shin-1さんの日記

○前期高齢者と後期高齢者の違い

 私が10月3日の誕生日で「前期高齢者」の仲間入りをして10日余りが経ちました。それまでは何とも感じなかった「高齢者」という3文字がやたら目につくようになったのは、やはりそのことを意識しているからかも知れません。特にこれまで無頓着に振る舞っていた「後期高齢者」になっている親父との関係も、少し変化が出てきたのでしょうか、いちちその動きが気になるようになってきたのです。

 親父と私の暮らし方の根本的な違いは完全リタイアとセミリタイアです。私は65歳までは働こうと思っていましたので、本当は今年の誕生日を機に全てを投げ出そうと思っていましたが、今までの流れもあってそうは問屋が卸さないのです。まあ当分は残務処理だと思い成すがままに生きて行こうと思っていますが、成り行き任せにも行かないので当分は軸足を少しずらしながら完全移行したいと思っています。

 親父は家の外へは自転車で行く病院通いと買い物以外は殆ど出ません。それに比べ私は毎日外へ出ない日は殆どないのです。最近買ったトヨタカローラとスズキ軽四トラック、それにヤマハのバイクの3台を使い分けて外へ出るのです。勿論遠方は飛行機や新幹線、特急などの公共交通機関を使いますが、私の行動範囲はこの年齢にしては飛び切り広くて北は北海道から南は九州沖縄まで、気の遠くなるような距離を動くのです。当然毎日会う人の数も半端ではなく、時には2度3度と会うリピーターも多く、深くて狭く、浅くて広い人間関係は記憶するのがやっとですが、これが私の財産だと思い、手紙やはがき、それにメールで無事や近況を確認しているのです。

 親父の情報源はテレビとたまに訪ねてくる人から口伝えに入るもの以外はありません。最近の私の情報源はインターネットが主流を占めて、本や雑誌といった活字からも手に入れるし、前述した出会いの多い交流によって人から入ってくるのです。その量たるや親父の何倍になるのか想像もつきませんが、その殆どは聞き流し情報として時の流れの中で忘れ去られているようです。

 親父は朝早く起きますが、寝るのも早く太陽とともに暮らして寝る時間が長いようです。私の場合は朝は親父と同じですが、寝るのが深夜になるので睡眠時間は一日4時間とまあ普通の人よりはかなり短いようです。

 親父は家の周りの仕事を毎日のようにこなしています。そのスピードや量は一回ごとそんなに多くはなくても、まるで亀の歩みのように集まれば凄い量になるのです。一方私は機械類にものを言わせて、親父が10日もかかる草刈りを僅か坂地でこなすのですから、えらい違いなのです。

若松進一ブログ

 私は前期高齢者になったのを機に、やがて迎えるであろう後期高齢者になった時のことを想定して親父の生き方を少しずつ見習おうと思っていますが、親父が毎日何気なくやっている庭や家庭菜園の草引き、庭木の剪定などなどは早速始めようと思っても腕が着いて行けず、今は自信がないのです。親父が元気なうちにその手ほどきを受けてしっかりと伝授してもらいたいと思っています。

 今朝も親父はわがyそ歳から見える裏庭に出て、一生懸命庭木の手入れをしています。今日あたり少し手ほどきを受けようかと思っていますが、締め切りの近づいた原稿書きがあるため、またまた気持ちはあってもお預けのようです。


  「わが家には 年寄り部類 二人いて 前期と後期 それぞれ生きる」

  「あのように アリのごとくは 生きられぬ キリギリスだと 自分で認め」

  「耳遠い 要らぬ情報 入らぬため 人間上手く 出来ているもの」

  「行く路の 先に見本の 親父いる 自分の後に 息子近づく」

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shin-1さんの日記

○行く秋を楽しむ

大型で強い台風18号が大きな爪痕を残しながら日本列島を縦断してから、一週間があっという間に過ぎ去りました。自然とは偉いものであれほど長く続いた残暑も台風一過であっという間に気温がぐんぐん下がって、昨日の朝久万高原町では朝の気温が6度まで下がったと報じられていて、一気に秋が深まろうとしています。昨日の体育の日で各地の運動会は一応終わりましたが、変わって新聞やテレビは連日のように県内各地の秋祭りの様子を詳しく報じていてるようです。

 わが家や人間牧場にも南国四国と言いながら少し遅い秋がやってきて、そこここに秋の気配が漂い始めました。まずわが家の直ぐ下の田んぼは秋田こまちという早生系の稲が8月下旬に刈り取られ、そのあとに蕎麦が蒔かれていたようです。今年は9月に少雨状態が続いて傍の背丈が伸びませんでしたが、ここにきて背丈は低いものの蕎麦の白い花が一斉に咲き乱れ今が満開のようです。バラやスイセンなど見る花もいいですが、蕎麦や菜の花のような生産のための作物の花も群生するため見方によっては美しい景観として深い味わいがあるのです。通り過ぎる皆さんはその蕎麦の花にあまり関心を示さないようですが、私は美しい田舎の風景としてとても大好きななおで、昨日の夕方外出先から帰ってカメラに収めました。

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 昨日はたまたま外出先で妻と二人昼食に蕎麦を食べました。ゆえに蕎麦の花を見てまだ胃袋の中に残っているであろう食べた蕎麦を思い出しながら、新蕎麦の出回る晩秋を心待ちにしているのです。そしていつの日か私も畑に蕎麦の種を播いて蕎麦の花を楽しみ、蕎麦打ちを体験したいものだと思っているのです。

 昨日は友人浜田さんと人間牧場へ行きましたが、私が植えたツワブキの株が随分繁殖して、株の中から無数にツワブキの花が頭を持ち上げていました。わが家の裏庭周辺にも野菊やヨメナの花に交じってツワブキの黄色い花がそこここに見えるようになって深い秋の気配が漂い始めているようです。

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 野の花はじっと見ていると、派手さこそないものの深い味わいがあります。これまでは忙しい日々を過ごしていて、野の花や自然の移ろいをないがしろにして暮らしてきましたが、65歳を迎えたのを機に少しだけ軸足を自然との共生に置き換えて生きて行きたいと、蕎麦の花やツワブキの花を見ながら思いました。

 昨日の夕方、近所の子どもたちが花摘みを楽しんでいました。遊びは何もテレビゲームや漫画だけとは限りません。道端の草花を摘みながら美しいと感じる情操豊かな心を育てることもできるのです。そのためにはまず親が草花を見て綺麗と思う心を持たねばならないのです。幸い私は母の影響を受けて、そんな優しい心根が育っているようで、今にして思えば嬉しい限りです。今年は行く秋を思い切り楽しもうと思っています。


  「行く秋を 惜しむがごとく 咲く花に 思い巡らせ 一人楽しむ」

  「この花も 私が見ねば 誰も見ず 散って行くのか 私だけでも」

  「蕎麦の花 眺め新蕎麦 思うとは 愚かなりけり 花を愛でねば」

  「花を摘み 遊ぶ幼子 二三人 頭を撫でて 心を褒める」

 

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