人間牧場

〇島根県からのお客さん(その2)

 南さんに連れられてやって来た6人のメンバーに座布団を勧め、年輪切り株高座の周りへ車座になって座ってもらいました。そして約30分余り私が話した後自由討論をしましたが、好夢塾の皆さんは熱心で3時までも話し込んでしまいました。好夢員という言葉は私が若いころ作り、盛んに使った言葉ですが、退職して8年が経ったためすっかり忘れてしまっていた言葉でした。最後は夢の話になり「若松さんにはどんな夢がありますか?」と訪ねられドキリとしました。

 私はこれまで夢を食べて生きてきたような気がするのです。26歳で結婚し4人の子どもを産み育てたい、30歳になったらアメリカへ行きたい、85歳まで生きたいなどなど、私の生活設計の時々に掲げた夢をことごとく手に入れていることを思うと、「夢はドリームではなくターゲットである」としみじみ思うのです。長さ10m、直径1m60cmのアラスカ産モミの木をくり抜いて丸木舟を造った切り株に会いにアラスカへ行きたいとか、双海町の夕日が朝日となって見える地球の裏側ブラジルリオデジャネイロへ行って朝日を見たいとか話しました。

煙会所にて
煙会所にて

 私が最近よく使う、進化論を唱えたチャールズ・ダウインの言葉に、「強いものが生き残るのではない、賢いものが生き残るのではない、順応したものが生き残る」というのがあります。歳をとって若干進化のスピードが落ちたものの、潜在能力を大きくしたり、潜在能力を顕在化させる営みこそ進化なのだと順応の必要性について多少力説しました。
 その後一行は人間牧場を視察した後、わが家の私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を見に立ち寄りました。妻も若嫁もあいにく留守でお茶も出さずに失礼な接待になってしまいました。何人かは家庭菜園の中にある甘夏柑畑に入って甘夏柑を珍しそうにちぎって楽しんでいたようですが、昨日のうちに島根県松江まで帰るとあって、早々に引き上げて行きました。

 かつて私も若い頃、南さんと同じように日本全国のまちや村へキーマンを訪ね、いろいろな教えを請うたものでした。その甲斐あっての今の自分がある訳ですから、特に若い人が煙会所や人間牧場の門を叩けば、許せる限り出会って面談し、持っているものはそんなにありませんが、請われるままにアドバイスをしてあげたいと思っています。それは自分の進化にとっても、また加齢による退化の速度を落とす意味からも大切なことだと思いました。そうそう今日も、若者が2人、来週の土曜日にも2人、私の元へやって来ます。私ももう少し進化をしなければ・・・・。

  「若者が 人間牧場 煙会所 門を叩いて 教えを請いに」

  「若い頃 私もまち村 キーマンを 訪ね旅した 懐かしき日々」

  「手土産に 出西生姜 持って来る 今日は菜園 植えねばならぬ」

  「高まりて わがふるさとに 恩返し 若いパワーを 少しいただく」

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人間牧場

〇何がどうなっているのか、とにかく忙しい

 「あなたの行動を見ていたらこっちまで目がまわりそう」と、昨日の夕方妻が私に言うとおり、確かにこの一週間だけを取ってみても、講演あり、梅の実の収穫あり、天草の晒しあり、来客ありと、まあ休む暇もないほどの忙しさです。最近は講演をほどほどにして、農作業や人と会うことに軸足を置いているため、田舎のオープンカーもフル回転で、妻に買ってもらった庇の大きな麦藁帽子を被って、いかにも田舎のおじさんって感じで働いています。お陰様で顔も首根っこも両手も、初夏の太陽に焼かれかなり日焼けが進んでいるようです。

 それもこれも今のところ体調が良く、食欲旺盛、睡眠(一日4時間)熟睡、20キロの梅の実の入ったキャリーも軽々とまではいきませんが難なく持ち上げ、朝晩のストレッチ体操のお陰で、腰痛も陰を潜めているのです。人間にとって体調がいいくらい幸せなことはありません。明くる日の予定を頭に入れ、朝の目覚めを楽しみに床に就く、そして夜明けを待たずに目覚めて起床し、ストレッチ体操やブログを書いて一日が始まるのです。何げないことですがこの何げないことの積み重ねと、何げないことへの感謝が、日々の暮らしを幸せだと実感させてくれるのです。

 今朝親父が5時ごろ、「雨がポロポロ降り出した」と声を掛けてくれました。急いで外に出て、干している天草を間一髪で雨に濡らさず取り込みました。降り出した雨が小降りだったので畑に出て、昨日の夕方ジャガイモを掘った後、耕運機を掛けていた畑に平鍬で畝を作り、そこへトウモロコシの種をまきました。トウモロコシは既に市中に出回っていて、「今頃?」と思われるかも知れませんが、今からでも結構間に合うのです。蒔いた種はこの恵みの雨で発芽が促されるものと思われます。
 朝食を取った後、収穫した梅の実を選別して水洗いし、梅干しと梅酒に加工する作業を妻と二人で始めます。これも根気のいる仕事ですが、一年に一度の作業なので心を込めて、失敗しないようにやりたいと思います。

  「何となく ただ何となく 忙しい だから元気で 病気にならず」

  「さあ今日も 元気で朝を 迎えたり いつもの通り やることいっぱい」

  「手と顔と 首筋辺り 日焼けして 会う人毎に お元気そうね」

  「小雨降り 人は休むが 私には 雨には雨の 仕事がありて」

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人間牧場

〇家をつくって子を失う

 10畳ほどの広さの私の書斎には、壁面一面を使って書棚を作っています。この書棚は半分が私のもの、半分は息子のもので、共用して使いっていますが、リタイアした私と現職の息子では、本の量もジャンルも違うため、水と油のように相容れない部分がるようです。建築設計の仕事をしている息子はいつの間にか本の量も増えて、私の領域まで侵し始めています。時々注意をするのですが馬耳東風とばかりに聞き流され、この分だと主の私はいつまで経っても、肩身の狭い気持ちで過ごさなければならないようです。
 最近パソコンを打つ手を休めてしばし物思いにふける時、息子の読んでいる本の幾つかに目を通しています。その中に「家をつくって子を失う」というショッキングな題名の本があり、興味を誘われてページをめくりました。息子はこの本に共鳴したのか、付箋をかなりの数挟み込んでいるようでしたが、著者の松田妙子さんという人の本心が知りたくて、前書きをざっと読ませてもらいました。

 著者が立派な家から出てきた半ズボンの子どもの姿を見て、ズボンの前のジッパーが開いたままになっているのに気付き、「僕、ズボンのジッパーが開いているよ」と注意をすると、何を思ったのかこの子どもは著者に対して、「この助べえ女」と一蹴したようです。こんな立派な家に住みながら、何故にこんな粗雑な言葉しか言えないのか、衝撃を受けた建築関係の仕事に携わる著者の物語はここから始まるのです。
 日本は戦後の混乱期から抜け出し、高度成長の追い風に乗って日本人の殆どが、自分の家を持ちました。それらの家は機密断熱工事が施され、空調施設も完備した夢のマイホームで、家族それぞれにプライバシーが守れる個室が用意され、特に子ども部屋はどの家にもあるのです。かつて障子やフスマの文化だった日本の家屋は、いつの間にかドアの文化に様変わりして、同じ屋根の下に住み親子だと言うのに、まるで孤独な人間のの集合体で、家族の穏やかな人間関係で育まれるはずの、家庭教育がなされぬまま子どもは成長しているのです。

 言われて見れば日本の子どもの教育、とりわけ家庭教育は誰からも束縛されることもなく、また指摘されぬまま放置され、子ども部屋の危険は今もなおざりにされたままになっているのです。
 私の住んでいる田舎では、古民家の立派なお屋敷があるのに子どもが都会に出て、年老いた親がひっそりと暮らしていたり、空き家になっているのをよく見かけますが、住む人のいない家は部屋の中に空気が停滞し、そのうち雨漏りし始め哀れな末路を辿るのです。
 わが家は貧乏はしていますが幸せなことに、いずれも長男である親父、私、息子、孫の四代が同一敷地内に住んで、それなりに幸せな日々を過ごしているため、「家をつくって子を失う」様なことはないと思いますが、息子のお陰でいい本に巡り合うことができました。これからも折に触れ息子の本から何かを学びたいと思っています。

  「半々の 書棚息子に 占拠され 行き場失う 私の書籍」

  「目に留まり 読んだ本には なるほどと 思うことあり さすが息子だ」

  「これからも 時々息子 いない間に 読んでやろうと 心に決める」

  「年齢に よって読む本 違うため 私の六感 くすぐり始め」

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人間牧場

〇94歳の軽業師

 昨日の朝五時頃、何を思ったのか親父が私の書斎の窓を外から叩くのです。窓を開けて聞き取りにくい親父の話を聞くと、「今日は天気がいいようなので庭木の剪定作業をするから、裏に収納している長い方の脚立を出して欲しい」と言うのです。書斎から見える中庭には親父がこの家を建てた時、山取りして植えた立派なクロガネモチの木が、枝葉をいっぱい茂らせていて、この木の剪定作業するらしいのですが、さすがに杖がないと歩くのもおぼつかない親父が、登って剪定するには多少無理があるようなので、「暇ができたらわしがするから」となだめましたが、いつもの通り私の言うことを聞かず、「脚立を出してくれ」の一点張りでした。仕方なく外に出て3メートル以上もある長い脚立を出してやりました。

クロガネモチの木の上に登った94歳の親父
クロガネモチの木の上に登った94歳の親父

 やがて親父は脚立を自分の思い通りに立て、脚立を使って器用に、クロガネモチの木の樹上付近まで上り、バリカンのような剪定バサミで剪定作業を始めました。下から見ていた私や家族は親父の確かな足取りと、手さばきに感心しきりでしたが、「危ないから気をつけて」とか、「落ちないように」という声かけしかできず、みんな朝の細々が忙しいのでそのうち周りからいなくなりました。
 私も食事の後、梅の実の収穫のため家を離れ、家族全員がそれぞれに出かけて昼間は結局親父だけになりました。夕方家に帰ってみると、あれ程枝葉を茂らせていたクロガネモチの木が、まるで散髪をしたようにきれいに剪定作業を終え、剪定クズもすっかり片付けられていました。

剪定の終ったクロガネモチ
剪定の終ったクロガネモチ

 今朝も昨日と同じように朝5時、私の書斎の窓を親父は叩きました。聞けば小さい方の脚立を広げて天草の晒し場として使っているので、その脚立をこちらへ運んで欲しいと言うのです。夜も白々明けたところでしたが、私は外に出て晒している天草をどかせて脚立をたたみ、親父の求めに応じて中庭へ運んでやりました。「庭木の剪定はもう今年が最後だ」と口癖のように言っている94歳の親父の言葉は、重く私にのしかかっていますが、この時期になると親父は自分の体の不自由も省みず、自然と手足が動くのか、今年も一生懸命剪定作業に精を出してくれています。介護をされてもおかしくない年齢ながら、家のために仕事までやってくれるとは、いやはや有難いことです。願わくば怪我などしないようにして欲しいと、今朝も「怪我をしないように」と声を掛けました。

 「モチノキのに 登って剪定 作業する ハラハラドキドキ 本人平気」

 「危ないぞ 言う私たち 手伝いも せずにそれぞれ 仕事に出かけ」

 「夕方に 帰ってみれば 剪定も 掃除も終わり          一件落着」

 「歳なんぼ? 聞いて驚く 軽業師 今年もやはり 親父の仕事」

 

 

 

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人間牧場

〇百姓ニュールック(その2)

 この二日間、人間牧場の梅林で梅の収穫をしています。今年の人間牧場の梅は大豊作で既に10箱200キロを収穫しましたが、このところ農作業が忙しくて収穫した梅は、まだ梅干用の塩漬けや梅酒用の砂糖漬けに加工していないので、週末にはそれらの作業をこなさなければなりません。只今天草の晒し作業も同時進行なので、朝から晩まで百姓と漁師になったような感じです。
 梅の取り入れは梅の木が老木なため、木に登らなければ収穫できないため、梅の木には棘がやたらと出ているので、体中に引っかき傷ができて、風呂上りには軟膏を塗って肌の手入れをする有様です。特に手首辺りには棘傷が集中するため、何か妙案はないか考え妻に相談しました。

カラフルな刃ながら模様の腕抜きにカラスもびっくり
カラフルな刃ながら模様の腕抜きにカラスもびっくり

 妻は自分の小物入れから、どこかでいただいた手負いと言うべきか、腕抜きと言うべきが分りませんが、花柄の可愛らしい物を見つけてくれました。「何が何でもそれはちょっと派手過ぎでは?」と私が言えば妻は、「畑での梅取り作業はカラスぐらいで、誰も見てないのだから派手でも大丈夫」と、使うよう強要されてしまいました。仕方なく腕抜きをはめて梅の実の収穫を始めましたが、これが何と100点満点の効果を発揮してくれ、お陰で昨日の梅の収穫は腕に関しては順調そのものでした。
 昨日は梅取り作業をしていると、何人かが人間牧場の見学に飛び込みでやって来ました。その都度作業を中断して対応しましたが、私のカラフルな腕抜き姿を見て、「中々格好いい」とみんなに大笑いをされてしまいました。

百姓ニュールックの私
百姓ニュールックの私

 昨日は好天だったため麦藁帽子を被って作業をし始めましたが、縁の大きい日よけ用の麦藁帽子は込み合った枝の下での作業には不向きで、結局使い慣れている野球帽子となったため、多少日焼けをしましたが、日焼けした顔は精かんに見えるらしく、会う人誰もが「お元気そうで」と言ってくれるのです。
 梅雨の晴れ間だけに農作業は急いでやらなければなりません。今日で弁当を持っての梅の収穫は終わりにしたいと思っていますが、はてさて思い通りに行くかどうか心配です。
 日中の戸外の気温は25度以上になり始め汗をかくようになったし、汗をかいた身体に縞模様の薮蚊がまとわり付き始めました。季節は今年も早くも68年目の夏模様です。

 

 

 

 

 

  「カラフルな 腕抜き妻に 勧められ 顔赤くして 畑で作業」

  「腕抜きの お陰で手首 傷もなく 梅取り作業 はかどりました」

  「急峻な 地形に加え 木が高く 海猿私 枝から枝へ」

  「農作業 足腰肩に 堪えます 遊びのつもり 少し荷重に」

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人間牧場

〇街中の移動塾を人間牧場で(その2)

かまどで作るマーマレード
かまどで作るマーマレード

 フキの佃煮が出来上がったところで、今度は甘夏柑を使ったマーマレードを作りました。マーマレードの作り方も色々ありますが、今回は妻に教えてもらった通り、甘夏柑の皮と実を使うため、内側の綿毛を包丁で丹念に削り取りました。それを5ミリ程度の短冊に切りましたが、男性人に加え私も魚をおろす要領で手助けしました。女性たちは実の皮を剥ぎ黄色い実だけにしてもらいました。
 まず短冊に切った皮を水に晒してから鍋に移し、予めはがまで沸かしておいた熱湯を加えフキと同じように二度茹ではえました。これで下準備は全て完了です。

フキの佃煮も上々の出来栄え
フキの佃煮も上々の出来栄え

 鍋に灰汁を取った皮を入れ、その上に女性たちが剥いた実の約半分を入れ、その上に砂糖を入れてご飯用の竹しゃもじで実をつぶしながら煮詰めて行きました。かまど小屋の中は、さっきまで煮汁の嫌な臭いだったのに一転、甘い柑橘系のにおいに包まれました。鍋の中では黄金色の実と皮がグツグツと音を立ててマーマレードに変身し、昼時だったため食欲をそそりました。
 マーマレードが煮詰まるまで、皆さんには梅の実を選別しながら1キロずつ計量して、一人3キロの梅の実を水荒らしした後、水分を飛ばしてそれぞれ持参の広口ビンに入れ、砂糖を2キロ強入れてもらいました。これで梅酒ならぬ梅シロップは出来上がりで、冷暗所に置いておくと秋には砂糖が梅のエキスを引き出し、美味しい梅シロップが出来上がるのです。

梅雨の晴れ間ののどかな一日でした
梅雨の晴れ間ののどかな一日でした

 皆さんには私が人間牧場で作って絞った梅酒を、5合ずつお裾分けすることにしていたので、参加者は様々なビンを用意していて、用意していた3本3升の梅シロップが空になってしまいました。フキの佃煮も甘夏柑のマーマレードも、それぞれの容器に収まり、参加者は手荷物一杯の手合いで満足気味な顔で山を下りて行きました。僅か3時間半ほどのまかないでしたが、移動塾の夏バージョンは、都合で2人の女性が不参加となったものの、予想以上の盛り上がりだったようです。
 秋9月は鱧の骨切りと鱧料理に挑戦する予定です。既に私の従兄弟で調理師の免許を持つ、下灘漁協の若松組合長に協力要請をしていて、快く受諾してもらっています。はてさてどんなドラマが待っていることでしょう。私も三ヵ月後が楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

  「甘夏柑 無消毒です ご安心 言いつ材料 細かく刻む」

  「気がつけば わが弁当は 人が食べ 腹が減ったと 終って気づく」

  「レシピなく 妻の様子を 見ただけで 調理実習 ちゃんと答を」

  「9月には 鱧の骨切り 鱧料理 私も楽しみ みんな楽しみ」

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人間牧場

〇情報源はネット配信

 昨日年輪塾ネットで双海地域事務所の松本さんが、日経新聞の記事を配信してくれました。最近は愛媛新聞しか読む機会がないので、朝日や毎日といった中央新聞の双海町に関するまちづくりの記事は、もっぱら松本さんに依存している状態です。松本さんはえひめ地域政策研究センターに3年間出向していたので、その間に新聞や雑誌のスクラップ能力が身につき、こうしてPDF処理をして配信してくれるのです。

松本さんから送られて来た日経新聞スクラップ
松本さんから送られて来た日経新聞スクラップ

 私たちがまちづくりをしていたほんのつい最近までは、情報流通は印刷物が主流を占めていました。今も新聞や雑誌といった印刷物はありますが、それをデジタル処理して配信したり保存する腕がなかったのです。私の部屋や倉庫にはこれまでスクラップした、おびただしい量の印刷物やVTRテープ類が無造作に段ボール箱に詰められて残っていますが、このままだと息子が私にいつも言うように紙ごみ・デジタルごみになりかねないのです。
 何年か前一緒にまちづくりをやった親友青木さんが亡くなった折、彼が長年撮り続けて残したスライドの活用について議論がありました。周防大島出身の民俗学者宮本常一は比、類を見ない全国を歩いて撮り続けた写真を残していますが、彼のような有名な人は別として、私たち庶民のささやかなスクラップや写真の数々は、やがてごみとして捨てられる運命にあるようです。

 退職したら元気な間にスクラップ類や写真類をデジタル化したいと思いつつ、既に退職して8年が経過しているのにまったく手をつけていないばかりか、この8年間で膨大なスクラップや写真が増えてしまったので、これはもう不可能だと内心諦めているのです。
 それでも最近は遅まきながら、また未熟ながらパソコンを操作して、それらのデジタル化に挑戦し、ブログに書いたり掲載したりしているのですが、これも焼け石に水・無駄な抵抗といった感じがするのです。昨日の新聞に増え続ける認知症若しくは認知症予備軍の記事が載っていて、国民の4人に1人が認知症のようです。近くに私と同じような年齢でも認知症の進んだ人を時々見かけるようになりました。忘れることは悲しいことばかりだけではなく、考えようによっては忘れることによって、本人は穏やかに生きれる部分もありますが、周りの温かい目配りや介護がなければ、穏やかな暮らしを担保できない厳しさもあり、老いと認知は大きな社会問題になりそうな気配です。

  「いながらに して届きたる スクラップ 記録に残し 少しコメント」

  「今もなお バトンを受けて まちづくり 活気と元気 嬉しく感謝」

  「周りには 私と同じ年齢で 認知進んだ 人を見かける」

  「ああ俺も 間もなく認知 仲間入り 家族迷惑 生きるは辛い」

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人間牧場

〇ゼロをテーマに思いつくまま

 一ヶ月ほど前、地域おこし協力隊の富田さんから口頭で、ほたる祭りの明くる日県外からお客さんが来るので午前中1時間ほどまちづくりについて話してくれませんか」と言われました。「どんな人が来るの?」と聞き返せば、小さな名刺ほどのメモ用紙を手渡されました。用紙には「ほたるまつりの翌日6月2日(日)AM研修、一国多制度推進ネットワーク、トミタ」と書かれていました。「どんな話をどの程度」と矢継ぎ早に質問しましたが、日時以外は会議の名前も来る人も10人程度とアバウトで、結局の見込めないまま予定表に書き込みました。前日ほたる祭りに孫たちと出かけた折、それらしき10人ほどの人に会いあいさつを交わしましたが、富田さんから「明日の朝9時に潮風ふれあいの館に泊まっているのでお願いします」だけで、結局は内容も分らず朝を迎えました。

P1030022P1030023 さて何を話せばいいのか、「まあいいか!!」と思い潮風ふれあいの館に出向き、昨晩遅くまでやったであろう交流会の名残を感じながら、研修室で10人ほどの前で一時間も、思いつくままお話をさせてもらいました。昨日の私の話のキーワードは「ゼロ」でした。ゼロから始めた双海町の夕日によるまちづくりの話や、私がゼロに戻った退職後の生き方、更には人間はゼロから始まり限りなくゼロに戻っていく人生について話をしました。日本人は積み重ねの好きな人種で、ゼロに戻る訓練ができていないようで、いつも過ぎ越し過去の上に胡坐をかき、急激な変化を望まないのです。しかしどこかで自分の考えや生き方をゼロに戻したりしないと、「何のために」という焦点がボケてマンネりになってしまうのです。私の話の後の2時間近くの議論討論もそのことが話題になりました。

 「行政はどういう立ち位置で住民と接しなければならないのか?」、とてもいい話でした。長年やっているからやる、補助金があるからやる、役所の職員が書いた原案で物事が進んで行く、世の中にはこうしたことに多少不満があっても、ゼロに戻す意見など言おうものなら、たちまち地域のバッシングに会ってしまうのです。絶滅したほたるを復活しようと始めたホタル保護活動も、環境問題への意識啓発のために始めたほたる祭りもいつの間にか、「何のために」という基本コンセプトが忘れがちとなり、行政の手厚い主演で進んでいくのです。行政が手を引けば、補助金を打ち切れば、たちまち潰れる田舎のイベントの実態を思えば、現在の勧め方も仕方がないことなのかも知れませんが、どこか気になるとみんなが話しました。
 今朝京都から参加していた方から、昨日の私の話に対するお礼のメールが届きました。束の間の出会いでしたが、こうして文明の利器を使って情報交流できることはとても嬉しいことです。早速お礼の返信をしようと思っていますが、世の中には私より一枚も二枚も上の人がいて、そういう人に出会っただけでも昨日の日曜日は、とてもハッピーな一日でした。富田さんありがとうございました。

  「お話を 頼まれ肌で 感じたこと 即興話す 一時間ほど」

  「人間は ゼロに始まり ゼロ目指す 六十定年 これもゼロなり」

  「リセットが できないようじゃ 進化せず ダラダラ生きて ダラダラ終る」

  「一枚も 二枚も上の 人に会う 昨日のサンデー ハッピーでした」

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人間牧場

〇心配の種は尽きない

 他人から見れば幸せそうに見えるわが家にも、心配の種は幾つもあります。その一つは何といっても今年の9月で95歳を迎える親父の老化です。若い頃鼻ガンを患い上顎を切除しているため、入れ歯の噛み具合が難しく、食べるのに人苦労なのです。食べ物は固い物や柔らか過ぎるものも駄目で、母が亡くなってからこの13年間、ずっと食事の世話をし続けてくれている妻には、相当な苦労をかけていますが、それ以上に本人が辛いだろうと思うものの、どうすることも出来ず、ただただ愚痴をこぼす親父の話しを、親身になって聞いてやる以外方法はないのです。
 先日親父の従兄弟の若松繁雄さんが79歳で亡くなりました。親族が亡くなると親父の気分の状態を見て話すようにしていますが、少し気分が良いようなので話すと、「いよいよわしの番かも」と直ぐに落胆してしまいました。

 昨日は一日中雨模様で、畑に出て身体を動かすことができないもどかしさもあって、いきなり私に「このままだとお前たちに迷惑をかけるから、施設へでも入れてくれ」と言うのです。この話は何も今日始まったわけではなく、体力の衰えを自分自身が感じ始めた4~5年前から時々言うようになりました。時々様子を見に々やって来る姉や妹にも言うそうですが、「施設へ入ったらもうこの家には戻れん」と諭すのですが、私たちの世話になることへのすまないという気持ちなのか、もっと世話をして欲しいと言うシグナルなのか、正直判断に迷うところで、最近は折に触れ隠居に顔を出して親父の話し相手になるよう心がけています。
 昨日はわが次男が帰省して親父の所へ挨拶に行くと、「わしはもう長くはない」と言ったそうで、「爺ちゃんは10年前から同じことを言う」と笑って話していました。

 もうひとつの妻の最大の悩みは、今年37歳になる次男と35歳になる三男の結婚のことです。男女交際が苦手だと思われた長女と長男はそれなりの人と、それなりに恋愛で結婚をしましたが、普通考えれば次男と三男の極楽とんぼとう条件からすれば、結婚は時間の問題と思っていたのに、何故かまだ良縁に恵まれないのです。妻はそのことが気になって、それとはなしに知人や友人に頼んでいるようですが、看護師と警察官という不規則な仕事柄、未だに良縁に恵まれないのです。結婚は年齢もあるので気を揉んでいますが、本人たちは「そのうちそのうち」と、まさに「親の心子知らず」といった手合いです。
 昨日は久しぶりに帰省した次男に、妻が色々と説教していたようです。「あんたはもう若くないのだから」「お父さんももう若くないのだから安心させて」などなど、私の年齢も引き合いの出しての説教でした。

  「心配の 種は尽きない いつの世も なるようにしか 世の中ならない」

  「交際が 下手と思った 長男が 結婚相手 自分で見つけ」

  「看護師や 警察官は 不規則な 仕事だからと 仕事のせいに」

  「親長寿 親も心配 するけれど 息子夫婦も 介護心配」

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人間牧場

 

〇伊予市のタウンミーティングに参加(その2)

伊予市のタウンミーティング
伊予市双海地区でのタウンミーティング

 今回伊予市のタウンミーティングのテーマは市役所庁舎と文化施設の建築問題でした。まず場所をどこにするかという入口議論が話題になりました。市長さんの話も出席者から出された意見ももっともな話です。市役所は伊予園用地や埋め立て用地も考えられますが、交通導線から考えれば現市役所用地がベターのようです。問題は文化施設ですが現中央公民館用地だと投資や様々な問題が多過ぎるような気がするのです。
 今伊予市が抱えている問題は、①市街地の活性化、②中山・双海の活性化、③8億円で買ったウエルピアの活性化、④文化で人を呼び込む活性化、⑤防災視点などが上げられますが、市役所庁舎と①市街地の活性化は今の計画でいいと思うのですが、中山・双海の活性化のためには、市役所をこれから進むであろう人口減少に対応し、計画人口を3万に程度に落とし、市役所機能を中央集中型から地域分散型にすれば②は自ずから解決できるような気がするのです。

 文化施設では③と④を結びつける方法が再浮上してきます。それは「伊予市は松山の衛星都市ではない」という市長さんの意見に賛成するからです。じゃあ伊予市が恒星(光星)としてどういう道を歩むのかという問題です。既に周辺の松山市や松前町や砥部町は光星の道をそれぞれ歩んでいます。ゆえにそれらの街の存在を広域的に意識して独自性を出さねば、少なくても文化面での生き残りは難しいような気がするのです。そのためには中央公民館用地では多いに問題があるような気がします。3階建ての立体駐車場への投資は少し無駄なような気がしています。もしこの地に作るのなら、かつての芝居小屋じゅらく座のような町家に相応しい木造の文化ホールにすれば、内子座に抜きん出たアイディアで、間違いなく日本に発信できる文化的オンリーワンのアイディアだと思うのは素人な私の考えです。
 多目的は無目的だと言われますが、現計画は多目的過ぎて無目的のような気もするのです。

 いずれにしても今まで計画作りに関わった、多くの人の汗と智恵も無にする訳にはいきません。⑤の防災視点も今日的テーマで多少費用がかさんでも勧めなければならないと思います。これだけの大きなプロジェクト事業なので、市長さん始めみんなそれぞれ悩むのは当然です。でも合併して8年が過ぎ、そろそろ「伊予市らしさ」というキーワードを見つけなければ、伊予市に未来はないのです。
 伊予市はいい街です。JRも伊予鉄もあり、平地あり、山あり海あり、県庁所在地にも近くて便利です。でもそれらの利を活かしきるアイディアと方法は、まだまだ未利用な部分が多いようです。「タウンミーティング」で始まった、新しい手法のまちづくりのために新市長さん頑張って下さい。大いに期待しています。勿論私たち市民もそれぞれの立場でまちづくりに持てる力を出したいと思っています。

  「新市長 熱弁ふるい 私たち 市民に参画 意義を強調」

  「合併を してから8年 経ったけど 未だ私にゃ らしさ分らぬ」

  「問題の 整理をしつつ あり過ぎる 中から選ぶ これは大変」

  「これからは 是々非々 言いつつ 参加参画」 

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