〇影法師
子どもは大人と違ったものの見方をするものだと昨日の朝思いました。昨日の朝は台風一過の吹き戻しのような少し強い北寄りの風が吹く中、いつものように孫希心を近くの保育園まで連れて行きました。子どもは風の子でしょうか、私などは急激な下がった外気温に対応して、早くも長袖を着ていましたが、孫は寒くないのか半袖です。被った帽子を飛ばされないように反対方向に被り、風に向かって走りました。一緒に見送りに行く2歳の孫奏心も今では私よりはるかに早く走れるのです。
突然孫希心が、「おじいちゃんや僕や奏心がもう一人いる」と突然立ち止まって、目の前にある影法師を見つけました。背中の向こうに朝日があって、足元に長く伸びた3人の影法師がありました。私は珍しい光景なので早速ポケットに忍ばせていたデジカメを取り出して一枚撮りました。
さあそれからが大変です。孫たちはおどけて手を振ったりぐるぐる回って見たりしながら、自分の影を自由自在に動かし、また歩いたり走ったりして相手の影を踏みつけたりして大はしゃぎでした。私にとっても自分の影法師をマジマジと見るのは久しぶりなので感傷に耽りながら3人の影法師を見たのです。最近は毎日のようにこの道を通って孫を保育園に連れて行っているのに、この4ヶ月余りで初めて孫の指摘で影法師を見つけたのです。人の影法師はとても面白い姿をしています。多分この写真の影法師はもう二度と見れないと思うと、三人の影法師を写真に撮れたことも嬉しい出来事なのです。
三人が影法師の面白さに戯れていると、そこを通りかかった何人かの人が私たち三人の奇妙な行動に首をかしげながら通り過ぎて行きました。私たち3人は手をつないで横一列に並んで歩いたりもしました。
私たちは得てして目に見える目先のものにしか気を配りません。毎日洗面所で歯を磨いたり顔を洗ったりする時鏡に映る顔姿は見ても、特に影などは余り気にせず暮らしているのです。夏になると暑い日差しを避けて陰に入ろうとしますが、自分を写す影の存在には殆んど気付かないものです。
影と同じように心の動きも目には見えずレントゲンでも写らないので、推し量る程度で終ってしまいます。孫の指摘で影法師を見つけた私は一瞬ハッとしました。例えば10円玉を落とすとチャリンと音がします。ところが1万円札を落とすと音がしないものですから案外気付かないのです。このように目に見えたり音のする細かい事象にだけ一喜一憂していると、大きな落し物に気付かなくなってしまうのです。虫の目と鳥の目という複眼的思考を働かせよと、孫が教えてくれた朝でした。
「影法師 見つけて孫は 大はしゃぎ 久しぶり見る 私の影絵」
「目に見える 物に心を 動かすが 見えないものにも 心動かせ」
「孫視点 大人の私 気付かない ことに気付かせ 思わずハッと」
「三人の 影絵デジカメ はいポーズ これも立派な 記念写真に」