人間牧場

〇百足に刺されて救急車(その2)

 私が救急車に乗るのはこれが3回目です。1回目は指先を怪我して血が止まらなくなり、自宅から消防署出張所まで車で駆けつけ、伊予市の病院へ運んでもらいました。2回目は教育長時代裏山が台風の風雨で崩れ、その処理のためチェンソーを使って倒木の処理をしていて、チェンソーが跳ねてスネの下を切る大怪我をして県病院へ連れて行ってもらい、約2週間入院しました。前2回のことを考えれば、「まさか百足に刺されたくらいで」と、救急車を呼ぶのをためらいましたが、背に腹は替えられずお世話になりました。
 そんなことを意識朦朧の中で思いながら、救急車の中のベッドの上で寝かされ、車窓に流れる見覚えのある看板や樹木を見ながら、救急車は朝のラッシュの車の群れを縫うように走りました。

私の乗った同型の救急車
私の乗った同型の救急車

妻はあらかじめ、救急車に乗るときこの日の当直医院に指定されている日赤松山病院に、看護師としてたまたま勤めている息子に、手助けの電話をかけたようです。藁をもすがる気持ちだったのでしょうか、タイムリミットギリギリの8時25分に、日赤松山病院玄関先に到着しました。救急車の車のベッドから病院の移動式ベッドに移されて処置室の中へ入れられました。息子は準夜明けだったようで運よく在宅でしたが、私たちよりひと足早く病院に到着して、私の乗った救急車の来るのを待ってくれていました。
 救急隊員が病院の看護師さんに詳しく病状を引継ぎながら、とりあえず点滴と採血が行なわれ、2階の内科へ回されました。平日木曜日だと言うのに外来の患者さんも多く、私の順番は中々来ないと思っていましたが、急患ということもあっ診察置室に入り医師の診断を受けました。既往症や病気暦等を聞かれるままに答え、肩に大きな皮下注射を打たれステロイドというアレルギーを抑える薬を点滴管に差し込んで、処置室で30分ばかり流しました。

 その後全身に広がっていたジンマシンも少し収まり治まり、呼吸困難も解消されて診察の結果が良かったため、入院することもなく薬をいただいて帰宅することになりました。その間ずっと付き添ってくれていた看護師の息子にも、勿論一部始終の面倒をかけた妻にも大感謝です。
 息子が病院から自宅まで送ってくれましたが、安静にするようにと医師から言われていたので、爽やかな夏風が吹き込む居間に布団を敷いてもらい、午後は少しのんびりと身体を横たえました。その間うつらうつらしていると、枕元の携帯電話や自宅の電話の呼び出し音が鳴り、度々起こされてしまいました。
 そのうち保育園から母親に連れられて帰って来た2人の孫たちが、寝ている私の腫れた手を見て、「おじいちゃん痛かった?」「早く直ってね」と優しい声を掛けてくれ、元気が回復したような気分になりました。やはり同居とはいいものです。聞きつけた松山に住む孫尚樹からも見舞いの電話が入りました。

  「救急車 これで乗るのは 三回目 まさか百足で 救急車とは」

  「病院は 病気ならぬと 有難さ 分らぬものと 思いつ感謝」

  「看護師に なってる息子 付き添いて あれやこれやと これにも感謝」

  「今日だけは お前優しい これからも こんな優しさ 欲しいと妻に」 

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