人間牧場

 〇10個に増えた蜜蜂巣箱

 蜜蜂の師匠井上登さんのご指導とご協力で、今年も遅ればせながら蜜蝋塗りと、キンリョウヘン設置を終えました。今年は空いた巣箱を入りそうな場所へ少し移動したため、ハテさてどうなるか心

配していますが、数えてみると巣箱は人間牧場に6個、家の裏山に4個と、何と何とこの5年間で合計10個にもなっているのです。先日蜜蜂が冬越した巣箱の底板をヘラで掃除をしていて、ゴム手袋の隙間から入りこんだ蜜蜂に右手の平を刺されてしまいました。早速アロエの葉っぱをちぎって塗りこんだお陰で、大事には至りませんでしたが、今年最初の難儀で、今年の養蜂もかなりの苦労するだろうと予想をしました。

人間牧場巣箱1号
人間牧場巣箱1号
巣箱2号
巣箱2号
巣箱3号
巣箱3号

 この時期は人間牧場も裏山も、一番草を刈る作業が既に始まっていますが、その都度楽しみで巣箱の観察を続けています。私の昨年までの卓上カレンダーの日々のスケジュール末尾に、「人間牧場草刈り」「インゲン種蒔き」などと農作業メモを簡単に書いていますが、この5年間の卓上カレンダーを見てみる

巣箱4号
巣箱4号

と、どうやら巣箱への蜜蜂の入居は、連休あたりに集中しているようなのです。最近は蜜蝋塗りとキンリョウヘン設置を一緒にしえてもらっているので、この時期に集中したのかも知れません。今年は冬の寒さが厳しく、4月に入ってからも肌寒い日が続いて、蜜蜂の活動が今一活発になりませんでした。ところがこの三連休には肌着一枚違うほど気温が上がり、各地から夏日観測の話題が届くようになり、蜜蜂の活動が一気に加速し始めました。

巣箱5号
巣箱5号
巣箱6号
巣箱6号

 連休初日に広島県府中町から、人間牧場へ視察にやって来た人を案内した折、巣箱2号の入口に蜂球(蜂が分蜂して丸くなる現象)を発見、視察の人に悪いと思いましたが、防虫ネットを被りゴム手袋をして蜂玉を巣箱の中に入れる作業をしました。お陰様で何とか巣箱の中へ入ったようです。
  昨日の時点で人間牧場1号巣箱(昨年秋から入居して越冬)、巣箱2号(4月27日入居)、巣箱3号(4月27日入居)、巣箱4号(昨年秋から入居して越冬)、巣箱5合(4月27日入居)、巣箱6号(今のところ空き家)、裏山巣箱7号(昨年秋から入居して越冬)、巣箱8号(今のところ空き家)、巣箱9号(昨年秋から入居して越冬)、巣箱10号(4月27日入居)と、8箱入居、2箱空き家となっていますが、連休の陽気で空き家の解消を期待しているところです。今年も蜂蜜の収穫を大いに期待したいものです。

 

裏山巣箱7号
裏山巣箱7号
巣箱8号
巣箱8号

  「気がつけば 蜜蜂巣箱 10になる 今年も期待 蜂蜜収穫」

  「温かく なりて蜜蜂 活発に 既に八箱 入居確認」

  「どの箱も 違う集団 女王蜂 箱の中では 壮絶営み」

  「朝食に 蜂蜜かけて パンを食べ 蜂の苦労を 偲びながらも」

巣箱9号
巣箱9号
巣箱10号
巣箱10号

 

 

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人間牧場

〇久しぶりの結婚式

 昨日は既に他界している親父の弟の息子、つまり私の父方の従兄弟~結婚式の案内状が届き、夫婦揃って出かけました。私などは結婚式に出かけるといっても式服を着ればいい程度なので、別に緊張もせず準備もないのですが、妻は歳をとっても一応女性ですからそういう訳にも行かず、数日前から祝儀袋を準備したり、着て行く服をどれにしようか、随分迷っていたようです。「お前なんか見ている人は一人もおらん」と冗談を飛ばしていましたが、妻は一週間前こっそり美容院へ出かけて少し髪形を綺麗にしたようで、いつになく妻が綺麗に見えました(笑い)。いよいよ当日となるとゴールデンウィークで泊まりに来ていた娘家族の世話等の煩雑もあって、妻は朝から落ち着かないのかそわそわしていました。
 結婚式は午後3時30分から、披露宴は午後4時30分からなので、会場となっている松山市梅津寺の迎賓館までは1時間30分もあれば十分着くだろうと逆算し、妻に「家を出るのは午後1時40分頃」と伝えていました。私は午前中岡山県から視察者が来るため午前9時にお客さんを案内して人間牧場界隈を見せ、11時には自宅へ帰りました。手持ち無沙汰なので、11時から草刈機を取り出して家の裏山の草を1時間ばかり刈りました。お陰で裏山はすっかり綺麗になりました。

 これを見ていた妻は、私の行動が余りにも日常的過ぎるので「羨ましい」と舌を巻いていました。それというのも前日従兄弟から、結婚披露宴で一言挨拶をして欲しいと電話連絡があったのです。結婚する当事者の息子さんから届いた案内状を封を切り見ましたが、その中に「当日一言ご挨拶を」と書いたメモが入っていたようなのですが、私はそのメモを完全に見落としていたのです。普通の人であれば大騒動といったところでしょうが、私にはよくある話なので快く引き受け、即興での挨拶をしようと、新郎の名前と新婦の姓や名前だけを頭の中に入れて、何を思ったのかギノー味噌さんから一昨日いただいていた麦味噌300gの袋を手提げ袋に入れただけで出かけたのです。同行する妻は私が挨拶をすることも少し気になっていたようでしたが、アドリブで挨拶が出来る私を信じているようでした。

 予定通り家を出て、予定通り梅津寺の会場へ到着しました、受付を済ませ新郎親族の控室でお茶を飲みながら時間を待ちました。やがてチャペルで式が始まりました。式場は海を見下ろす素敵なシチュエーションの高台にあって、式が始まり賛美歌が流れ始めると祭壇の後のカーテンが自動で開き、参列者から感嘆の声が聴こえました。いやはや驚きでした。
 披露宴は新郎の勤めの関係で北海道帯広に新居を構えているため、前撮りができなかったのか、結婚披露宴にしては珍しく30分ばかり遅れてのスタートでした。その間会場では飲み物が振舞われみんな思い思いにビールやワインを飲んでいました。私たち夫婦の座ったテーブルは新郎の親父の友だちが占めていて、かなりハイペースでかなりのアルコールが消費され、盛り上がっていました。
 私もかつては537組もの結婚式の司会をやり、仲人も10組ほどしていますし、親類縁者の結婚式にも数多く参列していますが、今時の結婚式は70人ほどのこじんまりした披露宴で、披露宴の流れも厳かな非日常でなく柔らかい雰囲気の日常的なものでした。

結婚式場
結婚式場
愛を誓う新郎新婦
愛を誓う新郎新婦
披露宴
披露宴

 披露宴開始の時間が夕暮れ時だったため、披露宴がお開きになったのは3時間後の午後7時30分になり、帰宅したのは午後9時近くになっていました。私の主賓としてのあいさつもギノー味噌のお味噌を使い、五つの袋(月給袋・智恵袋・堪忍袋・子袋・胃袋)の話を入れながら、自分としてはアドリブながらまず

中庭プール際での風船飛ばし
中庭プール際での風船飛ばし
お開きの挨拶
お開きの挨拶

まずの出来栄えだったように思うのです。妻も少しだけ「良かった」と誉めてくれました。
 新郎はわが長男息子と同級生で、今年の12月には40歳になるという晩婚だけに、両親の喜びの姿がとても印象的でした。帰宅途中「お父さん、わが家もまだ2人の息子が未婚なので気がかりねえ」と、幾つになっても心配の種の尽きない親心を覗かせていました。

  「久方に 夫婦揃って 披露宴 今風流れ 驚きながら」

  「わが息子 二人未婚と 嘆く妻 いつまで経っても 親の悩みは」

  「同席の 人たち元気 ウコン飲み 酒量相当 羨ましいなあ」

  「アドリブで 挨拶やった ギノー味噌 ここで一役 社長に報告」

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人間牧場

〇ギノー味噌株式会社創業60周年記念式典(その2)

 式典は2部構成でした。午前10時から始まった第1部は田中正志社長のあいさつでした。日ごろはお互い色々な四方山話をしているのですが、社長の話をじっくり聞くのはこれが初めてのような気がするのです。社長は話がお上手なので自分自身の生き方、自分と会社の関係、自分と会長の関係、自分を育ててくれた人との関係、未来戦略等を「人生の6つの節目」と題して30分ばかり思いのたけを話されました。
 社長は子どものころどもりの癖があったそうです。その克服が自分との戦いの始まりだったようで、流暢なレクチャーからは想像もつかないだけに相当努力したようで、そのひた向きさが社長の人生観の基底にあると思いました。

挨拶に立った田中正志社長さん
挨拶に立った田中正志社長さん

 社長を子どものころから後継者といい続けて厳しく育てた創業者会長との確執も、見逃す訳には行きません。愛情と理性は親子にとって時には相反するものとなるものです。幾度もあった反抗期や親に対する多くの反感・反目を、乗り越えたからこそ、今の会長への思慕があるものと、その親子の苦労を垣間見るのです。
 味噌に雑菌が入り酸っぱくなる挫折で会社の危機にも直面したし、味噌の会社がドレッシングまで手掛ける総合食品メーカーに成長するプロセスも、新旧の壮絶なバトルがあったものと推察されますが、持ち前のパワフルな行動力とアイディアでそれらを乗り越え、今日の繁栄を築かれた親子や社員の努力は、まさに60周年還暦に相応しいドラマのようでした。

 私とギノー味噌との関係は突然やって来ました。もう昔のことなので定かではありませんが、風呂の好きな私が元気人村で風呂にに入っていると、会長さんを連れて温泉を楽しむ社長に出会いました。会長さんの顔も社長さんも顔を知っていたし、社長の奥さんが丸山町長さんの娘さんであることも知っていたので、サウナの中で急速に大接近し、色々なことを話しました。まさに裸の付き合いが始まったのです。その後ドレッシングの開発や販売の相談に乗るようになり、何度も作戦会議を繰り返しました。社長はまるでメモ魔で、人の話を聞いたら必ずメモを取るのです。私のようなものの話にも熱心に耳を傾け沢山のメモを取っていたようですが、私の話など役に立ったかどうかは分かりませんが、社長はこの日の挨拶で私のことも話していただき、恐縮してしまいました。

 私はある時社長にお願いし、私の名刺の裏にギノー味噌の広告を出してはどうかと提案しました。勿論名刺の印刷代は会社で持って欲しいと、虫のいいことを話したところ、すんなりOKが出ました。私は親友で年輪塾塾頭の清水さんに相談してデザインを起こしてもらい、今治の村上太さんに印刷を頼み、かくして予にも珍しい「裏が味噌」という、人を食っようなた名刺が出来上がり、以来今日まで毎年約10箱千枚の名刺を全国講演行脚の徒然に、地域づくりの現場で配り続けているのです。最近は社長に100gの伊予の麦味噌パックを作ってもらい、講演先で名刺とともに参加者に配るという荒業まで登場して、私の巷ではギノー味噌を知らない人はないほどのPR効果を産んでいます。これは商売の鉄則である「損をして得を取る」作戦なのです。ギノー味噌はいまや私の手の届くような会社ではなく、コマーシャルも沢山流すほどの大きな会社ですが、ささやかな草の根の名刺と、100g味噌を使った作戦もまた、大きな効果を産んでいるものと確信しています。(この続きその3は、明日の朝のアメーバブログ「shin-1さんの日記」で紹介します。お楽しみに・・・・)

  「60年 会社還暦 凄いなあ 社長の話 時々涙」

  「裏が味噌 名刺に加え 味噌パック 携え全国 草の根行脚」

  「もし町長 生きていたなら 今日の日を 喜ぶだろうと 在りし日の顔」

  「末席を 汚したゆえに 少しだけ 恩を返して 役立つ決意」

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人間牧場

〇玄関先の雨漏り

 一昨日の朝仕事に出かける前に息子が、玄関先の天井が濡れているのを目敏く見つけ、「お父さん雨漏りがしている!」と書斎へ私も呼びに来ました。息子に促されて玄関先の天井を見ると、まるで孫が布団に寝小便したように濡れていました。明らかに雨漏りです。前日の雨は春の雨としては、かなり激しかったので雨漏りしたようですが、原因を調べて直さなければなるまいと、近所に住む佐官業を営む従兄弟の家に出かけました。あいにく仕事に出かけて留守だったので、奥さんにそのことを伝え、見に来てもらうように頼みました。

屋根の上で応急修理をする従兄弟の左官さん
屋根の上で応急修理をする従兄弟の左官さん

 昨日の夕方仕事から帰ったという従兄弟は、軽四トラックに梯子や七つ道具を積んでやって来ました。梯子をかけて玄関先の屋根に上がりあちこと見ていましたが、やがて瓦と瓦の谷になっているところにある銅版が腐食して穴がいていることを見つけたようで、とりあえず応急処置のためガムテープやコーティング材を持って再び屋根に上がりました。「ガムテープで雨漏りの応急処置ができるの?」と問いかければ、これが一番とばかりに自信を持った答えが返ってきました。いやはや驚きでしたが屋根の草を抜いたり、もう一方の谷の銅版にも穴が見つかったので補修したと、20分ほどで作業を終わり降りてきました。

 左官さんの言うのには、この家も新築して早40年が経っているので、銅版が腐食しているのは当然だとのことでした。銅版を替えるには屋根をはぎ、痛んだ瓦を替えなければならないので、仕事の段取りが終るまで、本格的な修理はお預けのようでしたが、いやはやまた出費かと諦めながら、少し落胆してしまいました。
 記憶によるとわが家を新築したのは、今から37年前の昭和51年でした。その頃は私も親父も元気で、わが家には家を新築する活気がみなぎっていました。あれから37年はあっという間だったような気もしますが、37年の時の流れは家の屋根と同じようにいつの間にか、私や親父も劣化し、元気を奪っているようでした。

 一昨年息子たちが同居するため、家は一大リフォーム工事をしました。その折玄関先のリフォームだけは費用の関係で先延ばしにしていたのですが、雨漏りの修理と合わせてこの際玄関の工事もしなければならないことを、わが家の大蔵大臣である妻に告げると、年金暮らしの故なのか、少し憂鬱になったと漏らしていました。家を風雪に耐えて守るということは容易ではありません。税金や高熱水費は勿論のこと、こうして突発的な破損が起こると、ただでさえ少ない預金は更に目減りして、将来への不安が募るのです。「まあ何とかなるでしょう」と、踏ん切りの言葉を返してくれた妻のみが頼りです。息子等「お父さん、雨漏りがしている」と言うだけで、何にもしないのですから安気なものです。

  「雨漏りが してると息子 呼びに来る まるで小便 しているように」

  「四十年 経てばあちこち 老朽化 私と親父 同じ憂き目に」

  「雨漏りを 見つけた息子 威張ってる 金を出すのは 親父ですから」

  「また出費 年金暮らしの 老夫婦 憂鬱なりて 天井見上げ」

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人間牧場

 

書棚の前で話す私
書棚の前で話す私(その後書棚は本で一杯になりました)

〇本に囲まれた知的空間の中で

 人間牧場の壁面に備え付けの大きな書棚があります。人間牧場を造る構想を練っていた頃、自分の書斎の蔵書を人間牧場へ移動することを考えました。それというのも35年間の役場での仕事の合間を見つけて買ったり貰ったりした多くの本に、埋もれるように日々を暮らし、手狭になっていたし、妻から本の整理を再三再四注意されていたこともあって、一度ゼロに戻したいとの思いもあったのです。水平線の家の設計を頼んだ長男息子と、新築工事を頼んだ大工さんに相談し、3間もある長い4段の書棚を作ることにしたのです。かくして集成材の広い板で書棚は目論見通り出来上がりました。さあ本類の大移動です。暇を見つけてみかん収穫用のキャリーに本を無造作に入れ、軽四トラックに積んで何回か家と人間牧場を往復し何とか運び終えました。本をキャリーに入れる度、本を書棚に並べる度に手にとって、手に入れたり読んだ日々が懐かしく、中々仕事ははかどりませんでしたが、やっとの思いでそれなりに片付けることができました。

 可笑しいもので、それまでただだだっ広いだけだった水平線の家は、片方の壁面書棚に本が並んだだけで、すっかり知的空間に生まれ変わったのです。以来重要な本以外は読めばまとめて水平線の家へ運ぶように心がけているため、書斎の私の書棚はすっかり片付き、逆に最近は息子の蔵書が私の書棚を横取りされているようです。私が人間牧場の中心施設として水平線の家を思いついたのは、前面北側に張り出したウッドデッキに背もたれ椅子を運び、その背もたれ椅子に寝転んで風のささやきや小鳥の鳴き声を聞きながら、本を読んだり寝転んで昼寝を貪りたいという思いもあってのことなのです。今は忙し過ぎてその夢は必ずしも実現してはいませんが、時々人間牧場へ出かけて農作業をした後、休憩を兼ねてその夢を味わっているのです。
 書棚に収まっている本の中には、読み始めたのに途中で止めていたものや、読んだ記憶が薄れているものも沢山あって再読をしていますが、歳ゆえの曖昧な記憶ゆえ、再読は死ぬまで続くものと思われます。

 水平線の家の北側は、自慢の観音開きの大きな窓がありますが、窓ガラスにUVカットの加工をしていないため、紫外線が入って直接陽は当たらないものの、天然紫外線の影響で本は日焼けして、変色しているものも多いようです。まあ変色しても文字が消えるほどではないので、私の寿命であるあと20年くらい読めればいいので、気にすることもなく、カーテン類を取り付けずに放置しているのです。
 そんな書棚の中から「決断の時」という一冊の本を見つけました。非売品なので誰かからプレゼントされたものと思われますが、「決断を迫られた時に読む本」というリード文に誘われて速読をしました。有名な人のショートな言葉が座右の銘的に沢山か書かれていました。何の変哲もない退職後の余生を生きている私のような人間でも、毎日多かれ少なかれ決断をして生きています。在職中のような胃が痛くなるほどの大きな決断はありませんが、それでも「はてどっちの道を行こうか?」とか、「何をしようか?」と迷っている時、おおいに参考になる言葉が沢山載っていました。
 本の最後のページに「面白いな。どこに座っているかによって、物事は見え方が違うからな。」、これはボーン・アルティメイタムという映画に出てくるCIA幹部ノア・ヴォーゼンの言葉だそうです。同じ事柄でも、どこから見るかによって異なってきますが、そのことには中々気がつかないものです。建国200年のアメリカで見た、世界地図の真ん中に日本のない世界地図」のことを思い出しました。

  「凡人を 自認の私 牧場の 知的空間 それなり学ぶ」

  「読んだはず だけど忘れて 再読を 新し発見 またまた一つ」

  「書棚には 私のブログ 殆どを プリントアウトし 一角占める」

  「いつの間に 書斎の周り 本だらけ 草々移動 せねばなるまい」

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人間牧場

〇松前北公民館へ出かけました

 昨日の夕方、松前町北公民館へ講演に招かれ出かけました。私への講演依頼は私のホームページを見て縁も所縁もないのにメールで打診されたり、私の話を聞いた人からの口コミだったりしますが、圧倒的に多いのは仲間の紹介や依頼が多いようです。昨夕の北公民館は3年前までわが町の翠小学校の校長先生をしていた和田由美子先生が退職後、北公民館の館長に就任したため、あれやこれやのご縁でもう3回もお招きを受けているのです。元学校の先生だったり役所の職員だった人の中にはこうして和田先生のように、第2の人生を地域に貢献している人もいますが、まるで過去のことを忘れたように、何もしないばかりか現職の頃に頭を下げ続けた腹いせのように、クレーマーになり下がっている人もいるようです。

 和田先生はまるで宝塚のスターを思わせるような風貌の人ですが、やることなすこと全て男性には負けないパワフルさで、北公民館エリアに住む人たち誰に聞いても、高感度を持たれていて、退職後も何かとご縁を保ち、わが町の子ども体験塾のスタッフにも名前を連ね、昨年人間牧場で開かれた収穫祭には、水本先生を誘って参加、大いに活躍をしてくれたのです。
 昨日は北公民館の平成25年度最初の分館役員・愛護部役員研修会に80人近くの人が集まっていました。演題を「地域づくりの新しい風」としていましたが、役員研修ということもあって、公民館で手に入れたい5つの道具についてまず話しました。これはかつて私が青年団で手に入れた①仲間、②ふるさと、③主張、④感動心、⑤夢という5つの道具です。この5つは今も私の大きな心の財産であり、場と機会という砥石で研き続け使っているのです。

講演が終わってホッと一息の研修会場
講演が終わってホッと一息の研修会場

 公民館に人が集まる理由は、①幸せになりたい、②お金持ちになりたい、③健康で長生きがしたい、④望みを叶えたいという概ね4つで、もし公民館でその願望が叶うのであれば人は集まって来るのです。結局公民館は自分探しや、自分らしく生きたいと願う人たちへのプレゼントコーナーなのです。自分の潜在能力を膨らませ、潜在能力を顕在化する学習こそ公民館の命だともお話をしました。
 夜7時30分から1時間の講演途中、話が佳境に入った頃、突然講演を中断するハプニングに見舞われました。公民館の研修会に参加している人たちの駐車した車が、中学校体育館でスポーツをする人たちの道をふさいでいるので、どけて欲しいとの会場放送のためでした。止めるか中断して待つか、そのまま続けるか迷いましたが、時間の制約もあって、20時30分の閉会時間だけは守らねばという思いから、続行させてもらいましたが、少し後味が残りました。

 ふと何年か前、ある山村の高齢者大学に呼ばれた折、講演途中に会場の中ほどから水戸黄門のテーマソングが流れ始めました。あるおばあちゃんの巾着の中に入れていた、携帯電話の着信音でした。会場の目と耳は私から離れ、携帯音に集中しざわつきました。こんなハプニングは今ま、で経験していなかったので驚きましたが、それを元に戻す術を心得ている百戦錬磨の私は、電磁波の話にすり替え、「ポケットに携帯電話を入れていたら、電磁波が精子や卵子に悪さをして、奇形児ができるといわれていますが、今日お集まりの人には何ら関係のない話です」と爆笑を誘い、いつになく盛り上がった講演会での出来事を思い出しました。
 人は人によりて人となります。和田先生との出会いはこれからも続くことでしょうが、次に会うまでにもっともっと進化しておかねばと思いました。それは講演に先立った私の紹介で和田先生は、「若松さんはいつ寝るのでしょう?」「若松さんの発想はどこから生まれるのでしょう?」「若松さんの脳の中を何色なのでしょう?」という3つの問いかけでした。答えは後ほど・・・・・。

  「講演が 佳境に入った 突然に 中断されて 多少戸惑う」

  「ハプニング よくあることと 心する 乗り越える術 これも実力」

  「朝四時に 起きて寝るのは 十二時と 毎日四時間 これで十分」

  「人に会い 人に教えて もらいつつ 六十八年 何とかここまで」

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人間牧場

〇蕗の収穫

 人間牧場に春がやって来ました。今年は少し早目に草を刈ろうとか、バックヤードである倉庫や作業小屋を綺麗に片付けようとか、色々策を巡らせているため、いつもの年より少し早目に草刈りやバックヤードの整理整頓の作業手順が進んでいることに、少しだけ安堵している今日この頃です。
 一昨日は蜜蜂の師匠である井上登さんのご指導で、蜜蜂の巣箱に蜜蝋を塗ったりキンリョウヘンを取り付ける作業をしましたが、昨年秋台風で下の道まで転げ落ちながら、不運にもめげず蜜蜂が冬越した、重箱型巣箱の下に2箱追加した巣箱が、大きなコンクリート製の重石を乗せているため仮分数になっていて、また転げる危険性があると指摘を受けていたので、火バサミを再利用した杭を打ち込み、ビニール紐で地面に固定しようと出かけました。

 昨日は前日からの寒さも少し和らいでいたため、単車を倉庫から出して単車に乗り、人間牧場まで走りました。吹きぬける風はまだ寒かったものの、気持ちのいいツーリングを楽しみました。蜜蝋とキンリョウヘンの効果はまだ出ていませんが、そのうちゴールデンウィークころには温かくなって、分蜂してくれるものと、前日蜜蜂に刺されて少し腫れ上がった右手の平を撫でながら思いました。
 巣箱固定の作業を終え、梅の実の付き具合を見るため梅園へ下りて行きました。植えて3年目の若木には沢山の梅の実が付いていて、今年も梅の収穫が期待できそうですが、古い樹はそろそろ寿命かなと思い、いつかの時期に植え替えを決断しなければならないようです。

収穫した蕗
収穫した蕗

 まだ一番草を刈っていない一番下の梅畑には、草に埋もれて蕗が沢山生えていました。草刈機で刈るのも勿体ないと思い、蕗を収穫することにしました。今時の蕗は柔らかくて煮炊きをしたり佃煮にすると美味しいので、早速剪定バサミで収穫を始めました。1時間ほどで少し大きめの束を7束収穫しました。単車の後に採った蕗を荷造りし、シーサイド公園のじゃこ天のお店へ2束、姉の家へ1束とお裾分けしながら帰り、残った2束は生活改善グループの県の会長さんである小西さんに、まちづくり学校双海人に参加した折、持参して差し上げました。
 さて残った2束は今日にでも手袋をして、灰汁が手につかないよう注意しながら、皮をはいで妻に佃煮にしてもらおうと思っています。やはり歳のせいでしょうか、蕗やツワブキ、ゼンマイ、ワラビ、筍、ウド、タラなどの灰汁強いものが口に合うようになってきました。灰汁強いものはガンになるから食べない方がいいと言われていますが、この時期の山菜は季節を感じる旬の食べ物として、ガンになる危険性など無視して存分に楽しみたいものです。

  「単車にて 寒さ堪えて ツーリング いやはや爽快 春を満喫」

  「蜂巣箱 風でひっくり 返らぬよう 杭打ち止めて これで万全」

  「歳だねねえ 苦味あるもの 好きになる 山菜今が 旬とばかりに」

  「蕗取りて あちらこちらに お裾分け これも大事な 付き合い仕方」 

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人間牧場

〇蜜蜂のシーズン明け

 野山の新緑も日増しに濃くなって、春本番だというのにこのところは時ならぬ寒波が南下して、朝の最低気温が10度を下回る日が続いています。終いかけた薄手のダウンをもう一度引っ張り出して上に羽織らねば、風邪を引きそうな感じがして、少し恥ずかしい気もしますが冬支度を続けています。
 この異常とも思える気温は芽が動き出した植物や、動き回り始めた動物にも影響が出て、お茶や煙草を栽培する農家の人は気が気ではないようです。かく言う私もほんの遊び程度ですが、家の横の家庭菜園に植えた苗物や、種を蒔いた野菜の芽出しが心配で、用もないのに畑に出て土の表面を観察する回数がいつになく多いようです。

順調な冬を越した巣箱1号の中
順調な冬を越した巣箱1号の中

 私は人間牧場と裏山で蜜蜂を飼っています。もう5年になりますが、最初は一箱から始めた巣箱も一つ二つとその数を年々増やし、去年は8つとなりました。お陰様で昨年は巷の養蜂家たちは不作だったというのに、10升の大豊作で新記録を樹立したのです。
 去年から冬越しをしている種蜂が人間牧場2箱、家の裏山に2箱あるので、今年こそはと意気込んでいますが、前述のようなこのところの天候不順で、気温に敏感な蜂たちももろに影響を受け、4月も下旬だというのに活発な動きには至らず少々心配をしているところです。

巣箱設置作業をする井上さん
巣箱設置作業をする井上さん

 それでも遅まきながら分蜂の準備をしようと思い、蜜蜂のお師匠さんである野村町山奥組の井上登さんに電話を入れ、蜜蝋塗りとキンリョウヘンの協力を要請しました。2~3日前早速井上さんからメールが入り、22日の午前中に蜜蝋とキンリョウヘンを持参して、作業をする旨の連絡が入りました。昨日は前日の北東の風も治まり雲ひとつない好天に恵まれました。軽四トラックで待ち合わせ場所の人間牧場へ9時に到着し、約束の10時までツリーハウス周辺の先日刈り残した草を段取りよく刈り終ったところへ、井上さんは約束どおり来てくれました。早速空き部屋となっている四つの巣箱を集め、作業小屋の前の日当たりの良い場所で、二人で巣箱掃除と蜜蝋塗りをやり、それぞれの場所に設置しました。

 去年から冬越しをした2つの巣箱の下板掃除をしながら観察をしましたが、昨年の晩秋に大風で下の道に転げ落ちた重箱型の巣箱は、心配を余所に営巣の状態は順調で、下に2つ重箱を継ぎ足しました。この時期のミツバチは気が荒く、被った防虫ネットめがけて何匹かの蜜蜂が攻撃を仕掛けてきましたが、刺されることもなく作業を終え、わが家まで戻って残り2つの空き家を同じように掃除し蜜蝋を塗ってキンリョウヘンを括り付けました。ところがその作業中にゴム手袋の入口から進入した一匹の蜜蜂が手の平にチクリ一刺ししてしまいました。慌てて手袋を脱ぎ棘を抜きましたが時既に遅く、少し痛みが走りました。家の庭に置いている鉢植えのアロエの葉っぱをちぎって塗りつけたお陰で、大して腫れることもなかったようで、まずは一安心の朝を迎えました。

裏山4号の巣箱設置作業
裏山4号の巣箱設置作業

 今年は昨年より二つも巣箱が増えて10箱になりましたが、上手く分蜂入居してくれるでしょうか。連休にはしっかりと観察したいと思っています。それにしても私のためにはるばる遠い野村町から、指導や作業に毎年のようにキンリョウヘンと蜜蝋を持参して来てくれる、井上さんには感謝のしようがありません。5年目で五升の目標も、去年は倍の10升で早々と達成をしました。今年からは余り欲張らず愛情を込めて養蜂に精を出したいと思っています。そういいつつ、やはり私の闘争心に火がついて、今年もあわよくばとなんて気持ちが頭を持ち上げているようです。

 

 

 

  「山緑 今年も養蜂 時期迎え 師匠の指導 仰いで準備」

  「手袋の 裾から一匹 蜜蜂が 侵入チクリ 早くも一刺」

  「天候の 不順は蜂にも 影響し 活動鈍く 先行き心配」

  「蜜蝋と キンリョウヘンで 誘いこむ 作戦上手く 行って欲しいと」 

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人間牧場

〇わが息子に受け継いだ私のDNA

 最近歳をとったせいか、家の将来のことを時々考えることがあります。それは同居している親父が加齢とともに少しずつ衰えて行く姿を目の当たりにしたり、家庭菜園や家の周囲の管理、人間牧場の草刈り等をする度にふと、「これらの仕事でない仕事を息子は果たしてやってくれるのだろうか?」という思うからです。妻にそのことを話すと、「お父さん大丈夫よ、あなたの息子だから」と答えが返ってきますが、草刈機を一回も持って草を刈ったことのない息子に、「明日から草を刈れ」と言ったところでそれは危険過ぎてできない作業なのです。妻は「あなたができなくなったり、息子ができないのならシルバー人材センターにお金を出して頼めばいい」と楽観視していますが、はてさてどうなるのでしょうか。

書斎にお目見えした風力発電用風車
書斎にお目見えした風力発電用小型風車

 それでも40歳近くになった息子の日常の暮らし方を見て、時々「息子は確実に私のDNAを受け継いでいる」と思うこともあるのです。息子は建築設計の仕事をしていますが、そのご縁で伊予市中心市街地のまちづくりにも積極的に参加していて、時々みんなの前で発表もしているようなのです。親から見ればまだまだ未熟者ですが、まあ「習うより慣れろ」という言葉もあるのでそのうち少しは高まることでしょう。
 一昨日出張先の広島から帰ってみると、私の書斎に灯りがともり、中で息子が何やら大きな風車のようなものを組み立てていました。「これが前に話していた風力発電の装置か」と思いながら、息子の説明を聞きましたが、ネットで購入した小型の風力発電装置のようでした。

 息子は自宅車庫の屋上にソーラーパネルを5枚自分で組み立て、微量ながらバッテリーに充電して自分のダイニングに置いたテレビはソラー発での電気を使っているのです。私のパソコンもバッテリーを使うよう促されていますが、面倒くさいのでまだ実験程度の利用に留めていますが、息子の夢は太陽光や風力発電で売電したいようですが、いかんせんその条件にあった土地と資金が伴わないようで、夢はドリームの段階のようです。何にでも興味を持って、何にでも挑戦する姿は私の若い頃の姿に良く似ていますが、「夢はドリームではなくターゲットである」ことを、時々議論し諭すのです。若さゆえまだまだ荒削りですが、そろそろ結果を出して欲しいものです。
 昨日は家の車庫付近に風力発電装置を取り付ける支柱を取り付ける作業をやっていて、鋼管杭を打ち込む作業を手伝わされました。いやはや面白い息子です。

  「わが息子 見てて時々 思うのは わがDNAを 受け継いでいる」

  「ソーラーと 風力発電 小遣いで 始めた息子 まだまだ幼稚」

  「ネットにて 買った風力 発電機 使ってどれほど 発電できる?」

  「息子には 口で勝てても ネットでは 勝てぬと内心 一歩譲りて」 

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人間牧場

〇広島県府中町を訪ねる(その2)

 府中町は広島市に隣接し、狭い土地に5万人余りが暮らす人口密度の高い地域です。平成の合併で広島や安芸郡との合併も考えたようですが、住民投票によって合併をしない方法を選択しました。バスや電車の便もよく、便利この上ない活気に満ち溢れた町のようでした。
 この日は町内にある府中南公民館と府中公民館の2ヶ所で公民館開講式が行なわれるため、午前中は府中南公民館で、午後は府中公民館でダブルヘッターの記念講演なのです。人使いの荒い町だとみんなを笑わせながら、とりあえず午前中は南公民館で、「新しい発想で生きる」と題した90分の講演を行いました。南公民館の大ホールは200人以上が詰めかけ、立ち見ができるほどの満員でした。

府中南公民館大ホールでの記念講演
府中南公民館大ホールでの記念講演

 持参した「進ちゃん頑張れ」というDVDを名刺代わりに5分間鑑賞してもらってから始めましたが、会場ののりは最高でいい雰囲気の記念講演だったと、手前味噌ながら嬉しい気持ちになりました。昼食で出かけた割烹で美味しい食事をご馳走になりましたが、この店の入り口に「ご自由にお持ち帰り下さい」と書かれた容器に4~5匹入れられたメダカを見つけ、大将にお願いしていただいて帰りました。
 午後は南公民館とそんなに離れていない府中公民館に会場を移し、二回目の講演を行いました。同じ町内といいながら参加者から受ける雰囲気は微妙に違いました。予定していた話の内容を午前中と半分ほど変えて話しました。対象が違うので別に帰る必要もないのでしょうが、何人かは両方の会場を掛け持ちの人もいるようなので、対応しました。結果的には用意したDVDは結局使わずじまいで終ってしまいました。

広島宇品港発のスピーダー
広島宇品港発のスピーダー

 講演終了後直ちに館長さんや職員さんたち3人に宇品まで見送ってもらい、雨の降る中午後5時30分発の高速船スピーダーに乗ることができましたが、瀬戸内海の中海まで帰ると、海は北東の風が強く大時化で、高速船は右に左に大きく揺れ、速度を落として航行したのか10分ほど到着が遅れました。携帯電話を忘れて出かけたため、妻とも連絡が取れず、帰宅は遅くなるかもしれないと言って出かけておきながら、7時過ぎに自宅へ帰り、孫たちと一緒に風呂に入って夕食となりました。
 ダブルヘッターで合計3時間の記念講演は少々疲れましたが、私の話を聞いた方から何件か、私の元へメールが届き、双海町を訪ねたいという人もいました。有難い反応でした。

 

 

  「講演を ダブルヘッター 三時間 少々疲れ 反応喜ぶ」

  「このところ 天候不順に 見舞われて 傘気を取られ 携帯忘れ」

  「帰宅する 早速感想 メールにて 嬉しき反応 返信小まめ」

  「午後からは 雨が降るとの 予報あり 的中雨が しっかり降って」

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