○やめた人の言い分とやめない人の言い分
昨日久しぶりに旧役場の同年齢同僚二人と酒宴の席で出会いました。A君は家が農業です。したがって退職すると家業の農業を奥さんと共にやっています。晴耕雨読の日々は実に楽しいと、真っ黒に日焼けした顔をほころばせて話してくれました。しかし彼の作っているみかん類は施設園芸で高品質を追求するような農業ではなく、親から貰った財産を減らすこともできないからと、まあ仕方がないからやっているようなもので、相変わらず金の取れない農業だと農家の長男に生まれたことや農業の厳しい現実をぼやいていました。
一方B君は天下りといえるかどうか分りませんが、役所の外郭団体に移って団体事務局のような仕事をしています。朝家を出て夕方家へ帰る退職前と変わらない背広にネクタイの生活ですが、責任がない分気楽なものだと話していました。しかし彼の置かれている立場は微妙で、これまで部下だった役所の人からいちいち文句をつけられ、おまけに給料はスズメの涙だとこれまたA君と同じようにやるかたない不満を打ち明けてくれました。
さて彼らの話の矛先はもっぱら自由人となって伸び伸び生きてる私に集中してしまいました。「お前は大学の先生気取りで若い子と一緒になっていい」とか、「お前は講演など口先だけで弁当も持たずに色々な所へ出かけて講演するからいい」など、まるでさも私が勝ち組、自分たちが負け組みのような話をして羨ましがるのです。挙句の果ては「何でも人間牧場などというセカンドハウスを造ってリッチな生活をしているそうじゃないか。金があったら回してくれ」などと、いいたい放題なのです。
ところでA君は酒もタバコもパチンコもという嗜好品100パーセントの人間でしたが、数年前に健康診断に引っかかって一念発起してタバコをやめました。パチンコも雨の日に行く程度のようですが、酒だけはやめれないと言い張っていました。「酒をやめるくらいなら死んだ方がましだ」と、体の都合で酒を6年前から断っている私にこれ見よと言わんばかりに、さも美味そうに盃を乾すのです。タバコをやめたことを誇らしく公言し、その代償として酒を飲むことを自分に納得させるA君ですが、過去に胃潰瘍の手術をした経験があるので、「そんなに無理して飲むな」と注意をしましたが、一向に馬の耳に念仏のようでした。
B君はどちらかというとネグロ的性格で、私たちのように元気を顔に出すタイプではありません。故に物静かで再就職後もその性格は変わらずむしろ昔より愚痴っぽくなっているようでした。B君もA君と同様酒もやるし、タバコもやりますが、賭け事だけはしないようでした。
私は同じ時代に生まれ同じ時代に生き、同じようにリタイアした3人の中で、A君とB君がいうように果たして幸せ者なのか考えて見ました。確かに今はさした悩みもなく、日々人と出会い、現職時代に培った人と情報のネットワークを駆使して楽しく暮らしていますが、彼ら2人と根本的に違うのは未来への明確な人生目標に向かって歩んでいるからだと思いました。そのことを今夕妻と風呂に入りながら雑談めいて話すと、「それは私の存在が大きいのよ」と返されました。妻の言うように確かに若い頃は様々な苦労や失敗を繰り返してきましたが、その度に妻の内助の功がどれほど支えてくれたか計り知れないのです。「それをいっちゃあお終いよ」とまるでフーテンのと寅さんのようなセリフでお茶を濁しましたが、せめてこれからも同行二人の人生でありたいと、友人二人にあってしみじみ思いました。
「幸せは 私のお陰と 妻が言う そうだそうだと 心相槌」
「A君と B君お前 幸せと 羨ましがり つつ酒を飲む」
「酒止める なら死ぬ方が まだましと 友は変わらず 盃乾して」
「今日すめば 明日など俺にゃ どうだって ネグラ男の 愚痴が始まる」