〇七代目の子孫中桐万里子さんの語る二宮金次郎(その5)
中桐万里子さんの話を1時間30分にわたって聞きました。年輪塾公開セミナーの資料には残念ながらメモの用紙がなかったので一番後ろの年輪塾と書いた裏表紙の空欄に、聞いたことを真っ黒になるくらいメモしました。いつも人の話を聞いてもそんなにメモしない私としては珍しいことでした。そのメモをランダムに列挙してみます。
・二宮金次郎は小田原に生まれました。粗末な和服を着て背中に薪を背負う姿は貧乏を 連想させますが、生まれた二宮家は村でも二番目の裕福な農家でした。
・16歳で相次いで父母をなくし、ゼロ貧乏となり親類に引き取られました。
・そのころの農村は天災や人災で貧乏になるような時代でした。天災は冷害による飢饉、人災は重い年貢でした。ゆえに農民たちは、幾ら頑張っても生活は一向によくならず、
疲弊し諦めの気持ちが強かったようです。
・二宮金次郎の物語は少年のころの勤勉な暮らしだけが強調され、「その後大きくなって偉い人になりました」で、その後の人生は語られていなかったのです。
・二宮金次郎はどうすれば幸せになれるか、どう生きたらよいかという理想を本に求め、親の影響もあって猛勉強をしました。20代で一生懸命働けば幸せになれるという答を見つけて働き、30代で村一番の大地主になって、30台の半ばで指導者になっていました。
・70歳で生涯を閉じるまでに600以上の村を復興した人で、遺言は名を残さず行いを残せという教えでした。二宮尊徳は復興の祖です。
・机上の空論を嫌う実行の人で、田畑の実り=自分の力×仲間の力、人間の力×自然の力という数式を考え、人間の力の素晴らしさを見つけていました。
・ふるさとの田畑が荒れるのは、「どうせ非力な人間の力で暮らしはよくならない」という農民が意欲や希望を失うからだと思いました。
・自然は荒地だけしか作り出せないが、人間の力は荒地を美しい田畑にすることができると説きました。
・川が水車を活かし、水車が川を生かすという水車理論によって、バーチャル理論をリアル理論とし、至誠、分度、推譲の三つを考えました。
・従う⇒知る、よく見る、受け入れる。逆らう⇒対策する、工夫する、実践実行する、敵を見方にする(相手を敵視すると疲れる)。
・無力と無知は違う。
・ヒントや手がかりは必ず目の前にある。
・農業くらいマニュアルが通じない職業はないようです。実践のエネルギーが生まれるのはまず知ることです。
・ドキドキ、ワクワク感が必要、(私はこれにジーンを加えたい)
・知っているとよく知っているは違う(10円玉は知って毎日使うが、10円玉の絵は書けといっても書けません)。
・あらゆるものが徳を持っているが、全てのドラマは見えない部分にあるようです。
ギブアンドテイクは持ちつ持たれつですが、見返りを求める思想、テイクアンドギブは持たれつ持つという恩返しの発想で、自分の幸せを知ることです。経営の神様といわれる松下幸之助もそれを実践した人です(新入社員を最後に決める言葉は、「あなたは運がいいですか」「はいいいです」でした)。
・二宮尊徳は幸せ探しの達人でした。(ネガティブではなくポジティブ人生だったようです)
・ありがとうの反対語は当たり前。
・実行=勤労(実践、実り)・分度(どれくらい助けられたか、割合)・推譲(分け前を分け合う、備蓄、他の人のために)。
180センチの背丈で94キロの体重だったと聞く二宮尊徳を髣髴するような、174センチのスラリとした体形の中桐万里子さんはやはり二宮尊徳の、DNAを忠実に受け継いだ人でした。37歳ながら話芸も達者で、言葉一つ一つがとても洗練されて聞こえました。講演等をして日々を暮らしている私としては、いささかなりとも足元に及ぶよう努力したいものだと思いました。
「尊徳の 子孫もやはり 達人で 人に納得 するよう話す」
「実践の 伴う論理 夜話勉強 すれど言葉で 聞くは初めて」
「裏表紙 メモで真っ黒 なるほどに 学び数々 心に染みる」
「俺にしか 出来ぬ実践 コツコツ 凡事徹底 今日からはじめ」