○花火はいつ見ても綺麗だ
成人式も海の日も、国民の祝日の変更によって「いつだったったっけ?」と、首を傾げたくなってしまい、祝日の意味が多少薄らいだ感じがしています。今年の海の日は7月16日でした。周囲を海に囲まれ海の恩恵に浴して生きている私たち国民が海の存在に気づき、海に感謝することは当然ですが、合併してもなお「双海」という地名のついた地域に住んでいるのですから、余計海へのこだわりを持っていなければならないのです。そんなこともあって役場に在職していた頃は、何かにつけて海を意識して生きてきました。
海に沈む夕日も、海に一番近い下灘駅のプラットホームでのコンサートも、またウォーターフロントの双海シーサイド公園も全てテーマは海でした。夏祭りというイベントにいたっては、魚のつかみ取りや漁船パレード等まさに海一色の特色ある催しで双海を大いにPRしてきたのです。
今年も数日前新聞折込に「双海の夏祭り」のチラシが入っていて、その存在に気がつきましたが、世の中のイベントが「見る」から「参加する」に変化しているというのに、わが町の夏祭りはどちらかというと「参加する」から「見る」「聞く」といった方向になりつつあることに気がつきました。合併したのでこれも仕方がないと思えば思えるのですが、双海らしさという面では多少物足りなさを感じずにはいられませんでした。それでも多くの人の努力があるのですから、感謝しなければならないと思い、孫や家族を連れたりして折に触れて参加を試みました。
今年は二年に一度になった花火が上がので、夕方夕涼みがてら家族や親類と相談して花火の見学に出かけました。食事の都合で少し遅くなったため、孫たちはひと足早く出かけたのですが、後から出かけた私たち夫婦はみんなとはぐれてしまい、夫婦だけの静かな見学となりました。
恋人岬の特設舞台では歌手のしびれるような歌声が響き渡り、階段式護岸を埋めた観客から盛んな拍手が送られました。やがて司会者の合図で「10・9・8・7・・・・・・・・・3・2・1」とカウントダウンされ、一斉に花火が上がり始めました。いつもの事ながら双海の花火はすり鉢の上から中を見ているようなシチュエーションなので、どこの花火大会よりも場所的には恵まれていて、夜空と海が一体となって映えるのです。
実に美しい花火で、横に座った妻と二人で夜空を口を開けて仰ぎ、「うわー綺麗」と何度も感嘆の声を上げながら見学しました。夏の夜の花火を見るにつけ、「これぞ日本の夏」と思うのです。花火を見ていると音と光に何かパワーを貰ったような気がするのです。
この日は通称「やまぜ」と言われる夏特有の南西の風が強く吹き、花火が風下に流されましたが、その分花火の硝煙雲もなくより鮮明だったようでした。夫婦だけで特等席のような場所で見た花火は、今も心の中と持参したデジカメの中に、余韻となって残っています。
「夏祭り 肩を寄り添い 夫婦だけ 特等席と 思う場所にて」
「花火には 何処か不思議な パワーあり 元気いただき 夏を乗り切る」
「口開けて 上がる花火を 『わー綺麗』 何度も言いつ 音も楽しむ」
「日本の 夏は花火に 蚊取りだと 線香会社 テレビで宣伝」