人間牧場

○テレビ見たと写真が届く

 世の中には私以上に筆まめ、小まめな人がいるもので、私の元へは連日沢山の封書やハガキが全国各地から、郵便局の配達員も驚くほど届いています。その都度鋏で封書の封を切り、中から取り出した書類や手紙を読んだり、ハガキの返信を書くのですが、余りにも多いため、締め切りが近い急ぎの原稿に夢中になっている時などは、机の上にドサッと置かれたまま2~3日診る暇もないことがあるのです。ましてや2~3日出張で家を空けていると、パソコンのメールを開くのが怖いくらいメールも沢山届き、手紙類とともにその処理に半日ついやする時だってあるのです。

 昨日千葉県習志野市に住む親友市原実さんから、沢山のコピー資料が届きました。市原さんは長崎の大学の先生だった頃、長崎県へ講演に出かけた折知り合い、その後「観光カリスマ百選」をテーマにした自著本を執筆したり、地域づくりの全国大会でわが人間牧場へ見えられるなど、深い関係の方なのです。市原さんは筆まめコピーまめで、いつも沢山の資料に添えて私信を書いて送ってくれるのですが、達筆な崩し字は浅学な私には少々難解といったところです。でも最近はその達筆にも馴れて、送られてきた資料を丹念に読み返しているのです。

市原実さんから送られてきた写真

 今回の資料の中には先日、小野晋也さんから送られていた新政の森という雑誌に載った、私に関する記事もありました。余白に「元代議士の小野晋也さんとお会いになったのですね。私は彼が松下政経塾の一期生の時会いました。応援をお願いします」と書かれていました。
 また同封された資料に混じって、「2012年6月20日テレビ放映拝見しました」と3枚のテレビに映し出された映像を、デジカメで撮った写真がコピー用紙に貼って送られてきたのです。いやはや小まめ筆まめです。資料の中には、長崎に赴任中にうず潮というコラム記事を50回にわたって執筆されたものもあって、興味深く読ませていただきました。

 世の中には一目置く人が何人かいます。市原さんはその1人で、ひょっとしたら情報マニアかも知れません。この小まめな情報収集がいかにも学者らしく、また全国を歩いて収集する姿はいかにも学者らしくないのです。見習いたいことが半分、見習いたくないことが半分だと、資料を整理することが下手な私は、いつも市原さんから送られてくる資料を見ながら思うのです。
 今日は市原さんに返信便りを書こうと思っていますが、返信しなければならない人が滞っていて、とても1日3枚のハガキの範疇では収まらない雰囲気です。でも市原さんだけには早く書かなければと、順番差し替えを思って朝を向かえ、一枚のハガキを書き終えました。

  「世の中にゃ 小まめ筆まめ いるもので 資料コピーが どっさり届く」

  「なりたいが なりたくないと 半々で 思う私は 中途半端だ」

  「テレビ見た 便りをくれる 人いるが 写真に撮って 送る人いる」

  「長崎を 枕詞に コラム記事 四本も書く 凄い洞察」

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人間牧場

○カボチャ泥棒

 昨日は梅雨の合間の晴れ間とでも言うべき上天気で、久しぶりに夏の暑い太陽が照りつけ、湿りがちだった畑の表土も少し乾き、夏野菜たちも少し元気が出たみたいでした。このところの雨で地盤が緩んだせいか、それともイノシシが悪戯して坂から蹴落としたのか、果樹園の隅に一抱えもあるような大きな石が落ちて鎮座していました。よくぞ畑で野良仕事をする親父や私に落石が当らなかったと、首をすくめてしまいました。早速一輪車と大きなハンマーを倉庫から取り出して、石を動かせる程度に叩いて割り、一輪車に積んで清水が湧く裏山へ処分しました。

 ふと見ると昨日まであったカボチャ畑のカボチャが、全てなくなっているのに気がつきました。このカボチャは4月下旬にトマトやナスやキューリと一緒に植えたものです。カボチャはつるが手当たり次第延びて場所を取るため、イノシシ柵のない果樹園隅の畑に植えていましたが、ここにはイノシシ除けの柵がないのです。畑の中には無数の足跡があって、イノシシの仕業であることがよく分かりましたが、被害届を出すことも出来ず、今年も悲しい思いで泣き寝入りするしかないのです。今年は例年になくカボチャの出来が良かっただけに、返す返すも残念でなりませんでした。

 昨日地域事務所で宮栄公民館長さんから聞いた話だと、日尾野に住む宮栄さんの畑では早くもサツマイモがイノシシの被害に遭ったそうです。普通の年だとサツマイモが被害に遭うのは、収穫間近な秋の頃なのですが、サツマイモはまだ小指ほどにも育っていないこの時期に、被害に遭うのですから、野山で活動するイノシシにとっては、北朝鮮のように余程食糧事情が困窮しているようだと、大笑いをしながら話をしました。昨日の夕方宮栄さんは沢山のトマトをわが家へ持って来てくれました。イノシシの被害に遭う前に収穫したそうで、完熟一歩手前のものでしたが、家族みんながトマトは大好物なので早速いただき始めました。

 この時期なのに今年は秋の季語であるアキアカネトンボが、田圃の上を沢山飛んでいるのを見ました。妻と二人の散歩コースとなっている翠小学校に通じる県道沿いの畑には、イノシシがのたうった無数の足跡が無残な姿をさらけ出していました。田圃も梅雨が明けると米の花といわれる早生系米の穂が出始め、季節のめぐりの早さを実感するのです。田圃の周りには早くもイノシシの被害に遭わぬよう、目の荒い防護用の網や電気柵が登場しています。嘆かわしい人間と有害鳥獣の仁義なき戦いが始まっているのです。
 さてさて、わが家の菜園や人間牧場の芋畑でもそろそろイノシシの被害を想定して、被害防護訓練をしなければならないようです。「食われて泣くより食われる前の備え」という言葉も田舎ではすっかり名言になりつつあるようです。

  「今年早 イノシシ被害 カボチャ遭う 今頃彼ら 舌をなめつつ」

  「イノシシは 夜襲奇襲が 得意ゆえ のんびり人間 叶うはずなし」

  「カボチャ等 イノシシメニュー ないはずと 鷹を食ってた 私が悪い」

  「畑には 大きな石まで 蹴落として オリンピックに 出ればメダルだ」

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人間牧場

孫奏心

○バイキング昼食

 この2日間、孫尚樹が松山からわが家に泊まりに来ていました。孫尚樹は5歳、内孫の希心は4歳、内孫奏心は3歳でいずれも男の子なので、まあうるさいことうるさいこと、昨日までのこの2日間は3人の一オクターブ高い声と、室内室外を走り回る行動に家族全員が翻弄されてしまいました。
 孫がやって来ると息子嫁も妻も、孫たちのために様々な料理を作ります。ゆえに日曜日しか休みのない妻にとっては休む間もなく、朝・昼・晩それぞれに忙しい仕事が待っていて、とても疲れるようでした。孫のことは意外と楽しそうに関わっているように見えますが、孫が帰るとどっと疲れが出るようで、昨晩は寝る前テレビを見ながら聞きかじりの指圧をしてやりました。

孫希心
孫尚樹

 昨日は久々に梅雨の雨が上がって上天気だったので、伊予市のウエルピアへ家族で出かけることにしました。私は久しぶりの晴れ間なので、あれこれ農作業等の仕事もあって、気乗りがしませんでしたが、しぶしぶ運転手でついて行きました。孫たちは先に出発してウエルピアの中庭遊具で遊んでいました。昨日はウエルピアが厚生年金施設から市が買い取って5周年目とかで、中庭やあちらこちらに出店も出て、それを当て込んだ人たちが訪れとても賑やかでした。
 昼食はバイキングを楽しもうとしましたが、申込用紙に記載する順番待ちの客が沢山いて、私たちの順番は1時間も待たされ昼食が午後1時となってしまいました。孫たちは戸外で遊んだ疲れもあって、「お腹が空いた~」と騒ぐのですが、みんな待っているからとなだめ、やっと席が用意されたのはレストランならぬラウンジに通じる別室でした。

 早速レストランからバイキング料理の好みの物を皿に盛って、少し遅い昼食が賑やかに始まりました。孫たちは好きなものが好きなだけ食べれるとあってご満悦でした。勿論私たち夫婦と合流した息子嫁と娘も大いに美味しい料理に舌鼓を打ちました。
 昨日は5周年とかで料理代が20%OFF、しかも私たちは高齢者割引とか、7人でたったの3800円で満腹でした。料理もすこぶる美味しく、またレストランを利用するとお風呂がタダとあって、大蔵大臣の妻はホクホク顔でした。孫たちは眠くなったようなので三々五々別れ、私たちは買い物があるのでエミフルへ出かけ、人混みの中で買い物をして早めに引き上げました。

 孫たちと過ごした束の間の休日は、サッカーの練習で参加できなかった孫朋樹へ、人間牧場から持ち帰ったカブト虫を8匹娘へ土産として託ました。夕方電話でカブト虫を貰った感想を聞き、間もなく夏休みが始まると泊まりに来たいと言っていました。
 私も夏休みは夏ばてできないほど、何かと忙しい日々が予定されています。今年の夏も家族みんなが元気で節電の夏を乗り切ろうと思っています。

  「久しぶり 梅雨の晴れ間を 楽しんで バイキング料理 舌鼓打つ」

  「20%オフ しかも割引 大特典 みんな満足 風呂までついて」

  「前日の 雷雨が噓の ように晴れ 夏の太陽 顔を覗かせ」

  「もう要らん 満腹の時 思ったが 夕方なると お茶漬け食べたい」

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人間牧場

○口の中の歯は何本

 毎朝起きるとパジャマのままで、「お手洗い」と書くトイレに行って用を済ませ、着替えて新聞を読みながら食事を終えると、傍の「面を洗う」と書く洗面所で歯を磨いて顔を洗います。無意識のように殆んど毎日行なうこれらの動作はすっかり習慣になって、余程のことがない限り忘れることはないのです。
 今朝洗面所の鏡に向かって歯を磨きながら、「歯は一体何本あるのだろう?」と、別に考えなくてもいい疑問が湧き、口を大きく開けて数えていると、妻が「お父さん何しているの?」と横槍を入れてきました。「お前のお父さんではない!」と悪態を叩きながら「歯の数を数えている!」と返すと、妻は近所の歯科医院にパートで勤めていることもあって、「人間の歯は上下合わせて32本」と教えてくれました。おぼろげながら「32本」という数字は覚えていたような気がするのですが、あらためて歯の本数を確認することが出来ました。

口の中の歯の様子

 歯には前歯上下12本と奥歯上下20本があって、それぞれ役割が違うようです。奥歯は臼状になっていて、主に穀物等を食べるのに便利なように出来ているのだそうです。また中切歯と側切歯は野菜や果物を食べるのに、犬歯は肉や魚を食べるのに適しているのだそうです。
 妻から面白い話を聞きました。この歯の役割比率が日本人の食べ物の比率だと言うのです。つまりご飯やイモ類のような主食は20本÷36本×100=62.5%、野菜や果物は8本÷32本×100=25%、肉や魚は4本÷32本×100=12.5%だそうで、日本人の胃や腸などの内臓はこの歯の比率の食べものを食べるように出来ているそうです。
 「へえーそうなんだ」と感心しつつ、毎日無造作に食事を作っていたものとばかり思っていましたが、日本人たる私の体の仕組みに合わせて、大まかな食べものを調理している姿に、わが妻ながら感心や敬服をしてしまいました。

 最近日本人に糖尿病などの成人病がやたらと多いと聞きます。食事が全ての原因ではありませんが、その主因が食事であることは疑いのないことで、欧米で日本食の素晴らしさがが見直されていることもそれを物語っているようです。
 日本人は長年をかけて日本の風土に合うよう体型も内臓も進化をしてきたのです。ところが日本人の食生活が暮らしが豊かになったせいもあって、この60年で欧米化し、米食がパンに変わり、肉や油、砂糖などの消費量がどんどん増えてきて、野菜や魚を取る量は極端に減ってきたし、味付けの濃い外食を食べる機会も多くなってきたのです。草食系の日本人は外国人に比べ、腸の長さが長いといわれています。腸の長さが草食に適しているのに、肉食系食事になると、食べたものが腸内に留まる時間が長く、消化不良を起こしてしまうことが成人病に起因しているという話を聞きましたが、納得です。
 歯の本数は大事なことを教えていると感じながら、今朝も食卓に向かい妻の出してくれた食べものを、普通以上に意識してよく噛んで食べました。「噛」=口+歯」とは面白い漢字に納得しました。

  「洗面所 ア~ン口開け 歯の本数 何をしている? 妻首傾げ?」

  「歯の本数 それぞれ意味が あるという 電卓叩き 割合調べ」

  「歯の割合 合わせて食事 作る妻 あんたは偉い 俺が選んだ」

  「口に歯と 書いて噛むとは 誰の作 漢字いちいち 納得しつつ」

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人間牧場

○雷の音と閃光

wikipediaの雷と閃

 今朝午前4時頃、安眠を貪っていたわが家の上空で、かなり長い間雷が鳴り閃光が光りました。豆電球程度の明るさの部屋の中が閃光と同時に一瞬明るくなり、暗闇で見えない山の端も窓から見ると、雷と閃光の一瞬一瞬には全てのものが閃光の青い光に映し出されて、不気味にも感じました。
 何年か前、わが家も加入しているテレビの共同受信アンテナに雷が落ちて、アンテナで結ばれている何軒かの家のテレビが駄目になったし、私のパソコンも異常をきたしたので、書き始めたブログを中止して電源を抜いて雷の通り過ぎるのを待ちました。やがてかなり激しい雷雨となりましたが、40分もすると雷の音は次第に遠のいて、雨の音だけとなりました。

 昔から地震・雷・火事・親父といわれているように、地震や火事とともに雷は怖いものの一つとされてきました。落ちた瞬間を直接見た訳ではないので、その本当の恐ろしさを知ることはできませんが、人間牧場の敷地の傍に樹齢200年を超える大きなヤヤモモの木があります。子どものころこの木に雷が落ちて木のあちこちが、まるで火事にあったように黒く焼け爛れていた姿を思い出しました。幸い木の持つ強い生命力で生き返り、そのことが元で空洞になった所を巻き込みながら老木の風格を醸しているのです。
 年に数回雷の被害で命を落としたというニュースを聞く度に、もしも私に落雷したらどうなるのだろうと、恐怖におののきながら、雷雨の通り過ぎるのを待ちました。

 日本は緑や水があるが故に美しい国といわれていますが、その分地震や大雨などの自然災害が多い国だと思います。今年もゲリラ的集中豪雨で九州日田地方が大雨に被害に見舞われ、青森では竜巻で60戸を超える家の屋根が吹き飛び、数十本のリンゴの木も根こそぎ倒れたようで、昨日はつい目と鼻の先の北九州地方まで講演で出かけただけに、他人事とは思えない気持ちになりました。
 雷の発生メカニズムはフランクリンという学者がタコを揚げて実験したことが余りにも有名ですが、雷は主に上空と地面の間、または上空の雷雲内に電位差が生じた場合の放電により起きるとされていて、低気圧や前線等の荒天時に発生しやすいようです。

 子どもころ、ピカッと光ってから指折り数えて音が聞こえるまでの長さを測ったものです。光は一瞬にして地球を7回半の速さで伝わりますが、音速はそんなに早くなく、光と音の差で近いか遠いか測りました。
 最近はさすがに親父の怖さだけは陰に隠れてしまいましたが、私が子どものころは親父も威厳があって本当に怖かったし、そのことが自分の心のブレーキになっていたことは確かです。はてさて私も4人の子どもの親父ですが、子どもの目にはどのように映っているのでしょうか。心もとない話です。
 今日はこの分だと底引き網体験事業の開催が危ぶまれます。間もなく事務局の赤石主事さんから一報が入ることでしょう。

  「雷が ゴロゴロ鳴って ヘソ思う 子ども心は 今も残りて」

  「雷と 同じに怖い はずなのに 親父の威厳 何処へ行ったか」

  「雷の 音につられて 外を見る 空襲のよう 花火のようだ」

  「雷は 命を落とす 怖いもの 早くどこかへ 去ってと祈る」

JR予讃線海岸回り運休を状況を知らせる新聞記事

 

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人間牧場

○福岡県行橋市への講演旅行

 私にとって行橋市というまちは、隣の築上町へ講演に行った折、帰りに築上町の職員の方が行橋駅まで送ってくれ、そこから特急に乗ったのが初めてで、今回が二度目の訪問となりました。でも前回は先を急ぐ旅だったため、行橋駅のことはまったく記憶にないのです。
 今朝小倉方面から電車に乗り早朝の行橋駅に降り立ちましたが高架の近代的な駅舎で、西口と東口がありますが、インターネットで調べた地図によると、私が目指すこの日議員研修会のあるノーサイ会館は西側になることを確認してから歩き始めました。

 今朝の北九州地方は、折からの梅雨前線の影響で、南から温かい湿った空気が流れ込み、蒸し暑くて、格式を重んじる議長さんに合わせるため瀬ビラを用意して行きましたが、両手に持った荷物がかなり重いため大汗をかいてしまいました。午前8時30分頃に会館に到着して、ノーサイビルの中で少し待っていると、事務局長の山崎さんが来られ、事務局の部屋に入って冷たいお茶を山崎さんからいただき、ホッと一息しまつきました。

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人間牧場

○月刊社会教育が届く

 一ヶ月余り前、月刊社会教育という雑誌の編集者から、「魅力あるまちづくりと社会教育」という特集を組むので、原稿を書いて欲しいとメールが入りました。2千字そこそこの比較的短い文章依頼なので、快く引き受けました。私が書いたのは提言というコーナーで、社会教育経験者としてまちづくりをどう思うかというものです。私以外に誰が書くのかも分からぬまま、締め切りより早く原稿をメールで送りましたが、日ごろの忙しさで送った原稿のことや、掲載雑誌のこともすっかり忘れていました。
 一昨日その掲載雑誌が私宛に2冊同封されて送られてきました。中を開けると見覚えのある懐かしい福留強先生(聖徳大学生涯学習センター所長)さんも同じコーナーに原稿を寄せていて、興味深く読ませてもらいました。

 私の記事は見開き2ページにわたって、「魅力ある人間牧場づくり」について書いていますので、読みづらいとは思いますが、スキャナーでスキャンして記録に残すことにしました。

目次

 自分で書いた記事なのに、いつもながら読み返して自責の念にかられます。でも印刷されれば後の祭りで、消しゴムで消すことも出来ず、全国誌ゆえに全国の関係者に恥をさらけ出してしまうのです。 まあとって食われる訳でもないので、自分の能力はこんなものだと半ば諦めていますが、次に書く時はもっと考えて書きたいと反省をしました。

  今日は早朝6時に香川県高松へ出張するため、いつものように4時に起床して、とりあえずアメーバブログを一本書き、もう一本はこの記事となってしまいまあした。今日はこれから出発して福岡県へ講演のため出かけます。明日は行橋市辺りで仕事をするため家を留守にします。 忙しい毎日ゆえブログの記事も疎かになる、明日はブログを書くことが出来ない焦りもありますが、まあ久しぶりのお休みだと思って、のんびり小旅行を楽しもうと思っています。

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人間牧場

○夕日徒然草・空の書納品(その2)

 先日今治市越智商工会で開かれた青年部講演会に出席してくれた村上太さんとは、えひめ地域政策研究センターが人材育成のため、毎年開催している地域づくり人養成講座で知り合いました。以来この6年ほど着かず離れずの付き合いをしていますが、その時の担当が年輪塾清水塾頭だったこともあって、清水さんの仲立ちで私の名刺や夕日徒然草の印刷を村上さんに頼んで欲しいと依頼があり、起業の意味を込めてお願いすることになったのです。私個人の依頼ゆえ名刺や薄っぺらい夕日徒然草という本の出版くらいしかお役に立てませんでしたが、それでもこの5年間で夕日徒然草262,500円×5冊=1,325,000円に名刺代ですから、小額ながらそれ相応の貢献はしているのです。

納品にやって来た村上太さんたち

 講演会が終ってから控室で、夕日徒然草・空の書の印刷が明くる日出来上がるので、「7月2日の月曜日、朝9時に人間牧場へ納品する」約束をしました。朝9時ということは午前7時に今治を出なければなりませんが、案の定8時過ぎに松山で車の渋滞に巻き込まれたようで、少し遅れると携帯電話がかかりました。手持ち無沙汰なため私は、用意しておいた波型エスロン板を、ピザ釜横の作業小屋に張る作業をしました。これまで人間牧場の建築物は、親父に頼んで倉庫を作った他は、全て地元の大工さんに頼んでいましたが、そろそろ周辺の整備は自分でしなければと思い立って、先日は薪の収納小屋も、西村ジョイで材料を買い、自分が設計施工をそれなりに仕上げているのです。
 この日もピザ釜の横の作業小屋の入口上の空間を波型エスロンを3枚張り終え、これで虫や埃が入らなくなるはずです。

印刷代を支払いお金を数える村上さん

 村上さんは昨年も同行した美しい女性と一緒に9時30分やって来ました。千部の夕日徒然草・空の書を無事納品してくれました。今回は原稿書きの悪戯で2話余分に書いた原稿を番外その1、番外その2として集録したり、最終章を示すシーサイド公園恋人岬のモニュメントに沈む夕日を、印象的に裏表紙へあしらったため、消費税込み275,000円と少し高めとなってしまいましたが、これは仕方がないと諦め、いつものことながら現金で手渡しました。
 私が工面したこのお金は、この一年間「夕やけ徒然草」を売ったお金に、まったく手をつけず貯めたものです。したがって100円・500円硬貨や千円札、5千円札、一万円冊とまちまちなのです。その日の朝妻が、「折角払うのにそんなお金じゃ数えるのも面倒だし失礼よ」と言って、両替してくれました。お陰様で支払いはスムーズに行きました。

 原稿を5年間にわたって書いた自分もさることながら、編集を一手に引き受けてくれた清水和繁さん、印刷工程を担当してくれた村上太さん、そしてこの5年間見守ってくれた妻等、感謝しても感謝しきれない多くの人に、支えていただいたことに感謝したいと思います。またワンコインで買って読んでくれた人や、この本をネタ本にした落伍を聞いて、おついしょ笑いをしてくれた人たちにも、厚くお礼を申し上げます。
 これからは残部の販売と落伍の話芸に磨きをかけて、修行に務めますのでよろしくお願い致します。

  「五年前 五冊の本を 出すという 計画立てて 始めはしたが」

  「五年後に 目標どおり 5冊出し 目標達成 ホッとひと息」

  「多少無理 しないと進化 出来ぬもの 過ぎてしまえば 納得しきり」

  「さて次は 夢の幾つか また思う しばらく休み 英気養う」

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人間牧場

○夕日徒然草ついに完結・・印刷・出版(その1)

 5年前、人間牧場にどでかい高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株で造った座卓がお目見えしました。高知県奈半利町に住み高知新聞直売所を営む、坂本利男さんのお店下の駐車場の隅で、埃を被っていたこの切り株に出会い、私の人生は少し変わり始めました。お願いしてこの切り株をいただき、物のついでにとこともあろうか、宅配便でわが家まで送ってもらいました。その後わが家の倉庫の隅にに少しの間眠っていましたが、親父がこれを見つけてチェンソーやカンナで細工を施し、下台をつけて座卓に造ってくれたのです。
 家には置く場所もなく、たまたま人間牧場に水平線の家が出来たのを機に、長男に頼んで二人でトラックに積んで運びましたが、ここでも広間の隅にさしたる目的もないまま、むしろ場所を取るため邪魔者扱いされ置かれていました。
 たまたま2006年6月、新築間もない人間牧場で開かれた過疎逆による第24回逆手塾の折、この切り株座卓の上に座布団を敷いて話したことがいい快感だったため、落語ならぬ落伍をやろうと新しい発想が沸き始めたのです。

夕日徒然草最終章「空の書」表紙

 この座卓はよくよく年輪を数えてみると、坂本利男さんから聞いた「150年生」という話を裏づけるように年輪が込み合って数え切れないほど150もの年輪を刻んでいるのです。前後して講演を頼まれ訪ねた高知県馬路村魚梁瀬の千本山で、名だたる魚梁瀬杉の銘木林立を見る機会があり、その容姿や木霊にいいようのない感動とパワーを得ていたこともあって、この切り株にあやかり落伍のネタを150話創作しようと、とてつもない発想を思いついたのです。
 一気に150話を作るほどの能力や暇はないので、とりあえず1年に30話ずつ5年間で仕上げようと計画し、それを「夕日徒然草」と題して五輪の書にあやかり、地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と積み重ね、印刷出版ようと思いました。1冊250円で1000部印刷し、500円のワンコインで販売すれば250円儲かって人間牧場の運営費が稼げるなどと、取らぬ狸の皮算用を立てて、1人ほくそ笑んでいました。しかも例え半分の500冊しか売れなくても、初期投資の25万円さえ用意すれば、後は自転車操業のような形で出版費用を投資できるのですから、美味しい話です。

最終章を示す裏表紙の恋人岬モニュメントにしずむ夕日の写真

 早速地の書の執筆に取り掛かり、書きたい話題も泉の如く出て来て、エッセイ風な地の書は僅か1週間で執筆するという、持ち前の速さで執筆し終えました。たまたまえひめ地域政策研究センターへ農協から出向していた、清水和繁さんに相談を持ちかけ構成や校正などの全般をお願いしたのです。清水さんは快く引き受けくれて、印刷を担当してくれた今治の村上太さんと私の腐れ縁3人で、以後5年間付き合いをすることになったのです。
 最初は売れた冊数等を記録したりしていましたが、忙しさでいつの間にかそれも忘れ、水の書や火の書、風の書と進むに連れて浅学や浅知恵が暴露され、筆が進みにくい奥の深さに苛まれもしましたし、落伍を演じる話芸も中々上達しませんでした。それでも一度決めた5年間で150話の創作落伍の本の執筆は、拙文のそしりを免れませんが、何とか最終章空の書まで漕ぎつけ、昨日やっと完結・印刷・出版の運びとなりました。人から見れば何の変哲もない「夕日徒然草」という本ですが、私にとっては5年間も費やしたシリーズ本なので、労作という言葉が当てはまるようです。

  「先ず一話 それから二話と 積み重ね 百五十話を やっと完結」

  「高知県 馬路村産 魚梁瀬杉 切り株出会い 人生変わる」

  「年輪の パワーを貰い 精進す 書き読む度に 進化足跡」

  「金ないが 自転車操業 宜しきを 得たりどうにか 最終章まで」

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人間牧場

○予讃線海回りで回送列車脱線

 ~平成24年6月25日午前5時20分ごろ、伊予市双海町上灘(天一稲荷神社の裏)のJR予讃線(海回り線)で、松山発伊予長浜行き回送列車(一両)が、台風4号以降の長雨の影響で線路上に崩落していた土砂に乗り上げ脱線した。同区間で列車は運休し、JR四国が土砂の撤去作業を実施。国土交通省運輸安全委員会の鉄道事故調査官2人も現地入りした。~

一昨日の愛媛新聞朝刊記事

 昨日の愛媛新聞週間記事欄にこんな小さな記事が載っていました。そして一昨日4面の社会欄には「伊予市で脱線JR海回り線 明日運転再開へ」、昨日は「「今日運転再開 伊予市JR脱線」という見出しで小さな記事が載っていました。事故当時は取材のヘリが飛んだり、テレビや新聞で大々的に報道されたりしましたし、再開の目途がまったく立っていなかっただけに、早い復旧や伊予市ー伊予長浜間の代行バス運行のお陰で大した混乱もなく運行再開ができたことは何よりも嬉しく思うのです。

 

 

 

昨日の愛媛新聞朝刊記事

愚かなことですが、人間はなくさなければその存在の大きさに気づくかないものです。車が普及して鉄路を走る列車など、時代遅れな乗り物と思っている人は少なくないのです。事実今回の脱線事故で影響を受ける人の数は一日たかが千人余りでしたが、されど千人なのです。列車を利用する人は表現は悪いものの交通弱者といわれる高校生やお年寄りです。高校生は通学に、お年よりは病院や買い物に行くのに利用してますが、JRが唯一の交通手段なのですから、不通はまさに死活問題なのです。

  かつて私はそのことが重要とばかりに、水面下で廃線が決定的だったJR予讃線海回りの存続をかけて、下灘駅で夕やけプラットホームコンサートをやりました。夕日を売り出すためにやったと人々は言っていますが、主催した私の本心は列車を守るためにやったというのが本心です。お陰様で利用者は少ないものの、観光という利用の仕方も働いて、夕やけビール列車や菜の花トロッコ列車など、また旅行会社が海回りを走るツアーを企画実施する等、それなりに利活用しているのです。今年の8月23日「ふたみの日」には列車を一両借り切ったビール列車も走らせるべく、仲間たちが孤軍奮闘しているようです。今一度長年私たちの足となっている列車の存在を思い、大いに感謝しましょう。

運転再開を知らせる7月2日の愛媛新聞朝刊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「脱線で 不通となった 海回り やっと再開 ほっと一息」

  「人間は なくし始めて 存在に 気づく愚かさ 今も昔も」

  「この夏は トロッコ列車 借り切って 走らせようと 意気込む仲間」

  「この記事が ああそんなこと あったなあ 思い出彼方 消えて行くのか」 

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