追いつかず そこここミスが 目だって見える」

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人間牧場

○世界遺産日光

 今回の旅の目的は世界遺産を巡る旅です。21世紀えひめニューフロンティアグループの13人のメンバーが参加しました。一番のお目当ては何と言っても世界遺産に登録されている日光東照宮の見学です。鬼怒川下りのあと日光東照宮へ向かいましたが、今日は平日火曜日だというのに人も車もかなり混み合って、さすが日本屈指の観光地とうなずきました。旅行社のご好意で徳川将軍中座の間において安全祈願祭を体験する幸運にも恵まれました。私は一昨年栃木県の招きで県都宇都宮へ出かけましたが、その折は交通が混雑し見ることが叶わなかっただけに、とても楽しみにしていました。

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shin1さんの日記

◯世界遺産を巡る旅に出ています

  二泊三日の日程で世界遺産を巡る旅に出ています。昨日は富岡製糸場にまつわる施設を見学しました。今日は日光の予定です。今日も楽しい一日となるでしょう。

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人間牧場

〇人間牧場での収穫祭(その2)

 人間牧場にやって来た子どもたちはまず水平線の家に入り、荷物を置いてウッドデッキに各班ごとに並んで座らせ、開会式を行ないました。実行委員長の私がサツマイモの話などを織り交ぜながら話し、早速軍手をしてサツマイモ畑へ入りました。一番大きなサツマイモを掘り当てた子どもには商品がもらえるとあって、みんな張り切って手スコップで掘り始めると、あちらこちらから歓声が聞こえ始めました。大きいサツマイモを掘り当てた子どもたちは自分のが大きいと自慢し合い、それはもう大変な賑やかさでした。僅か一時間弱で全ての芋を堀り上げましたが、春にジャガイモを植えた肥料分が残っていたからでしょうか、今年は大豊作で80kg近く収穫することができました。

 その後サツマイモをイノシシから守ってくれた金網柵にまきついた雑草を、みんなで感謝の意味を込めて取り除いた後、軍手や手についた土を落とし、靴下を縫いでズボンをまくり、各班ごとに足湯をさせました。短い時間でしたが子どもたちの満ち足りた笑顔が印象的で、ある子どもは「まるで天国へ行ったみたい」などと話していました。この子どもは天国へ行ったことがあるのでしょうか。(大笑いでした)。
 早速餅つきを始めました。デモンストレーションのつもりで、最初は鳴り物入りのウサギの餅つきをやりました。鼓状の杵は少し重たく作っているため、私やスタッフが手助けをして全員参加の餅つきで、まず芋の入った一臼の餅をつき上げました。女性スタッフに餡子を入れてもらってみんなで食べましたが、最近の子どもの中には餡子が苦手な子どもが沢山いて、「豆偏に頁を書くと頭になるので、小豆を食べると頭がよくなる」と私が嘘を言ったお陰で、餡子餅は大好評でした。

 かまどの鍋いっぱいのイノシシ汁と炊き込みご飯のいい匂いに吊られ準備が出来たところで、屋外にブルーシートを敷いて、屋外での昼食会が始まりました。お腹が空いていたのかみんなお替りをするほどでした。片方ではサツマイモを輪切りにして、女性スタッフがおやつ用のオサツチップスも油で揚げられ、また春のジャガイモ堀りで掘り残したジャガイモも、ポテトチップスとして子どもたちに振舞われました。
 子ども体験塾は底引き網体験もそうですが、食事を伴った行事が多いため、生活の知恵を持った婦人会や更生保護女性会の皆さんが積極的にスタッフとして関わってくれることは何よりも嬉しいことで、この日も大勢の協力をいただきました。また中学生や高校生、大学生で組織するジュニアボランティアも沢山育って、裏支えをしてくれていることは何よりも嬉しいことです。私ももう少し及ばずながらこのプログラムに関わろうと思った次第です。子どもたちは大豊作だったサツマイモとお餅をお土産にいただきながら、記念撮影の後元気に山を下って行きました。目出度し目出度しでした。

  「サツマイモ 今年はイノシシ 被害なく 大豊作で 子ども喜ぶ」

  「木の臼と 自作の杵で 珍しい ウサギの餅つき 目茶楽しく」

  「イノシシの 肉入り汁に 舌鼓 お餅も全て 好評でした」

  「食事世話 女性協力 してくれる お陰でいつも 美味しいご馳走」

サツマイモは大豊作でした
サツマイモは大豊作でした
好評だったウサギの餅つき
好評だったウサギの餅つき
美味しかったイノシシ汁
美味しかったイノシシ汁

 

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人間牧場

〇綺麗な夕日だねえ

永六輔さんから貰ったお宝ハガキ
永六輔さんから貰ったお宝ハガキ

 昨日の夕方、地域おこし協力隊の冨田さんと、砥部町まで薬草の話を聞きに行きました。会議予定は午後5時まででしたが、30分ばかり閉会が早まり岐路につきました。昨日は秋晴れの好天で雲ひとつなく、西に向かって走る車の向うの空に、太陽が落ちるのを見ながら走り、三秋峠を越えて伊予灘の海が開ける高野川まで帰ると綺麗な夕景が見え、いつもながら心の高鳴りを覚えました。地域事務所の正面玄関で車を降り富田さんと別れましたが、その足で止めておいた単車に乗って一目散、道の駅シーサイド公園へ向かいました。

昨日の双海の夕日
昨日の双海の夕日
元気人村から見える夕日
元気人村から見える夕日

 運よく日没に間に合い、木になるカバンからデジカメを取り出し、小走りで恋人岬の見える場所へ駆け上がり、夕日を見ることができました。残念ながら期待したダルマの夕日にはなりませんでしたが、自分だけのとっておきの場所で夕日を見学することができ、一日の終わりを締めくくることができました。夜食事が終って机の上のパソコンのスイッチを入れてメール整理をしていると、先日facebookに友だち依頼のあったご存知松前町元気人村の、昨日の夕日の写真がアップされていたので、友だち返信メールを初めて送りました。そういえばお風呂大好きな私なのにここのところ忙しくて、薬草風呂のある元気人村へは行っていないようです。

 今朝メールを開けて見ると、facebookに元気人村から返信のメールが届いていました。まったく同じ夕日を元気人村とシーサイド公園から写真撮影しているのです。私が夕日に狂った駆け出しの頃、文通していた永六輔さんから「夕日は何処かの朝日」と書いたショッキングなハガキをいただいたことがあります。私は今でもこのハガキを、お宝として大事に持ち歩いていますが、永六輔流に考えれば「双海の夕日は元気人村の夕日」でもあるのです。見る場所、見る時間、見る人こそ違え、夕日に変わりはなく、夕日に思いを寄せて生きている人が近くにいると思うとついつい嬉しくなるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「永さんが 私にくれた ハガキには 双海の夕日 どこかの朝日」

  「夕日見りゃ いつも私は 胸騒ぎ 昨日も綺麗 夕日に感動」

  「私見た 昨日の夕日 場所違う 元気人村 アップしてくれ」

  「チャイムさえ 私に味方 してくれる 音楽聞きつ 夕日眺める」

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人間牧場

〇金銭・金融教育研究校訪問

 昨日は愛媛県金融広報委員会からの依頼で、金銭・金融教育校に指定されている松山市立南中学校へ出かけました。この中学校へは6月20日に計画樹立のため、また7月28日には講演のためそれぞれ出かけていて、今回が三度目の訪問なので、勝手知ったるって感じで校長室でまずお茶をいただき打ち合わせをしました。県教委の谷口指導主事さん、教育事務所の川上指導主事さんに加え、金融広報委員会の天野事務局長さんと担当の大森さんも同行し、まず2年2組の焦点授業を50分間見せてもらいました。

公開焦点授業
公開焦点授業

 中川先生の巧みな指導で「身近な消費生活と環境」について「かしこい消費者になろう」というテーマで授業が行なわれました。販売の方法、支払い方法などについて、時にはグループ討議も交えた学習はかなり洗練されていて、言うことなしなしといった感じで、生徒も沢山の意見を述べていたようでした。その後別室で研究協議を行ないましたが、及ばずながら私も感想を含め意見を述べさせてもらいました。金銭・金融教育研究校に指定されると2年間、様々な取り組みが金融広報委員会の援助を受けて行なわれますが、私は担当金融広報アドバイザーとしてお手伝いするのです。

 この日の焦点授業を見て子どもたちを取り巻く社会が大きく変化していることに驚いています。例えば、自分で自由に使えるお金がある生徒は59%、通信販売を利用したことがある生徒は44%、携帯電話やスマートフォンなどのSNSにおけるサービスを利用している生徒は59%、そして全員が支払いは親であり金銭の動きがない状態での契約を行なっているのです。生活が便利で複雑になる一方、消費者トラブルに巻き込まれる危険性が非常に高く、危険性をはらんでいるようです。

 これからの消費生活では、一人で意思決定を行なわなければならない場面が増えてくるものと思われ、生活の仕方や消費のあり方において、「かしこい消費者」として生徒たちを育ててやらなければなりません。金銭・金融教育は「自分を律する仕組みをつくる」とても大事な教育の一つなのです。現代は私たちの中学生の頃と違って、ほんの小さなつまずきが人生を台無しにすることだってあるのですから、学校も家庭も地域も、勿論生徒自身も、もう一度しっかりと脇を締めて暮らしたいものです。

  「中学の 焦点授業 見学す いやはや立派 生徒活き活き」

  「今の子は 職場体験 してるから 様々場面 リアルに富んで」

  「アドバイザー ゆえに私も 利口ぶり あれやこれやと 求めに応じ」

  「現代の 社会の変化 目を見張る 私知らない 子ども知ってる」 

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人間牧場

〇わが家のガーデニング

 田舎らしくわが家の敷地は家庭菜園も含めると、横長に660坪もあります。ゆえに草取りや草刈はは勿論のこと、親父が植え込んだ庭木が沢山あって、その世話は96歳になった親父に替わって、私の肩にずっしり背負わされています。勿論そんな私の苦労を思ってか、妻も庭の周辺の草取りやプランターを20個ばかり置いて、ガーデニングらしきものをやっていますが、この時期は夏秋の花から冬春の花に植え替えの時期で、プランターは妻の役割なのに、土の入れ替えや植え替えは、結局妻の猫撫で声に頼まれて、私の仕事になってしまいました。

玄関先のプランター
玄関先のプランター
土の入れ替えを終えたプランター
土の入れ替えを終えたプランター

 一昨日裏庭のコンクリート舗装の上に、全てのプランターの草や枯れた花株を抜き取りながら土を取り出し、その上に新しい土と牛糞や消石灰を撒き、平スコップで丹念に切り返しながら混ぜました。新しい土と牛糞、それに消石灰を混ぜると土は蘇るのでこれも大切な作業なのです。新しく出来た土をプランターに平スコップで入れ、そこへ仕事から帰って来た妻が、先日松山の友輪荘で行なわれていた、障害者フェスティバルで買い求めていたスミレ系の花の苗を植えて行きました。綺麗になったプランターを見て、妻は自分ひとりがやったような顔をして鼻高々でした。

 とりあえず玄関先と勝手口のプランターは綺麗になりましたが、残ったプランターも今後順次買い求めた花を妻は植えるようです。花は暮らしに潤いを持たせてくれ、家の周囲が少し華やいで見えました。家の周囲を見渡せば、野の花も沢山咲いていて、特にツワブキの黄色い花はこれからが見ごろで、野菊とともに彩りを添えてくれいます。裏山に置いた椎茸の原木も朝晩の冷え込みで沢山生えてきたようで、息子に連れられた孫たちが楽しみに収穫して、食卓を賑わせています。周囲の山々も一雨毎に心なしか色づき始め、秋は次第に深まっているようです。

 夜明けが随分遅くなりました。今朝はただ今5時38分だというのにまだ夜が明けやらず、秋祭り神輿の宮出しに出かける息子だけが起きて、準備をしているようですが、その他の家族はまだ布団の温もりを感じながら夢の中のようです。朝4時に起床する私はもう1本目のアメーバブログを書き終え、2本目のワードプレスブログも間もなく書き終えます。私の毎日書くブログは、妻の眠っている時間の出来事です。私は「早起きはブログ2本の得」、妻は「遅起きはブログ2本の損」といったところでしょうか。おっ、やっと空が夜明けとなり始めたようです。そろそろ朝の散歩に出かけましょうか。今日も目標の一万歩を目指して、ひたすら歩け歩けです。

 

  「夏秋の 花株抜いて 草取って 土プランター 入れ替え作業」

  「猫撫での 妻の言葉に せかされて ガーデニングの 手伝い主役」

  「玄関や 勝手口など 花植えた プランターにて すっかり綺麗」

  「早起きは 三文どころ 2(ツー)ブログ 早くも10年 書きも書いたり」

 

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人間牧場

〇人間牧場にイノシシ現る

 それは突然の出来事でした。収穫祭が間近か今週土曜日に迫ったため、また今日の天気予報が雨模様だったので一昨日、野外調理場に使う人間牧場駐車場の草を刈ったり、干していた薪を片付け終わり、ホッと一段落したところ、下の畑で何やうごめく物が目に止まりました。よく目を凝らして見るとそれはどうやらイノシシのようでした。イノシシは私の気配に気付いていないのか、ゆっくり悠然と地中の何かを探しているようでした。

私とにらめっこしたイノシシはハンターによって仕留められました
私とにらめっこしたイノシシはハンターによって仕留められました

 やがてイノシシは梅林の中をノソリノソリと動き始めました。そのうち私の存在に気付いたのか、立ち止まってじっと私を見つめ始めました。にらみ合いはその間4~5分も経ったでしょうか、私が手を叩く音に驚いて走りだし、下の畑へ一目散に逃げて行きました。人間牧場にはサツマイモ畑がありますが、今週末には収穫祭を予定していて、イノシシはこのサツマイモを虎視眈々と狙っていて、周りに囲った金網柵の根元を手足と鼻で掘りくり返す等、文字通り38度線ギリギリまで攻め込まれているのです。

 これまでイノシシは人間牧場へ植えている、コンニャク芋は見向きもしませんでした。ところが最近になってコンニャク芋畑も辺りかまわず荒らしてしまい、流石にコンニャク芋は灰汁強いため食べてはいませんが、土中を掘り返して芋は無残にも地上にその姿を現しています。近所の道も畑もまるで耕運機で耕したようになっていて、人間とイノシシの戦いはイノシシに軍配が挙がりそうな雲行きでした。ところがところがです。昨日人間牧場の近所に住む西嶋さんから朗報が届きました。

 西嶋さんは罠と鉄砲の許可を持っていて、毎年イノシシを捕獲したり射殺したりしていますが、多分私とにらみ合いをしたイノシシを猟銃で射殺したとのことでした。西嶋さんの話によると西嶋さんの畑も荒されどうしで、最近電気柵を張る作業をしたようでしたが、何とか罠か鉄砲でと思っていたらしく、道を悠然と歩いていたという近所の人の話を元に、イノシシを追っていたようでした。何はともあれ私の見たイノシシと、西嶋さんが射殺したイノシシは体重や姿格好から同一だと思われるので、昨日は少し枕を高くして寝ることができました。目出度し目出度しです。

  「目の前に 突然イノシシ 出現し にらみ合いして 薮の中去る」

  「イノシシの 悪態被害 甚大で 農家ほとほと 困っています」

  「猟銃で イノシシ仕留め 尻尾切り 有害鳥獣 報奨金あり」

  「週末は サツマイモ掘る 収穫祭 イノシシ被害 遭わぬようにと」  

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