〇念願の長崎県壱岐へ(その2)
長崎市香焼町に住む親友の武次さんの一本の電話から、長崎県壱岐への小さな旅のドラマが始まりました。「1月26日の予定は空いているか」という携帯電話での連絡に、「前日は終日日程が詰まっていて、長崎経由で壱岐へ行くには道中が長過ぎて、当日の移動は無理かも知れない!」と否定的な返事をしました。武次さんには昨年の11月に長崎へ招聘したいという話を、「鳥取県岩美町へ出かけてる予定があって」と断わっていた経緯もあるので、とに角依頼のあった長崎県担当者の話を聞いて判断すると、お茶を濁してしまいましたが、おっつけ連絡のあった長崎県教育庁の松尾先生の話だと、長崎県だのに博多から、壱岐への高速船が出ているので、間に合うかも知れないということで検討を始めました。博多発は10時35分、壱岐芦辺着が11時40分だと前日の夜博多入りしておけば何とかなると、長年の念願が叶って壱岐へ行けるという嬉しさもあって、あっさり引き受けてしまいました。
今回は「日本の宝『しま』体験交流事業」という名称で、青年を対象にした事業でした。地域おこしに関心のある20歳以上の青年20人ほどを2泊3日の日程で、県内から募集するという話には大いに賛成ながら、果たして青年が集まるかどうか多少不安もあったよですが、人数も確保されての開催となったようです。
芦辺港まで長崎県庁の生涯学習課長さんや、担当の古瀬さんにわざわざお出迎えいただき、昼食後一般の方々も参加して私の講演となりました。若者に少しシフトをさせながら90分間話をさせてもらいましたが、どの青年も熱心に私の話しを聞いてもらい大満足でした。
県の降籏生涯学習課長さんは文部省からの出向で来られた方でした。以後島を離れるまでの2日間、研修や交流会等の暇を見つけて意見交換を行ないましたが、担当の古瀬先生ともども、中々人間的にも温かく大いに盛り上がって話をさせてもらいました。
先日西海市生涯学習推進大会が終ってから、11月14日~15日の両日、長崎市で開かれる第43回九州ブロック社会教育研究大会の記念講演の講師を引き受けてくれないかと内諾打診があり、引き受けることを内諾していて、またまた長崎とのご縁が深まろうとしているのです。
今回の研修に参加した青年たちはみんな真面目で、わずか1泊2日の研修でしたが、20人ほどの小集団ということも幸いし、大いに話しこむことができました。今の自分や地域の置かれている立場、今やっていること、これからやりたいこと、今思うことなどなど青年たちの悩みも深いようですが、私は多いにシンパシー(共感・共鳴・共有)を働かせることができ、再会を約束して別れました。
ふと私が彼らのような若い頃何を考え、どんな行動をしていたのだろうと、若い頃を振り返ってみました。私は18歳から26歳までの8年間青年団に入団し、青年団長や青年学級委員長をこなしながら、仲間・主張・ふるさと・感動・夢という5つの道具を手に入れることができました。また青年の船に乗ってアメリカやメキシコへ行くことによって大いに異文化ギャップを体験し、大きな価値観の変化を得たのです。また21世紀えひめニューフロンティアグループを組織して、無人島に子どもたちを連れて行くなどボランティア活動にも積極的に取り組みました。今の自分があるのは青年期に人生の土台を、しっかりと作ったからだと述懐するのです。青年時代の生き方が自分の人生を決めるのですから、青年たちには大いに頑張って欲しいと願っています。
「友人の 口利き講演 ありがたや 小さな旅の ドラマ活き活き」
「いい人に 巡り逢ったよ 今回も 少しだけれど 進化の後が」
「青年の 時期の生き方 人生の 土台なるゆえ 頑張らなくちゃ」
「また会おう 硬い握手を 忘れない この次どんな 成長してる」