人間牧場

〇日本酒は神代の昔から元気の源です

 私が愛媛県立中央病院で胆のう摘出手術をしたのは、今から13年前の2001年でした。その年は私の母校である愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、私の自著本「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティを開いた2月10日に沈んだり、私の誕生日10月3日の明くる4日に、母が80歳で亡くなったりするハプニングが重なり、胆のう摘出手術後の回復が遅れて、一気に13キロも体重が減りました。これはやばいと思った私は、あれ程好きで飲んでいたビールを断腸の思いではなく、堪能(胆のう)した!と周りを笑わせながらきっぱりと酒を断ったのです。
 以来13年間酒を飲む機会も場所も誘いも断わって、一途に酒と縁のない余生を送っているのです。正月といえばお屠蘇がつきものながら、そのお屠蘇さえ飲まない徹底ぶりに一番感心しているのは、やはり一番身近な妻ですが、わが家では家族や親類縁者が集まった正月もお酒を飲む人が一人もいませんでした。

 それでも妻は缶ビール一本程度をたしなむ長男息子と、帰省する次男や三男、それに正月礼にやって来る娘婿のために缶ビールを一箱、それに神様のお供え用と親父用に清酒を一本ずつ買い揃えていました。しかし次男は正月草々勤務している日赤松山病院オペ室の拘束日、警察官をしている三男も宿直勤務、愛媛大学に勤める娘婿も仕事のため車を運転しなければならず、結果的には長男も飲まず、正月だというのにまったく酒のないわが家となったのです。
 親父は若い頃から酒を飲んでいますが、親父が酒に酔った姿を見たことがないほど酒癖の良い方で、たまに悪酔いして醜態をさらした私の姿を見て、随分叱られたものでした。親父は生業が漁師だったため日本酒一辺倒ですが、酒の飲み方は心得ていて、冷酒の美味さや、母が生存中はお燗つけ方まで注文していたようです。
 今朝の新聞に愛媛の酒の広告が載っていましたが、それによるとお燗の温度は次のようです。
  日向燗(ひなたかん)30度
  一肌燗(ひとはだかん)33度
  ぬる燗(ぬるかん)40度
  上燗(じょうかん)45度
  熱燗(あつかん)50度
  飛び切り燗(とびきりかん)55度

 最近は鍋にお湯を沸かして徳利を肩までつけ、お燗したお酒をお酌してもらいながら、お猪口でちびちび飲むといった風流は、すっかり姿を消しました。今は電子レンジでチンして飲むのが主流だし、日本酒より焼酎やビールが好まれ、日本酒はどこか肩身の狭い思いをしているようです。
 わが町にもつい最近まで「島錦」という蔵元がありましたが、廃業に追い込まれ、大きな白塀白壁の蔵のみが往時を物語っているのです。
 私はもう酒を復活して飲もうとは思わないし、息子たちも酒を殆ど飲まないため、酒の上でのトラブルも考えにくいようですが、日本人にとってやはり日本酒は神代の昔から、元気の出る水のように思うのです。私の友人には蔵元が多く、日本文化の源流である日本酒の復活隆盛を心から祈っています。

  「酒断って 早くも十年 余り過ぎ 体内酒の 音沙汰もなく」

  「正月と 言うのにわが家 酒もなく どこか寂しいく 盛り上がらずに」

  「酒のない 国へ行きたや 二日酔い そんな駄洒落を 言いつ昔は」

  「冷酒と 親の意見は 後で効く 親父口癖 何度か聞いた」

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