shin-1さんの日記

○合併記念式典に思う

 新しい市の広報区長(旧町の区長)をしているので、先日新しい市の合併記念式典の案内をいただきました。あいにく父親の88歳米寿の祝いを計画していたものですから、欠席のおはがきを出しました。集会を計画する側からすれば、私のような欠席者は合併記念式典のような公的で重要な集会を欠席するとは何事かと、お叱りを受けそうですが早いうちから計画していたことであり、済まない気持ちでいっぱいでした。

 先日その集会に行かれた人から当日の様子をお聞きしましたが、3つの意見を述べておられました。一つ目は普通こうした式典は飲み会がつき物ですがなかったそうです。お金が無いという理由は分かるが、せめて会費制にでもして、会食交流できたらよかったと酒飲みの言い分を言っていました。酒がないと会ではないというこれまでの考えは改めた方がよいのではという私の意見も述べました。

 二つ目の意見は祝辞がやたらと多かったし、県知事も出席していないとぼやいていました。合併は県も強力に推進したのだから、日程調整して県知事さんにも出席して欲しかったとの事でした。知事さんも何かと忙しい人だから、何か重要な公務があったのでしょうと、知事さんの気さくな人柄を知っているだけに、余り勘ぐらずない方がよいと私の意見を言いました。

 三つ目の意見は新しい市になって、新しい市が何を目的にどう進もうとしているのか見えてこなかったというのです。愛媛県内では20の市町に再編され、村は残念ながらなくなりました。その20市町がこのところ合併記念式典という行事をしていることは、新聞紙上でよく見かけます。しかし中身は一律で新鮮味が無く、もう少し新しいまちの主張があるべきだというのです。この件に関しては私も同感です。合併記念というのであれば、出席した人たちに式辞や祝辞で合併の意義は伝わるでしょうが、一般市民には中々伝わってきません。ある人が地域事務所を訪ねて「今日は合併記念式典があるそうですね」と話したら、「えっ、そうなんですか」とまったく知らなかったようでした。

 合併後の新しいまちがどうなるのか、私たちも心配です。新しいまちを私たちはふるさととして語らなければなりません。その意味からも、あったことを広報で市民に伝えるだけでなく、あるべきことを市民に伝えたり、ともに考えるようなまちづくりを望みたいものです。

 新しい市に私は人間牧場を開きます。そして新しい市に多くの人を呼び寄せたいと思っています。私に出来ることをコツコツと・・・・・・。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私がお酒のラベルになった

 私は5年前に胆嚢の摘出手術をして以来、体に悪いという理由でお酒を断っています。「酒は飲まない」と心に誓っているものですから多分これからも一生、余程の事がない限り酒は飲まないでしょう。落語ではありませんが、先日仲間がそのことを尋ねたお返しに、「みんな禁酒や禁煙と言っているが、酒やタバコが止めれないというのはおかしい。わしはもう10回以上も止めた」というのです。笑い話にもならない彼は、数年前に胃を手術して殆ど取りました。最初は恐る恐るでしたが飲むほどに酔うほどに気持ちが大きくなって、手術後病院へ見舞いに行った時の神妙な顔つきや言動とは裏腹、「酒やタバコを止めるくらいなら死んだほうがましじゃあ」などと嘯いて、手術前の酒量が回復したと喜んで飲んでいます。

 私だって昔は飲んでいた訳ですから酒に未練がないというのは決してありません。彼からそのように詰られ勧められても飲まないのが私の決意でしょう。「あんたは偉い」と最後に握手しましたが、「長生きしたかったらもう少し酒は慎むように」諭しましたが焼け石に水でした。「あんた一人の体じゃあない」と家族のことを言うと、「分かった分かった」でまた幕でした。

 先日私の写真が一升瓶のラベルに張られた酒が島根県から送られてきました。青年会議所の主催するまちづくりシンポジウムの記念講演に招かれたときに約束していたものが、大きな当日のポスターとともに送られてきたのです。

 酒を飲まない私にとって酒は無用の長物、早速親父にプレゼントしましたが、親父はこの珍しい酒瓶を中身は飲んで、記念にと大切に保管してくれています。

 それにしても自分の姿がラベルになった姿はどう考えても面映いものです。例の木になるカバンを提げている姿は、絵になるといえばそうかも知れませんが、この酒を10本も作って関係者に配ったアイディアは素晴らしいと思いましたが、後9本飲まれた後の空瓶は、冷たい雨にさらされ何処かの路地で転がっているかもと思うと、これも苦笑いの種になりそうです。

 でも、律儀な青年会議所の皆さんの発想の豊かさと行動力に敬意を表します。生まれて始めて私の意匠が一升瓶のラベルとなったのですから・・・・・・。

 実は私の長年の夢である「アサヒビールがあって、何故夕日ビールが」ないのか」の質問と、「夕日ビールを造りたい」という私の夢を実現させてやろうと、本当に夕日ビールのラベルを作ってくれた人がいます。舩木上次さんという山梨県清里に住む観光カリスマの凄い人です。最近はすっかりお友達になって来年も愛媛県に呼ぶ予定です。また私のラベルを作ってワインをプレゼントしてくれた人もいます。こうした遊び心が人生を豊かにしてくれるのです。いい人いい出会いにウーロン茶で乾杯。

 「酒飲めぬ私にさけを送る人わざわざ私の写真ラベルに」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私の町は瀬戸内海に面した海沿いの町です。南国とは言いがたいのですが、寒いといっても年中雪が積ることは無く、一月には早くも菜の花が咲くのです。早春の花水仙だってもう間もなく蕾を持ち上げますから、やはり暖かいのでしょう。昨日散歩に出たら近くの特別養護老人ホーム夕凪荘の前の畑には菜の花がいっぱい咲いていました。

 今双海町の道沿いにはつわぶきの黄色い可憐な花が清楚な姿で咲いています。また野路菊もいっぱい咲いています。私が草刈機で草を刈った裏山のドハもいつの間にか黄色いつわぶきと野路菊が、、刈り忘れたかのように咲いています。

 菊の花やバラのように作られた花でない野の花は、見た目は豪華ではありませんが、そばに寄って腰をしゃがませて見てみると結構美しいものです。私たちの暮らしは人工の花に囲まれ、トイレなどは造花で飾られています。昨日ある道の駅に野の花を生ける姿が美しいと新聞に載っていましたが、小さな一輪挿しに挿してみるとまたまた趣きのある風情が楽しめるのです。花は何も買う必要はありませんが、野の花は野にあってこそ美しいのだと思うと花を摘む気にはなりません。それでも人を招く時などは裏山へちょいと出かけ、ちょいと摘んで活けるのですが、これがまた見る人が見たらお褒めの言葉をいただくのです。

 私の家の前の田んぼには彦生えといって、田んぼを刈った後に親株から出た青葉に稲が実る現象が見られます。時々田んぼの主にいって刈り取り正月用のお飾りしめ縄を作りますが、これが長さも短く丁度よいのです。私は古風な男で、しめ飾りは全て自分が作ります。親父の教育が良かったのでしょうが、彦生えまで目をやる人は余り見かけないと先日も近所の人に珍しがられました。

 秋が山から里へ下りてきました。向かいの山には赤いハゼ紅葉が目立つようになって来ました。年賀状も売り出され、そろそろ木枯らしが吹く季節を迎えます。

 冬の使者九州場所も間もなく開幕します。

 親父の着衣が少し分厚くなったと、今朝のサロンパス張りで感じました。何と親父が食卓のうえの一輪挿しに野菊を一輪活けていました。息子と考えがいみじくも一致しました。

 今年は好天に恵まれ柿もみかんも梨も全て美味いです。食欲の秋です。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私のブログ日記をプリントアウト

 先日知人が会合のとき、私がブログに書いた10月8日の「時計のリズム」をプリントアウトしたのを、他の人に紹介するのを見て驚きました。私にとってこの2ヶ月余りの暮らしは、早朝慣れないブログに記事を書くことから始まり、最近では寝る前にもう一本書くといったリズムが生まれてきています。しかし自分の書いた過去の文章は殆ど見てませんでした。多分デジタル社会が自分の暮らしに慣れてないせいもあるのでしょうが、これはまずいと思って、今日は2時間もかかって全てをプリントアウトしました。息子が「そんなことしなくても見たいときにブログを開ければよい」と呆れ顔でしたが、それでもせっせとやりました。途中プリンターのカラーインク切れの赤いランプが点灯し、インクカートリッジを交換したり、散々でしたが、やっと出来上がりました。プリントして驚くのですが、約2ヶ月間でよくもまあこんなに書いたものだとわが目を疑いました。特に知人が持ってた「時計のリズム」の記事はもう一度読み返しましたが、ウン中々といった感じでした。

 それにしても、私の書いた全ての原稿を全て覚えていて引き出せるというのですから、パソコンは知恵と魔法の小箱というほかありません。こんな小さなパソコンの中にどんな力が潜んでいるのか知る由も無い人間の知恵の深さにはただただ驚かされるばかりです。

 最初は訳も無く書いていたブログも、日が経つに連れて読みやすくなっており、成長の後が読み取れるのもやはりプリントしての評価でしょう。

 もう少し技術を習得してブログに書いた記事を元に一冊の本でもと、またいらぬ好奇心が頭を持ち上げているようです。

 最近になって人気の高いブログを時々読んでいますが、人の物まねをすると盗作にもなるし余り参考にはしたくありません。私は私のオリジナルが持ち味ですから・・・・・・。

 しかし相変わらず多い誤字脱字、変換ミスにはほとほと参りました。汗顔赤面の至りです。見出しのつけ方も勉強せねばなりません。が当分の間はこのスタイルで書いてみようとも思っています。一日2本の記事を書くと一年で約700本にもなる計算です。県外への出張時には書けませんが、あせらずじっくり自分の潜在能力を引き出してみます。

 プリントアウトした原稿をファイルするリーフレットは古い手持ちの物を使いました。パンチで穴を開け収めてみると少々くたびれた感じもしますが、退職間もない今の私にはぴったりかもしれません。

 今日は友人に手紙を書かなければならないので、プリントアウトした中からお気に入りの記事を2~3枚コピーして添えてやりました。多分近いうちに反応があることでしょう。

「デジタルをアナログに変え一安心やっぱり私は古き人です」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○人間牧場そろそろオープンか

 普通、施設が出来ると落成式やオープンセレモニーをするのですが、人間牧場は第1期工事の水平線の家本体ができただけなのでオープンはまだまだだと思っていましたが、気の早い連中から早くオープンしろとしつこく言われるものですから、そろそろオープンせねばとと思っています。3日前は地域政策センターの職員二人が取材に、一昨日は親友沖さんの仲間が4人昼食にやって来ました。天気がよかったこともあって皆さん一応に眺望や私の人間牧場に対する取り組み構想について熱心に耳を傾けていました。

 今はオープンもしていないので、マンションでいえば見学会のようなものだと思って、請われるままに受け入れていますが、いずれオープンの区切りをつけねばと思っています。建築に携わった方々、地元の方々などを招待しなければなりませんので、それを寒くならないうちにと考えていますが、私の日程と原稿締め切りが今月は詰まっており、気を揉む日々が続いています。

 それから、宮本常一に焦点を当てたミニフォーラムも人間牧場で開く公約をしており、宮本常一の書いた本の読書もまだ進んでおりません。あせるなと自分に言い聞かせてもあせる今日この頃です。

 「人間牧場」のテーマで書き始めたブログ日記も、気が付いてみると思わぬ方向へ向かっていて、折々の想いを書くような方向に向かっています。まあこれはこれとして当分続けてみたいと思っています。メモのつもりで書き始めたブログ日記も読者が増えて、日記ランキングがアップ・ダウンを繰り返しながらうなぎ上りとなっています。知らず知らずのうちに読者を意識している自分を発見したりもしてますが、少し肩を張り背伸びをした自分を少しだけ修正します。でも読者がいるという現実は肝に命じなければなりません。

 3日前ブログで「人間牧場」の存在を知ったという岡山県の女性が2人、何の前触れもアポイントもなしにやって来ました。折悪しく日程が詰まっていましたが、請われるままに短時間「人間牧場」に案内しました。ブログの底力を知りました。

 今日は久しぶりの雨、晴耕雨読の雨読の日にしようと心に決め、外の雨音を聞きながらパソコンに向かっています。少し風が出てきたようです。早朝6時半、人間牧場の鍵をつけに息子は雨の中を人間牧場に上がりました。

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○不足の不足

 今の世の中は物があり余るほど豊富にあって、人々の暮らしも豊かになりました。私たちのように戦後の物のない時代を経験した世代にとっては、何とも幸せな時代です。でも人間は満ち足り過ぎるとかえって幸せの実感がわきにくいものです。日ごろは麦飯に沢庵でも盆や正月にご馳走を食べた嬉しさは記憶に残っていても、肉も魚も毎日食べてる日々の暮らしでは、何を食べたのかはっきり覚えていません。

 現代は「不足が不足する時代」だと思います。現在は世界的な原油高騰で油の値段が多少高くなっていますが、それでもお金を出せば油が手に入らないということは余程の事がない限りありません。ひと頃トイレットペーパーやお米が不足したことがありますが、それでも明日の暮らしに困るということはありませんでした。日本人は栄養が行き届き、肥満が元で糖尿病などの成人病が問題になっています。まさに不足が不足していると思うのです。

 不足が不足といえば、お金に関してみんな不足だと思っています。もっとお金持ちになりたいし、歳をとると年金も不足だと嘆いています。でも本当に不足なのかというと、それなりの貯蓄もあるし決して不足ではないはずですが、大金持ちの誰かと比較して不足だといっているのであって、慎ましやかな暮らしをするのにはそんなに困ることはないはずです。また自分の能力についてもみんな不足だと思っていますが、五体満足な体を持ちながらなんで不足といえるでしょう。体にハンディを持つ人たちが明るくも逞しく必死に生きてる姿を見るにつけ、私たちは不足が不足していると思うのです。

 恵まれ過ぎた人間の不足は不満だと思います。不が付く言葉でも足と満では意味が大分違うのです。本当に足らない人は手の届きうる身近な目標を手に入れようとします。ところが足りた人の思い上がりの不足は、夢のような目標を手に入れようとします。そこが違うのです。

 恵まれない国には学校が不足しています。戦争や飢餓に苦しむこれらの国では学校へ行きたくても学校に行けません。遠い国の話だけではなく、私の父親が小さかった頃の日本は貧しくて学校へも行けませんでした。今の日本はどうでしょう。学校がいっぱいあるのに学校へ行きたくない子どもがいっぱいいて、大きな社会問題となっています。何かが足らないのではなく何かが過ぎるのです。

 言葉上は不足の不足なんて無いのかもしれませんが、私が常日頃から思っている「不足の不足」という意味を、一度ゆっくり考えてみては如何でしょう。

 私も実は不足が不足しているようです。

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○エッチなコメントにドキドキ・・・・・

 「あなたの記事にコメントがつきました」と運営局からメールが入ったものですから、ついつい嬉しくなって開けて見ると、何と何と、エッチな写真が沢山出てくるではありませんか。知らない私はドキドキしながらそれを見てしまいました。そう61歳の私がドキドキしたのですから、若い人や少年たちにとっては刺激が多過ぎると思いました。だってブログはまともな日記だとばかし思っていたものですから当然でしょう。このことを息子に話したら「ああ、別に珍しいことではないよ」といとも簡単に片付けられました。ということは、息子もこういうメールをしょっちゅう見ているのかと勘ぐりたくなります。

 実は種を明かせば、私にブログを紹介した息子は私のブログを申し込み、トップ画面を作ってくれました。だから私のブログに刻々と入るショートコメントの良し悪しを判断し、エッチなコメントなどは取り除いてくれていたのです。たまたま2~3日東京へ出張していて、その間に私がコメントを見てしまったという分けです。私も軽はずみでした。コメントには表題がつけられているのですから、開ける前に見ればよかったのです。これからはそうしたいと思っていますが、私も男ですから覗いて見たくなるような好奇心を持っていることも事実です。

 思うに、こんなエッチな写真を見せられた青少年は一体どんなことを考えるのでしょう。息子いわく「どおってことないよ」と言うのです。

 私たちの時代には、こんな刺激が少ない時代に育ちました。ところが今の青少年はこんな刺激が氾濫する社会に住んでいます。ちょっとやそっとでは驚かないようになっているのかも知れません。

 2年前、私の町の入り口にポルノ雑誌の自動販売機が出来て町中が大騒ぎしたことがあります。教育に携わる私は、町民からの通報に一喜一憂し、青少年育成関係者の総意として撤去運動が起こり、町民の数に匹敵する署名簿を県と業者と地権者に手渡しました。結局条例違反ではないということで撤去されませんでした。その時私たちの運動を見て冷ややかな意見を述べる人もいました。「この世の中から社会悪を全て取り除き、無菌の中で子どもを育てることは不可能だから、ポルノ雑誌を買わなかったりそれを見ても何ともないような逞しい少年を育てたほうがいい」と言うのです。一理あるご意見でした。

 その後2年間、そんなに問題もなく販売機は営業を続けていましたが、先日突然撤去されたのです。多分国道沿いの暗がりとはいえ、こんな田舎では珍しい間だけ売れて、今は売れず土地代や電気代などを差し引いて、採算が合わず撤去の羽目になったのだと思うのです。でも運動を起こした結城ある行動をした人たち(私を含めて)は運動の成果だと、電話をかけあい喜びました。一件落着です。

 今は進んだ時代、私のように世の中には知らないことがいっぱいあります。パソコンという極めて便利な道具も、使い方を誤ると大変な悪具になることは事実です。要は無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられるのですから、もっともっと勉強しなければなりません。

 少しだけパソコンが怖くなりました。でも少しだけ私のコンテンツが広がり高まりました。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○あんた「ガンじゃとなあー」

 2年前、早朝の浜辺で掃除をしていると、ある顔見知りの人が唐突に「あんたガンじゃとなー」と私に言うのです。驚いた私は「えっ」とわが耳を疑いました。その頃の私は健康診断の結果胆嚢にポリープが見つかり摘出手術の結果、1減りも減ったり13キロも体重が減っていたので、自分でも「ひょっとしたら」と思っていた矢先のことだったので驚きました。『私がガンだと誰から聞いたの」と問い返すと『集落ではもっぱらの噂」だというのです。その人の話によると「若松の進ちゃんは堪能の手術をして痩せてしまった。あれは多分ガンに違いないし、長くはないかも知れない。よく働いた人だし、若いのに奥さんも可愛そうに」なんて噂話が、私の知らないところでひそひそと話されていたのを聞いたその人は、うっかり本人に口を滑らせてしまったのです。でもうっかりとも思えないほど次の言葉は私を傷つけました。「ところで進ちゃん、どこのガンぞな」と言われたから頭にきて、「ええ近眼(キンガン)です」と答えてしまいました。しかし本人を前にこの言葉はいただけない。私のように少々ではへこたれない性格だからよいのですが、気の弱い人なら気にして飯も喉に通らなくなるかも知れません。

 私の家は親父が鼻ガン、叔父が胃ガンなどガン家系なので、ガン検診の問診の度に、「あなたの身近な人でガンになった人はいますか」の質問に何時も暗い気持ちになります。これまでは何とかクリアできたものの検診は「もしや」の気もめが何時も頭を悩ませるのです。

 61歳になると健康は特に気にかかるし、健康を手に入れるための努力も快食・快眠・快便と惜しまずしていますが、ガンという目に見えない病気だけは早期発見・早期治療以外どうすることも出来ないのです。

 姉の旦那も前立腺に異常が見つかり、今月中旬に入院手術が決まりました。姉の落胆も気になるし、義理の兄の一日も早い回復を祈っていますが、孫との同居で先日まで蜂の巣をつついたように賑やかだった姉の家も、少々ふさぎこんでいるように見えます。「健康以外金も名誉もい要らない」とは姉の言葉です。私もそう思って同情します。

 いよいよ人生の曲がり角、今まではやれ仕事だ、やれ地域の活性化だとグローバルなことに何のためらいもなく励んでいましたが、これまで気にならなかったローカルで身近な問題が問題となってきた分、それだけ歳を取ったということかも知れません。

 「アー嫌だ、嫌だ」もっと前向きに生きて行こう。

 「ガンガンと働くうちは人のことわがガン気になる歳を重ねて」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○お墓参り

 妻の兄の息子が近々結婚するというので、大安吉日を選び昨日お歓びを届けに妻の実家へ妻と二人で出かけました。この息子、今は新潟に住んでいるようですが、結婚式は何とアメリカ・ラスベガスで挙げるのだそうです。地球も狭くなったし、世の中も随分変わったと思いました。私たちが結婚したとき、披露宴は近くの農協でしたし挙式は家の床の間でした。今は結婚式は洋式の教会、披露宴では和服とまるでチグハグな日本人の姿が垣間見え、考えてみれば奇妙に感じずにはいられません。そして日本に住んでいるのにわざわざラスベガスの教会も奇妙だと、妻は首をかしげています。でもまあ結婚する二人が決めたことですから、それもよしと考えなければ次には進めません。

 ラスベガスで結婚するということは、両家の両親や親族にとってラスベガスへの海外旅行を意味します。義兄の部屋には渡米までまだ20日間もあるというのに、大きな海外旅行用のバックや中身が所狭しと置かれ、事の重大さを物語っているようでした。私たち親族にとっても行くべきか行かざるべきか迷うところですが、義兄からごく内輪の親と兄弟だけで挙式する旨の回答があり、妻も先日のカナダ旅行の時差ぼけを思い出して、ほっと胸を撫でていました。

 義兄の家を出て妻の先祖の墓参りをしました。八幡浜のお寺さんの裏山から見える晩秋の宇和海は絶景で、日本一といわれるみかん畑が耕して天に至るの表現どおり何処までも続いていました。

 お墓に水とシキビ、飴などを供え、線香に火をつけ敬虔な祈りを捧げました。妻の両親はもう10年前に他界していますので、感慨も一入の面持ちで、思い出話をしました。

 人間はたかだか80年しか生きられません。長生きしたとしても100歳ですから短いものです。妻にも私にも両親がいて、その両親に又両親とねずみ算式に数えて行くと、私には10代前まで遡ると何と1024人の先祖がいることになります。妻も同じ1024人ですから合計2048人の血肉を受け継いでわが息子たちは生まれているのです。その2048個のパズルのどれひとつがなくても、若松ジュニアのパズル絵は完成しないのですから驚きです。しかしこうしてお墓参りしても、以外や以外、私の記憶、妻の記憶にある先祖はたかだか2~3代前くらいしか思い出せないのです。民俗学のルーツがこうも浅いことを、うやむやにする民族も少ないのではと、自分の探究心の浅さに呆れています。

 嘉永といえばペルーが日本に来た頃の墓など、百年以上の風雪に耐えた墓標に線香を手向けながら、先祖を空想してみました。妻の実家は二宮という姓ですから、日本の飛行機王二宮忠八とも関係があると聞き及んでいた物語が広がってきました。墓地の裏山にははぜが真赤に紅葉して秋風が爽やかに通り過ぎて行きました。

 私もまた、場所こそ違え墓に入る運命を不思議に思いつつ急な石段を降りて行きました。

 「人生ははかないけれど墓はある いつか私もこの墓の土」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○よい子・悪い子・普通の子

 昔テレビの番組でよい子・悪い子・普通の子という言葉が流行りました。昨日夕方妻と二人で食事をしながらテレビを見ていたら、「自分の親に毒を・・・・・」というショッキングなニュースが飛び込んできました。さらにブログにこのことが掲載されているというので二度びっくりしました。妻いわく「うちの子供は普通じゃねえ、普通・普通・普通が一番」というのです。妻が言うまでもなく私には女・男・男・男と4人の子どもがいますが、特に勉強が出来るわけでもなく、取り立てて才能があるでもなくふつうの子として育ち、今は大人の仲間入りをしています。

 長女は助産師として普通の?男子と結婚し一人の子どもを働きながら育てる普通の奥さんです。長男は設計士を志しながら設計事務所に通い、先日結婚したばかりの普通の男です。次男は8年間勤めた会社を辞め看護師になるため看護学校に通いながら演劇にのめり込む普通の学生です。3男は4年間勤めた会社を辞めプー太郎をしながら公務員試験にトライ、やっと念願の合格をした普通の青年です。こうしてみると、勉強もスポーツも普通だったため東京には行かず、手の届きうる近くに住んで普通の生活をしているのです。

 普通の子どもに育つのには大きく分けて二つの条件があると思います。まずひとつは親が自分の能力がオール5ではないという認識でしょう。今は私のように子ども沢山生む時代ではないから、少なく生んだ子どもに過期待をします。私など4人も子どもがいるものですから余り優秀だと安月給のサラリーマンゆえに教育費がかさむので適当でよいと思っていました。また私も妻もオール3程度の普通の子どもでしたから、二人をたして2で割ると丁度普通になるので、親以上は無理と内心思っていましたので、普通の子どもに育ちました。もうひとつは自分の子どもは出来るだけ多くの人の中で普通の人間になるよう育てました。勉強よりも人間としての優しさを求めたから無人島キャンプにも連れてゆきました。だから友達や私の仲間が普通の子に育ててくれました。(教育ではなく共に育つ共育)

 私の誕生日に4人の子どもが小遣いを出し合ってビールのつまみである柿の種を新聞に包んでプレゼントしてくれたことや、結婚記念日に小遣いがないので二人の肩を100回づつ叩いてくれたことも記憶に残っている普通の子どものやることです。

 人は誰でもお金持ちになりたい、幸せになりたい、成功したいという3つの願望を持っていますが、お金はチャップリンのライムライトに出てくるようにサムマネー(少々の蓄え)でいいし、幸せも自分で出来る幸せや人のためにしてあげる幸せで十分で、人にしてもらう幸せは求めるものではありません。また成功とは自分サイズの成功でよいのです。

 結局私たち普通の夫婦は普通の子どもしか育てられませんでしたが、それはとりもなおさず普通の幸せだとしみじみ実感しています。普通に生きることは自然体、でも普通に生きることは感謝の心や目標を持って生きてこそ実現するのであって、ひょっとしたら普通に生きることも難しいテーマなのかも知れません。

 (この記事はパソコンのトラブルでブログに登録することが出来ず、2回書きました。2回書いて書き直してもこの程度の文章しか書けませんでした。ほんの10分前に書いたことをブログ上で再現することが出来ないくらい、今は過去へと去って行きます。今が過去になる前に普通に生きるためのトレーニングをしたいものです。)

 

[ この記事をシェアする ]