〇「あらし山」の風の便りとともに清見タンゴールが届く
人間牧場で6年前に開塾した、年輪塾の塾頭を務める清水和繁さんから、昨日段ボールの宅配便が一箱届きました。宛名ラベルを剥がし開けて見ると、中から「あらし山」の風の便りというハガキサイズのメッセージが出てきました。
「父が病に倒れて九年目の春が来ました。作れなくなった所の樹を切り、植えた桜は満開の花を咲かせてくれ、父が遺してくれた園地は『あらし山』になりました。この園地で桜の咲く頃の清見タンゴールは我が家の宝物です。果実に白いコートを着せて厳しい冬を越させ果皮がデリケートでひと苦労ですが、毎年、桜の花が咲くのを楽しみにしています。」と書かれていました。
早速段ボールに詰まった清見タンゴールを取り出し、台所で半円八つ切りにして小皿に盛り、書斎の机の上に置いて手で皮を剥きながら食べました。清見タンゴールという洒落た名前の通り、この時期の果肉の味はトロピカルで、口中にたっぷりな果汁が充満して、他の雑柑とは違った味を存分に楽しみました。
三崎半島からは毎年、先端に位置する旧三崎町に住む親友塩崎満雄さんから清見タンゴールが、中ほど旧瀬戸町に住む親友緒方二三子さんから瀬戸金時というサツマイモ、また旧三崎町平磯に住む親友浅野農園からは、清見タンゴールジュースが時々届きますが、いずれも清水和繁さんと同じように作り手の苦労が偲ばれる贈り物だけに家族一同喜んで味わっているのです。
清水さんは農協マンですが、松山での暮らしが長く、仕事を続けながら土日には実家と農地のある八幡浜市日土に帰って、休日百姓をしています。二居住地移動生活といえば格好がいいように見えますが、勤務しながら先祖伝来の農地を守って農業をすることは、肉体的にも精神的にも軟いことではありません。それをこなしている清水さんは立派というほかはありませんが、さてその農地を次の世代に受け継げるかどうかとなると、これはもう別な次元の話となるのです。清水さんが風の便りにさりげなく書いている「あらし山」という言葉にその意味が隠されているように思うのです。
私の住んでいる地域も含めて、今農村ではかつてない危機に直面しています。戦後の厳しい時代を生き抜いた「宝の山」は、まさに「荒らし山」となりつつあるのです。
全国に聴こえた名だたるみかん産地、八幡浜でさえあらし山になるのですから、私たちの町のような名もないに等しい地域のみかん山などは、押して計るべきといったところで、担い手・作り手・跡継ぎ手のいなくなったみかん畑は荒れるにまかせ、3年もすればカズラと雑草に覆われてみるも無残な姿となり、イノシシの住処となるのです。今話題のTTP問題などよりはるかに重要で深刻な農村問題だと思うのですが、農民も農協も行政も見てみぬふりをして、あらし山を呆然と眺めているようです。
このままだと日本の農業・農村は一体どうなるのでしょうか。人事ながらわがことのように、心配の種は尽きぬと、清水さんから届いたあらし山の風の便りを詠みながら、美味しい清美タンゴールを食べました。
「この頃に なると宅配 あらし山 箱の中から 風の便りが」
「八つ切りの 果実皿盛り いただきぬ 果汁いっぱい トロピカル味」
「TTP よりも深刻 荒らし山 田舎イノシシ 住処になりて」
「国民が 毎日みかん 一個ずつ 食べてくれたら 消費上向く」