○慶徳寺を訪ねる
人間牧場での活動テーマを漢字の一字に例えると、どうなるのだろうと考えてみました。私が人間牧場を造りたいと思うようになったのは49歳の時でした。その理由を何年か前に書いた原稿に次のようなことを書いているのです。
「『人間牧場を造りたい』。こんな夢を描いたのには大きく分けて3つの理由がある。ひとつは20年間に及ぶ無人島キャンプの非日常ボランティア活動で味わった、感動を体験する場が身近に欲しかったこと。二つ目は10年で40回開催し開講したフロンティア塾のような自立人間の育成を目指す、常設の修養場が欲しかったこと、三つ目は過疎や高齢化、第一次産業の不振といった様々な負の要因で里山が荒れ続け、このままでは日本の田舎が駄目になるという危機感から、再び村おこし運動を起こそうと決意したからである」
また別の「人間牧場構想アラカルト」というレジメに、「人間牧場三つのキーワード」として次の三つを列記しているのです。
①自分と生きる(人生の仕上げをどう生きるか)
②家族と生きる(最も小さな結びとどう生きるか)
③地域と生きる(社会へどうお返しをしながら生きるか)
40代で構想し、50代で構想を具体的計画にするためその裏打ちとなる資金蓄積を行い、60代で施設整備を行ないながら活動をしてきましたが、前述した三つの理由と三つのキーワードは、今も忘れることなく心に刻み込んでいるのです。
このことから引用して思い出す漢字はどうやら「恩」ではないかと、最近思うようになりました。そこで「恩」を具現化するため、近所に住む慶徳寺というお寺の山口和尚さんに、奥さんを通じて一筆書いて欲しいと頼みました。和尚さんは快く承諾して、文字のデザインを小さな紙に書いて3案送ってくれました。その中から私のイメージする漢字を一字選び、長男息子の名前が一心、孫の名前が希心、奏心なので、心という文字を余り崩さないようにと、知ったかぶりの注文をつけて書いてもらったのです。
先日その書が書き上がったと奥さんを通じて私の元に届けられました。紙代も手間賃も、ましてや文化的お値打ち代もあるだろうと相談しましたが、結局は「差し上げます」となったのです。そこで先日の海の日に孫を伴って、仏前にお供えする粗末なものを持って、慶徳寺を訪ねました。ご夫妻揃って温かく迎えていただきました。書いてもらった書は結局和尚さんに預け、伝を頼って表装をお願いすることにしたのです。
尚樹を含めた孫たち3人は始めて来たお寺の本堂で奥さんからジュースを貰ったり、和尚さんとお話したりして有意義なひと時を過ごしました。出来上がるであろう掲額は果てさて何処に飾ろうか、これから追々考えてみたいと思っています。
「孫連れて お寺に出かけ 説教を 聞かすつもりが 接待受けて」
「恩という 漢字一字を 書く依頼 送られて来た 見事な書体」
「これからは 恩の一字に あやかりて 余命を生きる 決意も新た」
「また一つ わが宝物 手に入れる この字に恥じぬ 生き方せねば」