shin-1さんの日記

○ある親の苦悩

 子どもを育てることの大変さは、子どもを育てた人にしか分からないといいますが、特に反抗期や思春期の何かと問題を抱えた子どもに対する教育は相当頭を悩ませます。今日も突如としてある親から子どものことについて相談を受けました。喫煙が発覚して学校から謹慎処分を受けたというのです。集団での喫煙だけに集団で一律同じ謹慎処分と思いきや、その子だけが家庭謹慎という重い処分を受けたそうです。親で見たら合点がいかぬと言うのですが、相談する人もなく尋ねあぐんで私の所へやって来ました。早速学校へ連絡を取り、学校へ出向きましたが、何度も同じ過ちを繰り返してきた過去の事実と、先生たちがこの子どもを立ち直らせようと努力してきた経過が先生の説明で明らかになりました。

 学校は、青少年の喫煙は法律違反であり、青少年の健康を蝕む観点から絶対してはならない行為だと厳しく言っているにもかかわらずやめれないのは、本人の意志の弱さと親のしつけが悪いと断罪し、退学処分を決定したようです。本人の将来を思うと悲しくなりましたが、決意文を書いた前回の反省が生かされなかった本人や親のあり方や、指導努力の甲斐もなく成果を挙げれなかった学校側にも責任はあるようです。

 私を見込んでの相談とは、親からすれば「学校に顔の聞く人に頼めば何とかなる」といった安易な考えがありはしないか、またその甘い親の姿勢が「悪いことをしても頼めば何とかなる」という本人の甘えに繋がっているようにも見えました。

 これでは折角の危機をチャンスに生かすことは出来ず、たとえ退学という重い処分を今回免れても、本人のためにはならないと、思い切って退学を勧めにお家へ伺いました。あいにく両親は留守でしたがおばあちゃんがいましたので、過酷だとは思いましたがそのことを話して帰りました。おろおろ涙するおばあちゃんの姿を見たとき、この涙を本人がどう感じるのか明日にでも本人に話してやりたいと思いました。

 学校へ行きたくても行けない時代を過ごしたおばあちゃん。学校へ行きたくないのに学校がある時代に育った孫。どちらも悲劇です。「こんな子どもに育てたのは親の責任です」t嘆く親の悲しみもよく理解できます。

 通っていた学校へは行けなくなるだろうけど、本人が早く立ち直って両親やおばあちゃんの笑顔を見たいものです。そのためには私の役割は何なのか、関係ないと思わず逃げずにしっかりとお手伝いしたいと思います。

 「悲しきは可愛い孫がマゴマゴと迷える姿見るに見かねて」

 「辛いけどここでしっかりせにゃならぬ親という字は立・木・見る」

 「何にでも興味を示す若さゆえでもダメなものダメダメダメだ」

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shin-1さんの日記

○私が私を意識した日(意識の誕生日)

 私の誕生日は昭和19年10月3日です。誕生日は人間の生命が生まれた日とされていますが、よく言われる夫の精子が妻の卵子に宿って、「とつきとうか」(10月10日)で子どもが生まれるとしたら私の生命の誕生は昭和18年12月24日、クリスマスの日へと遡らねばなりません。「えっ、私はキリストと同じ日に・・・・・・」なんて驚きです。しかしこの考えは父と母のみぞ知る布団の中の出来事ですから、あまり深く詮索すると死んだ母親に叱られそうなので止めます。でも馬や牛が生まれて間もなく立ち上がって歩く姿を見ると、人間は誕生からさらに1年間もしないと歩けないのですから、世話のやける動物と言わざるを得ません。

 時々自分の幼かった頃のことを思い出そうとするのですが、小学校以前のことは中々思い出せません。保育園も幼稚園もなかった田舎で育ち人の、移動もそんなに多くなかった戦後の、貧しい時代に育った私ですから、とりたてた思い出がないのかも知れませんが、小学校へ上がる頃の思い出は少しあるのです。私は知能の発達が遅れていたのか元々なかったのか分かりませんが、小学校へ上がるまでに10の数が数えれなかったようです。今時の子どもだと信じられないことで、今の時代に生まれてたら母親は私を教育相談にでも連れて行き、「はてどうしたものか」と行く末を嘆いたことでしょう。

 父は海岸から石を10個拾ってきて、毎晩夜なべ仕事の作業場に私を座らせ、石を数える練習をしました。数え間違えると竹の鯨物差しで手の甲をピシャリと叩くのです。出来ない私は涙を流していました。

 ひょっとしたら「私が私を意識した日」は小学校へ入る前の6歳頃の春だったのかも知れません。正確な記憶ではないのですが、これが私の「意識の誕生日」なのです。あんなに遅れていた算数能力も何とか人並みになり、今では計算も出来るのですから、私は大器晩成とまではいかなくても、小器晩成くらいとは言えるでしょう。でもそんな過去があっても社会に出るとそれなりに暮らしていけるのですから、石ころが数えられなかった意識の思い出は、むしろ人生の出発点として私の面白いエピソードになっています。

 「意識の誕生日」以来55年間、私の脳は覚えたり忘れたりを繰り返しながら、覚えなければならないことは覚え、忘れてもいいことは忘れて今日を迎えています。本当の誕生日から6歳引いた55歳が私の意識の誕生日ということになりますから、私はまだ55歳の若さなのです。

 この文章を書きながら私は若いことに気がつき、若いという自信を持とうと考えました。「失礼ですが若松さん、お歳は幾つですか」と尋ねられたら、「はい意識の年齢55歳です」と応えようと思っています。

 「歳なんぼいうと必ず褒め言葉7・8つ若く言われ喜ぶ」

 「父母が布団の中でドッキング私の誕生しれた夜話」

 「生まれた日私の父は戦争で留守してました何故に生まれた?」

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shin-1さんの日記

○トタンで作った中国式万里の長城

 最近の私のブログ「shin-1さんの日記」はまるで旅日記のようです。昨日埼玉かと思えば今日は広島と全国各地をまるでフーテンの寅さんのように気になるカバンを提げて出歩いています。

 今日は広島県安芸高田市の甲山町を訪ねました。担当者が清水しげ子さんといって、字こそ違え私の妻のの名前と一緒なのです。最初講演についてメールのやり取りをした時には、かつて妻と交際した頃を思い出し、淡い恋心を抱くような心境でした。今日お会いをしましたが予想をはるかに超えた、気配りの出来る方でした。勿論妻よりも数ランク上とお見受けしました。(妻には内緒です)

 晩秋の安芸路は山が赤や黄色に染まり、日本晴れの青い空に映えていました。多分待ちの中に住んでいる人たちには見なれた光景ですから、美しくも感じなと思いますが、茶色の屋根とマッチして、とても絵になる光景でした。私の町を彷彿するマッチ箱のような一両編成の黄色い電車に乗って、のんびりゆっくり本を読みながら各駅停車の旅を楽しみました。乗り降りする人も穏やかで、気軽に声をかけていただきました。「どちらから」「はい愛媛県から来ました」「まあ、遠い所からご苦労様です。どちらまで行かれますか」「はい甲山町まで行きます」「何をしに」「はい講演を頼まれてお話しに行きます」「えっ、何を話しに行かれますか」「はい、まちづくりについてです」「じゃあ、先生ですか」「いやいや私は先生じゃあありません。田舎のおいちゃんですよ」と、まあ長閑な会話です。多分そのおばちゃんは私の風采を見て「えっ、あんたが何で講師?」って感じが見え見えの会話でした。

 それにしても、車窓に気になる光景が続いていました。波型トタンで畑のあちこちを囲っている光景です。中国地方では万里の長城ならぬトタンの長城とでも呼ぶのでしょうか、何処までもどこまでも続いていました。これはイノシシの食害から作物を守るために作られたイノシシ避けの柵なのです。進んだところでは波型トタンに変わって電圧線を張り巡らしていますが、山間地ではまだまだトタンの柵が多いようです。どの地域もイノシシと人間の知恵比べが行われているようであり、ただいまのところ人間とイノシシの知恵比べはいのししに5分の利があるようです。あのトタンもタダではないはずですから、イノシシのために中国山地では、農家に大きな負担が強いられているようです。

 「そのうちにイノシシならぬ人間がトタンで囲われ行き場失う」

 「山里に落ち葉煙が幾筋もああ長閑なり日本のあちこち」

 「今頃は甘柿熟れてもど子どもらは見向きもせずに去り行く寂びし」

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shin-1さんの日記

○理想の妻の条件

 よく観光地などに行くと、湯飲み茶碗やキーホルダー、タオルなどに名前や歴史上の人物の有名な教えを書いたものが売られています。多分何処かの観光地で買ったか、誰かにお土産に貰ったのでしょうが、「理想の妻の条件」という世にも珍しい湯飲みがあります。お茶を飲みながら妻とこのことについて話しました。

 私「おい、お前も湯飲みに書かれている理想の妻か?。せめてこの書いたものを読んで、少しは近づくように努力したらどうか」。「ええこと書いとるねえ。私のことを書いとるのではないかしら」。「・・・・・・・」。次の言葉が出ませんでした。「自分はどうなの」。「・・・・・・・・・・」。

 理想の妻

 1、夫の好き嫌いを早く飲み込む妻。1、快活で愛嬌たっぷり従順で優しく上品な妻。1、どことなく初々しい感じのする妻。1、家政と料理が上手くて糠味噌臭くない妻。1、機転が利いて利口ぶらぬ妻。1、何事にも理解と同情を持とうとする妻。1、働き者でコセツカぬ妻。1、話し上手聞き上手の妻。1、飾り気なく身だしなみのよい妻。1、世の中に遅れぬだけ修養につとめる妻。

 以上のことが書かれているのですが、妻の「あなたはどうなの」の言葉で、私を私がテストしてみると、はてそんなに理想の夫であるか自信がもてないのです。

 私たち、いや私は得てして自分のことを棚に上げて相手に自分の理想ばかしを要求していたように思えるのです。特に何処かの出来た女性を頭に描きながら言うものですから、言われた妻はかちんと来るに決まっています。

 ある友人が、「テレビで見る理想の女は格好いいが、あの人だって糞も小便もするし、自分の家では化粧を落として寝巻きでちょろちょろするし、自分の妻と同じだよ」と言うのです。同感でした。特に疲れた時の寝姿はカバに似ているし、いびきだって壊れた掃除機のようです。「じゃあ自分はどうなの」。はい自分は自分に見えませんから、同じでした。

 これからはこの湯飲みを自分の目標として頑張ります。アブ蜂取らずとはこのことです。

 「この妻の何処に惚れたのまあ不思議同じ思いの顔でジロジロ」

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shin-1さんの日記

○妻が風邪でダウン

 埼玉から二日ぶりに帰ってみると、妻は仕事に出掛けていました。娘の夜勤の都合で孫が我が家に来ていましたが、次男と久しぶりに帰省していた三男が孫の面倒を見てくれていました。

 妻が職場から昼過ぎになっても帰らないのでおかしいと思いつつ、青少年の合宿研修に顔を出し、帰ってみると妻は床に伏せっていました。病院で点滴を受けていたのだそうです。

 夕方になっても妻は起き上がることが出来ず、私は右往左往しました。幸い自炊経験のある三男がテキパキと食事の準備をしてくれました。私は大きな声ではいえませんがお湯を沸かしただけです。

 私は自慢ではありませんが、家事は家でまったくやったことがないのです。無人島キャンプなどの野外活動も、もっぱら食事の得意な仲間におんぶにだっこで、会の運営などに携わっていました。「お父さん私が病気になったらどうするの」といつも妻から小言を言われてきましたが、こんなに早く病気になろうとは夢にも思いませんでした。妻の枕元に行って、何をどうするのかいちいち聞きながら、結局はお湯を沸かすしか芸のない私は、つくづく自分のふがいなさが身にしみました。「病気になったらその時はその時」と鷹を食っていましたが、この際自立できるような自分になりたいと思いました。

 三男はご飯をちゃんと炊いて、仏様と神様棚にご飯を供える習慣までちゃんとやってくれるのですから、驚きでした。神様・仏様に妻の風邪が早く治りますようにお祈りしましたが、それは自分の食事を作ってくれる妻がいないと困るからといった、安易な考えの祈りであったことも、少しだけ反省しております。はい。

 それにしても三男の作った鍋物は美味しかったです。「鍋でもするかい」と思いつき、三男は急遽畑へ大根を抜きに走り、下ろし大根までする徹底ぶり、空いた口が塞がりませんでした。三男と久しぶりに向かい合って二人だけの食事をしました。いつもガミガミいう山ノ神(妻)は別室で寝ているのですが、台所はまるで火が消えたような静けさでした。いるものがいないだけでこんなにも暮らしの雰囲気が変わるものなのかと、改めて妻の偉大さに感心しました。

 嘔吐下痢症の妻は食事を枕元に運んでも食べることも出来ません。三男はポカリスエットを枕元に運んで母の病気を気遣っています。

 明日、私は早立ちで広島へ行かなければなりません。妻の病気は、明日が休みの次男にまかさなければなりません。寒くなった旅支度にとパッチ(ズボン下)を穿いて行くよう寝床から心配してくれています。有難う。母さん。

 「床伏せし妻に感謝の言葉かけ旅に出る朝後ろ髪引く」

 「黙々と鍋をつついて晩飯を息子と二人味気なきかな」

 「携帯の声でうつらぬ流行風邪妻は床臥し私ピンピン」

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shin-1さんの日記

○富士山に落ちる夕日に感激

 昨日は埼玉県町村正副議長さんの研修会に招かれ埼玉県へ行きました。講演が終わってから旧友である県公民館連合会坂本事務局長さんに県庁の屋上へ案内してもらい、埼玉副都心構想について話を聞きました。何でも世界一のタワー建設構想があるらしく、屋上からの眺めはまさに絶景でした。

 息子さんに送ってもらった武蔵浦和から、埼京線の電車に乗って新宿へ出る途中、4つ目の駅である浮間舟渡あたりで綺麗な夕日が富士山に落ちるのを見ました。感激して思わず駅のプラットホームへ降りて沈み行く大きな夕日を感慨深げに眺めていましたら、気がついてみるとお土産にいただいた埼玉茶を電車に置き忘れてしまい、がっくりしました。土産よりいい土産ができたと思えば気も済むのですが、貰った相手に悪い気持ちでいっぱいです。

 それにしても、都会に人は窓越しから、あるいは駅のプラットホームからあのような綺麗な夕日が見えているにも関わらず、無表情で携帯電話や雑誌に目をやりながら通り過ぎて行くのです。隣の席の人に「夕日が綺麗ですね」といっても「あはっー」と言うだけで何の関心も示してくれませんでした。昨日は天気がよく埼玉県からでも日本一の富士山見え、美しい夕日とのコラボレーションはまさに絵になる光景でした。写真に収めることができなかったのは返す返すも残念でなりません。

 綺麗な夕日を見て感激する私はおかしいのでしょうか。私と同じような綺麗な夕日を見ても無表情、無感動な都会の人が正常なのでしょうか。私には残念ながら分かりません。でも私の方が正常だと言い聞かせて、一便遅れの電車に乗り込み新宿駅で忘れ物の係を訪れましたが、まだ届いてないと冷たい返事でした。

 でも都会も捨てたものじゃあありません。バスに乗り込むため新宿西口のバスセンターへ行き、バスを待っていると、私の顔をジロジロ見る中年の女性がいます。そして「若松さんじゃありませんか?」と唐突に聞くのです。「そうですが何か」と聞くと「私はあなたの話を東京で聞いた長野県に住んでいる者です」と言うのです。先を急いでいるらしく「お元気で」の捨て台詞、中年の美人女性だっただけに、対応が出来なかったことが悔やまれてなりません。見ず知らずの東京で声をかけていただいたあの人は、果たして何処に住んでいるやらと思い巡らすのもまた旅のよき思い出でしょう。

 「東京を泊まりもせずにバスの中二泊三日の旅ぞ楽しき」

 「若松さん唐突言われ驚くが見返り美人闇に消え行く」

 「わあ綺麗富士と夕日のドッキング思わず降りた駅の人ごみ」

 「忘れ物人のことかと思いしに自分忘れるああわしゃぼけた」

 最高の生き方は田舎に住んで美味い空気、美味しい水、美味しい食べ物をいただいて、たまに都会へ遊びに行くことだと思っています。私は最高の生き方をしています。

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shin-1さんの日記

○笑売啖呵

 「笑売啖呵」。はい、この言葉は私が作った造語で「しょうばいたんか」と呼びます。まあ俳句をワサビの効いた川柳にしたようなイメージと考えてください。笑売は商売とかけ笑いを売ります。啖呵は短歌とかけて5・7・5・7・7の世界です。昔私の知人に俳句つくりの面白い人がいました。ヒッチハイクとかけてヒッチ俳句なるものを考えた人です。彼の名作に「風邪ひいて肱川の水でうがいかな」というのですが、ご存知肱川は愛媛県大洲を流れる川です。夏になると鵜飼が行われます。鵜飼と喉をうがいすることを掛け合わせています。私の編み出した(偉そうに)笑売啖呵も究極はその辺まで高めたい思いを持っています。

 私の秀作をひとつご紹介しましょう。「5・7・5・7・7」あっ失礼、これは作った後で妻の人権を侵害していると、妻から公表を控える様に釘を刺されていますので、今回は創造の世界でご勘弁を願います。

 ブログを書くに当って文章の巻末にちょっとした笑売啖呵を載せています。本文よりこの方が面白いという人もいて、多少がっくりやら、ニコニコやらの心境です。

 高杉晋作は「おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものはこころなりけり」と時世の句を残しています。考えれば今の社会は面白くないことがあまりにも多いように思えます。でもそんな社会だからこそ面白く生きていく意味があるのです。「すみなすものはこころなりけり」ですから、せめて気持ちだけでも笑いを絶やさないように生きたいものです。

 寅さんシーリーズで双海町は下灘駅が舞台となりました。当時私は町の広報マンをしていてその場面を取材する幸運に恵まれました。山田洋次監督に頼んで寅さんの写真を撮らせてもらいましたが、寅さんに「写真を撮らせて下さい」と頼んだら、「やあ」といってプラットホームを歩いてくれました。ベンチに寝そべった寅さんと歩く姿しか撮らなかったのですが、いい思い出です。寅さんは行く先々で啖呵倍なる名調子のセリフを残しています。「ものの始まりが一ならば大和の国は富士の山・・・・」などと面白セリフがいっぱいでした。私の啖呵はそんな浅はかな場所が出典です。これからも折に触れ笑売啖呵を作りますのでご相伴下さい。

 「愛・恋と色々あるが文字を見りゃ愛は真ん中恋下心」

 「昨晩も夫婦二人で風呂に入り思わず笑う妻の湯溢れ」

 「長生きをしてもつまらぬ言う親父今朝も飲んでる栄養剤を」

 「鶏肉を今日は食べない親父さん鳥インフルの話題テレビで」

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shin-1さんの日記

○仮想社会人間との対話

 役所の仕事を辞め、自宅の書斎机にパソコンを置き、インターネットを始めて7ヶ月が経ちました。おっかなびっくり、時には息子の助けを求めながら独学で始めたのですが、息子の「お父さんパソコンは触って失敗しないと覚えない」という言葉に励まされ、まだまだ未熟ですがメールのやり取りとブログ発信までこぎつけました。私のようにセミ・リタイアした人間にとってインターネットは、仕事の打ち合わせとでもいうべき営業活動にも利用するので、今や必需品となりました。最初は「Eメールで資料を送ります。アドレスを教えてください」と電話で言われ、FAXや住所と間違ったり、今考えると笑い話のようなハプニングを経験しました。

 しかしふと気がつくと、私とメールをやり取りする人の顔を、知っている人が少ないことに気づくのです。ましてや画面で見る電子文字でのやり取りですから、電話のような声さえも聞けず、まさに仮想社会の人間と言わざるを得ません。「この人はどんな顔をしているのだろう」などと思い巡らせるのも楽しい反面、顔の見えない怖さも感じるのです。顔が見える安心感と顔の見えない恐怖感を比べて、心に自制心を働かせる間は良いのですが、人間は何故か人が見ていないと、とんでもないことをやらかします。陰徳を積まない愚か者にインターネットという道具を持たせることは、百害あって一利なしかも知れないと思ったりもします。

 しかし世の中は変わりました。重さも大きさもないこれらの電子情報が金になり、情報産業で巨万の富を築いた人たちが、その富を武器に「金で解決できないものはない」といって、政界、経済界、スポーツ界まで進出し、社会のルールを無視して暴れまくっているのです。勿論閉鎖社会の弊害を打破する大きな力になっていることは誰しも認めるのですが、毎日の報道を見ていると少しやり過ぎの感は否めません。

 顔の見えない人からメールで講師依頼があります。日程の空きを確認し受諾すると「あなたのプロフィールを送ってください」といわれるままに添付します。やがて講演に行く二ヶ月余りの空白期間に何度かメールが届き演題、用意するもの、レジメ原稿、交通アクセスなどを打ち合わせますが、心温まる人は私の人間性にふれようと、楽しいメールを届けてくれます。バーチャル世界は自分の都合のよい人物像を描きますから、現地へ行ってその落差に落胆するのはお互い様かも知れません。

 仮想人間は私につかの間のワクワク・ドキドキ・ハラハラという夢を見させてくれます。昔火星に生き物がいるかも知れないことを漫画で読みました。空想しました。火星社会ならぬ仮想社会の、火星人ならぬ仮想人を今私は空想しながらキーボードを叩いています。

 「このメール読む人小百合に似てる人思い巡らせ風の便りを」

 「あっしもた恋という字が変になり変換ミスで興ざめの恋」

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shin-1さんの日記

○女性の起業家

 一昨日NHKのテレビに出ました。皆さんによく言われるのですが、「あなたはラジオ向きの顔をして何でテレビによく出るのか」と(笑)。そんな人には「ほっといてくれ」(笑)と無視します。この番組は私のレギュラー番組みたいなもので、話題が欲しいときに電話がかかり、その都度ディレクターと相談して内容を決めますが、前回は「定年後の生活設計」、今回のテーマは「女性の起業家」でした。

 「きぎょう」には「起」(おこす)と「企」(くわだてる)の2種類がありますが、今回は起こすで考えました。つい最近の職場への女性進出は目覚しく、子育てを終えたり家事専念だけのストレスから解消されたい一心で起業する人が増えています。その中には成功を収めている人もいれば、借金を作って会社や家庭を破綻に追い込んだ哀れな人もいます。女性が起業するには男性中心といわれる社会では中々厳しいものがありますが、女性だからと考えないで、むしろ女性の感性を生かせば新しいビジネスチャンスはいっぱいあると思われます。

 起業しるためには一人でやるか複数の人と共同でやる場合があります。双海町の漁協女性部の皆さんが10数年前に起業したじゃこ天の店は集団でしたが、リーダーの上手い誘導もあって年商55百万円の企業に育ちました。私の妹が脱サラして始めた海産物専門店「くじら」は、個人経営の起業です。こちらも何とか目標だった5年を超え、設立当時の借金を返済したようです。

 人間には「幸せになりたい」「お金持ちになりたい」「成功したい」という3つの願望があります。起業はこうした願望の現われですが、起業するためには「強い意志力」がまず必要です。次に「何をどうするか」といった基本コンセプトの設定や資金計画が要ります。いきなり高い望みを持っても自分のスキルとのギャップで上手くいきません。自分サイズの夢とソロバンをしっかり考えます。さらに「考えを形にする行動力」も欠かせません。オーナーであると同時に最前線でお客さんに対応もしなければなりません。勿論情報を発信して集客がないとこれまた繁盛しませんから、考えたら大変な仕事量だと思います。でも案ずるよりうぬが安しで何とかなるものです。ショートアドバイスとして「成功者と失敗者の論理」を述べさせてもらいました。

 テレビの反響は大きいです。昼前の30分の番組ですが、中々どうして、多くの視聴者から「今日テレビに出とった」から、「私も起業家になりたい。アドバイスを」をまで、様々な反応がありました。嬉しいことです。

 「私にも夢があるのよ教えてよ社長になりたいそりゃダメだ」

 「人は皆たった一度の人生だやる気になれば何でも出来る」

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shin-1さんの日記

○1+1+1=9

 この足し算の意味が分かる人いますか?。小学校で習う算数の本当の答えは1+1+1=3であることは誰でも知っているのですが、何とこれは橋の実験で使う構造計算なのです。そういわれてもまだ私たち凡人にこの計算式は飲み込めないのです。

 川を挟んで一本の板を橋に架けます。例えばその橋板は60キロの人が通れる強度だと思ってください。次にその橋の上にもう一枚同じような板を重ねるとその橋の上は60キロの人が3人乗れるような強度に3倍加し、同じような板をもう一枚加えると60キロの人が9人乗ってもその重量に耐えれるというのです。本当かな?と思う人は確かめたら面白いと思うのですが、こんな計算があるなんて知りませんでした。

 同じような計算は幾らでもあります。例えば先日人間牧場で古い瓦を水平線の家の敷地に犬走りとして埋める作業をしましたが、隣のおじさんが手助け手伝いをしてくれた時の仕事量は1+1=2ではなく1+1=3の仕事量となりました。つまり普通1人だと3時間かかる仕事が3、分の1の僅か1時間で出来たのです。理系でない私にこれ以上の説明は不可能ですが、世の中には不思議なプラスアルファー効果があるのではないかと思えることがいっぱいあるようです。

 私たち夫婦には4人の子どもがいます。1人の子どもを生み育てて教育をし、世の中に送り出すためには1千万円を超える費用が要るのだそうですが、じゃあ1人1千万円とした場合、わが家では1×1千万円=4千万円という計算になります。近所に子どもに恵まれない夫婦がいます。不妊治療の甲斐もなく子どもはいません。その夫婦はお金が私の家より4千万円残ったかと聞くと、そんな金はないと言うのです。私の家でも仮に子どもの数が半分の2人だったとしても2千万円は残らなかったでしょう。

 人間は知恵の動物です。妻の子育てややりくりを見て、改めて知恵で物事をプラスアルファーに変える力の大きさに驚くのです。

 私だって人間牧場の建築のための費用はこの10年間、妻に内緒でコツコツ貯めてきました。夫婦間の秘密がないことが夫婦円満のコツといわれますが、私は秘密にしました。でも私たち夫婦は円満で人間牧場の水平線の家もプラスアルファーとして出来たのです。

 「算数の1+1は2だけれど私の計算5にも6にも」

 「コツコツと1+1を繰り返すそのうち大きな夢家叶って」

 

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