shin-1さんの日記

○岡山県井原市美星町星の郷青空市での講演会に招かれました

 私に講演のオファーがかかるのは、私を知っている人からの推薦、私の話を聴いた人からの依頼、新聞や雑誌インターネットからの情報による依頼などがありますが、今回岡山県美星町からの話は、昨年岡山県の農業士さんに農業士総会でお話をした折参加していた星の郷青空市株式会社取締役の竹井さんと、井笠農業普及指導センターの黒住さんが相談され、青空市の年に一度の説明会で講演をして欲しいと頼まれたのです。

 黒住さんからはメールが、竹井さんからはFAXがそれぞれ届き、講演の準備をしました。会場となるJA岡山西美星支店2階大会議室までの道順や美星町のことをインターネットで調べ、準備物を木になるカバンに入れて準備をしていました。ところがそのカバンをうっかり車に積むのを忘れるという大失態を演じてしまったのです。

 行く先も分からない不安な旅はしまなみ海道を下りてから始まりましたが、広島福山、岡山笠岡などは何度も尋ねている場所なので、カーナビの手助けを借りて何とか道に迷うこともなく美星町に着き、念願の中世夢が原も見学することが出来ました。

 会場はかなり広い大会議室でしたが、マイク施設が余り十分でないため果たして私の話が高齢者など比較的年齢の高い人の耳元や脳裏に伝わるかどうか心配しました。

 会場は何でこんなに人が集まるの?という200人近い人が集まっていました。人口5千人の町なのでこれは凄いと褒めてあげました。

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 説明会の予定もあるので、私の話は約1時間でしたが熱心な皆さんに助けられていい雰囲気の講演会となりました。ギノー味噌さんからいただいたPR用のゆずドレッシングとお味噌をさりげなく宣伝しました。特に人の嫌がる最前列に座ってくれた方々に差し上げ、大盛り上がりとなりました。

 新しく作った「裏が味噌」という私のPR名刺は今回ちょっとの差で使えませんでしたが、まあこれからも地方の村おこしや特産品開発を支援してゆきたいと思っています。

 余談ですが今回お世話になった竹井さんは59歳、私と同じように若い頃、かつて青年団活動をしていたそうで、とても好感の持てる前向きな方でした。農業後継者が始めた青空市も今では道の駅で年間40万人も集客しているそうです。この日の講演会に参加した人たちはその出荷者なのですが、その人数の多さの秘密が分かったような気がしました。


  「用意した 椅子が足らぬと 右往左往 人が集まり 時間守れて」

  「前座る 人にあんたは 偉いねえ ねぎらい言葉 添えて景品」

  「青年団 活動経験 した人は ポジティブ生きる 術を知ってる」

  「淀みなく 一時間ほど 講演す 今日も最高 満足帰る」

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○岡山県井原市美星町中世夢が原を訪ねる②

 私の町にも中世の城郭後が沢山あります。しかしその殆どは荒れるにまかせて、その存在すら分からない状態になっているのです。私が夕日でまちづくりを始めた頃、私の家の直ぐ前に聳える町のシンボル本尊山という山の城郭調査を、宇和島出身の井上日本城郭協会会長さんを招いて行いました。井上さんの話によると由並本尊城跡の石類群は一級品とのことでした。

 何度も山に分け入り矢竹を強力な草刈機で刈って中世時代の城郭のその全容が見えてきたとき、身震いするような感じがしました。早速へ山城を再現しようと絵を描き、愛媛県の夢プランに応募したところ、見事その提案に予算がつくことになったのでした。しかし町内の有識者からは「中世の城郭など造るより、もっと別な特産品などをつくってまちづくりを進めるべきだ」との寝ずよい意見があり、ついには断念せざるを得なくなったのです。

 そんな経緯を経てその後夕日によるまちづくりがある意味成功を収めたため、双海町では平成の大合併もあって、それらの話は私の記憶の中からさえ消え失せていたのです。しかし今回井原市美星町から講演のオファーがあった時、何かの本で読んだ美星町の「中世夢が原公園」のことを思い出したのです。

 昨日私のブログで「中世夢が原を訪ねる①を書きましたが、夢が原公園の中核施設は私の思い描いていた中世の城郭を見事に再現していました。物見櫓のある山城「星の丸城や城主の館は多少風化してはいましたが、中々立派なもので見応えがありました。二階構造になっている櫓の急な階段を登って上階に上がると、そこからは美星町の町並みや公園に併設している天文台、それに公園内が一望できました。

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(物見櫓)

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(詰所)

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(城主の館)

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(櫓から広場を見る)

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(櫓から美星町の町並みを見る)

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(櫓から城主の館や美星天文台を見る)

 時間があれば天文台へも立ち寄りたかったのですが、残念ながら竹井さんとの待ち合わせの時間が近づいてしまい、急いで併設している弥生時代の竪穴式住居を見学しました。何年か前無人島に茅1500束、丸太300本を運んで直径10メートルの竪穴式住居を造った経験なる私としては、竪穴式住居も興味があったのです。

 中世の城郭と竪穴式住居が同居するミスマッチは説明不足で、時代考証としては「ハテナ?」と多少首を傾げましたが、それにしてもこれだけの施設群を今後どう管理運営するのか、頭の痛い問題だけに人事とは思えませんでした。

 講演に行きながら公園を見るなんて、これまたミスマッチながらこれぞ旅の醍醐味と久しぶりに満足し、後ろ髪を惹かれる思いで迎えに来た星の郷青空市の竹井さんや普及センターの黒住さんと夢見庵というレストランで合流し、昼食を取りました。

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(高床式倉庫)
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(竪穴式住居)

  「その昔 憧れていた 施設見て 造る断念 よかったホッと」

  「公園に 弥生中世 未来など 混在してて これも楽しや」

  「抜けるよな 青空見つつ 園内を 独り占めする 平日午前」

  「本当は これが私の 夢プラン 夢が原にて 再現叶う」

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