○懐かしい下灘界隈を歩く
昨日夕方私の携帯にメールが入りました。携帯メールの苦手な私はメール番号を特定の人にしか知らせていないので、滅多にメールは入りませんが、「明日の予定はいかがですか。できれば昨年亡くなった商工会長をしていた三井典行さんの墓参りに行きたいのですが」と友人の浜田さんからメールです。私も慣れない手つきで、「明日は友人が病気なので見舞いに行くので留守と」返信メールを送り返しました。しかしメールを送ってから、「待てよ、相手の浜田さんは松山から下灘まで汽車でやってきて、できれば人間牧場へも立ち寄りたいというのだから、歩かせる訳にもゆくまい」と、電話で「朝早くの午前中なら何とか都合がつくのでご一緒したい」旨の電話を入れました。
(下灘駅の朝の風景)
昨日は親父の隠居にある地下室に雨水が流れ込んだ片付けや、漏水修理工事の後片付けなどに朝早くから夕方まで息子と二人忙しく働いて疲れていたためか、今朝は久しぶりに5時過ぎまで目が覚めずぐっすり寝込んでいました。モーニングブログを一本書き終わったらもう7時過ぎでした。急いで身支度を整え軽四トラックで浜田さんとの待ち合わせ場所であるJR下灘駅へ行きました。
列車は7時52分着なので少しの時間駅前の日通に、西田利子さんを訪ねました。西田さんは一週間前埼玉県寄居町へ講演で出かけた折出会った永田さんの妹さんなので、会ってお礼が言いたかったのです。西田利子さんのご主人も私と一緒に青年団活動をしていた間柄なので、短い時間ながら色々な積もる話をさせてもらいました。やがて駅構内に列車が停止したブレーキ音が聞こえたのでお暇し急いで浜田さんを迎えに出ました。
浜田さんは愛想いい笑顔を浮かべてリュックを背に駅のプラットホームに降りて来ました。
浜田さんを乗せて三井さん宅まで行き、店番をしていた奥さんに墓地の場所を聞きました。かつて住んでいた生まれ故郷なので勝手知ったる場所ゆえに運動公園に車を止めて矢野上さん宅前の急な坂道を線路を超えて昇って行きました。奥さんの言われた通り昇りつめた墓地の手前にお墓はありました。浜田さんと三井さんの詳しい出会いは分りませんが、私が二人を知っていること、宮本常一と下灘の水仙が円であることなどなどのようで、浜田さんは律儀にもお墓参りに来てくれたという訳です。浜田さんはこまめな方で用意してきたシキビを立て線香に火をつけ、二人で手を合わせて拝みました。
ここは桜の名所として春には毎年美しい花を咲かせていますが、いつの間にか老木になっていて、少し元気がないように感じました。この墓地に私の母方祖母や祖父のお墓がありましたが、今は子どもの住んでいる伊予市へ引っ越しています。何度かお墓参りに来たことがあるのです。
(三井さんの墓地)
墓地からは下灘小学校や下灘の町が一望できました。この風景も忘れかけていた懐かしいものでした。浜田さんと違う道を通って上浜の商店街に出ました。小学校の正門に上がる急な道も、園協前の道も酒井商店横のガードも昔のままの姿なのに、自分の背丈が大きくなってせいでしょうか、どこか小さく感じられました。
坂井焦点の前ではたと気がつきました。この商店の二階で私は妻と初めての見合いをしました。僅か5分間の見合いでしたが、結婚を決意し今の私たち夫婦が誕生したのです。少し気恥ずかしい感じもしますが、半世紀近くも前の出来事が昨日のことのように思い出されました。このことを思い出しただけでも浜田さんに感謝しなければなりません.。浜田さんとは、私が友人の病気見舞いに行くためシーサイド公園で別れましたが、思わぬ昔の感傷にしたるいい一日となりました。
(下灘地区の中心地の風景)
(下灘小学校正門前の急な坂道)
(園協前の路地とガード)
(商店街の中ほどにある左手が坂井商店、この家の2階が見合い場所です)
「友人に 誘われ友の 墓参り 懐かし風景 少し変わりて」
「背が伸びた せいかも知れぬ そこここの 小さく見える 路地を歩きぬ」
「半世紀 前にこの店 二階にて 見合いした人 今はわが妻」
「人影も 見えぬ街中 寂しけり 過疎ゆえ仕方 ないと諦め」