人間牧場

〇タクシー送迎とは何とも楽でした

 私は年中県内外へ講演などに出かけています。その交通手段は中国・四国・九州地方辺りだと自家用車で行く機会が多いのですが、さすがにそこから先は飛行機・バス・列車などを乗り継いでいます。講演の依頼がある度に「何で(交通手段)来られる予定ですか?」と尋ねられ、その度に「車」とか「新幹線」とか答えていますが、最近は便利になったもので、インターネットの路線で調べると、こちらの条件さえ入力すれば到着時間や旅費まで瞬時に計算してくれるのですから驚きです。
 ところがこの度西条市からの老人福祉大の記念講演依頼は、自宅から会場まで往復タクシーという何とも有難い申し出がありました。私のような取るに足らない人間にタクシーまでつけるというものですから、一応「自分で行きます」と断わりましたが、たってのお勧めを甘んじて受けることにしました。

 講演は10時30分からなのですが、逆算してか少し早めの8時に地元のタクシー会社の車がわが家に迎えに来ました。運転はタクシー会社の社長さん自らです。相手の指示通り伊予インターチェンジで高速道路に乗りました。運転手の社長さんと久しぶりに世間話に花を咲かせながら、小松インターで降りました。相手の指示は西条インターだったようですが、西条インターだと引き返さなければならないので、国道11号線を走り加茂川の橋を渡って、西条総合文化会館へ1時間余りで到着しました。講演までには1時間30分も間があり、通された講師控え室で本を読んだりして過ごしましたが、それでもまだ余裕があるので思い切って外へ出て、名水百選に選ばれている自噴水公園を散歩しました。自噴水の出る水場では、何人かの市民がペットボトルを持参して水を汲んでいました。その人たちと言葉を交わしましたが、西条の水は日本一と自慢していました。

 

 

 

 

 

 

 

 再び講師控え室に戻りくつろいでいると、隣の控え室が何やら騒々しくなりました。外に出てみるとこの大会で、百歳の表彰を受ける高橋さんというお年寄りが、車椅子でステージから花束を貰って車椅子で帰って来ました。私も高橋さんの長寿にあやかろうと車椅子を押す介添えの身内の方の了解を得て、写真を撮らせていただきました。百歳の高齢にもかかわらずしゃんとしていて、私の言葉にもちゃんと反応してお話をしてくれました。

百歳の長寿をお祝いされた高橋のおばあちゃん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さあいよいよ私の出番です。高齢者で満席のホールで1時間ばかり楽しいお話をさせてもらいました。反応も上々でマイクの通りも良くまあ及第点と言ったところです。講演が終わって正面玄関へ出ると既にタクシーは待っていて、すかさず後部座席に乗り込んで出発しました。高速道路を使ったため帰路も約1時間そこそこで、12時45分に自宅へ到着しました。自分が運転するとこんなにスムーズではないと思いながら、楽が出来たことに感謝をしましたが、少々贅沢だったことが心に引っかかっているようです。

  「タクシーで 送迎するとは 贅沢な 言葉に甘んじ 楽をしました」

  「百歳の ばあちゃん元気 お裾分け 写真を撮って 握手と会話」

  「何人?と 聞けば七百 五十人 会場いっぱい 笑顔溢れて」

  「便利だね 講演終り お昼には わが家に帰る 妻も驚く」

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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〇島根県西ノ島からアワビが届く

 島根県のはるか沖合いに浮かぶ隠岐諸島の一つに西ノ島があります。この島へは40年も前に新婚旅行に出かけた、私たち夫婦にとっては忘れられない淡い淡い思い出の島なのです。そしてその後この島に住む、牧畑の保存に取り組んでいる角市さんという人と知り合って、急速に交流が深まり何度か講演に出かけた島なのです。角市さんは現在西ノ島町の町会議員をしていますが、とても多彩な方で絵は描けるし、素潜りはするし、また最近はブログ発信、陶芸にも触手を伸ばし新境地を開いていて、無芸な私にはとても真似のできない人なのです。
 前回西ノ島に講演で招かれた時、角市さんの娘さんや役場に勤める若いリーダー南さんとも親しくなり、その後南さんは出向職員として島根県庁で活躍していて、先日も年輪塾の修学旅行で高知県馬路村へ塾生と行った折も同行して、木下さんたちとご縁を深めているのです。

 そんな出会いの元となっている角市さんから一昨年、昨年に引き続き今年も立派なアワビとサザエが沢山届きました。あいにく私が留守をしていたため、生きたまま宅配便で届いたアワビやサザエの姿は料理されて見ず終いでしたが、庭先にはその残骸とでも言うべきアワビの殻が鈍い真珠色を朝日に輝かせて置いてありました。
 昨日の夜は妻がこのアワビを料理して、アワビ三昧とでもいうべき贅沢な味を、堪能させてもらいました。天然アワビ独特の緑色のアワビ肝は昔から目にいいと言われていて、私は刺身はアワビが届いたという言葉に吊られて帰ってきた次男、それに妻や長男、長男嫁に食べさせ、肝をひとり占めのような形で食べました。今朝はそのせいでしょうか目がパッチリして良く見えるような気がするのです。(笑い)

 

身を食べたアワビの殻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サザエは本当は壷焼きにして食べるのが一番いいのでしょうが、昨日は塩茹でにして食べました。西ノ島の潮の香りが口の中いっぱいに広がり、角市さんのことを思い出しました。瀬戸内海のサザエはツノがありませんが、西ノ島のサザエはツノがあるのです。日本海の荒波で育つサザエは波の力が強いので転げないようにツノで支えているからだからとも聞きました。
 それにしても、友人といいつつアワビやサザエを送ってくれた角市さんには毎年のことゆえ、すまない気持ちでいっぱいです。間もなく伊予路にはみかんの稔る秋が来ます。お返しにみかんを送ろうと妻と話しながら食べました。

  「島根県 はるか沖合い 西ノ島 宅配便にて アワビが届く」

  「西ノ島 新婚旅行 訪ねたり 淡い思い出 消えることなく」

  「アワビ肝 食べたらお目々 良く見える 聞いて育った 諺どおり」

  「アワビ殻 朝日輝き 美しい 三日前まで 海底暮らし」

 

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人間牧場

〇集中講義やっと終る

 1年だけダブっていますが、愛媛大学法文学部で7年、農学部で3年と、浅学菲才な私が大学で教えるようになって9年目を迎えています。法文学部総合政策学科では年間60時間を毎週1回1講でしたが、農学部では一年に4回集中講義をするのです。集中講義は長時間なので少々疲れますが、それでも年中忙しい私にとっては長期間の拘束でないため大助かりで気に入っています。
 大学は夏がとっくに過ぎてもう秋だというのに長い夏休みの終盤のようですが、農学部ではこの時期を選んで色々な学科で集中講義を行なっているようで、私も昨日までの2日間一日4講をやりましたが、昨日は前日に続いて二日目で4講目の終盤午後4時頃になるとさすがに疲れて、喉が少々痛くなりました。それでも妻の愛妻弁当と魔法瓶に入れてもらった冷たい麦茶に助けられ、今年も無事終ることができました。

 日ごろ一般社会人を相手に話すことが多い私にとって、大学生を相手に話す講義は雰囲気が随分違ってどことなく違和感を感じました。一般社会人はおかしければ笑うし、同調すれば首を振るなどして、話への反応を示すのですが、学生は無表情で聞き入ります。笑いを取るような話のくだりで笑わないと、話す方のテンションが上がらず、少し場違いな話を下のではないかと、話しながら反省するのです。
 また講義の時間に遅れても平気で教室に入り、座って講義を聞き始めるのです。今回は15人程度と少人数だったため遅れてきた学生は女性1人だけでしたが、私はあえてレジメの資料を渡しませんでした。「遅れてくるような人にレジメはありません」と少しムッとして突っぱねましたが、2回生ならいざ知らず4回生の学生だったので、「時間が守れない人間は社会に出て困ります。正直者が馬鹿を見るようなことはできません」と、結局一日目はレジメを渡さず、パワーポイントに映された資料で受講させました。

学生たちの議論風景

 何年か前山梨県北杜市に住む観光カリスマで友人の船木上次さんに頼まれて、山梨学院大学へ講義に出かけました。広い大会議室での講義には300人近くが集まりましたが、この時は私の講義が始まっているというのに、時間が過ぎても遅れて学生が入って来るものですから、講義に集中できず、多少切れた私は係りの人にお願いして開講10分後、入り口の扉に中から施錠してしまいました。私の講義中扉の外から戸を開けるよう扉を叩く音がしていましたが、遅れても平気で入ってくる学生やそれを許してきた先生にも問題があると思い、講義が終った後大学の責任者に、「このようなことを許すといつまで経っても大学は二流三流の大学から抜け出せない」と提言しました。その後どうなったかは知る由もありませんが、今でもこのことは私にとって忘れられない思い出なのです。

 帰宅後妻から「二日間の講義疲れたでしょう」とねぎらいの言葉をかけてくれましたが、妻は「どうだった」といつものように感触を聞くので、遅れてきた学生のことや、「反応が鈍いことは高齢者以下」などと話してやりました。大学は単位を取らなければ卒業できません。また単位修得には講義を聴いたり試験も受けて、関門を一つ一つ越えて行くのでしょうが、せめて講義は時間に遅れることなく、聞く気になって聞いて欲しいと願っています。講義終了後受講した学生の名簿に評点を採点記入して学務課へ諸々の資料を提出し、二日間の長かった集中講義を終え大学を後にしました。

  「遅れ来る 学生見るなり ムッとして レジメ渡さず 諭して講義」

  「学生は 時間守れる 習慣を 今のうちから やらねば困る」

  「先生の 後輩ですと 名乗り出る 水産なのに 農に席置く?」

  「トイレにて 小便同席(笑い) 学生が 面白講義 褒めてくれたり」

 

 

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人間牧場

〇今が旬の秋の夕日

 今日は大学の講義が終ってから愛媛新聞社前のJALホテルレストランで、ものづくり機構の南さん、それに愛媛新聞社事業部の浅野さんと3人で、間近に迫ったものづくり生命文明シンポジウムin松山(10月8日)と、in西予市(10月9日)の最終打ち合わせを行ないました。私は2日間とも出番があるので、そろそろ準備を進めなくてはと思った矢先に南さんから打ち合わせの連絡があり、最終便の飛行機で帰る南さんと慌しさの中で微細な話し合いを持ちました。私にとっては二つのシンポジウムと明くる日(10月10日)のエクスカーションは、県警本部長さんが腕まくりをしているイベントなので、何としても成功させたいと思っているのです。

 朝からの集中講義と終ってからの打ち合わせで少しばかり心地よい疲れを覚えましたが、帰る途中海の見える双海町に帰ると、西の空を染めていた太陽が小網辺りで水平線に沈み始めました。急いで小網から城ノ下に通じる旧道へ上がり、車を止めてバッグからデジカメを取り出しました。「早くしないと沈んでしまう」とあせる心を沈ませながら夕日を2~3枚撮影しました。
 少々疲れていた私にとって、夕日は一服の清涼剤のような感じがしました。夕日に夢中になっていると、車の後ろに顔見知りの人の車が止まっていることに気がつきました。その人は私が道の真ん中に車を止めて写真を撮っているのを見て笑顔で待ってくれていたのです。

西瀬戸に沈む美しい夕日

 

 

 

 

 

 

 

 
 
ダルマの夕日になりそこなった夕日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽く会釈し急いで車を横に動かせましたが、太陽は瞬く間に西の彼方に沈んでしまいました。それでも撮影した写真をバックアップして見ると、下手糞ながらカメラの性能に助けられて何とかそれなりに写っているようでした。
 夕日は秋分のころの今が旬です。特に恋人岬のオブジェの穴の中へ入る夕日は今でないと見られないものですので、時間と暇を作ってシーサイド公園へ見学にお越し下さい。願わくば恋人と二人で夕日の観覧席へ座って、夕日に恋の成就を願うのもいいかも知れませんね。

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〇巣箱の掃除

 このところは何かと忙しくてすっかり巣箱の存在を忘れていました。毎朝書斎からダイニングに変わった部屋の窓越しから、裏山のミツバチ巣箱を見て食事をしていますが、今のところ3つの巣箱とも順調に蜂たちが出入りしているようです。何日か前農業改良普及員のOBさんたちが人間牧場へ見えられた折、水平線の家の入り口付近に置いている巣箱の様子を伺ったところ、スムシにやられ完全に空き家になっていたので、裏山の巣箱も心配して見ているのです。
 昨日の朝急に巣箱の入り口が騒がしくなっていました。よく目を凝らして見るとどうやらスズメバチが働き蜂を狙って飛来しているようでした。私は早速ハエ叩きを持って巣箱の裏に回り込んで狙いをすませスズメバチを叩き落そうとしたのです。失敗すると攻撃されて痛い目に遭うことを覚悟して、「エイッ」とばかりに見事命中して叩き落しました。

 

巣箱の中をデジカメで除いて見るとミツバチが群がって活動中でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  早速倉庫から防虫ネット網、ゴム長靴、ゴム手袋、麦藁帽子、ステンレス製のヘラ、デジカメなど巣箱掃除の七つ津具を用意して3つの巣箱の底板掃除をしました。ミツバチが活発に活動しているせいか、底板にはミツバチの廃棄物やスムシも殆んど見られず、ホッと一安心といったところです。
 掃除が終ると巣箱の中へフラッシュをセットしたデジカメを差し込んで写真を撮りましたがご覧のように巣箱の中はミツバチが小山のように群がって暮らしていました。少しだけ安堵しましたが、繊細にしてわがままなミツバチのことゆえ、フイといなくなることもあるので、これから先はしっかりと見届けながら、昨日のようにスズメバチがやって来ようものなら、ミツバチの仲間を守るために、スズメバチと戦をしなければならないのです。

 近頃は毎朝、食パンに自家製の蜂蜜を塗り、美味しく味わっています。一匹のミツバチが蜜源を求めて飛び交い、どれほどの蜂蜜を集めるのだろうと思う時、気の遠くなるようなその働きぶりに感謝をするのです。と同時に折角ミツバチが汗水たらして集めた蜂蜜を横取りして美味い美味いと食べる人間様の横暴に少なからず心が痛むのです。この上はミツバチを狙う憎きスズメバチだけでもせめて退治してやらねばと決意を新たにしているところです。
 ミツバチの師匠である山奥組の井上登さんから、採密の打診がありましたが、はてさてこの時期になると来年の種蜂のこともあるので、正直迷っています。息子からも秋採りの催促をされていて、難しい判断に迫られている今日この頃です。

  「ミツバチの 巣箱下から こっそりと 覗きビックリ 球体なりて」

  「朝食は パンに蜂蜜 つけて食べ 自家製故に 安心しつつ」

  「刺されたり 逃げられたりも するけれど 少しずつだが グレード上がり」

  「来年の ことを考え ミツバチに 相談しつつ 巣箱点検」  

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人間牧場

〇えひめグリークラブ定期演奏会に招かれて

 一ヶ月ほど前、水産高校の先輩で友人の玉井恭介さんから2枚のチケットが送られてきました。封筒の中にはいつもながら達筆な筆文字で、玉井さんが所属活動しているえひめグリークラブの定期演奏会の案内チラシも入っていました。でもこのところ土日といわず毎日忙しい日が続いて、定期演奏会の予定されている9月25日の夕方、どうしても出席できなくなってしまいました。玉井さんにはこれまでにも随分世話になっているし、ましてやチケットまで送ってもらっているので、正直な話を相手に伝え夕方4時から夜8時までスケジュールを空けてもらいました。妻を誘い開演午後5時ギリギリに市民会館へ到着し、中ホールへ入りましたが、既に会場は満席で、空いているのは最前列のみでした。勇気を出して妻と二人で最前列に並んで座り、生まれて初めて男声合唱団の迫力のある歌を聴きました。

玉井さんが書いた絵が表紙を飾ったパンフレット

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステージは4部に別れていて、第一ステージひめグリでは玉井さんが作詞し、三枝成彰さんが作曲したハワイ沖えひめ丸海難事故鎮魂歌「希望海」や「故郷」も歌われ、母校である宇和島水産高校の悲しい過去の事故に思いを馳せながら、久しぶりにこの歌を聴き、柄にもなく少しウルウルしてしまいました。
 その後第2ステージ荘厳ミサ、第三ステージGOSPEL、第4ステージ柳河風俗詩と、絶えずBASSの場所に陣取る玉井さんの歌う姿を見ながら拝聴しましたが、白いスーツも、黒いスーツも、またワイシャツ姿もとてもダンディで、初老人の奥ゆかしさや知的さを羨ましいほど見せ付けてくれました。横に座って聞き入る妻も、勿論男声合唱団の歌声を聴くのは初めてでしたが、感嘆の声しきりでした。

 

TOP・SECOND・BARITON・BASSが居並ぶグリークラブのメンバー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉井さんは歌も絵も書も陶芸も、また一緒にやっている五行歌も何でもこなすマルチ人間です。歌も絵も書も陶芸も、また五行歌も苦手で無芸な私にとって玉井さんは憧れの人なのです。趣味の世界はいくら頑張っても上達する可能性は低いのです。私は趣味の世界を鼻から諦めていますが、玉井さんはこれからも修行を積んで私の視界から消えて行くほど上達するようで、何とも羨ましい人なのです。
 唯一私はハーモニカが下手糞ながら吹けるので、勝ち負けではありませんが、もう少し修行をして玉井さんに負けないような腕前にしたいと思っています。何はともあれ今日のコンサートは私たち夫婦の心を少し揺さぶってくれたことは確かです。

  「三十人 男集まり それぞれの 表現豊か 歌を歌いて」

  「ああ俺も 今度生まれて 来る時は 歌が歌える ようになりたい」

  「白や黒 スーツ姿も お似合いで 初老ながらも しゃんと背筋が」

  「腹の底 大きな声を 出しながら 次から次へ 口パク歌う」

 

 

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人間牧場

〇「もし」をポジティブに捉える

 私の人生は夕日を抜きにして語ることはできません。最初の夕日との出会いは生まれ育った下灘という漁村でしたが、ごくありふれた当たり前ように見えるが故に美しいとは思っても、それ以上ではありませんでした。18歳の時宇和島水産高校の実習船で見た南太平洋の夕日や、総理府派遣第10回青年の船にっぽん丸で見たアメリカ・メキシコ・ハワイの夕日も私を心を揺さぶるような感動は正直ありませんでしたが、これらの夕日が私の心の中の潜在能力として蓄積されていたのです。
 ある日私はNHKの「明るい農村」というテレビの取材を受ける予定でした。NHKのディレクターとカメラマンが上灘駅へ降りる私との約束を間違って下灘駅へ降りてしまったのです。連絡を受けて下灘へ迎えの車を走らせましたが、駅のベンチで西瀬戸の水平線に今まさに沈まんとする夕日を見てディレクターは「ここの夕日は今まで見た夕日の中で一番美しい」と私に告げました。その時こそが私の心の奥に潜む夕日の潜在能力が、9:1から8:2に浮かび上がった瞬間でした。

 私の脳裏をかすめた「夕日は面白いかも知れない」という遊び心が次々と目を出し、夕日は沈む、落ちる、没するというマイナスイメージしか持たない人から見れば、夕日に魅せられた私の姿は気違いじみていたに違いなく、100人中99人までが首を横にふり背を向けました。唯一一人の同情者は妻でしたが、以後その理解者だった妻さえいの痛くなるような悪夢に苛まれたのですから、マイナス99パーセントの人たちを夕日に向かせることは至難の業だったように思うのです。でも私は100人が100人賛成することをやっても意味がない。51パーセントの理解が得られれば社会は変わるとばかりに、一人二人と説き伏せるため、あらん限りのアイデアと実践をしました。
 その中で最もいい企画だったのは下灘駅のプラットホームを利用した夕焼けコンサートでした。町長もJRも渋い顔、ましてや演歌の似合う漁師町でクラッシックなど正気の沙汰ではないという人たちを尻目に、第一回のコンサートは26年前に開かれました。

 以来26年の歳月は矢のように流れ今日では、「私の町の自慢は美しい夕日です」と多くの人に言わしめるようになったのです。もしNHKのディレクターが間違って下灘駅に降り、夕日を見てこの夕日は綺麗だと私に言わなかったら、もしその言葉を聞いた私の心の中に夕日の潜在能力がなかったら、また反対はあるものと自覚し51パーセントに理解を求める行動をしていなかったら、もし、もし、もしと幾つかの克服した悪条件を思い出す度に、懐かしい日々が蘇ってくるのです。
 昨日開拓魂の観光カリスマ船木上次さんの話を下灘駅で聞き、カリスマどうしの対談をしました。船木さんの話を聞いて、船木さんもテーマや手法こそ違うもののやはり同じような道を辿って来ていることを確認し合いました。

 昨日の夜、今回のシンポジウムを企画運営してくれた市役所職員カタリバの皆さんとの懇親会で、携わった一人ひとりが乾燥を述べ合いました。私も舟木さんもコメントを求められましたが、私は遠心力と求心力の話をしました。求心力は自分という人間の内なる意識です。遠心力は自分を取り巻く人間、時間、空間への広がりです。この二つの力を持たないといい生き方はできないのです。私がそうであったしそう心がけているように、市役所職員にはそうあって欲しいと願っています。

 

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人間牧場

〇影法師

 子どもは大人と違ったものの見方をするものだと昨日の朝思いました。昨日の朝は台風一過の吹き戻しのような少し強い北寄りの風が吹く中、いつものように孫希心を近くの保育園まで連れて行きました。子どもは風の子でしょうか、私などは急激な下がった外気温に対応して、早くも長袖を着ていましたが、孫は寒くないのか半袖です。被った帽子を飛ばされないように反対方向に被り、風に向かって走りました。一緒に見送りに行く2歳の孫奏心も今では私よりはるかに早く走れるのです。
 突然孫希心が、「おじいちゃんや僕や奏心がもう一人いる」と突然立ち止まって、目の前にある影法師を見つけました。背中の向こうに朝日があって、足元に長く伸びた3人の影法師がありました。私は珍しい光景なので早速ポケットに忍ばせていたデジカメを取り出して一枚撮りました。

孫希心が見つけた3人の影法師

 

 

 

 

 

 

 

 

 さあそれからが大変です。孫たちはおどけて手を振ったりぐるぐる回って見たりしながら、自分の影を自由自在に動かし、また歩いたり走ったりして相手の影を踏みつけたりして大はしゃぎでした。私にとっても自分の影法師をマジマジと見るのは久しぶりなので感傷に耽りながら3人の影法師を見たのです。最近は毎日のようにこの道を通って孫を保育園に連れて行っているのに、この4ヶ月余りで初めて孫の指摘で影法師を見つけたのです。人の影法師はとても面白い姿をしています。多分この写真の影法師はもう二度と見れないと思うと、三人の影法師を写真に撮れたことも嬉しい出来事なのです。
 三人が影法師の面白さに戯れていると、そこを通りかかった何人かの人が私たち三人の奇妙な行動に首をかしげながら通り過ぎて行きました。私たち3人は手をつないで横一列に並んで歩いたりもしました。

 私たちは得てして目に見える目先のものにしか気を配りません。毎日洗面所で歯を磨いたり顔を洗ったりする時鏡に映る顔姿は見ても、特に影などは余り気にせず暮らしているのです。夏になると暑い日差しを避けて陰に入ろうとしますが、自分を写す影の存在には殆んど気付かないものです。
 影と同じように心の動きも目には見えずレントゲンでも写らないので、推し量る程度で終ってしまいます。孫の指摘で影法師を見つけた私は一瞬ハッとしました。例えば10円玉を落とすとチャリンと音がします。ところが1万円札を落とすと音がしないものですから案外気付かないのです。このように目に見えたり音のする細かい事象にだけ一喜一憂していると、大きな落し物に気付かなくなってしまうのです。虫の目と鳥の目という複眼的思考を働かせよと、孫が教えてくれた朝でした。

  「影法師 見つけて孫は 大はしゃぎ 久しぶり見る 私の影絵」

  「目に見える 物に心を 動かすが 見えないものにも 心動かせ」

  「孫視点 大人の私 気付かない ことに気付かせ 思わずハッと」

  「三人の 影絵デジカメ はいポーズ これも立派な 記念写真に」

 

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人間牧場

〇年齢に関係なく人の筋力は鍛えられる

 たった一つの台風が、あれほど残暑が強かった気温を一変させ、今朝は寝床で妻が用意した羽毛布団を被って寝ていました。このところは起きるとパジャマのままで着替えもせずに書斎に入り、妻が起きてくるころに着替えをすることが日課になっていましたが、今日はさすがに冷えて作業着に着替えてブログを書いています。
 私の体は朝の気温が20度を下回ると少し寒さを感じます。これから出かける散歩も、昨日までは背筋にじっとり汗をかいていましたが、多分今朝はさすがに汗はかかないものと思われます。私はある70歳を越えた人がガンを患い、リハビリのために始めた筋力トレーニングで筋力どころか筋肉がもりもりついた話を聞いたので、66歳の私も可能性があるかも知れないと思うようになり、之までの散歩に加え少しだけハードな腹筋や腕立てなどを取り入れていますが、その人のようなトレーニングジムに通っている訳でもないので、まだそれ程の兆候は見られませんが、それでも少しだけ元気になったような気分で日々を暮らしているのです。

 私は元々18歳から25歳まで家業である漁業を継いで漁師をしていました。若吉丸の船長として漁業を営んでいました。そのころの私は筋肉りゅうりゅうで、日焼けした姿はいかにも逞しかったのですが、残念ながら病気で役場職員となってからは、使わなくなった筋肉は衰え、今のようなひ弱な体形になってしまったのです。「結婚したころのあなたの体は逞しかった」と妻が時折言うのですが、鍛えれば元の姿ほどではないにしても多少は戻れるかも知れないと、淡い期待を抱いていたものの、歳だからと諦めていました。ところが前述のような人の体験談を聞けば、淡い期待は膨らんで行くのです。その人が言うように「鍛えれば年齢に関係なくある程度は筋力も筋肉もできる」という言葉を信じて無理はできないけれど、少しだけハードな運動で筋力と筋肉をアップしようと思っています。

 私はこれまで年に一度か二度、ぎっくり腰という腰痛になっていました。腰痛はなってみないと分からない痛みに苛まれます。願えるさえできない板もを直すため隣町の整体へ2~3日通って直してもらうのですが、整体の先生が「腰痛体操をするよう進めてくれました。ラジオ体操のような腰を強化する運動ですが、毎日裏山を散歩する途中、頂上の空き地でこの体操をしているお陰でしょうか、この一年はぎっくり腰になることもなく、整体へは通っていないのです。先日偶然にもあるお店でその整体の先生に逢いましたが、先生が「どうですかその後腰の具合は」と声をかけてくれました。「教えてもらった体操をしているので調子いいです」と答えると、「そりゃあ良かった」と喜んでくれましたが、この先生は肝臓の調子が悪くて入院し最近まで整体院を休んでいたとのこと、逆に私が「お大事に」とお見舞いの言葉をかける羽目となりました。
 「人は年齢に関係なく筋肉も筋力も鍛えられる」という言葉を信じて、トレーニングジムには行っていませんが、思い草刈機を使ったりしているお陰で、少しだけ私の体は逞しくなりつつあるようです。

  「年齢を 言い訳にする こともなく 努力一つで 筋力アップ」

  「もう一度 若かりしころ 思い出し トレーニングで 実証したいと」

  「俺元気 整体先生 病気なる 逆のようだと 首をかしげる」

  「さあ今日も ファイトで行こう コマーシャル 信じることで 元気もりもり」

 

 

 

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人間牧場

〇子育て講演会

 「明日は台風が来るから保育園はお休みじゃろうか?」と、昨晩一緒に風呂に入りながら4歳の孫希心が私に問いかけました。「保育園はお母さんやお父さんが働いているから、台風が来ても休みにはならんのよ」というと、「先生が来なんだらどうするん?」と聞き返し、「何で」、「何で」と質問攻めに合いました。智恵がつく盛りの「何で」には面倒くさくても答えるようにしていますが、結局最後は「うるさい」とか、「何ででも」でお茶を濁してしまうのです。
 あれほど遅かった台風もさすがに恥ずかしくなったのか、日本列島本州が近くなるとスピードを上げて午後2時過ぎに静岡県浜松市付近へ上陸したようです。瀬戸内海の伊予灘に面したわが双海町では朝から雨は止んでいますが、吹き返しの風が強くなって、電線を揺らす風がヒューと音を立てています。

 今日は午前10時から伊予郡松前町にあるコープえひめ西支所で子育て講演会があり、講演を頼まれて午前9時に自宅を出発しました。昨晩遅くに場所が分からないことを思い出し、コープえひめの部長さんにメールを入れましたが通じず、あらかじめインターネット地図で場所を調べて粗方分かっていたところへ、ありがたいことに部長さんから電話が入り、運転中だったので折角のご好意を無駄にしてしまいました。支所2階の会場には20人ほどが集まりこじんまりとした集会でした。今日のような日は孫と一緒で出席したくない人には台風襲来が好都合の欠席理由になるのに、台風が思わぬ速さで進んだため、残念がっている人がいるのかも知れないと邪推をしてしまいました。

 今日は「子どもとお金~いつ、何を、どのように教えるか~」について、私が金融広報アドバイザーをしている愛媛県金融広報委員会からの派遣事業なのです。今日の話は子どもの現状とその裏側にいる親のあり方から話しました。
 鉛筆が削れない子ども・箸が使えない子ども・カブト虫がエミフルにいると思っている子ども・テレビの画面の前でしか遊ばない子ども・友だちがいない子ども・煙が目に染みて涙が出ることを知らない子ども・マッチの使い方を知らない子ども・塾に通う子ども・学校から帰っても稲に親がいない子ども・毎日が習い事スケジュールで忙しい子ども・運動会や遠足にコンビにの弁当しか持って来ない子ども・夜11時になって親とレストランで食事をする子ども・学校に行きたくないのに学校があるとぐずる子ども・インターネットでエッチな画像を見る子ども・感動の涙を流さない子ども・中学校になると人が変わる子ども・地域の催しに参加しない子ども・親が離婚して片親の子ども・兄弟がいない一人っ子の子ども・失敗経験の少ない子ども・朝ごはんを食べて来ない子ども・マニュアル化した子ども・本を読まない子ども・遅寝遅起きの子ども・約束を守れない子ども・むかつき直ぐに切れる子ども・学校で靴を揃えるが家ではできない子どもなどなどについてコメントしました。

 その後①働いて収入を得る(給与、儲け)②お金を使う(購買)、③お金を借りる(クレジット、ローン)、④お金を貯める(預貯金)、⑤将来に備える(生命保険、損害保険)、⑥投資をする(株式・投資信託)など6つの経済活動について話し、お金の話や二宮金次郎の勤労・分度・推譲についても触れました。
 講演後の座談会も終始和やかでいい研修会でした。

  「台風の 一難去った 学習は 終始和やか 心晴れ晴れ」

  「子育ては 妻に任せて いたために 苦労もせずに わが子成長」

  「金使い しっかり教えた 子どもなら 世の中迷う ことなく歩む」

  「子育ては 鏡に写る 親姿 しっかりせねば わが子危ない」 

 

 

 

 

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