〇今日は忙しい一日となりそうです
午前9時30分から子ども体験塾の開会式
午前10時から従兄弟の一周忌の法要
午前11時50分から三重県多気町の岸川さんとシーサイドで昼食会
午後1時30分からウエルピアで高校生とまちづくりのサロン研修会(コーディネーター)
午後5時から交流会
午後7時一旦帰宅して長崎へ出発
帰宅予定は21日午前中
双海より
〇大根引きで腰を痛める
昨日の朝は玄関先のメダカの水槽に薄く氷が張るほど寒い朝でした。いつもの通り書斎にストーブを入れてブログを書いていると、くじらという海産物のお店を営む妹みゆきが早朝、梅シロップで炊いたという秋刀魚の煮つけを持って来てくれました。これはクエン酸の作用で骨まで食べれるという絶品で、梅シロップを分け与えているので、こうして時々お裾分けしてくれるのです。
帰り際妹が、「進兄ちゃん、よければ大根を30本ほど漬物用にくれない!」と言って帰りました。例年のことなので承知し善は急げとばかりに、朝食が終って孫を保育園に連れて行って帰ると、早速畑に出て大根を引き始めました。畑の大根の葉っぱも寒さで凍っていて、ゴム手袋をしていたものの引き抜く手もかじかむほどでした。
とりあえず妹の30本を確保したので、次に自分の家の漬物用を20本引き抜きました。そこへ親父がやって来て、「漁協のおばちゃんにも持っていってあげたらどうか」と言うものですから、更に10本引き抜きました。その大根を水洗いするため外の水場まで運びましたが、ホースの中の水まで凍っていて、水がチョロチョロしか出ないのです。その水で少し洗い始めた頃ホースの水も溶け、やがて勢いのついた水で青首大根の土を落としました。水洗いした大根は目の覚めるような白さでした。
水洗いした大根を6本ずつビニール紐で束ね、東屋の近くのステンレス製の手すりに吊り下げ終わった頃、腰に異常を感じ始めました。多分寒くて腰の筋肉が収縮しているのに、過度な労働がたたったようでした。
部屋に入り手を洗ってストーブをつけ部屋を暖かくして、恐る恐る日ごろしている腰痛体操を始めましたが、余り無理をすると逆効果だと思ってコタツに入り、少し横になりましたが、明くる日からのハードスケジュールを思うと、一辺にやばいと思い始めましたがとき既に遅く後の祭りでした。
「無理をするからよ」と妻になだめられましたが、時折入ってくる間近に迫った講演への対応等、寝ているわけにも行かず、また夜の人間牧場での新年会のことも気になって、気が気ではありませんでした。
新年会を終えて11時前にわが家へ帰り、暖かい風呂に入り妻の勧めで妻専用の備え付けマッサージ器で背筋を少し揉み解して床につきました。その手当てが良かったのか、今朝は随分楽になって快方に向かっているようで一安心です。
大根を60本引いたくらいで、腰を痛める私の体も相当体力が落ちているようです。これも歳のせいだと諦めることなく、腹筋や背筋を鍛えなければなりません。私は腰痛防止のため教えてもらった簡単なエクササイズを毎日朝夕やっていますが、今回の腰痛が軽度で済んだのも、やはりこのエクササイズのお陰だと、気遣う妻に自慢しましたが、妻は「私が勧めたマッサージ器のお陰だ」と譲らず胸を張るのです。
さて今朝は腰の具合を気遣って、一日一万歩を目指している「早朝散歩をどうしようか?」と迷っています。過ぎたるは及ばざるが如し、されど前へ向かって一歩踏み出さなければ何も変わらないので、多少無理をしてでも一歩前へ踏み出そうと散歩に出かけました。今日も寒い一日のようです。
追伸
昨晩人間牧場へ泊まった松本さんから8時過ぎに一報が入り、みんな元気で朝を迎えたようで、何よりでした。
「大根を 60本も 引き抜いて 中腰作業 腰を痛める」
「大根を 水で洗って 天日干し 自家製沢庵 できる楽しみ」
「痛い腰 俺も歳だと 思いつつ コタツ温め 安静しばし」
「無理せずに だけど一歩を 踏み出して 今朝も万歩の 一歩を記す」
〇ナマズは地震を予知できるのか?
「あれから早18年も経ったのか!」と、昨日の朝ふと18年前の記憶が蘇りました。
私はその日の朝、いつものように4時30分に起床、開業もしていない新築なったシーサイド公園のイベントホールの中に設置した、アクリル水槽の中に入り、全身汗だくになって水を落とした連結水槽の掃除をしていました。突然4本の水槽の山際の一本から大きい西洋ナマズが勢いよく外床に飛び出しました。不思議に思い水槽から脚立に立って外へ出てそのナマズを拾い上げ、元の水槽に戻しましたが、五匹飼っていた西洋マナズが、全ていつになく興奮した様子で泳ぎ回っている様子にも少し違和感を感じました。再び水槽の中へ入り水洗いをしていると、今度はグラグラと水槽が動き始めたのです。定かではありませんが多分この揺れが阪神淡路大震災のあった、5時46分だったのです。
家に帰り汚れた身体を洗うため妻の沸かしてくれた風呂に入っていると、妻が「お父さん、大阪が地震で大変なようよ!大ごと、大ごと!」と血相を変えてテレビの前で叫んでいました。何事かとテレビの前へ向かい、着替えをしながらテレビの前で釘付けとなりました。高速道路がまるで飴のように折れ曲がり、長田町の火災は火柱黒鉛を上げ、まるで戦争空爆映画のシーンでも見ているようでした。
あの地震で6432人もの多くの人が犠牲になり、家屋やおびただしい社会資本が壊れましたが、時々訪ねる神戸や淡路のその後の復興は目覚しく、今はその跡形も見えませんが、今もその後遺症に苦しめられている人のことを思うと、3・11に起こった未曾有の東日本大震災を含めて、自然災害の恐ろしさやむごさを垣間見るのです。そして二度このようなことが起こらないようにと願わずにはいられないのです。
それにしても昔から、ナマズと地震の関係はよく話題になるものの、科学的な証明はされていませんが、私がシーサイド公園のアクリル水槽で体験したナマズの興奮ぶりは、ナマズと地震の因果関係を示す上で貴重な体験といえるのかも知れません。最近は地震予知や津波予知の技術もかなり進んで、精度が高くなっているようには見えますが、それでも3・11地震の予知も津波の予知もできず、原発事故まで引き起こしたのですから、ナマズの予知能力の研究も、余り金のかからない方法なので、無駄ではないとも思うのです。
3・11震災以来特に太平洋側の海に面した地域では、地震発生直後の避難経路や避難方法について、随分確保と訓練が進んでいますが、人間は18年も経つとそのことを忘れてしまうのです。60年も前の忌まわしい戦争だって、殆どの日本人の記憶から殆ど忘れ去られ、平和の尊さを忘れた日本人の言動が目立っています。2007・1・17(阪神淡路大震災)や、2013・3・11(東日本大震災)、1945・8・16(終戦)など、忘れて欲しくない忌まわしい記念日を、自分の誕生日以上に記憶に焼きつけていて欲しいと願っています。
「アクリルの 水槽ナマズ 飛び出した 直後に地震 予知能力かも」
「まず自分 高台逃げる 先決と 心がけるが 親父どうする」
「ナマズ飼い 研究するも 一考と 神戸の地震 体験思う」
「昨日さえ 忘れる歳に なったゆえ 十八年も 前のことなど」
〇焚き火で焼いた焼き芋は美味しい
「今日は天気もよいし温かいので、人間牧場にあるクヌギの木の伐採に行くので弁当を作ってくれないか」と、早朝ウォーキングを終えて7時30分にわが家へ帰り、食事をしながら妻に話すと、「困ったねえ、ご飯がないので弁当は作れない!」と言われました。「いっそのこと、カップラーメンでも・・・」と口ごもるので、「何でもいい」と返しました。「お父さん人間牧場へ行くのだったら、サツマイモとアルミホイルを持って行って焚き火で焼き芋をしたらどう」と、ビニールの袋にカップラーメン、サツマイモ、アルミホイル、みかん、お菓子、お茶などを詰め込んでくれました。
昨日の人間牧場は温度が低かったものの穏やかで風もなく、農作業にはもってこいの一日でした。まず梅林の横に立っている大きなクヌギの木の横枝が梅の木の上を塞いで陰になっているので、枝に梯子をかけてチェンソーで切る準備をしました。アルミの二つ折り脚立を梯子のように伸ばし、梯子の上でチェンソーで枝を2回に分けて切りました。大きな音とともに枝は梅の木を巻き込んで畑に落下しましたが、それを薪の長さに小切りにして上まで担ぎ上げる作業は難儀で、この作業だけで大汗をかいてしまいました。小枝を放り上げて数日前残材を焼いた場所まで運び、杉葉をかき集めて火をつけました。
もう一本のコナラの木は杉垣の根元に生えていて、いかにも癖が悪そうに節や曲がりが多くて、小切りしてもマサカリで割れるだろうかと心配しながらチェンソーで切りました。私が長年使っていたチェンソーは昨年焼きつかして廃棄処分となったため、叔父に貰った少し小型でコンパクトなチェンソーを使っていますが、エンジンの調子も切れ味も最高で、あっという間に全ての木を薪の長さに小切りし終えました。
勢いよく燃える焚き火に残材を足しながら、小切りしたクヌギとコナラをマサカリで割る作業をしましたが、あれほどあった残材も跡形もなく燃やすことができ、焚き火には大量の種火があるので、妻の用意してくれた大きなサツマイモをアルミホイルで包み、火の中へ放り込んで上に火種を被せました。
やがて12時のミュージックサイレンが鳴ったので、作業を中断し水平線の家の中へ入りガスコンロでお湯を沸かし、カップラーメンにお湯を注いで3分間蒸らし、ウッドデッキに座って食べましたが、肉体労働の後の食事は粗末なカップラーメンながら、とても美味しく感じました。一服した頃焚き火の中から木の棒でアルミホイルにくるんだサツマイモを取り出し、中を開けてみると程好い焼け具合の焼き芋が出てきました。焼きたての焼き芋はこれまた抜群の美味しさで、火傷しないようにフーフー言いながら一人至福の時を過ごしました。このサツマイモはわが家の菜園で秋に収穫した鳴門金時のようでした。
余りにも大きな焼き芋だったので食べきれず、捨てるのも勿体ないので、新しいアルミホイルに包んで妻の手土産に持ち帰ってやりました。妻は夕食後のデザートに焼き芋を、電子レンジで温めて食べていましたが、「焼き芋はどんなスィーツよりも美味しい」と、喜んでいました。わが家では素焼きの焼き芋器を使って時々ガスで焼き芋を焼き、味を楽しんでいますが、やはり焚き火で焼いた焼き芋には叶わないと、手前味噌な自慢をしながら、塩味の効いたチリメンをおかずに美味しそうにほうばる妻の、幸せそうな笑顔を飽きもせず見ていました。
「梯子掛け まるで軽業 チェンソー 怪我なく処分 ホッと一息」
「クヌギの木 コナラも加え 薪を割る 一年分の 薪をゲットす」
「焚き火した 残り火使い 芋を焼く アルミホイルで 焦げることなく」
「フーフーと 言いつ頬張る 焼き芋の 味は絶品 一人楽しむ」
〇わが家のお飾りはやし
私が子どものころの田舎は、新正月と旧正月が同居していました。一年中に不幸のあった喪に服す家では、旧正月にお飾りをしたり、島や半島の農山漁村では遅くまで旧正月の風習が残っていたようで、民俗学者の宮本常一流にその実態を一度調べて見たい気もしていますが、平成に入って既に四半世紀、昭和は遠くなりにけりで、多くの伝統や風習が消えていこうとしていることは返す返すも残念です。
変わったことといえば成人式です。何年か前までは1月15日が国民の祝日成人の日でした。ところが政府の誰がどんな思いで変えたのか、成人の日が第二日曜日の明くる日に変更され、主催する側の都合などで成人式を一日早めた日曜日にするところもあるようです。また成人の日恒例だったNHK青年の主張もいつの間にか姿を消してしまったようです。(ちなみに私は第14回NHK青年の主張の県代表でした)。
成人の日の恒例行事としていたわが家のお飾りはやしも、祝日の変更で毎年やる日が変わりました。年末12月30日に戸口や神仏のあると思われる場所に飾っていた注連縄や注連飾りを1月14日に集めて、畑の隅に積み上げて火を放つのです。空気の乾燥しているこの時期なので藁でできている注連飾りはあっという間に燃え尽きます。煙や炎が無病息災に効くという昔からの言い伝えなので、あいにく家族の殆どは出払っていたので、私と親父で家族の分まで煙や炎を一身に受け、炎で鏡餅を炙って家に持ち帰り、昨日はその餅を焼いて食べました。
こんな古い科学的には何の根拠もない神仏信仰の風習も、息子の代には多分消えてなくなるのでしょうが、せめて神仏に祈りを捧げて生きるような宗教心だけは持っていて欲しいと願っています。
昨日は家の裏の急斜面に植えている柿の木の剪定をしました。見よう見真似の自己流なので、果たして正しいかどうか分かりませんが、新梢を短く切り詰めたり込み合った枝を鋸で切り落としました。真下が斜面の高い場所なので怪我をしないよう注意をしながら30分ほどの作業で終らせました。切り取った枝を集めて焼却場へ運び終えたところへ、保育園に通う孫たちが帰って来ました。「おじいちゃん、危ないから気をつけてね!」と、同居ならではの優しい励ましの言葉をいただきました。孫たちの目には木に登った私の足元が、おぼつかないように見えたのかも知れないと、一人苦笑しました。
柿の木もスモモの木もまだ木々の芽は固く、春の足音は見聞きできませんが、お飾りはやしや剪定作業で春は確実に近づこうとしています。
「正月に 飾った注連縄 畑隅 集め火放ち 息災祈る」
「火と煙 身体にこすり 健康を 祈る老いたる 親子二人で」
「お飾りを はやしてやっと 正月が 終ったような 気分になりて」
「柿の木の 剪定作業 気をつけて 孫の声援 あり難きかな」
〇舞たうん115号特選ブログ「shin1さんの日記」vol.22
舞たうん115号の今月のテーマは「スポーツと地域づくり」で、次のような記事を書きました。送られてきた舞たうんを開けて読むと、いつもならの拙文に少々汗顔ですが、悔やんでみたところで、印刷物は覆水盆に返らずでどうにもならず、次回の頑張りに期待するしかないのです。
毎日ブログを書き、幾つかの雑誌やミニコミ新聞などに原稿を依頼されて、普通の田舎のおじさんにしては文章を書いている方ですが、いかんせん知識の入力が疎かなため、書く視点が少々ボケている感じもするのです。相対して話す言葉は人の心に直接響くので、興味がないとそっぽを向かれたり眠られてしまいます。興が乗れば相槌や笑いの渦に巻き込んで、時には感動の涙さえ流してくれ、再度講演に招かれたりするのですが、ブログ・雑誌・ミニコミ新聞に書いた記事は、時には反論・異論・同調・同感のお便りをいただいたり、出会った時会話の話題になったりするものの、反応の度合いは鈍いようです。でも書いて印刷されたものは、切り抜いてスクラップにしたり、付箋をつけて保存しコピーしてその後も活用できる利点があるので、言葉に匹敵する大きな利点もあるのです。故に請われるままにこれからも、書くことも喋ることと同じように、大切にしたいと思っています。
「連載の 雑誌一冊 届きたる 中を広げて 少し汗顔」
「喋るより 書くことの方 難しい 消しゴム消せず 記録に残る」
「書くために 読んで知識を 増やさねば 間口奥行き 感じもせずに」
「文よりも 遊びで書いた 巻末の 笑売啖呵 誉められ×××」
〇今年も水仙の咲く頃となりました
「厳寒のほほえみ」と呼びたいような水仙が、双海町の海岸線にそろそろ咲き始めました。今年の冬はやけに寒く、暖地を自認するわが町でも、例年だと余り見られない氷が今年はもう何度も張って、首ををすぼめて春の来るのを待っていますが、今年は伊予路に春を呼ぶ旧暦の椿祭りも少し遅いようなので、当分はこの寒さも続きそうです。
今年は水仙の開花が少し遅れていますが、今年も恒例の初春水仙祭りが、12日と13日の両日行なわれていました。人の来ない冬にこそイベントをやるべきだと主張して、私たちが始めた水仙祭りも、規模こそ縮小していますが、その後結成した花の会の皆さんが中心になって、水仙の切花を販売したり、下灘の水仙畑へいざなう等、それなりに頑張っているようです。
私も花の会のメンバーから、「是非お越し下さい」とお誘いを受けていたので、島根県からはるばるやって来た南さんと二人で覗いて見ました。顔見知りの歴代の会長さんである戸田さんや久保さん、駒沢さんからおでんやおぜんざいの接待を受け、また漁協女性部の皆さんにはよもくれ団子汁をご馳走になりました。この日は午前中から人間牧場で薪割りや残材焚き火をしていたため、昼ごはんを喰いっぱくれていたので、とても美味しくいただきました。一日目は気温が低く底冷えはしたものの好天でした。二日目の昨日も夕方から雨になったものの何とか風のない天気が持って、まずまずの人出にだったようでした。
金山泰盛さんが自分のみかん畑を開墾して水仙畑にした下灘の水仙畑も息子さんの洋一さんに引き継がれ、双海町の春の風物としてすっかり定着し、大勢の人が訪れるようになったことは何よりも嬉しいことなのです。泰盛さんが存命中、「水仙は水と人と山」と説明していましたが、地理的には比較的日陰の北に面した場所を好みます。また水仙には色々な種類があるもののやはり気品と香りの王様は、金冠のある自生の日本水仙が一番のようです。
水仙や菜の花、ツワブキ、バーベナテネラ、アジサイ、桜、杏などなど、双海町の地域づくりにおいて深く関わってきた花々との関わりを思い出しながら、当初目指した花咲くまちづくりもそれなりに定着していることを嬉しく思うのです。しかしながら20年前青年たちの手によって植えられた桜も、カズラが巻きつき、荒れたままになろうとしていることは、返す返すも残念で、時々ハサミと鎌を持って国道沿いの桜に巻きついたカズラを人知れず一人で切ってはいますが、追いつかないのが実情です。花は思いがないと美しく咲いてくれません。花が咲いた時だけ楽しむような心がけでいい花は咲くはずもないのです。手塩にかけて育ててこその花なのです。今年は私の発案で子ども体験塾で、桜のカズラ切りがプログラムに組まれているようで嬉しい限りですが、花を愛する優しい心を持った子どもに育って欲しいと祈っています。
「寒いけど 今年も水仙 咲く頃に 新聞記事で 風物を知る」
「来ませんか 花の会員 声をかけ 出かけ接待 ぜんざいおでん」
「歳ですよ 言いつつ笑顔 振り撒いて 今年も元気な 顔々出会う」
「花を売る おばさん笑顔 花よりも 素敵とお世辞 いいつつ愛でる」
〇はかどった薪割り作業と焚き火
私が子どものころの家庭は、どの家も土間にはかまど、家の裏には風呂場があって、食事の煮炊きから風呂を沸かすまで、全て薪を使っていました。その薪も焚物とか割り木とか呼んでいて、冬の間の寒い時期にお百姓さんに頼んで1間ほどの長さに切った、クヌギやコナラの雑木を買っていました。木が運ばれてくると朝な夕なに鋸で3つに切り分け、マサカリで割って行くのです。それらの作業の殆どは子どもの仕事として親から申し付けられるのですが、弟たち2人は要領よく理由をつけて逃げたり、小さいゆえ役にも立たず、結局は長男の私にお鉢が回って、一年中使う薪の量たるや半端ではないため、小切り、薪割り、片付けなどなどで、難儀な思いをしたことを今もはっきり覚えていて、できることならしたくない作業の一つなのです。
人間牧場にはかまど、風呂に加え昨年ピザ釜が誕生しました。風呂こそ灯油ボイラーと薪で沸かせる両用にしていますが、ご飯や味噌汁、それに餅つきなど頻繁に使うかまどやピザ釜で燃やす一年分の薪の量はかなり大量で、確保するのは容易なことではないのです。人間牧場のかまどや風呂ができて6年になりますが、最初は火力と火持ちの良いクヌギの木にこだわって使っていましたが、それだけでは間に合わず、今は薪割り体験というメニューもあるので、杉の間伐材をいただいて使っているのです。
今年も薪を作るシーズンとなり、一昨日公民館主事さんたちの協力を得て、クヌギ林で手ごろな木を切って人間牧場まで軽四トラックで運んでいたので、スケジュールの合間を縫って割ることにしました。
クヌギの木は生木のままだと面白いように割れるのですが、少し時間を置くと水分が蒸発して木が固くなり割れないという特徴を持っています。加えて余り長く切ると割りにくいことを知っているのも、子どもの頃の体験で得た知識なのです。昨日は午後3時に島根県西ノ島町の南さんが、自宅へ訪ねて来るという一報を貰っていたので、朝食を済ませると直ぐに人間牧場へ行き、一人薪割り作業を始めました。氷が張るなど少し寒い一日でしたが、薪割り作業は汗をかくほどの労働で、前日伐採していた直ぐ下の、シャシャ木や杉の枝打ち残材を、薪割りの横に集めて焼却処分したため、上着を脱いでの作業となりました。お茶やみかんなどを食べて昼食を抜いた作業で、前日の2時間と昨日の4時間ほどでほぼ割り切ってしまいました。
あとは割った木をこのまま数日間寒風で自然乾燥させ、乾いたらピザ釜小屋の中を片付け、誰かの協力を得て積み上げようと思っています。薪をうず高く積んだ風景も人間牧場のインテリアなので、少し綺麗に積みたいと思っていますが、親友の浜田さん以外手伝ってくれる人は見当たりそうにないようです。今年はコンニャク体験もする予定なので、薪はかなりの量を使うだろうと予測していますが、多分昨日の薪割りで確保した分を合わせると、間に合いそうでひとまず安心です。
そろそろ梅やスモモの剪定も手掛けなければならないし、冬場のの作業は意外と多いのですが、毎年のことながら1月・2月は既に、県内外への講演出張などのスケジュールが立て込んでいて、例年のことながら少し遅れ気味で推移しているようです。
「薪割りは 子どもの仕事 決ってた しんどい仕事 懐かしき日々」
「剪定の 残材焚き火 しながらに 一人薪割り 少し汗かく」
「素性良い クヌギ玉切り したものを 目がけマサカリ 小気味良い音」
「農作業 遅れているが 少しずつ 手間暇かけて 楽しみながら」
〇苗床用の落ち葉を集める
家庭菜園や人間牧場を持っていると、寒い冬でも春の準備のためにやらなければならない農作業が山ほどあって、休む暇はありません。アリとキリギリスの話ではありませんが、その冬場の仕事を怠ると春から秋にかけて、キリギリスのような惨めな結果が予想されるので、旧暦や昨年の農作業経験を頼りに修正しながら、作業を組み立てるのですが、冬の寒さは戸外の作業ゆえについつい億劫になってしまうのです。
昨日は強力な助っ人?の力を借りて、薪用のクヌギの木の伐採作業をした余力を借って、苗床用の落ち葉集め作業をしました。人間牧場に通じる細い道の片側には、秋に落ちたクヌギやコナラの落ち葉が沢山積っているので、軽四トラックの荷台両横にコンパネ用のベニヤ板を2枚立て、その中に集めた落ち葉を積んで行くのです。少しずつトラックを進めて三人で落ち葉を拾い集めました。積んだ落ち葉の上に乗って、まるで羽毛布団のようなフワフワした落ち葉を踏み固めると、幾らでも積めるのです。
昨日は落ち葉集めに必要な手箕を持って行くのを忘れてしまい、人間牧場に置いてある浅めのキャリーを使っての作業となりましたが、30分ほどの作業で、軽四トラックの荷台が一杯になるほど集めました。赤石さんと久保さんはフワフワの落ち葉の上に寝転んだり座ったまま、人間牧場の苗床まで到着しました。その後トラックを縦付けして鍬や熊手で苗床へ移動させ上から踏み固めましたが、例年は二度行なっていた作業も、今年は一杯になったので一回の作業で終りました。
この落ち葉の上に米ぬかと木質ペレット、それに油粕を振り撒くと微生物の作用によって発酵が促され、上にビニールシートを被せて何度か切り返しをすると、春には立派な落ち葉堆肥ができるのです。
その発酵温度を利用して、毎年サツマイモの苗床にするのですが、最近はその作業も失敗続きなので、昨年は智恵を絞ってカブト虫の幼虫を育てることを試みました。カブト虫の幼虫が羽化して成虫になる頃、苗床の上に防虫網を張ってカブト虫を20匹ほど捕獲しましたが、防虫網の網目が小さ過ぎてカブト虫の足が絡まったりして、これまた散々結果になりました。はてさて今年はどんな利用の仕方をするか、思案六方といったところです。
子どもたちにとってカブト虫は、憧れの小動物です。去年は養殖したカブト虫に加え、近所の西嶋さんからカブト虫を貰って孫たちはご満悦でしたが、子ども体験塾の子どもたちに分け与えるほどの確保ができませんでした。そろそろカブト虫の養殖場整備を真剣に考える時期に来ているのかも知れません。
「道縁の 落ち葉集めて トラックに 山盛り積んで 苗床運ぶ」
「フカフカの 落ち葉の上に 寝転んで 青空流る 雲を眺める」
「発酵を 促し腐葉土 作ったら ちゃっかりカブト 自分の寝床」
「カブト虫 養殖場を 作ろうか 思案六方 思い悩んで」
〇空白の一日を埋める
昨日は前日に、九州福岡県行橋市へ少し遠出の講演旅行に出かけたため、移動日として取っておいたスケジュール空白日でしたが、相手のご配慮で講演が終わると直ぐに特急ソニックや新幹線のぞみ、山陽本線、防予汽船などを、まるで薄氷を踏むような乗り継ぎで引き返したため、余裕の一日となりました。
早速午前中は公民館の赤石さんや久保さんが自宅に見えられ、息子嫁の入れてくれたカフェオレを飲みながら、間近に迫った子ども体験塾プログラムの打ち合わせを行ないました。今回は1月19日の土曜日に、シーサイド公園のじゃこ天の店でふたみ名物体験をする予定ですが、その折午後から「ふたみのサクラ咲くプロジェクト」と称して、海岸国道沿いに植えている桜並木の維持管理をすることになりました。
私が役場でまちづくりを担当し、私の発想で昭和62年をまちづくり元年と定めて始めたまちづくり事業の一環として、まちづくり青年会議のメンバーが海岸国道沿いに沢山の桜の苗木を植えました。以来20年以上にわたって早春の彩を添えて桜は、見事な花を咲かせていますが、最近この桜にカズラが巻きつき何とも見苦しい姿になっているのです。私も一私人として折に触れカズラを切っていますが、量が多いので間に合わないのです。そこで今回私の発案で、子ども体験塾にボランティア活動の一環として維持管理をお願いすることにしたのです。
早速赤石さんは国道沿いの桜の実態を調査して地図上に落とし、写真を添付して当日の作業手順やボランティアにも協力を依頼してくれているようで、美しい町づくりの助走が始まったことを喜んでいます。私はこの日は三重県から岸川さんを招いて高校生によるまちづくりの講演会や、シンポジウムに出席せねばならず、あいにく欠席しなければならず、少々悔やんでいます。
赤石さんたちが帰った後、今度は3月2日に講演に出かける広島県竹原市からまちづくり推進課の職員が二人して打ち合わせのためにやって来ました。今はカーナビという優れもののお陰で、わが家の近くまで迷わず来られ、県道まで迎えに出て事なきを得ました。
私は広島県竹原市へは忠海公民館などへ何度もお邪魔しているし、その後竹本英子館長さんたちとも深い交流を続けているので、今回のまちづくり活動報告会での基調講演となったのでしょうが、訪れた品部さんと道林さんという若い市役所職員さんと、コミュニティやまちづくりについて、私の書斎で楽しく議論をしました。ついでに私設公民館煙会所や海の資料館海舟館も見学してもらい昼過ぎ帰られました。
昼食の後、今日行なう予定の薪を作るためのクヌギの木の伐採に使う、チェンソーを取りに人間牧場まで出かけ、ついでに遅れている人間牧場の農作業を少し行ないました。偶然やって来た市役所職員さんに人間牧場を案内したりしながら、午後5時近くに山を降りましたが、昨日はとても美しい夕日が落ち、少し肌寒さを感じながら、帰り道シーサイド公園で一人、しばし夕日鑑賞をして忙しくないけど忙しい、空白の一日を埋めました。
「空白の 一日埋める あれやこれ 振り返るなら まあまあ充実」
「予定など ないに等しい 一日を 綺麗な夕日 見ながら終える」
「久方に 自慢の夕日 眺めつつ 日本一だと 胸張り帰る」
「デジカメで 撮った夕日の 写真見せ 妻に自慢し 夕餉を囲む」