shin-1さんの日記

○今年は寒いです

 「歳をとったら寒さ暑さが身に染みる」という言葉を親父は口癖のように言っています。夏になれば冬の寒さを思い、冬になれば夏の暑さを思うのは誰しもでしょうが、60歳の坂を越えた私にとっても今年の冬は、親父の言葉を彷彿するような寒さを実感する今日この頃です。

 私は朝が早いです。毎日4時には目が覚め、自分の書斎でその日の仕事の準備たる仕込みをします。本を読んだり原稿を書いたり、物思いにふけったりするのですが、人より少し早く起きて始めるこの「仕込み」によって、自分のスキルが随分高まったことを思うと、やはり「早起きは三文の得」なのでしょう。

 朝の寒さは一日の内で最も身体に堪えるように思います。まるで日本列島が冷蔵庫に入っているような昨今の寒波襲来は、今年の事件事故を思い出させ、寒々とした雰囲気で余計に寒さが募るようです。

 寒さ対策にと妻がパッチを用意してくれました。私は自分で若いとと思いつつ下着は袖なしランニング、パッチなんて余程のことがない限り穿いたことはありませんでした。みんなが「まあ若松さんはお若いのね。そんな薄着で」なんて褒められるものですから、いい気になって薄着で通してきました。でもその結果この30年余り一度も風邪をひいたことがないのですから、「馬鹿は風邪をひかない」の例えどおりそれはそれとして薄着の効果だと自分は思っています。

 妻は「それを年寄りの冷や水という」と言うのです。「薄着して風邪をひいても誰も褒めてくれない」とも言うのですが、その妻はババシャツなどの厚着をしていつも風邪をひいているのです。

 でも人の好意は甘んじて受けようと今年の冬はパッチを愛用してますが、これも慣れればそんなに温かく感じないものなのです。

 昨日新潟県では雪と風と塩による停電が起きて、一日中復旧せず暖房も各所で止まるなどの大パニックが起きました。日々の暮らしを何気なく支えている電気も、なくなると生活が立ち入ってゆきません。灯油のストーブだって電気がないと燃えないのです。雪と寒さに震えながら電気のつくのじっと待っている人々のことを思うと寂しくなります。

 今朝はストーブを付けずに厚着をしてこのブログを書いてます。

  「朝会いて寒いとあいさつ返りくる厚着のおばちゃん背中丸めて」

  「寒いのは懐なのかも知れません始めて迎えるリタイアの冬」

  「俺よりもリッチな孫のお小遣い福沢諭吉も見え隠れして」

  「夏がいい冬になるとそう思う過ぎた季節をうらやむように」

 

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shin-1さんの日記

○冬至にはかぼちゃとコンニャク、ユズ湯です

 今日は一年中で最も夜の長い、朝寝坊の妻にとって一番至福の日です。昨晩は妻の職場の忘年会らしく、一次会が終わってハリーポッターの映画を見に行ったため12時頃に帰って来ました。風呂を上がり床に就いたのは0時30分を過ぎていましたが、寝る時「明日は冬至なので夜が明けるのが遅いからゆっくり寝ます」とまことしやかな理由をつけて朝寝坊を決め込んでいました。昨夜は寒気の影響で小雪が舞うなど大荒れの天気でしたし、ゴミ出しの日でもないので7時に起床したようで、慌てて朝食の準備をしていました。

 冬至といえばかぼちゃとコンニャクを食べる風習があります。特にかぼちゃは冬至かぼちゃといって夏の終わりに収穫していたものを食べるのです。最近はかぼちゃも外国から輸入されるようになって、家で保存していたかぼちゃを食べることは殆どありませんが、かぼちゃ好きの私としては、北海道鵡川町の友人が毎年ジャガイモと一緒に送ってくれるとっておきのかぼちゃを是非賞味したいのです。妻もそのつもりで朝食の後「今日はかぼちゃです」と予告してくれました。

 冬至の日の楽しみはユズ湯です。これも島根県の友人からの贈り物ですがユズを洗ってユズ湯を楽しみたいものです。甘酸っぱいユズの香りは日本料理にもよく合い、皮は香りとして、汁は鍋物に最高です。一昨日届いた寒鰤の鰤大根にユズは相性抜群です。

 こうして冬至の過ごし方を見ると日本の冬も捨てたものではありません。この35年忙しい日々を過ごしていたのでそんなことを考えたり味わったりする余裕すらなかった自分が、何故か無駄な時間を過ごしてきたような気持ちになっています。これからは季節や旬を大切にしながら味わったり楽しんだりしたいものです。

 それにしても北海道のかぼちゃといい、島根県のユズといい、宇和島市の鰤といい、私には冬至を楽しむ素敵な道具立てがあることをしみじみ有難く感じる冬至なのです。

 「食べて下さい」、今朝はチャイムの音と共に美味しそうなみかんが届きました。宅配便が美味しそうな御荘湾の殻付き牡蠣を届けてくれました。職場を退職し交際範囲が確実に狭くなった私ですが、私を覚えてくれていてるのです。涙が出ます。ありがとう。

  「寒くても北陸大雪比べればここは温暖早くも水仙」

  「寒いです冷たい指でブログ書く返信同じ季節の便り」

  「太陽の旅今日から始まりぬ北を目指してただひたすらに」

  「寒かろう老いに届いたプレゼントひざ掛け嫁の心ぬくもる」

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shin-1さんの日記

○コーヒーが飲めない私

 私はコーヒーが飲めません。「何故?」と言われても別に理由はないんですが、生まれてこの方一度だけコーヒーを友だちにだまされて飲みました。その時の苦かった舌味がコーヒーから私を遠ざけた、ただそれだけの理由なのです。今なら挑戦すれば飲めるかも知れませんが、少し怖くて飲まないのです。コーヒーを飲まない私は余程のことがない限り喫茶店には行きません。たまに仲間と待ち合わせたり仕事の打ち合わせをしたりするため、相手が喫茶店を指定すれば別ですが、喫茶店は私にとって遠い存在でした。

 そんな私の息子に、よりにもよってコーヒー専門の喫茶店を営む家庭の娘が、この秋縁あって嫁いで来たのですから世の中は理解に苦しむことが多いです。結婚話を取りまとめるためにその店に何度も足を運びましたが、私の注文はホットミルクかレモンティなのです。

 でも最近気がついたのですが、コーヒーの香りは何ともいえない安らぎを覚えます。店に入りお定まりのカウンターに座る。お冷とお絞りが出て飲み物を注文する。注文の飲み物が出てくるまではBGMを聞きながら店内に漂うコーヒーの香りを体いっぱいに浴びる。ここで「キリマンジャロ」なんて注文し洒落たコーヒーカップを片手に飲む姿は、何とも格好いいはずなのに、相変わらず「ホットミルク」しか注文できない渡しなのです。

 かつて私は総理府派遣第10回青年の船の班長としてアメリカやメキシコ、ハワイを歴訪しました。どの国でも飲み物といえばコーヒーです。これには随分困りましたが、英会話の苦手な私はコーヒーの断り方を知らなくて随分苦労しました。しかし私のホスト役の渉外担当が「若松班長さんコーヒーを断るのに英会話なんか必要ないです。ノーコーヒーで十分通じます」と教えてくれました。以来私は馬鹿のひとつ覚えとでも言うのでしょうか、「ノーコーヒー」で通しております。

 最近の日本は生活がすっかり洋風化し、コーヒーは日本の飲み物になってしまいました。どの家を訪問してもお茶と同じくらい、いえひょっとしたら来客にはコーヒーが多く出てくるのです。私の訪問を見て裏でコーヒーを入れているのを察知すると、「すみません。私はコーヒーが飲めないのですが」と断るのですが、それも出過ぎた感じがして、ついつい出されたコーヒーに手も口も付けない失礼が度々あります。食後の特に日本食後のコーヒーなど私には到底考えられないことなのです。

  「コーヒーを飲まぬ私にお歳暮が開けてみるとコーヒーうんざり」

  「砂糖ミルク入れぬブラックマウンテン飲んでも肌は白いままです」

  「理科実験思い出すよなカウンターランプ熱してサイフォン下る」

  「コーヒーは飲めぬが香りとBGMタダで鑑賞安いものです」

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shin-1さんの日記

○ある公民館の張り紙

 公民館のように人がよく出入りするところには「来たときよりも美しく」とか、トイレには「西や東に垂れかけな南(皆)みる人が北(汚)ながるらん」なんて書いて人の注意を促しています。先日講演に行った先のトイレに面白い張り紙がしてあり、小便を済ませてメモした、くさい話です。

 人に嫌われる発言10か条

 ①あなたの考えには反対です。

 ②あなたの家族やあなたが信じているあの人は嫌いです。

 ③そんなこと誰にでもできます。

 ④そのことなら私の方がよく知っています。

 ⑤あなたの失敗はこうです。

 ⑥私はこのことについては詳しいんです。

 ⑦あなたはこのように約束したではないですか。

 ⑧私にやらせてみなさい。

 ⑨私も昔はあなたのように考えたものです。

 ⑩それはあなたのひがみです。

 公民館では様々な話し合いがもたれますが、このような発言をして相手の発言をさえぎると間違いなく相手に嫌われるというのです。

 なるほどと思い、自分を巡る上手くいかなかった時の会話を思い出したり、自分の周りにもこんな人がいるなと納得したりもしました。この発言を裏返しにすると人に好かれる発言になるのですが、それはこのブログを見た人に考えてもらいましょう。

 このように、張り紙やスローガンは私たちの身の回りにいっぱい張られています。立ちどまって読み、読みながら考えて自分に置き換えて自分の生き方を正すのも一つの方法かも知れません。

 私たちは日々の暮らしの中で言葉というものを介してコミュニケーションを取り合っていますが、何気なく話す言葉も実は相手を傷つけていたり、不快の念に陥れたりしているのです。言葉一つで世の中の雰囲気は変わります。身近な家族は余計気をつけなければなりません。日々の暮らしを楽しむためにも・・・・。

  「太ったね気にする女性はムカついて口も利かずに通り過ぎ行く」

  「汚い字特徴ある字と言われたら少し軽めの好意に変わる」

  「昔はね口にするよな歳になり古いやつだと思いでしょうが」

  「トイレ見た嫌われる人10か条自分棚上げあの人思う」

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shin-1さんの日記

○アイディアは何処から生まれるの

 私は35年間公務員をしましたが、公務員らしからぬ公務員として型破りなレッテルを幾つも貼られるなど様々なことに挑戦してきました。普通公務員は休まず、慌てずの例えの如く真面目で、悪口を言えば仕事せずというイメージでしょうが、私は土曜日も日曜日もなく働きに働きました。加えて公務員らしからぬことをするものですから随分と目立ち、出過ぎて頭を叩かれたり足を引っ張られたりもしましたが、今のところ悔いはありません。私は公務員を好夢員と書いて「こーむいん」と読んでいました。したがって夢みたいなことを考え、「夢はドリームでなくターゲットである」と行動してきました。

 お世辞でしょうが「あなたのアイディアは何処から湧いてくるのですか」とよく聞かれます。中には「あなたの頭を割って中を覗いてみたい」と物騒な話まで飛び出す始末です。私のアイディアの秘密はプラス思考の好奇心にあります。普通だと考え付かないような夢をいっぱい考えるのですが、日ごろから問題意識を持って日々を過ごしているので色々なアイディアが浮かびます。ここまでは誰しも同じです。でもここからが私の少し違うところです。やりたいことを絵や文字にする、どうすれば出来るか、何時までにするのかも予定表を作る、そして周りの人にしゃべるのです。そのことは自分と周りへのマニフェストなのかも知れません。やがて強い意志力が生まれ、反対を説得しながら行動に移す、結果は成果がターゲットされるのです。しかしここまでも普通の人のやることです。私はさらにそのことに物語という付加価値を付け、マスコミを動かしニュースに仕込んでゆきます。「夕焼けソフトクリーム」も「夕日日コーヒー」もそんな行動で売れっ子になりました。

 アイディアは何処にでも落ちています。「夕日が綺麗」と言ってくれた一言が「日本一の夕日」を作りました。自分の潜在能力に気付き、先ほど述べたようなプロセスがアイディアを花開かせてくれるのです。しかしくれぐれも忘れてならないのは、周りの人の存在と自分の努力がなければアイディアは成果を収めることができないということを・・・・・。

 昨日一人の大学生が私の元へ訪ねてきました。彼は徳島県で杉の木を使ってまちづくりをするプロジェクトに関わっているのだそうですが、中々良いアイディアが浮かばないのでヒントをいただきたいというのです。私は翠小学校の木製机の話をしました。木製机を徳島中の学校に導入したら木材関係者が活気付くのでは?とか、その天板を卒業するとき子どもたちにプレゼントすると子どもたちはその思い出いっぱいの天板を、一生の思い出に取っておくだろうなあ?とか、アイディアをいっぱい話してやりました。彼は嬉しそうに帰って行きましたが、「じゃああなたはどうするの」がないと次には進めませんよと話して帰しました。

 アイディアは誰でもあります。それをターゲットできるかどうかが人間の値打ちなのです。

  「アイディアを随分金にした男次の作戦人間牧場」

  「石ころを見てもアイディア浮かびます落ちていたならただの石ころ」

  「夕日さえおらの物だとツバつけて隣のまちは悔しかりけり」

  「何でだろう漫才ネタではありませんそこからアイデア生まれます」

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shin-1さんの日記

○人を好きになること

 「私には好きな人が沢山います」。こんな告白をすると「えっー、その歳をして」なんて答えが返ってくるでしょうね。「でも人を好きになるのは年齢ではありませんから」と開き直ると、「止めた方がいいですよ。怪我しますから」なんて諌められるのが落ちでしょう。

 人を好きになることは何も愛や恋に限ったことではありません。私にとって好感を持って接する人は全て好きな人なのです。あちらこちらへ講演などに出掛ける私にとって、お葉書を出したりメールのやり取りをする人は沢山います。人を好きになると好きな人がどんどん出来てきます。逆に何かの原因で喧嘩をしたり自分の言動に反対されると人間不信に陥入って人が嫌いになるものです。

 私は長年の経験で、「人は嫌うと嫌われ、好きになると好かれる不思議な動物である」ということを発見しました。この発見のお陰で私は人もうらやむ大きな宝物を得たのです。人に嫌われるとその人を好きになる度合いが足りなかったと反省してもっともっと好きになるよう努力するのです。

 昨日中学校時代の同級生を知っている人に会いました。道すがらその女性は立ち話で、私の同級生の女性が私のことを好きだったと言っていたと言うのです。妻と一緒だったのでその女性は「あら奥さんの前でこんなこと言ってよかったかしら」と顔を赤らめていました。当の妻は私がもてないのを知っているので「かませんよ」と軽く流してくれました。私はその同級生の顔を思い出しながら車を運転しました。信号が青になっても発射しない私を見て、「お父さん、さっきのことを思い出したんと違う、信号が青じゃがねえ」と言われ正気に戻りました。おっと危ないです。でもそう言われると悪い気もしないものですから、その日一日がウキウキの一日でした。今振り返ると人間なんて単純なものだと思うのです。

 八方美人過ぎても困るけど、勝手に人をどんどん好きになって、多くの人に希望を与えるような人間になりたいと今も考えています。余談ですが私を好きだと言った女性に、同窓会の後はがきを出しました。ご主人をガンで亡くして悲しみに暮れ、同窓会を欠席したからです。後日彼女から返事が来ました。今でも彼女はハガキ仲間として文通をしています。勿論妻もそのオープンラブレターであるハガキを一緒に読んでいます。

  「好き嫌い自分の価値で決まるもの重さ長さもないものですから」

  「あの人とダブらせテレビのドラマ見る妻も多分にそのこと考え」

  「好きになりゃあばたもえくぼ好感度でも好きで留めましょう」

  「今日もまた好きな女性が文よこすもてていいねと妻ちくり言う」

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shin-1さんの日記

○酒席に異変が

 酒を断ってもう5年が過ぎました。私の体内からは完全にアルコール分が抜けているようです。それでも私のDNAが求めるのか、時々酒が恋しくなる時があります。忘年会の今頃は酒の勢いで楽しい年末だったと昔を懐かしんでいますが、今ではどんな酒の誘惑にも負けない改造人間に改造されました。したがって私に限り飲酒運転は絶対にありません。県警本部長様私を表彰してくださいは冗談です。

 最近酒席に行って感じるのですが、随分焼酎党が増えたと思いませんか。最初の乾杯はとりあえずビールか食前酒、そのうち「私は麦のお湯割りに梅を入れてください」などの言葉が乱れ飛びます。寒くなったのに相変わらずの苦戦は日本酒で、勧めても「悪酔いするので」とか、「糖尿病境界なんで焼酎を」などと焼酎の人気はうなぎ上りです。

 今や日本中にブームを呼んでいる「焼酎」という聞きなれない飲み物は一体どういう飲み物でしょう。飲む人に聞いても「そんな難しいことは分からん」と味も素っ気もない返事が返ってきます。

 焼酎は焼いた酎と書くがそのいわれは?

 焼酎のラベルに張ってある甲類・乙類って?

 はい聞いた話で焼酎への質問にお答えします。アルコール発酵したものを絞ったものが醸造酒、つまり日本酒なら、焼酎は熱を加えて蒸発させたものです。蒸留方法には連続式蒸留と単式蒸留があります。連続式蒸留で雑味を極力取り除いたのが焼酎甲類やホワイトリカーなどです。単式蒸留(1回だけの蒸留)は原料の風味を残した焼酎乙類です。本格焼酎の蒸留方法には2種類あって蒸留器内の圧力を下げ低温沸騰させる減圧蒸留と自然のままの常圧蒸留があります。

 焼酎の原料は芋・麦・ソバ・黒糖・栗・すだち・米・牛乳など様々で、その地域の特産品を使って作りますが、中にはジャガイモ・シイタケ・トマトの焼酎まであるそうです。

 酒を飲まない私にはどんな味がするのか知る由もありませんが、私の顔を見て「あっ、この人は飲めそう」と焼酎をお土産にいただいて帰るのですが、それらは全て私の家に来た人への振る舞い酒に使われており、勿体無い話です。

  「重いのに土産の焼酎手に提げて只今息子なんだ焼酎か」

  「甲乙と焼酎ラベルに書いてある誰に聞いてもそんな分からん」

  「悪酔いをしないと言われ焼酎を飲み過ぎ悪酔いあんたが馬鹿だ」

  「芋が何故人を酔わせる酒となる飲めぬ私は芋でおならを」

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shin-1さんの日記

○でっかい鰤が届く

 今朝宇和島の仲間から宅配便ででっかい鰤が届きました。ご存知のように鰤は出世魚でワカナ・ハマチ・鰤と大きくなるにしたがって名前を変えていくのですが、今日届いた2本の鰤は丸々と太って見るからに美味しそうです。普通は『お魚ママさん」の称号を持つ妻が料理するのですが、サンデー毎日の私ですので腕を捲し上げて鰤と格闘することになりました。私の家は元漁師の家ですので出刃包丁や刺身包丁、それにイチョウのまな板と7つ道具が揃っています。かつて私自身も若い頃漁師をしていたし、水産高校の出身ですから魚の知識はしっかり持っています。

 まず発泡スチロールの氷箱から鰤を取り出し頭を落とします。鰤の頭を背骨から切り落とすにはかなりの力が必要で汗だくです。続いて内蔵を取り、水洗いしてから3枚におろすのですが、自分で言うのも何ですが上手いものです。骨を除いた身の部分は刺身用としてトレーに入れてラップをかけ冷蔵庫にしまいました。アラ骨や頭の部分は鰤大根用に細かく切って3等分し、ナイロンに詰めて冷凍庫へ保管します。年末までの保存食です。カマは今晩の塩焼き用に特別な袋に入れて冷蔵庫へ。大きな鰤でしたが30分ほどで調理を終えました。丁度昼時だったので食事に帰った妻が昼用に一皿刺身にしました。二人で食べたのですが「美味い」の一言しか言いようがありませんでした。

 私は胆嚢の摘出手術以来魚党です。タンパク質は魚から摂取しています。妻は私とおじいちゃんのために毎日魚を欠かさず食卓に並べてくれるのです。今日のような大きな鰤は近所へもおすそ分けするのですが、みんな喜んで食べてくれます。今日は私がおすそ分けを配りました。「宇和島の戸島から寒鰤が届きました。今日はこの刺身を私が作りました。少しですが食べてください」と、まるで子どもみたいに言いふらすのです。「へえー、進ちゃん。あんたが作ったの。器用なものじゃねえ」と褒めてくれました。嬉しくなりました。妻が笑っています。「まるで子どもみたい」ですって。

  「俺落ち目だけどこいつは出世魚見るから気品が漂う銀鱗」

  「この鰤は何処の海から来たのやら俺様逢いにトラック乗って」

  「切り身しか絵にも描けない子どもらに見せてやりたや鰤の勇姿を」

  「このハマチ店で買ったらハウマッチ親父ギャグだと食卓笑い」

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shin-1さんの日記

○えっ、中学校で電卓使っているって

 学校の授業も私たちの時代とは随分様変わりしました。文明の利器とてなかった時代ですから掛け算や割り算は勿論のこと、ルートの計算も全て手作業でした。先日飲み会で学校の授業に話が及び、小学校ではハーモニカが教材から姿を消してリコーダーになったことや、中学校の数学の授業に電卓が登場していることを知らない人が随分いることに驚いたのです。「先日息子の授業参観に行って息子が授業に電卓を使っているのを見て驚いた」と真顔で話すのです。電卓を授業でt使う話には賛成派と反対派がありました。賛成派は「だいたい学校の授業は社会に役立たないことが多い。もっと社会に出て役立つような勉強をせんとあかん。電卓は今や常識なのにソロバンを習わせるなんて」と、ソロバンなんか教えてないのに時代錯誤な話にまで及んでいました。反対派の意見は「だいたい電卓があったら算数の答えはみんな100点になるんと違うか。そんな事業はありえない。学校は基本・基礎を習う所だから、電卓に頼るような授業は好ましくない」と一利ある反論でした。

 そういえば日本の英語の授業についても彼らは酒の勢いを借りて痛烈な批判を展開していました。「おらは大学4年、高校3年、中学3年、合計10年間も英語を習って喋ることも読むことも出来ない英語の授業はおかしい」と言う勇敢な意見がありました。ある人が「それはあなたの能力がないだけで、英語を話せる人は沢山いる」で勇敢な彼は二の口が出ませんでした。なるほど納得です。

 『学校で自分の子どもたちが今何を習っているか知らない親のあり方が問題だ」と私も議論の中へ割って入りましたが、『同感、同感」と共鳴はしたものの「じゃああなたはどうするの」には残念ながら答えが返ってきませんでした。

 日本の親は自分の子どもの教育に、特に父親は無関心すぎます。保育園や幼稚園は運動会などビデオカメラの放列で見えないほど子育てに熱中した父親も、中学校や高校では殆ど顔を見れないのがその現実を物語っています。中学校や高校こそ父親の出番ではないかと思うのですが・・・・・。

  「学校は母親行くもの思ってた日本の教育これでいいのか」

  「電卓を叩く数学授業見た親父たまげて酒の肴に」

  「4・3・3・10年習って話せない日本の英語私も同じ」

  「学校へたまには顔を出すように親父の会を作る悲しさ」

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shin-1さんの日記

○夜遅くまでご苦労さん

 私の妻は近所の歯科医院で働いています。職業的にはパートなのですが一応日勤です。所帯持ちの妻としては何やかにやと所用があって休む事が多く、小さな歯医者さんなので従業員も少なくその度に心を痛めています。妻が勤める歯医者さんは月曜日と金曜日に夜7時まで仕事があります。冬の日暮れが早い今頃は帰りが遅い感じがして、暗くて寒い夜道は何かと心配です。といっても私の心配は口だけで、犬も猫も相手にしない中年ゆえ余り心配はしていません。(「まあ失礼」と妻に言われそうなので失言は取り消します)

 私は4月から無職ですからさしずめ私は妻の紐なのでしょう。これまでは私が稼ぐからこの家は成り立っていると心で思っていましたから、態度も何かにつけ横着でした。でも今はそんな自分の態度を深く反省し、せめて少しだけでも妻の手助けをしようと殊勝な考えを持てた自分は偉いと、自分自身を褒めています。

 今日もまだ帰って来ない妻を待ちながらパソコンを打っていますが、本当は料理の一つも出来れば妻がどんなに助かるだろうと思ったりします。でも結局は料理の一つも出来ないのです。あっ、妻が「只今」と玄関の戸を開けました。「お帰り、寒かったろう」と言ったら妻にっこりと私の書斎に顔を見せました。まあこの程度の夫婦関係で幸せなのですから犬も食わずでいいですね。

 それにしても妻はよく動きます。あんなに動いて何で下腹が引っ込まないのか不思議な気さえするのです。炊事・洗濯・掃除・おじいちゃんの世話・民生員・仕事・子どもの世話・家計簿記帳・金のやりくりと、手の指だけでは足りず、足の指まで加えねば数え切れないほどの働き振りです。これは何も私の妻だけでなく日本の女性は実によく働きます。しかしそのことについて最近男女同権が浸透した日本では、女性軽視で叱られますので止めますが、まあ妻に感謝の今日この頃の私なのです。

 本当はその感謝の心を行動で示せばいいのでしょうが、私も古い日本の男性でブログでしか表現できません。悪しからず。

  「遅くまで働く妻に感謝して遅い夕餉の膳を囲みつ」

  「おらが妻欲を言ったら切りないが気前良いのが玉に傷です」

  「少しでも痩せたい気持ちで歯医者までたった五分のウォーク無理して」

  「おいと言う呼び名で返事のわが妻はまるでロボット今日も元気で」

 

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