人間牧場

〇友人のお母さんの訃報
 年齢を重ねると、自分につながる親類、友人などなども私と同じように高齢化し、突然訃報が舞い込み、驚きを隠せません。3日前所用があって友人に電話を掛けました。私「すっかりご無沙汰をしていますが、その後お元気ですか?」と尋ねると、「私は元気だが母が他界し昨日葬儀をしました」と言うのです。

「コロナ感染のさ中なので、訃報は新聞にも載せず家族葬で行いました」と言われました。家族葬と言われても、父や母の葬儀に参列して香典もいただいていたので、失礼ながら昨日の午前中平服で友人宅を訪ね線香を手向け、居合わせた奥さんと二人で、個人の思い出話や、今後について色々なお話をして帰りました。

 友人のご自宅を訪問したのも、奥さんと出会ったのも10年ぶりで、記憶を頼りに訪ね歩きましたが、周辺地域も奥さんも随分様変わりしていて、勿論相手から見れば私もこの10年で様変わりしているに違いなく、10年ひと昔の出会いでした。それにしても虫が知らせたとはこのことで、よくぞ電話をかけたなあと思いました。

「元気かい たまたまかけた 電話口 母親葬儀 昨日済ませた」
「コロナ禍が ゆえに葬儀は 家族葬 訃報聞こえず 不義理を詫びる」
「10年ぶり 友人宅を 訪ね行く 仏壇線香 手合わせ祈る」
「また一人 思い出の人 黄泉の国 旅立ち悲しや 明日は我が身か」

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人間牧場

〇やってみる価値のある対話塾
 私はこれまで、10年で40回を目指す廃屋を利用したフロンティア塾や、人間牧場での年輪塾などを開催し、人を育てる活動をしてきましたが、その殆どは不特定多数の人を集めた集合学習でした。

講義をする塾長の私
受講する浜田塾生

 最近新型コロナの感染が拡大し、人を集めて楽手することが難しくなってきました。そのため文明の利器を使ってオンラインで活動をし始めましたが、その手法はやはり前例踏襲の参加型集合学習のようです。

 参加型集合学習には参加した人たちの交流と言う副次的な効果もあったのですが、オンラインではそれも望めず、手詰まり感があるようで、何とかしたいものだと思っていました。昨日偶然夏修行と称し人間牧場で水平線の家のワックス掛けと、草刈りをやった後、汗に汚れて体で塾長の私と、年輪塾生の浜田さんが1対1の対面で議論してみました。

 面白い反応があったので、試験的に何人かを募って対面理論をやってみようと思っています。テキストは出版している「夕焼け徒然草地の書・火の書・水の書・空の書・風の書・心の書」及び、「まちづくり100話」、「昇る夕日でまちづくり」などを使ってみたいと思っています。ひょっとしたらひょっとするかもで、楽しみです。

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人間牧場

〇年輪塾の対話塾
 私はこれまでフロンティア塾や年輪塾を立ち上げ、様々な人づくりの場と機会を長年にわたり提供してきましたが、それらの殆どは講師×複数の受講生という構図の集団学習でした。集団学習は最も効果的な学習方法で、一度に何人もの人が学び、その人たちが交流する副次的な効果もあり、今も各地で行われています。

講義をする塾長の私
受講する浜田塾生

 しかし最近は、新型コロナの感染拡大によって、集団を集めることが困難となり、集まらなくてもいながらにして学べる、オンラインによる学習に移行し定着しつつあるようですが、それも集団学習に変わりはないようです。そこで考えついたのは、1対1の対面学習的年輪塾です。

 昨日人間牧場で夏修行の作業が終わってから、年輪塾生第1号の浜田さんを相手に、1対1の対面学習会を短い時間ながらやってみました。2人とも作業後の汗をかいたままでの座学となりましたが、中々いい感じなので、これから個人会員を募り、私と一人一人の塾生がスケジュールや内容を決める自由度の高い年輪塾を始めたいと思っています。さあまた新しいことへの挑戦が始まります。

「複数の 人を集めて した塾も コロナによって もろくも崩れ」
「思いつき 1対1の 対面で 学ぶ学習 面白いかも」
「塾長の 私と塾生 向かい合い 一つのテーマ 20分かけ」
「新しい 学びの方法 考えて 年輪塾を 進化させたい」

 

 

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shin-1さんの日記

○今年の目標は「湧潮流」

 昨日と今日、たった一日しか変わらないのに、昨日は大晦日で今日は元日です。家族で紅白歌合戦を見ていましたが、ひいきの歌手が中々出ず、ついには大晦日の大掃除の疲れもあって風呂にゆっくり入り、紅白歌合戦の結果白組が勝った話は、午前零時になって布団に潜り込んできた妻から聞きました。寝入りばなだったので、それから目がさえてついうとうとしていましたが、今朝は正月でもあるし思い切って普通の日より20分も早い3時40分に起床して、書斎で机のパソコンに向かい思いつくまま、今年最初のブログを書き始めました。

若松進一ブログ
(書斎に張った今年の目標「湧潮流」)

 今年の目標は馬路村からいただいたカレンダーの表紙に「上昇気流」と書いていたので、その4文字熟語に決めようかと思いましたが芸がないので、海の町双海町に住んでいるので、「湧潮流」と決めました。昨年金子みすヾの「大漁を、年末に清水塾頭の旧暦の話を覆いだしたこともこの3文字熟語を選んだ要因のようです。

 「湧潮流」とは海洋用語で、特に漁業関係でよく使われます。海には月の引力の影響で、たえず潮の満ち引きによる潮の流れがあります。私たちは海岸線などの干満の差によってその動きを目視できるのです。


 しかし潮の流れは微妙繊細で、周りの地形や天気、それに月齢によって様々な変化が生じるのです。「湧潮流」はこの流れが何かにぶつかった時海底深い海水がプランクトンを巻き上げながら一気に上に向かって流れます。そんな場所には魚が沢山集まり、漁師にとって格好の漁場となるのです。

 最近はこのような場所を人工的に造ろうと、大きなコンクリートのケーソンを海底に沈めて「湧潮流」を発生させようという実験まで行われているようですが、投資効果はまだ結論が出ていないようです。

 さて「湧潮流」を人間に置き換えて考えて見ましょう。潮の流れは時代の潮流と自分の心の有様を意味します。つまり時代の潮流を的確に捉える判断力と、自己実現の気力がなければいい流れに棹差すことができないのです。またいくら判断力と気力の流れがあっても、心の中にプランクトンになる知識力がなければ、行動力による智恵力は生まれないし、プランクトンに集まる魚を捕らえることはできないのです。思いつくだけでも「湧潮流」は様々な条件が必要で、それらが絡み合ってできる総合力のようなのです。


 今朝パソコンで今年の目標である「湧潮流」の文字を書いてプリントアウトし、昨年の目標として張り出していた二宮尊徳翁の「積小為大」の上に掲げました。①時代の流れを読み「湧潮流という時流に乗る。②自らの心に「湧潮流」という流れを起こす。③「湧潮流」が心の底から巻き上げるプランクトンのような智恵の源を蓄える。④「湧潮流」に人を集める。⑤自ら漁師となって行動力で成果を得る。まあおおよそこの五つくらいを念頭にしっかりとこの一年をs語したい誓いを新たにしました。

  「今年の 三文字熟語 『湧潮流』 海の町ゆえ 新たな視点」

  「いい言葉 思いついたと 早速に プリントアウトし 壁に掲げる」

  「『湧潮流』 おおよそ五つ 念頭に 今年生きよう 誓いも新た」

  「馬路では 上昇気流 俺は俺 『湧潮流』で 向こうを張ろう」

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shin-1さんの日記

○いろはカルタの意味(その1)

い 犬も歩けば棒にあたる(何か行動を起こすと意外な幸運にめぐり合う)

ろ 論より証拠(あれこれ議論よりを証拠を示すのが一番)

は 花より団子(ハナミより食べる方がよい)

に 憎まれっ子世にはばかる(人に嫌われるような子に限って世間では幅を利かせる)

ほ 骨折り損のくたびれ儲け(苦労努力が報われず無駄になって疲れだけが残る)

へ 下手の長談義(下手な人ほど前口上や議論が長い)

と 年寄りの冷水(「老人が歳を考えずに無茶なことをしたり無理に元気ぶる)

ち ちりも積もれ山となる(ほんのわずかな物でも沢山積もれば大きな物になる)

り 律義者の子沢山(真面目で義理堅い律義者は家庭に尽くすので自然と子どもの数が多い)

ぬ 盗人の昼寝(泥棒は夜中に仕事をするので昼寝る、このことから何事もそれ相応の理由がある)

る 瑠璃も玻璃照らせば光る(瑠璃は宝石、玻璃はガラス、光を当てれば違うものでも同じように輝く)

を 老いては子に従う(歳をとったらすべて子に任せ従うのがよい)

わ 割れ鍋にとじぶた(割れた鍋に修理したふた、似た者同士の方が釣り合いが取れてうまくいく)

か 可愛い子には旅をさせよ(成長を願って試練を味あわせる)

よ 葦の髄から天井のぞく(細い葦の茎から天井を除くような狭い了見で判断する)

た 旅は道連れ世は情け(世渡りも互いを思いやって仲良くする)

れ 良薬は口に苦し(効き目のある薬は苦い、本人のためになる意見は厳しい)

そ 総領の甚六(長男は甘やかされて育つのでお人よしでおっとり者が多い世間知らず)

つ 月夜に釜ををぬく(明るい月夜の晩に大事仲間を盗まれることからひどく油断するたとえ)

ね 念には念を入れ(十分気をつけてもさらに気をつけて万全にする)


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shin-1さんの日記

○長閑な岡山までの列車の旅

 昨日は松山経由で岡山へ行くため、久しぶりに予讃線海岸周りのローカル線に乗りました。13時03分いよ上灘駅発の列車はお昼の時間帯だったこともあって、地元からの乗客は少なく、西岡市議会議員さんと同じ席に座って松山まで世間話をしました。長年議員をしているので滅多に聞けない話を聞きましたが、側に座った顔見知りのお年寄りからは、「久しぶりだが元気かな」「何処へ行くんぞな」「何しに行くんぞな」「いつ変えるんぞな」と、矢継ぎ早に話しかけてこられ、まあ忙しいことでした。

 この列車は伊予市で乗り換えがあり、プラットホームの反対側に止まっている列車に乗り込むと、下りの列車の到着するのを待って出発しました。日ごろは岡山での会合などは車を使うのですが、もうこの歳になると公共交通機関の方が楽なような気がするので、こうして各駅停車の列車を乗り継いで目的地へ向かうのです。

 松山駅を14時18分に出発する特急しおかぜは、列車の車体には漫画家やませたかし作のアンパンマンの漫画がたくさん書かれ、アンパンマン列車といわれているようで、アンパンマンの声で案内してくれたりしました。


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 今回の講演依頼は株式会社システムブレーンという大阪のコンサル会社の仲介によるものなので、列車のチケットも前もって簡易柿止めで送ってもらっていて、また微細に通うところに手が届くような行き届いた手配や気配りがされているのです。

 2号車16番A席に座り、ゆっくり本を読んだり、調べ物をしたりしながら岡山までの旅を楽しみました。車窓に見える見慣れた光景を手持ちのカメラで写真に収めたりしました。この日は都合のいい事に瀬戸大橋をわたる頃夕日が西瀬戸に美しく沈む姿をラッキーにも見ることができました。


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 夕日に目のない私ゆえ、隣の席に座るひともいなかったので、思う存分夕日を堪能することが出来ました。瀬戸大橋は二階建てになっていて、屋上が車道、一階が鉄道になっているため、橋脚の鉄骨が視界の邪魔をしていい写真は撮れませんでしたが、腕の悪さを鉄骨のせいにするくらいで勘弁して欲しいと思うのです。

 列車は予定通り17時11分、岡山駅に到着しました。それにしても、一日違いで救われました。というのも前日は暴風雨警報などが出て日本列島は大荒れだったのです。当然瀬戸大橋も車や列車がストップし、特急なども何本か運休したようです。

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 昨日は朝から好天に恵まれ、日中の気温もグングン上がり、持って行った今年初めてのコートが恥をかいてしまいました。それでも岡山に着いたころには陽もとっぷり暮れて、コートの襟を立てました。岡山駅には吉備中央町手配による賀陽交通の川上さんという運転手さんが出迎えてくれ、1時間ほどの夜道を雑談をしながら宿舎まで運んでくれました。お陰で昨日はすっかり楽をさせてもらいました。

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shin-1さんの日記

○ミョウガを食べ過ぎるとものを忘れるって本当かな?

 人間の好みは年齢によって変わるものだとしみじみ思います。子どもの頃はトコロ天や蕎麦など自宅で作っていたためか、美味しいと思ったことは一度もありませんでした。ところがこの年齢になるといつの間にかトコロ天も蕎麦も大好物となっているのです。特にトコロ天は海沿いに面した町でトコロ天の原材料となる天草が沢山採れることから、退職後の最近は自ら海岸に出て天草を確保しているため、妻がしょっちゅう作ってくれるため、海草は身体に良いという神話を間に受けて、せっせと食べているのです。自分が採ってきて乾燥保存しているヒジキやワカメとともに天草もわが家では大事な食料品の地位を築きつつあるようです。

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 昨日は久しぶりの雨でした。昨日は締め切り間近な原稿が2本ほどあったので、わが書斎でシトシトと降る戸外の雨を見ながら原稿書きに熱中しました。お陰で静かな環境の中で2本とも原稿を書き上げ、インターネットのメールで写真とともに送付し、少し肩の荷がおりたような感じがしました。

 原稿を書く途中気分転換のつもりで裏庭の直ぐ裏にある林の中へ、長靴を履いて入りました。何年か前に数株植えたミョウガの茎がかなり増えていました。根元を見るとミョウガの芽に白い花がいっぱい咲いていました。秋ミョウガというのでしょうか、そこら辺に沢山あるものですから、少し嬉しくなって夢中でボールにいっぱい取りました。外の水場で花柄を取り除き綺麗に水洗いをして台所に持ち込むと妻が、「まあ綺麗なミョウガ美味しそう」というものですから悦に入って再度はやしに分け入り、見境もなく発泡スチロールのトロ箱に殆どいっぱい取りました。はてさてこのミョウガをどうしようか思案した挙句、とりあえず近所に住む姉や叔母宅へおすそ分けしてあげ、大層喜ばれました。

 残りのミョウガは梅酢漬けにしようと相談がまとまりました。妻はミョウガに計量器で塩を計って漬物用のポリバケツに入れ、重石を乗せました。今朝見るとミョウガは塩漬けにされて漬物と同じように漬け汁が上がっていました。多分今日は妻が仕事から帰れば梅酢に本漬けされるのでしょうが、仕上がりが楽しみです。

 私たちが子どもの頃は、ミョウガなど苦くてとても口に出来ない嫌いな食べ物でした。今はミョウガを刻みそこへヒシオ味噌とチリメンジャコを入れると、飛び切り上等な美味しい一品となるのです。新米の美味しい季節ですが、これがまた熱々のご飯によく合うのです。

 子どもの頃祖母から聞いた民話には、ミョウガの話が出てきました。ある旅籠に金持ちらしき羽ぶりの良さそうな旦那が泊まりました。旅籠の老夫婦は滅多に来ない金持ちの泊り客を歓待しました。ご馳走や酒で上機嫌になった泊り客に、どれ程食べてどれ程飲んだか忘れさせるために、ミョウガを沢山食べさせたのです。やがて朝が来ました。老夫婦も昨晩ミョウガを沢山食べたため、泊り客は金を払うのを忘れ、老夫婦も金を貰うのを忘れてしまったという、何とも長閑なお話です。

 私も昨夜は双海中学校の学校評議委員会があって、帰宅ご遅い夕食となりました。妻はミョウガとチリメンジャコを味噌で和えて食卓に出してくれました。美味しかったのは良かったのですが、妻の顔も妻の名前もすっかり忘れてしまっただろうと思いきや、「お父さん、先日の買い物のお釣りはどうなったの」と、要らぬことまで思い出していました。どうやらミョウガを食べると物忘れをするということわざは当てにならないようでした。


  「裏山に ミョウガの花が 満開に 近所裾分け 美味しい夕餉」

  「昔から ミョウガ食べると もの忘れ すると戒め 本当か?か」

  「ミョウガ食べ 忘れることを テストする 何のことない ごまかしバレる」

  「二三日 すればミョウガの 梅酢漬け 食卓上る 楽しみ増える」 

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shin-1さんの日記

○人に会うことや会議予定を忘れるなんて・・・。

 「仕事を辞めたのに何でそんなに忙しいの?」と人に聞かれるほど、私の予定表は相変わらず予定が知らず知らずのうちに詰まって、まあ忙しい毎日です。最近は物忘れがよくなったというべきか、時々ポカを引き起こすことだってあるのです。

 私への講演依頼や会議参加の要請は、事務所を持っていないので主に自宅と携帯、それにメールで入ってきますが、携帯の場合は車で移動中だったり、時には人間牧場で草刈をしていたりしている時に電話がかかるのです。その都度草刈機のエンジンを止めて通話するのですが、移動中の車での携帯は違反だし危険なので出れません。特にズボンのポケットに忍ばせて草刈をしていると、エンジン音が高いため電話の呼び出し音は聞こえず、マナーモードにしていても気付かないのです。

 昨日のポカは1ヶ月前に草刈り途中に入った電話で、出会う約束をしたのですが、運悪くメモが手元になかったためすっかり忘れてしまっていたのです。いきなり「お約束の時間なのでシーサイド公園に来ています。若松さんは今どちらでしょうか」、「えっ、あなたは誰、そんな約束してたっけ?」と、大変失礼なことをしてしまったのです。相手は県外からのお客様でした。幸い私が自宅にいたから対応できたものの、妻には「人と会う約束を忘れるなんて、あなたも歳だ」といわれるし、昨日の午前中はまるで厄日のような日でした。

 昨日は夕方第三回地域教育実践交流集会の今年3回目の実行委員会がることを、実行委員をしている松本さんからの携帯電話で思い出しました。残念ながらこの会議も予定表への記入ミスだったのです。この時間に人に会う約束をしていましたが、気心知れた相手なので急遽偏狭をしてもらって、松本さんと待ち合わせ、私の車で愛媛大学構内の放送大学4階会議室へ出かけました。

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 ところで今年で第3回目を迎えた地域教育実践交流集会は、11月13日~14日の2日間、国立大洲青少年交流の家で開催されます。第1回から愛媛大学の讃岐先生たちと世話人をさせてもらっているのですが、今年の初めに11月14日の予定が入っていて、どうしても変更することが出来ず、昨日も事務局の仙波さんにはお茶を濁していましたが、多分11月13日だけの参加となってしまうのです。

 稲産にこのことを告げるとブーイングやバッシングが起りそうなので伏せてはいますが、いずれ早いうちに真情を吐露しなければと、昨日の実行委員会へ出席しても気の重い会議となりました。

 これまで役場に35年間勤め、その間青年団や公民館、21世紀えひめニューフロンティアグループ、えひめ地域づくり研究会議、PTA活動など超多忙な並行路線をこのようなミスマッチをしながらも、何とか切り抜けてきましたが、またしてもやっかいなことになったものです。

 これからは今までのような超多忙はなくなるでしょうが、相手に失礼しないように、調整をしたいと思っています。

  「約束を すっかり忘れ ドタバタと 昨日は厄日 妻に叱られ」

  「ああ俺も 忘れる歳か 納得し 断わり入れて 反省しきり」

  「まだ一つ 悩みの種が あるのだが 紋々悩み 打ち明けもせず」

  「草刈りの 途中で電話 安受けし メモする忘れ 赤恥さらす」 

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shin-1さんの日記

○孫奏心の独り立ち歩き

 昨日は一日雨でした。普通春の雨は霧雨のような雨が降りますが、昨日は前線の影響かかなり激しい雨が降って、わが町の降水量は分からないものの、松山市では60ミリもの雨が降ったようで、それもそのはず、10時頃にコープえひめで開かれたっりじかいに出席するため玄関先に到着した頃には、車のワイパーが間に合わないほどの雨が降り、お陰で僅か10メートルの駐車場から玄関までなのに、水も滴るいい男になってしまいました。

 雨が降って喜び、雨が降って困るのは子どもたちです。昨日は理事会出席のついでに、長女と長男のマンションに、清水さんから先日いただいた清見タンゴールのおすそ分けを持って行ってやりました。まず9時半に息子のマンションを訪ねましたが、エレベータで4階に降りチャイムを鳴らすと、前もって訪問の電話をしていたため、直ぐに澄んだ声で「ハーイ今開けます」と嫁の澄んだ声が響きました。玄関の鍵を開けて中に入るなり2歳の孫希心と、あと一ヶ月で誕生を迎えるゼロ歳の奏心が玄関めがけてやって来ました。希心はいつものことながら「おばあちゃんは?」と、相変わらず私よりもお気に入りの「おばあちゃん」が一緒に来ないことを不思議がって安否を気遣うのです。「おばあちゃんはお家」と話してやりました。

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(私の存在の気付いて立ち上がり歩いて玄関までやって来ました)

 普通だと下の孫奏心はハイハイの猛スピードで声の方向を頼りにやって来るのですが、昨日はやわら立ち上がり、玄関先までの3メートル余りをヨチヨチ歩いてやって来ました。嫁の話だと2~3日前から一人立ちして歩けるようになり、今では3メートルも歩けるようになったのだと言うのです。いやはや孫の成長の早さには驚いてしまいました。歩いた最後のゴールは靴を履いたままの私の懐の中に飛び込んでくれました。こんな嬉しいことはありません。思わず抱きしめ歩いたことを褒めてやると嬉しそうにキャーキャー言いながら、フロアーに降ろすとまた歩くのです。孫奏心はこれから平均的に生きるとして、これから100年近くも長い人生を歩いて暮らすのかと思うと、ついつい嬉しくなり、愛おしくなりました。

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(仕事で留守の父親を除いて、母親と兄希心と三人で毎日元気に暮らしています)

 家の中ではこれまで主役だった長男希心は心中穏やかではないようです。周りの人の関心が立ち歩きができるようになった弟奏心に向くようになり、自分が蚊帳の外に置かれているような錯覚をするのでしょうか、今まで以上に私にじゃれ付きはしゃいで関心を集めようと、おもちゃのオルゴールを鳴らして大きな声で歌ったりしていました。何はともあれ歩けるようになった孫の成長に目を細めた一日でした。

 日リマの会合が終わり、今度は娘のマンションを訪ねました。雨は相変わらず降っていました。2歳になる孫尚樹は今年から幼稚園に通うようになり、小学校二年生に進級した孫朋樹と二人はそれぞれ3時頃には帰宅しているようなので訪問したのですがあいにく留守でした。携帯電話で「清もタンゴールと牛乳を置いて帰る」旨告げましたが、「孫尚樹の咳が出るので近くの小児科に立ち寄って帰るから待ってて欲しい」とのこと、車の中でカーラジオを聞きながら30分ばかり読書にふけりました。そのうち相次いで帰って来た孫たちと少しの時間遊び相手になって帰りました。

 昨日は大学に勤める娘婿の誕生日のようでした。4月22日は「良い夫婦の日」ながら、「仕事で今夜は遅くなる」と告げて家を出たそうでした。何気なく過ぎてゆく日々の暮らしですが、息子の家族も、娘の家族もそれぞれ確かな一歩を刻んで暮らしているようでした。


  「這って立ち 歩けるように なった孫 これから百年 歩き続ける」

  「主役の座 当分弟 気に入らぬ 兄の仕草が これまた楽し」

  「進化する 孫に比べて わが夫婦 退化の速度 少し速まり」

  「幸せは わがことよりも 孫成長 バイバイ手振り 送ってくれる」



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shin-1さんの日記

○人間牧場へ家族を誘う

 「お父さん、このところ毎日のように人間牧場へお客様が来るようだけど、私はこの2年ほど人間牧場へ行ったことがないよね」と昨日の朝、食事をしながら妻が唐突に私に言うのです。そう言えば人間牧場は、①これからの自分の人生の仕上げのために造った、②家族と向かい合って生きて行くために造った、③これまでお世話になった人や地域に恩返しをするために造ったなどと、人前では綺麗事を並べて説明しているのに、②については設計監理を担当した息子とだけは濃密な親子関係を保っているものの、妻も子どもたちも殆ど疎遠であることに気がついたのです。たまたま昨日は前日から娘と孫が週末を利用して泊りに来ていたので、「そうだな、それじゃあこれから人間牧場へ行ってみるか」という話しがまとまりました。

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 2歳の孫尚樹にはチャイルドシートが必要なこともあって、娘のトヨタビッツを私が運転し、妻と娘それに朋樹と尚樹の4人を乗せ自宅から約10キロ離れた人間牧場を目指しました。山道沿いは少し秋めいてハゼの木が少し色づき、山柿も黄色く熟れ初めていました。またススキの穂もすっかり開き自生のツワブキの花が今を盛りと咲いているのです。

 牧場へ着くなり孫たち二人はまるで解き放たれた犬のように、持参した虫籠と網を持ってそこら辺を飛び跳ねバッタやコオロギを捕まえては歓声をあげていました。妻と娘を完成した姿をまだ見ていないかまど小屋に案内しました。私と息子のやり取りを日ごろ見ていたり、投資金額を知っている妻は、まるで会計検査院の検査のようにあちらこちらを見て回り、特に人間牧場には似て似つかぬ小屋のお洒落な入口や朱色も鮮やかなかまど本体に満足したようで、「さすが」と私より設計した息子のデザイン力に感心しきりでした。

 孫たちは時々連れてきているのですが、妻と娘は2年ぶりですからあちらこちらが珍しく、その後変わった場所を見ながら1時間ばかり過ごしました。

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 「今度は他の家族も誘ってかまどで炊いたご飯を食べながらゆっくり団欒しよう」という話しになりました。娘の旦那も大学に勤めていて忙しく、看護師をしている次男は病院勤務で忙しく、また三男は警察官のためこれまた忙しく、加えて私もかなり忙しい身なので、設計の仕事をしている長男家族を加えるとみんなが揃う日など年に一度くらいしかないのですが、やはり家族と向かい合って生きることを考え、親父が元気なうちに家族そろって人間牧場での休日を楽しみたいと思うのです。

 昨日までの土日の二日間、私のいとこたちは山口県へ旅行に出かけました。本家の長男である私にもいの一番さそいがありましたが、あいにく半年前から予定が積んでいて私たち夫婦は参加することが叶いませんでした。ビールの差し入れをしてお茶を濁しましたが、旅先で私たちの話が話題になったものと思われます。まあ加齢とともに徐々に高度を下げて家族や親類との付き合いをしたいと思っています。


  「気がつけば 人は来るけど 家族など ほったらかしで 牧場繁栄」

  「いいわねえ かまど小屋みて 納得す 妻の一言 何より安堵」

  「穏やかな 秋の半日 牧場で 楽しく過ごす 幸せ気分」

  「このかまど 今度はご飯 炊き食べよ 注文つけて 牧場後にす」

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