shin-1さんの日記

○魚は塩すると腐らないが車は塩すると腐る

 この表題は笑い話のようですが本当の話です。今朝郵便局へ封書を出しに出掛けました。郵便局は民営化されてからとても明るく、「おはようございます」と大きな声を掛けられ気持ちが弾みました。双海町へ通う顔見知りの郵便局女性』職員と話し合った会話です。

 私「寒いねえ」。女性「寒いですねえ」。私「海が時化て国道に水しぶきが上がって通勤は大変でしょう」。女性「ええ大変です。塩水をもろに被るのでウォッシャー液が沢山いって困ります。車の寿命が短くなりますので、その分郵便局で給料を上げてもらわないと」。私「そりゃあそうですが、今の給料の中にその分入っていまして、先日いただいたボーナスはその分です」。女性「えっ、本当ですか」。私「それにしても魚は塩すると腐りませんが、何で車は塩すると腐るんでしょうね」。女性「えっ、そんなこと考えてみたことありません。若松さんは面白いことを考えますねえ。今日は朝から楽しいお話で元気が出ました」。

 まあこんな会話で郵便局を後にしました。次に来年の予定手帳をいただくため商工会へ立ち寄りました。

私「寒いねえ」。女性「寒いですねえ。ご依頼の予定手帳、やっと届きましたので差し上げます。大切にお使いください。若松さんも職場を辞めても予定手帳には書くことがいっぱいあるでしょうね」。私「はいお蔭様で随分と楽しく日々を暮らしています。ところで海岸国道を通勤するのは車に塩を被って大変でしょう」。女性「ええ大変です。でもこれが双海町の風物ですからそんなに気にはなりません」。私「魚は塩したら腐らないのに車は塩すると腐るのは何故でしょうねえ』。女性「でも人間だって今は塩する時代ですよ。塩サウナというのがあって美肌には良いそうです。人間は塩をすりこんでサウナに入ると発汗でお肌がすべすべになりますよ」。私「じゃあ人間は塩すると美しくなるのですね」。女性「私も時々塩サウナに行きます。気持ちいいですよ」。私「だからあなたはお美しいのですね」。女性「それは嫌味ですか」。私「いえいえ、本当のことをお世辞で言っているのです」。女性「・・・・・・・・・・(大笑い)」。

 場の雰囲気を和らげる、こんな会話は暮らしにとって必要だと思います。郵便局の入り口で顔見知りの気難しい人に出会いました。「おはようございます」と声を掛けましたが無視同然でした。何が気に入らないのか分かりませんが、くよくよ生きても人生、笑って楽しく生きまっしょい。

  「面白い話に花を咲かせると人が集まり会話も弾む」

  「おはようの元気なあいさつ先取りし無口なおやじ思わずおはよう」

  「塩水は車腐らす言うけれど魚育てる命の水なり」

  「昔ボラ国道泳ぐ見た人はこの道海だと言いました」

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shin-1さんの日記

○サツマという郷土料理を食べる

 双海町は古い時代は伊予と呼ばれていました。ゆえに伊予市という合併後の名前はとても素敵な名前だと思っています。その伊予に何故かサツマという郷土料理があります。多分薩摩の殿様が参勤交代で瀬戸内海を航海途中伝えた置き土産ではないかと推測するのですが、来歴は別としてこれが以外と上手いのです。今流に言うレシピなんてそれぞれの分量は知りませんが、作り方はは子どもの頃から手伝わされていましたのでよく知っています。

 まず白身の魚をひちりんで焼き骨や内臓を取り除き、すり鉢に入れてスリコギでよくすります。昔はこれが子どもの仕事でした。白身の魚といっても瀬戸内海には無数にあるのですが、時には小骨の多いコノシロなどは小骨ごとすり込みますから骨の味が出て美味しいとされてきました。身がほぐれすられたら田舎の麦味噌を適当に入れてまたするのです。これが難儀なため時々休むと母がもっと力強くと要求します。今度はそれをへらですり鉢に満遍なく塗りつけ、裏返しにしてひちりんで少し焼くのです。逆さまにしても落ちない母の技術に子供心ながら驚き「ホー」と感嘆の声を上げました。味噌と魚の甘い香りが漂ってヨダレが出そうになりますが、見計らってもう一度すりこみ、そこへだし汁を少しずつ足して薄めてゆきます。終わったらトッピングというべき具財(みかんの皮、朝つき、コンニャク、ゴマなどを細かく刻んで入れます。あとは熱々の麦ご飯にかけて食べるのですが、中々の味で食欲をそそります。

 貧乏な少年時代はサツマ汁にたくあんだけという質素な夕食でしたが、それでも家族が同じ食卓を囲み美味しい美味しいと言って食べたものです。田舎には田舎ならではの美味しい、それでいて健康に良い食べ物が沢山ありました。その殆どが伝承されることもなく消えてゆくことは寂しい気もします。外国人が日本に来て日本食が食べたいというと料理屋さんに連れて行く、よその町の人が双海町に来てサツマ汁が食べたいといえば料理屋さんに連れて行く、何ともはや寂しい食文化です。お袋の味は袋の味に変わってしまいました。ご馳走は魚や肉、砂糖だと思っていたのはもう昔となってしまいました。子どもの健康が蝕まれてゆくのもこんな所のほころびからかも知れません。

  「サツマ汁薩摩の殿様伝えたのそう母に聞いた昔懐かし」

  「みかん食べ柿を食べてもその皮を勿体無いと干してまた食べ」

  「骨のある魚食べない今の子は魚に骨がないもの思う」

  「骨食うて骨が強いは当たり前ポパイは野菜であんなにパワーが」

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shin-1さんの日記

○フーテンの寅さん裏話

 私の町にフーテンの寅さんがやって来たのは、私が広報を担当していた頃でした。大洲が舞台となった「殿様と寅次郎」には嵐勘十郎、真野響子が出演しましたが、双海町はその映画の冒頭に短い時間ですが出ているのです。

 寅さんは下灘駅のプラットホームのベンチに寝そべって天狗党に追われ逃げる夢を見ていました。「お客さん上りの列車が来ますよ」とエキストラに扮した下灘駅の駅長さんに起こされ、「あーよく寝た」と瀬戸内海に向かって大きなあくびをしてストーリーが始まるという算段です。

 私は丁度広報をしていたこともあって取材に出掛けました。山田洋次監督にお願いしそのシーンを遠巻きにカメラに収めました。ワンカットシーンの撮影が終わって、少しぶらり歩く姿をお願いしましたところ、寅さんは山高帽にトランクという出で立ちで、駅のプラットホームをゆっくり歩いてくれたのです。

 映画は数回見に行きましたしビデオも購入して何度となく見ましたが、その舞台となった下灘駅のプラットホームが、後の「夕焼けプラットホームコンサート」の舞台になろうとは、当時は知る由もありませんでした。

あれから20数年が経ちましたが下灘駅界隈もすっかり様変わりしました。日本一海に近い駅の称号も「かつては」の注釈が必要だし、予讃線を我が物顔で走っていた特急列車も山周りに、その座を奪われすっかり様変わりしています。また複線だった駅構内も無人化となって山側のレールが外され、駅前福井商店も閉まるなど寂しい雰囲気が漂っています。今だったら山田洋次監督のメガネに適ったロケーションポイントだろうかと思うことが時々あります。でもフイルムの影響は絶大で、未だに隠れたファンが訪れます

 昨日仲間がDVDにその映画を納め送ってくれたので、改めて鑑賞して見ましたが、かすかな記憶が蘇り懐かしく思いました。寅さんも嵐勘十郎さんももう天国に行っていますし、振り返ってみれば私も定年を迎え時の流れの早さに驚くのです。

 残したい、伝えたい記憶はいっぱいありますが、私にとってもフーテンの寅さんとのほんの短い裏話は、取って置きたい記憶なのです

  「フイルムを切り取り記憶にしまい込む寅さん映画の寝ているシーン」

  「やあーとだけ返った言葉が嬉しくて何度も見たな寅さん映画」

  「20年続いた駅のコンサート今日もお客を案内し行く」

  「俺の夢駅に寝相の寅さんを造るつもりだジレンマ悔し」 

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○銀河鉄道が走った頃

 その昔、といってもつい20数年前わが双海町に銀河鉄道なるものが走っていました。それも銀河鉄道一番の見所は私の家の私設公民館「煙会所」の窓からでした。山周りにその座を奪われすっかりローカル線となってしまった海岸周りですが、上灘川にかかる長い鉄橋とえん堤を走る特急宇和海や通学通勤列車がまるで空中を走っているように見えたのです。

 先日ある雑誌社が一冊の写真集を出版しました。写真のキャプションとリード分の執筆を依頼されたお礼に一冊贈呈されのですが、生まれてから60年間この町に生きてきて自分の記憶の中にある風景がいっぱい集められたページをめくると、インクの匂いと共に懐かしさが蘇ってきました。

 銀河鉄道こそありませんでしたが、鉄道の写真は随分収録されています。下灘駅開業の頃、串駅の鉄橋敷設風景、下灘駅の賑やかな昇降風景などなど、数えればきりがないくらいの写真が伊予・上浮穴の100年と題して載っています。

 一冊が11,550円もする高価な本ですので、誰もが買うようなものではありませんが、執筆という形で手に入れた一冊です、蔵書として大切に使いたいと思っています。本には熟読・乱読などの方法がありますが、積読というのもあるそうです。せめて読書を積むにして、本を積むだけにはしたくないものです。

 昔は自分の名前が活字になって出ると喜んで切り抜いてスクラップブックに収集したものですが、今では多すぎてそんな余裕はありませんし、余り意味がないので止めています。でも今回の一冊は今春私が編纂責任者で発刊した「双海町誌」とともに大切にしたいと思ってます。

  「あっあれはあそこのおばさん知っている古い写真を指差しながら」

  「知っているつもりでいるが知らぬこと多い世の中思い出消されて」

  「昨日今日変わらぬ風景10年前比べてみれば大きな変化」

  「駅降りる娘のスカート短いね当時流行ったミニにニヤニヤ」

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shin-1さんの日記

○こりゃあ便利だねえ

 私の旅の企画立案はこれまで、もっぱら分厚い時刻表に頼っていました。飛行機や新幹線、バスを乗り継ぎながらどうすれば早く安く目的地に着けるか、まさに知恵を絞ったものでした。時刻表をめくりながら空想の世界で風景や食べ物などを思うのも時刻表の魅力でした。

 ところが時刻表は毎年ダイヤ改正によって更新されていくものですから、少なくとも一年に一回は時刻表を買い求めなければなりません。特に分厚い対時刻表の殆どのページは見ることもなく紙ゴミに変わってゆくのですから勿体無いといえば勿体無いのです。

 私のパソコンの腕が少しだけ上達したのか、今はヤフーで時刻表の検索が出来るようになって、明日向かう福井の芦原温泉へのアクセスもいとも簡単に画面に表示され、しかも時間や金額までプリントされるという、考えられない影の味方が出現したのです。

 しかし、悲しいかなページをめくった時刻表ほどのワクワクは残念ながら味わうことができませんでした。

それでも行きも帰りも乗り換えや金額までも分かったのですから、列車の中はのんびりと車窓に映る雪景色を楽しみながら本でも読もうと思っています。勿論駅弁も食べたいのですが残念ながら列車の中は行きも帰りも午前中なので、今回は残念ながら車中での味覚は味わうことが出来そうにありません

 福井といえば越前海岸は水仙の名だたる名所です。私の町にも水仙畑があって早咲きの水仙が早くも咲いていますが、越前は雪に埋もれて水仙が咲くのは春になるのでしょうね。一度だけ水仙の咲く頃に列車に乗って通りましたが、急峻な北向きの地形は私たちの町とよく似ていました。本当は水仙を切って持って行きたいのですが、長旅なのでそれも適いません。でも清楚な水仙の咲く地域の人との交流を楽しみにしています。

  「水仙の香りほのかに漂いてわが町一足早い春来る」

  「雷鳥という名の列車乗り込んで北国目指すわれは旅人」

  「雪降ると文字がメールに書き込まれ頭の中に銀の世界が」

  「寒いからパッチに下着とうるさくもバックに詰める妻の優しさ」  

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shin-1さんの日記

○机の上の貯金箱

 私の机の上にかなり大きな昔のポスト型をした貯金箱が置いてあります。この貯金箱は役場に勤めていた頃からの愛用で、つり銭や小銭をその都度入れてきましたが、毎年年末になると底の蓋を開けて中のお金を出し、計算して歳末助け合いの義援金に送ってきました。今年もそうしようと思っているのですが、学生の三男が目ざとく見つけ「この貯まったお金の使い道は」と聞くのです。「歳末助け合いに毎年協力しているので今年もそうしようと思っている」というと、「お父さん人を助けるのも大事だが、自分の息子を助けるのはもっと大事」と、さもそのお金を自分に回すことが当たり前ような言い分をしました。

 言われてみれば三男の言い分にも一利あるかも知れないと思ったのですが、ブログをご覧の皆様はどんなご意見をお持ちでしょう。「お前にはお母さんを通じて毎月ちゃんと小遣いを渡している。お前より恵まれない人は世の中にいっぱいいる」と息子に反論すべきか、「お前の言う通り今年はお前にこのお金を全部やる」と言って息子の喜ぶ顔を見るべきか、はたまた』自分の夢に使うか、今のところ悩んでおります。正直な話人間牧場の資金が少々不足しているので、薪ストーブの購入資金に回そうかとも考えています。毎年金額にして3万円くらいはあるようですので、歳末助け合いを10年以上続けてきた努力に免じて・・・・とも。

 私は子どもの頃から貯金箱が好きでした。竹筒に鋸目を入れて投入口を作った自作貯金箱は、割らない限り中の物が取り出せない仕組みになっているのに、小遣いが不足するとハガキをハサミで切り、そっと逆さまにして取り出したことも何度かありました。

 私にとって貯金箱の一番の思い出は青年の船でアメリカへ行く時、ある集落の子供会指導をしていて、その子どもたちみんなが相談してそれぞれの貯金箱を持ち寄って割り、そのお金を餞別にくれたことです。あの時は涙が出ました。私はその子どもたちの写真を撮ってアメリカへ持って行きました。船長さんに頼んでにっぽん丸の舳先で子どもたちの写真を掲げ「これがアメリカだ」と叫んだこともありました。

 その後昭和51年から日本銀行の貯蓄広報委員会でアドバイザーとして活動してこれたのも貯金箱のお陰かも知れません。物が豊かな時代でも貯金箱精神は立派な金銭教育だと思います。

  「年末になると必ず貯金箱開けて中身を贈る喜び」

  「一円や五円十円ザクザクと塵も積ればこんなお金に」

  「俺にくれいきなり息子ごもっとも御託並べて虎視眈々と」

  「今年また妻一億の夢を見る当るものかと言いつつ当れば」

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shin-1さんの日記

○もがり笛の鳴るころ

 いよいよ冬将軍がやって来ました。例年だと正月前は以外と穏やかな日が続くものですが、今年は例年になく寒く、もがり笛が良く聞こえます。「えっ、もがり笛って何ですか」といわれそうですが、この言葉は俳句の季語にもあるのですから方言でなく共通語だと思うのです。冬になると海は白馬が走ると表現するくらい季節風が吹き荒れますが、その様子を海が「もがる」と表現します。「もがる」とは海の上と下をひっくり返えすような状態をいいます。

 もがり笛は風がヒューヒュー鳴ることです。特に強い北風が電線や木に吹き付けると様々音に聞こえるのです。

 普通風は微風だと吹いていることすら感じませんが弱風になると爽やかさを感じ、強風は物体の揺れを伴うので風の動きを余計体感します。もがり笛は側耳を立てて聴くと何か物悲しくも感じられ、その様子はこれまでにも多くの人が詩や歌、俳句などで詩情豊かに表現してきました。

 わが町は東シナ海の季節風が関門海峡を越えて広い伊予灘に入って強さを増幅するので風が強く、冬の体感温度はとても冷たく感じますし、もがり笛は一際高く聞こえるのです。

 この風をまちの活性化に役立たせてはどうかと、私の町でも色々と考えました。最近日本全国に設置されている大きな風車で発電をする案も検討され、色々な人が色々な場所へ視察研修に出掛けたりもしましたが、結局は実りませんでした。しかし当時は珍しかった風車も日本全国にこうも沢山できると珍しくも何でもなく、今にして思えば原風景を壊すものだから、よくぞ止めたと一周遅れのトップランナーであるわが町を褒めてあげたい気持ちにすらなるのです。多分風車の回る音は人工のもがり笛として住民の安眠を阻害したに違いありません。

 日々あくせく生きる私たちですが、せめて風の音やささやき、それに冬の風物であるもがり笛を聴くくらいの余裕は持ちたいものです。

  「もがり笛ひゅーひゅーひゅーと音が鳴る風の大声何と聴くか」

  「強弱く音楽奏でるもがり笛作曲すれば滝廉みたいに」

  「冬来れば夏が好きだとわれ思う芯の弱さ気になりながら」

  「旅立ちの明日は晴れてと祈りつつもがり笛聞き床につくなり」

 

 

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shin-1さんの日記

○おばちゃんの悲しい死

 隣のおばちゃんが亡くなりました。一人暮らしのおばちゃんですが風呂場で死んでいたのです。妻が民生委員をしているため何かにつけて注意をしていたのですが、残念な出来事が起こってしまいました。私より一回り上だけのまだ73歳です。人生80年の現代では若い死だと思います。

 最近認知症の症状が出始めたので隣町に住む娘さんも気になって度々覗いていたようですし、私もわが家でやっているお地蔵さんのお接待のため毎月21日には赤飯を炊いて近所の独居老人に配っていたので、私か妻が毎月訪問していました。認知症になると外にも出ず、話相手もいない一人暮らしでは足腰が弱くなるのか、トイレに行くことすら大変のようで、男性なのに失礼ながら2~3度玄関へ上がって下のお世話をしてあげた事もありました。余程嬉しかったのでしょう何処かで貰ったタケノコを自分で提げて届けてくれたこともありました。

 このおばちゃんには娘が3人います。娘や孫が度々訪ねる優しいご家族で、来た時はわが家へも近況報告する礼節を忘れませんでした。故にまるで身内のおばちゃんのことのように悲しいのです。翠小学校横に水車を作った時も玄関先に置いていた石臼をタダ同然で快く差し出してくれましたし、若い頃は民生委員も長らく務められました。

 人はいつか必ず死にます。死ぬ前の生き方は自分でコントロールできますが、死ぬ時の死に方は自らが自らの命を絶たない限り自分でコントロールできない悲しい運命を持っています。昨晩の通夜に駆けつけた見覚えのある酒好きなおじいさんも既に老域に達して、私の手を取って涙を流していました。

 人は誰でも老いを迎えます。最近はわが町でも高齢化率が高くなって、子どもの姿は少なくなりましたがお年寄りを多く見かけるようになって来ました。「来た道行く道」といいますが、戦争という時代の流れに翻弄されながら生きたであろうおばちゃんのあの世の人生に幸多かれと祈ります。

  「昨日声かけたばかりのあの人が今日はあの世へ一人旅立つ」

  「銭や地位あの世じゃあ何も役立たずせめて葬式涙だけでも」

  「今日一人また人口が減ってゆく寂しき冬の棺桶担ぐ」

  「近づいた今度は俺の番かもと年寄り予定の顔描く」

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shin-1さんの日記

○民営化の波

 三位一体の改革や郵便局の民営化など、最近は何かと政治の世界も騒々しく感じます。これまで政治や行政などは別世界と感じていたり、別に暮らしには影響がないものと思っていましたが、改革が直接暮らしに響くとあっては黙ってもおれないし口を出したくなるのも当然でしょう。結局は先の衆議院議員選挙のように小泉劇場が注目を集めて投票率がアップしたり、自民党の大勝に拍車をかけたのではないかと思われます。

 色々な人の意見を聞きますが、結局は「老後の年金」がどうなるのか、「郵便貯金の利子」はどうなるのかなど、直接自分の暮らしに響くことに関心があることは当然といえましょう。私のように退職間もない無給暮らしの者にとってみれば、満62歳から始まる年金満額支給を一日千秋の思いで待っているに違いありませんし、その年金だって多いに越したことはないのですから・・・・・・。

 郵便局の民営化が決まりました。郵便局にとって民営化は民間との競争を意味します。郵便局の対応がものすごく変わりました。郵便局の入り口には飲料自動販売機が置かれ一円でも儲けることはやるという姿勢が伺えますし、これまで年賀状の発売に合わせて11月だというのに作って違和感を囲っていた門松が消えました。また宅配物も電話一本で愛想よく自宅まで取りに来てくれるのです。

 しかしこうした民営化のいい成果が出ている所があるかと思えば、私が長年勤めていた役場は三位一体の改革で合併したはずなのに、行政サービスは不便になり、逆に負担は段々重くなって成果どころか悪くなっていると感じるのです。合併の時約束した伊予方式なる地域事務所もあるにはあるのですが何故か支所化の方向に向かって、数年後にはその行方もあぶないとささやかれています。首長も議員も選挙という4年に一度のイベントをどう乗り切るか、わが身が大事のようで困ったものです。

 民営化は自らの失策の痛みを国民に押し付けるようで何かしら割り切れない感じがします。財政難は政治や行政が自ら招いた失策です。「住民の自治」などと格好よくいいますが、何もできない市民に負担だけさせて何をしろというのでしょう。昨日私の所に勉強をしにやって来た高知県梼原町の若き職員たちのテーマもそのことでした。こうして悩む職員がいるまちは素晴らしいです。殆どのまちの職員は悩むことすらないのですから・・・・・・。

  「合併をしてみて思う愚かさはしないで迷うまちへの警告」

  「村民で始まる人生出世して町民超えて市民で死ねます」

  「お悔やみの電報殆ど政治家の売名行為有難くなし」

  「言うこととやること違う人たちが投票来いと言ったところで」

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shin-1さんの日記

○来たいのに来れない人と来なければならないのに来ない人

 集会は様々な団体や個人にお願いし人を集めるのですが、中には来たいのに来れない人がいると思えば、来なければならないのに来ない人がいるなど様々です。

 今日の講演会を前に一枚のはがきが私の元に届きました。綺麗な絵葉書には「今日の講演会をまちの広報で知りました。行きたいのですが息子の学校の学芸会があり、たとえ行ったとしても終わりの5分くらいです。仲間にちゃんと話を聞いて伝えてねと約束しました」と書いてあるのです。

 一方役場へ勤めている旧友から一本の電話が携帯に入りました。「今日は久々の天気なのでみかん収穫に妻と二人で畑に行きます。本当は役場職員なので行かなければならないところなのですが行けません。悪しからず」と言うのです。

 私はこの二人の意味を照らし合わせて考えてみました。ハガキをくれた普通の主婦にとって講演会に参加する義務はまったくありません。むしろ悩むことなく息子の学芸会に行くべきでしょう。片や役場職員も日曜日なので講演会に参加する義務はまったくないのですが、役場職員である自覚と積極性があったら参加する方が賢明かもしれません。午前中の講演会なので昼からみかんの収穫だって出来るかも・・・と考えるのは私の勘ぐりでしょうか。

 講演が佳境に入った頃、見覚えのある主婦が一人会場に入ってきました。そうですあのハガキをくれた人なのです。彼女は明らかに急いで来たような雰囲気で一番後ろで立ったまま私の話を終わりまで聞いていました。そうです。彼女は学芸会を終えて来てくれたのです。事務所で講演の後のお茶をいただいて見送りを受け、駐車場に行ったら彼女は寒風の中で私を待っていてくれました。嬉しかったです。本当は抱きしめたかったのですが、人目もあるので止めましたが少し目頭が熱くなりました。

  「来たくても来れない人あり講演会お役所仕事と昔言われた」

  「吉本と同じ笑いが会場に木霊す話涙流して」

  「あちこちに手を振る人あり講演会ふんどし締めて話さなければ」

  「入れ歯落ちそっと差し込むおばあちゃん私だけしか見えぬ裏技」

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