shin-1さんの日記

○ブログの使い方が分からなくて

 未熟者の私は、こうしてブログに日記は書くもののブログの使い方を深く承知しているわけではありません。歩く前に考えるか、歩きながら考えるか、それとも歩いた後で考えるか、ブログに限っていえば私は歩いた後で考えるような行動をとっています。夕方は別として朝のブログ書き込みは何となく忙しい雰囲気でで書きます。すると妻から「食事ですよ」と呼びに来ます。続いて父が「今日の予定は」と聞きに来ます。その都度対応するのですが、書き込んだ記事の校正もせずに登録するものですから、自分のブログを見ると誤字脱字だらけで、結局は反省して終わるのです。息子が結婚で別所帯を持ってからは、聞くこともできずそのままに放置していました。

 今日は愛媛大学の講義日だったので、少し早めに行き助教授である娘婿の所へ立ち寄って記事の修正の仕方を教えてもらいました。多分息子である先生は呆れたのでしょうが丁寧に自分のパソコンを使って教えてくれました。今日からはたとえ変換ミスがあっても多分手直しが可能なので完璧とまではいかなくてもまあまあの書き込み原稿になるようです。

 パソコンは難しいという先入観が私の頭には絶えずインプットされていますので中々大変ですが、考えてみればパソコンはキーボードの操作さえ覚えればいとも簡単に様々なことができる魔法の道具なのですから、私にだって出来るのだということを、しっかりこれまたインプットしたいと思います。

 ブログの順位がどのようなシステムで決まるのか分かりませんが、最下位を脱出して訪問者ランキングが次第に上がっています。多分読んだ人の数で上がったり下がったりするのでしょうが、これもブログに夢中にさせるテクニックなのかも知れません。でも毎日読んだ人の数が記録されるのを見て、ふと文章のまずさに反省させられます。もう少しグレードを上げないとまずいですね。

  「今までに長続きしたためしない日記ブログに変えれば日々に続いて」

  「あの人が今日も読んでるわがブログ恋文一つも書きたい書けない」

  「返事来るだのに出せなやり方が分からないのよブログジレンマ」

  「明日は旅ブログお休み寂しくて連れて行きたや机のパソコン」

  

 

 

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shin-1さんの日記

○久しぶりの早起き清掃

 この3日程寒波の影響で双海の海は大荒れです。海が荒れると漁師さんが漁に出れない、漁に出れないと魚が獲れない、魚が獲れないとじゃこ天の材料が揃わなくて漁協女性部のおばちゃんが困ると、まあこんな風に海に関わる人たちの暮らしは連動しているのです。もうひとつ海が荒れて連動する社会があります。海が荒れるとあの美しい人工の砂浜に大量のゴミが漂着します。このゴミはこの場所が終着駅ですのでほって置くと砂の下に潜り込んで後の作業が困難となります。故に寒かろうが波が荒かろうが除去作業をしなければなりません。私はこのゴミと毎日12年間も早朝4時から格闘を続けました。しかも最初の3年間は非現代的な一輪車リヤカーと熊手で挑戦しました。後に宝くじ協会からの助成で優れもののトップカーを購入しましたが、この12年を振り返るとよくもまあ続いたものだとわれながら感心します。

 今朝は5度前後に下がった寒い強風吹きすさぶ朝です。「さあどんな風でもやって来い」といわんばかりの厚着をして、朝4時過ぎシーサイド公園に出掛けました。人も犬もいない砂浜に出ると、怖くなるほどの大量のゴミが私を待ち受けていました。多分誰が見ても「こりゃあ無理だわ」と思われる程の量です。こんな場合昔はよく助け舟が来ました。役場の職員でした。しかし合併してからは知ってか知らずでか今は見向きもしません。とりあえず自分の体力にあったゴミを片付け始めたのですが、役場の雇っている掃除のおじさんがやって来て「ありがとう。助かります」と声を掛けてくれましたが、その声は力なく強風にかき消されそうでした。早朝から僅か3時間の短い時間でしたがカッパは潮風で濡れ、カッパの内側には苦闘の汗が滲んでいました。

 「朝は朝星夜は夜星昼は梅干し身は日干し」なんて言葉がありますが、私のシーサイド格闘物語はまさに身体を張った汗の努力そのものだったように思います。何年か前私は国土交通省の「観光カリスマ百選」という称号を贈られました。その頃は内閣府が所管でカリスマにふさわしいか仰々しくも2、3人の担当者が東京から事前調査にやって来ました。私の称号は「真似しない真似できない発想で地域をリードする観光カリスマ」です。百人の中で唯一掃除でカリスマに選ばれたといっても過言ではないでしょう。でもそれが私の誇りなのです。ややもすると観光は格好いい姿を連想しますが、その裏には実は多くの苦労が隠されているのです。

  「えっ掃除そんなもので選ばれる観光カリスマしれたものだわ」

  「ある人が陰徳いつか実になると教えてくれたはいそのとおり」

  「拾わないゴミは消えない黙々と拾った後のすがすがしさよ」

  「このゴミをエネルギーすりゃ儲かるぞそんな想いが知恵を生むんだ」

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shin-1さんの日記

○学生が私の話を聞きにやって来る

 私の年齢は61歳、決して若くはありません。でも自分は若いつもりだし「今やれる青春」をテーマに様々な活動を展開しています。松下幸之助さんがPHPの創刊号に「青春とは心の若さである。心に望みを持って行動すれば青春は永遠にその人のものである。」と言ってるように、青春とは心の若さだと同感します。今時の若者は歳が若いからといって誰もが若いとは思いません。若いのに年寄りみたいな若者も結構いるのです。

 そんな考えの私に憧れてではないと思いますが、つい最近私の元へ若い人がよく遊びに来ます。変な関係ではなく、「就職に当って助言を求めたい」とか、「あなたの輝きの根源が知りたい」などと、泣かせるセリフを言ってやって来るのです。若者と出会えるなんて羨ましいでしょう。私もそんな若者には目を輝かせて楽しいおしゃべりをして帰すのです。

 今日も男ながら大学生が私の元へやって来ました。何でも来年の卒論に双海町のシーサイド公園やまちづくりをテーマに書きたいとのことでした。夕方人に会う約束があったので2時間足らずでしたが、彼は私の「昇る夕日でまちづくり」という本をしっかり読んで、質問事項もメモする事前学習も出来ていて、好感の持てる態度でした。私は今6人の学生の卒論のお手伝いをしています。6人ともまちづくりといいながらテーマや展開が微妙に違って中々面白く、反面教師でこちらが勉強になります。卒論には裏づけとなるデーターの収集と解析は欠かせません。彼や彼女らがどんなデーターを元に論文を書くのか、また楽しみが増えました。

 若者と私には如何ともし難い40歳もの年齢差があります。40年前といえば私が青年団に入って多くのことを学んだ時期でした。あの頃を思うと今でも胸がワクワクときめきます。今の若者にあのようなときめきを求めるのは無理かも知れませんが、がっぷり4つに組んで若者の心に少しでも温かい風を吹かせてやりたいものです。

  「上り坂登る若者やって来て下り坂行く人に道問う」

  「欲しいもの聞かれ若さと言いました気がつく私遅きに失し」

  「上げて寄せ無理して若く見せようと思ったけれど化けの皮剥げ」

  「卒論も変わったものよわが町がテーマになって調査研究」

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shin-1さんの日記

○お歳暮に切手の贈り物とは

 昨日妻が「これお歳暮」といって50円切手を100枚プレゼントしてくれました。普通の人だったら「何をふざけているのか」と叱られそうですが、実は私にとって50円の切手はたまらない嬉しいプレゼントなのです。一日に3枚は必ず葉書を書く習慣はもう18年間も続いています。一日3枚使うと100枚の切手も僅か1ヶ月で無くなってしまうのです。出張が続いて沢山書く日は10枚を超える日もあるのですから、切手の贈り物は妻だから出来る最高のプレゼントなのです。

 切手にも色々あって美術切手や記念切手などがありますが、メジロをあしらった普通サイズでないと、大きすぎるとハガキをはみ出したりするので、縦切手を横に貼らなければ収まらない時だってあるのです。

 買ってもらった切手は全て一枚一枚に切って小さな名刺入れの小箱に入れておくと、何かにつけて便利です。私の仲間にはハガキマニアが沢山いて、毎月必ずハガキが届く殊勝な人もいます。また私がハガキを書いていることを知った人からは、「古くなった切手ですがまだ使えますので使ってください」と200枚もの切手をプレゼントしてくれた時もありました。人それぞれ何気なく届くハガキに目を通し、さりげない気配りを相手に出来る人は素晴らしいと思います。

 私の書棚にはかつて趣味で集めていた切手が沢山保存されています。やがて値上がりするかも知れないこれらの切手は、記念切手が多いため使う気にはなれませんから、多分これからもずっと書棚の一箇所を占領し続けることでしょう。

 今日届いた一枚のハガキを紹介しましょう。私の水産高校の大先輩の玉井恭介さんという人は絵心が素晴らしく、昨日人間牧場に案内した時もスケッチブックのような手帳を持参し、鉛筆で何やらスケッチしていました。官製ハガキの一倍半もある和紙製ハガキに人間牧場の眺望を書いて送ってくれました。絵を書けない私などは羨ましい限りですが、その人その人特徴があるのですから諦めず自分サイズで頑張りたいと思います。

  「今日受けし人間牧場絵に書いたハガキ一枚お礼文書く

  「五十円たった一枚の切手張りゃ日本全国くまなく届く」

  「俺の字はイボ字キレ字で汚いが人の心を感動させる」

  「ある女恋文つもりでハガキ出す妻何食わぬ顔して平気」

 

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suin-1さんの日記

○イかとタコ

 私の息子はサキイカが好きです。妻の買ってきたサキイカを食べながら先日妙な話をしました。「お父さんこのサキイカはどこの海で泳いでいたもんじゃろか」というのです。「そんなんお父さんにも分からん」といったら、「お父さんは水産高校の出身じゃないん」と偉そうに反論するのです。「じゃあお前は工業高校の機械科を出ているがこのハサミの原料である鉄は何処の国の鉄か知っとるか」と言ってやったら「そんな屁理屈知らん」と険悪になりました。まあ一事が万事次男の息子とはこんな他愛のないやり取りを繰り返す間柄なのです。

 しかし、息子の「イカの出身地」を聞いた質問を考えながら、サキイカの入った袋の裏を調べてみると、原材料は「マイカ」と書いているだけでイカの出身地は書いてないのです。袋詰めした業者の名前が家の近くの海産物屋であったので、ついでに立ち寄って聞いたのですが、店の主人も「私は袋に詰めただけです」とスルメより味もそっけもない答えが返って来ました。

 聞くところによるとこのイカは韓国から大量に入るのだそうですが、何処の海で泳いでいたのかは結局水産高校出身の私にも分からずじまいでした。

 昨日の夜食卓にタコの刺身がのりました。今度は先手必勝とばかりに息子に言ってやりました。「このタコ何処の海で泳いでいたか知っとるか」。息子曰く「双海の海じゃろう」。「何で知っとるん」。だって「下灘のおじさんが持ってきてくれたの見たもん」と小憎らしくいうのです。私の惨敗でした。しかし私も負けてはいません。タコの習性やタコの住処、タコの足の八本などなど様々なタコ知識を説明してやりました。息子曰く「さすが水産高校出身じゃねえ」の終わりに、「でもこのタコは泳ぐのだからどこの海か本籍は分からない」と一発かまされました。

 私たちが何気なく食べてるサキイカやタコの刺身も、実は突き詰めれば地球上で獲れているのですが具体的には何も分からず食べているのです。「これ何処で獲れたの」なんて、そんな疑問を持つと深みに入って行くので止めますが、地産地消やスローフードの時代です。少しだけでも考えて食べたいものです。

  このイカは何処で獲れたの息子聞く知らん分からん黙って食べよ」

  「タコは何故足が八本イカは十本俺が知ってる訳もないのに」

  「屁理屈を言った息子に負けまいとええ歳こいてムキになりつつ」

  「何故何故と聞くドラ息子孫似たり成長過程まだまだ知恵が」

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shin-1さんの日記

○道順は右か左か

 人生には色々な道順があって私たち人間は、何時も右か左か選ばなければ向こうへ進めない厳しい運命を持っています。その道順を間違えるととんでもない方向へ行ったり、時には「みんなで渡れば怖くない」の群集心理で撰ぶ事だってあるでしょう。例えば夜の寒い日に集会が計画されていたとします。風邪気味だったり、気が乗らないと「行こうか・行かまいか」悩むのは当然です。その場合「行こう」と決断したらプラス、「行かない」と決断したらマイナスを撰んだわけです。さあ会場へ着きました。早めに会場へ入れば席は余程のことがない限り自由席ですから、謙譲に美徳にあやかって後ろの席を選択するでしょう。多分その時の席選びの基準は「眠っても気付かれないような場所」とか、「仲間と隣り合わせの席」とかを単純に選びます。時には「あの人の近くは嫌だから」という人だっているでしょう。基本的に前の席を選んだ人はやる気のあるプラス、後ろは群集心理に弱いマイナスとしておきます。

 やがて集会が始まりました。普通の集会だと90分の講演があります。90分の講演の時間は大学の時間割が起源だといいますから、日ごろ聞きなれない大人にとって長い時間です。ましてや興が乗らないお義理参加や講師の話が面白くないとついつい眠りこけてしまいます。逆に進んで話を聞こうと思って参加した人は聞き逃してなるものかと思うでしょう。眠った人はマイナス、積極的にメモを取って聞いた人をプラスとします。このように僅かな時間でも右か左か心の持ち方の道順選びでプラスにもマイナスにも傾いて、一日の成果が積み重ねられて行く算段です。

 あるお寺さんで聞いた住職さんの説教ですが、世の中にはマムシ型の人間と乳牛型の人間がいるそうです。同じ水を飲んでもマムシは毒にして人を襲うし、乳牛は牛乳にして人様のお役に立つというのです。マムシ型は人の話を聞いても「私には関係ない」と思い、乳牛型は同じ話を聞いても自分に当てはめて考えます。大体世の中には乳牛型人間が9割、マムシ型のへそ曲がり人間が1割だそうです。あなたはひょっとしたら1割のマムシ型人間ではありませんか?。

 結局は人生左か右か、プラスかマイナスか道順の選び方ひとつで人生は変わって行くのです。ちなみに私は乳牛型、随分プラスの要因を積み重ねてきました。

  「どうしようそう思ったらプラスへと考え変えて進む肝要」

  「住職の話はためになるものと思う心が既にご利益」

  「ねえ後ろ席に座ろと誘う友余り付き合う価値のない人」

  「前の席詰めろと言う人後ろにて人の動向伺い詰める」

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shin-1さんの日記

○風当たりが強い

 今日はこの冬一番の寒さに見舞われ、山も海も大荒れの天気です。あちらこちらからメールで初雪の便りが届いています。わが町の背後に聳える牛の峰山のパラグライダーランディング場には白く積雪も見えるのですから、青い国四国といえども寒く、やはり今度の寒波は日本全体に及んでいるようです。

 今日は冬の季節風が人間牧場ではどの程度吹き付けるのか調べたくて、知人の玉井恭介さんを伴って山に上がりました。海沿いの風の強さに比べ山はそれほどの風当たりでもなく安心しました。普通「風当たりが強い」という言葉はその人への反対意見や反対者が多いことをいいますが、人間牧場への風当たりはそんなに多くないとお見受けいたしました。

 しかし今年の寒さは例年の暖冬に比べ少し強いような予感がしてなりません。初雪も早いし妻の勧めで今まではいたこともないパッチをズボンの下にまとっています。60歳を超えた私への配慮でしょうか、妻は最近とみに私の健康のことを気にするようになっています。義理の兄のガン手術や近所の年恰好も同じ様な人が入院したりするものですから、病気の予感がするのかも知れません。有難いことです。

 ストーブの用意をしないとこの冬は乗り切れないと思い、息子に薪ストーブを手配するよう頼んでいるのですが、一向に連絡がありません。今日5千円も出して新品のマサカリを購入しました。チェンソーで足を切った昨年夏の悪夢を教訓に、くれぐれも足を切らぬようマサカリの使い方は慎重にしたいものです。

 少し時間があるので木の根っこをおがしていると、ノミ鍬のクサビが何処かへ飛んでノミ鍬が使用不能となり今日の作業は木の根っこ一つも掘り起こすこともなく残念ながら断念しました。それにしても寒さ対策はやはり身体を動かすことが一番です。あれほどブルブルしていたのに体がポカポカしてきました。

 小さくても薪小屋を作らないとマサカリで割った薪の始末が出来ません。さて何処へどんな薪小屋を造るか思案中です。

  「空の雲水に映して寒々と何処まで行くか白き船たち」

  「光たる魚影の群れを目指す船カモメつれづれ長閑に走る」

  「空と海以外は見えぬ山の家座して静かに想いにふけりつ」

  「背もたれてあくびに昼寝これもまた人のうらやむ俺の生き方」

  「今思う昨日と明日それぞれに生きた生きよう短か人生」

 

 

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shin-1さんの日記

○子どもは地域で

 広島県で子どもが殺され、ダンボール箱で捨てられたショッキングなニュースは、外国人の犯人逮捕という警察の努力で一件落着しましたが、その記憶も失せぬ先日、今度は行方不明になっていた小学一年生の子どもが、茨城県の山中で刃物で刺され捨てられているのが発見されました。目を覆うような痛ましい子どもを巡る事件の続発に、果たして日本の行く末はどうなって行くのだろうと嘆かずにはいられません。一昨夜隣町で開かれた家庭教育学級講演会でもその話が話題になりました。

 最近は家庭教育の乱れが指摘されていますが、こうした事件が起きる度に子どもは学校や家庭だけでは守れない、むしろ地域に目を向けるべきとの指摘が出されるのですが、事件が遠のくとまた元の木阿弥といった感じです。親は夫婦共稼ぎで働きに熱中する余りに地域の防犯などへの参加や組織の役員にはなり手がないのです。そんな人たちがいくら「子どもは地域で守るべき」との結論を出しても、所詮は空念仏なのです。要は子どもを地域の宝と認識し、地域ぐるみの輪の中へ入って自らも役目を果たさなければ、子どもを守ることは出来ません。

 家庭教育学級に参加して思うのですが、講座は主に人の集まりやすい夜に行われます。7時から始まって8時頃になるとひとりまたひとりときまり悪そうに、こっそり会場から人がいなくなって行きます。聞けば午後8時は塾や習い事に行っている子どもを迎えに行く時間だそうで、私はそのことを察知して予定の時間9時を大幅に繰り上げ8時20分に話を終わらせました。すると堰を切ったようにわれ先に帰り始めました。お役所仕事だと家庭教育学級は時間目標が一回2時間です。でも現実は7時から8時までが最も集まりやすいのであればそうすべきだと思いました。

 事件が起こると人はハッとします。しかし何事もなければ何も考えず行動もしません。私たちは子どもを育てる認識として「百年生の木を植える」ような心を持たなければなりません。子どもは百年生きるのです。百年生きる木を育てるには水、空気、土、太陽、栄養の恵みが必要です。家庭や学校や地域をそうした恵みと考えれば、疎かにすると育たないという理論は誰にだって分かるでしょう。立派な木ばかりを育てる必要はありません。普通の木、普通の子どもを育てましょう。

  「学級に来たけど親はそわそわと塾へ迎えの時間迫りて」

  「事件起きその度親は一優し地域大事と盛ん言うなり」

  「PTA来るのは何時も母親で破れたブラジャー父が時々」

  「ガングロも一人前の親となり子に乳飲ませタバコプカプカ」

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shin-1さんの日記

○渋柿の不思議

 今年は夏から秋にかけて天候もよく、果物類の美味しさは格別で、ブドウやスイカは過去のものになりましたが、みかんやリンゴ、梨、柿などは甘みも強く、各地から季節の便りとして送られてきます。特に柿は愛媛県内にも産地が多く、美味しい柿が格安で食べれます。あちこちの店先には、篭盛りで300円などと表示された柿が売り場を独占しているような感じです。作った人のことを考えればこの安さはただ事ではないと思うのです。

 今年もわが家では吊るし柿を作りました。近所の八百屋さんに頼んで買い求めましたが、その明くる日知人がどっさり届けてくれました。「しもた。買うんじゃあなかった」と思っても、何時いただくか分からない品物を当てもなく待つことは出来ませんから、むいで軒先に吊るしました。妻が手際よく皮をむぎ、私がビニールの紐でくくり格好よくなりました。まるで暖簾のように軒先に吊るした吊るし柿は、まさに冬の風物とでもいえる風情です。

 子どもの頃、渋柿と甘柿を間違えて食べた時の口の渋さや、柿の「ずく」という熟れ過ぎた柿を食べて口に残った渋さを思い出しながら、渋柿の不思議を思うのです。

 吊るし柿は皮をむいで寒風に晒すとあのえもいわれる渋が甘みに変わるのです。自然が織り成す化学変化なので凡人の私には中々説明が出来ません。昨日から今年一番の寒気が日本列島に流れ込み、各地から初雪の便りが届くようになって、ここ双海町でも寒い季節風が吹くようになりましたが、この乾いた北風が美味しい吊るし柿を作るのです。

 最初にむいだ柿は早くも飴色になって、白い手袋をしてお乳を揉むように揉んでやります。そうすると益々甘みが増して美味しい吊るし柿が出来るのだと、おばあちゃんから教わった通りにやってます。

 甘いものに事欠く少年時代は甘くなるのが待てなくて、つまみ食いして渋さに口を歪めたこともありました。今の子どもは吊るし柿なんてご馳走でもなんでもなく、見向きもしません。時代の変化なのでしょう。

私たちが子どもの頃は「やれ何処そこの誰が柿を盗んだ」などと、今にして思えば他愛のない出来事が学校に苦情として持ち込まれ、盗んだというより柿を失敬した子どもが竹の鞭で先生に頭を叩かれたなんて話は、日常茶飯事のことでした。かく言う私もその一人で、悪ふざけをして随分先生に叱られ、雑巾バケツを持って立たされたことを覚えています。

 正岡子規の「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、いにしえ昔日の出来事になりつつあります。

  「柿熟れた下を歩くも見向きせず携帯電話メールするだけ」

  「父揉みと同じ動作で柿を揉む嬉し恥ずかし誰か見てるか」

  「柿取って隣の親父に大目玉そんな昔は夢のまた夢」

  「裏山にポツリひとつの木守り柿モズが啄ばむ冬の足音」

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shin-1さんの日記

○二人で分け合って別の物を食べれる幸せ

 私たち夫婦はこれまで、私が外食を好まないこともあってめったに外食はしませんでした。故にどの店が美味しいのか、人の話を聞いてもチンプンカンプンなのです。ところがつい最近、息子の結婚話や私の退職などで二人一緒に外に出掛けることが多くなったものですから、昼食程度の軽い食事をする機会が増えました。今日も友人の踊りを見るため妻に誘われて市民会館へ出掛けました。踊りが終わって折からの寒波雨にあったので、温泉へでも行くかと相談がまとまり車を走らせました。温泉は男湯と女湯があるので時間を決めて別々に入り別々に出てきました。久しぶりの温泉は寒さが身にしみたこの日はとても気持ちがよく、「いい湯だな」と歌いたくなるような雰囲気でした。

 夕方の小腹が空く頃だったので近くの日本蕎麦屋に入りました。二人は相談して私はかき揚げザル蕎麦大、妻は山掛け月見蕎麦を注文しました。二人はまず自分の好みの蕎麦を半分食べ、半分を取替えっこして食べるたのです。「まあきたならしいしお行儀が悪い」とお思いでしょうが、これが私たち夫婦にとってとても楽しい食べ方なのです。

 先日は私が寿司御膳、妻がサイコロステーキランチを注文しましたが、その時も左様な食べ方をしました。私たちの歳になると一つのものを沢山食べる腹は持っていませんが、少しづつ色々な物を食べたいのです。お蔭様で夫婦仲良く食事が出来るようになりました。

 食事をしながら思うのですが、体重の痩せた私と少し太り気味の妻の食事の量が、最近ではむしろ妻の方が少し多めであることに気付きました。ダイエットと言いながら。妻はそのことを「私のように働くものは食い力を付けておかないと」と舌も乾かないうちにパクつくのです。

 コーヒーの飲めない私は食後のコーヒーというものが理解できません。妻は食後のコーヒーは美味しいと注文します。こればっかしは半分こできないので私はタダのお茶を飲んで時間調整をします。やがてレジへは財布持ちの妻が支払いに向かいお店を出て一件落着です。驚いたことに最近ではお客商売とでも言うのでしょうか、ファミリーレストランや喫茶店でポイントカードやサービス券を出す所があって、妻の財布にはいつの間にかあれやこれや入っているようです。無頓着な私には出来ぬ芸当でしょう。でもいくら外食が嫌いだからといっても、妻の後片付けのことを思うと、たまには外食もいいものだと思うようになってきたshin-1さんなのでした。

  「飯は家そう決めていた頑固者近頃二人で恥ずかし食事」

  「私よりよく食う妻の下腹がまるで妊婦の生み月似たり」

  「簡便をしないと持たぬ会計をよくぞここまで妻への感謝」

  「石鹸がカタカタ鳴った風呂上り昔聞いたなそう神田川」

  

 

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