shin-1さんの日記

〇どこかにいい職はないかな?

 私の知人友人たちは、私と同じような年齢のため、私と時を同じくしてリタイアしたりリタイアしようとしています。既にリタイアした人の中には、再雇用という美名のレッテルをいただいて、元の古巣もしくはその近くに職を得ている人も多いようですが、天下りと感違いをして役所が用意した職場に赴いたものの、これまでの地位や給料とは程遠い待遇に現実の厳しさを味わっているようです。

 先日、そのような友人に出会いました。役所勤めの最後を部長職級で終わったその人は、どちらかというと傍目から見れば多少偉そうぶるようなところがあって、部下も命令を聞いてくれたから自分では偉いと思っていたようなのです。しかし辞めるとその上下関係が一変し、これまで文句を言っても命令に従っていた部下は、むしろこの人を見下げたような言動になったようです。

 給料はこれまでの4分の1に落ち込み手取りは僅か、その上そんな仕打ちまでされては頭にくるらしく、黙って絶えれば3年は再雇用が延長されるのに、ついにこの春3月末日をもって退職するというのです。私に別の職を探して欲しいと依頼がありましたが、私はそんなに顔も利かないときっぱり断りました。そして社会の現実を知らなさ過ぎると友人に色々な話をしてやりました。

 まず自分の部下に対して自分は偉いと錯覚してこれまで取ってきた接遇が問題です。命令系統は上下関係ですから、命令さえすれば部下は動きます。でも本当に人が動くのは人を思いやるハートだということを忘れていたのです。役所の人間関係は意外とクールで、辞めた後まで尾を引くような濃密な人間関係を保てる人は本の数人です。でも部下を大切にしなかった上司はもっと悲惨で、声すら掛けてくれないのです。


 もう一つ肝心なことは、退職を間近に控えた人や辞めた人は、管理職という仕事以外何も出来ず、つぶしが利かないということです。多分この人も再就職をしようと探すのでしょうが、60歳そこそこの人を雇ってくれるような職場は殆どなくそんなに甘くはないのです。今の世の中は有史以来の不況風が吹いて、大学院卒という学歴を持っていても、「何が出来るか」という関門で門前払いされるような社会なのです。

 いつの間にか染み込んだ傲慢や甘え、それに口先だけで動く社会と勘違いしていた考えを改めないと、これから始まるであろう第二の人生も結果的には上手く行かないのです。私たちは高齢化社会の中で、退職後20年も30年も生きなければなりません。ましてやその社会で生きていることを実感するような暮らしをすることは容易なことではありません。

 「輝いて生きるあんたが羨ましい」とその友人は別れ際にポツリ言いました。私だって楽をしたいけれど、「輝いて生きるために一生懸命生きているのだ。あんたも頑張れ」と励まして別れました。さて友人はこれからどう生きるのでしょう。


  「ええ職は ないか相談 されました 甘くはないぞ 両目で見ろよ」

  「天下る 場所でやれない 人などは 誰も雇って くれたりしない」

  「輝いて 生きるあなたが 羨ましい 輝く努力 知らないくせに」

  「管理職 以外に出来ぬ その身にて 明日から無色 違った無職」

 

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shin-1さんの日記

〇自著本にサインを求められて

 このところ、友人や知人から私の自著本購入希望が相次いで、嬉しい悲鳴をあげています。私はこれまで以下のような本を出版しているのです。

 ・町に吹く風

 ・出会いとふれあい

 ・ミレニアム200年その日私は

 ・私のはがき言葉

 ・今やれる青春(1200円)

 ・昇る夕日でまちづくり(1500円)

 ・夕日徒然草地の書(500円)

 ・夕日徒然草水の書(500円)

若松進一ブログ

 既に絶版になっている「町に吹く風」を著したのは42歳の時でした。この本は毎月2回、10年間で240号、ふたみ広報を殆どたった一人で執筆したものに、あとがき「こちら編集局」へ「大根心」というペンネームで書いたコラム原稿のまとめでした。

 ちょうど42歳の厄年だったため、金もないのに妻に無心を言って80万円の資金を用意してもらい、厄除けとして出版し、お世話になった方々に無償配布しました。その時心ある方々から祝い金までいただいたこともありましたが、自分としてはこれで厄から逃れたような気持ちになりました。これ以外にも「出会いとふれあい」や「私のはがき言葉」も既に絶版し、手元にさえ残っていないのです。

 「ミレニアム200年その日私は」は、限定20冊の手作り本です。これは私が西暦200年という一年をどんなことを思いながら365日過ごしたかを著しました。毎日書いたA4一枚の原稿を一ヵ月分一冊に綴じ、まちづくりセンターに出向していた三瓶町職員の三好誠子さんに校正を依頼し、校正が終わると役場のコピー機を、用紙持込という了解を得て20部印刷し、12ヵ月分まとまったところで20部を自分で製本したのです。一部づつ三好誠子さん、町長さん、図書館、教育委員会などに配布し、手元に2冊残しましたが、その一冊は人間牧場の書棚に眠っているようです。

 残部が殆どなくなった「夕日徒然草地の書」以外の、「今やれる青春」「昇る夕日でまちづくり」「夕日徒然草水の書」で購入希望に応えているのですが、そろそろ次の出版を考えなければならなくなったようです。とりあえず5部作を予定している3部作目の「夕日徒然草火の書」は今年中には出版する予定ですが、さすがにこの歳になると執筆疲労が重なって思うに任せないようです。

 購入希望者の中には、私の署名サインを求める人が多く、求められる度に多少困惑するのです。というのも私は字が下手糞だからです。恥はかき捨てとばかりに書いていますが、時には人前で書けと言われたりすると困ってしまい赤面したりするのです。昨日も「夕日徒然草地の書」「夕日徒然草水の書」それぞれ10冊もサインして送りましたが、何ともお粗末な字にため息が漏れました。


  「自著本に サインをしろと せがまれる イボ字切れ字で ごまかし書いて」

  「貰う本 読まぬが買った 本は読む ゆえに有償 送り届ける」

  「凡人と 自認の私 本を書く ゆえに内容 つまらぬけれど」

  「記録する ゆえに記憶に 残ってる 平凡日々を 重ねて生きる」  

 

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