shin-1さんの日記

〇友遠方近方より来るまた楽しからずや

 このところの暖かさですっかりご無沙汰していた書斎の小さなストーブですが、寒の戻りというのでしょうか昨日から寒波がやって来て、再び火を入れました。やかんにいっぱい水を入れ、ストーブの上に置いていると、僅か20~30分ほどで勢いよく湯気が出てきました。小さなやかんは直ぐたぎるといいますが、納得しながらストーブで乾燥した部屋をこの蒸気が守ってくれるのだと思いつつ、愛おしい気持ちで近づけました。

 昨日はこの部屋に4組ものお客さんが見えました。本当は居間か応接間で来客対応すればいいのでしょうが、寒い時期ゆえ暖房をつけたり消したりするのが面倒くさくて、ついつい玄関のチャイムが鳴っても、「裏に回って下さい」と声をかけ、私の書斎の吐き出し窓から入ってもらうのです。

若松進一ブログ

 昨日は10時に約束していた投与地方局の國元室長さんと井下さんがやって来ました。この一年観光関係のアドバイザーとして関わっていた、ニューツーリズムの冊子が出来たと持参していただきました。開けて見るとこのパンフレットを作るために訪ねた、東予地域のあちらこちらが写真で紹介されていて懐かしく思い出されました。その模様は会合の都度ブログで紹介しているので、お二人が帰られてから早速昨年の予定表を捲り、月日を打ち込んで呼び出して読んで見ましたが記録とは凄いもので、ブログ記事はつい昨日のことのように記憶を思い出させてくれるのです。ましてやペーパーではなく画面に直ぐ現れるのですから、これくらい便利なことはないのです。

若松進一ブログ
(出来上がった立派なパンフレット)

 夕方関西汽船の浜田さんがひょっこりやって来ました。読書家の浜田さんは来る度に本を提げてやって来ますが、昨日は手ぶらでした。四方山話や少し込み入った話を、お茶を飲みながら30分ばかり話し、國元課長さんが手土産に持ってきてくれたイチゴ大福を一個食べて帰えられました。國元課長さんは妻の大好物を知っていて、前回は幻の銘菓といわれる霧の森大福をいただきました。昨日もたいそう喜んで一六のイチゴ大福を2個も食べたようで、私の分は冷蔵庫に入れて多分今日あたりまた食べるのでしょう。私は余り甘いものを食べませんので、妻の至福ならに大福にしてやるのです。

 夜遅く別の友人がやって来ました。数日後息子さんが結婚式を挙げるそうで、親父の挨拶をしなければならないそうで、そのことが気になって夜も寝れないそうです。私への依頼はあいさつ文を書いて欲しいとの事でした。夕方少し時間があったのであいさつ文を手渡すと友人は大喜びをして、「お礼はまた」といって帰って行きました。「お礼など要らない」といいましたが、彼のことゆえ「つまらないものですが」と、つまらないものを持ってくることでしょう。家にいると家に人がやってきます。こうして早春の一日はあっという間に終わるのです。


  「久方に ストーブ火入れ 湯気が立つ 湯飲みに注ぎ 四方山話」

  「チャイム鳴る 裏へ回って 言ううちに 勝手知ったる 友上がりこむ」

  「指折ると 五人の客と 話しこむ お茶など入れた こともないのに」

  「ストーブが 人の心を 暖かく 結んでくれる 囲炉裏の役目」 

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shin-1さんの日記

〇日本農業新聞を読んだ話

 年輪塾塾頭の清水さんは、年輪塾ネットのまとめ役だけあって、一年に一度はネット会員の意思表示を確認して、入会や脱退の作業という面倒くさい作業をやったり、会員の頭と心をつなぐため、様々な情報をネットに書き込んでくれます。一昨日も日本農業新聞を読んで見つけた記事の話を、「心ここにあらざれば・・・「大学より」というタイトルで投稿してくれました。

 3月は卒業式の季節です。記事の内容は小学校の校長先生が卒業式に話された言葉の話でした。人の話を聞くことの姿勢についてだそうで、尊徳翁夜話にも登場してくるもので読み覚えのある「大学」の一節のようです。

「心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味わいを知らず」、原典では「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」と書いてあり、「こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、くらえどもそのあじしらず」と読むのです。

 これは、うわのそらであったなら、ものを見ても見えず、聴いても聞こえず、食べてもその味が分からないという意味だそうです。ものを見て、それがどういう動きをしているか、ものを聴いて、それがどんな意味があるのか、ものを食べてそれがどんな味なのか、それらを受け止める五感は、本当は心の働きなのかも知れないのです。みんなで一緒のものを見ても、一方の人には気付くことが、もう一方の人には見過ごしてしまうことだってある、すべては意識の問題のようです。染み持参がコメントしている通り、何事にも通じるいい言葉だと思います。

 私は早速書棚の奥に大切にしまっている「大学」という古い本を取り出して捲りました。大阪梅田の古本屋で見つけて買った古い古い本なのです。この本との出会いは二宮金次郎の銅像が読んでいる本が「大学」の一節だったことを知ったからでした。大学の一節をどうしても原書で読んでみたかったのです。


若松進一ブログ
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 「大学」の本は難し過ぎて、私が読めるのは二宮金次郎が読んでいるという「一家仁・・・・」から始まる僅か25文字しか読めないのですが、今回の心不在焉・・・」は「一家仁・・・」の直ぐ前の頁にあって、直ぐに見つけることが出来ました。多分大学の本の中から探すのは難しかろうと思っていただけに意外や意外、簡単に見つけることが出来て拍子抜けした感じです。それでもこうして原典を読めた喜びは大きいものでした。

 早速清水さんにメールを送りましたが、すかさず原典の大学を見てみたいと返信があったので、デジカメとスキャナーを使ってブログ記事で紹介することにしました。いやあ我ながら天晴れです。(こんなことで喜ぶ私はどうかしていますね-大笑い-)


  「一万円 出して買いたる 古書開き 心不在の 一行見つけ」

  「大学本 出てない私しゃ 難解で 大学出た人 読んでもらおか」

  「身震いを するよな気持ち 古書を読む 凡人ゆえに 感動するか」

  「まままだと わが身の学び 浅さ恥じ ささやかランク 上がる喜ぶ」


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