人間牧場

〇孫の授業参観日

 3日前若嫁が「お父さん、もしスケジュールが空いていれば、希心の授業参観に行かない!!」と誘ってくれました。予定表を見ると午前中は空いていたので、行くことにしました。昨日は由並小学校の授業参観を兼ねた公開授業のようなので、学校評議員をしていることもあって、前夜子ども体験塾の打ち合わせ会で三好教頭先生に出会った折、その旨を話すと「どうぞどうぞ」と誘ってくれていたのです。

滅多に通らない由並小学校の正門
滅多に通らない由並小学校の正門
学校のシンボル大きなクスノキ
学校のシンボル大きなクスノキ

図画工作の授業風景
図画工作の授業風景
図画工作の授業風景

 8時30分に学校へ到着し、いつもは通用門から車で学校へ入るのですが、昨日はノスタルジックな雰囲気の正門から入りました。校庭の樹齢100年を越える大クスノキは少し樹勢が弱っているので、根元に立ち入らないよう柵がしてあり看板が立っていました。玄関先で校長先生と出会って言葉を交わし、早速2階の図工室へ行きました。孫たちが積み木を使って未来の街を表現していましたが、孫希心も仲良く積み木をしていました。

一年生のウエルカム集会
一年生のウエルカム集会

 2時限目は一年生10人のウエルカム集会が体育館で行なわれました。上級生たちの運営する催しはとても楽しそうで、ピカピカの一年生も入学して1ヶ月の緊張から解き放たれ、すっかり小学生のような顔になっていました。私はポケットの携帯電話で遠来の客が来た事を告げられ、途中でお暇せざるを得なくなりましたが、夕方学校から帰った孫と今日の出来事を共有しながら、色々な話をすることができました。

 2ヶ月前までは保育園児だった孫希心はクラスで体が一番大きいものの、この1ヶ月間は早寝早起きや宿題等戸惑うばかりのようです。毎朝近所の上級生が誘いに来て、集団登校で学校まで1キロ余りの道程を仲良く通っています。今は午後も授業があるので授業が終れば家に帰らず、下校時に学童クラブに立ち寄って様々なことを学んでいます。帰りは若嫁が仕事帰りに迎えに行って、保育園の孫とともに帰宅するのです。若嫁の育児も大変なようですが、子育ては大事なことなので、みんなで見守り育ててやりたいと思っています。

  「育爺も 学校参観 出かけます 孫の様子は 楽しみひとつ」

  「入学を して一ヶ月 経ちました 親子どうにか 暮らしのリズム」

  「早寝して 早起きしてる 孫二人 今朝も元気に お早うあいさつ」

  「おじいちゃん 今度いつ来る 尋ねられ 近々行くと 孫に答える」 

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人間牧場

〇新聞やテレビから学ぶことは多い

 一年中忙しく外で過ごす私に比べ、妻はわが家がホームグラウンドです。そのためわが家のテレビチャンネル権は妻にあり、妻は毎朝起きると地デジや衛星放送などの番組表を見ながら、録画をして見たい番組を楽しんでいます。加えて5歳と6歳の孫のために、漫画やキャラクターの番組も録画して孫サービスをしています。

 私が自宅にいる時は朝7時、正午、夕方7時からのNHKニュース番組と1年に6場所ある大相撲だけは、私に与えられたチャンネル権なのです。今は夏場所中なので、3横綱や遠藤の活躍で何かと話題が多く連日満員御礼が出る程で、ごひいきの稀勢の里が勝つと嬉しくなったりしていますが、まあ他愛のないご隠居さんのささやかなたしなみといったところです。

 昨日の夜打ち合わせ会を終えて帰宅し、NHKテレビ「プロフェッショナル・言葉の力スペシャル」という番組を見ました。時々見るこの番組はよくある有名人ではない、職人やサラリーマンが、ある言葉に触発されて結果を出した事例を紹介する番組です。一人5分程度を7~8人リレーで綴っていますが、人それぞれに味がありいい番組で、思わず机の上に置いていた封筒の裏にメモをしてしまいました。

 「のれんに頼るな本物を作れ」と言ったウナギ焼き職人、「脱皮できない蛇は死ぬ」と言ったサラリーマン、「お前その程度で好きと言えるんか」と言ったフィギュア製作者、「言いたいことがあるんだったらちゃんとやれ」と言った暖衝材段ボール製作者、「一心に自分らしく」と言った同時通訳者、「気づきが大切だ」と言った義肢職人などなど、まるで言葉の玉手箱のようで、一つ一つの言葉に納得しました。

 起きると配られてくる新聞、車に乗ればカーラジオから流れてくる言葉、何げなく見ているテレビなどなどその殆どは、毎日毎日聞き流し・見流し情報となって記憶の彼方に消えて行きますが、その気になれば学ぶことがいっぱいあるものだと感じ入りました。さて私の心を揺さぶった座右の銘は?と自分自身に問いかけて見ました。余りにも多過ぎてとっさには説明できませんが、言葉は心の栄養剤であり、自分を正しい方向に導く道しるべかも知れないと思いました。

  「新聞や テレビラジオは 聞き流し 見流し情報 その気になれば」

  「四囲の人 言葉で発奮 成果出す 言葉は魔力 持ってる実感」

  「わが家では チャンネル権も ない私 必要情報 もっぱらパソコン」

  「封筒の 裏にペンにて 走り書き いいこと言うなあ 感心しつつ」 

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人間牧場

〇孫2人の誕生日

 昨日5月18日は外孫尚樹の7歳の誕生日、今日5月19日は内孫奏心の5歳の誕生日です。孫2人が一日違いの誕生日というのも珍しいことなので、これまでは二人一緒で誕生会をわが家でしていましたが、孫尚樹は1年生になったので、それぞれの家で誕生を祝うことにしました。孫奏心は土曜日に保育園で知り合ったお友達を自宅へ招待して、天気が良かったので庭に息子がテントを張って、戸外で誕生パーティをしていたようです。どちらが誘ったのか子どもたちの親も5人見え、まるで蜂の巣をつついたような賑やかさでした。

 子どもたちにとって誕生日は何といっても一番の楽しみで、プレゼントをもらえる一年で一番待ち焦がれる日のようです。「僕は〇〇が欲しい」と親に要望を出します。勿論私たちおじいちゃんやおばあちゃんも、前例にならってプレゼントとして、金一封を親に渡しますが、そのお金は親がちゃっかり子どものためにと取り上げて、貯金をしているようです。
 昨日内孫奏心は若嫁の妹から誘いを受けて、前夜から若嫁の実家へ泊り込みで出かけたようです。若嫁の妹のことを奏心は「ねえね」と呼んでいますが、出かける時「明日はねえねとデイトをする」などと洒落たことを言って出かけて行きました。

 昨日の夕方若嫁の妹が奏心わが家まで送り届けてくれましたが、満足そうな顔をして帰って来ました。孫奏心は地元の保育園に通う年中組です。田舎ゆえ10人ほどの園児だそうですが、9人までが女の子で、男の子は孫奏心だけのようで両手に花どころか、周りは全て花の優雅な環境で育っているのです。自分の子どものころは誕生日等、いつの間にか過ぎているような、プレゼントももらえない時代でしたから、少しだけ羨ましい感じもしますが、日増しに成長する孫たちの姿を頼もしく思いながら、老いを重ねる自分たちと比較する今日この頃です。

   「孫二人 揃ってひとつ 歳重ね どこか大きく なったようだと」

  「誕生日 一日だけど ヒーローに なった気分で 祝福されて」

  「今の子は ポケット沢山 持っている 父母祖父母 叔父叔母それに」

  「誕生日 孫も私も 同じ数 歳を重ねる いやはや不思議」 

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人間牧場

〇人間牧場で良樹塾閉講式(その2)

 食事と後片付けを終えて12時30分から良樹塾の閉講式が行なわれました。この日参加した23人の塾生一人ひとりに大川相談役から終了証書が手渡されました。その後一人2分程度でこの一年間の振り返り発表が行なわれました。今回の修了生はコープに入って20年程度の中堅職員なので、今回の学習は自分を見つめ直すいいきっかけになったようで、聞いていて嬉しくなるようなやる気の発言が相次ぎました。

大川さんから修了証書授与
大川さんから修了証書授与

 私の与えられた講話の時間は約30分ほどでした。私は用意もせずインスピレーションで話すため話したことをいちいち覚えていませんが、概ね次のことを話したようです。
 ①1年にひとつ刻む木の年輪と木・林・森
 ②文化とは何か
 ③記録と記憶
 ④目指す人と目指される人
 ⑤真ん中から始まる遠心力と求心力

私の話
私の話

 ⑥自分というもう一人の自分と向かい合って生きる
 ⑦知識(読む・聞く・見る)と知恵(書く・喋る・実践する)
 ⑧人と出会うことの意味
 ⑨組合員の存在と生協理念をいつも忘れないこと
 ⑩未熟⇒半熟⇒成熟⇒完熟を目指す

 ⑪物売りと事売り(物語づくり)
 ⑫5分間の話の引き出しをどれだけ多くするか
 ⑬夕日を金にする新しい視点の発想
 ⑭自分の知らない世界がまだいっぱいある(自分を磨く砥石と自分への投資)
 ⑮夢はドリームではなくターゲット

 午後2時30分に集会を終え解散の運びとなりました。浜田さんと川口さんに手伝ってもらい後片付けや掃除をしながら3人で色々なことを話しましたが、身も心も胃袋も満ち足りて、準備をしてくれた妻への感謝の一日でした。

 

 

  「2分です 言われてみんな それぞれに 順次感想 意見を述べる」

  「30分 言われて私 それぞれに 心に残る 5分引き出し」

  「常日頃 時間と数字 追われてる この日ばかりは のんびりゆっくり」

  「少しだけ 人の心に 火を灯す 今日より明日 しっかり生きろ」

全員で記念撮影
全員で記念撮影
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人間牧場

〇気がかりな親父の体調

 この3~4日、近所の人が相次いで3人亡くなりました。近所の人ゆえ、母が亡くなった時葬儀に来てもらっているので、葬儀に参列したかったのですが、スケジュールが立て込んでいて、今日の葬儀に出席できないため、90歳を越えたおばあちゃん宅へは昨夜午後7時からの通夜式に出席させてもらいました。もう一人の80歳のおばあちゃん宅へは妻に代理を頼みましたが、この家では喪主を務めるご主人はあいにく入院中だったようで、通夜や葬儀に病院から帰ったそうですが、通夜式で再び体調が悪くなり、救急車で入院しました。ところが心労がたたったのかおばあちゃんの後を追うように病院で亡くなったそうです。したがってその家ではおばあちゃんとおじいちゃんの葬式二つを相次いで出すという悲しみに襲われました。

 昨日通夜式に出席するため喪服を着て出かけようとすると、玄関先にいた親父が、「黒い背広を着てどこへ行くのか?」と聞くので、「ちょっとそこまで」と言って家を出ました。葬式や通夜、それに法要等に出かける時は、余り親父に言わないで出かけるようにしています。言うと「わしもそろそろ迎えが来る」とか、「いよいよわしの番」などと落ち込むからです。確かに95歳まで生きて、自分より若い人がどんどん他界すると、そんな考えをするのも無理からぬことでしょうが、年末から余り体調が思わしくなかった親父が、ここに来て少し元気になったような気がしています。戸外が暖かくなったせいでしょうか、最近は外に出て庭木の剪定までしてくれるのです。「庭木の剪定をしてくれて助かるけど、じいちゃんは自分のことだけをして、余り無理をしないように」言うのですが、聞く耳を持ず今日も脚立に登って剪定をしていました。

 親父は最近便秘が酷く、一週間もお通じがない時があります。その都度下灘診療所へ電話をかけ、先生や看護師さんに往診をしてもらい、適切な診療をしてもらっています。年寄りゆえ病院へ連れて行くと、病院の待ち時間や長い診療時間で体調を崩してしまうので、往診は大助かりです。有難いことに親父は診察代もタダだし、年寄りを在宅介護する私たちにとって、診療所の先生や看護師さんはまるで神様のような存在なのです。
 気がつけば親父の介護をする私も間もなく70歳、妻も69歳でまさに老々介護といったところです。子どものころから貧乏ゆえに苦労を重ねてきた親父なので、しっかりと介護をしてやりたいと、家族で話し合っていますが、歳を重ねる毎に幼児化して行く親父の介護は、徘徊するほどの元気がない分まだ助かります。いよいよ性根を据えて介護をしなければならないようです。

  「相次いで 二人の葬儀 出す家の 心情察し 言葉も出ない」

  「喪服来て 出て行く息子 どこへ行く 声かけられて ちょっとそこまで」

  「少しだけ 体調良くなり ハサミ持ち 脚立に登る 選定するとは」

  「九十五 介護の私 六十九 老々ですねと 声を掛けられ」

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〇春菊の花が満開

 昨日は前日午後から降り始めたシトシト降りの雨が昼まで降り続き、いいお湿りで家庭菜園の夏野菜類も活き活きと育っています。友人の玉井恭介さんからハガキが届き、両親が住んでいた家をリフォームして転居したようです。早速電話を入れると、転居した家にの横には、松山市内ながら100坪ほどの畑があるようで、最近は老後の楽しみにしていた晴耕雨読の生活をして楽しいと話していました。

綺麗に咲いた春菊の花
綺麗に咲いた春菊の花

 その家庭菜園にツワブキと山蕗を植えたいので苗が欲しいと頼まれました。苗は人間牧場へ行けば沢山あるので、近々持って行ってあげようと思っています。
 昨日は畑に植えているキャベツの青虫取りをしました。温かくなって虫たちも生きるために必死で、キャベツは青虫の餌食になっているようでした。二宮尊徳の水車の話を反芻しながら、自然とともに自然に逆らって生きるためやむを得ぬことだと目をつぶり、沢山の青虫を手で取って処分しました。

 

95歳の親父が作った滑稽な案山子
95歳の親父が作った滑稽な案山子

畑の隅に名残の春菊がまだ残っています。春菊は野菜ですがその名の通り菊の花に似た綺麗な花が咲いていました。手持ちのデジカメで写真に撮りましたが、今年はもう少しこのまま置いていて種を取り、秋蒔き用に使おうと思っています。大根も白菜も種を取らずに処分しましたが、せめて引き抜いて乾燥させたワキギと春菊くらいは自家製苗と種として使いたいものですが、果たしてうまく行くかどうか?・・・・。

 ジャガイモの薄紫の花も咲き始め、そろそろ収穫の時期を迎えます。カボチャやズッキーニも目の覚めるような黄色い大輪の花を咲かせ、早いものは実を結んでいるようです。スイカは前日の大風に揉まれて無残な姿になりましたが、そろそろ敷き藁をして本格的な育て方をしようと思っています。ああ美しい、されどああ忙しい季節です。そうそう何を思ったのか95歳の親父が思わず吹き出しそうな滑稽な案山子を、畑の隅に作りました。

  「人知れず 菜園に咲く 野菜花 朝日を浴びて 見て欲しいねと」

  「今年こそ 菜園野菜 種を取り 全て自家製 やってみたいが」

  「春菊を 今年の冬は よく食べた 花まで愛でて これ以上なし」

  「唐突に 何を思うか 老いた父 案山子を作り 畑の隅に」 

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人間牧場

〇加齢とともに基礎代謝は減り続ける

 私たち人間は毎年ひとつずつ確実に歳を重ねます。殆どの人はそのことを嫌がっていますが、嫌がってもそのことは変わらないのです。多分それは私がよく口にする宿命なのです。生まれた場所や日付も生んでくれた母親も変えようがない宿命ですが、毎年ひとつ歳をとる宿命を運命に変えるにはどうすればいいか、これが人間が人間たるゆえんであり知恵なのです。

 若いころはお酒を飲んでも、重労働をしても体力があって回復が早かったのに、歳をとると酒の量が減ったのに体に堪えるようになり、その上強い運動や重労働をすると明くる日どころか、4~5日後まで体のあちこちが痛くて疲労が残ってしまうのです。また食べるものも若い頃のような大食いもできず、無茶をすると体のどこかにその影響がもろに出て、体調を崩してしまうのです。

 同じ物を食べても体内に分解されず残ってしまうのは基礎代謝が加齢とともにできにくくなっているからです。体に必要なものですが、取り過ぎると成人病になるといわれている、糖分、塩分、脂分、酒分、煙分はその典型で、多くの加齢人が病気と付き合っているようです。歳をとると運動不足にもなりがちです。口から入った食べ物や飲み物を基礎代謝で消費できない分は運動によって代謝しなければならないのです。

 私も嫌々ながらもう少しで70歳になります。基礎代謝の衰えを気にしながら、大切な食生活はもっぱら妻に依存して、運動を怠ることなく体力保持に努めたいと思っていますが、お金を出さずにタダでできる一日一万歩目標のウォーキングや、朝起きると畳の上でやっているエクササイズをこれからも無、理をしない範囲で少し負荷をかけて頑張ってみたいと思っています。

  「基礎代謝 加齢とともに 減って行く 補う方法 自分で努力」

  「糖・塩・脂 特に気をつけ 食べている 食べた分だけ 歩いて消費」

  「宿命を 運命変える 気構えで これから先も 生きて行きたい」

  「健康は 自分に贈る プレゼント サプリメントで できるはずない」

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人間牧場

〇母は海の中にあり

 余り日常的に使わない漢字をパソコンで文字変換する場合、音読みや訓読みなどで調べて使っているものの、未だ書けなかったり読めなかったりする知らない漢字は多く、変換に時間がかかることも多いのです。漢字の語源は中国にあるようですが、漢字を見ながら「何でこんな漢字ができたのだろう」と不思議に思うことがあります。例えば海という字を分解すると漢字の中に母という漢字が入っています。ある知識人は鯨のように哺乳類の祖先が海にあると説明していますが、「母は海の中にあり」という言葉も何となく分るような気がするのです。ところがフランスの諺には逆に、「海は母の中にある」というのがあるそうです。

 昨日散歩の途中で野イチゴを採って帰り、妻や若嫁、孫に大層喜ばれましたました。昨夕何げなくブログにイチゴのことを書いていると、イチゴという文字が勝手に文字変換して、「苺」と出ました。知っている漢字とはいえ、苺という漢字の中にも母という漢字がありました。草冠に母で苺と書いている語源は一体どういう意味があるのでしょう?。勿論毎日使っている毎という漢字にも母は使われていますが、その意味も知りたいものです。
 人間は誰しも母のお腹に宿って生まれてきます。私にも既に14年前亡くなってはいますが母親がいます。生きている時は余り思わなかったのに、亡くなると時々母が恋しくなり、時には夢を見たりします。

 昨晩母が夢に出てきました。昨日は仏壇に供えているシキビが少し古くなったため、人間牧場へ行ったついでに、剪定ばさみで切って持ち帰り、若嫁に替えてもらいました。夢に出てきたのはそのせいかも知れませんが、最近母の夢を見るようです。昨日は年老いた親父のことが気がかりのような夢でした。
 季節は移り随分温かくなったため、少し冬篭り気味だった親父も冬眠から覚めた動物のように、家の周りを動き回るようになりました。昨日は何を思ったのか、雑草をドラム缶焼却場で焼いたり、スイカやトウモロコシをハクビシンに食べられないよう案山子を作っていました。首をかしげるような仕草に苦笑しましたが、今年も暑い夏を乗り切って欲しいと、夢の中で母は私に言っていたようでした。

  「色々な 漢字を見つつ なるほどと 思うことあり 昨日は海を」

  「日本では 母海の中 フランスじゃ 海母の中だと 知識人言う」

  「亡くなった 母ちゃん また夢に 老いた親父の 心配してた」

  「採ってきた イチゴ漢字に 変換す 苺に母の 匂い感じる」

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人間牧場

〇風速25mの突風被害

 昨日の朝は南西の風が強く吹いていました。4月の下旬からわが家の庭で元気に泳いでいたイワシ幟(本当は鯉幟ですが、100円ショップダイソーで一匹100円で買った鯉幟を15匹連ねて泳がせている様子が、まるでイワシの群れのようだったので、若嫁が命名しました)をそろそろシーズンも終ったので、息子と二人で片付けました、息子が屋根に上り、私が電話線電柱に登って、滑車を取り外したり、ロープ類や鯉幟を片付けたりと、慌しい朝の時間を過ごしました。

 日課の散歩から帰って朝飯を終えたころから風を伴ったかなり強い横殴りの雨が降り始めました。前もって野菜の支柱縛り等をしていましたが畑の中では、折角順調に育っているスイカやトウモロコシが、右往左往して雨風に揉まれ、かわいそうな気もしましたが、どうすることもできませんでした。先日工事を終えた水タンクの囲いや蜜蜂の巣箱も気になったので、軽四トラックで人間牧場へ行きましたが、案の定心配した通り水タンクの屋根が吹き飛ばされて無残にも地上に落下していました。

 蜜蜂の巣箱も風で飛ばされそうになっていたので、立っていられないほどの雨の中、雨カッパを着て石を乗せたり補強のための縄を閉め直したりしましたが、風は益々強くなり、種蜂として頑張ってきた玄関先の巣箱が横倒しになってしまいました。行き場を失った蜜蜂たちは巣にしがみついていたので、急いで準備をしてトイレの前の畳一畳ほどの部屋の中にブルーシートを敷いて持ち込み、新しい巣箱を置いて巣を壊し追い込みました。この巣は既にスムシの被害に遭っているのをデジカメで確認していたので、仕方なしの荒治療でした。

 痛んでいても現役の巣なので、沢山の蜜蜂が出てきましたが、新しい巣に入ったかどうかも分らぬまま、古い巣箱と新しい巣箱を元の場所に戻し、取り出した巣を用意したナイロン袋に入れて作業を終えました。はてさて蜜蜂たちはどんな結末を迎えるのでしょうか。
 風速25mの南風は止む気配がなく夕方まで吹き続け、海も大荒れで海水を空中に舞い上げ、小さな風の渦が幾つも見えました。自然の力の凄さと、人間の無能さをあらためて知りましたが、昨日は傷心の一日となってしまいました。幸い蜜蜂に刺されることもなく人身に事故がなかったことは救いでした。今日は会議出席予定なので、帰宅後持ち帰ったミツバチの巣の片づけを行ないたいと思っています。

  「横殴り 25mの 風雨あり 畑の野菜 翻弄されて」

  「水囲い 屋根が吹っ飛び 巣箱まで 無残な姿 悲しくなりて」

  「部屋の中 右往左往の 蜜蜂を 両手ですくい 巣箱に入れる」

  「冬を越し 頑張ってきた 蜜蜂に ごくろうさんと 言いつつ作業」

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人間牧場

〇灘町一丁目の歩け歩け大会参加

 昨日は私の住んでいる灘町1丁目公民館主催の「歩け歩け大会」が行なわれました。今年はわが家へ25組の組長と公民館役目が順番で回ってきたので、息子も息子嫁も回覧を回したり、組費を集金したり何かと大忙しのようです。今年からこれらの近所付き合いは、息子たち夫婦に代替わりさせたので、私的にはご隠居さんになりましたが、それでも色々な行事への参加はしなければならないのです。昨日の大会には予め申す込んでいたので、わが家は息子家族と私を含めた5人で参加しました。

 昨日は長期天気予報だと雨でしたが、一日ずれて好天に恵まれました。10時に地域事務所前に集まった100人ほどが、町内~シーサイド公園付近の海岸国道歩道を歩き、第一の目的地である三島神社へ行きました。三島神社は200段近くの石段が続く難所ですが、子どもたちを含めた総勢100人近くの人たちが階段の数を数えたりしながら元気に登りました。三島神社でお祈りをしたり一服したあと、最終目的地は潮風ふれあい公園へ向かいました。一年生の孫希心は友だちと遊びながら歩いていましたが、4歳の孫奏心はずっと私と手をつないで歩きました。

 到着すると公園の藤棚の下にゴザやブルーシートを敷き、少し早めの昼食会が行なわれました。子どもたちには少し遅めの子どもの日のプレゼントとしてお菓子類が配られ、全員にかなり豪華なお花見弁当が配られ、思い思いの場所で楽しく会話をしながら弁当を食べました。最近は皆さん何かと忙しく、隣近所に住みながら疎遠になりがちで、約100人の参加者の中には、一年ぶりに顔を合わせたり声をかけ合う人もいて、嬉しい出会いとなりました。外は初夏真っ盛りで、海からの爽やかな風が心地よく、昼食後解散して歩いて自宅まで帰りましたが、少し汗ばむほどでした。昨日は携帯電話内蔵の万歩計が1万6千歩を記録していました。お陰様で昨晩はぐっする休むことができました。

  「一年に 一度の大会 参加する 孫の手を引き 初夏の一日」

  「元気かい? 久方ぶりに 顔合わせ 安否確認 声をかけ合う」 

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