人間牧場

〇子育て講演会

 「明日は台風が来るから保育園はお休みじゃろうか?」と、昨晩一緒に風呂に入りながら4歳の孫希心が私に問いかけました。「保育園はお母さんやお父さんが働いているから、台風が来ても休みにはならんのよ」というと、「先生が来なんだらどうするん?」と聞き返し、「何で」、「何で」と質問攻めに合いました。智恵がつく盛りの「何で」には面倒くさくても答えるようにしていますが、結局最後は「うるさい」とか、「何ででも」でお茶を濁してしまうのです。
 あれほど遅かった台風もさすがに恥ずかしくなったのか、日本列島本州が近くなるとスピードを上げて午後2時過ぎに静岡県浜松市付近へ上陸したようです。瀬戸内海の伊予灘に面したわが双海町では朝から雨は止んでいますが、吹き返しの風が強くなって、電線を揺らす風がヒューと音を立てています。

 今日は午前10時から伊予郡松前町にあるコープえひめ西支所で子育て講演会があり、講演を頼まれて午前9時に自宅を出発しました。昨晩遅くに場所が分からないことを思い出し、コープえひめの部長さんにメールを入れましたが通じず、あらかじめインターネット地図で場所を調べて粗方分かっていたところへ、ありがたいことに部長さんから電話が入り、運転中だったので折角のご好意を無駄にしてしまいました。支所2階の会場には20人ほどが集まりこじんまりとした集会でした。今日のような日は孫と一緒で出席したくない人には台風襲来が好都合の欠席理由になるのに、台風が思わぬ速さで進んだため、残念がっている人がいるのかも知れないと邪推をしてしまいました。

 今日は「子どもとお金~いつ、何を、どのように教えるか~」について、私が金融広報アドバイザーをしている愛媛県金融広報委員会からの派遣事業なのです。今日の話は子どもの現状とその裏側にいる親のあり方から話しました。
 鉛筆が削れない子ども・箸が使えない子ども・カブト虫がエミフルにいると思っている子ども・テレビの画面の前でしか遊ばない子ども・友だちがいない子ども・煙が目に染みて涙が出ることを知らない子ども・マッチの使い方を知らない子ども・塾に通う子ども・学校から帰っても稲に親がいない子ども・毎日が習い事スケジュールで忙しい子ども・運動会や遠足にコンビにの弁当しか持って来ない子ども・夜11時になって親とレストランで食事をする子ども・学校に行きたくないのに学校があるとぐずる子ども・インターネットでエッチな画像を見る子ども・感動の涙を流さない子ども・中学校になると人が変わる子ども・地域の催しに参加しない子ども・親が離婚して片親の子ども・兄弟がいない一人っ子の子ども・失敗経験の少ない子ども・朝ごはんを食べて来ない子ども・マニュアル化した子ども・本を読まない子ども・遅寝遅起きの子ども・約束を守れない子ども・むかつき直ぐに切れる子ども・学校で靴を揃えるが家ではできない子どもなどなどについてコメントしました。

 その後①働いて収入を得る(給与、儲け)②お金を使う(購買)、③お金を借りる(クレジット、ローン)、④お金を貯める(預貯金)、⑤将来に備える(生命保険、損害保険)、⑥投資をする(株式・投資信託)など6つの経済活動について話し、お金の話や二宮金次郎の勤労・分度・推譲についても触れました。
 講演後の座談会も終始和やかでいい研修会でした。

  「台風の 一難去った 学習は 終始和やか 心晴れ晴れ」

  「子育ては 妻に任せて いたために 苦労もせずに わが子成長」

  「金使い しっかり教えた 子どもなら 世の中迷う ことなく歩む」

  「子育ては 鏡に写る 親姿 しっかりせねば わが子危ない」 

 

 

 

 

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人間牧場

〇私というもう一人の自分

 私は若松進一です。他人の目に映る若松進一は身長168センチ、体重55キロ強、田舎といわれる四国愛媛県伊予市双海町に住んでいます。自分では名前若松が示すとおり若いつもりですが、残念ながら66歳の年齢を重ね、あと2週間ほどで1歳歳を重ねる初老な男性なのです。顔の造りはわたしを産み育ててくれた両親の責任なので、少し不満ですが目も口も耳も鼻も人並みにあるし、頭の髪の毛だって同じような歳の人に比べるとある方で、ハゲでも白髪でもないのです。しかし私の周りの人が格好良くて男前だったため、これまで女性には余りもてず色恋もありませんでしたが、見合いで一目惚れした?妻と26歳で結婚し、40年間中の良い夫婦を保ち、一女三男を儲けまあそれなりに幸せな家庭を築いているのです。頭脳は生まれつきと思っていましたが、後で聞いた話だと勉強をすればそれなりになったようですが、残念ながら勉強をしなかったため、親の病気という少しばかりの言い訳もあって高校しか出ていないのです。それでも世渡りは人並みだったため私の能力以上に働き、借金もなく今はまあまあ幸せな暮らしをしているのです。

 私はいつもこの体内に潜んでいる自分というもう一人の自分と対話をしながら暮らしています。自分というもう一人の自分に気がついたのは18歳の時でした。それまでは人が目にする自分以外、自分の存在等気がついていませんでしたが、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海に遠洋航海に出て寄航時、伊豆半島の沖で冬としては珍しい980㍊の低気圧の中に入ってしまい、死ぬかも知れないと船長さんに告げられました。その時私は自分の中に潜む自分と対話し続け、もう一人の自分とめぐり合ったのです。以来今日までの約半世紀50年間を、対話しながら共存共栄していき続けてきたのです。そして23歳の時自分の心の中に潜んでいる自分を鍛えない限り、いい人生は送れないと自覚し、自分を鍛えることを決意しました。体を鍛えることは勿論ですが、自分の心を鍛えることは容易なことではありませんでした。人間には等しく与えられた時間がありますが、寝る時間を少しだけ少なくし上手く使えば凡人の私でも人並みなことができると早寝早起きをモットーに、毎朝4時に起床することを決意しました。その決意は今もどうないか破られることもなく続いていて、その効果は「早起きは三文の得」となって蓄積しているようです。

 そして読む、聞く、見るという行動で得た知識を潜在能力にして、苦手だった書くことや喋ること、実践することによって顕在能力に変えてきたのです。お陰様にて自分の体内に巣づくっている自分というもう一人の自分を随分逞しく育て上げました。それは自分だけの力でもなく、関わってもらった多くの人の力によるものであることは、疑う余地のないことだと肝に銘じているのです。
 さて間もなく67歳の誕生日を迎える私にとってこれからどう充実して生きるか、これはこれまで以上に厳しいハードルが待ち受けているように思うのです。最大の難問は体力と気力の衰えです。私と同世代の人たちの中には既に体力と気力の衰えを訴えて、急速に人生のスピードを緩めている人もいます。それを年齢のせいだと主張していますが、私は「それは自分というもう一人の自分の心が弱いからだと思うのです。
 「くじけないで」がベストセラーになった柴田トヨさんは、「百歳」という本の中でこう書いています。

   百歳
私 来年になると
百歳になるの
奉公 戦争 結婚 出産 貧しい生活
いじめられたり 悩んだり
辛いこと 悲しいことも
あったけれど
空は 夢を育み
花は 心に潤いを
風の囁きは 幾たび
私を 励ましてくれたことだろう
あっという間の九十九年
両親も夫も お友だちも
みんな 逝ってしまった
でも 次の世で会えるわね
私 笑顔で会いたい
そして いろいろなこと
話してあげたい
百歳のゴールを
胸を張って駆けぬけよう

 柴田トヨさんの生き様はまさにもう一人の自分が素晴らしいことを実証しているようです。誕生日を機にもう一度もう一人の自分を強くすることを誓いたいと思っています。

  「若いころ 自分の中に いる自分 発見したから 豊か生きれた」

  「百歳を 迎える人に 教えられ 私まだまだ 修行が足りぬ」

  「座禅して 自問自答 する姿 これぞ私の 目指す生き方」

  「まだ若い 思えば私 まだ若い 負けてたまるか 自分にだけは」

 

 

 

 

 

 

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