人間牧場

〇親父の介護度は要介護1でした

 先日特別養護老人ホーム夕なぎ荘を通じて申し込んでいた、親父の介護保険の認定のため、市役所長寿介護課から職員さんがわが家へやって来ました。私も同席して介護保険担当の女性が、親父に面接する様子を傍で見ていました。生活機能のチェックは25項目にものぼり、耳の遠い親父の耳元で大きな声で質問していました。親父はその都度受け答えをしていたようですが、少し頓珍漢な応えもあるものの、緊張しているのか普通よりしっかりとしたようにも見えました。
 本人へのチェックが終わり、私にも親父の暮らしの様子について微細に聞かれました。親父は明日誕生日を迎え95歳になりますが、このところの親父に関する作業を通して、これまでどちらかというと自律・自立の道を歩んでくれていた親父の、本格的な介護が始まることを自覚させられました。

 介護保険担当の職員さんは帰られる時、月末ごろには要介護か要支援の認定結果を、文書で知らせるようになりますと言って帰られました。3日前予告どおり親父の名前で一通の認定結果通知書が届きました。親父の認定結果は要介護1でした。要支援2か要介護1を想定していたので、まあ相応な結果のようです。
 私は早速夕なぎ荘に出かけ、認定結果を基に居宅サービス計画書を作る作業を始めました。担当者と綿密な話をして、とりあえず水曜日と土曜日の週2回、デイサービスを受けることにしました。これまで頑なにデイサービスに行くのを拒んでいた親父も、身体に自信がなくなったのか老いを感じるのか、デイサービス受けることを承諾してくれました。
 在宅サービスを受けるには介護度に合わせて費用が必要で、介護度が高ければ介護の費用限度も高くなりますが、その分自己負担も高くなるようです。親父の場合入浴サービスや一食500円の給食サービスを受けると1回1200円程度の負担になるそうです。

 昨日は午後4時30分に夕なぎ荘で、諸々のサービスを受けるための契約をしました。本人に代わって第一介護者である私が署名捺印し全ての手続きを終えました。来週の水曜日からいよいよ親父の介護サービスが始まるのです。
 3日前、デイサービスに出かけることについて親父に話をしたところ、親父は何を勘違いしたのか、早速明くる日に出かける準備を始めたようで、妻に「明日は特老に行く」と話したようです。早速隠居へ行き「来週水曜日だ」と話しましたが、既に小さなバッグに下着等を入れて準備をしていたようです。親父は昨日私に、「散髪に行きたいので雨が降っているから乗せて行ってくれ」と頼みました。3丁目の小西理髪店に連れて行きましたが、デイサービスに行くため散髪をするとは・・・と、家族みんなで大笑いをしましたが、昔人間の親父にとってはディサービスに行くのも、小さな旅なのかも知れませんね。

  「要介護 1の認定 通知書が 届き始まる 親父の介護」

  「早々と ディの準備に 散髪も 笑う笑えぬ 老いの細々」

  「いよいよと 決意新たな 親姿 私もやがて 同じ運命」

  「今日孫の 明日は親父の 誕生日 目出度くもあり 目出度くもなし」

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人間牧場

〇私はいつの間にか養蜂農家に

 数日前一通の封書が伊予市役所から届きました。差出人は農業振興課のようでした。封を開けて見ると養蜂農家各位と書かれた宛先で、「蜜蜂の被害事例にに関する調査・報告について」と標記され、「消費・安全局農産安全管理課長より別紙のとおり通知がありました。別紙1の被害が出ましたら、伊予市農業振興課までご報告して下さい」と書かれていました。
 この文書を見て役所風だと思ったのは、まず宛先です。私は養蜂農家ではありません。養蜂農家とは多分蜜蜂を飼って蜂蜜を採集し、それを瓶詰め等に加工して販売する人たちのことを言うのでしょうが、私の場合は農家でもないし販売もしないのです。

 昨年同じような文章が舞い込み、法律が変わって蜂を飼っている人は市役所へ届け出るようになった旨の通知を受け、かつて役場に勤めていたこともあって分らぬまま、「10箱飼っている」という届出をしたため、私の名前が市役所のパソコンに打ち込まれているため、今回の通知になったものと思われますが、私の養蜂は趣味の域を越えてないため、愛蜂家と言った方が正しいのかも知れません。
 調査の対象とする蜜蜂の被害事例には、2つのことが書かれていました。一つは蜜蜂の大量死、もう一つは蜜蜂の減少でしたが、養蜂6年目の私には蜜蜂の行動を細かく観察できる能力もないので、はてさてどうしようかと迷っています。

 今回の通知文書には死虫、巣門、外勤蜂、内勤蜂などの専門用語が使われていて、漢字なのでおおよその意味は見当がつきますが、正式には分らないのです。巣門の前に死虫の山ができているような場合を、大量の死虫(2000匹以上)と捉えているようですが、数えれる訳でもないのでアバウトな捉え方しかできません。羽ばたきの異常や震えの見られる生虫も調査対象ですが、異常か正常か、震えなのか空気を送り込んでいるだけなのか、ましてや舌を突き出して死んでいる蜜蜂となると、これはもう専門領域のようです。
 巣箱には掃除を小まめにしないとスムシ(巣虫)という便所虫のような虫)が沢山増えて巣を食い荒らし、時には巣落ちして蜂蜜が採集できないほどになることがあります。巣虫と死虫も良く似た言葉で混乱しそうです。さてどうしよう。

  「役所から 一通文書 舞い込んで 私の肩書き 養蜂農家」

  「公文書 専門用語 多過ぎて おおよそ理解 おおよそ対応」

  「責任を 逃げるアリバイ 作るため 通知を出すが チンプンカンプン」

  「してもいい しなくてもいい 対応と 理解はするが 愛蜂ゆえに」 

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人間牧場

〇大分への講演小旅行(その2)

 「折角講演に行くのだったら、もっと講演先でのんびり過ごしたらどう」と妻に時々言われますが、生まれ持ったせっかちな性分は変えようがなく、この日の大分への講演小旅行も、自家用車やフェリー、列車、タクシーを乗り継いで講演会場へ行き、講演が終れば元来た道を慌しく引き返すという旅になってしまいました。それでも旅先までの往復路は、見慣れた光景とはいいながら、飛び飛びですが一つ一つに思い出があり、往時が懐かしく思い出されるのです。

佐賀関港の沖合いから見た夕焼け
佐賀関港の沖合いから見た夕焼け

 例えば佐田岬の突端に見える何度か訪ねたことのある灯台は、子どものころに見た「喜びも悲しみも幾歳月」という高峰秀子主演の映画や歌を思い出すし、灯台下の岸壁から漁船に乗って岬を海から眺めた時、同行した島根県旧吉田村の藤原洋さんが「海の流れる町」という表現をしたことを思い出し、また天気の良い日にはわが町からも一度は見たことのある、佐賀関のお化け煙突と称される佐賀関精錬所の煙突を見れば、親友渡邊又計さんや先日手書きのうちわを贈ってくれた、居酒屋の東布紀男さんを思い出すのです。

20基の風車が回る小焼けの佐田岬半島
20基の風車が回る小焼けの佐田岬半島

 私が若かった頃、愛媛県青年の船事業が行なわれていて、私はその指導者に選ばれ瀬戸内海を巡った後、大分鶴崎の臨海工業地帯を見たり山並みハイウェーを通って城島高原まで足を伸ばしました。今は高くて大きな火力発電所の煙突が建っている姿を、日豊本線を走る電車の車窓から懐かしく見ました。佐伯市旧本匠村の高橋美和さんや川野義和さん、旧清川村の渡辺久信さん、旧大山町の緒方英雄さん、河口さんなど大分の十指に余る人たちは元気だろうかと、会う機会の少なくなった懐かしい人々と過ごした交遊を思い出すのです。

 「そうだもう少し暇ができたら、そうした人々と地域を訪ね歩く旅に出てみよう」と、8年前リタイアした時思いました。ところがリタイアしたと同時に講演依頼が舞い込むようになり、現職時代をしのぐ忙しい日々が今日まで続き、私のささやかな願いは夢のまた夢になってしまっているのです。
 昨日佐賀の関を出航したフェリーの船上から綺麗な夕焼けを見ました。また三崎港に着く前、三崎半島の頂上に建つ20基の風車が、小焼けの空に美しく見えました。講演という目的もさることながら、この印象的な2つの光景を見ただけでも、いい旅だったと納得した旅でした。

  「旅先で 所用済ませて 引き返す 勿体ないと 妻は言うけど」

  「灯台を 見ても人々 思い出す 過ぎ越し日々は 懐かしきかな」

  「煙突の ある町生きる あの人は 元気だろうか 思いつ後に」

  「退職時 暇になったら 旅したい 思ったけれど それも叶わず」

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人間牧場

〇白菜の植え付け

 3日間降り続いた雨をたっぷり吸った家庭菜園は、全ての野菜がまるで生き返ったようになってきました。昨日は芋坪の中に入れる籾殻を買うため、長浜町出石の地元の人が野菜を売っているお店へ出かけました。一袋150円の一抱えもあるようなビニール袋に入った籾殻を5袋買いましたが、そのついでにオズメッセまで足を伸ばし、昨年この頃に買って植えたところ大豊作だった、白菜のセル苗を買いに行きました。そろそろ秋植えの苗物が出回る頃になりますが、わが家では親友の水口さんから毎年のように苗物をいただくので、白菜の苗だけにしました。

セル苗の白菜を植える
セル苗の白菜を植える

 セル苗とは一本一本ポットに植えている苗ではなく、セルという苗床に70本以上が植えられているもので、1セル千円でした。普通のポット植だと一本百円もするので、お徳用といったところです。お昼ころ自宅に帰り昼食と午睡を楽しんだ後畑に出て畝を立て、白菜のセル苗を一本一本丁寧に穴から抜くのですが、少し荒くするとたちまち根がバラバラになるので真剣にやりました。
 抜いた苗を畝一列20本程度定規を使って行儀よく植えましたが、昨日の午後は屋外気温が30度まで上がり大汗をかきました。

遅ればせながら今年初収穫したスイートコーン
遅ればせながら今年初収穫したスイートコーン

 植えた後水をたっぷりやって一夜が明けた今朝、菜園に様子を見に行きましたが、順調なようなので再び水をやり、少しだけ化成肥料を撒きました。わが家は特に葉物野菜については農薬を殆どやらないので、苗が活着したら牛糞等をたっぷりやって、美味しい白菜を思い切り食べたいと思っています。
 今朝は孫がどこかからか貰ってきた地這いキューリとスイートコーンを収穫しました。スイートコーンはもう時期が終っていますが、わが家では遅蒔きだったため今頃になってやっと収穫です。朝取りのスイートコーンの皮を剥きましたが、とてもいい具合の実入りでした。早速妻に茹でてもらい、家族全員で食べましたが、取れだち茹でだちのスイートコーンは、この上ない美味しさでした。

  「芋坪に 入れる籾殻 買い求め トラック積んで まるで百姓」

  「セル苗の 白菜丁寧 抜き取って 畑へそっと 植えて水やる」

  「孫貰い 受けたる種を 菜園に 蒔いたスイート コーン豊作」

  「美味しいと 家族みんなが 孫お礼 難儀したのは 私なんだが・・・」

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人間牧場

〇子どもからまちづくり取材を受ける

 最近はパソコンや携帯電話を使うデジタル人間が増え、このままだと紙に印刷されたようなものしか利用できないアナログ人間は、自然淘汰されるかも知れないと思うほどで、特にスマートフォンさえ持ち合わせていないし使えない、私のような古いタイプの人間は、どこか肩身の狭い思いがするのです。そんな時代背景もあって最近は人と出会って話をしていても、しょっちゅうポケットに入れた携帯電話の呼び出し音で中断され、対面よりも電話に集中する日本人の姿に、どこか違和感を覚えるのです。

 昨日は午前中高島屋で開催されている、松山五行歌会の展示会を見に行くため車を走らせていると、三秋峠を過ぎた頃、わがズボンのポケットに忍ばせている携帯電話が鳴りました。路側帯の広い所に車を止めましたが、上灘からそこまで走る短い時間内に、何と5件もの着信ですから、これはもう異常です。 5件目の処理を終えたところへもう一件、若い女性から電話が入りました。「双海町出身です。あなたのことは母から聞いています。松山に住んでいます。娘の夏休みの宿題で、子ども新聞の取材を小学生の娘がしています。人間牧場へ行きたいのですが今日は空いていますか」と要領よく話をしてくれました。「私はあいにく松山へ向かっていて留守です」と話すと、「松山のどこへ!!」「高島屋です」「高島屋で少しお時間を取ってくれませんか」「いいですよ。7階の展示会場で10時20分にお会いしましょう」と約束して再び車を走らせました。

高島屋のロビーで取材を受けた親子
高島屋のロビーで取材を受けた親子

 3階の駐車場に車を止めて7階会場へ到着して間もなく、女の子を連れたお母さんが現れました。「ここでは話せませんのでどこかロビーででも」と誘ったものの、年に一度か二度しか行かない高島屋のどこにロビーがあるのかさえも分らず、とりあえず高島屋内にある郵便局の窓口近くのロビーでお話をしました。女の子は少し大きめの手帳に質問事項を沢山書いて来ていたので、要領よく他のお客さんの迷惑にならぬよう少しトーンを低くして、30分ばかりお話をしました。最近は新聞も将来の活字離れに対応して、子どもに読めるような新聞作りに意を注いでいて、学校の授業でも子どもたちが取材に出、て学校新聞を書くようなことが多くなっているようです。

 今回は双海町のまちづくりをテーマの取材でした。どうしてまちづくりを始めようと思ったのか、どんなことに取り組んでどんな成果があったか、成功したり失敗したことは何か、何が問題点となっているか、将来はどうしたいかなどなど、まるで本物の新聞記者のように質問攻めに会いました。たまたま傍で私と子どもの話を聞いていた人、は愛媛大学農学部マネジメントコースの社会人学生として、5年前人間牧場へ来られことのある顔見知りの方で、私のデジカメで3人の写真まで撮影してもらい、懐かしく会話を交わしました。
 子どもに分りやすく話すことは容易なことではありませんが、幸い私は日常的に子ども体験塾などで子どもとかかわっているので、多分私の話は通じたものと思われます。名刺を渡し、「もし分らないことがあったら連絡をするように」と言ってお別れをしました。

  「子どもから まちづくり取材 受けながら 過ぎこし日々を 懐かし語る」

  「デパートの ロビーであれこれ 話する 横にいた人 私知り人」

  「失敗は なかったですか ドキリする 大人顔負け いいとこ突いて」

  「私でも 役に立つこと 少しある 今頃宿題 ねじり鉢巻」

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人間牧場

〇夏の花百日紅

 夏の花と言えばヒマワリや朝顔を連想しますが、その他にもダリアやグラジオラス、ペチュニア、ガーベラ、日日草など沢山の花が咲きます。道の駅シーサイド公園周辺には、私が現職のころ植えた芙蓉や酔芙蓉の花が、夏の終わりを告げるように咲き始め、道行く人の目を楽しませています。私は花を作るのも好きですが見るのも好きで、野山に咲く野生の花にも結構興味があって、道端に何げなく人知れず咲いている花を、愛おしく思いながら、時々デジカメで撮ったりして楽しんでいます。

白いサルスベリの花
白い百日紅の花

 蜂を飼うようになった最近は、今まで以上にに花に心を寄せるようになっていますが、盛夏猛暑のこの時期は蜜源となる花は少ないようで、蜂たちはどこから花の蜜を持ち帰るのだろうと、いつも不思議がりながら見ています。わが巣箱の蜂たちがどこから蜜を持ち帰るかは定かでありませんが、聞くところによると日本蜜蜂の行動範囲は、2キロくらい遠くまで出かけるようなので、なるほどと少し頷きました。私たち人間は周囲2キロを見渡しても花のありかを見つけることはできないのです。

赤い百日紅の花
赤い百日紅の花

 一昨日人間牧場へ行く道淵に、それは綺麗な紅白の百日紅の花を見つけました。百日紅と書くこの花木は、平仮名だとさるすべり、カタカナだとサルスベリ、つまり花木の木肌が人の肌のような茶色い色をしていて、サルがすべるようにツルツルしているからだと教わりました。木肌がまるで脱皮するように剥ける様子を見て納得するのです。最近は街路樹にも植えられ、長く伸びた徒長枝の先に咲く花は、まるで夏の夜の花火にも似ています。サルスベリはスス病にかかりやすく、まるで煙突から出る煙のススのような害虫が、防除をしないとやたら蔓延するのです。私の見たサルスベリはスス病にも冒されず、夏盛りの太陽の下綺麗な花を咲かせていました。多分人間牧場の巣箱に群れる蜜蜂たちも、この花の蜜も吸いにやって来ているのだろうと、愛おしく感じました。

  「紅白の 百日紅花 並び咲き 夏が盛りと 教えてくれる」

  「牧場の 蜜蜂たちも この花の 蜜源求め 飛んで来るのか」

  「夏の花 どの花見ても 艶やかで まるで花火に 負けないように」

  「花はいい 汗かきながら 道端の 百日紅の花 思わず見とれて」

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人間牧場

〇愛媛大学農学部農山漁村地域マネジメント特別コースの講義(その2)

 昨日は人間牧場で、農山漁村地域マネジメント特別コースの授業があり、午前中3時間、午後3時間と合計6時間の集中講義を行ないました。その講義の内容は概ね次のとおりでした。
 1、地域づくり概論その1
   ・地域活性化論とは
   ・人間と地域の潜在能力と顕在能力
   ・年代軸的認識(過去、現在、未来)と波型軸的認識(明治維新、敗戦、全総計画)
   ・むらおこし、まちづくり、地域づくり

講義を終えて室内で記念の集合写真
講義を終えて室内で記念の集合写真

 2、地域づくり概論その2
   ・地域づくりの分類型と全国各地の実態
   (住民参加、環境、地域通貨、ツーリズム、農林漁業、起業、福祉、行革、商店街、地域経営)
 3、地域づくり概論その3
   ・地域づくり県内各地の実態
   ・旧市町村自治体のキャッチフレーズ
 4、地域づくり概論その4
   ・地域を巡る時代の流れを読む(10年前と今を比較した社会の変化)
 5、地域づくり概論その5
   ・地域を巡る地方の苦悩を知る
   ・田舎嘆きの十ヵ条

 6、人づくり論
   ・理想の地域づくり人とは
   ・理想の人づくりは水五則にある
 7、具体的事例研究その1
   ・夕日をテーマにした双海町の地域づくり
 8、具体的事例研究その2
   ・人間牧場をテーマにした地域づくり)
 9、いい企画をものにする方法

 この日は仕事の都合で何人か欠席していましたが、受講生の意識は高く、昨日の夜何人かからメールが届く等嬉しい反応がありました。6時間の講義は心地よかったものの、流石に少し喉が枯れて今朝は声が出にくかったようです。日ごろは朝4時まには起床するのに、1時間も寝過ごして朝5時の目覚めとなりました。今朝は雨脚も強く、昨日はあいにくの雨でも講義に影響のない程度だったことに胸を撫で下ろしました。

  「1時間 寝過ごしたけど 爽やかな 朝の目覚めに 雨音強く」

  「6時間 話したためか 少し喉 枯れて美声も 森進一に」

  「ああ済んだ 一つ肩の荷 降ろしたら 次の荷物が 早くも待って」

  「感想が メールで届く 早々と 私も返信 早々送る」 

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人間牧場

〇今日は雨かも?

 昨日は二十四節気のひとつ処暑でした。立秋よりも更に季節の変わり目を意味するようで、夏の暑さもいよいよ峠を越した感じです。今年の夏は日本列島が異常気象に悩まされました。私たちの住む四国ではこの一ヶ月間雨がまったく降りませんでした。かと思えば東京以北の地域を中心に日本の各地で、1時間に100ミリを越すようなゲリラ豪雨に度々見舞われ、各地で大きな被害に遭いました。

 台風常襲地域の九州、四国、近畿に住んでいれば、天災の少ない関東地方を羨ましく思っていましたが、最近は私たちの地方も台風が上陸しなくなったような感じがして、日本列島はどこへ行っても天災は起こるものだということを実感しながら、そろそろ210日が近づき台風のシーズンだと思い、毎日PCで天気図の中に台風や熱帯低気圧の居場所を探し、その行方に気を揉んで暮らしています。

今朝の本尊山
今朝の本尊山

 今朝は久しぶりに書斎の窓から見える町のシンボル本尊山に刷毛で掃いたような白い霧のような雲がかかり、雨を予感させています。普通であれば首を長くして待っているお湿りなのですが、今日は愛媛大学農学部の社会人学生が人間牧場へやって来て、現地授業をする予定なので、願わくば小降りであって欲しいと願っています。早朝親父が書斎の外にやって来て、「今日は雨模様なので水を遣らない」と言いました。

 昨晩は警察官をしている三男息子が半年振りに帰省し、孫たちが若嫁の実家へ泊まりに行った寂しさを紛らわせてくれましたが、息子は仕事柄相変わらず仕事の話はしないので、妻はそのことが心配の種のようです。娘一人、息子三人の子宝に恵まれながら、いつの間にかそれぞれが自律の道を歩んでいるようで、6本川の字になって一つの部屋で寝た大家族の時代が無性に懐かしくなりました。いよいよ人恋しい秋の夜長の季節が始まります。

  「雨待てど 今日だけ降らぬ よう頼む 身勝手ゆえに そうもゆくまい」

  「あちこちで ゲリラ雷雨の 被害あり 季節移りて 昨日処暑」

  「いつの間に 子ども独立 いなくなり どこか寂しい 処暑の夕暮れ」

  「それぞれに 親子で違う 雨期待  私は降るな 親父降ってと」

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人間牧場

〇水滴石を穿つ(うがつ)

 猛暑・酷暑の夏もいよいよ終わりに近づき、日中は暑いもののさすがに朝晩は心地よい風が吹いて、虫の声ものどかに聞こえるようになってきました。もう一ヶ月も雨が降らないため、裏の谷から流れ出る清水も息絶え絶えといった所で、清水の出口にポリバケツを置き、少し時間はかかるものの貯まった水は毎朝晩キュウリとゴーヤにやっています。そのお陰でキュウリもゴーヤも今年の夏はわが家の食卓を豊かにしてくれました。

 瀬戸内に面したわが町では一雨欲しいこの頃ですが、日本各地では相変わらず気候が不安定で、島根や鳥取では昨日1時間に100mmを越す大雨が降ったとテレビで報じていました。時間雨量100mmを越す雨量はバケツをひっくり返すという表現がピッタリの大雨で、一生に一度か二度出会うくらいだといわれていますが、今年日本各地で起こっているゲリラ雷雨はその域を超えていて、危険を回避しながらなすすべもなく大雨が通り過ぎるのを待つしかないのです。

 それでも人間は身勝手なもので、明日愛媛大学農学部の社会人学生が多数人間牧場に来て研修会をする予定が入っているので、せめて明日だけでも雨が降らないようにと祈っているのです。しかしその願とは裏腹に、天気は少し下り坂のようで、私の願いが天に届くかどうかは降水率50パーセントの確立からすると半々で、お天気男を自認する私の運に頼るのみです。まあ屋外の研修でもないので雨が降っても左程プログラムに影響はないので、安気な気持ちで対応したいと思っています。

 昨日の夕方コンクリートで作っている清水の溜まりに、小さな穴のようなくぼみを見つけました。チョロチョロと流れ出る水の力はどういうことはありませんが、毎日毎日の積み重ねでコンクリートさえも穴を開けてしまうのですから、水の力の強さに驚くほかありません。「水滴石を穿つ」という中国南宋の文人、羅大経が言っていますが、自分の日々の精進は水の一滴のようであっても石をも穿つ、つまり続ければ大きな力となると続けることの意味を説いています。さあ私の人生も水滴になぞらえて、コツコツと生きて行きましょう。

  「チョロチョロと 落ちる水滴 コンクリに いつの間にやら 小さな穴を」

  「石穿つ 水滴のよう 根気よく 生きよと諭す 羅大経教え」

  「身勝手な 願い通じる 訳もなく 明日は雨降る 確立50」

  「継続は 力なりけり 我輩も 性根を入れて 日々の精進」

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〇手作りの素敵なうちわが届く

 私が役場で地域振興課長をしていた最初は、課長以外まったく課員部下のいない日本一小さな課でした。自分で考え自分で行動する気安さもあって、自分では大いに満足し、そんな課を作ってくれた町長さんに感謝したものでした。総務課長さんから「一人の課で部下を管理する必要がないので、管理職手当ては要らないのでは!!」と冗談交じりに言われましたが、「自分で自分を管理すのは難しい」と言って、管理職手当てをいただくようになりました。
 夏が来るといつも思い出すのは、「暑いといったら100円」という目標を掲げ、小さな「暑くない貯金箱」を置いて、「暑い」という言葉を発する度に100円を入れました。地域振興課長の仕事は最初は主にシーサイド公園の整備や運営の立ち上げでしたから、外へ出る機会が多く冷房の嫌いなこともあって、「暑いを連発し自己申告で入れた100円はあっという間に1万円を越えました。

大分県佐賀関の東さんから送られて来たうちわ
大分県佐賀関の東さんから送られて来たうちわ

 そこで考えたのが、無地のうちわに「暑いといったら100円ですよ!!気をつけて」と書いて机の上に置いたところ効果覿面で、以来人の「今日は暑いですね」の言葉に惑わされることもなくなり、その夏を終えたのです。うちわにはそんな懐かしい思い出があるものですから、収集した訳でもないのにうちわが50本以上も貯まり今に至っているのです。
 一昨日大分県佐賀の関に住む東布紀男さんから、ゆうパック便で素敵な3枚のうちわが送られてきました。居酒屋を営む東(あずま)さんとは、招かれた佐賀関での講演会で知り合い、一度伝説の関サバ料理を食べに東さんの店へお邪魔したことがあります。聞くところによると東さんは愛媛県八幡浜の出身だそうで、初対面から気心が知れすっかり意気投合しました。しかしもう7~8年も前の出来事であり、お互い記憶の外にある人のようでしたがどうしてどうして、こうして1~2度の出会いを忘れることなく覚えていてくれたことは大感激でした。

うちわの裏面
うちわの裏面

 東さんは絵や文字が得意で、大分市と合併する以前の佐賀関町のイラストや、看板文字は一手に引き受けていた達者な方でしたが、今は老人ホーム等に出かけ、お年寄りを相手にぬりえ教室を開いたりボランティア活動に余念がないようで、旺盛なボランティア精神に頭が下がる思いです。今年はうちわ500本に絵と言葉を書いているそうで、そのうちの3本が私の元へ届けられたのです。
 私は昨日早速佐賀関の親人である渡邊又計さんに電話を入れ、東さんの近況等を詳しく聞きましたが、一度東さんのお店に覗きたいものだと思っています。
 届いたうちわにはお地蔵様の絵と言葉が添えられていました。妻が「お父さん、使うのが勿体ない」というほど立派な出来栄えです。3枚の中の一つに「あなたの腹の中」という意味ありげな言葉が書かれていました。自分さえも分らない自分の腹の中は一体どうなっているのでしょうか。自分の腹の中も頭の中も所詮一生分らないのでしょうが、「悪いことは辞める」「良いことはする」という二者択一の「良いこと」を実践し続ければ、腹の中にどんどんいいことが貯まってくるのかも知れません。東さんから送られて来たうちわでそっとあおいで見ました。心地よい風が起こりました。「風を起こす」ことの意味を考えました。

「関サバで その名を馳せた 佐賀関 ウチワ届いて 活き(粋)がいいわい」

  「扇子(センス)より うちわ庶民の 風のよう 浴衣背中に 差して絵になる」

  「絵に書いた お地蔵様の ありがたや 両手合わせて 片手であおぐ」

  「私には 分らぬ自分の 腹の中 何を溜めるか 生き方大事」 

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