shin-1さんの日記

○土の香り

 今年の冬は寒波が度々やって来て、新潟県津南町では3メートルを超える積雪だと報じられています。綿のようにふわふわした雪も積もって水分を含むととんでもないような重さになって屋根を押しつぶし、尊い人命が50人を超えて奪われたといいますからただ事ではありません。特に独居高齢者の家では雪かきもままならず、苦悩の色がありありで正月早々暗い影を投げかけています。

 今日は人間牧場の畑を耕しに出かけました。南国四国だというのに日の当らない畑の影には白い雪が申し訳なさそうに残っていましたが、春の植え付けの準備のために土を地掘り鍬で掘り返し、根や雑草を取るのです。勢いを込めて土に挑むのですがいかんせん体力の落ちたこの腕ではカズラの根などそう簡単には掘り起せないのです。それでも急斜面の畑を少しずつ少しずつ焦らず掘り進んで行きました。

 北国は地面など見えぬほど雪が積もっているのに私の畑は黒々とした土がどんどん出てきます。山百合の球根などはもう春の芽吹きの準備なのでしょうか少し赤くなった芽が出ていました。

 土の匂いは何ともいいものです。鍬で掘り起こす度にプーンと匂ってくるのです。「どんな匂い?」って言われても土の匂いは表現が難しく、結局は「土の匂い」としか表現できないようです。

 時折粉雪舞うあいにくの天気で、地下足袋からは冷たさが体に伝わり、途中で止めようと思いましたが、身体はポカポカとして汗ばむほどでした。寒い冬はコタツやストーブの番をするより、やはい戸外で身体を動かす方が気持ちがいいものです。軽い昼食をはさんで4時まで作業をしたお陰で、狭い段々畑2枚が綺麗になりました。この分だと春の作付けまでには何とか間に合いそうです。

 畑を耕しながらふと沖合いに浮かぶ周防大島辺りに目をやりました。今日の大島は海を渡る雪雲にさえぎられてかすんで見えましたが、あの大島で民俗学者宮本常一はどんな気持ちで畑を耕したのだろうと思いました。農作業の基本である土を耕しながら何かを感じたに違いありません。日本のこと、島のこと、自分のこと、将来のことなど、色々なことが頭をよぎりました。

  「鍬打ちて荒れた畑を耕しぬあれこれこれ思いつひいふうみいよ」

  「冬眠の蛙ミミズが迷惑と言わんばかりに土の中から」

  「修養と思えば鍬も軽々と二枚の畑新地のように」

  「冷たさが履いた地下足袋襲い来る小雪舞い散る段々畑で」

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shin-1さんの日記

○一秒一分1時間一日

 電卓を叩くと実に面白いものです。たかが1万円弱のお金で買った使い古しのソーラー型電卓ですが、もう20年以上も使っているというのに壊れもせず、外の光はおろか蛍光灯の光にも反応して、何の電源も持たずせっせと働いてくれるのです。新しい年が始まって今日で一週間が経ちました。今は7日の7時ですから2006年は8760時間の内の151時間も消化したことになります。543600秒・9060分・151時間と電卓は正確に時の流れを数値化してくれるのですが、その間私はおおむね一日5時間寝るとして30時間寝て、毎食事を3時間とすれば18時間食事をしてきました。結果的には103時間を時にはパソコンに向かい、時には人と出会ったり、雑事に追われて暮らしてきたのです。

 私は大まかな生活の目安としてここ数年間、シーサイド公園の清掃を毎朝3時間やろうと心に決めて早起きに心がけました。また2000年からは、朝1時間余りは決まってパソコンの前に座って思いつくまま日記風のエッセイを書いてきました。特にこの4ヶ月間はブログと出会い書き綴ってきました。これも数値化すると4ヶ月で120時間以上の成果となりました。時は金なりといいますが、私にとって刻み続ける今日一日の24時間、1440分の使い方は自分の人生を決める、いわば一秒一分の積み重ねが一日であると、電卓は私にメッセージを送ってくれるのです。

 私は凡人ですから賢人のような日々は残念ながら暮らせません。ゆえに毎日「あーしもた。こんなことするんじゃあなかった」といつも後から後悔します。「今度は絶対失敗しないぞ」と思って望んでも、また同じような失敗を繰り返してしまうことだってあります。でもその日のうちに反省し、その日のうちに自分に言い聞かせ、出来るだけその日のうちに対策を講じると、失敗の数が段々減って行きます。その結果塵も積もれば山となって成果が上がります。

 居間の日めぐりも6枚が破られ、7の数字が顔を出しました。明日からまた新しい一週間が始まるのです。

  「一生は一分一秒の積み重ね一日大事おろそかせずに」

  「時は金金は失せても返せるが時はもどらぬ肝に銘じろ

  「過ぎし今近づく今と今はある今の連続俺の人生」

  「昨日悔い明日を憂える人がいるそんな暇ありゃ今を楽しく」 

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shin-1さんの日記

○あなたはどのレベル

 自分のレベルは一体どの程度だろうと思ってみても、誰と比較してとかどの時点と比較してとか、絶えず比較対照となる人や時点がなければレベルを計ることは難しいものです。これも生涯学習の資料に載っていたものをメモしていたものなのですが、特に生涯学習は人間の値打ちという物差しでも斤量でも計れないものを計ろうとするのですから、基準となる方式を作らなければなりません。

 その資料によると人間の成長方式には次の6段階があるそうです。これはかつて習った有名なマズローの欲求階層説に似ています。

 ①動物レベル

 ②近代人レベル

 ③移行レベル

 ④バランスレベル

 ⑤本物レベル

 ⑥識者レベル

 ①の動物レベルは良心なく目先のことや自己中心的な人間です。

 ②の近代人レベルは良心はあるが金銭欲、物質欲、権力欲、快楽欲求で麻痺して自己中心的、反社会

   的行動に走る人間です。

 ③の移行レベルは自己中心的だが反社会的行動をとらない人間です。

 ④のバランスレベルは自我欲求と公欲のバランスがとれている人間です。

 ⑤の本物レベルは他人の足を引っ張らない、信頼できる、マクロな判断が出来客観的に行動できる人間 

   です。

 ⑥の識者レベルは自我欲求皆無な人間です。

 さて私はどの程度まで自我が高まっているのだろうと、この際テストしてみてください。またあなたの周りの人間の顔を思い浮かべながら、当てはめてみるのも面白いかも知れません。しかしその結果については決して他言無用にしなければ、いらぬ揉め事になっても知りませんよ。

 大切なのは自分のレベルの発見です。自分がどのレベルの人間なのか分かれば、次のレベルを目指す明確な目標が見つかるからです。このレベルを見て子供時代の通知表を思い出します。6なんて最高点は取れなくても、せめて3か4ぐらいの人間にはなりたいものですね

  「さて俺はどんなレベルか自らに問うと答えはえ潜水艦」

  「せめて5のレベルぐらいはなりたいな思うんだったら今から努力」

  「レベルよりラベル気にする人多しレベル上げればラベル自然と」

  「その歳でまだ生きたいと我欲あり死欲よりまし逝けば帰れず」

  

 

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shin-1さんの日記

○発想の転換

 若者のよく利用するお店にコンビニがあります。私たちの町のような田舎にはコンビにも1軒しかありませんが、松山周辺に行くとこれでもかといわんばかりにコンビニがあり、視界の中に3つも見えることだってあるのです。先日田舎出身の若者に会ったら、「俺の村も田舎だと思っていたらコンビニが出来ちゃって」とうれしそうに自慢話を話すのです。若者の暮らしは最早コンビニなしでは立ち行かないのかも知れません。

 しかし、コンビニ社会を支えるエコノミック発想もこれからはひょっとしたら変化するかも知れません。

 エコノミック発想の基本は、①もっと使わせろ、②もっと捨てさせろ、③無駄遣いさせろ、④季節を忘れさせろ、⑤贈り物にさせろ、⑥きっかけを投じろ、⑦流行に遅れさせろ、⑧気安く使わせろ、⑨混乱を作り出せだそうです。これらの条件のどれもが人間を無視し自然を無視した状況であることに、日本人の殆どは正直まだ気がついていません。気がついていても「私一人でこの大河の様な時代の流れを止めることはできない」と諦めるでしょう。しかし、「俺がやらなきゃ誰がやる」の気概を持った人が出なければ今の日本は変わらないのです。

 私の父は88歳になりますが、発想の豊かな人間です。今日もこんなことがありました。私の家には私設公民館「煙会所」と海の資料館「海舟館」という二つの私設があります。その真ん中に通路があるのですが、冬になるとその通路を北西の季節風が容赦なく通り抜けます。父は何を思ったのかこの通路に廃材のサッシで防風んための戸を私の知らない間に入れました。私は格好が悪いから止めろと言ったのですが、聞く耳持たない親父はそのまま作業を続行しています。親父の発想は「風が吹きぬけて寒いから風を止める」から始まります。そして金をかけず風を止めるには集めた廃材サッシを使い自分で作業することを選んだのです。私だったらまず「格好」と周囲を気にしますが、父はあくまでも自然の風と向かい合っているのです。結局は親子の意見の食い違いの溝は埋まらず、春になったら取り外す約束で認めざるを得なくなりました。風は強風から微風に変わりましたが、今年の寒さが尋常でないだけに助かりました。やらないことをやれないといってる私よりよっぽど発想も実践もしっかりしています。この分だと90を超えて生きることでしょう。

 発想はやはり自然体、疑問を知恵の原点にする。その知恵を実行に移す。いい見本が側にあります。親父の3分の1も年齢が若いのに、発想は父の足元にも及びません脱帽です。

 風が吹く。この風で風車を回したら電気が起せる。風車を作りたい。金が要るから止めとこう。まあ現代人の私たちの発想はこんなものです。

  「芋食うて出るガス生かせばガスボンベ買わずにすむと思った昔」

  「この知恵は金になるかも知れないと思う瞬間アイデア枯渇」

  「偉そうな口は叩くが手や足は動かず終いのアイデア倒れ」

  「散る葉っぱ商品にして大もうけ誰でもできそう誰にもできぬ」

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shin-1さんの日記

○タバコをのまない人には理解できない風景

 私は生まれてからこの方タバコをのんだことがありません。高校生の時先輩からタバコをのめと言われ拒否したら殴られました。それでも私はたばこをのみませんでした。高校の同級生がタバコをすっているのがバレて謹慎処分を受けた時も、「タバコで謹慎処分なんて馬鹿らしい」と言った記憶があります。

 昔から「タバコは百害あって一利なし」といわれますが、今はタバコを吸う人を蔑んだりしないし、同じ部屋でタバコを吸われても別に嫌だとは思いませんが、今日市役所に所用で行った時、ある住民から「あなたは役場の職員だったのだから外でタバコを吸っている人に注意しなさい」と唐突に言われました。その人の言うのには「市役所の外で職員が灰皿の置いてある場所にたむろしてタバコを吸っているのを見て、あなたは何も感じないのか」と言うのです。「気がついたら自分で言いなさい」と言いたかったのですが、それも出来ず、少し後ろ髪を引かれる思いで帰って来ました。

 市役所は多分禁煙でなく分煙だと思います。灰皿のある喫煙場所での喫煙は認められているのです。喫煙者の権利に配慮したこの判断は正しいと思うのですが、さて昼食時や休憩時ならいざしらず、仕事中に吸うことは如何なものでしょう。役場を辞めた私は極力役所には行かないようにしています。何故ならかって私が役場に勤めていた頃役所を退職した先輩が、朝な夕なやって来て、やれコーヒーを入れてくれとか、この仕事をしておいてくれとか、こちらの忙しさもお構いなしに土足で踏み込んで来られたものですから、私はあんな先輩にはなるまいと心に決めていたのです。自治会長をしているので呼ばれたりしますが、その場合もカウンターの外で極力要件を済ませることにしています。

 合併して9ヶ月が経ちました。人事交流とかで旧他市町から来た職員も、最初は緊張からか控え目な行動でしたが、今は時間中m堂々と喫煙するようになって、喫煙場所は沢山の人が群がっているようです。ある人がこれを見て「タバコを吸う時間の給料を差し引いたらいいのに」なんて話していました。

 タバコは嗜好品で、タバコを吸うと精神が落ち着くことは仕事の能率を上げる意味からも大切なことですが、だからといってむやみやたらと時間中に飲むのも如何なものでしょう。

 そこで提案です。合併によって支所化された役所は空き部屋が随分できたはずです。どこか一室を喫煙室にして、集煙機を置いてあげると見た目にもいいのではないかと思うのですが・・・・・・・。

  「時間中外でタバコを吸い駄弁るあんたの時給幾らですやろ」

  「スパスパとタバコ飲めたは昔事今は肩身の狭い思いで」

  「止められぬおかしい俺は七回も止めたぞタバコ今度は禁酒」

  「胃を切るが酒は別腹飲み始めいのち縮むは側の奥さん」

  

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shin-1さんの日記

○笑いのある人生

 私は駄洒落が大好きです。少し変な雰囲気になった会合でも駄洒落を連発すると、「寒むーい」なんて時もありますが、殆どは会場が和んだ雰囲気になるものです。笑いのない人生は「クリープを入れないコーヒー」と同じで、まろやかさがありません。でも笑いって本当に奥が深いと思います。

 最近のテレビのお笑い番組は、殆どが下品でどうしても笑わせようとする姿がありありで、時にはやらせが問題になることすらあるのです。品の良い笑いは相手の心が思わず和むものなのです。

 今日の新聞に萩本欣一さんの面白い言葉が載っていました。萩本さんはかつて坂上二郎さんとコンビを組んだコント55号として、お茶の間の人気者でした。萩本さんに言わせると「笑いは風」だというのです。「空気や水はないと困るけど笑いはなくても生きていける。でも風と同じで絶対にあったほうがいい」そうで、的確な表現だと思います。

 萩本さんは野球のクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ監督を務めています。笑いと野球は水と油のような関係だと思うのですが、野球に笑いを取り入れ、キャンプ地に活力を与えたり、野球の楽しさを確実に増やしているのです。

 「風は強すぎると害になり、風鈴を鳴らせば喜ばれる。笑いは風だから心地よければいいが、それが難しい。生涯勉強なんです」という、お笑いプロの萩本さんの言葉は深い意味があると感じました。私たちは日々の暮らしの中で、どれ程相手の心を和ませる笑いの心を持っているでしょう。

 先日生涯を独身で通している町内の女性に出会いました。「若い頃は連れ添いも子どももいない暮らしは快適でした。人はチヤホヤしてくれるし、儲けたお金は全て無駄がなく全部自分の自由になる、これほど楽しいことはありませんでした。正月など気の会った仲間と旅に出て美味しいものを食べ楽しかったです。でも定年になって自分の暮らしが一変しました。周りを見たとき自分の話し相手がいないのです。そして自分が一年中殆ど笑わないで暮らしていることに気がついたのです。今頃気がついて、多分若気の至りだったのでしょうが、寂しい人生だったと反省しています」

 この話を聞いた時、笑いのない人生がいかに味気ないかしみじみと考えさされました。

  「ラッキョウが転げて笑い屁で笑い笑い絶えないわが家明るし」

  「電気つけ幾ら明るくしたとても笑い消えたら真っ暗闇です」

  「ひょっとことおかめの顔したわが夫婦だから今日まで面も取らずに」

  「孫ひとり増えただけでも百ワット明るくなったよワッハッハのハ」

 

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shin-1さんの日記

○辛さと幸せ

 この2字を見てよく似ているなあと何時も思います。鍋蓋と土蓋だけでこうも意味合いが違うものなのでしょうか。鍋蓋は辛いと読みます。鍋の中のお湯がグラグラ煮立てば熱くてたまらなく、本当に辛いのです。一方土蓋は幸せと読みます。人の名前にも幸子という名前が付いているくらい人々は幸せを求めています。多分土の持つ温かさや包容力、植物を育てる土の力が幸せをもたらすのだと思います。

 私たちは仕事をする場合、人に命令されたりその仕事に身が入らないと辛さを感じます。一方自分の意思で使命感に燃え進んで仕事をすると幸せ感を味わうことができます。辛さと幸せのどちらを与えれば仕事の効率が上がるかは誰が考えても一目瞭然ですが、実は世の中幸せに暮らしたいと幾ら思っても以外と辛いことが多いのです。

 私の経験でも辛い仕事は随分ありました。町を二分するような町名変更騒動を担当した時は、側で見かねた妻が「そんな辛い仕事なら辞めたら。私も働くから」と助け舟を出してくれました。今考えても辛い仕事だったと思います。まt夕日をまちづくりのテーマにすえ、シーサイド公園を建設する時も「何処にでもある夕日が何故双海町の地域資源なのか。巨額の投資をして人が来なかったり赤字になったらどうするのか」と沢山の反対に会い、孤軍奮闘辛い日々を過ごしました。

 でも私には希望があって辛い仕事を辛いと思わず、辛い仕事の後には必ず幸せがやって来ると信じて、決して逃げることなく、辞めることなく幸せの青い鳥を追い求め続けました。結果は鍋蓋の蓋が取れ、土蓋に変わったのです。

 こんな公式を思い出しました。①与える幸せ-与える辛さ>0 ②与える幸せ-与える辛さ<0の2種類です。①派辛さを与えるより幸せを与える方が大きい働き甲斐のあるやり方です。②は辛さの方が大きい働き甲斐のないやり方です。私の場合は世間の風は冷たかったのですが、家庭やトップの温かい励ましが①の方式を生んで行きました。いい家族、いいトップに巡り会うのもまた幸せの第一歩なのです。

  「振りかえりゃ何でもないと思うこと何であんなに辛かったのか」

  「幸せと辛さ文字まで良く似てる表幸せ裏なら辛い」

  「幸せは皆身にあると人は言う心持ちよで辛く感じる」

  「一生は辛さ幸せ交互来る足して二で割りゃ皆同じなの」

 

 

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shin-1さんの日記

○進化論

 人は生きている限り成長するものと思っていましたが、あにはからんやある一定の年齢に達すると成長が止まり、むしろ老化するものであることをこの頃になって思い知らされるようになりました。人間の肉体は25歳までが成長の限界で、それからは老化をたどる話を聞いてそんなことはないだろうと、若い頃は疑問を抱きました。でも医学的には本当だそうで、61歳の私だと相当老化が進んでいるものと思われます。

 しかしこれは医学的な細胞の話であって、肉体や体力が衰えても精神的には努力すれば進化続けるのではないでしょうか。

 もし私が60歳の定年で職場や社会、文化文明から隔絶されて何も学ばないとすると仮定すれば、進化はおろか退化の道を進んでゆくでしょう。しかし私が60歳の定年を人生の転機と考えて、新しい目標を持ち今まで公務員がゆえに制約されたあらゆるものから解き放たれてチャレンジすれば、どの程度か分かりませんが進化し続けるのではないかと思うのです。

 私の進化に必要な栄養は人と環境です。幸い私には様々な人間模様を持った人たちとの数多い出会いがあります。中には私のように進化し続けたいと学んでいる感化人間がいっぱいいます。3月に退職し4月から始まった僅か9ヶ月の間に、今までの公務員生活では多分出会わなかったであろう人にも沢山出会ってきました。その人たちは私に大きな影響を与えて私の進化の手助けをしてくれています。

 もう一つ、進化に必要な条件は環境です。私が続けている出会い探しの旅も環境の一つだろうし、パソコンや読書による知識の習得も環境、家庭や人間牧場、地域社会、自然も環境です。自由人になったこの4月から私の周りの環境は大きく変化し、進化し続けています。

 進化は自分の持続可能な進歩意欲がなければ自分の進歩を自分が感じませんし、何よりも大切なのは周りの人が進化を認めるかどうかでしょう。

 私は私の進化論に基づいてこれからも進化し続けたいものです。

  「久しぶり会ったあなたは進化したそう言われるよう元気頑張る」

  「60年会ったことなき人に会う教えいただき更に進化を」

  「寝る時間割いて学んで知恵磨く金にもならぬ夢を追いつつ」

  「出来ないとやらない言い訳並べ立て一日終わるそれも人生」

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shin-1さんの日記

○面白い孫の話

 年末を帰省先(娘婿の実家)で過ごした孫が帰るので、飛行場まで妻と二人で出迎えに行きました。娘婿は大学の先生なのでもう少しゆっくりするらしく、親一人子一人の親孝行なのでしょう。

 年末に娘婿の実家に電話して孫の声を聞きましたが、面白い話を耳にしました。電話口に出た孫は私に「どこのじいちゃん」と唐突に聞くのです。「えっ」と思ったのですが、後の説明で謎が解けました。実家の祖父、つまり孫のおじいちゃんは亡くなっていますので、おばあちゃんがいるのにおじいちゃんがいないことを不思議に思っておばあちゃんに質問したそうです。

 「おばあちゃん。おじいちゃんは何処にいるの」との質問に、おばあちゃんは「おじいちゃんはお空の上にいったの」と説明したそうです。すると孫は「おじいちゃんはお空からいつ帰るの」、おばあちゃんは「もう帰らない」、孫「それは寂しいことでしょう」、おばあちゃん「・・・・・・・・・・」。

 子どもは「何故何故」で知恵がつくといいますが、「それは寂しいことでしょう」とは、いやはや参りましたとおばあちゃんの言葉でした。しかし僅か3歳の子どもが「それは寂しいことでしょう」なんて言葉を言うのですから、驚き以外の何ものでもありません。子どもの成長はまるで雨後のタケノコです。一週間逢わないと驚くような言葉や仕草をします。それに比べ我が家のおやじは88歳の高齢ゆえのことでしょうが、古くなった電球のように少しずつ暗くなるような毎日です。仕方がないことかもしれませんが孫の成長と親父の老化は人間の一生の変化を見ているようです。

 「おじいちゃん寂しかった?」と飛行場まで出迎えた私に質問、「うん朋君がいないとさびしかったよ」、孫「朋樹も寂しかった」、孫の言葉は見え透いたお世辞でなく心からなる本心でしょうが、うれしいものです。「朋君誰と寝る」、孫「おじいちゃん」・・・・・・。

 今日は母親が病院勤めの日なので孫はわが家預かりです。ストーブの前で遊んでもらいます。

  「じいちゃんは何処に行ったの孫が聞くお空言ったら帰りはいつと」

  「孫伸びる雨後のタケノコそっくりに今日も驚き新らし発見」

  「孫伸びて爺が縮む家の内俺は真ん中伸び縮みせず」

  「孫去りし実家寂しく飯を食う孫来た家はまるで蜂の巣」

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shin-1さんの日記

○会社を辞めたい人の言い分

 私の知人奥さんからある相談があると電話がかかってきました。コーヒーを飲まない私ですが、指定されるままにある喫茶店へ出かけました。主人は役場に勤めて20年の中間管理職です。奥さんの話を要約すると、正月休みの昨晩、主人が役場を辞めたいと言い出した。唐突な話の中には「俺にはもっとやりたいことがある」「目標を見失ってしまった」「俺の言うことを課長は聞いてくれない」「このまま仕事をしていいのか不安である」「給料が上がらない」など、沢山の今を否定するような言葉があったのだそうで、眠れぬ夜を過ごしたらしく、目を真赤に腫らして泣いていました。

 奥さんは「子供が3人、今は教育にお金もかかるし、私も働くから辞めないで」と言ったのですが、ご主人の決意は固く、辞表まで書いて仕事始めに持っていくということでした。

 ただ事ではないし、辞表を出せば今の社会は止めもせず一巻の終わりだからと私に助けを求めてきたのでした。「話は分かった。出来るか出来ないかご主人に話をしてみましょう」と言わざるを得ない雰囲気で、「とにかくご主人に私の家へ来るように伝えてください」と言って分かれました。

 昨日昼過ぎその男性は私の家へやって来ました。論客の彼は難しい表現でおおよそ次の5つをまくし立てました。奥さんの話と一致していました。

 「自己実現」がしたい。公務員のような縛られた生活が窮屈である。成果を実感出来る自分で商売がした。

 「目標を喪失」した。町を良くしたいと思って役場へ入ったが、自分の目標とは程遠い逆々の職場へ配属。

 「上への不振」を持っている。課長と部下の板ばさみ。特に課長とは上手く行かない。 

 「将来への不安」がある。このままで自分の将来は終わらせたくない。

 「待遇」が悪く、妻からも給料が安いといつも文句を言われる。

 本人の口から出た言葉は、多分日本の中間管理職の誰もが、そして会社を辞めたいと思っている人のおおよその言い分だと思うのです。

 私は彼の話をじっくり聞き、妻が出したお茶請けの煎餅を机の上に並べて、町、職場、家庭の人間関係について話してやりました。自分という人間の重要性と自分を巡る人間関係について煎餅を動かしながら様々な角度から解き明かしました。彼の言い分には「自分という物差し」でした。彼には上司に部下という職場、奥さんと子供という家庭、役場職員と町民など様々な人間模様が隠されています。自分という物差しでしか自分の人生を見れない人間では大人とは言えないと厳しい口調で激論しました。多分彼の意志の固さを解きほぐすには時間がかかるでしょうが、「辞表はそれからでも遅くない」ととりあえず彼は帰って行きました。

 役に立ったか立たなかった、結論はまだ先送りされたままですが、一応奥さんに電話でことの成り行きを報告してたった今、受話器を置きました。悩み多い2006年の幕開けです。

  「辞めるとはただ事ならぬ出来事と思わず受話器涙の声に」

  「ぬくぬくと暖房効いた部屋中で仕事が出来る感謝をせねば」

  「物差しを沢山持てる人になれ私の教え今は聞こえず」

  「私など辞表を書いた記憶なし根明の私にゃ理解が出来ぬ」

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