shin-1さんの日記

○ゴミの行方

 年末が近くなってくると近くのゴミ置き場には日ごろの倍近くのごみが出されます。多分正月を控え早めの掃除をしているからかもしれませんが、よくもまあこんなにゴミが出るものだなあと感心します。最近は風も寒さも一段と増して、井戸端会議ならぬゴミ端会議をする人もめぅきり減って、どの人もそそくさと帰っていくのですが、このゴミは間もなく朝だのに何故か夕焼け小焼けの音楽を鳴らしたゴミ収集車に積まれて清掃センターへ運ばれ、焼却処分されるのですが、ゴミのルールも随分守られるようになって、積み残しもなく処分されているようです。

 最近気になる話を聞きました。私の町にも一丁前にもコンビニが一軒ありますが、経営者の話だと弁当などは賞味期限が早く、その日に売れなかった物は全て廃棄処分される運命にあるのだそうです。年間の行事予定や土日を当て込んで予約注文をFAXするのだそうですが、弁当は天気によって相当開きがあるのだそうです。天気予報を頼りに天気を予測して注文を増やし当ればそれで儲かるのですが、逆に雨でも降られると大損なのです。その辺は長年の感でといいながら、今の世の中のように先が読めないのが実態のようです。これらの廃棄処分弁当は間違いなくゴミとして処理される運命なのですから勿体無い話です。結局大資本の弁当を卸す側は確実に儲かるようになっているのですが、一日の弁当処分は日本中で500トンといいますから大変な量です。

 この廃棄した弁当を拾いにホームレスが来るのを見て、その上に食べられないように泥水をかける風景は富める国日本の貧しい心の表現としか言いようがありません。外国ではレストランで余ったものをパックに入れてホームレスにさりげなく渡す光景に出会い、感動した場面も報告されています。

 先日北陸福井への旅の途中、大阪駅の地下街で寒い路上に平然と寝ているホームレスを見て心が痛みました。彼らには彼らの人生理論があっての生き方でしょうが、正月間近なこの寒空にこんな人生もあるのです。

 限りなく出るゴミ、そのゴミを処分するために使われる膨大な費用、ああ日本もいよいよ末期症状、何とかしなければなりません。両手に提げたゴミを見て心が痛んだ朝でした。

  「このゴミは金を出して買ったもの寂しく焼かれ土に返るか」

  「カラスさえ見向きもしない喰えぬゴミ元はといえば石油変身」

  「食った後裏書見たら過ぎていた賞味期限の気持ち悪さよ」

  「このミルク実はミルクじゃありませんミルク混ぜ飲む人に教える」

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shin-1さんの日記

○人気です私の新作名刺

 役場の職員時代に使っていた名刺の台紙がなくなったこともあって、思い切って名刺のイメージチェンジを試みてみました。私たちまちづくりに関わる者にとって、いや私のように全国を歩く者にとって今や名刺は携帯電話と共に必需品になってきました。一枚の名刺によってその人やその人が住んでるまちのイメージが広がってくるのですから、名刺は最も身近なPR手段だと思います。

 新しい名刺は前にもブログで書いた山口県岩国市で出会った「わたなべえつこ」さんのサイン入り色紙をパソコンスキャナーで取り込んだものですが、その色紙の横には残念ながら2001のサインが入っています。今のパソコン技術だと簡単に消せるのですが、私はあえて消しませんでした。つまり似顔絵にせよ私は5歳も若い5年前に若返ったのです。

 地域政策センターの清水さんの紹介する印刷屋さんにお願いして差し当たり500枚作ったのですが、これが中々の評判で、福井市の大会と大洲青年の家のシンポジウムで100枚も使ってしまいました。妻曰く「名刺も考えて使わないと」と釘を刺されてしまいました。名刺は名を刺すですが、妻は釘を刺しました。

 でも私の似顔絵の後ろは日本一と自認する夕日で、手書き文字の「沈む夕日にちょっと待った」が、「しずむ夕日が立ちどまるまち」というキャッチフレーズに負けず劣らずこれまたいい表現のようで気に入りました。

 「全国の若松進一を知っている2005年11月末までに私と出会った皆さーん。そして私が差し上げた名刺をお持ちの皆さーん。あなたの記憶の若松進一や名刺をお持ちの方は残念ながら賞味期限が切れております。お早めに新品と交換しましょう。」

「名刺一枚で30分喋れる男」をスローガンに掲げている私ですから、肩書きに書いた「人間牧場主」というのも、「これなんですか?」と必ず質問が返ってきます。私は「うんうん」とうなずきながら薀蓄を語るのです。

「ヤッホー新作名刺は成功だー」と大声を出したくなるような心境です。多分これはテレビコマーシャルという極めて短い時間に商品を売り込む術に似ています。出会いが勝負のまちづくり、少しの間この名刺の売れ行きを見定めて、また新しいアイディアに挑戦したいものです。

  「どれ程の名刺貰うも取っておく気乗りするのは二枚か三枚」

  「新作の名刺ポッケに今日もまた西に東に北へ南へ」

  「一枚の名刺の値段幾らなる電卓叩いて原価計算」

  「自分の名使い使って60年それでも世界でオンリーワン」

  「私とて何時かは賞味期限切れ早めに更新危険ですから」

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shin-1さんの日記

○若いっていいねえ

 「この歳になると」なんて言いそうな年頃になると、決まって「わしが若い頃は」とか「わしがもっと若かったら」なんて過去と未来に思いをはせてついつい「若さへの願望」を言葉にするのですが、この数年随分と若い人との出会いが多くなってきました。昨日今日の「大人を考えるシンポジウム」も大学生相手の講義も、また卒論指導も年齢的に大きな差がありながら、あえて若者族にアプローチしようとする姿こそ「最後の悪あがき」なんて悪口を言われそうです。

 私はこのところ、えひめ地域政策研究センターが隔月に発行している「舞たうん」という雑誌に、シリーズで毎回執筆を続けています。そのタイトルが「若者とまちづくり」なのです。このタイトルを聞いた限りではまちづくりと若者の関係に首をかしげる人が多いのも事実です。でも本当は若い頃からまちづくりについて正しい知識をもっともっと教えて、社会の一員としてまちづくり活動に積極的に関わって欲しいという願いからこの執筆を思いつきました。

 執筆を始めてもう6回が終わり新春には7回目の原稿が掲載される予定で、その校正ゲラがインターネットで担当者から今夜送られてきました。ゲラを見て驚いたのは写真の多さです。今回のテーマは「大学生が考えた住みたいまちの条件と訪ねたいまちの条件」なのですが、昨年の学生が授業の一環として考えた図表が色も鮮やかに再現されているではありませんか。今年度から職員がパソコン技術を駆使して作る紙面は全てカラーのままフロッピーで印刷業者に電送されるのでしょうが、素晴らしいの一言に尽きるのです。

でも文字の校正まではパソコンはやってくれませんから、結局は最後に人間の手が入ることになるのです。

 本当はこれらの記事を若者にも読んで欲しいのですが、配布先の向こうには若者の姿は残念ながら見えていません。それでも配布先である行政や機関が若者を理解する一助にして若者政策に生かしてもらえるならこんな喜びはないでしょう。ウーン、でもダメでしょうね。

 かつて青年団が活発な時代は、まちづくりの主役はどの町や村でも青年でした。その青年がいなくなった町や村では比較的若者と思われる30代、40代が若者らしい活動でまちづくりをしています。年齢は関係ないといいながらやはり若者の不在は大きな社会問題となっています。もう一度「若者とまちづくり」について考えてみましょう。

  「若者の一字違った馬鹿者がもうすぐ成人式を乗っ取る」

  「私とて若い頃があったのよ本当か嘘か入れ歯ガクガク」

  「赤紙で戦地赴くあの頃は国を思ってただひたすらに」

  「今だから言える若さの過ちも過ぎれば懐かし思い出彼方」

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shin-1さんの日記

○人間何が幸せか

 私を勝手に「ししょー」と仰ぐ丹原町、いや今は合併して西条市丹原町に住んでいるちろりん農園の西川君に逢う度に「人間何が幸せか」考えさされます。彼は大阪出身で鳥取大学農学部を出て高校時代から付き合っていた彼女とともに丹原町にやって来て、農業を営むようになりました。丹原町来見という地名がかつての人気番組「ちろりん村とくるみの木」に似ていたのでこの名前の農園を作りました。鶏を飼ったりその糞で有機野菜を栽培したりする循環農業で生計を立てていますが、儲かる農業とは程遠く、年収100万程度だというのです。奥さんは空いた時間にピアノを教え、当の西川君は消防団や文化会館運営員など世に言う俗世と隔離することもなく普通の暮らしを穏やかに暮らしています。彼の生き方に共鳴する海外や国内の若者を研修生として迎え入れ、ギターを弾いたり、自家発電をしたり、自家製造のアルコール飲料を持ち歩くなどとにかく人生を楽しんでいるようです。

 彼の凄さは「みのり通信」というB4タイプの通信文を長年にわたって書き綴り、「晴れときどきちろりん」を出版しています。私も序文を書いてくれと頼まれ書きましたが、書く、喋る、実践できる数少ないマルチ人間です。

 いつどこで知り合ったのか未だに思い出せませんが、彼と会うたびに余分なお金など必要ないとしみじみ思うのです。自分の暮らしを見つめ直してみれば、人とのお義理的な付き合いや日々の暮らしがいかに贅沢で無用なものにお金をかけているかがよく分かります。昨日も軽四トラックに乗って平気で私たちの前にさっそうと屈託もなく姿を現わしました。

 バンダナを頭に巻いた姿も格好いいし、私の憧れの人でしょうね。これから彼の生き方に少しでも近づきたいものです。

 「人間は何が幸せか」、この遠大で究極の自分自身への問いかけに、退職を機に出会ったいわば「何が幸せか元年」とでもいうべきこの一年でした。残りの日めくりの枚数の方がこれまで日めくった枚数より酸くなった今こそ幸せについてもっともっと考えて生きてゆきます。この一年ではっきりしたのは「人生お金じゃないな」でした。

  「あれだけの収入よく喰う人は言うそれでもその人人より楽し」

  「お金など持っては行けぬあの世には何故にあくせくお金に執着」

  「俺見ろよ歳末義援に寄付をしたちょっぴり一善いい年来るかも」

  「傷跡が痛むからとてサポーター妻が配慮の上から撫でる」

 

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shin-1さんの日記

○青年の家で泊まりました

 社会教育の仕事が長かったため、私は北は北海道大雪青年の家から南は沖縄青年の家まで、全国13箇所もある国立青年の家全てを訪れ、全てに宿泊した経験を持っています。青年の家の関係者を除けばそんな珍しい人はいないのではないかと思われますが、私の場合若い頃から青年の家で随分大きな宝物をいただきました。人様の前で主張が出来るようになったり、多くの仲間だ出来たり、ふるさとを愛する心が育ったり、はたまた感動する心が育ったのは、青年団と共に青年の家での学びでした。とりわけ思いで深いのは地元愛媛県大洲市にある国立大洲青年の家で、若い頃青年の家誘致運動に明け暮れ、多くの人の力を借りて大洲に建設が決定した時は涙がいっぱいこぼれたものでした。

 昨日、今日と二日間、その思いで多い青年の家が主催する「大人を考えるシンポジウムに出掛けました。この事業の企画委員会委員長に就任しているものですから、一泊二日青年の家で過ごしました。ニートや引きこもりが大きな社会問題になっている昨今ですから、多くの人に集まってもらおうと様々な知恵を出し合って企画しました。1部は作家椎名誠さんの記念講演会とあって、内外から体育館が満員になるほど参加者がいましたが、2部の職業を考えるワークショップでは60人余りが6ブースに分かれ、地元で輝いている人たちの話を熱心に聞き入りました。夜は車座になってフリートークを若者たちと色々な意見のやりとりをしました。

 関係者が集まって深夜に及ぶミーティングを終え、講師室のベットに潜り込んで、暗闇から舞い落ちる粉雪を窓越しに眺めながら講師室のベットに潜り込んで眠りました。早朝の青年の家はまるで冷蔵庫のようで、朝のつどいや清掃、毛布たたみ、朝食などかつて青年の家で暮らした日々が懐かしく思い出されました。忙しい日々の暮らしの中で忘れかけていた青春の営みが、今もここでは毎日毎日行われているのです。30年間で300万人の人がこの青年の家を利用しているのですから、凄いことだと思います。

 一時期青年の家と不仲になったりして足が遠のいたこともありましたが、やはり青年の家には心をときめかせる何かがあるように感じられました。

  「雪踏みて望み抱きつ登り来る若者たちに生きる力を」

  「世の中も歳も進むにこの家は変わらずわれを迎え励ます」

  「朝昼夜弁当不味いとケチつける贅沢慣れた若者たちが」

  「若い頃女性の握る手ときめいたふとわれ帰り少しときめく」

 

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○めっきり減った忘年会

 酒が飲めた現役の頃は酒のお誘いが幾つもあって、特に忘年会シーズンの年末などは妻が「お父さん、年末は松山から通っているよう」と錯覚するほど松山へ飲みに行っていました。あの金は何処から出てたのか?、あの飲み代を使ってないのだから相当お金は貯まるはずと思いきや、「下戸に建った蔵がない」といわれるように、酒を止めた下戸の私に蔵など建っていません。あっ、そうだ人間牧場の水平線の家が建ったので「下戸に建った蔵がある」に訂正したいと思います。

 昨日は久々に地域づくり研究会議の運営委員会終了後仲間と忘年会をやりました。会費5千円でしたが酒の飲めないウーロン茶一辺倒の飲み放題でしたが、酒の飲めない私を気遣って食べ物をどんどん回してもらうので、あいにく昼食を忘れていたものですから、お腹いっぱい食べてしまいました。

 飲むほどに酔うほどに話が盛り上がり、2時間があっという間に過ぎて行きました。一年の速さを感じる人もいれば、多くの感動の場面を思い出して感慨深げに話している人もいて、仲間ゆえ端々の共感を共有し共鳴もしました。人の記憶は忘れがちですが、私の言った何気ない一言がその人を勇気付けた話は、当の私が当の昔忘れていたことだけに、絶好の酒の肴でした。

 古くなったのでしょう。私の元へは多くの人から様々な難問相談が持ち込まれます。その都度私流に親切に、時には冷静にアドバイスするのですが、そのアドバイスのお陰で随分助かりましたと、酒の飲めない私に形だけでいいからとお礼の返盃をいただきました。車の運転をすること、酒を飲めないことの了解を前提に盃に並々、うれしい盃でした。

 酒は思い出酒・忘れ酒・やる気酒など様々です。時には酒の勢いで喧嘩酒・涙酒・慰め酒だってあるでしょう。どの酒にも味がありますが、せめて喧嘩酒だけは控え、美味しい酒を飲んで、忘年会ならぬ望年会といきたいものです。 

  「酒飲めぬ身体になって早五年今ではウーロン酔った気持ちで」

  「今日の酒思い出酒と洒落込んで慣れぬマイクで小林幸子」

  「忘年会五回もやって忘れたよそれは誤解だ酒のせいでは」

  「ふらふらと歩く人たち眺めつつ俺も昔はあんな姿で」

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shin-1さんの日記

○民という言葉

 35年間も官職をいただいて生きてきた私にとって、官を捨て民に立場を置いてみると、想定内のこととはいえ想定外の場面にも相当出くわします。官社会では常識なことが民からみると非常識なことはいっぱいあります。そのことに気付くには官ながら絶えず民的発想で考える習慣を身に付けることと、官から民に変わった私のような人間の助言に耳を傾ける方法など、幾つもの選択肢があるようです。最も悲劇は官の側にいる人が官の非常識な考えにまったく気付かず、そのまま一生を過ごしてしまう愚かさでしょう。

 公民館、民活、民力、民衆、民具、民話など民と名のつく言葉は多いのですが、その言葉の響きに何故か田舎的な匂いがすると思うのは私だけでしょうか。官は盛んに民に参加や協力を求めたがり、そのことを少しの言い訳に行政を進めています。しかしよくよく考えれば本当にやって欲しいのは、住民参加ではなく行政参加、つまり官が民の活動に参加しなければいけないのです。

 私は300戸余りの自治会の会長をしていますが、一斉清掃や盆踊り大会、同和教育講座など開催しても官たる役場職員、学校の先生などの参加は殆どなく、あれこれ忙しいと理由をつけて顔を見せません。

 先日もある自治会の集会を日曜日に計画しました。ちらしや有線放送で2週間前から周知をしていました。たまたま知人の役所の職員に一週間前顔を出くわせ、参加するようお願いしました。彼が言うには「その日は重要な会議があるのであいにく行けない」というのです。からり晴れたその日、私は集会の準備のため早朝、単車で集会所へ出掛けました。途中にその職員の家の前を通って驚きました。部下数人と一緒にゴルフの道具をトランクに積んでいました。私は顔を合わさないようにその場を通り過ぎましたが、彼は私の姿に気付いてそそくさと車に乗り込んでしまいました。

 彼にとって重要な会議とはゴルフのコンペだったのです。しかし官の平気で嘘を言う習慣は民から見ると非常識な世界以外の何ものでもありません。ゴルフに行くも結構、ゴルフコンペを断れない義理もあるでしょう。そうであれば「先約があるので」と正直に言えばいいではないですか。後日私に彼は断りの電話をかけてきました。

 官の嘘つきは官の信用失墜を意味します。昔あなたの給料は誰から貰っているのと尋ねたら「市長さん」と答えた大馬鹿な公務員がいました。給料は民の納めた税金、つまりあなたの給料は市民からいただいているという心をしっかりと肝に命じて欲しいのです。

  「常識と思う人あり公務員民から見るとそれは非常識」

  「給料が下がった減った嘆くけどそれででも高いあなたの値打ち」

  「たばこ吸うお茶飲む時間もメーターは回りぱなしのあなたの給料」

  「時給率計算すると直ぐ分かるあなたはいかに特権階級」

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shin-1さんの日記

○旅の友は本なり

 私のようにしょっちゅう旅をする人間にとって少し軽めの本は,肩も凝らず目も頭も疲れず結構重宝にしています。旅の途中で本屋さんに立ち寄り立ち読み代金として安い本・軽い本を2~3冊買い込みます。

 今日買った本の一冊に司馬遼太郎の「人間というもの」があります。司馬遼太郎自身が書き下ろした小説の名文のくだりが短く列挙してあり、かつて司馬遼太郎の本をむさぼり読んだ時代が懐かしく思い出されました。

 「藤兵衛、人間はなんのために生きちょるか死っちょるか」と、龍馬は膳ごしにいった。

 「事をなすためじゃあ。ただし、事をなすにあたっては、人の真似をしちゃあいかん」

 世の既成概念をやぶる、というのが真の仕事というものであると、龍馬はいう。だから必要とあれば大名に無心をしてもよい。    「龍馬がゆく二」

 このくだりを私に置き換えてみました。私はただひたすらまちづくりの仕事を20年間もしてきました。私は国土交通省の観光カリスマ百選に選定されていますが、私のカリスマ称号はいみじくも「真似しない真似できない・・・・」です。常識であれば、沈む夕日より昇る朝日を選ぶでしょう。既成概念では夕日などまちづくりの地域資源にはならぬと誰もが考え反対しました。しかし私は「夕日で飯が喰えるか」という人々の反対を説き伏せ、夕日を地域資源にまちづくりを実行ました。竜馬は大名に無心を言いましたが、私は国や県に無心をしました。似たような考えや似たような行動はこの本の中にいっぱいあると思いました。

 人間の才能は大別すればつくる才能と処理する才能のふたつに分けられるに違いない。西郷は処理的才能の巨大なものであり、その処理の原理に哲学と人格を用いた。  「歳月」

 このくだりを読む限り私は西郷型の人間ではないことに気付きます。処理する才能もつくる才能も世の中には必要なのです。

人間は人並みでない部分をもつということはすばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるバネになる。   「沢庵のたいまつ」

 このくだりを読むと私のような凡人が、掃除なら出来るだろうと朝5時から毎朝12年間も掃除に明け暮れ、誰でも出来る掃除を人並みでない部分にしてしまったこと、そのことをバネに様々なアイディアを考えてきました。熱々のじゃこ天に串を刺して歩きながら食べるアイディアも、夕日の望遠鏡と名付けてちくわを売るヒントも掃除から学びました。

  「熊手持ち掃除の度にかき集めアイディアヒント儲け話に」

  「気がつけば俺は申年知恵が出る竜馬の二倍生きているんだ」

  「UCC空き缶拾って出来ましたわが町特産夕日日コーヒー」

  「何でだろう何時も疑問が駆け巡るこれが私の才能なのかも」

  

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shin-1さんの日記

○雪を甘く見ていました

 四国育ちの私が雪や寒さを最初に体感したのは札幌オリンピックでした。当時愛媛県青年団体連絡協議会会長をしていたため、青年の代表として札幌を訪れ、皇太子ご夫妻とご一緒にカレーを食べました。その時に氷点下や大雪を体験しましたが、その思い出などもう昔日になって忘れていました。

 ところがこの度、福井市教育委員会のお招きで芦原温泉を訪ねることになったのですが、このところの冷え込みで福井地方は近年まれに見る大雪に見舞われ、私の行く手を阻んでしまったのです。福井県の地方によっては1メートル50センチを越す大雪で、大阪~福井間は季節外れの重い雪で倒木被害が相次ぎ列車の運行が出来なくなっていました。

 天気予報を察知した私は、前日列車を乗り継いで大阪へ入り大阪で前泊しました。そして早朝6時に大阪駅へ行ったのですが、残念かな列車は運休ばかりで、寒風の吹く大阪駅のプラットホームで5時間もただひたすら運行再開を待ちました。10時42分発サンダーバードが動き、やっとの想いで列車の人となりましたが、寿司詰めぎゅーぎゅーでトイレにもいけない有様で、ポイントの故障も重なって芦原温泉駅に着いたのは1時間も遅れてでした。でも担当の黒田さんが駅まで出迎えて会場まで届けてくれました。

 時間は遅れましたが、たっぷり2時間公民館役職員に想いを話させてもらいました。

 熱気ムンムンの懇親会にも出席し、芦原温泉の温泉で「いー湯だな」と絶好調でした。立派なホテルの立派な部屋に泊めてもらいお礼の言葉もありません。

 早朝5時に起きて早立ちとなりましたが、黒田さんや教育委員会の方々に弁当までいただき明けやらぬ雪の道を帰って来ました。

 私の長い人生においてこれ程難儀な雪の旅もありませんし、忘れられない思い出でしょう。さらにかつて公民館で日本一の公民館主事を目指していたこともあって、福井市の公民館役職員パワーが日本一かも知れないと思う場面に随分出くわしました。

 間もなく合併により退任される予定の市長さんに一人一人の役職員が花を差し上げる姿はジーンと来ました。また出し物も最高に盛り上がりました。

 このことは折につけ話したいと思っています。

  「秋柿と冬雪同居の北陸路汽車の窓外流れては消え」

  「時ならぬ雪で特急鈍行と同じノロノロ遅れて着きぬ」

  「5時間も待って車中の人となる会議の行方気になりつつも」

  「まあ遠い四国から来た驚いておばちゃん差し出す飴玉喉に」

  「何時か来た鯖江の家並み懐かしく目をこすりつつ記憶紐解く」

  「黒田さんでも積る雪白ですよそんな冗談言えぬヘトヘト」

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shin-1さんの日記

○私は貧乏くじを引きました

 ある若者との会話です。今は世の中不景気で景気回復の兆しと日銀や政府は言っていますが、景気の回復が田舎に波及するのはまだまだ先のようです。公務員も冬の時代で給料は下がるし人員は削減されるしとかつての同僚からは不平不満のブーイングばかりです。

 最近は就職難で若者にとっては「大学は出たけれど」という昔はやった言葉が思い出されますが、若者が言うには「私たち世代は不況の中で職業も限られて貧乏くじを引きました」というのです。私は彼に「果たしてそうですか」と言葉を返しました。「あなたは家から職場へ通えることや、親子で暮らせることの幸せを考えたことがありますか」と言いました。確かに都会で働き一旗挙げる夢は消えたかもしれないけれど、生まれ育った所で働く喜びは感じなければなりません。

 私の場合も病気がもとで漁師を断念し役場に入りました。転職した頃は「私は運が悪く貧乏くじを引いた」と思ったものです。しかし私はそれを転機にして少しだけ頑張り目標を持って35年間勤めました。

 先日役場を先に定年退職した先輩に会いましたが、「お前が羨ましい」と言うのです。彼の只今の日課は奥さんに尻を叩かれるようにしてみかん畑に行き農業という重労働やみかんの安さに悲鳴を上げて暮らしているのです。片や私は人間牧場に夢を賭け、日本全国遊びほうけの旅をして毎日楽しく暮らしています。彼が「お前が羨ましい」と思うのも当然のことかも知れません。しかし私は先輩に言ってやりました。「羨ましいと思ったら自分も羨ましがられる生き方をしないとだめです。人生は短いのですから」と・・・・・。「お前のようには思われん」で会話は終わりでした。

 でもブログで私の記事を読まれるギャラリーの皆さん、私の言うこと間違っていますか。同感だと思う人は直ぐに自分流の生き方を始めてください。楽しいですよ。

  「お前いい人生生きて仲間言うあんたもしたら俺には出来ない」

  「買わぬのに当るはずない貧乏くじ私買わずもいいくじ当る」

  「人社会恨んだところで何になる要は努力が幸運扉」

  「松島と聞いてトモ子を思い出すあんたは古い今は奈々子だ」

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