shin-1さんの日記

○愛媛大学法文学部フィールドワーク

 私は3年前から愛媛大学の非常勤講師として、「地域振興とまちづくり」というテーマで学生に教えています。教えているというより共に学ぶといった表現がぴったりするかもしれません。夜間主ですから毎週一回午後6時からお話しするのですが、他の先生と違って知識を教える野ではなく、自分の経験を語ることに重きを置いています。

 ある先生から、近頃の大学生は人の話を聞かないし、私語や携帯遊び、それに眠ったり休んだりして、学ぶ意欲が感じられなくてうんざりすると聞かされていました。所が私の教室の26名の学生は私の話を良く聞くし、私語もなく携帯電話を授業中には決して使いません。ましてや眠る人もなくちゃんと授業には出てきます。「えっ。どちらが正しいの?」と尋ねられそうですが、そうです。どちらも正しいのです。私の教室はみんな真面目です。多分私の「教える」という意識ではなく「共に学ぶ」という感覚が支持されているのかもしれません。

 今日その26名の学生がマッチ箱のような列車に乗って双海町へやってきました。勿論双海町のまちづくりについて学ぶためです。車を使わないフィールドワークの調査研究であるため、シーサイド公園を見学し、役場の会議室で講義を受け、私の家で遅い昼飯を兼ねた交流会を行いました。

 食事の準備は3年目になりますが私の妻が一人で手間暇かけて作りました。なにせ食べごろの若い学生ですから食材や料理の量も半端ではありません。出すもの全てがまるで猫が皿をなめるように綺麗に平らげてくれました。「こいつらいつも何を食ってんだろう(乱暴な言葉で失礼)」と思うほどに食が進みました。それにしてもいつも感心するのは妻の力強さです。頼む私も私、頼まれる妻も妻、まあよく私の頼みを聞いてくれるものだと感心するばかりです。

 最後は綺麗に片付けて、何度もお礼を言いながらまた列車に乗って帰って行きました。先生と私の違いはどうやらこのあたりに秘密があるようです。今日は親父の池が工事中なので、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館は案内しませんでしたが、彼らはまたやって来ることでしょう。

 今日は疲れたけれど充実した一日でした。本当は山の上の人間牧場でやりたかったのですが、学生にとって人間牧場は余りにも遠いため実現しませんでしたが、来年は下灘駅から歩いて人間牧場へ登らせるのも一考だと思っています。

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○ヨーロッパから電話

 「お父さん。人間牧場の書棚は付いた」。いきなり電話の向こうで長男お声。只今長男は新妻と二人で新婚旅行の真最中、なのに地球の裏側ヨーロッパから、人間牧場のあれこれが気になるらしく、電話がかかってきました。私が青年お船でアメリカに渡ったのは今から30年前、約2ヶ月半もの船旅だったため、その頃は相当の決意で旅立ったものですが、今は飛行機でひとっ飛び、便利になったものです。

 電話の声も国内と何ら変わらず話せるのですから、私のような凡人には、声が聞こえることすら不思議に思えます。それでも二人仲良く旅を続けていると聞いてホッとしています。やはりこれが親心なのでしょうか、息子のゴマすりと分かっていてもやはり嬉しいものです。

 息子は出かけるとき飛行場で、人間牧場のことについて色々支持して旅立ちました。水平線の家の設計者ということもあって気持ちは分かるのですが、どうやら私が息子の意に沿わないことをしでかすのではないかと心配しているようです。

 水平線の家の構想から建築まで、息子との接触で私の考えも随分変わったように思います。安ければよいと思って始めたことさえ、満足行くものを作るに変わったし、原風景を生かす総開きのサッシだってお金は要りましたが、終わってみると息子の主張の方が正しかったと思う今日この頃です。

 親はいつも息子を子どもだと思っています。それは私と私の父との関係も同じで、そこに衝突の原因があるのです。今でも88歳の父との反感反目はそこにあります。分かっていてもそのことが超えられないのはやはり親子だからでしょうか。

 息子は私と同じように英語が話せません。しかしようしたもので、新妻はアメリカ留学の経験があり英語が堪能です。新婚旅行といいながら、ヨーロッパの建築学を学ぶ絶好の機会、さらに知ったかぶりに磨きをかけて帰ってくるでしょう。また親子の溝は深くなるのですが、これも仕方のないことでしょう。

 来週はどんな顔をして二人で帰ってくるか楽しみです。

 家の敷地内に造っている煙会所の周辺が騒がしくなっています。その話は次回に・・・・・・・。

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○健康診断

 初夏から秋にかけて今年はことの他何かと忙しかった野で、約2ヶ月に1度の定期健康診断をうっかり忘れてしまうほどでした。前回の健康診断はお盆の最中だったため、別に気にもせず血液検査や内診を済ませていましたが、2~3日前に健康診断の予定を急に思い出し、今日の診断となりました。

 今日は半年に一度のエコー検査の日であるため朝食を取らないで来るよう言われていたので、空腹のまま9時半県立中央病院に到着しましたが、受付システムが変わっており、右往左往しました。

 エコー検査は慣れない検査技師がお腹の周りいっぱいにゼリーを塗っていじくり回すものだから気持ちが悪くなりました。結局腕利きの検査技師と交代する一幕もあり、「えっ、ひょっとしたら何処か悪い所でも見つかったのかしら」と要らぬ心配をしてしまいました。これもシステムの変更なのでしょうか、診察結果の写真などの分厚い資料を連絡袋に入れて、中が見えないようにホッチキスで止めるのです。「えっ、私が見たらまずいような結果なのかしら」とまた要らぬ不安。受付で貰った書類を渡し待たされること1時間余り、内診が始まったのは11時30分を回っていました。

 病院は患者の利便を良くし、不安を取り去るはずなのに、システムの導入は不便と不安を増幅する結果となりましたが、内診の結果は「異常ありません」「次の定期健診は12月3日です」で事なきを得ました。

 病は気から、だから病気というのでしょう。病院で過ごした僅かな時間だのに、病人だけが右往左往する異様な雰囲気の中で、あらためて健康の有難さを感じました。人間って弱い動物ですね。

 人間牧場の計画が実行に移され始めて、人間牧場にのめり込んでいたため、病気や体のことなどこれっぽっちも感じませんでしたが、これからは快食・快眠・快便をモットーに健康でありたいものです。5年前胆嚢にポリープが見つかり手術のために1週間、昨年チエンソーで足を切って2週間、それぞれ入院を余儀なくされましたが、あれ程好きだった酒を断ち、野菜や魚中心の食事にも気を使って過ごしてきました。これからも、健康第一で過ごしたいと思います。でないとせっかくの人間牧場が生かされませんから・・・・。

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○米一俵の講演料

 今年の夏、高知県奈半利町へmちづくりの講演に出かけました。双海町出身の奈津さんが、高知大学のインターンシップで奈半利町にまちづくりの助っ人として派遣されたことと、NHKラジオ深夜便心の時代で私の放送を聴かれた坂本さん(まちづくりの中心メンバー)がどうしても聞きたいということで実現しました。

 どの町もまちづくりで自立し、あるいは民間ペースで自立しようとしてる所は資金面で苦しく、講演料は米一年分でという面白いアイデアでした。野球の四国リーグで一俵入魂などユニークな支援を続けている話題も合って、面白いと引き受けました。一泊2日の講演を土佐山田町とタッグを組んで出かけました。

 講演が終わって数週間後、10名ほどの視察団が双海町の夕焼けコンサートの見学を兼ねてやってきました。何とその時律儀にも昨日モミスリしたという新米を2とう持ってきてくれました。

 私は一日に昼と夜に茶碗一杯ずつを食べます。したがって一日の米消費量は1合1勺で計算すると、一年間で約1俵となります。つまり一年間で食べる半分を持ってきた計算になります。ところが昨日坂本さんは律儀にも奥さんを連れて残りの米2とうをわざわざ高知から運んできたのです。感激しました。

 早速お二人を人間牧場に案内し、四方山話に花を咲かせました。坂本さんもこんな施設を作りたいと仲間で話し合って、営林署の施設を払い下げてもらい作っているそうですが、中々前へ進めないそうです。私もその施設を見せてもらいましたが、大き過ぎて持て余し気味のようでした。

 坂本さんは新聞の販売店を経営する傍ら、約8町歩の米を作り、6万羽のブロイラーを育てる養鶏を営んでいるスーパーおじさんです。今までに色々な人に出会いましたが、これほどの働き者には出会ったことがありません。それでもニコニコ生きてる姿は大したもので、まるで坂本龍馬のようです。奥さんの作る郷土料理も奈半利に行ったとき食べさせてもらいましたが、中々のものでした。

 アドバイスを求められても、私の上を行く彼にはアドバイス出来かねます。しかし人間牧場は、多くの仲間とやると、難しいから自分の身の丈でやるよう勧めました。人は自分の思うようには動かないものなのです。再開を約束し奥さんと二人で夕闇迫る双海町を後にした坂本さん夫婦はとても素敵な夫婦でした。

 人間牧場が温かい人間関係を結んでくれた一日でした。

 

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○木を切るべきか切らざるべきか

 人間牧場には、かつてみかんを栽培していた名残の防風垣の一部である杉の木が数本残っています。その木は明らかに防風垣だったと思わせるように、一本の根元でありながら途中から数本に枝分かれしています。多分途中で剪定して日当たりと防風垣の両得を望んだのでしょうが、残念ながらその後の手入れも行き届かず、枝分かれしたまま成長したものと思われます。

 眼下に広がる豊田漁港の眺望は残念ながらこの杉の木に隠されていますが、ある人はこの杉垣を切った方が眺望が開けるから良いといいます。またある人は木は絶対切らないようにしないと、気は育つのに時間がかかるともいいます。どちらを信じてよいのか迷いますが、気はいつでも切れると後者の意見を尊重しています。間違いでしょうかねえ。

 木は正直いってない方が見晴らしは良いです。でも冬の季節風のことを思えば残しておきたいのです。何故この地に母が杉を植えたか考えればやはりみかんを風から守ることだったと思うのです。また双海町は地すべり地帯でもあるので木や草は土砂の崩壊や流出も防ぎます。

 今年のように草の勢いが強いと、いっそのこと草枯らし(除草剤)でもと思うものですが、除草剤は草を枯らすと同時にミミズなどの動物や微生物に影響があるといいますし、目先の楽より環境を守ることを考えなければなりません。

 百年の木を育てる気概でこれからも少しずつ木を植えてゆこうと思っています。

 何年か前、レクリェーション全国大会のネイチャー部会が双海町で催されたとき(私たちが主催)、樹木に聴診器を当てて樹内を流れる水の音を聞いて驚いたことがあります。ものいわぬ樹木の中を流れる水の音の不思議なささやきを聞いて感動したものでした。

 みかんの木を風から守るため、人間に痛めつけられながらも必死に生きてきた杉の木を、今度は私が守ってやりたいと思っています。

 

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○真人間牧場に孫を案内

 恐らく年齢的に最も長生きするであろう我が家の孫を、人間牧場に案内しました。松山に住んでいる長女夫婦の長男で名前は岡本朋樹君といいます。来月には3歳になる孫は、私たちにとって初孫であり、大泉さんが歌って大ヒットした「孫」という唄の歌詞そのままに、目に入れても痛くないほど可愛いい、我が家の星といったところです。週末にはやって来て愛想を振りまく仕草に目尻が下がりっぱなしで、じじバカぶりに自分ながら呆れています。

 この孫をこれまで3回人間牧場に案内しました。急で狭い道を小さな軽四で走るものですから、行く途中は不安そうな顔をしていましたが、到着すると工事中にもかかわらず忙しく動き回り、息子が持参した双眼鏡を首にぶら下げて覗いてみたり、すっかりご満悦のご様子でした。片言で「おじいちゃん綺麗ねーえ」と褒めるあたり、中々のじょうず者とお見受けしました。今年88歳の米寿を迎えた親父も建前と途中、それに完成してからと3回やってきましたが、こんなお褒めの言葉はなく、褒めたからよいというのではありませんが、親父も年齢差85歳の孫に言葉遣いを教えてもらわなければならないと苦笑しました。

 孫はこれからどんどん成長するでしょうが、この次いつ来るかは定かではありませんが、大きくなってこの場所を友達に案内する日があるかも知れないと希望的に思うか、こんな田舎に来るものかと否定的に思うのかは大きな差があります。希望的に考え孫の成長を祈りたいと思います。

 やがて3人の息子にも子どもが生まれることでしょうが、おじいちゃんの宝物として人間牧場に案内したいと思いますが、さて何時のことやら・・・・・。

 朋樹君は完成した人間牧場をまだ見せていません。藪蚊の心配も無くなったのでそろそろ4回目の案内をしたいと思うのですが、気まぐれな孫のこと、行くというかどうかとても心配です。でも必ず満足してくれるでしょう。

 昨晩は一緒に新婚旅行のお見送りをし、その足で我が家に泊まりにきました。一緒に風呂に入り、一緒に寝ました。幸せです。平和です。嬉しいです。

 

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○人間牧場にススキの花が咲く

 人間牧場にはかずらやヨモギ、それにススキがいっぱい生えています。それらは雑草と呼ばれ、やっかいものとされてきました。春草から夏草を経て秋草まで約7ヶ月間、それら雑草との戦いに明け暮れました。特に10年間も放置していたつけが回って、地下茎が太り、刈っても刈っても伸びる勢いが強く、4度刈りましたが、その後も青々とした草が茂っています。

 そんな中で、二抱えもあるような大きなカヤの根を掘らずに残し、刈らずに残しておいたのですが、これが大きく成長し、何と花が咲いたではありませんか。ススキは花ではなく穂ともいわれますが、まさに秋の七草のひとつであるススキの花が自然の中で見事に原風景を演出してくれています。

 すすきもクズも元はといえば雑草、しかしこれがれっきとした秋の七草なのです。

 人間牧場はもう秋です。深まり行く秋を物語るように周りの柿も少しずつ色づき始めススキの花と見事なコラボレーションです。一ヶ月前に開いた夕焼けコンサートの時はわざわざ徳島県塩塚高原からススキを運んでもらいましたから、季節の移ろいは大したものですね。

 ススキと月といえば団子や熱燗を思い出しますが、下戸な私はさしずめ月見団子と行きたい所ですが、その味はもう少し向こうになりそうです。

 今日は北東の風が吹きました。双海町では北東の風のことを「くだり」と呼んでいますが、「くだり」の風は秋の特徴です。「くだりの風と夫婦喧嘩は宵には凪ぐ」といわれるように、昼に強く吹いていた「くだり」も、夕方になると陸風に押されて止んできます。「くだりの吹き落ちは雨になる」ともいわれています。これから秋が深まるにつれて、毎日漁師さんが漁に出れないほど「くだり」が吹きます。4・5日吹き続けるとやがて雨になる周期を繰り返し、やがて冬将軍の北西の風に変わるのです。

 そろそろ、ストーブの心配もしておかなくっちゃあ。

 今年の冬はどんな風が人間牧場に吹くのか、楽しみでもあり、心配でもあり。秋の暮れ。

 

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shin-1さんの日記

○弟と「人間牧場」へ

 息子の結婚式出席のため里帰りした弟を「人間牧場」に案内しました。お墓参りを済ませ親父と弟嫁を、妻専用の軽四に乗せて登って行きました。里帰りは時々しても少年の頃の思い出の場所へ行くのはめったにないとあって、弟は感慨深げでした。弟の少年時代は物のない貧しい時代でしたから、「人間牧場」の建っているこの場所へは、細い道を歩いて登り、みかんやサツマイモ、麦などを背負子にかるって下ろしましたから思いでも一入のようでした。

 特に遠望や眼下に見下ろす豊田漁港の変貌ぶりには驚いた様子でした。また「人間牧場」の構想や出来上がった「水平線の家」は、そこそこのアイディアに感心もしていました。多分そんなに頻繁にはここを訪ねることはないと思いますが、いい帰省のお土産になったと喜んでいました。和歌山出身の弟嫁もこのようなセカンドハウスに関心があるらしく、盛んにうなずいて見学していました。

 近くに我が家の荒れた畑があるのですが、その畑をこれから手を入れようと思っているのですが、さてその後、つまり息子がその手を入れた畑を受け継いでくれるかと考えたら、「うーん」と考え込んでしまいます。そのことを当然息子の仕事だと強要するような時代でもないのですから・・・・・。

 弟の里帰りは、私の今の立場を考える上でよい機会となりました。昨夜は二人の違った人生観について意見を述べ合いました。兄弟といいながら40年も別々の道を歩んだ二人の人生観が違うのは当たり前のことかも知れません。しかし私たち兄弟は類似点多く、40年目にして弟の人生観も知りました。

 明日の朝、再び帰って行く弟に、これからが大事と私の心情を話しました。「人間牧場」は兄弟の心をオブラートのように優しく包んでくれました。ふるさとを後にした多くの双海町出身者の望郷の念は死ぬまで絶える事がないことも知りました。

 

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○21世紀えひめニューフロンティアグループという民間団体

 私たち20人ほどの仲間が20年余り前に組織した、何とも長ったらしい名前の民間ボランティア団体です。これまで無人島に子どもたちを連れて行ったり、丸木舟を作って瀬戸内海を航海したり、様々な活動を20年余り続けてきました。目標にしていた20年間の活動を終えたのを機に、これまた20年もの長きに渡って続けてきた代表の座を、当時事務局長だった大野哲治さんに譲り、一線から退いていたのですが、先日代表への復帰を打診されました。退職によって暇が出来たからとの認識かも知れません。しかし私にその気はなく固辞しました。

 「今やれる青春」というグループの20年をまとめた本を執筆出版することを条件に止めたのですから、次の世代への交代は当然と思い、彼らの活動をじっと見つめてきました。グループを統率するリーダーには様々な能力が要求されます。特に先見性や判断力、それに統率力、ネットワーク力とフットワーク力など数えればきりがないほどありますが、中でも行動力は自分の気力がないと出来ない話です。

 今はインターネットの普及によって情報が溢れる時代です。そしてその情報の恩恵によってみんな知識人になりました。でも知識を知恵に変えなければ何の価値もありません。知っていること(知識)と使いこなすこと(知恵)は違うのです。例えば「里山が危ない」ということは知っていても、じゃあ「どうしよう」と行動する人は少ないのです。「夕日が美しい」と海沿いに面した人は言いますが、じゃあ「その夕日をどう生かす」か行動する人は中々見当たりません。「夕日が美しい」と言う人に「それがどうしたの」と言ってやります。

 「人間牧場」も「里山が危ない」や「子どもたちに夢を」「自立する人間を作ろう」などなどの実践なのです。行動には時として失敗はよくあります。後で「ああしとけばよかった」などと反省することもしばしばです。私のように前もってみんなに公表してから始めるのは、プレッシャーがかかってもっと大変です。でも成果が上がると効果抜群です。人間は「自分というもうひとりの自分と戦わなければなりません。そのことが生きてる証なのです。失敗の暗いトンネルを抜けると慶びは一入です。

 「人間牧場」にやって来る人は誰もが「こんなセカンドハウスが欲しい」と言います。でも手に入れようとはしません。やるかやらないかは大きな違いです。

 朝から説教じみた話になりましたが、「人間牧場」は決して説教の場所ではないことを付け加えておきます。昨日フロンティアグループの仲間が結婚式に駆けつけてくれましたが、みんな歳をとりました。そうです。みんな歳をとるのですよ。

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○弟の里帰り

 奈良大和郡山市に住む弟が、息子の結婚式出席のため久しぶりに帰郷しました。娘・息子も結婚によって自立した弟は奥さん(義理の妹)と二人で帰ってきたのですが、息子が帰るとあって親父は何時になく明るく、何時になく元気なこのところの一週間でした。もうお目出度やお悔やみしか帰らない息子に会うのは、「わしの死に目かも」とついつい弱気の発言をしていた親父とは同じ人間とは思えない張り切りようです。

 親父はいつも弟のことを気にかけています。高校を卒業するとすぐに大阪へ就職した弟はが、双海町というふるさとで過ごしたのは僅か17年です。都会の雑踏に身をゆだねた時間は2倍以上の40年にもなるのですから、無理もない話しです。

 最近その弟が、奥さんのふるさと和歌山県古座に新居を構えました。勿論大和郡山市に家は建てているのですが、老後はそこで好きな釣り三昧をしながら暮らそうと思っているらしく、私の「人間牧場」によく似た生き方だと思わず苦笑いしてしまいました。

 私は兄弟5人の長男です。長男が後をとらなければならない理由は民法上今はありません。しかし私は生まれたときから長男教育を受けて育ちました。だから親父の面倒も別に苦になりません。幸い弟以外は双海町に住んで仲のよい兄弟関係を作っています。その陰には妻の気配りがあることも承知し感謝しています。最近無性に弟や兄弟のことが気になるのもやはり年をとったせいなのでしょう。

 明日は弟を「人間牧場」へ連れてゆきます。子供時代の思い出を共有しているだけに、しっかりと「人間牧場」からの原風景を目の奥に焼き付けて帰って欲しいと思っています。

 鮭が川を上るように人々の心は何故かふるさとを目指します。いつまでも心の中にふるさとを感じ続けて欲しいものです。

 余談ですが「人間牧場」の設計者が今日結婚しました。メチャメチャ緊張した息子の姿を頼もしく思いました。幸せを願っています。あーそれから父親のあいさつで「娘よ」という曲を何とハーモニカで吹きました。大きな拍手をいただきました。娘を嫁に出す相手の家族を思いやっての気配りのつもりでした。

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