shin-1さんの日記

〇鄙を照らした儒者の生涯(遠藤石山物語)

 一昨日、新居浜市泉川町づくり協議会の招きで泉川公民館に出かけました。その折一冊の本をいただきました。内藤雅行著「鄙を照らした儒者の生涯」という泉川まちづくり協議会が発行した本です。この本の主人公である儒者遠藤石山も、この本を著した内藤雅行さんも知らぬまま、また発行した泉川まちづくり協議会がどんな目的なのか知らぬままページをめくりながら読んでいるところです。

若松進一ブログ
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 はてさて読んでいるうちに凄い人だということだけは分かりましたが、紙面の都合で詳しく書けないため遠藤石山という人について記念碑の漢文を著者が分かり易く解読しているので紹介したいと思います。

 先生の幼名は徳蔵。字は石山、号は璞玉又は六顛という。遠藤氏は予州小松の人、天保三年壬辰七月十三日をもって生まれる。父は清左衛門と曰い、本姓は永井氏。入りて遠藤氏を継ぐ。泉川村山内氏の女を娶り、四男一女を生む。先生はその四男なり。山内氏は嘗て小松藩近藤篤山に師事し、夙に賢を以って聞こゆ。児女を教養するに方有り。先生は天稟温厚、幼にして学を好み、殆ど寝食を忘る。年十有九にして江戸に遊び、昌平黌に入る。卒業して教職に任ぜられる。尊攘の議起るや京都に入り、頗斡旋する所あり。明治維新、塾を風早、竹原、尾道、泉川の諸処に開き、稽崇館と称す。従遊するもの前後数百人。旧藩主一柳公も亦其の門に入る。其の宇和島に遊ぶや、藩主春山公礼遇すること甚だ厚し。石鉄県学務取締及び第三学区取締を歴任す。四十年丁未十一月十八日、家に病没す。享年七十有六。山内氏の女徳子を娶り、男を生む。長は菊太郎と曰い、出でて山内家を継ぐ。次は芹次郎と曰い、次は枸杞三と曰い家を嗣ぐ。先生は経書に精通し、常に竺墳を愛読し、深く其の理を究む。作る所の詩文は篇什極めて多し、又書画を善くし、茶道を好み、晩年京阪を歴遊し、復家事を顧みず、超然として物外に逍遥せり。某等久しく教えを門下に奉ず。感恩実に深し。頃、石を建て其の墓に表す。銘に曰く。流風余韻 南海の浜 猗歟先生 其の名泯びず

 著者の書き下ろし文には全てふり仮名がつけられているのに、漢字の一つ一つをパソコン画面の部首で探すのに中々見つからず、凡人の私はひと苦労をしました。

 さて表紙の題字に書かれた「鄙」という字も、私は本をいただいたとき正直読めずに、「何と読むのでしょうか?」と聞いてしまいました。お恥ずかしい話です。広辞苑を紐解いて見ると、鄙とは都を離れた土地、田舎と書かれていました。なるほどと相槌を打ち、遠藤石山という人物の奥の深さや著者の洞察を垣間見た次第です。

 人の偉さは自分で決めるものではなく人が決めるものです。今の世の中はややもすると自分で決めたがる人が多いようです。遠藤石山のように死してなお威徳を偲ばれる人はそんなに多くはありません。これからこの本を折に触れじっくり読んで、その教えにあやかりたいと思いました。いい本をご贈呈ありがとうございました。


  「いや凄い 人がいたもの 本読んで 威徳あやかり 読書にふける」

  「この本を 編した人も 偉い人 思いつ漢字 鄙意味探す」

  「書いたゆえ 本書く苦労 よく分かる ノンフィクションは 嘘が言えない」

  「一冊の 本を編纂 まちづくり よくぞやったと 心で拍手」

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shin-1さんの日記

〇モブシ(コブダイ)の調理に挑戦

 今朝6時に下灘で漁師をしている叔父から電話がかかってきました。先日叔父は胃がんで入院して手術を受け退院して間もないため、漁は当分休むと聞いていましたが、働き者の叔父は退屈なので建て網漁に出かけたようで、その建て網にモブシという大きな魚がかかったので、食べるようなら取りにこないかという連絡でした。

 今日の朝は天気は良いものの放射冷却現象の影響でしょうかとても寒く、手がかじかむほどでした。行って見ると既に船から引き上げられてプラスチックのトロ箱に氷詰めされていましたが、蓋を開けて見ると私もかつては漁師をしていたこともあって、この手の魚は自分で獲ったりお目にかかったことがありますがかなり大物でした。

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(長いトロ箱の中に入りきらないようなコブダイ)

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(まるで恵比寿大黒様のようなユーモラスな顔をしたコブダイ)

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(料理を前にデジカメを取り出して自動シャッターで一枚撮りましたが、手に応えるほどの重さでした)

 往復30分で自宅へ帰り、早速調理をしようと思いきや、背広の仮縫いのために洋服屋さんがやってきたり、友人の稲葉さんがやってきたり、はたまた親父が剪定枝を畑で焼却処分するから手伝うようにとかで、結局調理に取り掛かったのは9時を回っていました。

 あらかじめ妻が用意をしてくれた出刃包丁やまな板、鱗引き、パレットなどを使って裏庭に設えている流し台で格闘を始めました。退職後魚の調理は折に触れ妻の求めに応じてやっているのですが、別名ブダイやコブダイといわれるこの魚は、鱗の大きさも半端ではなく、冷たさで手がかじかむこともあって悪戦苦闘の連続でした。

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(出刃包丁でコブダイの調理に挑戦しました)

 それでも使い慣れてる出刃包丁の力を借りて何とか40分ほどでかたがつきました。身も分厚くアラや頭、それにヒハラも半端な量ではなく2つのパレットにいっぱいになりました。身は刺身、アラは煮付け、ヒハラや頭は鍋物にして食べようと思っていますが、今晩の夕食がとても楽しみになってきました。量が多いので姉や友人におすそ分けしてやろうと思っています。

 料理をする前にやって来た稲葉さんに見せたところ是非写真に撮らせて欲しいと言われ、お互いがお互いのデジカメで記念写真を撮り合いました。形あるものは壊れたり消えたりしますが、この大魚も私の手によって形は消えうせ、冷蔵庫へ入ってしまいました。今夕は妻の手で料理され私たち家族の胃袋に納まるものと思われます。その点記念に写した一枚の写真はほんのさっきが、すでに過去となった生き証人として残るのですから凄いものです。

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(稲葉さんが撮ってくれた記念写真)

  「コブダイを 叔父から貰い 調理する 海の中には 凄い奴いる」

  「今晩は 刺身に煮付け 鍋物と 頭に描き 包丁使い」

  「漁師名は モブシというが 学名は コブダイ・ブダイ 色々あって」

  「かじかんだ 指を暖め 調理する 俺も立派な 役立ち亭主」

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