shin-1さんの日記

○平成の傘地蔵物語

 昔々ある所におじいさんとばあさんが住んでいました。年の暮れも押し迫ったある日、おじいさんはまちまで傘を売りに出掛けました。しかしその日はどういう訳か7枚持って行った傘は一枚も売れませんでした。傘が売れれば正月用の餅を買おうと思ったのですがそれも適わず帰路につきました。帰りの峠道で雪が降り始めました。峠には8つのお地蔵さんが寒そうに立っていました。心の優しいおじいさんは持っていた7枚の傘を「お寒いでしょう」と被せ、足りない一枚は自分の被っている傘を取ってお地蔵さんに被せて家へ帰りました。おばあさんに訳を話すと「それはいいことをしました。傘はまた作ればいい」と喜んでくれました。

 その夜二人が布団にくるまって寝ていると雪を踏みしめる足音がしますが二人とも昼間の疲れで寝入ってしまいました。あくる朝鶏の鳴き声で起き、外に出てみると沢山の足跡とともに戸口に沢山の餅とお金が置いてありました。     

 これは多少表現は違いますが久万地方に残る、ご存知傘地蔵物語の要約の一節です。

 今日久万高原町立明神小学校で開かれた人権教育研究大会に招かれました。国道33号の急な坂道をどんどん登って三坂峠を越え明神小学校へ行きました。道の両側には白い雪がまだ残る寒い一日でしたが、私は凄いものを発見しました。明神小学校の玄関に二宮金次郎の銅像が寒そうに建っているのですが、その銅像の首に何とネッカチーフが巻かれているのです。普通であればこんな偉い人の銅像に布を巻くとはけしからんとお叱りを受けるのでしょうが、私はこれこそ平成の傘地蔵物語ではないかと思ったのです。校長先生にお聞きすると、金次郎さんが雪で寒いだろうと子どもが首にネッカチーフを巻いたのだそうです。私は嬉しくなりました。殺伐とした世の中にあって明神小学校の子どもたちの心根の何と優しいことか、時あたかも人権教育の大会だったものですから、そのことを参加者に話しました。そして帰り際運良く持参していたデジカメで一枚パチリ写しました。「明神小学校万歳」と叫びたい心境でした。

 その夜の集会で明神小学校での金次郎の首巻についてあいさつ代わりに話しましたら、みんな感心して話を聞いてくれました。これぞ現場主義なのです。

 私たちは人権について様々な知識を持っています。しかしいざ自分のことになると本音と建前の違いがもろに出て中々実行できません。学校で靴をきちんと並べられる子どもが家では何故並べられないのでしょう。まさに本音と建前の違いなのです。授業参観では人権や差別の現実を発達段階に応じて微細にすばらしい授業が行われていましたが、空想の世界を教材にするのも指導要領に沿っているからいいのかも知れませんが、金次郎さんという生きた教材を使うことも教員には必要な知恵かも知れません。

 教えに行って教えられた今日の出来事は私の心に長く残り、他所で語ってあげたい美談でした。

  「ふと見れば首に布巻く金次郎雪寒かろう子ども優しく」

  「全国に金次郎さんは多かれど首巻きつけた見たの初めて」

  「この子らにこんな優しい心根を持たせし親や導く学校」

  「司馬遼も峠という本出している越えた向こうに理想のふるさと」

 

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shin-1さんの日記

○仕事辞めても来る手紙

 3月いっぱいで仕事を辞め4月から自由人になった私には、手紙など縁のないものと思っていましたが、今でも手紙類は量で我が家に届きます。看護士を目指し専門学校に通う息子が毎日登校前にポストから取り込んでくれるのですが、「何でうちには毎日こんなに手紙が届くの?」と驚くほど届くのです。先日も3・4日家を空けているとダンボールで作った手紙入れは満杯になるほどの量でした。一つ一つ封を切って見るのですが、これが中々の作業なのです。見かねた息子は「お父さんアルバイトでお父さんの秘書になってあげようか」とも言われますが、私にか分からない書類だけに人にも任せられず見処理のものがうず高く積まれています。

 先日ある仲間から「原稿依頼の文書を送ったが見てくれたか」と電話がかかってきました。「えっ、そんな文書いつ送った?。見てない」、「いや確かに送った」のやり取りの末手紙類を調べてみるとありました。直ぐにお断りの電話を入れ、忙しいながら徹夜をして原稿を書き上げて送った始末です。

 これ以外にも講師派遣申請なる文書が沢山舞い込みます。「プロフィルを送れ」「何時に何処へ着くか連絡を頼む」「講演に用意するものは何か」「振込先を同封の用紙記入の上返送してくれ」などなど、もうそれは大変です。相手のスケジュールにあわせ期限を切られるのですが、こちらはそのことをいちいち覚えていないので結果はご承知の通り遅れる始末です。ましてや最近はインターネットで届いたメール返事も余分な手を取られます。

 今年の年賀状も現役のころと変わらぬ枚数でした。出した人、出さなかった人様々なのですが、現役のころのようなチェックが出来ず不義理をしている人もあると思うのですがご容赦下さい。

 えひめ地域づくり研究会議代表運営委員、金融広報アドバイザー、広報区長、観光カリスマ、愛媛大学法文学部非常勤講師などが只今私の公職ですが、その一つ一つに文章がついて回るのです。もう少しの辛抱でしょうが、当分は忙しい文書処理の仕事をこなさなければなりません。手紙を見る度に憂鬱な日々が続きます。

  「出す人がいるから手紙届きます私の名前書く人多し」

  「秘書を置く余裕もなしの身分にて遅れお詫びの電話度々」

  「弁護士の封筒届きギクリする何だ元気か時候あいさつ」

  「女性から私に届いたハガキ読む妻驚ろかずもっと驚け」

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shin-1さんの日記

○朝食はリンゴとキャベツと牛乳と黒酢にパン

 「健康にいいものは何だってやる」を合言葉に、人それぞれ色々な健康のための実践をしているようです。私の仲間に朝食をフルーツだけで10キロ以上も痩せたという人がいます。彼は農家の後とりながら勤めに出て、体が不自由になった父親に代わって土日曜日はもっぱら農業をやっていますが、自分の作ったみかんが最近消費者離れになっている原因を突き止めようと仲間で研究会を発足させました。自分の作った果物の抜群の味を改めて再確認し、「朝の果物は金」といわれる実践を自らがしようと「朝フル運動」を思いついたようです。つまり朝は旬の季節の果物だけで済ませようというのです。効果は抜群で2年前に出会った彼はでっぷらふっくらの人でしたが、今は身体も引き締まり精悍な人間に見事変身しているのです。

 「私もやってみよう」と思いましたが、果物の手配は長続きしないだろうと実践はしていません。でも私は只今痩せる必要もないので自分の健康朝食を続行しようと思っています。

 私の朝食はこの30年余りリンゴとキャベツと牛乳と黒酢少々です。南国四国愛媛は日本一のみかん王国です。リンゴの代わりにみかんでもよいのかも知れませんが、妻は何故か毎日一個のリンゴをむいで食卓に置いてくれます。今はリンゴも年中出回っているので助かりますが、妻の買い物籠には必ずリンゴが入っています。キャベツも私の常食です。厳冬の今年はキャベツが平年の3倍の値段とか、知る由もありませんがキャベツのシャキシャキ感は朝食って感じです。

 黒酢は5年くらい前に始めたのですが、黒酢が効くのかこの5年間風邪は引いたことがありません。主に玄米黒酢を愛飲しています。勿論カルシューム補給のため牛乳は欠かしません。パン一枚を加えたこれが私の昼食メニューです。普通の人と違うのはリンゴとキャベツと黒酢の常食常飲でしょうが、お蔭様で健康で日々を暮らしています。

 快食・快眠・快便の日々は気持ちがいいです。5年前胆嚢摘出手術の大病、1年前のチエンソー怪我と

それぞれ綱渡りしてきた自分の健康をもう一度肝に銘じて自己管理したいと思います。

  「この頃は顔色良いと人が言う嬉しい評価に心ウキウキ」

  「朝飯というのに飯のない暮らしリンゴキャベツに黒酢加えて」

  「同じもの喰ってあなたは何故肥える水を飲んでも太る体質」

  「漫画見たポパイ食べてるほうれん草私はキャベツどうりで力が」

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shin-1さんの日記

○はるばる女性議員がやって来た

 私のインターネットにある日東京都大島町議会の議員さんから一通のメールが届きました。要約すると「東京丸の内の東京フォーラムで開催された全国監査委員研修会で私の話を聞いたから、是非あなたに会って勉強したい」とのことでした。素敵そうな名前の女性の議員さんのことでもあり、日程を調整したのですが、残念ながら日程が合わず断念のメールを送ったところ、「あなたの日程に合わせるから」と食い下がられ、それではと引き受けることになり本日東京から3名の女性議員さんが私の所へやって来ました。東京といってもあの伊豆大島ですから驚きはしませんが、そんな遠い所からわざわざ来られるのですから、取材の日程を早朝に早めたりテレビ出演を早めたり、のんびりすることも出来ず日程調整に追われました。結果的には終日対応することが出来、夕方無事伊予市のタクシー会社まで送って夕方の会合に間に合うように帰って来ました。

 現職を離れたので幾分視察の受け入れは減りましたが、それでも私に会いに来る視察者はまだまだ多く、その都度視察者から逆に学びながら楽しい交流を行っています。合併して交流の窓口が狭められ折角双海町へ来たいと役所に連絡してもやれ「日曜日や土曜日は休みで受け入れられない」とか、「担当者が忙しい」とかで断られることが多いと、結局は私の所へ電話がかかってくるのです。残念だと思いつつ現職を去った私の役場批判になっては困ると思いつつ何か割り切れない気持ちのモヤモヤが続いています。

 議会議員の研修は沢山受け入れてきましたが、往々にして松山に泊まるついでの研修が多いようですが、今日の3人の女性は遥かにグレードの高いやる気の議員さんとお見受けしました。そうなると私も張り切ってわが家までご案内する熱の入れようで、楽しいおしゃべりと交流が出来たように思います。メンバーの中には女性ながら副議長さんもおり椿の花びらで染め上げた素敵な絹のスカーフやくさやの干物をお土産に頂きました。

 一人の女性が研修会で講師の話を聞く。面白かったと人に伝える。それじゃあ行こうと相談がまとまる。

インターネットで検索し都合を聞く。都合が悪いと返事が届く。あなたに合わせると再度メール。それじゃあ会おうと商談成立。町へやって来る。まあこんな具合で小さな種はまるでタンポポのように風に乗って四国まで届きました。小さな種は太陽と水と空気を与えられ再び島へ帰って行きました。多分彼女たちは旅の恵みを島おこしの力にすることでしょう。頑張れ3人の素敵な女性議員たち。あなたに拍手送ります。

  「成功も失敗話も聞きたいと視察研修遠い町から」

  「偉そうな議員バッチを取り外し本気やる気で町中歩く」

  「人あれば町は必ず活性化だってこの町何もないのに」

  「町愛し町のためにと議員さんもひとつ忘れず町を導く」

 

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shin-1さんの日記

○風呂敷よさらば

 もう15年も前のこと、私は一枚の風呂敷を愛用していました。資料を小豆色の風呂敷に包み、提げて歩くのを見て「田舎臭い」とか「東京ぼん太に似ている」とか散々悪評を叩かれましたが、それでも20年にわたって使い古しました。昨晩書棚を整理していたら、何やら古い風呂敷が出てきました。まるで旧友にでも会ったような懐かしさで思わず頬ずりをしてしまいました。妻に「おいこの風呂敷覚えているか」と尋ねたら、「まあ懐かしい。何処にあったの」と思い出してくれました。少々かび臭くなっていますが、この風呂敷包みを持って私は、東京で一人の学者先生と会ったことを思い出しました。

 当時の町長にお願いして、何処へ行ってもいい「武者修行費10万円」の旅費を組んでもらった私は、一路東京を目指しました。ある人のコネを頼りに新宿のある喫茶店で、立教大学教授岡本包治先生と会ったのです。岡本先生も大の風呂敷包み通で、私が風呂敷包みを抱えているのを見て「あんたも相当田舎者じゃあねえ」、「先生こそ田舎者ですよ」とお茶を飲みながら大笑いをしました。以後先生の監修した生涯学習シリーズの本に執筆陣として名を連ねさせていただくなど、深い深い交流をしました。当時私の町には宿とてなかったので、わが家にも2度ばかり宿泊してもらいましたが、「煙会所」での楽しい語らい今も忘れられない思い出です。残念ながら先生は先んじて天国へ召されましたが、この風呂敷にはそんな思い出が隠されていて、捨て難く取っておいたのでしょう。

 でも妻が言うように思い出を引きずり過ぎると新しい発想は湧きませんから、この際捨てようと一大決心しゴミ袋へ入れてゴミに出しました。あの風呂敷はゴミ収集車に乗せられて焼却場に行くに違いありませんが、せめて心の隅に風呂敷の思い出は大切に残しておきたいものだと心を新たにしました。

 風呂敷は日本人が生んだ最高の生活道具だと思います。大は大、小は小なりに包めるし、頬かむりや首に巻くことだって出来ます。最近は手染めの渋さが受けてインテリアとしての価値も高く、染め抜きの風呂敷の深い味わいが見直されています。でも最近はお祝い事のお返しにいただいていた風呂敷もめっきり減ってきました。私たちの暮らしが洋風化してきた証拠でしょう。

 昨年息子が結婚した時、結納や披露宴などの厳粛な祝い事にには風呂敷が重宝され大活躍しました。はったりや夢を語る人間のことを「大風呂敷」と悪口をいうのですが、さしずめ夢を語ることが好きな私も「大風呂敷」人間の一人かも知れません。シンドバットやアラジンのようなジュータンでなく風呂敷に乗ってドラえもんのように大空を飛びたい気持ちです。

  「一枚の風呂敷包んだ思い出も今は懐かし記憶の彼方に」

  「若き頃大風呂敷を広げては夢を幾つも語り明かした」

  「洋風の暮らし風呂敷消えてゆく傘下駄着物巾着までもが」

  「唐草の風呂敷背負えば泥棒とイメージ描ける私は古い」

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shin-1さんの日記

○観光イチゴ園

 今年の冬は想定外に寒く、北日本では大雪が降って100人を超す人が雪の犠牲になるなど、南国四国では考えられないような痛ましい事故が起こって、福井の大雪を体感しただけに心を痛めています。そんな中わが町では早くも観光イチゴ園がオープンして、沢山の人がやって来ています。

 人間という動物は身勝手なもので、自然をコントロールして生きています。さすがに夜明けをもっと早くなんてことは出来ませんが、植物に休眠期がある特徴を生かして秋や冬を体感させて目覚めさせ、年末までに温度をかけて春が来たことを教えるのです。そうするとこの寒いというのにイチゴは花をつけ実をつけて美味しいイチゴが出来上がります。

 しかもこのイチゴ、高床式とでも表現するような場所で土の代用となるロックウール床に送られる栄養分だけを吸収して成長するのです。まあ早い話がハウスの中はイチゴ生産プラント工場なのです。中に入ると地蜜蜂が飛び交い受粉交配して一足早いすっかり春めいた雰囲気です。6齢まで収穫する、つまり6回も実を成らせる多収穫栽培で5月末まで収穫できるのですから驚くほかはありません。

 今年は年末年始にかけて寒い日が続き、曇天の日が多いため日照不足で少し生育が遅れていると農家の方の表情は暗かったようです。

 みかん作りしか芸のなかった若者が、みかんの裏作として複合経営を目指し始めました。最初は試行錯誤の連続でしたが、シーサイド公園の観光客を誘導することにも成功し初年度は4軒で1万人を集めることができ、その後想定内の観光客を当て込んで増設や関連施設を整備した結果、徐々に観光客は増えているようです。初期のころ集客に一役買った私としては嬉しい限りです。

 集客で想定外だったのは最近になって高齢福祉施設が周辺市町村にいっぱいできて、高齢者が定期的に沢山来てくれることです。とりたてて楽しみのない施設入所者にとっては遠足気分で来れる観光イチゴ園はまるでユートピアといった所でしょう。高床式で車椅子でも入れるので安全と安心が確保されています。

 この観光イチゴ園にとって最大の武器は原風景です。愛媛県で最も古い現役の木造校舎「翠小学校」や水車小屋、周辺の河川・道路改修など穏やかな田園風景も魅力です。初夏には蛍も飛び交いノスタルジックな雰囲気は少年の頃の思い出へといざなってくれます。

 一度観光イチゴ園へ家族で早い春を探しに来てみませんか。ご案内します。

  「ハウスでは早くもイチゴ赤く熟れ特老マイクロ笑顔運んで」

  「ミツバチが小さな花に来て止まる女王のためか農家のためか」

  「木造の校舎と水車長閑なり見ているだけで心ポカポカ」

  「イチゴ園農家のおばさん薄化粧商売人を若返らせる」

  

  

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shin-1さんの日記

○テレビに出ちゃいました

 「ほっといてくれ」と言いたいのですが、「あなたはラジオ向きの顔をしてよくテレビに出ますね」と言わんばかりの温かい反響で、早速今日のテレビ番組出演の反応が早くもメールに入って来ました。

 「今日何気なくテレビを見ていたらあなたが出演をしていて驚いた。元教育長と言っていましたが、いつ辞められたのですか」とか、「中学校の職員室でテレビを見ました」とか、「おっしゃるとおり受験生を抱えたわが家も、冬の寒さと同じように憂鬱な季節を迎えています。家族みんながピリピリしてゆとりのなさを感じます。今晩は学校から息子が帰ったら、今日のテレビのことを家族で話したいと思います」などなど反応は様々ながら、撒き餌に少しずつ魚が集まって着ました。

 テレビを見た人の話をしましたが、見てない人のために少しフォローしておきます。今日の番組は「ふれスタえひめ」という昼前11時30分からのNHK番組です。主婦からの質問に答える形でその問題点や解決策について、僭越ながら私がショートコメントをしていくのです。今日のテーマは「受験生を持つ親の悩み」でした。導入では受験は出来るだけいい学校に入学させたいと願う親と、自分の好きな学校に行きたいと受験に落ちることを想定した逃避型の子どもと、学力を数字でシビアに評価し落ちたら学校の責任だからとワンランク下を狙わせる先生の、3者の思惑が微妙にからんだ問題です。

 高校に進学したが部活も勉強も上手く行かず迷っている主婦からの質問の中から拾い出した問題点を①親の希望が優先されて進学校を決めたのがいけなかったのか学校が嫌になった。②親子の反目が始まったがその対応。③勉強と部活の両立の仕方。④家でダラダラ過ごす時間が長くなった。の4つに整理をしてコメントしました。

 「もしあなたに解決策を求められたらどうするでしょう」。今回はあえて私のコメントは紹介せず、今日テレビを見ていない人には自分で考えてもらうことにしました。もしいい解決策があればメールを下されば幸いです。

 テレビの生出演は中々緊張するもので、カメラが回りだすと思っていることの半分も言えないものです。それでも少し馴れてアドリブでしのげるようになりました。それにしてもアナウンサーは偉いです。話す内容をまとめ時間通りに終わらせるのですから・・・・・。見習いたいものです。

  「ラジオ向き顔した私が生出演昼飯前に何たることぞ」

  「テレビ見たメールが届く昼下がりダビングビデオ見ながらしもた」

  「指折って入試の嵐去るを待つわが家は嵐去り行きさびし」

  「どの家も順風漫歩行かぬもの悩みあるから喜び多し」

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shin-1さんの日記

○タオルを着こなす若者たち

 わが家の脱衣場には何本ものタオルが洗濯され定位置に置かれています。タオルの収納でその人の清潔感が分かるといわれるほど、主婦にとってタオルは洗濯の対象物として大きな位置を占めているのです。毎日家族が使うタオルは半端ではありません。救いなのはアイロンを当てないで済むくらいです。

 朝顔を洗って顔と手を拭く、トイレから出ると手を洗って拭く、水仕事をして手を拭く、ふろに入ると身体を洗う専用のタオルで洗い、出ると大きなバスタオルで体全体の汗や水気を拭き取るなどなどタオルは私たちの生活になくては鳴らない存在なのです。そのためでしょうか、盆や正月には買い物をする馴染みの店はささやかな感謝の気持ちを込めて、自分の店の名前を刷り込んだタオルを粗品として出して喜ばれています。ある主婦はこんな時代遅れの粗品に『何だタオルか」といいたげに、拒否をするといいますから世の中分からないものです。妻に言わせればタオルは何本貰っても重宝で、洗い晒しで古くなればお下がりして雑巾にもなるし、おすそ分けのお礼にしても喜ばれるしと言っています。粗品拒否の主婦と私の妻、どちらも女性なのですが私は妻の方の意見に分があるように思うのです。

 最近タオルが見直されてきました。若者たちが何か作業をするとき器用に頭に巻いて帽子の代わりをしています。ある意味で格好よいので私も昨年の夏人間牧場の作業で見よう見まねやってみました。若者のような格好よさはないと思いましたが、これが案外涼しく頭にフィットしました。今年の夏は絶対あの格好をしてやろうと心に決めています。

 今年の冬は人間牧場にもうっすら雪が積もり寒かったのですが、畑仕事ではもっぱらタオルを首に巻いて仕事をします。首筋が温かいし草や土の侵入を防ぐだけでなく汗だって拭けます。昔の人はタオルを腰に吊るして作業をしていましたし、鉢巻や冬の頬被りは田舎のおじさんの代名詞のようでした。

 今やタオルはファッションです。様々なデザインのカラフルなタオルが登場しています。近くに今治という全国有数の産地があるからタオルは否応なしに暮らしの中に溶け込んでおりますが、このタオル業界も景気のよいころ賃金の安い東南アジアに進出して、今は逆にその東南アジアが競争相手になるというかつての日本とアメリカのような関係になり、業界全体の大きな問題となっているようです。

 私には黄色いお気に入りのマイタオルがあって、何かにつけてこのタオルを使います。自分の身体にフィットする何かを持っています。イベントの時は必ずこのタオルを首に巻く習慣が身についています。そのタオルも『お父さんもうそのタオル止めたら」と妻に言われますが、くたびれたタオルの行く末は雑巾か車洗いしかありません。もう少し働いてください。黄色いタオルさんご苦労様。

  「ひいふうみい干したタオルを数えると何と多いか洗濯干し場」

  「風呂上り妻の差し出すバスタオルふかふか拭い体休まる」

  「お気に入りタオル首巻きよし行くぞ野良の仕事の気構えだけは」

  「車拭くタオル見覚えあの店でガソリン入れて貰いし一枚」

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shin-1さんの日記

○芋菓子貰う

 鳴門金時、土佐金時といえば言わずと知れたサツマイモの銘柄です。勿論それ以外にも西宇和郡瀬戸町(現伊方町)にも瀬戸金時なるサツマイモが存在します。昔はサツマイモを貧乏食の代名詞のように言われていました。事実私たちが少年だった戦後の物不足の頃は、サツマイモを常食のように食べていましたからそれも当っているのかも知れません。しかし今は食物繊維の多い健康食品として持てはやされ、高価な食材となっています。

 高知県へ小旅行に行った友人から芋菓子をいただきました。「芋菓子は孫がすきでねえ」と口を滑らせたばっかりに届いたのです。言ってみるもんだと内心ホクホクです。

 最近までは高知へ行くのに国道33号線という山中コースを3時間かけて行きましたが、今は高速道路を使えばわざわざ香川県境辺りまで東進するにもかかわらず僅か2時間で高知市内へ行くことが出来ます。殆どの人は短時間コースを選ぶのですが、その人はあえて山中コースを選んで行ったそうです。

 その高知県よりの中ほどに芋菓子の製造販売所があって、私も高知へ行った時は行きか帰りかその店へ立ち寄るのですが、高知では芋菓子とはいわずいもケンピと呼んでいます。芋を細長く切って油で揚げ熱々に砂糖湯をかける独特の製造方法がオレンジ色の美味しい芋ケンピを作るのです。

 芋ケンピは普通細長いのですがきちんとピンとしている芋ケンピは品もよく高価なのですが、半分以下に折れたものは特用袋に入れられて3分の1の値段で売られているのです。どうせ食べるときは折って食べるのだからと、特用袋を買う私はやはり貧乏人の末裔でしょうか。でも何といわれても見た目より実を取ったほうが得策だとは思いませんか。徳用徳用。徳用に限ります。

 貰った芋ケンピは早速金属製のお菓子箱に入れて乾燥剤を入れ、孫の来宅を待っています。「おじいちゃん乾杯」と何故か孫は芋ケンピで乾杯をして食べるのです。おっといけない。孫の顔を想像すると目尻が下がってしまいそうです。しゃきっとしましょう。

 昔は芋菓子も家で作りました。美味かったですね。

  「母生きしころに作った芋菓子を思い出しつつガリリ音立て」

  「人は皆そんなに急いで何処へ行く昔通った山道忘れて」

  「徳用の芋菓子買いしわが友も貧乏人の子沢山なり」

  「芋食えばパンツ破れる屁の力そんな一句を言いつつ食った」

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shin-1さんの日記

○人間牧場が雑誌に載る

 雑誌といえばいいのか機関紙といえばいいのか分かりませんが、人間牧場のことを意識的に情報発信しているため、これまで3回もその種の情報誌に人間牧場が載りました。2回は自分で書いた記事ですが今回は観光をテーマの「舞たうん」という機関紙に観光カリスマとしてのインタビュー記事に添えられる形で2枚の写真が掲載されたのです。一枚は水平線の家で私が笑顔で話すスナップですが、もう一枚の写真が実に素晴らしいのです。11月に取材に訪れたえひめ地域政策研究センターの研究員である脇田さんが、室内から海に向かって張り出したウッドデッキに立つ私と、同行した鵜野さんの二人が海を見つめる姿をバックから激写しています。

 今日所用で出会ったある舞たうんの愛読者から、「あの写真は誰が撮ったですか。素晴らしいですね。」と賞賛の言葉をいただきました。確かに私は取材の日あのカメラの位置に脇田さんと鵜野さんを座らせ、「どうです。いい眺めでしょう。ここに座ると海と水平線と空しか見えません。これをここ人間牧場ではコスモス牧草と考えています。こんなロケーションはありませんよ」と自画自賛したのです。脇田さんは私と鵜野さんをウッドデッキに立たせ何枚か狙っていました。

 校正ゲラの段階で写真を見せてもらったのですが、出来上がった写真は実に素晴らしく一目瞭然でした。

写真に添えられたキャプションも「人間牧場に建設中の『水平線の家』。牧草に見立てた海や水平線を望み、新たな『コト』おこしを構想する若松氏(左)」とありました。スライド全面開放のサッシ窓からは雄大な伊予灘の海と空がパノラマ風に見えていました。

 これで人間牧場もやっとデビューしたことになるでしょう。風誘う春が待ち遠しいワクワク感が身体に湧いてきます。早速インターネットでメールが入ってきました。「舞たうん読んだ。また新しいことに挑戦する姿に感動」なんて褒め殺しもありました。『あそこで焼肉食ったら最高でしょうね」なんて馬鹿げたメールもありました。即座に『焼肉は晩餐館。焼肉焼いても家焼くな。焼肉を食べたい人お断り」と皮肉たっぷりのメールを送り返しておきました。おっと、このブログはあの人も読んでいる。しまった。しまった島倉千代子でした。

 一枚の写真はどんな巧妙な記事よりも雄弁にその意図することを物語ります。あの写真はそんな一枚だと確信しました。

  「一枚の写真が語る物語誰が写したはいWです」

  「雑誌見たあそこで焼肉食いたいとメールよこした大馬鹿者が」

  「人は皆二つのまなこ持っているある人見えて何故に自分は」

  「CGで消せる電線消さずとも心眼持てば要らぬは消える」

 

 

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