〇息子と二人で注連縄飾りを飾りました
大晦日の昨日はあいにく雨の一日でした。その雨の中合羽も着ずに早朝7時、下灘で漁師をしている伯父さんに頼んでおいた、ブリを受け取りに出かけました。丸々太ったいかにも美味しそうなブリは、多少異なりましたが5キロ級で、発泡スチロールの白いトロ箱に氷とともに入れられていました。途中の従兄弟や兄弟の家に、親父からのお歳暮だと伝えて送り届け、一端自宅へ帰って長男息子と合流、つり道具屋ジャンプの自動販売機で小売を買い求め、松前や松山の知人友人宅まで手渡しで届け、自宅へ帰ったのは11時近くになっていました。
妻も昨日から仕事休みで、餅つきという大仕事が待っているため、私がブリの調理作業をしている間に餅つきの準備をして、そそくさと出かけて行きました。低気圧と前線の影響で雨は一向に止む気配はなく、私も注連縄に使う裏白シダを確保していないため、天を仰いで様子を伺っていましたが、少し小降りの雨の中を、傘を差して裏山へ入りました。ぬかるんだシダ山は長靴を履いているものの、足を滑らせそうで心もとない感じがしましたが、僅かの時間で50枚ほどのウラジロを採集し、玄関を飾る注連縄用の小さな青竹も確保しました。
そのうち妻から、餅がつき上がったから取りに来るよう携帯が入り、取って帰った餅と田作り、イワシと米粒を奉書で包み、赤白の水引で格好良く結びました。五穀豊穣と家内安全を願って作った、奉書包みとウラジロやカブスを注連縄とともに結びつけ、長男息子と一緒に玄関先や水神様、神棚、トイレや風呂場、車、煙会所、海舟館などに餅と一緒に供えました。
妻が準備してくれたオサンボウについたばかりのお鏡餅を乗せ、田作り、吊るし柿、勝栗などの縁起物を加えて、2階の床の間に飾り正月飾りは夕方頃全て整いました。
正月飾りを息子とつくりながら色々な話をしました。私はサンデー毎日といいながら、年中県内外を忙しく出歩いているし、たまに家にいても煙会所や人間牧場へ訪ねて来る人たちの対応で家を開けることが多く、設計事務所に勤める息子も40歳になって仕事も忙しそうで、仕事を終えて家に帰る時間は殆ど毎日、夜9時から10時くらいになり、たまの休みも所属している建築士会の活動や、伊予市のまちづくりに関わっているため、同居していても中々まともに顔を合わせて話すことが少ないのです。「来年は僕が注連縄を作ろうか」と、殊勝なことを言ってくれましたが、遅きに失した注連縄作りを、来年こそは息子に伝授したいと思っています。
「雨の中 正月飾りを 親子にて 世間話を しながら作る」
「田舎では まだまだ古い 慣習を 親から子ども 子から孫へと」
「気がつけば 私も歳は 若くない 早くしないと 伝えきれない」
「嗚呼今日で 辰年終わり 巳年なる 時の流れの 早さ驚く」