shin-1さんの日記

○アイディアは何処から生まれるの

 私は35年間公務員をしましたが、公務員らしからぬ公務員として型破りなレッテルを幾つも貼られるなど様々なことに挑戦してきました。普通公務員は休まず、慌てずの例えの如く真面目で、悪口を言えば仕事せずというイメージでしょうが、私は土曜日も日曜日もなく働きに働きました。加えて公務員らしからぬことをするものですから随分と目立ち、出過ぎて頭を叩かれたり足を引っ張られたりもしましたが、今のところ悔いはありません。私は公務員を好夢員と書いて「こーむいん」と読んでいました。したがって夢みたいなことを考え、「夢はドリームでなくターゲットである」と行動してきました。

 お世辞でしょうが「あなたのアイディアは何処から湧いてくるのですか」とよく聞かれます。中には「あなたの頭を割って中を覗いてみたい」と物騒な話まで飛び出す始末です。私のアイディアの秘密はプラス思考の好奇心にあります。普通だと考え付かないような夢をいっぱい考えるのですが、日ごろから問題意識を持って日々を過ごしているので色々なアイディアが浮かびます。ここまでは誰しも同じです。でもここからが私の少し違うところです。やりたいことを絵や文字にする、どうすれば出来るか、何時までにするのかも予定表を作る、そして周りの人にしゃべるのです。そのことは自分と周りへのマニフェストなのかも知れません。やがて強い意志力が生まれ、反対を説得しながら行動に移す、結果は成果がターゲットされるのです。しかしここまでも普通の人のやることです。私はさらにそのことに物語という付加価値を付け、マスコミを動かしニュースに仕込んでゆきます。「夕焼けソフトクリーム」も「夕日日コーヒー」もそんな行動で売れっ子になりました。

 アイディアは何処にでも落ちています。「夕日が綺麗」と言ってくれた一言が「日本一の夕日」を作りました。自分の潜在能力に気付き、先ほど述べたようなプロセスがアイディアを花開かせてくれるのです。しかしくれぐれも忘れてならないのは、周りの人の存在と自分の努力がなければアイディアは成果を収めることができないということを・・・・・。

 昨日一人の大学生が私の元へ訪ねてきました。彼は徳島県で杉の木を使ってまちづくりをするプロジェクトに関わっているのだそうですが、中々良いアイディアが浮かばないのでヒントをいただきたいというのです。私は翠小学校の木製机の話をしました。木製机を徳島中の学校に導入したら木材関係者が活気付くのでは?とか、その天板を卒業するとき子どもたちにプレゼントすると子どもたちはその思い出いっぱいの天板を、一生の思い出に取っておくだろうなあ?とか、アイディアをいっぱい話してやりました。彼は嬉しそうに帰って行きましたが、「じゃああなたはどうするの」がないと次には進めませんよと話して帰しました。

 アイディアは誰でもあります。それをターゲットできるかどうかが人間の値打ちなのです。

  「アイディアを随分金にした男次の作戦人間牧場」

  「石ころを見てもアイディア浮かびます落ちていたならただの石ころ」

  「夕日さえおらの物だとツバつけて隣のまちは悔しかりけり」

  「何でだろう漫才ネタではありませんそこからアイデア生まれます」

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shin-1さんの日記

○人を好きになること

 「私には好きな人が沢山います」。こんな告白をすると「えっー、その歳をして」なんて答えが返ってくるでしょうね。「でも人を好きになるのは年齢ではありませんから」と開き直ると、「止めた方がいいですよ。怪我しますから」なんて諌められるのが落ちでしょう。

 人を好きになることは何も愛や恋に限ったことではありません。私にとって好感を持って接する人は全て好きな人なのです。あちらこちらへ講演などに出掛ける私にとって、お葉書を出したりメールのやり取りをする人は沢山います。人を好きになると好きな人がどんどん出来てきます。逆に何かの原因で喧嘩をしたり自分の言動に反対されると人間不信に陥入って人が嫌いになるものです。

 私は長年の経験で、「人は嫌うと嫌われ、好きになると好かれる不思議な動物である」ということを発見しました。この発見のお陰で私は人もうらやむ大きな宝物を得たのです。人に嫌われるとその人を好きになる度合いが足りなかったと反省してもっともっと好きになるよう努力するのです。

 昨日中学校時代の同級生を知っている人に会いました。道すがらその女性は立ち話で、私の同級生の女性が私のことを好きだったと言っていたと言うのです。妻と一緒だったのでその女性は「あら奥さんの前でこんなこと言ってよかったかしら」と顔を赤らめていました。当の妻は私がもてないのを知っているので「かませんよ」と軽く流してくれました。私はその同級生の顔を思い出しながら車を運転しました。信号が青になっても発射しない私を見て、「お父さん、さっきのことを思い出したんと違う、信号が青じゃがねえ」と言われ正気に戻りました。おっと危ないです。でもそう言われると悪い気もしないものですから、その日一日がウキウキの一日でした。今振り返ると人間なんて単純なものだと思うのです。

 八方美人過ぎても困るけど、勝手に人をどんどん好きになって、多くの人に希望を与えるような人間になりたいと今も考えています。余談ですが私を好きだと言った女性に、同窓会の後はがきを出しました。ご主人をガンで亡くして悲しみに暮れ、同窓会を欠席したからです。後日彼女から返事が来ました。今でも彼女はハガキ仲間として文通をしています。勿論妻もそのオープンラブレターであるハガキを一緒に読んでいます。

  「好き嫌い自分の価値で決まるもの重さ長さもないものですから」

  「あの人とダブらせテレビのドラマ見る妻も多分にそのこと考え」

  「好きになりゃあばたもえくぼ好感度でも好きで留めましょう」

  「今日もまた好きな女性が文よこすもてていいねと妻ちくり言う」

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shin-1さんの日記

○酒席に異変が

 酒を断ってもう5年が過ぎました。私の体内からは完全にアルコール分が抜けているようです。それでも私のDNAが求めるのか、時々酒が恋しくなる時があります。忘年会の今頃は酒の勢いで楽しい年末だったと昔を懐かしんでいますが、今ではどんな酒の誘惑にも負けない改造人間に改造されました。したがって私に限り飲酒運転は絶対にありません。県警本部長様私を表彰してくださいは冗談です。

 最近酒席に行って感じるのですが、随分焼酎党が増えたと思いませんか。最初の乾杯はとりあえずビールか食前酒、そのうち「私は麦のお湯割りに梅を入れてください」などの言葉が乱れ飛びます。寒くなったのに相変わらずの苦戦は日本酒で、勧めても「悪酔いするので」とか、「糖尿病境界なんで焼酎を」などと焼酎の人気はうなぎ上りです。

 今や日本中にブームを呼んでいる「焼酎」という聞きなれない飲み物は一体どういう飲み物でしょう。飲む人に聞いても「そんな難しいことは分からん」と味も素っ気もない返事が返ってきます。

 焼酎は焼いた酎と書くがそのいわれは?

 焼酎のラベルに張ってある甲類・乙類って?

 はい聞いた話で焼酎への質問にお答えします。アルコール発酵したものを絞ったものが醸造酒、つまり日本酒なら、焼酎は熱を加えて蒸発させたものです。蒸留方法には連続式蒸留と単式蒸留があります。連続式蒸留で雑味を極力取り除いたのが焼酎甲類やホワイトリカーなどです。単式蒸留(1回だけの蒸留)は原料の風味を残した焼酎乙類です。本格焼酎の蒸留方法には2種類あって蒸留器内の圧力を下げ低温沸騰させる減圧蒸留と自然のままの常圧蒸留があります。

 焼酎の原料は芋・麦・ソバ・黒糖・栗・すだち・米・牛乳など様々で、その地域の特産品を使って作りますが、中にはジャガイモ・シイタケ・トマトの焼酎まであるそうです。

 酒を飲まない私にはどんな味がするのか知る由もありませんが、私の顔を見て「あっ、この人は飲めそう」と焼酎をお土産にいただいて帰るのですが、それらは全て私の家に来た人への振る舞い酒に使われており、勿体無い話です。

  「重いのに土産の焼酎手に提げて只今息子なんだ焼酎か」

  「甲乙と焼酎ラベルに書いてある誰に聞いてもそんな分からん」

  「悪酔いをしないと言われ焼酎を飲み過ぎ悪酔いあんたが馬鹿だ」

  「芋が何故人を酔わせる酒となる飲めぬ私は芋でおならを」

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shin-1さんの日記

○でっかい鰤が届く

 今朝宇和島の仲間から宅配便ででっかい鰤が届きました。ご存知のように鰤は出世魚でワカナ・ハマチ・鰤と大きくなるにしたがって名前を変えていくのですが、今日届いた2本の鰤は丸々と太って見るからに美味しそうです。普通は『お魚ママさん」の称号を持つ妻が料理するのですが、サンデー毎日の私ですので腕を捲し上げて鰤と格闘することになりました。私の家は元漁師の家ですので出刃包丁や刺身包丁、それにイチョウのまな板と7つ道具が揃っています。かつて私自身も若い頃漁師をしていたし、水産高校の出身ですから魚の知識はしっかり持っています。

 まず発泡スチロールの氷箱から鰤を取り出し頭を落とします。鰤の頭を背骨から切り落とすにはかなりの力が必要で汗だくです。続いて内蔵を取り、水洗いしてから3枚におろすのですが、自分で言うのも何ですが上手いものです。骨を除いた身の部分は刺身用としてトレーに入れてラップをかけ冷蔵庫にしまいました。アラ骨や頭の部分は鰤大根用に細かく切って3等分し、ナイロンに詰めて冷凍庫へ保管します。年末までの保存食です。カマは今晩の塩焼き用に特別な袋に入れて冷蔵庫へ。大きな鰤でしたが30分ほどで調理を終えました。丁度昼時だったので食事に帰った妻が昼用に一皿刺身にしました。二人で食べたのですが「美味い」の一言しか言いようがありませんでした。

 私は胆嚢の摘出手術以来魚党です。タンパク質は魚から摂取しています。妻は私とおじいちゃんのために毎日魚を欠かさず食卓に並べてくれるのです。今日のような大きな鰤は近所へもおすそ分けするのですが、みんな喜んで食べてくれます。今日は私がおすそ分けを配りました。「宇和島の戸島から寒鰤が届きました。今日はこの刺身を私が作りました。少しですが食べてください」と、まるで子どもみたいに言いふらすのです。「へえー、進ちゃん。あんたが作ったの。器用なものじゃねえ」と褒めてくれました。嬉しくなりました。妻が笑っています。「まるで子どもみたい」ですって。

  「俺落ち目だけどこいつは出世魚見るから気品が漂う銀鱗」

  「この鰤は何処の海から来たのやら俺様逢いにトラック乗って」

  「切り身しか絵にも描けない子どもらに見せてやりたや鰤の勇姿を」

  「このハマチ店で買ったらハウマッチ親父ギャグだと食卓笑い」

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shin-1さんの日記

○えっ、中学校で電卓使っているって

 学校の授業も私たちの時代とは随分様変わりしました。文明の利器とてなかった時代ですから掛け算や割り算は勿論のこと、ルートの計算も全て手作業でした。先日飲み会で学校の授業に話が及び、小学校ではハーモニカが教材から姿を消してリコーダーになったことや、中学校の数学の授業に電卓が登場していることを知らない人が随分いることに驚いたのです。「先日息子の授業参観に行って息子が授業に電卓を使っているのを見て驚いた」と真顔で話すのです。電卓を授業でt使う話には賛成派と反対派がありました。賛成派は「だいたい学校の授業は社会に役立たないことが多い。もっと社会に出て役立つような勉強をせんとあかん。電卓は今や常識なのにソロバンを習わせるなんて」と、ソロバンなんか教えてないのに時代錯誤な話にまで及んでいました。反対派の意見は「だいたい電卓があったら算数の答えはみんな100点になるんと違うか。そんな事業はありえない。学校は基本・基礎を習う所だから、電卓に頼るような授業は好ましくない」と一利ある反論でした。

 そういえば日本の英語の授業についても彼らは酒の勢いを借りて痛烈な批判を展開していました。「おらは大学4年、高校3年、中学3年、合計10年間も英語を習って喋ることも読むことも出来ない英語の授業はおかしい」と言う勇敢な意見がありました。ある人が「それはあなたの能力がないだけで、英語を話せる人は沢山いる」で勇敢な彼は二の口が出ませんでした。なるほど納得です。

 『学校で自分の子どもたちが今何を習っているか知らない親のあり方が問題だ」と私も議論の中へ割って入りましたが、『同感、同感」と共鳴はしたものの「じゃああなたはどうするの」には残念ながら答えが返ってきませんでした。

 日本の親は自分の子どもの教育に、特に父親は無関心すぎます。保育園や幼稚園は運動会などビデオカメラの放列で見えないほど子育てに熱中した父親も、中学校や高校では殆ど顔を見れないのがその現実を物語っています。中学校や高校こそ父親の出番ではないかと思うのですが・・・・・。

  「学校は母親行くもの思ってた日本の教育これでいいのか」

  「電卓を叩く数学授業見た親父たまげて酒の肴に」

  「4・3・3・10年習って話せない日本の英語私も同じ」

  「学校へたまには顔を出すように親父の会を作る悲しさ」

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shin-1さんの日記

○夜遅くまでご苦労さん

 私の妻は近所の歯科医院で働いています。職業的にはパートなのですが一応日勤です。所帯持ちの妻としては何やかにやと所用があって休む事が多く、小さな歯医者さんなので従業員も少なくその度に心を痛めています。妻が勤める歯医者さんは月曜日と金曜日に夜7時まで仕事があります。冬の日暮れが早い今頃は帰りが遅い感じがして、暗くて寒い夜道は何かと心配です。といっても私の心配は口だけで、犬も猫も相手にしない中年ゆえ余り心配はしていません。(「まあ失礼」と妻に言われそうなので失言は取り消します)

 私は4月から無職ですからさしずめ私は妻の紐なのでしょう。これまでは私が稼ぐからこの家は成り立っていると心で思っていましたから、態度も何かにつけ横着でした。でも今はそんな自分の態度を深く反省し、せめて少しだけでも妻の手助けをしようと殊勝な考えを持てた自分は偉いと、自分自身を褒めています。

 今日もまだ帰って来ない妻を待ちながらパソコンを打っていますが、本当は料理の一つも出来れば妻がどんなに助かるだろうと思ったりします。でも結局は料理の一つも出来ないのです。あっ、妻が「只今」と玄関の戸を開けました。「お帰り、寒かったろう」と言ったら妻にっこりと私の書斎に顔を見せました。まあこの程度の夫婦関係で幸せなのですから犬も食わずでいいですね。

 それにしても妻はよく動きます。あんなに動いて何で下腹が引っ込まないのか不思議な気さえするのです。炊事・洗濯・掃除・おじいちゃんの世話・民生員・仕事・子どもの世話・家計簿記帳・金のやりくりと、手の指だけでは足りず、足の指まで加えねば数え切れないほどの働き振りです。これは何も私の妻だけでなく日本の女性は実によく働きます。しかしそのことについて最近男女同権が浸透した日本では、女性軽視で叱られますので止めますが、まあ妻に感謝の今日この頃の私なのです。

 本当はその感謝の心を行動で示せばいいのでしょうが、私も古い日本の男性でブログでしか表現できません。悪しからず。

  「遅くまで働く妻に感謝して遅い夕餉の膳を囲みつ」

  「おらが妻欲を言ったら切りないが気前良いのが玉に傷です」

  「少しでも痩せたい気持ちで歯医者までたった五分のウォーク無理して」

  「おいと言う呼び名で返事のわが妻はまるでロボット今日も元気で」

 

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shin-1さんの日記

○人間牧場に雪が積りました

 双海町といえば青い国四国の中ほどにある瀬戸内海に面した気候温暖な町です。これまでにも雪が降ることはありましたが、積ることは殆どありませんでした。したがって小高い所に位置する人間牧場に雪など積るはずがないと鷹を食っていました。ところが今日市役所税務課から通知文が来て「家屋調査をするから立ち会うように」とのことでしたので、約束の午前10時に人間牧場へ行きました。ひょっとしてと思ったものですから、三男の4WD車に乗って出掛けました。案の定道端には昨日降ったと思われる雪があちこちに残っていました。水平線の家の前のウッドデッキは1センチ程度の白い雪に覆われて、今まで見たこともないような光景です。しまったカメラを持ってくればよかったと思ったのですが忘れてしまいました。

 先日の福井でのドカ雪や大洲青年の家の積った雪を見ているので、大した雪の量ではありませんが、それでも雪の風景は絵になるものでした。昔「南の国に雪が降る」という映画を見たことがありますが、雪の積らないわが町ではやはり雪景色は憧れの風景です。年内に寒波が来るそうなので今度はその風景をカメラに収めたいものです。

 ところで人間牧場のような取るに足らない建物でも税務課はしっかりと目をつけ、調査に来るのです。顔見知りの職員さんでしたが、税金の話になると人が変わったように厳しい顔で査定していました。勿論税金を逃れようなんて考えてはいませんが、こんな小さな、しかも辺鄙な所の建物をよく探すものだと改めて感心しました。職員さんの話によると来年の夏には県税が、4月からは固定資産税が課税されるそうです。また使っていない人間牧場の水平線の家だけに、少し出鼻を挫かれた格好で憂鬱になりました。

 私が全国行脚に出ている間に息子は囲炉裏の上に凄いダスト(集煙装置)を設置していました。自分で作ったのだそうですが、4ヶ月もかかって友人の鉄工所で作った力作に拍手を送りました。

 ストーブが入っていないので畑に入り切り株を2個おがし、身体がポカポカ温まったので下山しました。

  「雪積るウッドデッキにモズ一羽小さな足跡つけて飛び立つ」

  「北陸で見た雪比べりゃこんなもの雪とは言わない大口叩く」

  「先々で人間牧場話すから私のブログ人気高騰」

  「山小屋に税金かけると役所言う無職の財布寒いと言うに」

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shin-1さんの日記

○ゴミの行方

 年末が近くなってくると近くのゴミ置き場には日ごろの倍近くのごみが出されます。多分正月を控え早めの掃除をしているからかもしれませんが、よくもまあこんなにゴミが出るものだなあと感心します。最近は風も寒さも一段と増して、井戸端会議ならぬゴミ端会議をする人もめぅきり減って、どの人もそそくさと帰っていくのですが、このゴミは間もなく朝だのに何故か夕焼け小焼けの音楽を鳴らしたゴミ収集車に積まれて清掃センターへ運ばれ、焼却処分されるのですが、ゴミのルールも随分守られるようになって、積み残しもなく処分されているようです。

 最近気になる話を聞きました。私の町にも一丁前にもコンビニが一軒ありますが、経営者の話だと弁当などは賞味期限が早く、その日に売れなかった物は全て廃棄処分される運命にあるのだそうです。年間の行事予定や土日を当て込んで予約注文をFAXするのだそうですが、弁当は天気によって相当開きがあるのだそうです。天気予報を頼りに天気を予測して注文を増やし当ればそれで儲かるのですが、逆に雨でも降られると大損なのです。その辺は長年の感でといいながら、今の世の中のように先が読めないのが実態のようです。これらの廃棄処分弁当は間違いなくゴミとして処理される運命なのですから勿体無い話です。結局大資本の弁当を卸す側は確実に儲かるようになっているのですが、一日の弁当処分は日本中で500トンといいますから大変な量です。

 この廃棄した弁当を拾いにホームレスが来るのを見て、その上に食べられないように泥水をかける風景は富める国日本の貧しい心の表現としか言いようがありません。外国ではレストランで余ったものをパックに入れてホームレスにさりげなく渡す光景に出会い、感動した場面も報告されています。

 先日北陸福井への旅の途中、大阪駅の地下街で寒い路上に平然と寝ているホームレスを見て心が痛みました。彼らには彼らの人生理論があっての生き方でしょうが、正月間近なこの寒空にこんな人生もあるのです。

 限りなく出るゴミ、そのゴミを処分するために使われる膨大な費用、ああ日本もいよいよ末期症状、何とかしなければなりません。両手に提げたゴミを見て心が痛んだ朝でした。

  「このゴミは金を出して買ったもの寂しく焼かれ土に返るか」

  「カラスさえ見向きもしない喰えぬゴミ元はといえば石油変身」

  「食った後裏書見たら過ぎていた賞味期限の気持ち悪さよ」

  「このミルク実はミルクじゃありませんミルク混ぜ飲む人に教える」

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shin-1さんの日記

○人気です私の新作名刺

 役場の職員時代に使っていた名刺の台紙がなくなったこともあって、思い切って名刺のイメージチェンジを試みてみました。私たちまちづくりに関わる者にとって、いや私のように全国を歩く者にとって今や名刺は携帯電話と共に必需品になってきました。一枚の名刺によってその人やその人が住んでるまちのイメージが広がってくるのですから、名刺は最も身近なPR手段だと思います。

 新しい名刺は前にもブログで書いた山口県岩国市で出会った「わたなべえつこ」さんのサイン入り色紙をパソコンスキャナーで取り込んだものですが、その色紙の横には残念ながら2001のサインが入っています。今のパソコン技術だと簡単に消せるのですが、私はあえて消しませんでした。つまり似顔絵にせよ私は5歳も若い5年前に若返ったのです。

 地域政策センターの清水さんの紹介する印刷屋さんにお願いして差し当たり500枚作ったのですが、これが中々の評判で、福井市の大会と大洲青年の家のシンポジウムで100枚も使ってしまいました。妻曰く「名刺も考えて使わないと」と釘を刺されてしまいました。名刺は名を刺すですが、妻は釘を刺しました。

 でも私の似顔絵の後ろは日本一と自認する夕日で、手書き文字の「沈む夕日にちょっと待った」が、「しずむ夕日が立ちどまるまち」というキャッチフレーズに負けず劣らずこれまたいい表現のようで気に入りました。

 「全国の若松進一を知っている2005年11月末までに私と出会った皆さーん。そして私が差し上げた名刺をお持ちの皆さーん。あなたの記憶の若松進一や名刺をお持ちの方は残念ながら賞味期限が切れております。お早めに新品と交換しましょう。」

「名刺一枚で30分喋れる男」をスローガンに掲げている私ですから、肩書きに書いた「人間牧場主」というのも、「これなんですか?」と必ず質問が返ってきます。私は「うんうん」とうなずきながら薀蓄を語るのです。

「ヤッホー新作名刺は成功だー」と大声を出したくなるような心境です。多分これはテレビコマーシャルという極めて短い時間に商品を売り込む術に似ています。出会いが勝負のまちづくり、少しの間この名刺の売れ行きを見定めて、また新しいアイディアに挑戦したいものです。

  「どれ程の名刺貰うも取っておく気乗りするのは二枚か三枚」

  「新作の名刺ポッケに今日もまた西に東に北へ南へ」

  「一枚の名刺の値段幾らなる電卓叩いて原価計算」

  「自分の名使い使って60年それでも世界でオンリーワン」

  「私とて何時かは賞味期限切れ早めに更新危険ですから」

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shin-1さんの日記

○若いっていいねえ

 「この歳になると」なんて言いそうな年頃になると、決まって「わしが若い頃は」とか「わしがもっと若かったら」なんて過去と未来に思いをはせてついつい「若さへの願望」を言葉にするのですが、この数年随分と若い人との出会いが多くなってきました。昨日今日の「大人を考えるシンポジウム」も大学生相手の講義も、また卒論指導も年齢的に大きな差がありながら、あえて若者族にアプローチしようとする姿こそ「最後の悪あがき」なんて悪口を言われそうです。

 私はこのところ、えひめ地域政策研究センターが隔月に発行している「舞たうん」という雑誌に、シリーズで毎回執筆を続けています。そのタイトルが「若者とまちづくり」なのです。このタイトルを聞いた限りではまちづくりと若者の関係に首をかしげる人が多いのも事実です。でも本当は若い頃からまちづくりについて正しい知識をもっともっと教えて、社会の一員としてまちづくり活動に積極的に関わって欲しいという願いからこの執筆を思いつきました。

 執筆を始めてもう6回が終わり新春には7回目の原稿が掲載される予定で、その校正ゲラがインターネットで担当者から今夜送られてきました。ゲラを見て驚いたのは写真の多さです。今回のテーマは「大学生が考えた住みたいまちの条件と訪ねたいまちの条件」なのですが、昨年の学生が授業の一環として考えた図表が色も鮮やかに再現されているではありませんか。今年度から職員がパソコン技術を駆使して作る紙面は全てカラーのままフロッピーで印刷業者に電送されるのでしょうが、素晴らしいの一言に尽きるのです。

でも文字の校正まではパソコンはやってくれませんから、結局は最後に人間の手が入ることになるのです。

 本当はこれらの記事を若者にも読んで欲しいのですが、配布先の向こうには若者の姿は残念ながら見えていません。それでも配布先である行政や機関が若者を理解する一助にして若者政策に生かしてもらえるならこんな喜びはないでしょう。ウーン、でもダメでしょうね。

 かつて青年団が活発な時代は、まちづくりの主役はどの町や村でも青年でした。その青年がいなくなった町や村では比較的若者と思われる30代、40代が若者らしい活動でまちづくりをしています。年齢は関係ないといいながらやはり若者の不在は大きな社会問題となっています。もう一度「若者とまちづくり」について考えてみましょう。

  「若者の一字違った馬鹿者がもうすぐ成人式を乗っ取る」

  「私とて若い頃があったのよ本当か嘘か入れ歯ガクガク」

  「赤紙で戦地赴くあの頃は国を思ってただひたすらに」

  「今だから言える若さの過ちも過ぎれば懐かし思い出彼方」

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