shin-1さんの日記

○久しぶりの感動

 私が講演に行く場所の殆どは過疎や少子高齢化が進むどちらかというと、元気がなくなりつつ場所が多いのです。特に限界集落などへ行くと集会所の電気までが点いたり消えたりするような元気のなさが目立つのです。しかも座布団や椅子が用意されても前の方はがら空きで、主催者のあいさつは「今晩は足元が悪くて人の集まりが今一で・・・」と切り出すものですから、余計寂しくなって元気の出る話をしようと意気込んでいったものの、空元気に終わるケースがよく見受けられるのです。

 昨晩は内子町の立山という集落の講演会に招かれました。何度かお邪魔したことがあるものの夜道ということもあって、立川公民館の前で役場に勤める稲葉さんと6時40分に待ち合わせ、7時からの集会に合わせました。事前に聞いていたこの集落の戸数は58戸とか、驚いた事に戸数の人数、つまり限りなく百%に近い60人程の人が時間前に集まり、何と1分前に集会は始まりました。参加人数、時間厳守とただこれだけでも久しぶりの感動でしたが、もっと感動は反応の良さでした。私のように年中出歩く人間は、会場の空気を一瞬にして読み取り、話に反映して行かなければプロとはいえないのです。まだ未熟な半プロで大した仕事は出来ませんが、少なくとも立山の集会の反応は凄いの一言でした。この集落は知的レベルの非常に高い地域のようです。

 会場には知り人の顔も多く見受けられ、「何だ若松、お前は未だにそんな話しかできないのか」と言われそうな緊張感漂う鋭い視線が注がれ、「さすが若松」といわれるような話をしようと必死で話しました。あいにく風邪を患っていたため、多少迫力には欠けたかも知れませんが、それでも90分の仕事を終えた後の別れ際は久しぶりの感動で実が震える思いでした。会場には私と同じ観光カリスマの一人野田文子さんも来られていたそうです。

 集会が終わってから旧友亀田慶孝さんのお家に立ち寄りました。亀田さんとは私が公民館主事として売り出し中の若い頃一緒に公民館活動をやった間柄で、その当時は宇和町の兵頭さん、長浜町の菊池さん、内子の亀田さんとともに主事集団「煙仲間」を組織して酒を酌み交わしながらふるさとづくりについて多いに語った間柄で、公私にわたってお付き合いしていました。その後別の道を歩んだためそんなに多くの出会いはありませんでしたが、お互い自由人となった今こそ親交を温めたいと思った矢先の先日彼から電話があり、昨晩の出会いとなったのです。

(巻き寿司を巻いて歓待してくれた奥さん)

 懐かしい顔の奥さんは私の来訪のために巻き寿司を巻き、水炊きを作って歓待してくれました。僅か1時間程の短い交歓でしたが、今までのこと、今のこと、家族のこと、将来のことなどを胸襟を開いて語り合いました。私の常に2歳前を生きる先輩の生き方を少し真似をしなければならない存在だけに、久しぶりの亀田家訪問はいい機会となりました。お土産に巻き寿司と見たこともないような自作の大きな白菜を4個もいただき、ほのぼのとして帰宅しました。

(私の一歩先行く旧友亀田慶孝さん)

 わが家に帰ってから妻といただいた巻き寿司を食べながらお茶を飲み、久しぶりに会った亀田家の話をしました。孫3人に囲まれて、集に3日自治センターに勤めながら山里で穏やかに暮らしている姿は羨ましい限りでした。やがてわが家も長男家族が帰って来るでしょうが、いい家族関係の家庭をつくりたいと思いました。

  「自立した 地域を訪ね 話する 戸数同数 参加に感動」

  「参加者の 笑顔が嬉しい はね返り 心ほのぼの 別れを惜しむ」

  「自立とは 自律なんだと わが事を 引き合いに出し 熱弁語る」

  「旧友も 山里暮し 板につき 幸せそうで ひとまず安心」

  

  

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shin-1さんの日記

○南海放送ラジオ出演

 最近私のスケジュールをコントロールする場所が出現しました。といっても急に出来た訳ではなく以前からあったえひめ地域政策研究センターという場所です。私はえひめ地域づくり研究会議という小さな団体の代表運営委員を20年近くも務めていますが、その事務局がこのセンターにあるものですから、私が現役の頃からリタイアして自由人になった今日までも、私の触覚として働いてもらったし今も働いてもらっているのです。そんな古い付き合いもあってセンターとは良好な関係を保ってきました。

 昨年はこの研究会議が発足20周年を迎えたため、記念行事を数こなすためスケジュール調整を随分してもらいました。20年で一区切りと退任を決意していた私でしたが、来年度に愛媛県で行われる地域づくり団体全国交流大会が行われるため、実行委員会が組織され行きがかり上抜き差しならぬこととなって、続投になってしまいました。そのスケジュールは既にコントロールされていますが、国土交通省の観光カリスマに選定されていることもあって双海町で今秋開いた観光カリスマ塾の現地事務局を無理を言ってセンターに置いてもらったため、そのスケジュールもコントロールしてもらったのです。

 かかわりの深いセンターには馴染みの深い研究員も沢山いて、大学での講話をお願いしたり、舞たうんという機関紙に連載記事を書かせてもらったり、私のスケジュールは今はセンターなしでは考えられないほどになっているのです。

 先日、清水研究員から唐突に南海放送ラジオの出演依頼が舞い込みました。テレビ向きでなくラジオ向きの顔をしていることもあって、一も二もなく引き受けましたが、その内容たるや先日カリスマ塾でやった夕日寄席をラジオでやるというのです。ディレクターはかつて夕やけコンサートでお世話になった乗松さん、DJは林さんというこれまた夕やけコンサートで世話になった人なので、気心知れている気安さから出演する事になりました。

(初舞台を踏んだ11月16日の観光カリスマ塾公演風景)

(めくりも高座のための移動舞台も立派に出来ました)

 午後1時35分から僅か10分間の出演でしたが、先週に清水研究員が出演して予告をしていたため、県内や町内から「あんたラジオで落語をやるそうな」と声や電話をかけられ、前人気は上場でした。

 道後にあった南海放送がデジタル時代に対応するため南海放送本町会館へ移ってから、度々テレビには出ているものの全て録画編集だったため、初めて放送局へ出かけました。ラジオ放送のスタジオはオープンスタジオ的な雰囲気で喫茶店の中で話しているような感じでした。慣れているので別にリハーサルなどすることもなくいきなり本番です。清水研究員が渡していた出囃子で私の落語ならぬ落伍のお喋りが約4分出ました。その後林さんと楽しいお喋りを5分間やって、あっという間に終わってしまいました。

 その間、戒田アナ、矢野ディレクター、江刺アナ、ララナカヤディレクターなどなど、懐かしい顔見知りの方々が次々見えられ近況を話しました。

 観光カリスマ塾の一プログラムとして始めた落伍と落伍ライブが思わぬ広がりを見せ始めました。私の書いた高座本「夕焼け徒然草」という本もまだ一般には出回っておりませんが、読んだ方々からは好評を得ています。始まったばかりのまちづくり落伍ライブは清水研究員や松本研究員の後押しで仕上がったものだけに、これからも彼ら言うがまま、甘んじて泳がさせてもらう事にしようと思っています。

 来春馬路村の木下課長さんからお声がかかっている講演会もひょっとしたらそんな悪ふざけで望んだ方が良いのかも知れないと、一人ニヤニヤしています。

 

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