shin-1さんの日記

○雲海を見に行く

 日本の各地には自慢できる様々な自然現象があります。私の町の夕日がそうであるように、隣の長浜町(現大洲市)ではこの頃(晩秋)「あらせ」と呼ぶ朝もやが出て市街地を濃い霧で包みます。また同じ大洲市柳沢ですが寒くなった晩秋から初冬にかけて雲海が発生します。いずれもそこに住む人にとっては厄介者とされてきましたが、見方を変えれば「ひょっとして、これも観光資源になるのでは」と思うのは無理からぬ発想といえるでしょう。だって隣の双海町では何処にでもある夕日でさえ地域資源として生かして、成果を上げているのですから・・・・・・。

 そこで彼らはこれら霧のデーター集めを始めました。去年は、一昨年はと遡って調べてみると、最もよく見える時期が段々特定されて行ったのです。そこで考えたのが初発生の日を当てるクイズです。賞金を用意すれば誰もが関心を持ってくれるだろうと新聞に広告を出しました。まあこのアイディアもそれなりの効果を上げたようです。

 次はいよいよその現象が見える場所の特定と場所の整備です。長浜町では一望できる山の上に行政が嵐公園を整備し、柳沢でも展望台を作りました。結果は?と聞かれるのですが、皆さんはどう思うでしょう。

 このあらせと雲海には大きな欠点が二つありました。一つは特定されたこの場所が道が狭く不便で中々一般の人には馴染めないという事実と、日本人特に車に乗って見に来るであろう若い人の生活リズムが、朝型から夜型になっているという点でした。長浜町も柳沢も残念ながら地元の期待以上の成果を上げることは出来なかったし、今もそのことが重荷になっています。特に長浜町は折角投資した嵐公園に人が来ず、厳しい批判を受けました。しかし雲海展望所は少し違った経緯を辿っているようです。

 雲海展望所を造ろうと考えた「木・林・森夢倶楽部」(ひふみ会ともいう)の皆さんは、その展望所を無謀にも自分たちの力で造ろうと思い立ちました。様々な情報を集め宝くじ助成金や地元の寄付金、自己負担金を捻出しながら、勤労奉仕を続け見事に完成させました。

 昨晩「前夜祭をやるからぜひ参加を」という連絡を受け眠い目をこすりながら出掛けて行きました。聞いてはいたけどここまでやれるかと思わせる立派な施設が整備されていました。雲海展望所名物のイノシシ鍋も準備着々でした。酒を酌み交わすこの指止まれの仲間集団を見て、これぞ地域づくりだと思いました。彼らにとって雲海が出る出ないは二の次、自然の贈り物だから仕方がないと自然の力に畏敬の念を抱いていました。要は雲海を通して地域が元気になったのです。

 会長の平谷さんは私のフロンティア塾の塾生として足繁く塾に通い、交流によって多くのことを学びながら自分のスキルを高めてきました。私は平谷さんのような自立する人間を育てるために塾を開いたのですから、これ以上の喜びはありません。平谷さんにフロンティア塾の優等賞を贈りたいと思うのです。

 風呂も造りたい、花も植えたいと夢を語る平谷さんたち夢倶楽部の人たちに心を暖められ、雲海を見ることもなく未明の山道を一人帰りました。雲海が見れるといいね。

  「雲海を肴に雲海(焼酎)飲む仲間造りし館明かり煌々」

  「狸猫猪までも道案内深夜の山道向こうに灯かりが」

  「想いとは凄いものですこの館みんなの力で花に実がなり」

  「結局は気兼ねせずとも飲める場所造りたかっただけじゃないのか」

 

 

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shin-1さんの日記

○砂に絵を描く

 久しぶりに孫がわが家にやって来ました。昨晩から泊まりに来ていたのですが、私の帰宅が遅かったため孫はもう夢の世界でした。外が明るくなる7時前部屋がストーブで暖かくなったので起こしてやると、色々な話をしてくれました。3日前3歳の誕生日を迎えたのが余程嬉しかったのでしょう。先日までカニチョキチョキと二本の指で「2歳」と言っていましたが、早くも慣れない手つきで「3歳」「お兄ちゃんになったの」と得意顔で指サインをするのです。成長の過程でしょうか何故」「どうして」という質問も日増しに多くなってきました。

 深夜の仕事でお母さんが休眠中なので、孫を公園へ連れて行きました。今ではじゃこ天のおばちゃんや特産品センターの従業員ともすっかり顔見知りとなって、投げキッスをするサービスぶりで、公園は楽しい場所になっているようです。「おじいちゃん砂浜へ行こう」と私を海岸まで誘いました。丁度砂浜は干潮だったので綺麗な砂浜が一面に広がっていました。孫はそこら辺の波打ち際に打ち上がった棒切れを拾って、砂浜をキャンバスに絵を描くことをせがみました。勿論孫との合作です。飛行機、キリン、デンデンムシ、汽車、蛇などなど辺りかまわず濡れた砂キャンバスに絵を描きました。「じいちゃんじょうず」と褒めながら、孫も訳の分からぬ絵を描いているようでした。「これ何の絵」「これはカバ」「フウーン」。そういいながら書きましたが、子どもの想像は面白いと思いつつ約1時間遊びました。

 たこ焼きを買って食べ、「ほっぺたが落ちそう」などと大人顔負けの言葉を言い、小腹が太ったのでしょうか、「トイレへ行きたい」というので急いで連れて行きました。そうですもうオシッコもウンチもしっかりと自分で言えるようになりました。子どもは雨後のタケノコに似て日増しに成長します。私などはもう成長の限界に達し、登りきってもいないのに下り坂の心境です。それでも孫に負けないように少しだけでも成長をしたいと只今頑張っているところです。

 わが家に帰っておもちゃ箱からスコップと貝堀り道具を見つけ、「おじいちゃん砂浜へ行こう」とまたねだるのです。「海は寒い風がピューピュー吹いて風邪ひくからダメ」と、動かぬ身体は嘘をついてしまいました。ごめんなさい。

 「孫誘う濡れた砂浜キャンバスに色々絵を描くやがて波間に」

 「お姉さんそう言うたならいい物をあげると中年孫に強要」

 「何時の間にウンチオシッコ言い出したジジ馬鹿この子ひょっとしたら」

 「コマーシャル何処で覚えた孫言葉よーく考えようお金は大事・・・・」

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shin-1さんの日記

○みかんが安い

 昔わが家でみかんを作っていた頃は、収穫の季節を迎えると憂鬱な感じがしていました。当時わが家のみかん畑は車が入らず、重いみかんをそりに積んで道まで出していました。体力に物を言わせて20キロのキャリーを16箱も積んで引っ張ったことを思い出します。日曜や半ドンの土曜日になると母と一緒に山へ登って汗をかいたものでした。

 みかんを作らなくなってもう10年以上になります。今では近所の農家からおすそ分けのみかんが届き、美味しいところだけ味わい申し訳なく思っています。

 しかし今年は天気に恵まれ美味しいはずのみかんがどうしたことか安いようで、値崩れを立て直すため出荷調整するとのニュースが流れていました。出荷調整されたみかんは加工用に回され缶詰や真面目な愛媛のポンジュースに生まれ変わるのですが、加工用は値段が安く豊作貧乏とはこのことです。油や諸経費が上がるのに、成果物は下がるのではやりきれない思いでしょう。お百姓さんからは「もう百姓じゃあ飯が喰えん」という悲鳴が聞こえてきます。

 みかんはその土地の条件によって味が違いますが、先日友人から貰ったみかんはどれを食べてもほっぺたが落ちそうなくらい甘いものでした。丁度長野県から議員さんが視察に訪れていたので差し上げたところ、その議員さんも「こんなみかん食べたことない」と喜んでいただきました。こんな美味しいみかんが安いなんて信じ難い気がします。ビタミンCと持てはやされ、コタツに入って手が黄色くなるまで食べたのは、もう昔話となってしまいました。でもみかんはやっぱり食べ易い果物で美味しいです。今年も農家から分けてもらったみかんがわが家から、50箱くらいは国内のあちこちへ宅配便で届けられます。農家自慢のみかんをどうかご賞味ください。

 「このみかんひとつひとつを手で千切り手間暇かけてドッコイショ」

 「歌ったよみかんの花が咲いている思い出の道草に埋もれて」

 「聞きました双子みかんを食べたなら双子出来るとあれは迷信」

 「モズ突付くみかんは必ず上手いやつ鳥はどうして知っているやら」

 

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○わが町の風土と景観

 「風土100年景観1000年」という言葉があるように、風土や景観は長い長い年月をかけて形成されます。しかし1年一昔といわれる現代では風土も景観も100年、1000年といった長い年月どころか数年間で変わってしまう恐れがあるようです。風土はその地方の気候や地質・地形などの総合的な状態をいい、景観は景色、特に良い眺めと辞書には記されています。北国でさえ雪が積らなくなった温暖化や、私たちの町の漁師さんが見たこともないような魚が獲れると不思議がる異変も、まさに風土に何らかの変化が生じたからに他なりません。一年足らずで一山の緑が伐採されて裸山になったり、ブルドーザーが削り埋めて作ったニュータウンなど、地質・地形を無視した結果の災害は、まさに人間の身勝手が生んだ人災としか言いようがありません。変わらないといわれていた風土はこのように、日々刻々と人間の手によって変化しつつあるのです。そうした姿は当然景観にも現れ、遠望する瀬戸内海の島々にはまるでネズミがかじったような痛々しい土砂採取の跡が、無残な姿をさらしています。

 私が私の町の景観を意識するようになったのはそんなに昔のことではありません。20年ほど前夕日でまちづくりを始めた頃からでした。町が汚いことに気付いて花を植えたり掃除をしたり、蛍やメダカに熱中しソフトの部分で努力をしてきましたが、経済優先を旗印にハードな投資も随分考え公園などの人為的な施設を整備してきました。「何でそこまで」と良識ある人からは疑問の言葉をいただきました。確かにこの町は20年前と比べ見違えるように変身を遂げましたが、止むに止まれぬことだったとはいえ、昔の景観を無視したこうしたやり方に役場を退職した今、少なからず心を痛めています。

 まるで空襲警報だと悪評を外部の人から指摘されたサイレンの音は、穏やかな音楽サイレンに変わり、音景観は見えないものの見違えるようになりました。海岸国道の白く味気ないガードレールは16キロの殆どが、「自慢の美しい海が見えない」と難癖をつけてガードパイプに変えてもらいました。国道のあちこちに句碑を建てたり、松並木を造り修景にも気を配りました。またシーサイド公園の味気ないコンクリートの突堤は表面を石張りに変えました。これら全ては私の景観に対する意識の変化といえるでしょう。

 昨日全国街道交流会議が松山であり、私は分科会でこのことをパネラーとして発表しました。多分その分科会に集まった人の中には私の意見を確かめたくて、今日やって来るに違いありません。400メートルの一直線に造った人工砂浜が10年余りの時を経て、ものの見事にS字化している自然の力を私は驚きの目をもって見ています。私にしか見えない景観かも知れませんが、もっともっと景観という視点に磨きをかけて行きたいと思うこのごろです。

 「一の字がS字になつた砂浜を歩きしみじみ自然は凄い」

 「同じ海ガードレールの色だけで違って見える不思議発見」

 「わざわざと遠い町から夕日見に心染め去る仲間数人」

 「ハーモニカ小さいけれど束の間の音の風景心和ませ」

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shin-1さんの日記

○タクシーに乗る

 旅行に行った旅先では地理に不案内なので、時々タクシーに乗ることはありますが、地元や仕事でよく出掛ける松山などでは、酒を飲まなくなったため殆どタクシーに乗りません。多分一年以上乗っていないと思います。

 今日は午前中道後で開かれる県内校長会のシンポジュウムにパネラーとして出席するため、午後の会の都合もあって久しぶりにタクシーに乗りました。タクシーに乗るとその運転手さんは最近まで近隣の役場に勤めていた人らしく、何と私の名前を覚えているのです。「夕日でまちづくりをした若松さんでしょう」と、乗車するなり言うのです。驚いた私は「はいそうですが」と神妙に答えました。

 「タクシーはマイカーの普及で中々儲からない」とか、「一日中相手の乗ってくれるのをひたすら待ち続けるのは骨が折れる」とか、その道の厳しい現実を語ってくれました。

 最近は規制緩和によって2種免許の取得が容易くなったり、都会の大型資本によるタクシー会社の進出によって、タクシーの台数がかなり増えたそうです。そういえば、道沿いのあちこちにタクシーが無造作に駐車して、乗客を待っている姿をよく見かけるようになりました。またタクシーの駐停車が付近の交通渋滞を招き、社会問題化する騒ぎがあることも、新聞やテレビで報じているようです。マイカー側からすると迷惑なタクシーも、タクシーに乗って話を聞いてみるとまったく逆の立場の意見が聞けて、ある部分で同情する話でした。つまり人の話は右から見ると左に見え、左から見ると右に見えるということです。

 タクシー独特の匂いをかいでいると、酒によってタクシーで家まで送ってもらった酒飲み時代の思い出が懐かしく蘇ってきました。タクシー代は普通現金で払うのですが、今日は相手からチケットを送ってもらっていたので、大名気分で運賃をチケット払いにしました。縁は不思議なものでその運転手さんとの会話が弾んて、降りる時帰りの迎えを約束してしまいました。

 やがて集会が終わり皆さんに送られて玄関でそのタクシーを待ったのですが、時間が過ぎてもそのタクシーはやってきませんでした。携帯でタクシー会社に電話したのですが、「後4~5分で行くから」だけでなしのつぶてです。仕方なく別のタクシーでその場を去りました。その運転手さんは女性だったので、心のもやもやは多少薄れましたが、約束を守らなかった運転手のことが今も気にかかっています。多分途中で人を乗せたか、いやひょっとしたら渋滞に会ったのかもと思うと心配です。儲けそこなった男の運転手と、儲けた女の運転手の今日の運勢はまったく逆となってしまいました。

 私たちの運勢もこのように、いつ逆転するか分かりませんが、せめて幸運をつかむ努力はしたいものです。

 「予約したタクシー来ぬと大慌て代わりの車女性だにやり」

 「世の中は狭いものです運転手私の名前知っている人」

 「その先を右へ左と言いながら知ったかぶりで道を間違え」

 「生活が苦しい話聞いたのでチケットに添えそっとタバコ代」

 

 

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shin-1さんの日記

 今朝新聞受けに行って新聞を取り込みましたが、最近は新聞の薄さ(質・量おも)に対して何と織り込みチラシの多いことでしょう。かつて私は観光の仕事をしていたため、折り込みチラシを作っては販売店に折り込みのお願いに行ったものですが、折り込みは一枚2円程度の手数料が必要なのです。今朝は10枚もありましたので、私の家だけでも20円の折り込み料金が使われた計算になります。皆さんがおっしゃるのには「新聞はとっているが折り込みを頼んだ覚えはない」と言うのです。またある人は「折込みが紙ごみを増やしています。もっと規制をしたら良いのに」とも言われます。両方の意見とも納得なのですが、一方賢い主婦は折り込みチラシに書いてある特売や時間安売りなどをちゃっかりメモって、暮らしに生かしている方々もいるようです。また折り込みチラシを加工してインテリアにして、暮らしに彩を添えている人にも出会いました。

 最近の折り込みチラシは無造作に作られ無造作に配られているように見えますが、人の目を引くような工夫が随所に凝らされ、自分が折り込みチラシを作るときの参考になるようなものがいっぱいあるようです。

 折り込みチラシで気になるのはダイエットと消費者金融勧誘と人生悩み相談です。「一ヶ月で10キロ痩せた驚きのパワー」などと書かれたチラシを見れば、肥満に悩む特にお年頃の人は藁おもすがる気持ちになるのは当然でしょう。「私はこうしてダイエットを勝ち取った」と写真入で喜びの声を見ると、「私だってひょっとしたら」と思うはずです。結局は高いお金を出して薬を飲んだが、痩せるどころかやつれた人を何度も見てきました。消費者金融は年利30%に近い金利を取られるのですが、「保証人なしで即決」などの文字を見れば、金に困った人は誰だって飛びつくはずです。人生相談も不安やストレスの多い現代では儲かる商売だといえましょう。

 しかしこれらの殆どの商売が実体の無い信じがたい世界なのです。だからもめ事が多発し、告発や訴訟といった騒動になっているのです。

 上手い話には必ず落ちや裏があります。折り込みチラシが無ければこんなことにはならなかったと思うのではなく、折り込みチラシという多数の情報の中から、いかに良い情報を取り出して生かすかが問われているのです。動かないと痩せません。お金は働かないと儲かりません。人生は自分との戦いなのです。

 妻は今朝のチラシに一通り目を通しながら、「あっ、これ面白そう」と金物屋の広告を見つけました。「今度暇を見つけて見に行こう」と誘ってくれました。「これ買おう」ではなく「これ見に行こう」の発言は、さすがわが妻です。うちの大蔵大臣も捨てたものではありませんね。

 「チラシ見て全部買ったら自己破産お茶飲みながら財布を覗く」

 「下腹が気になる妻の言うことにゃこれで痩せたら苦労はしません」

 「あれこれとチラシが誘う買い心買えないのじゃなく買わないのです」

 「紙ごみと思ったチラシインテリア暮らしの達人何処にでもおり」

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shin-1さんの日記

○寂しくなった商店街

 日本全国のどの街もそうですが、別名シャッター通りといわれるように商店街が寂しくなりました。道の発達と車の普及によって便利になり、郊外や都会の店に客を奪われてしまったからです。馴染みのおじさんやおばさんが店番する長閑なお店も今は殆どなく、商店街にポツンと残されたようにある店さえも「もうわし一代」と嘆くように、存続は時間の問題かも知れません。私の町でも頑張っているお店は、国道沿いのコンビニと、月に一度必ず通う散髪屋さんくらいなものです。

 昔あったが、今は無いお店を思い出してみると、桶屋、下駄屋、うどん屋、塩屋、豆腐屋、鍛冶屋などが頭の中に、少年の頃の思い出として浮かんできます。

 桶屋は正目の杉板がうず高く積まれた仕事場でおじさんが板を削って継ぎ合わせ、割竹をくぐらせて作った輪の中で組み合わせ、見事な桶を作っていました。下駄屋は桐板を割ってハマや鼻緒をつけていました。切れた鼻緒を直してくれたり、高下駄を鳴らすバンカラ風な格好をしたこともありました。うどん屋の店先ではおじさんが手動の機械を回しながら、板状のうどんを何度も機械にかけ、やがて暖簾のようなうどんを鋏で切って釜に入れ茹いていました。塩は当時専売でしたので、今のようにどの店でも売っていませんでしたから、藁で作られたた塩カマスの中から枡で量り売りしてくれました。このお店は塩くらいでよう生活できるなあと思ったものです。豆腐は今のようにパックに入っていませんでしたから鍋を持って買いに行きましたし、おばちゃんが豆腐箱を下げて「豆腐は要らんかな」と売り歩いていましたが、大豆が豆腐になる不思議な謎は大きくなるまで解けませんでした。鍛冶屋のおじさんは頑固者で、鍬の修理に行っても機嫌が悪いと中々直してくれませんでした。天井から引いたベルトがクルクル回り、鉄槌機が真っ赤に焼けた鉄を音を立てて打っていました。

 桶屋はプラスチックに、下駄屋は靴に、うどん屋はインスタントに、塩屋は不専売に、豆腐屋はスーパーに、鍛冶屋は日曜大工店にそれぞれ取って代わられました。商店街のあちこちから聞こえた音の風景、匂いの風景、物の風景、手仕事の風景、活気の風景が姿を消しました。出来ればそんな思い出を語ったり記録に残して置きたいものですが、今では適わない夢かもしれません。

 先日出版会社から古い時代の写真集を出すから手伝ってくれないか相談がありました。頼る人もないというので無理やり引き受けさされましたが、その写真には様々な村や町の思い出が凝縮され、キャプションを書きながら一人少年の頃にタイムスリップしていました。

 「ぬかるみを藁の草履でパタパタと背中シリバネ頭の上まで」

 「クルクルと鉄を削って出る屑の余りの綺麗さに少し貰って」

 「下駄鼻緒布を破って修理した淡く生まれた恋もはかなし」

 「一升瓶下げて親父の酒を買う樽からトクトク音と香りが」

 「タガ取ればただの板だと口上を言いつつ桶屋木元竹裏」

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shin-1さんの日記

○幼稚園から老稚園へ先祖返り

 「這えば立て立てば歩めの親心わが身に積る老いも忘れて」。この言葉のように親は子どもの成長を願って一生懸命子どもを育てますが、子どもが一番最初に行くのは保育園か幼稚園です。私たちが小さい頃わが町には幼稚園も保育園もなく、いきなり小学校でした。子どもは大きくなるにしたがって様々なことを学ぶのですが、今日地元の高齢者サロンという事業に自治会長として事業に参加し、高齢者を相手に指導員さんがしているレクリェーション指導を見て、まるで幼稚園や保育園でしているお遊戯と一緒であることに驚きました。今日の高齢者の行動を見る限り、これは幼稚園ならぬ老稚園ではないかと、高齢者には大変失礼ながら私流に「老稚園」という新語を作らせていただきました。

 民生委員をしている妻の主催で始めた高齢者サロンに集まった人は20ほどでしたが、高齢者の対応には慣れている私に協力を求められたので参加しました。顔見知りの近所のおじいさんやおばあさんばかりなので、いきなり会話が弾みます。「最近は耳が遠くなるし生きとってもちっとも面白くありません。一人身では会話も限られていて言葉を忘れそうです」と嘆く人もいれば、「耳が遠くなりましたが、いらんことも聞こえなくなって丁度いいです。でも悪口は何故か良く聞こえます」と洒落た会話もありました。「耳が遠くなっただけ小便が近くなりました」と笑わせるおじいさんもいて華やいだ雰囲気でしたが、レクリェーションは幼稚で間違いやゆっくりペース、それが逆に面白い雰囲気をかもして結構楽しい集会でした。

 この集会で一際目に付いたのが漁協女性部の皆さんの踊りでした。銭太鼓やドジョウ掬い、小網音頭など、一座を組んで町内各地の催しを巡回して回るのです。勿論ボランティア活動で無報酬です。富岡喜久子さんという責任者を中心にシーサイド公園でじゃこ天のお店を開いて頑張っている、その恩返しだと言うのですが、これが中々の玄人はだしで、見応えがありました。その崇高な精神は見上げたものだと感心しました。感謝と真心をじゃこ天に乗せて売る口コミ商売は、さすが55百万円の売り上げを誇るだけあるなと、感心しました。

 こんな世知辛い世の中で頑張っている漁協女性部の皆さんに大きな拍手を贈ります。

 「じゃこ天を売りも売ったり五千万感謝を込めてこれぞ本物」

 「大漁を喜ぶ浜の猟師あり魚は弔みすず言うなり」

 「耳遠く小便近くなりにけり足す引くお相子だから生きれる」

 「ジジババの仕草はまるで子どもです先祖がえりと思えば納得」

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shin-1さんの日記

○たかが名刺されど名刺

 まちづくりに関わって以来、長年慣れ親しんできた夕日をあしらった名刺がなくなりました。双海町というまちを売り出すために考えた夕日の名刺も、多い月には600枚、年間7,200枚くらい使う驚異的な枚数でした。今年の4月に退職後も無職ながら夕日の台紙で通しました。この半年余りで1,000枚を使い、この程名刺がないことに気付き、役場と印刷屋に掛け合ったところ台紙がないというのです。明日から始まる全国行脚にさてどうしたものか思案をしてますが、只今名刺がないと自分だけではなく夕日を売り出せないジレンマに陥っています。「夕日のミュージアム名誉館長」という肩書きがあるのですから、その線で役場へプッシュも考えましたが、大人気ないので思い切って自費で作ろうと決意しています。というのもよくよく考えてみると退職後まで、自分と町の関係を引きずって生きてるような後ろめたさがあったからです。夕日さえももう自分のものではないのです。しかし私が夕日の宣伝をしなかったら、この町や夕日を誰が真剣になって売り込むのか不安もあります。「あなたの心配することではない」と言われそうです。

 たかが名刺と思われるでしょうが、小心者の私?ですから昨日はそのことが頭から離れませんでした。発想の転換で名刺が切れたのを機に、今度作る名刺には思い切って「人間牧場主若松進一」と書くことにしました。差しあげた瞬間「えっ、人間牧場って何ですか?」と言われそうで話題の広がりを予感しました。台紙は夕日かそれとも出来上がった水平線の家にするか迷っていますが、過疎逆の和田さんが書いてくれた似顔絵を使うも一考です。しかし似顔絵と男前である本物との落差に思わず噴出してしまう危険性もあります。漫画チックに渡辺えつこさんが岩国で書いてくれた色紙も・・・・・・。ああー迷うなあ。男前は辛いなあ。

 今までの名刺にはEメールやホームページアドレス、それに携帯電話番号は載せていませんでした。個人情報が気になるところではありますが、交流の広がりを考え思い切って載せます。今や私にとって自宅の住所・FAXよりもパソコンの方がはるかに頻度が高い交信手段なのです。でもこうしたデジタル社会でありながら、毎日三枚のハガキ実践対応はどうしても現住所も必要不可欠なものです。

 結局結論の出ぬまま朝を迎えております。差し当たり新しい名刺が出来るまで、今日から一週間は「えひめ地域づくり研究会議代表運営委員」の名刺やそこら辺をかき集め対応したいと思っています。

 「底ついた名刺に驚き電話するピシャリ営業それはもうない」

 「何気なく使った名刺の夕日さえわが物でなき気付き遅れて」

 「太閤は夢また夢と言ったけど私の夕日も夢のまた夢」

 「新しき名刺に書いた牧場主話広がる夢を見つつも」

 

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shin-1さんの日記

○お葬式とまちづくり

 世の中には変わった学生がいるもので、何と卒論作成に「お葬式とまちづくり」なるテーマを掲げている学生に出会いました。今日はその学生2人がはるばる高知県から勉強のためにやって来たのです。私も前々から民俗学で葬式のことを書こうかと思っていた矢先のことなので快く対話に応じました。

 私が子どもの頃のお葬式はもっぱら土葬で、おじいさんが死んだ時は、海の見える墓地まで急な坂道を棺おけ担いで登りました。組内の人の掘った穴におじいさんの棺おけを入れて土をかけた時、「ああ人間は土になるのか」と幼心を痛ませてそう思いました。初七日までの毎夜ローソクの光をつけに墓地まで行くのですが、この土の下におじいさんがいると思うと、ボチボチどころか怖くなって、心臓が張り裂けるくらいの速さで墓地に通じる山道を駆け下りました。おじいさんは人徳のあった方らしく、葬送の列が墓地まで長く続いていたことも忘れません。セピア色にあせてはいますが、私の思い出の彼方におじいさんのお葬式の姿は今も鮮やかに残っています。

 お葬式に関しては学生がテーマにするように最近では様変わりしました。土葬から火葬へ、自宅からセレモニーホールへとやり方も場所も随分変わったように思います。正しいデーターはとっていませんが、学生が言うように、お葬式の変化はまちづくりやコミュニティのあり方と、相関関係があるのではないかと思えるのです。私たちの町では限界集落が多くなりつつあり、お葬式さえも組内で支えきれない所もあると聞きます。またお年寄りが病院へ入院するのをためらうのは、病院で死ぬとセレモニーホールへ直行し、住み慣れた家へ帰れないからだとも聞きました。せめて通夜だけでも自分の家でと願うお年寄りの気持ちは痛いほど分かるのです。

 「世の中全て金次第」、いやひょっとしたら「地獄の沙汰も金次第」なのかも知れないと思うと何かしら侘しくなります。

 昨日こんな話を聞きました。ある一人暮らしのおじいさんが亡くなりました。今は忙しい人ばかりだからでしょうか、葬式が終わるのその日のうちに49日の法要を済ませるようです。財産は民法で決められたとおり、均分相続することになって誰も文句を言わず分け前を受け取ったようですが、さて位牌を誰が引き受けるかもめた末、結局は引き取り手がなくお寺に預けることで一件落着したそうです。「財産は欲しいが位牌はいらない」という何とも身勝手な社会は、私のような古い人間にはどうしても理解ができません。あなたはどうお考えでしょう。

 学生はまだお葬式とまちづくりの関係についてよく飲み込めていないようでしたが、私の葬式論に舌を巻いて帰りました。「君なら必ずいい論文が書ける」と激励して分かれました。いい論文が書けるよう祈っています。

 「葬式は今も昔も一里塚土葬と火葬違っていても」

 「死んだはずどっこい母は生きている心のどこかで私見守る」

 「葬式を卒論テーマにする学生何を学ぶか今から楽しみ」

 

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