shin-1さんの日記

○「若松さんへ」と染め抜かれた暖簾と一枚の絵

 人間牧場の五右衛門風呂が人気です。急峻な地形を最大限に利用して山肌から張り出すように造られた風呂は息子が命名したロケ風呂です。語源はロケーションがいい風呂というのだそうですが、屋根には真竹を張り巡らすなど相当凝った造りになっていて、風呂の北側の板戸を上げると眼下に豊田漁港の眺望が開け何ともいえぬ風情と至福を楽しむことが出来るのです。この風呂の入口にはこれも息子の思いなのでしょうか暖簾がかかるようになっていて、風呂が沸いた日には暖簾を出すようにしています。息子は「ゆ」と書かれた暖簾をどこかで手に入れてきて使っていますが、このほどえひめ地域政策研究センターの主任研究員である井石さんから素敵な暖簾のプレゼントがありました。彼の実家は呉服屋さんだそうですが、贈られた暖簾は京都の染物屋さんに特注して染め上げた本格的なものだけに、立派過ぎてもらっていいのか迷うほどでしたが、先日人間牧場で行われた逆手塾に参加して宿泊したこともある井石さんのご好意なので甘んじて受けることにしましたが、先日息子に見せるとロケ風呂まで染め抜いているのを見て大変喜んでいました。この暖簾に見合ったすす竹を探し早くお披露目をと思うのですが、息子と私の予定が合わずまだ私の書斎に眠ったままなのです。化粧箱に入れられた暖簾の中身はもったいぶるのではありませんがそのうちロケ風呂にかけてお見せします。

 先日逆手塾に神奈川県茅ヶ崎市からやって来た「あべまりあ」さんと知り合った息子は、彼女の本を見て彼女にイラスト画を注文したようです。彼女の漫画チックな絵はデザインといい色使いといいどことなくほのぼのとした雰囲気で、私も好きですがまさか注文するとは思っても見ませんでした。少し値段は高いようですが建築士をしている息子にとっては価値判断も出来るのだろうと、思いきって購入することにしました。勿論注文は息子、金は親父ですから気楽なものです。息子はイラストへの注文としてロケ風呂に入れる人間や動物などを写真で送り打ち合わせをしたようですがこの程出来上がって送られてきました。

 原画は大切に息子が保管していますが、そのカラーコピーを息子が送り届けてくれました。



 あべまりあさんから送られて来た絵に添えて双海の夕日とロケ風呂への思いを文章にしたためていました。絵も素敵ですが文字も素晴らしいものです。いずれ額に入れてロケ風呂に掛けたいと思っています。

 小さな風呂舎はこうして沢山の方々の思いによって更なる進化が遂げられています。早く薪小屋を作らないと端材がちらかって美観を損ねていますので、この冬の作業を楽しみにしています。

  「暖簾染め 化粧ケースで お嫁入り 風呂の入り口 間もなくお披露目」

  「空想の 世界を書いた 絵を見つつ 長閑な風呂の 温もり伝う」

  「温もりの 恋しい季節 風呂沸かす 足湯ひたりて 世間話に」

  「一枚の 絵に物語 見えてくる こんなほのぼの 我が家目指して」

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shin-1さんの日記

○視察者相次ぐ

 遠来の視察者が来るようになって、何だか日本が狭くなったような錯覚を覚えています。昨日は宮城県七ヶ浜町の町議会議員さんの一行6人が双海町の視察に遠路はるばる見えられました。視察者は私の町を目指して来られる人もいますが、殆どの視察者は道後温泉という一級の保養地から1時間圏内にある場所を探しての来訪なので、視察時間も1時間そこそこでお茶を濁し帰って行きます。迎える側の私もそれを承知でそれなりの対応をして帰っていただくのですが、昨日の七里ガ浜の議員さんは少し様子が変わっていました。

 まず来る手段です。双海町は交通が不便なため普通は議員全員でも少数なのに地元のバスを雇って、空席のままゾロゾロやって来ますが、七里ガ浜の議員さんは1時間に1本もないJR予讃線海岸周りに乗ってやって来て同じ交通手段で帰りました。したがってその時間帯を目いっぱい使って視察活動をしたのです。

 次に何故双海町へ来たのかですが、昨年の夏東京有楽町駅近くの東京フォーラムAというコンベンションホールで開かれた、全国監査委員研修会に参加していた七里ガ浜町の監査委員さんが記念講演で私の話を聞き、是が非でも訪ねたいと他の議員に話したことがきっかけで実現したのだそうです。

 また今回の視察研修は正式に伊予市議会への受け入れ依頼があり、少数ながら伊予市の議会事務局長さんが受け入れ対応する格調高いものなのです。普通この場合だと地元の議員さんがあいさつに来られるのですが今回はその様子もなく、肩の凝らない雰囲気でした。しかしさすが公式訪問です。私たちは余程でない限りお茶など出さないのですが、議会はペットボトルに入ったお茶をきちんと出していました。

 問題は視察に対する取り組み姿勢です。普通議員さんの中にはトンチンカンな人もいて、明らかに拒否反応を示す人もいるのですが、七里ガ浜の議員さんは会派を同じくする人たちで終始熱心な研修態度に感服したのです。特に私の話が終わった懇談の時間になると自分の町の問題点を披瀝しながら時間も忘れて話し込んでしまいました。私の町もそうですが人には言えない悩みも沢山あります。ましてや合併によって大に小が呑み込まれたような町では合併の後遺症に悩み、その不平不満たるや相当なものがあるようです。でも七里浜町は合併もせず単独で残っている2万人余りの町だけに単独で残るが故の将来への不安も数多く抱えていました。私は全国を回って感じる合併をしなかった町の現状と今後の在り方を真剣に話してあげました。また私の町がソフトからハードを生み出した成功の裏に隠された失敗談も披瀝しました。議員さんたちは熱心にメモしながら聞き入り、盛んに質問して再びJRに乗り車中の人となって帰って行きました。

 昨日は午前中に宇和島市と合併した津島町の婦人会ご一行40人も視察に来られ、私の話に魅せられて?わが家の私設公民館煙会所や海の資料館海舟館まで見学の足を伸ばしました。この人たちは地元のドライブインで昼食をしたようなのでわが町への視察による波及効果は絶大なものがあったようです。

 私は現在フリーだし、役場から視察の受け入れを頼まれても断る事だって出来るのです。でもかつての部下や同僚だった方々からの依頼や講演で世話になった縁を考えると断ることは出来ません。最近は役所へ言うとやれ公文書だのやれ土日は駄目だのと文句をつけられるので直接申し込んで来る人たちも多く、ましてや最近人気急上昇中の人間牧場とセットでの視察を依頼されることも多く、相変わらず多くの視察が訪れています。迎えと見送りの誠意は自分が視察した時の感動から学んだとおり誠意を持って対応しています。お陰さまで昨日は視察のダブルヘッターでした。

 しかし、先日島根県種公民館が来た時ばかりは失態を演じました。私を目当てに来られ、人間牧場まで視察するプログラムが組まれていたにもかかわらず、打ち合わせミスで私が県外出張でいないという失態でした。文化の日で役場は休みながら役場の武田さんに無理を言って対応してもらい、長男息子に懇願して人間牧序の対応をさせました。武田さんの対応も長男の対応も十分だったようで、息子は五右衛門風呂まで沸かし足湯をサービスする念を入れてくれ、ホッとした一日でした。種公民館への償いはどこかでしなければならないと思っています。

  「俺の町 道後に近い 故あって 視察ゾロゾロ 未だに続く」

  「東京で 私の話 聞いたから 嬉しい訪問 熱込め語る」

  「唐突に 妻の値打ちを 聞く人に 少し自慢の 鼻をさすりて」

  「昼飯や 土産買う人 嬉しいね 視察効果は こんなとこにも」

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shin-1さんの日記

○鳥取県江府町に招かれて

 妻が「最近山陰に行く機会が多くなったね」と言うものですから、「山陰にええ人が出来たんよ」と冗談を飛ばしながら自分の予定表を捲ってみると確かに島根や鳥取へ行く機会がこのところ多くなっているようです。山陰といえば山陽と比較されるように、山陽の明るさに比べ何となく陰の部分が多いような感じがしますが、県民性はいたって素朴で私のような田舎者には何となく波長が合うのも招きの原因かもしれないと納得したりするのです。今回は高速道路米子道のインターチェンジがある江府町からのお誘いがありました。というのも先日伯耆町から講演依頼があった折、会場に江府町の井上企画課長さんや田中幹啓町議会議員さんが見えられ、ぜひわが町へもとのお誘いで実現しました。田中議員さんとは長年の旧知の間柄で手紙や電話でしょっちゅうやり取りをしている間柄であり断る理由もなく引き受けました。

 普通山陰へは特急やぐもに乗り岡山経由で入るのですが、明くる日の予定が入って早立ちだし東城で人に会う約束があるので自家用車で出かけました。午後4時に役場で待ち合わせをするよう約束していたのですが、カーナビゲーションを信じたのですが、役場が意外な場所にあってい陸地が分らず右往左往し結局10分間遅れて役場に到着しました。役場を訪れて驚きました。役場が素敵な木造なのです。今時木造なんて時代遅れのような感じを持つ人もいますが、これぞ一周遅れのトップランナーだと多いに気に入りました。聞くところによると集落の公民館の整備を先にして役場はその後でもいいと前の町長の出した方針に沿ってのことだそうですが、その経緯にも感動しました。だいたい最近の役場庁舎は立派過ぎます。立派な庁舎で立派な行政が行われれば良いのですが、残念かな役場が立派だからといって立派な行政が行われるとは限らないのです。



 役場から見える江府の町も秋色に映えて美しく見えました。

 役場の担当の影山さんと名刺交換もそこそこに彼の運転する公用車に乗り込み大山の山裾を目指して走りました。標高が高くなるにつれて山は紅葉に彩られ、特に秋の夕暮れの陽の光が紅葉を優しく包み込み言葉ではいい表せられないような見事さです。標高の高い峠に出ると大山の山に霧がかかり、裾野には今が見ごろの紅葉が幾重に見幾重にも重なって、感動の余りに言葉も出ませんでした。

 昨日までの連休は好天に恵まれこの辺りは大変な車の渋滞だったとか、その言葉が信じられないようにこの日はすっかり日常を取り戻していました。

 ご覧下さい。この美しい紅葉を・・・・。まるで絵に書いたようですね。私も影山さんにお願いして一枚撮っていただきました。この場所は幾ら温かいといってもこのところの冷え込みでさすがに冷たく、観光客もカメラに収めながらそそくさと山を下りてゆきました。帰り道の両側にはブナ林が広がり、道はまるでブナのトンネルのようでした。夕日の木漏れ日が道を照らしまるでメルヘンの世界にいるようで、思わず車のフロントガラス越に一枚加えました。

 下山して旅館で美味しい夕食をご馳走になりました。議長さんと助役さん、それに田中ぎいんさんの4人で食べたのですが、久しぶりのご馳走で、おこわは特に美味だったため美味しいと本音を言ったところ、帰りにおこわと課長さんが早朝抜いたという奥大山の大根、それに田中議員さんからは世にも珍しい大きな鮎をいただきました。また饅頭も絶品で書き表せないような妻の喜びがその夜の出来事でした。


 会場は多くの人が来ていましたが、町長さんや議員さん、それに役場の職員さんも多く江府町が合併せず単独で生き残りを決めた今後のまちづくりについて話をさせてもらいました。特に印象深かったのは講演が終わって色々な意見が飛び出したことです。合併はややもすると内向きにみんなが手をつないで頑張ろうとする傾向が見られます。勿論それも必要なことですが、鎖国をしてはならないのです。つまり手つなぎの連帯から手放しの連帯を求め、一人一人の町民が自立することを始めなければ町は決してよくなりません。さあ、江府町の挑戦が始まります。

  「単独で 決めたからには 相応の 覚悟必要 町民自立」

  「絵に書いた ような紅葉に 夕日映え こんな世界も あるのか感激」

  「水を売る だったら町民 飲んでみろ 健康いいと 噂広がる」

  「このところ 山陰度々 お邪魔して 人の心に 火付けて帰る」


追伸

 帰り際、中国山地のあちこちできれいなもみじを見ました。先を急ぐので、しかも雨模様の天気だったので目の保養だけで帰りました。その後田中議員さんからの電話によると、大山は雪が降って山頂付近は白い帽子を被ったとか、本格的な冬がそこまで来ています。ご自愛ください。



 道端に停めて写した石霞渓通天橋の紅葉です。 


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shin-1さんの日記

○秋の橋巡りそして講演会・藤の川(20-18)

 11月5日は絶好の秋晴れに恵まれました。野外のイベントを主催する人にとってみれば天気は水ものというけれど、やはり気になるものです。そんあ心配を打ち消すように晴れわたりました。高知県四万十市西土佐玖木という集落にお邪魔するのは今回が3度目です。私の講演や産業課女性職員の熱心な指導もあって講演会をきっかけに集落にある20程の橋を巡るイベントを計画したのは梅雨明けやらぬ7月23日のことでした。小雨にたたられた小さなイベントでしたがそれなりの成功と集落のやる気が醸成されて、今回は秋の紅葉をメインにすえてコンニャク作りや餅つきをメニューに加え、前回と見違えるようなチームワークで取り組みました。

 私もお声がけを受けたので早朝7時過ぎに家を出て3時間足らずの道程を車を走らせ出かけました。途中顔見知りの民宿舟母に立ち寄りお茶をいただきながら立ち話を済ませ会場に着きました。秋の穏やかな日和の中で、既に地元の人たち総出で準備が進められ、公民館前の広場にはテントまで張られる周到さです。受付で知恵さんという一人の女性に出会いました。もう10年前に野塾という若者塾に招かれた時知り合った女性で、その後も音信はあるものの出会っていなかっただけに時の流れの早さに驚きながら懐かしく昔話に話が咲きました。

 イベントはコンニャクづくりからスタートです。顔見知りのおばちゃんのまるでトークショーを聞いているような軽快なお喋りで、用意された蒸したコンニャクイモを細かく切ってお湯を加えながらジューサーにかけ、捏ね上げて灰汁を入れ固まりかけたら手で丸めてお湯の中に入れて再び茹でると出来上がるのです。


 遠くは愛媛県からも参加した15人余りの参加者に加え地元の人も沢山いてそれは賑やかなイベントとなりました。早速出来上がったコンニャクを刺身にしてユズを絞った醤油でいただくのですが、これが美味いのなんのって、幾らでも食が進みのです。コンニャクは余り好きでない私でも人につられて沢山食べました。

 続いて餅つきです。思い石臼を運んできた山口区長さんの指導でこれも賑やかな作業です。つきあがった餅はテーブルの上で中脇係長の軽妙な手さばきであんこが入れられ、つきたて餅をいただきましたが、これも美味しい味でした。それにしても中脇係長の腕捌きには脱帽してしまいました。役場職員である前に農家の嫁であることの証明でしょうか、すっかり見直してしまいました。彼女のような農家や農民の目線で仕事が出来る燻し銀のような職員は日本全国にも少なくなりつつあることを寂しく思います。知識の伝授でなく知恵の伝授をする彼女のような職員はややもすると古いタイプの人間のように思われ、足を引っ張る人が多いのですが、今回はいい職員に巡り会って西土佐参りの甲斐があったと喜んでいます。


 コンニャクづくりと餅つきをしている間に台所では天ぷらや具沢山のちらし寿司が作られ、公民館横の木陰にシートを広げ通食を兼ねた大宴会が開かれました。宴会といっても時節柄アルコールは出ず、山から取ってきたばかりのお茶の葉っぱを火で焙りお茶の葉の代用にする独特のお茶が用意され、それぞれの食べ物の説明を受けながら舌鼓を打ちました。作り方は大さじいっぱいなどのレシピはなく、全て農家のおばちゃんの長年培ってきた腕と舌というアバウト感覚で味付けされているのですが、これが何ともいえない味で、お腹パンパンというくらい食べてしまいました。傍のテントではユズや米、イモ類や餅、ちらし寿司弁当などが田舎言葉で見る見るうちに売れてゆきます。奥の黒尊でイベントをしているらしく頻繁に車が通り、その度にテント目当てに人がやって来るのです。店番を担当した顔なじみのおばちゃんもこの日ばかりは少々派手目のお化粧と赤いエプロンでお客をもてなし対応におおわらわでした。


 さあ食事が終われば橋巡りです。片道2キロのコースは少し暑いぐらいの陽気でしたが、影を歩くと心地よくみんな思い思いの話をしながら歩きました。まるで小学校時代の遠足のようでした。

 山口区長さん宅下の小さな沈下橋です。


 今回の目的の一つであった紅葉は残念ながら気温が下がらなかったためほんのり薄化粧といった感じでしたが、少雨の影響で少ない水量ながら棲んだ水面に映えてとても綺麗でした。


 それにしても四万十川の支流黒尊川は綺麗ですね。最後の清流はどちらが本流か分らないほどです。

 途中赤トンボが沢山留まっているイチョウの木を見つけ写真に収めましたが残念ながら焦点が木に当たって上手く写りませんでした。

 一行はさらに奥へ進み、谷に下りて跳ね橋という木製の橋を見学しました。雨になると流されるこの橋は、前回流されて見れませんでしたが、今回はしっかりとセットされていました。


 参加した親子が橋の上を歩く姿は何ともいえないほほえましいものでした。

 さて秋の橋巡りは沢山のお土産をいただいて、無事終了することが出来ました。願わくば冬雪の頃、あるいは芽吹きの春の頃再び三度訪ねたいと思い、丁寧な見送りを受けて玖木を後にしました。

 夕方の藤の川での集会まで間があるので、四万十川界隈のそこここを散策して回りました。悠久のゆっくりした四万十川の流れを眺めながらのんびり過ごす幸せを感じつつ時は過ぎてゆきました。季節は晩秋に差し掛かりつつあり、道端のウルシやハゼが少し紅葉して風情を醸していました。


 夕方総合支所で市役所職員と合流し藤の川を目指しました。藤の川への道は折りしも15夜の満月の光が煌々と照り、まるで昼のような明るさです。地域の人が丹念に植えたであろう桜の並木もすっかり葉を落とし枯れ木の状態になっていましたが、春の桜の時期は見事だろうなと想像しながら奥まった藤の川集落に到着しました。

 集会所の大きさと新しさに驚き、また集会所正面に掲げられたむらづくり農林水産大臣賞の表彰状にも二度三度驚きながら、沢山の方々が参加して、これまた熱心な講演会となりました。終盤ながら意識の高い集落に行けてすっかり幸せな気分となりました。今から12年前の平成6年に受賞している大臣賞の重みを感じつつ話をしました。


  「橋巡り たった三月の 月日だが 緑が赤黄 変わり一変」

  「跳ね橋に 人の知恵見ゆ 長閑なり 戯れ進む 親子一二歩」

  「大臣の 表彰額が 掲る地区 どこか違うな レベル高そう」

??? 「月明かり 葉落とし桜 道照らす 行けども目指す 集落遠く」

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shin-1さんの日記

○東京での出来事

 日帰りのような形で三宅島から帰った私は、その夜浜松町駅の近くの島嶼会館という所に泊まりました。船中泊ながら一泊二日の旅も濃密な日程だったため、9時前竹芝桟橋についた頃には少し疲れが出て、夕食も外へ出ず会館の食堂で済ませてしまいました。それでも窓から眺める東京のネオン輝く夜景は私にまるでおいでおいでと手招きをしているようで、少し風に吹かれようとブラリ散歩に出かけました。三宅島と東京の落差を感じながら芝増上寺付近を目掛けて歩いていると、視界に飛び込んできたのは日本一高いと教えられた東京タワーの鉄塔でした。秋空にオレンジ色に輝く東京タワーは昼間の姿よりずっと素敵で、だんだん近づくにつれてその色は鮮明となって視界一杯に大きくなり、見上げれば暗闇にくっきりと浮かび上がっているのです。

 夜景を楽しむ人たちが暗闇の空を見上げて思い思いにデジカメや携帯電話のシャッターを押して写真に収めていました。私も手に持ったデジカメで4~5枚の写真を撮りましたが、暗闇でしかも自信がなかったのですが上手く撮れていました。

 何年か前、この付近を歩いていて福沢諭吉に関係の深い場所を見つけて嬉しかったことを思い出しながら、手を組んで楽しくも幸せそうに歩くカップルの後を一人で歩きました。10時過ぎには心配された雨が少し落ちてきたので急いで会館へ帰り、宿泊費の安いだけのことはある地下の風呂に体を沈めながら、長い一日の疲れを癒しました。

 早朝に起きて窓の外を見ると心配された雨もあがりそうでしたが、窓の外には思いもかけぬ庭園が広がりびっくり仰天でした。旧芝離宮(恩賜庭園)がまるで箱庭のように見えるではありませんか。ビル群に囲まれてはいましたがまるで別世界のようでした。意外な処で意外なものを発見した時の驚きは大きく嬉しい気分になりました。

 傘を用意せずに来たので雨を心配していましたが、その雨もあがって上天気の朝となり、国電で巣鴨まで行き地図を頼りに白山通りにある東洋大学まで行きました。かつて東京大学から講演を依頼され不案内な東京本郷辺りを訪ねたことを思い出しながら東京と東洋の一文字違いの大学を尋ねたのですが、到着してびっくり仰天、まるでどこか一流の会社のオフィスのような、とても大学とは思えない雰囲気に圧倒されてしまいました。この日の会議が予定されている19階のスカイホールはこれまた素晴らしく、まるで国際会議が開かれるような行き届いた空間で二度びっくりでした。窓の外には東京のビル群が立ち並び、雨上がりのその景色も見とれるような眺めでした。

 ここでは「日本地域資源学会」の設立総会と設立記念シンポジウムという、田舎者の私には似ても似つかぬ会議が開かれるのですが、私は事例報告者とパネラーとして壇上に上がったのです。

 参加者は大学の教授や著名人もいてそうそうたるメンバーでばかりでしたが、夕日のミュージアムのことを「ミュージアム戦略」という自著本などで色々と紹介してもらっているつくば大学院大学助教授の塚原正彦先生の肝いりもあって、何と学会の理事にまで就任することになったのです。

 私の話は相変わらずお笑いのような話でしたが、そこはお堅い話の好きな学会なのでこれがすごく受け、用意した名刺が足らなくなって最後の名刺交換では恥をかいてしまいました。でもここからまた運命の出会いが始まりそうな予感がしてワクワクの心境でした。

 三宅島から直通の旅の締めくくりに相応しい出番でしたが、明くる日の予定が入っているためレセプションを欠席し、元来た路を引き返しふるさとへの長い旅を続け終えました。

  「これほどに 東京来てるも タワーなど 意識もせずに 通り過ぎてた」

  「学会と 言う名驚く 田舎者 壇上上がれば 闘争むき出し」

  「大学も 出てない男 大学で 大口叩く 俺は馬鹿者」

  「さあ帰ろ 息が詰まるぞ 東京は 仕事終えたる わが身バス乗せ」  



 

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shin-1さんの日記

○三宅島への旅・ルポ⑤

 三宅島はかつて私の親父もこの島周辺海域で漁業を営んだことのある思い出の地です。私の親父は瀬戸内海の漁師でありながら僅か5トンの若吉丸でこの地を目指しました。その行く手には三宅島の灯台の灯りを道しるべとしたに違いありません。


 三宅島で面白い灯台を発見しました。日本でも古い方の部類に当たるというこの灯台は、普通丸い形なのにこの灯台は4角形です。この灯台の灯りを親父が見たかも知れないと思うと無性に懐かしくなりました。灯台は海に働く人々にとって道しるべであり命の灯りなのです。


 PTA大会の会場は周辺離島から沢山の人が集まり、島ならではの一種独特の迫力が感じられました。


 小学校体育館の壇上は綺麗な花で飾られ、素敵にコーディネートされとても話しやすい雰囲気でした。それにもまして参加者と私のフィーリングが合ったのか、会場はPTAの研修会でありながらまちづくりの話に爆笑する場面もあり楽しく楽しく話させてもらいました。後で届いたメールや参加者の声からもその余韻が伝わってきました。特に高橋千香伊豆大島町議会議員さんと佐久間三宅島村会議員さんには沢山のご縁をいただきました。

 講演終了後も時間を割いて村内を回りました。溶岩に埋まった阿古温泉郷のかつての姿と今の姿の対比には胸を打たれました。



 近くに行ってみると学校の鉄筋校舎が2階まで溶岩に埋まってそのままの姿をさらけ出していました。


 明くる日の都合で折り返しの船で三宅島を日帰りの形で後にするため、14時30分の船に乗り込みました。船が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた佐久間議員さんの島人らしい温かさは一生忘れられない思い出です。




 帰りの船旅も快適で、やはり行きと同じように帰りも佐久間議員さんのご配慮で、特1の部屋が用意され、私一人が快適なクルージングを楽しむことが出来ました。




 船上から島影遠く高橋千香議員さんの住むであろう伊豆大島の姿が見えました。

 今回の三宅島への旅は人間性回帰の心洗われる旅になったようです。人は何故生きるのか、人は何故に幸せを求めるのか、人は何故自然と共生せねばならぬのか、まさに自分というもう一人の自分への問いかけの旅でもありました。心を整理してもう一度三宅島を訪ねたいものです。さようなら三宅島。

  「日本も 広いと思う 旅の果て 教えられたる 人の生き方」

  「あの灯り 目指した親父 この海で 糸をたらして 鯛を釣り上げ」

  「遠くなる 島影見やり 思い出の 写真幾つか 再現してみる」

  「短か日を 眠らず動き 焼き付けた 三宅の島や 忘れられない」  

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shin-1さんの日記

○三宅島への旅・ルポ④(ある店主からのメッセージ)

 文章も書かずいきなり一枚の大写しの写真を紹介します。

 今回の三宅島の旅で私がもっとも衝撃を受けた三宅島からのメッセージでした。佐久間議員さんの島を一周中偶然にも目に飛び込んできたのはある美容院の壁に書かれた落書きでした。東京などによくある意味不明の看板とは違い、これはこの美容院を大きな夢を持って開店したものの危険区域に指定されたため閉店・廃業・離島を余儀なくされた店主自らが書いたものだそうです。

 春若葉 夏は海空 秋夕日 冬は西風

 共に笑み 此処に生死 許されず 

        もう頑張れない  SOS 三池

 前段で三宅島の美しくも長閑な自然を歌い上げ、此処に生きようとしても許されず、生まれた処で死のうと決意をしても死ぬことさえ出来ない厳しい現実を訴えています。そして最後の「もう頑張れない SOSという店主からのメッセージは心ある人なら誰もが胸を痛め涙が出ることでしょう。日本人の記憶は薄情なもので帰島が許されたニュースで三宅島の話題は一応決着したかのように新聞やテレビから消えてしまったのです。でも現実は何ら変わらず残っていました。

 もう一つ、ショッキングな写真を紹介します。



 この写真何だと思いますか。上の写真は流れ出した溶岩や土石流に埋まった鳥居の頭が地上に顔を出しているのです。下の写真の向こうに見えるのは埋まった社の社殿なのです。つまり人間の背丈の2倍以上の溶岩や土石が流れてきて付近を埋め尽くしたのです。

 島の人は信仰に厚く、自分たちの暮らしも大変なのに直ぐ傍には立派な朱塗りの鳥居と社殿が見事に復興されていました。


 海岸には最近の噴火で道を塞いだ海沿いに小さな噴火口がまるで絵に書いたように見えました。普通だと絶好の観光スポットなのでしょうが、訪れる人もなくひっそりとしていました。


 落書きと鳥居の頭、それに噴火口の跡が発する私たち人間への強烈なメッセージは「自然をあなどってはならない」ことでしょうし、「人間同士の互助精神を忘れてはならない」ことだと心に強く受け止めました。

 島のあちらこちらに設置された青・黄・緑・赤の回転灯が何故か記憶の中で回っています。

 青ーレベル1(0.2PPm)高感受性者注意報

 黄ーレベル2(0.6PPm)高感受性者警報

 緑ーレベル3(2.0ppm)火山ガス注意報

 赤ーレベル4(5.0ppm)火山ガス警報

 幸い私の滞在中に回転灯は回りませんでしたが、講演中に主催者はガスを感じ窓を閉めたりして少し慌てた場面もあったとあとでお聞きしました。

  「落書きに 衝撃受ける メッセージ SOSの 意味紐解いて」

  「静まれと 言わんばかりに 赤鳥居 山の神々 願い叶えて」

  「ああ俺は この落書きを 見てもなお 何も出来ずに ただ心痛める」

  「あちこちに 設置されたる 回転灯 携帯電話で 濃度測りぬ」

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shin-1さんの日記

○三宅島への旅・ルポ③

 今回の三宅島への旅は私の心に深い悲しみを残しました。早朝5時に到着し、他の島に立ち寄りながら再び帰る船に14時30分に乗るまるでの、まるで日帰りの旅に等しい7時間余りの間に2時間の講演を挟んで、佐久間議員さんの案内で忙しく島内を一周して視察したのです。行く先々で全島避難・一時帰島・部分帰島を余儀なくされた厳しい運命的住民行動の現場を立ちすくむように見てきました。そんな厳しい現実に会いながらもなお逞しく生きる人間の生命力もまた大きな衝撃と感激を受けたのでした。

 危険区域を降りた私たちはまず島にしては珍しい大路池へ行きました。島の水源となっている池だけあって裏山には先程の白骨林が信じられないほど美しい、特別保護地区に指定されている椎の木原生林を有した池です。透明度も高く希少価値の高い水棲動物が棲んでいそうな場所でしたが、聞くところによるとここも心無い人の持ち込んだブラックバスによって生態系は崩れているとの事でした。


 山の頂上付近にはガスの影響も見えますが、ここだけは風向きの影響を受けずに残っています。これも神のおぼし召しかと命の水の大切さを思いました。佐久間議員さんも一枚写真を撮らせていただきました。


 この池は池というより湖に近いような大きいもので、うっそうとした周囲の緑に囲まれ周りの景色を水面に逆さ山として綺麗に写していました。池の傍で大きな大きな椎の木を見つけました。村の天然記念物というだけあってまるで島の木霊が宿るような神秘的な銘木でした。

 写真の都合で余り大きく引き伸ばし出来ないのでこの大きさに留めますが、頭の先から枝分かれした椎の木はツr-ハウスを作りたいような威風堂々とした大木でした。私は日本全国を回って色々な巨木を見ていますが、この椎の大木も思い出に残る大木なのです。

 この椎の木に別れを告げ、サンクチュアリーとでもいうべき、バードウォッチングが楽しめる三宅島自然ふれあいセンターアカカッコ館に立ち寄りました。アカカッコはこの島にしか棲まない野鳥の名前ですが綺麗な鳥のようです。一度は見てみたい鳥ですね。

 今回の島一周では、谷間のあちこちで土石流対策の砂防工事で出来上がった現場が目に付きました。多分これから立ち枯れの木々が倒木すれば土石がゆるんで流れ出す二次災害の危険性も心配されるようです。

 少し進んだ所にかつての役場の後がありました。ガス濃度の危険地帯なので既に役場は反対側の地域に移転していましたが、入口の屋根が崩れて痛ましい姿です。近くにある三宅島唯一の飛行場も閉鎖され、役場に掲げられた飛行場の利用促進看板が何かむなしく感じられました。

 島には大きな港が2つありますが、太平洋の真っ只中にあるため季節の風浪が絶えず吹き、定期船が岸壁に着くのはその風浪によって穏やかな方を選ぶのだそうです。私たちが立ち寄らなかった岸壁に行きましたが、岸壁では考えられないような大きな魚が釣れるそうです。この日も沢山の人が釣り糸を垂れていました。岸壁に打ち寄せる波しぶきを見て、瀬戸内海の穏やかな海を見て暮らす私には、岸壁の大きさ、うねりの大きさに驚きました。

 この立派な地区もガス濃度が高く住むことが許されないため廃墟となっているそうです。人間の住まなくなった家はガスの洗礼を受けてトタン屋根が見る影もなく朽ち果てていました。海岸には今も昔も変わらぬ波が打ち寄せ素晴らしい眺めでした。この青い海、青い空を求めて観光客が沢山集まる日々が一日も早く来るのを願っています。

  「悠久の 時を越え打つ 波を見て 人の力の はかなさ思う」

  「人住めぬ 家の屋根朽ち あばら見え 風のみ流れ 悲しかりけり」

  「見上げつつ 木霊宿る 椎の木に 手合わせ祈る 島の幸せ」

  「この姿 観光資源に ならぬかと カリスマだったら 知恵の一つも」

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shin-1さんの日記

○三宅島への旅ルポ・その②

 今回の三宅島の旅は私にとって44年前の思い出をたどる旅となりました。そうそれは44年前の18歳の時の出来事でした。私の乗った愛媛県立宇和島水産高等学校の実習船愛媛丸は、珊瑚海でのマグロ延縄操業を終え、マグロを腹いっぱいに抱えて帰国の途に着いていました。忘れもしませんが明くる日が成人の日という昭和37年1月14日に、伊豆諸島付近で冬としては珍しい大きな低気圧の洗礼を受け、1時間1ノットという船を立てるのがやっとの状態でした。船は右に左に、縦横に容赦なく揺れ続け、選手部分にある生徒のキャビンはビルの屋上から突き落とされるような衝撃を受け続け、天井に取り付けられた電灯も大きな波によって壊れてしまい、なすすべもなく漂っていました。好天準備をしたデッキを船長さんは命綱を伝ってキャビンに入り、私たち生徒を円陣に座らせ、真ん中に天気図を置き、懐中電灯で照らしながら、この船が低気圧の真ん中いいることを告げ、船長としてマグロを捨てて喫水線を浮かせるか、デッキに詰まれた漁具を捨てて復元力を回復するか、はたまたSOSを出すか迷っているとの説明を私たち生徒にするのです。そして「死ぬ時は海の男らしく死のう」と諭したのです。若干18歳の若者に死ぬかもしれない。死ぬ時は潔く死ね」とは尋常ではなく、生徒の中には泣き叫んだり、船の鉄板壁に頭をぶつける者もいました。そりゃあそうでしょう。いくら極限とはいえ、いくら海の男としてのスパルタ教育を受けてきたとはいえ、死ぬわけにはいかないのです。私の頭には親父やおふくろ、兄弟や友人、そしてふるさとの姿が鮮明に思い出され、涙がとどめもなく流れ「ああ死ぬのか」と思ったものです。

 厳しい大時化の海はその後も続きましたが、低気圧は東に進み私たちの愛媛丸はどうにか窮地を脱出出来たのです。やがて低気圧一過の寒い寒い三角波の立つ海の向こうの水平線上にかすかながら日本の象徴である富士山の姿を見た時の感動は今も忘れることは出来ません。生きて帰れたことの喜びで胸が一杯になり、みんな抱き合って喜びました。

 三宅島行きのかめりあ丸で今通っているこの航路こそ、愛媛丸の基地である神奈川県三浦三崎を目指して悪戦苦闘した場所なのです。三宅村村議会議員佐久間さんが用意してくれた特1の船室は4段ベット、幸い海も穏やかで広い室内はお客も私一人だったので、ベットやソファーに横になりながらも窓を開けて外を眺めたり、興奮のため眠れぬ一夜を過ごしてしまいました。「もしもあの時・・・・」と思うと44年ぶりに訪れた海や今の自分に感謝の祈りを捧げてしまいました。

 穏やかな海を船は早朝5時三宅島に着きました。身支度を整え岸壁に降り立ちましたが、PTA研修会への島外から来たお客様を歓迎しようと、早朝しかもまだ外は真っ暗だというのに、多くの関係者が横断幕を掲げて迎えてくれました。感激でした。

 港は釣り客を迎える宿の関係者でごった返していましたが、佐久間議員さんとも硬い握手をし、私たち一行は船着場近くの宿泊所に落ち着き早速朝食をいただきました。昼食をいただきながら佐久間議員さんと二人の出会いや生い立ちについて私的な話に花を咲かせ、彼のボックスカーに乗って島の見学に出かけました。島は基本的に危険区域への立ち入りは禁止です。役場の特別な許可いただいての視察にはガス発生に備えてガスマスクも用意しなければならない物々しさに、この島の置かれている厳しい現実を肌で感じました。

 山肌の草木が全てガスで枯れている場所を縫うようにして山の上を目指しました。山頂付近の遠くに立ち昇る噴煙の行方を気にしながらの視察です。したがって写真を撮ったりするのも基本的には車の窓ガラスを短い時間開けてでないと危険なのです。

 外が薄暗いため眺望が効かず山頂付近へ登るまで気付かなかったのですが、手渡された島の危険地帯を示す赤い地図の辺りは夜が明けるにつれて一面が茶褐色の世界で、佐久間議員さんの説明を聞きながら、その厳しい姿に思わず立ちすくみました。中腹山頂付近のかつての牧場は跡形もなく消えうせ、所々にその残骸が痛々しく残っていました。昭和天皇御来島の折立たれたお立ち台が朽ち果てて印象的に残っていました。

 雲行きが怪しくなって直ぐに下山しましたが、かつては島の春を彩ったであろう山桜の木々も完全に枯れ無残な姿をさらけていました。この大地に草木が甦るのは何時の日だろうと思いつつ地面を見ましたが、ガスに犯されながらそれでも背丈を短くしてしたたかに生えるススキの姿に感動もしました。

  「半世紀 ぶりにこの海 訪ね来し 感慨深く 夜も眠れず」

  「かめりあの 窓辺に鈍い 航跡を 見ながら三宅 次第に近づく」

  「言葉さえ 出ない光景 立ちすくむ 枯れ木も山の にぎわい言うが」

  「横切りし イタチの姿 二度三度 ガスにも負けず この地に生きて」

 


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shin-1さんの日記

○三宅島への旅ルポ・その①

 「火山噴火ガスによる全島避難」や「島民帰島」という言葉が新聞や雑誌から次第に遠のき、私たちの記憶の中からも遠のきつつある先日、私は伊豆諸島のPTA連絡協議会主催の講演会に招かれ、竹芝桟橋から旅客船「かめりあ丸」に乗って三宅島へ向かいました。松山空港から飛行機で羽田に着き、モノレールで終点浜松町まで行く行程まではいつもの東京へのお上りさんとまったく変わりありませんが、意外や意外JR浜松町駅から歩いて10分の所に竹芝桟橋はありました。周辺には芝増上寺や日本一の東京タワーが聳え、広い世界と思っていた東京が意外と狭いのに驚いたりするのです。

 今回の窓口になってもらった村義会議員佐久間さんからの道案内メールで、「浜松町から歩いて10分」と書いているのを見て少々不安になりました。だっていつも通る「浜松町駅のそんな近くに竹芝桟橋なんて船着場があったっけ?」でした。でも降り口出口さえ間違わなければ本当に徒歩10分で桟橋まで行けるのですから驚きです。

 桟橋近くの乗り場ビルはとてつもなく大きく、三宅島や八丈島、それに伊豆大島などの離島行き旅客船が発着するとあって、乗客もひなびた田舎の船着場と違いかなりの人数でした。

 浜松町の駅に到着する頃になって、双海町の視察ですっかり知り合いになった伊豆大島町議会議員高橋千香さんから、携帯電話が入りました。薄々は金子議員さんからのメール予感はしていたのですが、今度の三宅島行きには高橋議員差も同行してくれるというのです。嬉しいことに違いはありませんが何だか気の毒と思いつつも船着場ビルで待ち合わせました。

 季節は晩秋に入りつつあり、少々肌寒く感じるようになった竹芝界隈は人の流れも多く、10時30分の出発だというのに早くも大勢の乗客が沢山の荷物を持って集まっていました。中には釣りに行くのでしょうかクーラーボックスや釣竿を手に持てないほど持っている人もいました。

 高橋千香さんは町会議員でありながら島人らしい優しさと人なつっこさで私を迎えてくれました。これまでたった1回しか会っていない、しかも1年ぶりの再会にもかかわらず直ぐに打ち解け、早速切符の手配です。私は日頃から安上がりの旅を心がけているし、同行するということを始めて知った伊豆大島の約30人の参加者と同じ2等切符を選んで、佐久間議員さんが予約している特1の切符番号を2等に切り替えて買い求めました。ところが佐久間議員さんから携帯が入り、深夜早朝5時の到着などの厳しい船旅なのでどうしても特1に再び変更するよう高橋議員に指示があって、ちょっとしたハプニングになり再び変更しました。

 切符の手配が完了し乗船までにはまだ間があることに気がつくと夕食を食べていないことに気がつき、ビルの軽食・特産品売り場で明日葉蕎麦を注文しようとしました。気の利く高橋議員さんは蕎麦とアイスクリームとパッションフルーツジュースを注文してくれ、蕎麦より先にソフトクリームとジュースが出されたものですから、冷したり温めたりの腹がたまげる飲食ぶりでした。

 食事が終わりそろそろ乗客が乗船のために並び始める頃、伊豆大島の30人集団に紹介され、やがて長い長い列に並びました。聞くところによると久しぶりの長蛇の列で、三宅島以外にも行くのでしょうが三宅島にとっては嬉しい乗客のようでした。

 船はドラを鳴らしやがて桟橋を静かに離れて東京湾を一望しながら進みますが、その夜景はクルージングを楽しむようなまるで映画のシーでも見ている雰囲気で、少し感動しました。特にベイブリッジの下をくぐる時は、ライトアップされた橋の全容がくまなく堪能できて、ひとりで見るのが惜しいくらいでした。妻に見せてやりたい光景でした。

 東京湾の夜景が遠のき船内に入ると伊豆大島の一行は、見慣れた東京湾の夜景より交流と、既に酒盛りが始まっていました。私も飲めないながら高橋議員さんに誘われるまましばらく皆さんと交遊を温めました。ある郵便局へ務めているという参加者から「先生と聞いていたが、普通のおっちゃんなので安心しました」とひょうきんにも話され、嬉しい限りです。「今日のおっちゃんという雰囲気が、私の話を聞いてどんな変化が生まれるのか、これも楽しみの一つですね」と返しながら雑談にふけり、深夜11時半の消灯を見計らって特1の部屋へ帰りました。

  「俺を見て 普通のおじさん 嬉しいね 明日は見方が 変わるかも知れず」

  「浜松の 駅の近くに 港あり 歩いて十分(じっぷん) 初めて知った」

  「橋の下 くぐりて船は 進み行く 秋の夜長を 風に誘われ」

  「昼間見る 東京湾とは 大違い 要らぬ全てを 闇に隠して」

  「この灯り どこから送られ 来たのやら 東京夜も 昼と同じく」  


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