shin-1さんの日記

○妻と私のバイオリズム

 私と妻が結婚したのは今から35年前です。たった5分の見合いで結婚を決意しました。戦時中ならいざ知らず、古い時代といっても昭和46年ですから電撃結婚と言わざるを得ません。今振り返ってみると私の「ひと目ぼれ」だったのです。「ひと目ぼれ」ってお米の銘柄ではないんです。ひと目会ったその時結婚を決意したのです。「あばたもえくぼ」といいますが、その時は妻が地球上で一番素敵な人に見えました。

 綾小路公麻呂ではありませんが、あれから35年経って自分は何故この女性を好きになったのだろうと、冷静に考えるのですが意外と性格やバイオリズムが違うことに、時遅し今頃になって気付くのです。

 例えば、コーヒーが飲めない私、妻はコーヒーが大好き。朝早起きの私、妻は朝寝坊。カラスの行水の私、長湯の妻。せっかちの私、のんびり屋の妻などなど、どう考えても上手くいきそうにない性格の不一致です。しかし世に言う「性格の不一致」が原因で離婚する夫婦が多い中で、私たちは多少の波風はあっても35年間持ちこたえ、多分金婚式までは持つでしょうし、後24年と決めている私の一生を連れ添う予定です。

(妻が最近口にした話ですが、この間テレビの番組で定年離婚というのがあって、私たちもそうなるかも知れないなどと冗談を言って私を驚かせたことがありますし、外で男女共同参画社会などを言ってる私を見て、未だに改まらない私の亭主関白ぶりに、「たまには台所仕事も出来ないと私が死んだらどうするの」と自立を促します)

 35年間の生活で明らかになった「性格の不一致」は、今更ののしりあってもどうすることも出来ません。ひょっとしたら「性格の不一致」は、お互いに無いものを持ってると考えればいいのかも知れません。私は国語的だからお礼状など一切の文章を「お願い」という妻の一言で片付けます。妻は数学的だから家計一切を取り仕切り、火の車だった我が家の会計をものの見事に「財政再建」しました。外向きな私と内向きな妻、足して2で割ったら普通の人間になるかも知れません。

 今日は11月3日祝日です。家事や民生委員などに加え、近所の歯医者さんにパート勤めしている妻にとっては久々の休日です。このところ息子夫婦、娘と孫の来訪で日曜日もないような忙しい日々が続いていたので、休みがたまらなく嬉しいようで、昨晩はうきうきして楽しそうでした。本当は私が家事でもして休ませてやりたいのですが、まあ気持ちだけにしておきましょう。(退職によってこんな気持ちの余裕が出来た私を自分で褒めてやりたい心境です)

 妻を人が「よく出来た嫁」と言われれば、直に見る「鬼嫁」ぶりに「二重人格」ではと思うこともありますが、いい人にめぐり会ったと内心思う今日この頃です。

 追伸 

 妻に感謝する1コマ

 同じ敷地に住む88歳の一人住まいの親父に、母が死んでからこの5年間、妻は毎日欠かさず夕食のおかずを作って運びます。勤めながらのこの作業は妻の優しさです。面と向かっては言えませんがブログ画面で「ありがとう」の言葉を言います。あー恥ずかしい。ほら私の顔がくなりました。

 お茶に菓子食べ飲み見てる番組はやせる話だ妻肥ゆる秋   我が家は只今平和です。

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○ハマチ3本が何と千円

 私の住んでいる双海町は瀬戸内海に面した穏やかな町です。昔漁民はいわし漁で生計を立てていましたが、今は漁法が多様で底引き網や流し網などを営んでいますから、獲れる魚も色々です。今朝さわら流し網に大量のハマチがかかりました。ご存知の通りハマチは出世魚でワカナ・ハマチ・ブリと成長するにしたがって名前が変わります。今日獲れたのはハマチの小さいもので簾が、それでも天然物が何と3本千円だそうです。町内放送があって「ハマチが3本千円です。ご入用の方は市場までお願いします」と放送したら、近所の人が多数詰め掛けました。私も単車を走らせて市場まで行ったのですが、もう残り少なくなっていました。市場で長男の友人に会い、千円出さずに6本タダで貰いました。

 それにしても、大量貧乏とはこのことで、獲れたら獲れたで安いし、獲れなかったら実入りが少ないしで、漁師さんは泣きっ面に蜂といったところでしょう。それに最近は原油の高騰で油代も馬鹿にならないと嘆いていました。サワラ流し網は夕方出漁して網を仕掛け朝方引き上げて港へ帰って来るのですが、もう夜の出漁は寒く体にこたえます。漁民にとっては何時の時代も苦労の連続だと3本千円のハマチをみて思いました。

我が家では早速夕食にハマチの刺身が食卓を飾りました。炊いてよし、焼いてよし、生でよし、天然のはまちは美味しかったです。

 耳寄りな小話をひとつ。昨年若い女性たちと食事をしていてハマチの刺身が出てきました。私が「このハマチ養殖でしょうかね」と尋ねると、その女性は何を勘違いしたのか「教育長さん、何言ってんですか。これは和食ですよ」と返事が返って来ました。私はハマチが養殖か天然か聞いたのに、彼女は洋食か和食かと勘違いしたようです。日本語は難しいとしみじみ思いました。

 今日はハマチの刺身と焼き魚でしたが、明日は我が家の家庭菜園で出来た大根でブリ大根だと、妻から予告がありました。ハマチの刺身をまな板の上でねぎと味噌を叩いて熱々のご飯に乗せても美味いし、手巻き寿司にしてもいけます。魚所だから、魚のレシピはお手の物、妻はお魚ママさんとして魚職普及にも取り組んだ経験を持っています。田舎の暮らしは美味しいなあー。

 山奥に住む友人におすそ分けしたら、みかんがどっさり、まるで物々交換です。物々は文句のブツブツではありません。くれぐれも勘違いしないように。

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○便利なカーナビゲーション

 2年前、私の車にカーナビゲーションが装備されました。当時は12万円もする高い買い物なのでちゅうちょしましたが、妻の財布から資金を出してもらいました。今時の車は新車の時既にカーナビゲーションが装備されているようですが、私のプラッツにはそんなものはなく、シンプル・ザ・ベストといったところです。友人の車屋さんにお願いして整備しましたが、メカに弱い私にとって操作は難しいものとの先入観があって最初は恐る恐るでしたが、テレビ内臓のカーナビゲーションは中々の優れもので、電話番号か住所、若しくは地図で検索すれば、いとも簡単にその場所までの道順が表示されるのです。

 特に電話番号での検索は便利で、私のように時間までにその場所へ付かなければならないせっかちな人間にとっては、そこまでの道順はおろか距離や時間までも逆算して表示してくれるメカ頭脳にはただただ驚くばかりです。

 「次の信号を右折してください」と、道順を間違えそうな要所要所では女性の声で案内をしてくれるのですが、いったん間違うと「ルートが変わりました」と間違いを指摘され、回り道や引き返すことをしつこく言うのです。分からない道ならいざ知らず、知っている道を走って場所だけ探す場合などうんざりして、「うるさい」とカーナビに八つ当たりする場合も時々あって思わず苦笑いします。

 私たち夫婦がカーナビゲーションを買った本当の目的は、10数年前から二人で始めた四国88箇所遍路の旅を便利にするためでした。10年以上も経つのに未だにその旅は完結していませんが、次のお寺さんを探すのに、せっかちな私とのんびり屋の妻とでいつも喧嘩になり、不仲の原因になるものですから妻が友達からカーナビの便利さを聞いて投資する決意をしたのです。でもその後の私の忙しさもあって、本来の目的であるお寺さんを探すことはしていませんので、早く遍路旅を簡潔したいものです。

 このカーナビの欠点は人間牧場までの道がないことです。画面に表示された地図上では道のない所に車の通ったと思われる白い足跡が表示されますので、帰りにはその表示を帰ると元の道に出る仕組みになっています。先日鳥取県米子まで往復600キロの旅を一人で敢行しました。高速道路を使わずのんびり走るため一般国道を選択して走りましたが、夜だったため瀬戸大橋を渡る高速道路ルートに比べ1時間余り多く走っただけで、高速道路の料金も節約できて大助かりでした。勿論帰りも早立ちでその道を選びましたので、約1万円の節約になりました。

 便利=お金の時代ですが、節約は心がけ次第で幾らでも出来ます。「買えないのではなく買わない」の精神で望みたいものです。私は便利のためにカーナビに投資しました。でも便利は人生を豊かにしてくれることだってあるのです。

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○私の呼び名は何?

 私は若松進一、小さいころから「進ちゃん」と呼ばれ、丁寧な人は「若松の進ちゃん」と呼んでくれます。しかし我が家では、私の呼び名が随分変遷してきました。結婚したごろ妻は「あなた」と呼んでいました。「あなた」という声の響きはいいもので、すっかり気に入っていました。最近の若者は結婚しても名前や愛称で呼び合い、まるでお友達といった感じです。

 長女・長男が生まれ、子どもが言葉を喋れるようになった頃から妻は私のことを「お父さん」と呼ぶようになりました。「お前のお父さんではない」と何時も言ってやるのですが、未だに私のことを「お父さん」と読んでいます。ところが孫が出来た最近では私のことを「じいちゃん」と呼ぶのです。我が家にはじいちゃんが二人おるので、物心付いた孫から「どっちがじいちゃん」と先日指摘を受けました。「あっちはおおじいちゃん。こっちはじいちゃん」と説明しましたが、2歳の孫には理解し難いようです。

 我が家には池があってじいちゃん自慢の立派な鯉が8匹泳いでいます。実は孫にとってこれも「じいじ」なのです。結局我が家には「じいじ」が3匹いや2人と1匹、合計3つもいるのです。それでも孫の呼ぶ「じいちゃん」という響きは何ともほのぼのとして気持ちがよいので、これからも妻には孫がいる時は「じいちゃん」と呼んでもよいと思っています。

 妻の呼び名は結婚した最初から「繁子」と偉そうに呼び捨てにしています。しかし家庭では面倒くさいこともあって、「おい」や「お母さん」などと呼んでいますが、期限が悪いときに「おい」などと呼ぼうものなら「私はおいという名前ではありません」とぴしゃり返されます。「しもうた」と思いつつ、結局は「おい」で通じる夫婦間のコミュニケーションで何とか日々を暮らしています。

 先日どういう風の吹き回しか私のことを妻が「進一さん」と呼ぶのです。何か魂胆があるのではと思ったのですが、さりげなく過ぎて行きました。

 日々の暮らしもこうしてじっくり観察してみると案外面白いものです。

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○忘れることの意味

 私只今61歳、親父88歳、その差27歳なのですが、この歳になって親父にどうしても勝てないものがいっぱいあります。その最たるものは年齢で、こればかりは生まれた時から死ぬまでよう追いつきようがありません。それから手先の器用さとチャレンジ精神もギブアップです。一昨日からミニチュアの水車を作っていますが、実に見事な空想と実践が融合されていて、感心する外ありません。また88歳だというのに、7キロ先の診療所まで自転車で行く有様です。若い頃ガンを患ったこともあって「もう長くはない」と口癖のように毎日言っていますが、まだまだあの世は遠いようです。

 しかしその父も最近物忘れすることが多くなりました。昨日も私が外出から帰ってみると、メガネの置き場所が分からないと、家や畑を探し歩いていました。

 ところが夕方になって通院している診療所から、忘れ物らしいメガネがひとつあると連絡がありました。親父にして見れば、家の周りにあるはずと信じきっているものですから、今日自転車でわざわざ診療所まで確認に行ったところ、自分のものだと分かりました。

 「あー、自分のメガネを置いた所も思い出せない」と嘆いていますので、私がすかさず「じいちゃん世の中のこと全部覚えとったら、頭が爆発するから、神様がすこし忘れた方がよい」と思って忘れさせてくれるのよ」と、遠くなった耳元で話してやりました。また「歳をとるとロクなことはない。歳はとられん」と言うものですから「歳をとるということは素晴らしいことだと思わんと」と言ってやりました。

 差別用語だから痴呆症のことを認知症というようになってまだ日は浅く、一般には馴染みのない言葉ですが、痴呆になることもある意味長生きの証だと諦めれば上手に付き合うことが出来るのだと思います。

 我が家もいよいよ高齢者介護が重要なテーマになってきました。退職したら旅行三昧なんて思っていた妻も、少々観念した様子ですが、親父が元気なうちに旅行にも連れて行ってやりたいものです。

 一昨日我が家でも大騒動が起きました。泊まりに来ていた孫と娘が帰る時、妻に渡したはずの娘の車のキーがどうしても見つからないのです。いくら探しても見つからず諦めかけていた所、車の横の長い塀の上にチョコンと置いているではありませんか。「じいちゃんの物忘れを笑うけど、私も一緒だわ。歳はとれんねえ」とは妻の弁、私がそんな失敗をしたらとがめられますが、それでも「オホホ」と笑って自分の失敗を済ませるところが妻らしい。いえ、人のことを言える立場ではありません。私だって一日のうちどれほど探し物に時間をついやすることか。お互い様です。

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○菊の実験(支柱を立てると菊は伸びる)

 私は盆栽を育てるのが好きで、一時期は自宅の庭に大小300鉢もの盆栽を育てていました。中には名品のようなものもありましたが、長期出張や仕事が忙しく水やり適わず枯らすことが多く、ついに盆栽育てを断念しました。だって社会教育主事の資格取得講習は香川大学へ一ヶ月以上、青年の船班長で建国200年のアメリカ行きは2ヶ月以上、青年の国内研修引率は10日以上と家を空ける日が多かったのです。その都度妻に水やりをお願いして、妻もそれなりに水をやってくれました。しかし水不足や植え替え、剪定などの手作業が私の多忙に拍車をかけ、親父の「盆栽をやるんだったらそれなりのことをしないといけない」と猛反対にあって、あえなくやめてしまいました。しかし今でも庭の隅にうず高く積まれている盆栽鉢に、いつか出番を作ってやりたいと密かに思っています。ひょっとしたらセミ・リタイヤをした今が適期かも知れません。

 ところで、私は公民館主事をしていたころ、花作りの指導普及を何の技術も持たないままやっていました。菊やサツキが主でしたが、その時菊の実験なるものを自己流でやってみたことがあります。

 菊は1本仕立て、3本仕立て、懸崖作り、ダルマ仕立てなど色々な作り方がありますが、私の実験は3本仕立てで行いました。同じ株から出た3本の同じ高さの菊(8月1日くらいの時期)に1本だけ支柱を立ててやります。さてここで問題です。この菊は1ヵ月後どうなるでしょう。

 正解は「支柱を立てた菊が他の2本より伸びる」のです。支柱を立てた菊は支柱に縛られて固定するため風雨に会っても倒れないばかりか、支柱という目標に勝とうという無意識の意識が働くのです。私はこの「若松式菊の実験」とでもいうべき実験結果に驚きました。そして次のような意味づけを考えたのです。

 「菊は支柱という目標を側に置くことによって、支柱という目標に勝とうという意欲が生まれます。物言わぬ植物さえ目標があれば上へと伸びます。まして百獣の王たる人間が目標を持ったなら、目標目指して頑張り結果を出せるのです。目標設定がいかに大切かを菊の実験は物語っています。」

 この話はとりわけ多くの青年たちに話してやりました。みんな「えーっ本当?」「うそー」などと半信半疑のようでしたが、黒板に書いた図式の分かり易い私の論理は青年の心に染み込んだようでした。間もなく各地で文化祭が行われ菊の鉢植えが会場を飾って、かぐわしい香りを漂わせてくれます。そんな目で菊を鑑賞するのも一考でしょう。

 はい、白色レグホンの話でした。(白色レグホンは白い鶏ですから尾っぽも白く「面白い」のです

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○風呂

 私の家はつい最近まで薪で風呂を沸かしていました。昔のような五右衛門風呂ではありませんが、ボイラーに薪を入れる旧式のものでした。この風呂を新築して間もなく電気温水器にしていたのを、あえて薪の風呂にしたのは二つの訳がありました。ひとつには田舎ゆえふんだんにある薪を使えば少しでもエネルギー代が節約できると思ったからでした。結果的には経済的に随分安くつきましたが、肝心の風呂を沸かす労力や時間的な余裕、それに薪を確保する苦労が付きまとい、四苦八苦でした。しかしそのことがもうひとつの目的であった子どもたちの教育に大いに役立ったことは大きな成果でした。

 というのも、製材から切り端といわれる残材を頼んで持ってきて貰うのですが、その始末のため家の近くに薪置き場の倉庫を作りそこに運び込むのですが、これがまた重労働で、子どもたちは多少の文句を言いながら、体力に応じた貢献をしてくれました。特に薪割りは子どもたちの大得意で、一石二鳥で怪我もなく体力づくりに大いに役立ちました。4ヶ月に一度の薪片付けは家族にとって総出の一大事業であったため、家族のまとまりのようなものがあったと、息子たちは当時を懐かしく振り返ってくれます。子どもの成長過程における家庭の役割も現代ではそんなに多くありませんが、小学校・中学校・高校と子どもが成長にあわせ薪を運んだり割ったりする作業はうってつけだったように思います。

 しかし、昨年台風でボイラーのある倉庫が裏山から崩れ落ちた土砂に埋まり、ボイラーは壊れてしまいました。家族で協議の上この際ボイラーを灯油にしようという結論が出て新しいものに変えました。お蔭様で薪を運んだり割ったり、薪をくべたりする作業はなく、ボタンひとつで蛇口をひねるとお湯が出てくるようになりました。朝風呂も朝シャンも自由な暮しが我が家ではできるようになりました。

 でも薪を収納していた薪倉庫はがらんと空いて少し寂しいし、家族が総出で汗する機会を失いました。

 昨日は風呂にお湯を張るように妻に頼まれてスイッチを入れ蛇口をひねったまではよかったのですが、ブログの書き込みに夢中になってすっかり忘れてしまい、お湯を垂れ流してしてしまいました。何とも勿体無い話です。

 最近は原油高騰のあおりで、灯油もガソリンも高くなって、家計へのしわ寄せがあると妻は嘆き、その裏話として前述のお湯垂れ流しに対し妻の私に対するペナルティは言葉だけでしたが、かなり反省せざるを得ませんでした。それでも満杯のお風呂をぬるめて二人でたっぷりのお湯を使って至福の時を過ごしました。

 ちなみに私たち夫婦は風呂に入るのも一緒、寝るのも同じ布団で一緒です。先日子育て講演会に招かれてお話した折、皆さんに手を上げてアンケートに答えてもらったのですが、何と最近のご夫婦は一緒に風呂に入らないばかりか一緒に寝ないのだそうです。ひどい夫婦は(決してひどくありませんが)寝るのは二階と一階に別々だと聞いて驚きました。夫婦の関係も冷めた時代です。子どもにとって一番の家庭での安心は夫婦仲がよいことだそうですがこれでは仲がよいとはいえないようです。

 風呂は裸の付き合いです。ふろに入るとお母ちゃんの東京23区の分厚い電話帳のような下腹が気にかかる今日この頃です。あっ、このことは妻には内緒のなかったことにしてください。妻の名誉のためも・・・・・。

 

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shin-1さんの日記

○開かれなくなった辞典の数々

 私のような無知な人間は、問題にぶつかると必ず辞書を引きました。そう「引きました」は過去形なのです。私の書棚は壁側に大小4つのありますが、本屋に立ち寄る度に、あるいは旅の度に一冊また一冊と本が増えて行き、その本が床下や机に山積みされていますが、その本の谷間に窮屈そうに居場所を構えているのが辞書類です。かつて書棚を作った頃辞書は重要な位置に君臨していました。辞海という漢和辞典などは金田一京助編纂の幅10センチもある大物で、大阪梅田の古本屋で当時の小遣い銭をはたいて買い求め、重いのにわざわざ手に提げて帰るほどの、私にとってはお宝物でした。しかしこの辞書を夢中で開け読んだのは30代、もう25年も開かずの本になっています。

 その他、英和、和英、国語辞典、漢和辞典、故事ことわざ辞典、例解辞典、イミダス、広辞苑などなど実に多彩な辞典類があります。が、お気に入りでめくる辞書は段々減って、今では国語辞典と英和辞典、それに広辞苑くらいなもので、「アー、私も物知りになった」というより「アー、私も退化しつつある」と落胆の色ありありです。

 辞書の一番の欠点は字が小さいことです。顔は悪いが目はよいと自認していた目も、少しずつ見えにくくなり、辞書の字は中々読みづらく、特に数字の9・8・6・0などは虫眼鏡を当てないと読み間違いするようになりました。それでもまだ一度もメガネのご厄介になることなく本や新聞が読めるのですから、よい目だと思うのですが、それでもそれでもです。

 最近はインターネットなる文明の利器が我が部屋の机を独占し、我が物顔で調べもののお手伝いをしてくれます。つまり辞書からパソコンに時代の流れが変わったのです。字を書くことを知らなくても読めて判断力さえあれば、文字さえもかいてくれるのですからこれほど重宝な辞書はありません。しかし結果的には文字を忘れつつあり、パソコンのない所で手紙など書くと漢字が中々出てこないことがしばしばあり困ります。

私の辞書検索脳は完全にさび付いてしまっているようです。

 辞書はこの際2・3冊を残して処分したいと思うのですが、長年お世話になったことを思うと中々捨てきれな

いのも正直な胸のうちです。役場の図書館にも在職中多くの本を寄付しましたが、司書ののいない図書館は辞書なんて無用の長物、精するのに大変とブーイングが起こりそうです。結局は紙ごみの悲しい運命をたどるのでしょう。

 「古い辞書紙ごみ置き場にそっと出す心痛んで振り返りつつ」

 「再生の名前刷り込む封筒が届いて思わず過去透かし見る」

 

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shin-1さんの日記

○私の似顔絵

 私はこれまで3枚の似顔絵を書いてもらいました。一枚は似顔絵ロボットです。昔工業技術センターに行った折、勧められるままにロボットの前に座ると、何とロボットが似顔絵を書いてくれるのです。人間はその人の顔の特徴を誇張して書くのですが、この似顔絵がまた忠実で、ひょっとしたら私を一番正確に書いてくれた似顔絵かも知れません。残念ながらその似顔絵は何処かにしまい忘れてしまいましたが、黒い筆ペンで書いたお気に入りの一枚でした。

 続いて書いてもらったのが山口県岩国市へ講演でお邪魔したとき、色紙に漫画チックに書いてもらいました。これはどちらかというと笑点という落語番組で、冒頭に出演者を紹介するテロップで流れるような似顔絵です。これは相当気に入って今でも大切にしています。教育長に就任した頃インターネットのホームページで使って好評を得ておりましたが、今は退役して書棚の隅でひっそりと過ごしています。しかしいずれはブログの画面に登場させたいと密かに思っています。

 三つ目は似顔書きの名人長浜町の西田さんが書いてくれたものです。彼はカメラを持ってひょいと私の前に現れ、二・三枚写真を撮って帰って数日後、木の板に私の似顔絵を書いて持ってきてくれました。これが実に私の特徴をよくとらえていて、歯並びや眉まで誇張するものですから、当の私も思わず吹き出してしまいました。気恥ずかしい面もありますが、折角書いてもらった似顔絵ですからと、海舟館に飾って来館者に見てもらっていますが、思わず笑いがこぼれます。

 人間は同じような背丈をして同じように暮らしていても、顔や体の姿形から滲み出る自分らしさは人と何処か違うものです。時にはそれが嫌で、スターなどと自分の違いを感じ生み育ててくれた親を恨んだ利するものです。しこし人間全てが足が長く顔が整っていたらどんな世の中になるでしょう。荘です。みんな違う顔形だからいいのです。ロボットを含めて3人の人が書く表情さえ違うのですから、蓼食う虫も好き好きです。もっと自分の顔に自信を持って生きたいものです。

 そういう私も自称ラジオ向きの顔だと講演会などで自慢しております。渥美清だってあの顔で国民栄誉賞を貰ったのですから、私だってこの顔に自信を持たなくては、天国にいる母に済まないと思います。顔やスタイルを鏡に映して不細工と嘆く世の諸君、自分の顔に大いに自信を持とうじゃないか。

 済みません。いや済みました。

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shin-1さんの日記

○大きな忘れ物

 愛媛県では、昨年から今年にかけて台風の上陸が相次ぎ、各地に大きな被害をもたらしました。私の家の裏山も崩れ、その後片付けをしている最中に不注意からチエンソーで足を切って入院する羽目になりました。今でもその古傷が時々痛みます。

 台風の時は消防団の皆さんが自分の危険も顧みず、警戒したり土嚢を積んだりして財産や人命を守ってくれました。

 最近気付いたのですが、そのとき使った土嚢が何故か片付けられもせず、うず高く積まれているのをあちこちで見ます。水害の時はわれ先に奪いあった土嚢も、要らなくなったら放置する。人間なんかこんなものかと人間のわがままに多少呆れています。特に道端の土嚢は車に踏み潰されて中の土が無残にはみ出て、夏草が生え美観を損なうようなものまであります。

 さてこの土嚢は誰が処理や始末をすればよいのでしょうか。消防関係者か自治会か、それとも市役所か当事者か、教えてくれる人もいないものですから勝手に片付けるわけにもいかず困っています。市役所支所に話をしても「調べときます」で何の音沙汰もありません。この分だと来年の梅雨時まで放置される運命にあると思うと、何だか土嚢が可愛そうになりました。バチが当らないとよいのですが・・・・・・。

 土嚢は私たちが子どもの頃稲藁で編んだムシロで袋を作り、その中に土を入れて縄で縛ったものを使っていましたが、今はナイロン製の軽くて強いものが使われ作業も随分楽になりましたが、それでも雨の降りしきる中での作業は、腰を痛めるほどの重労働です。

 最近は消防団も高齢化や、入団を渋る人もいてなかなか厳しいと関係者から聞きました。少年防火クラブ、婦人消防班などあの手この手の普及活動は大変だとしみじみ思います。消防団は字のごとく火を消す、災害を防ぐ日本が世界に誇るボランティア団体です。特に防災も地震対策など幅が広いものですから、私たち自治会も消火や防災のお手伝いをするような気構えが必要です。

 ブログを読まれた方、妙案を教えてください。

 

 

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