○スズメとカラスの世界も田舎は過疎
スズメといえばお米、カラスといえば長閑な泣き声で田舎の代表選手のように思われていましたが、スズメとカラスの世界では田舎に過疎化現象が起こっています。「えっ、そんなことはないでしょう?」と疑るのは無理からぬことです。童謡や童話の世界は殆どが田舎の物語ですが、そこに登場するスズメやカラスは紛れもなく田舎の自然と共存していました。
先日東京へ出張してその姿を目の当たりにしました。まず空港ではカラスが出迎えをしてくれました。空港ではカラスが増えて飛行機のジェットエンジンに巻き込まれては大変とあの手この手で駆除しているようですが、カラスはジェットエンジンの凄まじい音にさえ慣れてくると平気だそうです。皇居の周辺の緑豊かな公園にもカラスがたくさんいました。また街中では収集を待つゴミの上にカラスが群がり残飯をついばんでいるのです。人間はその横を避けるようにして通っていました。
夕方ホテルの前の歩道を散歩していたら、何やら騒がしい小鳥の鳴き声が聞こえてきました。スズメの大群が木という木に群がって騒いでいるではありませんか。鳥目といって夜は目が見えないから寝るのかと思いきや、不夜城のような眠らない都会では夜も明るいので、小鳥は24時間活動をしているのです。
田舎からカラスもスズメもいなくなったとは思いませんが、これら都会派のスズメやカラスは一体何処から来たのでしょうか。勿論都会生まれ、都会育ちのカラスやスズメもいるでしょうが、田舎からひとっ飛びして来た田舎出身のカラスやスズメもいるはずです。過疎で人々の自然の営みが少なくなった田舎は食うものとて少ない、スズメやカラスにとっても住みにくい社会になっているのかも知れません。そこへいくと都会は残飯類の余り物とは言いながら、餌が豊富で日々の暮らしに事欠かないのでしょう。
スズメやカラスからも見放された田舎の行く末を思うと何だか侘しくなりますね。その分イノシシが増えたのですから畜害があっても人間にすり寄ってくるイノシシを大切にしてやらなければバチが当ります。
よくしゃべる人間をスズメのような人と表現します。数年前には「カラスの勝手でしょう」というギャグが流行りました。スズメもカラスも結局は人間が恋しいのです。
「聞きましたスズメのお宿は何処ですかホテルの前の木々がホテルと」
「都会ではゴミ食べ物を食い漁るカラスにだって糖尿心配」
「東北のなまりすすめはスズメかも焼き鳥暖簾くぐってすすめ」
「カラスさん鳩の豆までいただいて平気で平和のシンボルぶって」