〇久しぶりの結婚式
昨日は既に他界している親父の弟の息子、つまり私の父方の従兄弟~結婚式の案内状が届き、夫婦揃って出かけました。私などは結婚式に出かけるといっても式服を着ればいい程度なので、別に緊張もせず準備もないのですが、妻は歳をとっても一応女性ですからそういう訳にも行かず、数日前から祝儀袋を準備したり、着て行く服をどれにしようか、随分迷っていたようです。「お前なんか見ている人は一人もおらん」と冗談を飛ばしていましたが、妻は一週間前こっそり美容院へ出かけて少し髪形を綺麗にしたようで、いつになく妻が綺麗に見えました(笑い)。いよいよ当日となるとゴールデンウィークで泊まりに来ていた娘家族の世話等の煩雑もあって、妻は朝から落ち着かないのかそわそわしていました。
結婚式は午後3時30分から、披露宴は午後4時30分からなので、会場となっている松山市梅津寺の迎賓館までは1時間30分もあれば十分着くだろうと逆算し、妻に「家を出るのは午後1時40分頃」と伝えていました。私は午前中岡山県から視察者が来るため午前9時にお客さんを案内して人間牧場界隈を見せ、11時には自宅へ帰りました。手持ち無沙汰なので、11時から草刈機を取り出して家の裏山の草を1時間ばかり刈りました。お陰で裏山はすっかり綺麗になりました。
これを見ていた妻は、私の行動が余りにも日常的過ぎるので「羨ましい」と舌を巻いていました。それというのも前日従兄弟から、結婚披露宴で一言挨拶をして欲しいと電話連絡があったのです。結婚する当事者の息子さんから届いた案内状を封を切り見ましたが、その中に「当日一言ご挨拶を」と書いたメモが入っていたようなのですが、私はそのメモを完全に見落としていたのです。普通の人であれば大騒動といったところでしょうが、私にはよくある話なので快く引き受け、即興での挨拶をしようと、新郎の名前と新婦の姓や名前だけを頭の中に入れて、何を思ったのかギノー味噌さんから一昨日いただいていた麦味噌300gの袋を手提げ袋に入れただけで出かけたのです。同行する妻は私が挨拶をすることも少し気になっていたようでしたが、アドリブで挨拶が出来る私を信じているようでした。
予定通り家を出て、予定通り梅津寺の会場へ到着しました、受付を済ませ新郎親族の控室でお茶を飲みながら時間を待ちました。やがてチャペルで式が始まりました。式場は海を見下ろす素敵なシチュエーションの高台にあって、式が始まり賛美歌が流れ始めると祭壇の後のカーテンが自動で開き、参列者から感嘆の声が聴こえました。いやはや驚きでした。
披露宴は新郎の勤めの関係で北海道帯広に新居を構えているため、前撮りができなかったのか、結婚披露宴にしては珍しく30分ばかり遅れてのスタートでした。その間会場では飲み物が振舞われみんな思い思いにビールやワインを飲んでいました。私たち夫婦の座ったテーブルは新郎の親父の友だちが占めていて、かなりハイペースでかなりのアルコールが消費され、盛り上がっていました。
私もかつては537組もの結婚式の司会をやり、仲人も10組ほどしていますし、親類縁者の結婚式にも数多く参列していますが、今時の結婚式は70人ほどのこじんまりした披露宴で、披露宴の流れも厳かな非日常でなく柔らかい雰囲気の日常的なものでした。
披露宴開始の時間が夕暮れ時だったため、披露宴がお開きになったのは3時間後の午後7時30分になり、帰宅したのは午後9時近くになっていました。私の主賓としてのあいさつもギノー味噌のお味噌を使い、五つの袋(月給袋・智恵袋・堪忍袋・子袋・胃袋)の話を入れながら、自分としてはアドリブながらまず
まずの出来栄えだったように思うのです。妻も少しだけ「良かった」と誉めてくれました。
新郎はわが長男息子と同級生で、今年の12月には40歳になるという晩婚だけに、両親の喜びの姿がとても印象的でした。帰宅途中「お父さん、わが家もまだ2人の息子が未婚なので気がかりねえ」と、幾つになっても心配の種の尽きない親心を覗かせていました。
「久方に 夫婦揃って 披露宴 今風流れ 驚きながら」
「わが息子 二人未婚と 嘆く妻 いつまで経っても 親の悩みは」
「同席の 人たち元気 ウコン飲み 酒量相当 羨ましいなあ」
「アドリブで 挨拶やった ギノー味噌 ここで一役 社長に報告」