shin-1さんの日記

○人を遺すは上とする

 10月半ばになるとプロ野球のように一年間のリーグ戦が終わり、戦績が悪かったり思わしくなかったチームは、早々と来年に向けて監督やコーチを一新したり、選手の獲得に動くなど何かと慌ただしく動いているようです。成績が良いのに首を切られることが決まった野村監督はボヤキの名手で、試合後のボヤキは一冊の本にまとめられるほど面白く、楽天の人気の秘密も少なからずボヤキ効果も手伝っているようです。

 東北仙台に本拠地を移してから4年、最下位から楽天を2位に押し上げた野村監督の管理野球はこれからも長く語り継がれていくことでしょうが、心から野球の好きな野村さんは監督業への思いを捨て切れず、早くも就職活動ともとれるレクチャーを新聞やテレビで吹聴しているようですが、年齢で野球をするわけでもない監督という仕事ならまだまだやれるはずで、野村さんのような個性派のひとがいるから野球は面白いので、これからも頑張ってほしいと願っています。

 さてその野村監督が中国のことわざを引用して面白い話をしていました。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上とする」ということわざです。この言葉は色々な人が色々な場所で引用しているので、ことさら目新しい言葉ではありませんが、特に経営に携わる人にとっては意味ある言葉だと思うのです。

 我欲の強い人間にとって地位や名誉それに財は誰もが求めるものです。そのため人を蹴落としたり時には画策もしたりして手に入れようとするのです。しかし人間の値打は自分で決めるものでもなく人が決めるものですから、自分がいくら偉いと思っても地位や名誉はついてこないのです。しかし財だけは才覚があれば一億円でも二億円でも稼げるのです。私たちが知らないだけで世の中には財をなした人が沢山います。世の中に奉仕したりお返しいたりするでなく、財の蓄積にのみ執着して一生を終える人の何と多いことでしょう。

 しかしその財も歳を取ってやがて死んで行く時、全てをあの世に持ち込むことはできず、あの世への旅立ちは6文銭もあれば十分と定められているのです。残した財を親族が裁判までして骨肉の争いをする姿がよくドラマで紹介されていますが、何と悲しい人生なのかと同情するのです。

 その点人を遺すとは、自分の意思を汲んでくれるような心を持った人を育てることですから、自分の子どもも含めてしっかりと遺し伝えなければならないのです。

 人は自分の考えを押し付けようとしても反感反目されることも多く、人に自分の考えを理解してもらうことは容易なことではありません。人と人とを結ぶ信頼がなければなりませんが、退団する監督のために涙した選手が多くいたという自身が語らない野村監督の裏話は、野村監督が目指した管理野球を通して培ったヒューマンな生き方が深く深く心としているように思え、「人を遺すは上とする」という言葉の重みを感じるのです。

 さて私は人を遺すは上とする」ことをしているであろうか。?の疑問符です。


  「下よりも せめて中上 目指そうと するが凡人 財しか見えず」

  「結局は 人が決め手と 誰も言う だけど一番 人が難し」

  「もうそこに 終焉見える この歳に なっても未だ 心ふらふら」

  「昔人は 何でこんなに 明快な 言葉残して いるのだろうか?」 

 

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shin-1さんの日記

○キウイフルーツ泥棒

 キウイフルーツという果物を初めて見たり食べたりしたのは、そんなに古いことではありません。確かニュージーランドが原産地とかいって、地元の農家が興味本位で作ったものを物珍しく食べさせてもらいました。半分に切ってスプーンで食べる所作は、30年前総理府は県青年の船でアメリカやメキシコへ行った時、青年の船の船内でグレープフルーツを半分に切りグラニュー糖をかけて食べた時とよく似ているなあと思いました。キウイフルーツは外は褐色の髭で覆われ、「これ食べられるの?」と疑ったほどでした。ところが半分に切ってみると中身はトロピカルな緑色で、緑色の果肉など見たこともないだけにこれまたびっくりしましたが、完熟した果肉はとろけるような甘みのある美味しさだったと記憶しているのです。

 間もなく町内の農家のあちらこちらで栽培が始まり、瞬く間に広がっていったのです。当時は国鉄から払い下げてもらった古い枕木を支柱に立てて棚を作りブドウ栽培のようでした。消毒もせず手間も暇もそんなにかけることなく沢山の実をつけ、しかもそこそこの値段で販売されることも魅力となって、夢の果実のように思われました。樹勢は強くツルは瞬く間に天を覆い春に咲いた花から授粉用の花粉を採集してミョウバンと混ぜ合わせ、雌しべに授粉すれば鈴なりのごとく果実をつけるのです。

 最近はこれまでのヘイワードという品種に代わってゴールドという果肉が黄色い糖度の高い品種に変わりつつあるようですが、園芸組合が品質管理に乗り出したため、小ぶりりの物や害虫に汚染されたものは廃棄処分されるなど、中々厳しい庭先選別や千カ条選別の壁があるようです。それでも豊作貧乏や不作貧乏にあえぐ農家にとってみれば安値に悩む柑橘栽培の副収入として農家の懐を補っているのですから有り難いことなのです。

 キウイフルーツは木から取って直ぐに食べれる訳ではありません。木から取った直ぐはまるで石のようにかたいのです。その果実を貯蔵庫で寝かせて追熟させるのですが、バナナと同じように追熟にはかなりの時間がかかるのです。早く食べようと思えばナイロン袋に入れてリンゴを2~3個入れておくと追熟が早まるようです。わが家でも何度か試してみましたが、その通り美味しいキウイを味わうことができました。

 そのキウイフルーツに最近ちょっとした騒動が持ち上がっています。夜な夜な畑にキウイ泥棒が出没するのです。普通畑は夜など人の気配がないことをいいことにやりたい放題、キウイフルーツを一個や二個ではなく100キロ単位でごっそり持ち去るのですからのうかにとっても大変な事態です。春になると東北のサクランボ農家に泥棒が入る話題はよく聞きますが、直ぐに食べれないキウイまで泥棒に入られるとは前代未聞な話のようです。

 農家が文字通り汗水たらして生産したものを泥棒する心理は泥棒にしか分りませんが、度重なる泥棒に警察も重い腰を上げて捜査に乗り出したようですが、農家にとってはいつ来るかわからないだけに打つ手がないようで、さしあたり有刺鉄線でも張ろうかと思案しているようです。

 農家は今時ならぬイノシシの被害に遭って悪先駆と追うしている最中です。イノシシなら有害鳥獣として僚友会が鉄砲で処分することもできますが、まさか相手が人間ですから僚友会も手が出せず、ましてや泥棒はイノシシよりはるかに知恵が働くので、まあお手上げ、グリコの看板といったところです。

 キウイフルーツの泥棒で思い出したのですが、かつてシイタケがホダ木ごと盗まれる騒ぎがありました。業を煮やした農家は、「このシイタケは栽培しているので取らないでください」と看板を立てました。ところがその看板は、「ここにシイタケがあります」と言っているようなもので、かえってシイタケを取られるようになったのです。

 知人でもあった農家の方から相談を受けた私は、「毒キノコに注意」と「マムシに注意」という2枚の看板を作ってあげました。その結果シイイタケ泥棒は完全に姿を消したのです。「あんたは知恵者だ」と褒めてくれ、それ以来春と秋のシイタケの時期になると、沢山のシイタケをいただくのです。

 菜の花のつぼみが盗難に遭ったことまあり、その時は私が作った「消毒中につき食用は危険」と看板を作って立てましたが、シイタケと同じく取られなくなりました。はてさて「キウイ泥棒を撃退する妙案は?」と尋ねられてもいないので、アイディアは出せませんが、世の中不景気ないなると何をするか分からない世の中になって困ったものです。

  「新手口 世に盗人の 種尽きず キウイフルーツ 被害に遭って」

  「イノシシは 鉄砲撃退 出来るけど 人間様には これも使えず」

  「妙案は ないかともしも 聞かれたら 私だったら ○○するぞ」

  「今頃は 喰えないキウイ 前に置き 泥棒思案 売るに売れない」  

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