人間牧場

〇佐賀関半島と三崎半島を結ぶ旅の果に

佐賀関のフェリー乗り場
佐賀関のフェリー乗り場

 大分県佐賀関と愛媛県三崎を結ぶ航路は、僅か70分で結ばれる短い距離です。佐賀関も三崎もアクセスが不便ですが、自家用車やバス電車を利用すればとても便利で、私はもう何度も利用しています。いつもの事ながら佐賀関の東洋一高い煙突に驚き、日本一細長い三崎半島の長さにも驚きながら渡る豊後水道は、関サバ、鼻アジで有名な海峡です。海の上を国道197号が走っているため、フェリーの名前も国道フェリーと呼ばれていて、大分側にも愛媛側にも国道197号が走っているのです。

 

会場を走る国道197号線
会場を走る国道197号線

 フェリーから見える三崎半島には風力発電の風車が無数に乱立し、原風景を損ねているような感じもしますが、福島原発の事故以来世はまさにエネルギー革命の時代なので、新エネルギーを風力に頼ることもやむを得ないのかも知れません。四国の三崎半島から九州の佐賀関半島は渡り鳥の飛行ルートで、渡り鳥の生態系に少なからず影響しているという話もあちこちで漏れ聞きますが、エネルギー政策や人間のエゴの前にかき消されているような感じがします。

 

 三崎半島はかつて陸の孤島といわれた時代がありました。その頃は不便ゆえ人も数多く住んでいました。三崎半島に頂上線が開通して便利になったのに、今では便利さが過疎に追い討ちをかけ、高齢化や少子化の影響で、地域存亡の危機に直面しています。三崎半島唯一の大企業である四国電力伊方原子力発電も今は止まったままで、脱原発のうねりも気になるところです。私の住んでいる旧双海町下灘地区は伊方原発から直線距離にして30キロ圏内ですが、市政もそのことに気付いていても気付かないふりをして、何の対策も取っていないと、地域住民は声なき小声でヒソヒソ話をしています。

 嘆かわしいこれら昨今の複雑な世情は微妙に絡み合って、将来への不安となっているようです。前夜九州九重の今永さんと田舎再興について意見を戦わせたテーマと、ダブって複雑な気持ちで旅を終えました。さあ今日はこれから親友南さんの結婚式に出席するた、め島根県出雲へと一泊二日の旅に出かけなければなりません。南さんのふるさと西ノ島も出雲地方も、九州や四国の田舎と同じような悩みを抱えた地域だけに、またまた少し気の重い旅になりそうです。

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人間牧場

〇大分県別府明礬温泉での楽しい一夜(その2)

 のんびりゆっくり明礬温泉を楽しみ、旅の汗を流して私だけが浴衣がけになり、午後6時30分から岡本屋で4人が食談会を行ないました。テーブルには沢山の料理が並び、普通だとお酒を飲みながらといったところでしょうが、私は酒を飲まないし、それぞれも車で帰らなければならないため、ノンアルコールのビールで乾杯をして始めました。宿が用意してくれたヤマモモの食前酒も、多少といえどアルコールが入っているので、私が少しいただきましたが、とても美味しい味でした。

P1000025 美味しい地獄蒸しの豊後牛や野菜蒸しも最高で、話を肴に加えて大いに話が盛り上がりました。そのうち縄田さんの親友である岡本屋の若女将さんも姿を見せ、明礬温泉の活性化についても議論をしました。どの地域も活性化は大きな課題で、情報過多の中でいかに特徴を出して生き残って行くか、知恵の出しどころといったところでした。皆さんは明くる日の仕事もあるので9時過ぎに引き上げましたが、温泉の好きな私は再び乳白色の露天風呂に入りました。東京から来たというお客さんといろいろなことについて、袖すりながらお話をしました。竹垣の向うの女湯から女性の楽しそうな声もももれ聞こえましたが、そのうち「あっ、ホタルが飛んでいる」と少しざわついていました。

P1000027 男風呂にも薄暗い明かりに照らし出された皐月の花と、優雅に飛び交う2~3匹のホタルがノスタルジックな雰囲気を醸していました。私もこれまで仕事柄全国いたるところの温泉を楽しみましたが、温泉とホタルのコラボレーションは初めてとあって、裸のまま少し興奮してしまいました。
 明礬温泉の上には九州自動車道でしょうか高速道路のとてつもなく大きな橋脚がかかっています。まるで天空に架かる夢の橋のようにも見えました。ただ一晩中ひっきりなしに行き交う車の騒音が心なしか耳について網戸で寝たこともあって中々寝付かれませんでした。

 

 

  「酒もなく アルコールゼロの ビール飲み 酔った雰囲気 だけを楽しむ」
  「地獄蒸し 豊後の牛を トマト風 タレつけ食べる 絶品でした」
  「天空に 架かった橋を 仰ぎつつ ついウトウトと 旅の疲れが」
  「温泉と ホタルのコラボ 東京の お客感激 私も勿論」

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人間牧場

〇5本指の靴下

 最近温かくなって風呂から上がって寝るまでは、居間で靴下を履かず素足で過ごせるようになりました。ローカを歩く時は妻が買ってくれたお揃いの、イグサ風夏用スリッパを使用しますが、居間は畳なので素足で歩くと心地良い畳の感触が伝わってきます。
 そういえば最近私は、出張する時以外は妻が買ってくれた5本指の靴下を履いています。血は争えないのか亡くなった私の祖母は外反母指が酷く、晩年は歩くのにも支障をきたすほどでしたが、私も左足に外反母指の症状が表れ、その症状は歳とともに酷くなってゆくようです。

妻の買ってくれたイ草スリッパと愛用の五本指靴下
妻の買ってくれたイ草スリッパと愛用の五本指靴下

 祖母のような重度の外反母指ではありませんが、靴を履くと少し違和感があり、そのため靴もできる限りつま先の広い物を選んで買うようにしています。歩くのに支障がないのでこのまま手術等せずに放置しようと思っていますが、何故か気になっています。妻はそんな私のために10年前頃から5本指の靴下を買ってくれるようになりました。私は若い頃からアウトドアー派なので、農作業や活動の折長靴や地下足袋をよく履きますが、特に靴先が二つに分かれている地下足袋には5本指の靴下は便利で重宝しています。しかし指が5本に分かれているだけに破れる度合いも多く、時々破れた穴を見落として履いていて、妻に注意されることもしばしばです。

 靴下は少々破れていても地下足袋を履けば何の支障もないので、貧乏性の私は穴が開いても捨て切れず使おうとしますが、妻は「恥ずかしいから止めて」と時々注意をするのです。妻は穴の開いた靴下を針仕事で繕うこともせず、無造作にゴミ箱へ捨てますが、昔母親が裸電球を中に入れて破れて靴下を繕っていた姿を知っているだけに「勿体ない」という気持ちが頭を持ち上げるのです。
 今や靴下は使い捨ての時代です。妻が使っている薄いシルクのストッキングだって、ちょっと電線が入ると、惜しげもなくゴミ箱行きです。物を大切にするなんて言う考えを持った昭和生まれの私は古くなったのでしょうか。

  「靴下を 毎日履いて 暮らしてる 素足の昔 どこか懐かし」

  「五本指 外反母指の 私には しっくり足に 馴染んでいます」

  「長靴や 地下足袋使う 私には 五本指ある 靴下重宝」

  「ちょっとだけ 穴が開いたら もう捨てる 昭和生まれは 勿体ないと」

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人間牧場

〇おじぎは足りないよりもし過ぎた方がよい

 一昨日、子ども体験塾の後片付けと見回りをするため、公民館の赤石主持参を誘って人間牧場へ行きました。かなり激しい風雨の中でしたが、ホダ場とサツマイモ畑を見回り、ついでに蜜蜂の巣箱も吹き飛ばされていないか確認し、て無事であることを見届けました。
 途中下灘小学校を急な思いつきで訪問しました。というのも下灘小学校の校長先生は今春の異動で、愛大付属幼稚園から転勤して来られたようで、子ども体験塾へも顔を覗かせてもらったので、そのお礼方々の訪問でした。

 下灘小学校は建て替え工事や古い校舎の取り壊し工事も終わり、かつての面影は体育館と入口にデンと立っているイチョウの木ばかりで、すっかり様変わりしていました。本当は新しい校舎を見学したかったのですが、授業中でもあり子どもたちに迷惑がかかるといけないので、勧められたものの次の機会にすることにしました。しばらくの間校長先生と校長室でお話をしましたが、とても爽やかな感じのいい女性校長さんでした。早々にお暇しましたが、雨の中を私たちが校門を出るまで見守り見送っていただきました。

 あのロシアの有名な小説家トルストイは、「いかなるときでも、おじぎは足りないよりも、し過ぎた方がよい」という言葉を残しています。私も小・中・高の学校評議員をしたり、愛媛県金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしている関係上、県内の学校を度々訪問しますが、迎え方もさることながら、見送り方は人それぞれです。私もそのことを気にして、わが家や人間牧場へ人を迎えた折は、たとえ忙しくても極力来訪者が見えなくなるまで、お辞儀をして見送るように心がけています。

 最近、近くの特別養護老人ホームへデイサービスで週に2回行く親父は、午後4時頃送ってもらって帰宅すると、送ってもらった車が見えなくなるまで手を振って見送っているのです。わが親父ながら感心をして見ていますが、いやはや嬉しい光景です。人に出会った時、不快の念を与えず爽やかな別れ方をすることは、とても大事なことだと教えられました。「人のふり見てわが身を誡める」、身近な見本が近くにありました。

  「見送りは 大事ですよと 教えられ 分っちゃいるが 中々できず」

  「特老の 車見送る 親父見て 教えられたと はたと気がつく」

  「雨の中 見えなくなるまで 送る人 中々やると 感服しきり」

  「おじぎする 自分の姿 姿見の 鏡に写し やり方練習」

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人間牧場

〇わが家のシイタケホダ場

わが家の裏の杉林
わが家の裏の杉林

 先週の土曜日、人間牧場で大洲市田処の亀本幸三さんに指導をしてもらい、子どもたちと一緒にシイタケの植菌作業をしました。その折市役所に勤めていてこの春定年退職した井上満宏さんに頂いて、人間牧場のヤマモモの木の下に寝かせていた、20本ばかりのわが家の原木にも、ついでに植菌し自宅に持ち帰りましたが、人間牧場のホダ木移動で大疲れしていたため余力が残ってなくて、妻と若嫁の手助けで何とか裏庭に降ろしたものの、片付けもできず置いたままにしていましたが、昨日はその疲労も幾分回復したので、小雨の中一人で裏山の杉林へ移動することを思いつきました。

綺麗に出来上がったホダ場
綺麗に出来上がったホダ場

 まず杉林の適当な場所を見つけ、雑草を切り払って片付けました。その場所には既に2年前から亀本さんにいただいたクヌギのホダ木を置いていて、去年の秋から今年の春先には沢山のシイタケを、孫たちが一週間おきに収穫をしてくれました。孫たちもしいたけの収穫が待ち遠しいようで、シイタケは一年中生えるものと思っていたようですが、秋と春にしか生えないことをこの頃になって薄々知ったようでした。
 シイタケは原木となるクヌギの木に穴を開け種ゴマを植菌してから、一年間木陰で寝かさなければなりません。一年の間に植菌した菌が原木に繁殖するのですが、管理が悪いと雑菌が入ったり、水分が多過ぎたり逆に少な過ぎたりするのです。

 わが家の裏山には杉林があって、その条件をクリアーしているようなのです。横木に運んだ原木を一本一本立伏せして行くのですが、昨日は少しぬかるんでいたため、少し難儀をしましたがどうにか思い通りのホダ場が出来上がりました。
 最近このホダ木の皮芽を何物かが食い荒らしているようです。先日この付近では見なかったリスがシイタケを食べにきている姿を見ました。多分どこかの家庭でペットとして飼われていたリスが逃げ出して、野生化したものと思われます。確かではありませんがどうやらリスの仕業のようです。先日ホダ場の直ぐ横の水場は、イノシシに荒らせれました。一抱えもある大きな石もイノシシの悪態にかかれば無残な姿となるのです。イノシシは石の下のミミズを求めての行動でしょうが、ホダ場や水場ならぬイノシシのヌタ場とならぬよう、昨日は石を元に戻す作業をやりました。

  「シイタケの ホダ木杉山 入れ立てる 一年後には キノコの山に」

  「いつの間に こんな作業に 夢中なる ふと我返る 歳のせいかも」

  「自給率 少しだけだが 高まって 安心安全 わが意を得たり」

  「イノシシに 加えリスまで やって来る 自然と共生 食べ物裾分け」

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人間牧場

〇人間牧場での子ども体験塾は大盛況(その4)

バケツリレーの手合いで運ぶシイタケの原木
バケツリレーの手合いで運ぶシイタケの原木

 この日の作業で一番の大仕事は、植菌したシイタケの原木を下の前もって用意した木陰ホダ場へ運ぶことと、ジャガイモを掘った跡地に畝を立て、マルチを張ってサツマイモのつるを植える作業でしたが、時間的に子どもたちの手に負えず、結局はボランティアスタッフの労働力をお借りして片付けなければならなくなってしまいました。
 サツマイモは西岡さんと宮本さんの指導で、シイタケ原木運びは私と亀本さんが担当し、地域おこし協力隊の冨田さんと川口さんが両方を手伝ってくれて大助かりでした。

ホダ場
ホダ場

 ジャガイモ畑には色々な品種を植えていたため、晩生のメークイン等はまだ茎が青々をしていて、堀り上げサインが出ていないためそのままにして、とりあえず堀り上げた所だけマルチを掛け、カッターで穴を開けてサツマイモのつるを植えてもらいました。西岡さんは知恵者なので植えたつるの上に周囲の雑草を鎌で刈って乗せ、乾燥を防ぐ手立てをしてくれました。
 シイタケの原木運びは亀本さんや残ったボランティアスタッフに加え若嫁が、バケツリレーの発想で下まで降ろしてくれて大助かりでした。

 私は川口さんや冨田さん、宮本さんたちが運んでくれた重い重い原木をホダ場まで運んで立ち伏せをしましたが、大小100本近くの数量なので大汗をかきつつ、最後の力を振り絞って何とか作業を終えることができました。いやはや大変な仕事量でした。昨晩足腰や腕が痛いと若嫁が笑顔で話してくれましたが、私も足腰に少し疲労感があるものの、何とか難儀をクリアーすることができたようでホッとしています。植えたサツマイモのつるは10月下旬まで葉を茂らせ、秋の収穫祭を楽しませてくれることでしょう。またホダ場に立てたシイタケの原木も1年後の春には立派なシイタケを生やしてくれることでしょう。苦労はしたけど楽しみは膨らんでいるようです。何はともあれ、多くのボランティアスタッフに感謝感激の一日でした。

 

  「欲張った プログラムにて 残業が 手足に疲労 残して終える」

  「畝を立て マルチを掛けて つる植える 上に雑草 生産の知恵」

  「シイタケの 原木運ぶ 若嫁が バケツリレー 大助かりで」

  「ああやっと 終った一息 差し入れの 冷たいお茶で ふとわれ返る」

並べられたホダ場の原木
並べられたホダ場の原木
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人間牧場

 

〇人間牧場での子ども体験塾は大盛況(その2)

子どもたちは歩いて人間牧場へ
子どもたちは歩いて人間牧場へ

 最近は子どもも大人も車の普及で歩くことが少なくなりました。子どもたちにとって歩くプログラムは、必ずしも好まれる訳ではありませんが、体験塾の大きな目的は心身ともに健全な子どもを育てることなので、人間牧場までは必ず下灘コミセンから山道を歩くようにしています。
 11時に出発した子どもたちの話し声や歓声が下の方で聞こえ、第一陣が人間牧場へ歩いて到着したのは、11時50分ころでした。早速ご飯と味噌汁が60人分注ぎ分けられ、ウッドデッキに各班ごと車座になって楽しい食事が始まりました。

楽しい食事風景
楽しい食事風景
しいたけ植菌作業
しいたけ植菌作業

  ご飯と味噌汁、それに前もって作っていたポテトサラダだけのシンプルな昼食でしたが、みんなお替りするほど美味しい食事となりました。ご飯の出来も味噌汁の味も最高で、いつもながらお世話になる人たちに感謝しながら食べました。
 食事の後は休む間もなく2班に別れ、シイタケ植菌作業とジャガイモ掘りを行ないました。植菌作業は亀本幸三さんの指導で電動ドリルでの穴あけや、開けた穴に小さな金槌で種ゴマを打ち込む作業を行いました。人間牧場の入口には大きなヤマモモの木が緑陰を作っているので、思ったほど暑くなく、子どもたちは「トントントントン」と心地良い金槌の音を山々に響かせ、夢中になっていました。

ジャガイモ堀り
ジャガイモ堀り

 一方ジャガイモ掘りは西岡栄一さんと、宮栄さんの後を受け新しく就任した宮本公民館長さんの指導で行ないました、今年から畑の周りにイノシシ除けの金網を張ったため、被害に会うこともなく今日を迎えましたが、男爵系のイモは想像以上に豊作で、今年初めてジャガイモ栽培に挑戦した不安を、払拭することができました。手スコップでジャガイモを掘り上げる度に子どもたちの嬉しそうな歓声が聞こえました。早速大きい芋をより出し、水桶で二度洗いをして大釜で塩茹でしました。
 食事の後なのでどうかと思いましたが、ツワブキの葉っぱを食器にするというアイディアが受けて、子どもたちは湯がいたばかりの熱々のジャガイモにバターを塗って、おいしそうに食べていました。

  「車座に なってご飯と 味噌汁を 美味しく頬張る 破顔一笑」

  「穴開けて 種ゴマトントン 打ち込んで 来年シイタケ 生える夢見る」

  「土中から ジャガイモ顔を 出すを見て 子どもあちこち 大きな歓声」

  「何もかも 今年初めて プログラム こちらも少し 緊張しつつ」

ジャガイモ洗い
ジャガイモ洗い
ジャガイモの塩茹で
ジャガイモの塩茹で

 

 

ツワブキの葉っぱを食器にしたバタージャガイモ
ツワブキの葉っぱを食器にしたバタージャガイモはとても好評でした
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人間牧場

〇私は何のために毎日2時間もブログを書いているのか?

 この10年間、殆ど毎日毎朝、私は朝4時から5時に起床して書斎に入り、飽きもせずアメーバブログとワードプレスに2本のブログを書いています。1本に1時間弱、2本で2時間弱時間を費やするので、その時間たるや相当な蓄積です。「ブログをそれ程、何のために書くのか?」と、時々朝食も忘れて書いている私の姿を見て、妻に質問されます。また書いたブログ記事を最近まで丹念にプリントアウトして1ヶ月間に一冊表紙をつけて綴っていましたが、プリントアウトに要する時間と費用が勿体ないので、今は小休止しています。折角書いたデジタル文字なのでデジタル保存したいと思っていますが、それもまだできていません。

 ブログを「何のために書くのか?」という何度も聞かれる妻の質問に、自分自身多少疑問を持ちながらも続けていますが、一度始めたらよほどのことがない限り止めない私の性格からすると、人から見れば他愛なく、それ程意味のない日々の記録であっても、当分は続きそうな雲行きです。
 今朝日めくりカレンダーをめくっていると、昨日の言葉に「健康な人は自分の健康に気が付かない、病人だけが健康を知っている」という言葉が載っていました。確かに健康な今はさほど健康のことを考えません。でもこれまで何度もパソコンが故障してブログが書けなくなると、どこか自分の生活のリズムが狂ってイライラし始め、今朝のように折角書いたブログ記事を操作ミスで、一瞬の内に画面から消してしまうと、そのストレスは頂点に達するのです。

 ふと、私が毎日ブログを書いているのは、毎日体の健康のためにやっているウォーキングやエクササイズと同じ精神安定剤のようなものだと思いました。私の大好きな歌手が麻薬に手を染め逮捕されて大騒ぎになっていますが、私ののブログ書きも形こそ違え麻薬のようなもので、書かなければ心が落ち着かないのです。幸いブログを書くという手段で、私の退化しつつあるソフトな記憶装置をパソコンというハードな優れもので補う方法は、私が文明の進んだ世の中に生きている特権を、最大限に生かして暮らしている証でもあるのです。
 幸い私はブログを毎日書くことによって、書くという作業が随分早くなってきました。また書くために読み、書くために見たり調べたり、また書くという意識で日常の暮らしをしてることにも気付いています。「何のためにブログを書くのか?」などと考えずに、もう少し無意味とも思えるこの作業を続けたいと思っています。

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人間牧場

〇カメラの修理

 私は3台のデジカメを持っています。いずれも簡易カメラの謗りを免れない安物ですが、毎日ブログを書いている私にとっては、とても大切な持ち物です。一台目の冨士フイルム製はもう使わなくなっていますが、二台目のパナソニック製LUMIXは、三台目のパナソニック製LUMIXが時々故障するので、その代替として使っています。二台目は度々地上にな落下させて傷だらけなので、恐る恐るといった感じです。

 三台目は二台目の改良型で優れものながらこれまでに2回、画面に点のような物が写るので修理に出しました。今回は先月年輪塾で大洲を散策した折、訪れた臥龍山荘で突然カメラのズームが効かなくなり、システムエラーランプが点灯し始めました。毎度の事ながら松山へ仕事に出かける若嫁に頼んで、買ったお店へ持って行き修理に出しました。修理期間とゴールデンウィークが重なったため、修理には2週間以上がかかりましたが、修理が終った通知電話を受けて、若嫁が持ち帰ってくれました。

 一台のカメラを3回も修理に出さなければならないうんざりで、次に買い換える時はどんなメーカーの機種を選ぼうか迷っていますが、幸せなことに5年間の保障期間だったし、故意の故障でもなかったので、無料で修理をすることができましたが、次回修理にお金が要るときまでには、少しお金を貯めて念願の一眼レフデジカメを買おうと思っています。いつもの事ながら私の主張である、「お金が貯まってから買う」を貫くため、ささやかながら貯金箱貯金に余念のない今日この頃です。

  「三台の カメラそれぞれ 思い出が あるゆえ今も 大事に使う」

  「5年間 保障期間が あるゆえに タダで修理を 3回終える」

  「金貯めて 一眼レフを 買いたいな 二年後目標 生きてるかしら?」

修理を終えて戻ってきたカメラ
修理を終えて戻ってきたカメラ
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人間牧場

〇愛媛県警察少年サポーター研修会

 私は何年か前、愛媛県警察少年サポーターという役職をいただきました。息子が警察官をしているしむげに断わることも出来ないので、指名されてからその役職に甘んじています。幸せなことにその役割を果たさぬまま今日を迎えていますが、毎年この時期に県内のサポーターを集めて県警本部の会議室で研修会があるので、出かけて勉強をしています。

 昨日はその研修会の日でした。県警は駐車場が狭く車を置けないと前もって連絡がありましたが、列車で行くとかなり時間を浪費するので、久しぶりに愛媛地域政策研究センターや県庁へ立ち寄るため少し早目に自宅を出ました。雑用を済ませ県警の近くの有料駐車場へ車を止め、玄関先で通行証をいただき、皆さんとともに最上階の10階会議室までエレベーターで上がりました。何年か前岸本さんが本部長だった頃は、身分も弁えず本部長室へ立ち寄ったりしていましたが、それもこれも今となっては懐かしい思い出です。

 これまでは色々なことを聞く一方の研修会でしたが、今年は4人のサポーターの体験発表を聞くことができました。富田さんは松山で農業をしているので親子で農作業をしてもらいながら更生に導いたお話を、竹内さん、北尾さん、山口さんもそれぞれ関わった体験談をリアルに発表され、私的にはこれからの活動の参考になるお話でした。また配れた資料の中に「犯罪被害者への接し方」というマニュアルもあって、読みながらサポーターの仕事の内容を自覚しました。

 これまで伊予署管内は比較的少年非行の少ない地域でしたが、大型商業施設の出現等により少年を取り巻く環境が急激に変わり、少年刑法犯も松山市内と肩を並べるほどに増えています。今この時期にしっかりと対応しなければ取り返しの付かないことになりかねません。役職を頂いている以上少しお手伝いをしたいと思いました。
 私も地元では子どもたちを集めて人間牧場などで健全育成活動をしていますが、これも少年犯罪を未然に防ぐ大事な仕事なので、気を引き締めて頑張りたいものです。

  「どこ行くの? 警察までと 答えたら 何をしたのと 再度問われる」

  「手と足の 指折り数える ほどの役 そろそろ終る 準備をせねば」

  「悪い子に 共通してる ことがある 家庭壊れて 心も壊れ」

  「少年を 更生させる 近道は やはり愛情 不可欠ですね」

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