〇二宮尊徳公開セミナー(その3)
二宮尊徳セミナーは塾長を務める私のあいさつでスタートしました。あいさつの内容は二宮金次郎像との出会いや大学という本との出会い、そして最近手に入れた二宮金次郎のブロンズ像などの話題を集め、概ね次の通りでした。
私と二宮金次郎銅像との出会いは、下灘小学校2年生の時でした。校庭の隅に建つ二宮金次郎像を朝な夕な見ていた若松進一少年の疑問は、「二宮金次郎は一体何の本を読んでいるのだろう」という素朴なものだったのです。思い余ってある日のこと、その疑問を確かめようと進一少年は銅像の台座によじ登りました。そこへ運悪く校長先生が通りかかり、「危ないから降りて来い」と怒鳴られ、有無を言わさず校長室へ連れて行かれました。校長室で正座を一時間もさせられた後校長先生は、私に「お前は何であんな所に上がったのか」と問いただしました。「先生、僕は二宮金次郎が何の本を読んでいるか知りたかった」と答えると、「馬鹿たれ、あそこにはいろはにほへととしか書いてない」と言われ、「二度と台座には上がるな。もういいから帰れ」と許されました。
その後時を経て、愛媛県内の校長先生の研修会に講師として招かれていた女優左幸子さんが急逝したため、私は急遽代役として指名を受け、講師を務めることになりました。その数日前仕事で行った翠小学校の校庭で、小学校二年生の時の金次郎事件を思い出し、再び「金次郎は何の本を読んでいるのだろう」という疑問に駆られ、校長先生の許しを得て台座に上ったのです。金次郎の持っている本には26文字の漢字が掘り込んでありました。浅学菲才で読めない私はこの本を拓本にとり、早速町内小中学校の校長にファックスで送り、読み方と意味を問うたのです。残念ながら五人の校長先生から明快な読み方と内容説明は帰って来ませんでした。友人の教員を通じて県教育委員会の国語の指導主事さんにその答を求めたところ、これが中国の古書「大学」の一節であることが判明したのです。小学校二年生の時校長先生が、「いろはにほへと」だと言ったことは真っ赤な噓だったのです。もしあの時「大学」の一説であることを説明してもらっていたら、私の人生はもっと変わっていたのかも知れないと思うと、悔やまれて仕方がないのです。
後日私は大阪へ講演に行きました。子育て真っ最中で安月給の貧乏な私は松山~大阪間を、深夜バスで往復しました。講演が終わってバスの時間を待つため大阪梅田の古書通りをうろついていると、ある古書店の入り口付近に陳列してある本の中に、ノジの抜いた古ぼけた一冊の「大学」という本を見つけました。衝動に駆られ手にとって立ち読みしようとしましたが、残念ながら漢字ばかりの本ゆえ読むことはできませんでしたが、ページをめくると二宮金次郎の読んでいる本の一説、「一家仁一国仁興・・・」というくだりが書かれていました。早速店番の若い女性に「一万円の値札がついているが、幾らに負けてくれるか」と問いました。書いたそうな私の足元を見たのかその店員は、「2千円引いて8千円でどうでしょう」というのです。私は「これと同じような本を三軒向こうの店では2千円で売っていましたよ。三千円でどうでしょう」と吹っかけました。素人のようなその店員は私が相当本に詳しいと思ったのでしょうか、「旦那さんが今留守で店番をしていますが、そんなに安く売ったら叱られます。でもお急ぎのようなので言われるとおり三千年に負けときましょう」と、驚くなかれ三千円で商談が成立したのです。新聞がみに包んでもらって受け取った「大学」を私は夜行バスの棚にも乗せず、懐に抱きかかえるようにして大事小事持ち帰ったことを今もはっきり覚えています。あれから自分の宝物として、ほらこのように大事に持っているのです。
先日私の友人である愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生と、公友会の席でお会いしました。先生とは公民館主事をしていた時代からご厚誼やご指導をいただいていますが、先生はその時紙袋に新聞紙で包んだものを入れ、「これをあなたに差し上げる」といただきました。許しを得てその場で開けて見ると、何と何と小さな二宮金次郎のブロンズ像でした。「あんたが年輪塾で二宮金次郎の勉強会をしているし、近く子孫を呼んで公開セミナーをするようなので、少しでもお役に立てれば」と言われました。涙が出るほど嬉しいプレゼントでした。ひょっとしたらこのブロンズ像は県内183体目の金次郎像になるかも知れないと思ったのです。
この像は精神修養の場所として自費で整備した人間牧場に置いて、多くの来牧者に見てもらおうと心密かに策を練っています。息子の同居のためにリフォームした折外し、使われなくなって人間牧場に仮置きしている大きな柱を、台座にしたらどうだろうかと頭をかすめています。
あいさつは思い入れもあって多少長めの約10分話ました。格式ばったあいさつではなく、何も考えず、原稿も書かず、ただアドリブで雑談めいた話をするいつもの癖は直らず、皆さんに迷惑をかけましたが、客席から届く反応は概ね良好で、若松ワールドへのいざないは成功したようでした。
「あいさつは いつものように 雑談で 若松ワールド 引き込みました」
「そういえば 台座に上がり 叱られて 正座させられ あれが始まり」
「古本の 大学見つけ 三千円 値切り値切りて 懐かしきかな」
「金次郎 ブロンズ像を いただきぬ 百八十三体目 台座作りて」