shin-1さんの日記

○大きなヤマモモの木

 【人間牧場」に樹齢200年を有に越す大きなヤマモモの木があります。この木は子どもの頃とひとつも変わらない姿をしています。多分木の成長と自分の成長がダブっているので、子どもの頃は大きく感じたのかも知れませんが、とにかく大きい木です。木霊宿るという言葉がぴったりのヤマモモの木の側には、小さな祠があって、地元の人が時々お参りに来ます。

 ヤマモモの木には多分雷が落ちたのでしょう。根元には黒く焼けた後が空洞になっています。子どもの頃この空洞にハーモニカを隠していましたが、誰れにも見つかりませんでした。たまにお菓子を隠していると何者かに食い荒らされて悔しい思いをしましたが、今考えると動物だったようです。私は神の使いではないかと思ったこともありました。

 ヤマモモの木」「人間牧場」のシンボルです。大切にしたいと思います。

ハーモニ家を目指したい

 ああ、そうそう隠したハーモニカですが、その後約半世紀経って、最近そのことを思い出してハーモニカを吹き始めました。知らなかったのですが、今日本の教育ではハーモニカを習わないそうです。リコーダーだそうです。私はこのことが不思議でなりません。外国から入ってきた楽器とはいえ、あんな哀調を帯びた音色を聞かせてくれる楽器はそうそうないと思います。持ち運びも簡単だし、日本の文部省は何を考えているのでしょう。

 私は将来(そんなに時間がないって?)ハーモニ家を目指したいと思っています。

ここだけの話ですが、密かに練習して只今100曲以上を吹けるようになりました。通知表音楽2の落第生としては大変な努力です。とひとり自慢しています。将来は何処かでハーモニカコンサートをと淡い夢を持っています。

 

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果物を作りたい

 「人間牧場」の周辺は、日本一のみかん産地愛媛県だけあって、みかんがいっぱい生産されています。

 温州みかんからハウスみかんまで、今は弌年中を通じて美味しいみかんがあるようです。しかしみかん農家以外でみかんを作ることは非常に難しいようです。除草や防除を含めた肥培管理を行わないと、「人間牧場」の農地が10年も放任してダメになったように、枯れてしまうのです。

 農家の方々の汗水たらした苦労を思うと、「果物を作りたい」などと安易に言えないようです。しかし私はあえて「果物を作りたい」のです。

 みかん、ブドウ、スモモ、なし、いちぢく、柿、レモン、ブルーベリー、など季節の果物を作りたいのです。息子が職場の上司からブドウの苗木をいただいてきましたので、早速秋には移植すべく畑へ仮植えしています。それまでに果物の木の育て方を勉強しないといけません。ミニのフルーツランドを夢見ています。

 今年は「人間牧場」の近くで野いちごをたくさん見つけ、除草や作業の合間に食べましたが、野趣この上ない食べ物に感激しました。また近くの野山にアケビや椎の実も見つけていますので、山歩きの秋が楽しみです。

 最近は里山が荒れてきたのか、農家の方々はイノシシの被害に頭を痛めています。先日もハンターからイノシシの肉をおすそ分けして貰いましたが、複雑な気持ちで食べました。

 ともあれ果物を作りたい夢は徐々に膨らんでいます。「桃栗三年柿八年、梅のうど馬鹿13年、そうそうイノスは18年」、これは私たちの町に伝わる言い伝えです。だとするとユズはもう私の代では遅いかも知れませんね。

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五右衛門風呂を作りたい

 「人間牧場」構想は時間と手間ひまとお金がかかることから、一気にはことが運びません。故に「水平線の家」の建設が第一期工事なら、さしずめ五右衛門風呂は第二期工事といったところでしょう。

 家を人が住めるようにするためには飲み電気や水の確保、下水の処理、便所、風呂、食べ物作りなどクリアーしなければならないハードルが幾つもあります。勿論その殆どがなければ自然に任せたり、代用品を持ち込めば済むのですが、生活をするとなると日日のことであり、そういうわけにはいきません。

 実は第二期工事のはずだったんですが、五右衛門風呂はもう基礎部分が出来上がっているのです。工事状況を見に来た人からは奇妙な構造物を見て「あれは何?」とよく聞かれます。「うーん、あれは出来上がるまでの秘密です」とお茶を濁しているのですが、実はブログ読者にだけ教えますが、あれは五右衛門風呂の基礎部分なのです。

 五右衛門風呂を作ろうと計画したとき「五右衛門は昔の大泥棒なのに」と笑われましたが、私たちが子どもの頃の各家庭の風呂は殆どが五右衛門風呂でした。下簾(ゲス)板を沈めて入る五右衛門風呂は今にして思えば何とも奇妙な日本人の暮らしでした。そこで郷愁を呼び起こす、いや日本人の暮らしを再現するためにも是非五右衛門風呂をと考えたのです。

 露天風呂+五右衛門風呂のようなものを考えています。出来上がった是非一度入浴をと勧めます。

「海や夕日を見ながら五右衛門風呂に入る」何てロマンチックな考えでしょう。

 どこかに古い五右衛門風呂の釜はないかなあ。(独り言)

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赤トンボを作りたい

 「今はもう秋・・・・」なんていうと、昔流行った歌みたいですが、秋になると何故かトンボを思い出します。

 自称「夕日博士」の私としては、夕日=赤とんぼと思うほど夕日には赤とんぼが似合うのです。それを裏ずけるように、「夕焼け小焼けの赤とんぼ」で始まる「赤とんぼ」という童謡にも「赤とんぼ」は、詩情豊かに歌われています。

 今は秋ですから様々な「トンボが低く飛び交って秋を演出しています。

 あんなトンボを指先に止まらせたらと、子供の頃から思っていましたが、勿論作り物なのですが、竹で作った「トンボ」を手に止まらせることに成功しました。

 思い返せば昨年の春、ある人が竹で作った「トンボ」を2匹いただきました。その「トンボ」に改良を加え、手に止まる「赤トンボ」を開発したところ、行く先々で大好評でした。製作者は去年まで私の町の中学校の校長をしていた窪田先生ですが、先生と私はこの「赤トンボ」を村おこしの特産品に仕立てようと密かに作戦を練りました。ところが校長先生は町外へ転校、私は市町村合併で教育長を辞したため、「赤トンボ」の話は立ち止まっていますが、「人間牧場」構想の進捗によって、仮称「赤トンボの館」構想は息を吹き返しつつあります。勿論窪田校長先生との二人三脚が不可欠ですが、どっこい「赤トンボ」は生きていました。

 「人間牧場で生まれた赤トンボ」が日本各地の子どもたちに夢を与える日は近いでしょう。

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ツリーハウスを作りたい

 わが愛媛県出身の作家にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんがいます。大江文学は難度の高い作品が多く、私のような凡人には中々理解し難いのですが、同じ本を何度も読み返していると、段々分かってくるから不思議です。でもやっぱり他の本に比べると頭が休まるどころか、頭が痛くなります。

 そんな中で一番好きな本は「自分の木の下で」という作品です。特に奥様大江ゆかりさんの挿絵が素晴らしく、空想と現実を結び付けてくれます。

 本の中に出てくる「本を読む木の家」は、子供の頃に経験したことだけに特に気に入って、いつか自分も「本を読む木の家」つまり「ツリーハウス」を作りたいと思っています。

 「人間牧場」には樹齢200年のヤマモモの木があるのですが、根元の近くに道祖神のような祠が祭ってあり、恐れ多くてバチでも当っては大変と近寄りがたく思っています。「人間牧場」の敷地内にはみかん畑当時の防風林に使っていた杉の木が何本か生き残って枝を張っています。根元や枝分かれの面白さがあるので、この杉の木を使って「ツリーハウス」を作り、畳一畳の狭いハウスで、思いっきり本を読んで見たいと思っています。

 そんな考えを察してか息子が「ツリーハウス」の本を一冊プレゼントしてくれました。楽しく読んで夢を膨らませています。

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○「人間牧場」に電気が灯る

 今日「人間牧場」に電気が引かれ始めて文明の灯が灯りました。

 最初はランプ生活でもしようかと思ってわざわざ骨董屋を訪ねランプを三つ用意をして始めたのですが、息子の意見を取り入れて電気を引くことを決意しました。四国電力さんは100メートルもの距離を電柱を一本立てて電線を引き込んでくれました。しかもその工事費はタダだそうで、感謝感謝です。四国電力さんにしてみれば大きな投資だと思いますので、せいぜい電気を使いたいと一瞬思いましたが、懐具合もあるのでなるべく節電につとめたいと想います。お許しください。

 親戚の電気屋さんが工事をした後テストをしました、昼間のテストでしたので明るさはそれほど感じませんでしたが、設計士の息子が考えたのですから、とにかく電器の数がやたらと多いです。漁師さんが沖合いから船で見ると、まるで不夜城って感じではないかと思われます。息子は畳一畳ほどの囲炉裏の上に自作秘策の排煙装置を作る計画だそうですが、一事が万事現代的なテーマを追求する息子と、古風民芸調をテーマにしたい私とは所詮水と油の関係でしょう。いつも「お父さんは古い」という枕詞を浴びせられますが、金を出すオーナーの強みで多少私に歩み寄ってくるものの、未だにその穴は埋められません。

 それにしても電気はエジソンが発明したそうですが素晴らしいものだと実感しました。

 「人間牧場」ワクワク・ドキドキ・ジーンがまた増えそうです。

 

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shin-1さんの日記

 今日は昨日と一変するほど温度が下がって、「人間牧場」を吹き抜ける風も半袖シャツでは寒いくらいでした。自然とは偉いもので、日本中の温度をたった一日で5度も温度を下げるのですから、その力を侮ってはいけません。

 空気が澄んで海の色も一変しました。空の色が海の色まで決めるのでしょうか。「人間牧場」を作り始めて、これほど綺麗な原風景を見せるのは勿論初めてです。一番遠くは一年中でも1~2度しか見えないといわれる大分県姫島が見えました。姫島はここから100キロ以上も離れているのに・・・・。

 とにかく凄いの一言に尽きる一大パノラマでした。早速持参したデジタルカメラで撮ろうとしたら何と、これまで撮った情報の処理を忘れていて「容量不足」の表示が出て、あえなくその風景は幻に終わってしまいました。「うーん、残念」「まあこんなもんか」と悔しがったり、諦めたりの一瞬でした。

 只今ブログに画像を取り込む技術が私にはありません。しかし近日中にその技術をマスターして「人間牧場」の一部始終を写真で公開したいと思っています。

 日々の移ろいを電子文字にして残せるブログの存在は、年齢を重ねるほどに記憶力の退化しつつある私には、ぴったりの道具となりつつあります。文明とは素晴らしいですね。

 

 

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shin-1さんの日記

 人は生きてゆくために色々な情報を手に入れます。私の場合も新聞や雑誌の類から、テレビやラジオまで様々なメディア媒体を通して入る情報はおびただしく、そのほとんどは聞き流し情報として暗黙のうちに処理されて忘れさられてゆきます。私の場合最近は、インターネットからの情報割合が多くなりつつあることも実感しています。

 しかしそんなメディア情報の他に、自らの五感を使いながら双方向に流れる身近な情報の存在も意識しておかなければなりません。むしろそうした身近な情報こそが生きていくためには必要なのかもしれないと情報という文字を見て実感するのです。情報とは書いて字のごとく情けの報、つまり「心と心、顔と顔、手と手の温もりあるものも情報である」との認識です。また情報という字の情を場にする現場の情報という考えも成り立ちます。

 「人間牧場」情報もブログの力や私の情けの報や、それに現場の報の力によって随分あちらこちらで話題になってきました。嬉しいことです。 素晴らしいことです。「人間牧場」の大きな狙いに情報の発信がありますが、これからも情報の発信には特に気を配って行きたいものです。

 「人間牧場」は、私の持論である「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」そのものですから、やがて人が集まってくることでしょう。また私のまちづくりに対する3つのキーワドである「楽しい」「新しい」「美しい」も追求してゆくつもりです。

 「人間牧場」から「新しい風」が起こりつつあります。

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shin-1さんの日記

 早朝7時に早起きした息子と、久しぶりに「人間牧場」へ出来具合を見に出かけました。

 剣道を1キロ弱、国道を9キロ弱、町道(農道的)2キロ、合計12キロ弱の道のりを、妻の愛車(軽四自動車アルト)を運転して約10分余り走ると目的地に到着します。多分始めて訪ねる人は町道約キロの道の狭さに恐怖心を覚えることでしょう。まず入り口の鉄道下をくぐる狭いトンネルで驚きます。その次に待っているのは急な断崖の岩肌を縫うように走る狭い道は思わず体全体に力が入り冷や汗ものです。

 たまに案内する人からは、この道を何とかという言葉をいただきますが、当の本人の私は余りそのことを恥ずかしいとは思っていません。むしろこの道で来訪者の餞別ができる、つまり「33ナンバーの車はご遠慮くださいといわなくても、「人間牧場」に分相応と思える人しかこれないという訳です。軽4、トラック大歓迎の作戦なのです。

 早朝の海や山は朝日に輝いて目にも鮮やかに見えましたし、空気が美味しいと思いました。草刈をした後に伸びたハズの葉っぱには、初秋に見られるハズ虫の大群が群がり、体を震わせながら葉っぱを食べていました。多分都会の人は「気持ち悪い」と思うでしょうが、私としては全然平気な自然の営みと映りました。

 ある人が「畑に草が生えて困る」と言ったのを聞いて、「ここはもともと草むらでした。そこへ人間が入ってきて植物を作るのですから、草が生えるのは当たり前、草が生えないようにしようと思うことは人間のエゴでです」「草の既得権」を主張しました。納得納得です。

 雨宿りのつもりでしょうか、それとも人間が恋しいのでしょうか、家の中にハズ虫が早くも2匹入り込んでいました。キャー」都会から来る人の悲鳴が聞こえそうです。面白い。

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shin-1さんの日記

 まちづくり人は得てして家族や地域と対立するものです。理想に燃えて活動すればするほどその分、家族や地域がおろそかになって、時には反対されたり地域や家庭と不和になります。かく言う私も随分そのことには悩みましたが、幸い家族や地域の深い理解と後押しがあって、むしろ大きな力になりました。

 今回の「人間牧場」構想もそうした危険性をはらんでいました。そりゃあそうでしょう。合併というアクシデントではあっても、失職・無職の男が自分の夢などと戯言を言って我を通すのですから・・・・。でも私の家族は違いました。妻は貧しくも慎ましやかな35年の結婚生活で、世界中で一番の私の良き理解者に変身しているし、息子も設計というかかわりの中で反感・反目の親子関係から、共有・共感・共鳴へと変わってくれました。嬉しいことです。もっと嬉しいことは、息子が「まちづくり人」である私の意思を受け継げることです。

 私は生まれ育った双海町を日本一愛していると自負しています。そのことが息子たちに受け継がれるとしたらこれ以上の喜びはありません。日本人にとって自分のふるさとへの想いは最も大切なことですから・・・・・。

 「人間牧場」づくりは、家族の絆を強くするという、そしてまちづくりに対する想いを確認するという意外な副産物を生みつつあります。

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