shin-1さんの日記

○宅配新聞

 先日のブログで「新聞を買いに行って新聞の値段の高さに驚きました」と書いたら、「えっ、新聞ってそんんなにするの」と改めて新聞の値段の高さに驚いた意見やメールが沢山寄せられました。私だって今朝妻に「おい、新聞の一ヶ月の購読料なんばだ」と尋ね、「また藪から棒にどうしたの。3000円です。男の人はいいわねえ。新聞の購読料も知らないで日々が暮らせるのだから」とひねくらられました。「聞くんじゃなかった」と後悔しましたが、言われるとおり新聞の購読料も知らずに暮らしているのです」。この3000円を単純に30日で割ると一日一部の購読料が100円です。「えっ」と不思議に思いました。だって毎日の新聞は毎朝新聞少年によってわざわざ宅配してもらうのに100円、私がわざわざコンビニに買いに行った朝日新聞が130円なのです。この30円の差は何なのだろうと思ったんです。「お前それも分らないのか、ようそんな事を考える暇があるなあ」と馬鹿にされるのが落ちなのでこの辺で止めますが、それにしても「買いに行く。安いはずなのになあ」。あー止めた。眠れなくなりそうです。

 私たちの暮らしはリズムの中で成り立っています。水も水道も、テレビの受信も、インターネットの交信も人が直接持って来ないものだから、宅配していることにはまったく気付いていません。ところが新聞や牛乳は人が直接宅配してくれるので実感はしますが、それとて私たちが眠っている早朝6時頃に届くものですから当たり前のように受け取り利用してるのです。

 新聞の定期購読は新聞社にとってみれば契約によって発行部数が確保できるという点でのメリットがあります。これが今日は要らない、今日は要るなんてことになったらそれこそパニックになってしまうのです。言い換えれば一部30円の差額は安心料とでもいえるでしょう。しかし最近の新聞には頼みもしない広告がやたらと入っていて、特に人が動くこの季節はそれはひどいもので、新聞の重さより広告の方がはるかに重いのです。ある一人暮らしの老人が新聞の広告などの紙ごみが多くて困るからと、広告無縁宣言をしに販売店へお願いに行ったそうです。そりゅあそうでしょう。車に乗って買い物にも出かけられないその老人にとって見たら新聞広告などただの紙ごみなのです。私はこのおじいちゃんは偉いと思いました。おじいちゃんの行動の落ちは「あの広告分だけ新聞代を差し引いてくれ」と言ったそうです。

 困り果てた販売店の人は、「あれはタダで入れているので新聞代はまかりません。もし広告が必要でないのなら入れませんが」と言ったら「タダじゃあ文句は言えないな」と引き下がったそうです。もし私だったら「タダなら余計要らないものは要らない」と開き直っているのでしょうが、新聞販売店にとってこの折り込みチラシが一部1円とか5円の収入になるのですから、折込みチラシを否定されるとそれこそ死活問題になるのです。折り込みチラシと新聞広告は知らず知らずのうちに人々の暮らしの中に溶け込んでいるようです。

  「新聞は 取るといったが 広告は 要りませんから まけてくれとは」

  「広告も 毎日こまめに 見ていると 暮らしの知恵が 隠されている」

  「新聞は 高いようでも 安いもの 高いと思う 読み方足らない」

  「宅配は 荷物とばかり 思ってた 新聞牛乳 水も電気も」

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shin-1さんの日記

○男と女の区別がつかない

 芸能界にカバちゃんや三輪明宏、美川憲一などの男が女のような格好をして登場し始めてから、世の中は「この人女?、それとも男?」と首をひねる時があります。今は性転換手術などが可能となったし、結婚すれば男性の姓を名乗ることが普通だと思っていたことだって夫婦別姓が認められ、その傾向は益々顕著になってきました。

 普通男性と女性は骨格の違いから見ただけで「ああの人は男」と見分けが付くものですが、最近の若い男性が労働やスポーツで鍛えることもなしに社会に出てくるものですから、「えっあんた男?」といえるような色の白い男性に出会うのです。しかもその男性諸君がイヤリングやお化粧をしていると、もうこれは男性の女性化としか言いようがないのです。

 昨日も男性と女性の見分け方について話に花が咲きました。ある人が「そりゃあ簡単ですよ。上の出ているのが女性、下が出ているのが男性さ」と会場を笑いの渦に巻き込みました。するとある男性が「でも女性だからってペチャパイの人だっているし・・・・」と、会場の特定の女性にみんなの目がそれとはなしに集中し益々エスカレート、「これってセクハラじゃない」と同席女性の一言で会場に衝撃が走り、先ほどまでの議論が何だったのかと思わせるようにすっかり白けてしまいました。

 神様はこの世の中に男性と女性を作りました。しかし世の中には自分が男性であること、女性であることにコンプレックスを持ったり満足せず、異性への憧れを抱いている人が少なからずいるのです。まあそれはそれとして人間の自由ですからとがめるつもりもありませんが、男女の区別と言う人間の基本的な部分の混乱は同性愛などに発展し、永遠の課題として人間のある限り続くものと思われます。

 最近発見したことなのですが、そういえば女性は赤味を帯びた口紅を塗っています。口紅は書いて字の如く紅赤なのですが、口紅ならぬ黒紅もあるので一概には言えません。しかし女性が赤い口紅を塗ることには奥深い訳があるのです。子どもの頃修学旅行でお猿さんで有名な別府の高崎山へ行きました。その時雌猿のお尻が赤いのを見ました。雌猿は発情するとこの赤いお尻を更に赤くして雄を呼び寄せ交尾すると言うのです。「雌は性的に興奮すると性器が大きく膨らんで充血して赤くなり、顔もほんのり赤くなります」なんてことを私たち小学生に飼育係の人は詳しく話してはくれませんでした。でも実は人間の女性もちゃんと雄にサインを送る方法を持ち合わせているのです。その場所は唇で、性的に興奮すると女性の唇は赤味を増して膨れるののだそうです。女性は興奮すると女性ホルモンの代表格であるエストロゲンが働き出します。エストロゲンは発情ホルモンで性欲を起す主要な働きをします。

 町中で、口紅をまるで唐辛子のように真赤に塗った超ド派手な女性を見かけることがありますが、これは猿の世界でいうと「私は発情してます。男性の皆さんいらっしゃい」と言ってるようなものです。はいこれは猿の世界の話です。

  「色白の 瓜顔見れば 女性だと 思うは常識 それ非常識」

  「口紅を 真赤に塗る人 ご用心 猿の世界じゃ 発情信号」

  「そういえば いやちょい待って この人は はてはてどちら うーん分らぬ」

  「この性に 生まれてよかった 思わねば 次に進めぬ 人の愚かさ」  

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○泣いてた子どもが大笑い

 今日はツーリズム研究会の委員をしているので最後の会合のため広島市へ行きました。あいにくの雨模様で海も荒れていましたが、往復2時間半余りのスーパージェットの船旅は、船のローリングが心地よい眠気を誘いウトウトしながら広島半日帰りの旅となりました。遠いと思っていた広島へ公共交通機関を使ってビジネスを組み合わせても半日で往復できるのですから便利になったものです。でもスーパージェットは早いだけ料金が高く、今日は主催者が旅費を出してくれるので助かりましたがまるで飛行機並みの料金なのです。

一時間おきに出る船の中は閑散としてゆったり座れ、リグライニングシートに体を沈めて本を読んでいると、突然隣に座っていた若妻、若妻の母親、孫とおぼしき3人連れの孫が何かにたまげて泣き始めました。最初は若妻の母親がぐずる孫を抱いてあやしていましたが、泣き止まないので若妻に孫を手渡しました。先ほどの若妻の母親ほどに上手く抱けない若妻の手の中で益々激しく泣き始め、周りの人は口にこそ出さなかったのですが「俺たちは金を払って乗っている。この鳴き声何とかしろ。テレビの音声も聞こえないじゃあないか」と言わんばかりの渋い顔です。

 子ども好きな私はその様子を少しの間見ていましたが、ひょっとした拍子に泣きじゃくるその孫さんと目が会いました。私はあやすような顔をして声なき声で語り掛けました。するとどうでしょう。あれ程泣いてた孫さんの鳴き声が小さくなり、数分したら笑顔を見せるようになったではありませんか。私は嬉しくなって「いないいないばー」なんて年甲斐もなく孫さんを必死になってあやしました。若妻さんも若妻の母親も泣きじゃくる孫に途方にくれていただけに大助かり、私の存在に気付いて会釈をしてもらいました。その後その孫さんはしゃっくりを繰り返しながらもげらげら笑って、結局は私のひざの上にやってきたのです。「済みません。大助かりです。お父さんと間違ったのでしょうか。子どもをあやすのがお上手ですね。お礼にどうぞ」と船を下りる時には、何処かで買ったのでしょうか、固辞するもモミジ饅頭の小箱まで頂だいてしまいました。

 預けていたいた車に乗って室内ミラーで自分の顔を映しながら思わず笑ってしまいました。あの孫さんは私の顔が可笑しくて機嫌を直したのか、それとも私の顔芸で笑ったのか、しまった、お孫さんに聞いておけばよかったと思ったものです。

 私たち人間は通りすがりに犬に出会うと吠えられます。ところが不思議な事に犬を自宅で飼っていたり犬好きな人だと、動物の勘が働くのでしょうか吠えないのです。お孫さんも同じで私に子ども好きという安心感が受け入れられたのかも知れません。お孫さんにゲラゲラ笑われたこの顔はひょっとしたら道化師、いやひょっとしなくても三枚目、でも石原裕次郎だったら顔もスタイルもいいけれど絶対に泣く子を笑わせることはできなかっただろうと思うと、この顔に自信が持てました。

  「船中で 泣く子も笑う いい仕事 顔が得する 饅頭頂く」

  「俺の顔 子ども笑いの 造形美 親に感謝し 今日も出歩く」

  「泣く子ども 笑わす術は 心理学 催笑術だよ ほらほら笑った」

  「泣く子さえ 止めさせられぬ 若い母 人の前でも お乳飲ませろ」

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○人の生き方に影響を及ぼす言葉の数々

 人生の後半戦に生きる私のような人間にとって「自分の生き方に影響を及ぼした言葉は何だったのだろう」と振り返ってみると、様々な言葉に出会います。「温故知新」「過ぎたるは及ばざるが如し」「位置を聞いて十を知る」「巧言令色少なし仁」「義を見てせざるは勇なきなり」などなどの言葉が思い出されます。誰が言った言葉かさえも知らず何気なく使っていたこの言葉の殆どが、中国古代の思想家孔子とその門弟たちが「人間はいかに生きるべきか」ということをテーマに語り合った問答を整理した「論語」の一節だとは驚きました。広辞苑で孔子について調べてみると、孔子が生きた時代は紀元前550年ころだそうですからまだ日本の歴史が始まっていないのです。こんなに長い時代を越えて語り継がれているのですから、永遠性のある真理と言わざるを得ませんが、私たちは何故かその心理について学ぶこともせず、ただ上っ面をかじっては知ったかぶりで引用しているに過ぎないのです。

 よく「論語読みの論語知らず」という言葉も聞きますが、原本は余程の博学やルビが打っていないと読めないばかりか意味さえも分りませんが、論語の奥深い意味を学習することは人生の生き方の学習という点では多いに推奨すべきことだと思います。それは物の豊かな時代でありながら心が貧しい現代だからこそ

そして乱れが生じた日本だからこそ、真の心を取り戻さなければ取り返しの付かない社会になるという危機感から感じることなのかも知れません。

 「論語」、聞いただけでも何か難しそうな感じがしたり、中国の古書と聞くとなおさらとっつきにくいもののように思われますが、今は難解なこれらの本も偉い先生が解きほぐし現代流に解説しているので、入門偏でも一冊か二冊購入して暇を見て呼んでみるのも悪くはないでしょう。特に管理職という地位にある人は部下の育て方の、あるいはサラリーマンのマネージメントに役立つことがいっぱいあるようです。

 私は自分で思うほど低能な人間ですから、大学も出てないし大した知識も持ち合わせていません。しかし「人間いかに生きるか」という永遠のテーマを追求しようと思うと、当然生き方の勉強をしなければなりません。雑学ながら色々な本を読み、色々な人の話を聞き、色々なものを見てきました。しかしいくら本を読んでも、いくら人の話を聞いても、またいくら色々な物を見て知識が増えても、自分の心の扉を開けるキーワードがなければこれらの知識は生かされません。論語は自分の心の扉を開けるキーワードと言ってもいいかも知れません。論語は難しいことを分りやすく考えるヒントのようなものなのです。

 さああなたも論語に挑戦しましょう

  「論語読む 論語知らずの この俺が 論語のような 論語喋りぬ」

  「過ぎたるは 誰が言ったの 問い返す 昔の言葉と お茶を濁して」

  「人の道 今も昔も 変わらない 不変が何故か 変わってしまって」

  「中学生 温故知新と 言う言葉 決意の習字に 大書している」  

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shin-1さんの日記

○日本人が日本人と感じること

 私たちは日本人です。といってもこれだけ国際社会の交流が頻繁になってくると、日本人という感覚よりも地球人といったほうが早いのではないかと思われるほど国の壁はなくなりつつあります。ソ連とアメリカの冷戦や南北ドイツの崩壊が国と国との無意味なゆがみあいに気付かせてくれ、自由主義と共産主義の隔たりでさえなくなっていますが、一方ではイラクやアフガニスタン、それにイスラエルとパレスチナのように宗教上のトラブルによって戦渦に巻き込まれている国も多いのです。

 日本人が日本人であると強く感じることは、日の丸という国旗を目の当たりにした時に強く思います。特に外国を旅していて旅先で日の丸を見たときの印象は民族として血の騒ぎを覚えるのです。

 昨日王ジャパンがアメリカでとてつもない大偉業を成し遂げました。野球の世界一を決める試合でキューバに勝ったのです。胸に日本の日の丸を縫い込んだユニホームは野球の本場アメリカで本当に世界一になったのです。しかも第一回という記念すべき時に・・・・。時あたかも今年はオリンピックの年でしたが荒川選手の金メダルに湧いた直後の出来事なので余計喜びが大きく、国内のあちこちではそのドラマチックな勝利への軌跡が号外となって国民に配られました。

 私が日本人であると意識したのはやはり二度の海外体験でした。最初は18歳のところ、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に行った時でした。寄港したイギリス領エスピリッツサント島は珊瑚海海戦のあった激戦地、その海岸に無造作に痛々しく残った日本軍の上陸用舟艇の残骸を見ました。戦後という言葉も遠くなった昭和38年の出来事ですから衝撃は大きく、心に深い感動覚えたものです。二度目は青年の船に乗ってアメリカ・メキシコを旅したとき、ロスのディズニーランドで丁度12時、アメリカの国歌がスピーカーを通して流れましたが、遊んでいたアメリカ国民が全て立ち上がり手を胸に国旗に向かって国家を口ずさむ姿でした。その衝撃冷めやらにメキシコアカプルコで青年の船の団員が船上から持っていた日の丸の小旗を2~3人無造作に桟橋に投げたのです。そのことがメキシコの新聞のコラムに書かれました。国旗を大事にしない日本人って感じでした。私はこの光景を思い出しながら野球の観戦をしました。角の民族意識は地球に醜い争いを作ります。しかし私たちが日本人であることの誇りは当然持たなければならないと思うのです。

 シンプルな、それでいて気品漂う日の丸も、昨日の様な国民の祝日ですら家の角々に立てられなくなりました。町中を歩いてみても昨日は余程しっかりした家庭でないと日の丸は見えませんでした。わが家に日の丸を立ててたら、友人が夕方やって来て「若松さん今日は王ジャパンが優勝したから日の丸を立てたのですか」とジョークにも似た発言があるほどでした。

 時あたかも教育基本法の文言に国家愛などの表現をするかどうかで主義主張が大きく分かれて議論されています。国を愛することは自分を愛する事に繋がります。それを教えてくれたのは王ジャパンだったのかも知れません。もう一度国家とは、日の丸国旗とは何かを自分自身に問いたいものです。ジョン・F・ケネディは大統領の就任演説で「国家に何かを求めるのではなく、国家のために何ができるか考えよう」と問いかけました。私も国家のために何ができるか考え、行動したいものです。

  「日の丸は 日本の象徴 だのに何故 祝日日の丸 町中見えず」

  「日本人 意識しました 王ジャパン 多分イチロウ 一番意識」

  「戦争の 記憶を持った 人減って 平和尊さ 分らず過ごす」

  「国旗見て 野球勝ったと勘違い 今日は春分 国民祝日」

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○お払い箱になった筆記用具

 私の書斎をはじめ家のあちこちには筆記用具が散乱しています。マジックインキ、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、マーカーなどその種類はおびただしいのです。昨日はハガキを書いていて途中で文字が書けなくなり、ボールペンに八つ当たりして雑記メモ帳に何度も書いて見たのですが結局は書けず終い、芯を取り出して見てみると、何とインクがまったくなっていることに気がつきました。普通ボールペンを使い切るなんてことは殆どありませんのっで、少々嬉しくなりましたが残念な事にその後はこのボールペン、ゴミ箱行きの運命と相成りました。

 半永久的とも思えたボールペンの出現は私の暮らしに大きな変化をもたらしました。それまで愛用していたインクをつけて書く万年筆さえもカートリッジとなって便利を感心していましたが、さらに追い討ちをかけるようにシャープペンシルの出現によって筆記用具は大革命となりました。それまで削って使っていた鉛筆さえ手動から電動の鉛筆削り機となり、何不中なく文字が書けるようになったのです。私が町の広報ふたみを担当していた初期の頃は鉛筆と消しゴムのご厄介になって原稿を書いていましたから、まだ三十年弱しか経っていないのにこの変化ですから驚きです。

 こうした変化の影で急速に消えゆく運命にあるのが鉛筆です。色の薄さや濃いさでHBを基準にHとBを沢山持っていましたが、今の子どもたちはこうした基準さえも分らないほどで、毎日鉛筆を削って筆箱に入れた少年時代が懐かしく思い出されるのです。昨日久しぶりにペン立ての鉛筆を取り出してカッターナイフで削ってみましたが、削りたての鉛筆はプーンと木の香がして、五角形の鉛筆を握った感触がとても新鮮に感じられました。まざまざと見つめる鉛筆には、何やら分らぬ文字が書いてあり、中にはお土産として貰ったのでしょう、温泉地別府の文字がPR用として書かれていました。一時代を築いた鉛筆も既にその役割を終えており少し寂しい気もしますが、この際整理しようと使わなくなった筆記用具を捨てる事にしました。

 ところで、ボールペンと鉛筆で線を引いた場合どちらが長く引けると思いますか?。こんな単純な質問を考える私は単純馬鹿かもしれません。でもそんな単純馬鹿を実際に試した人がいるのです。多分大方の予想ではボールペンに軍配を上げるででしょう。書き方にもよるのでしょうが鉛筆は50キロメートル、ボールペンは僅かに1.5キロメートルだそうです。この比較を見ていかに人間の作った鉛筆が優れているかが分ります。消えゆく運命にある鉛筆をいとおしく思うのは私だけではないと思うのです。

 24色の色鉛筆を買ってもらった時の嬉しさは今も忘れるることはできないし、鉛筆が全て折れて学校の授業にならなかった悲しい思い出もあります。鉛筆とともに過ごした少年時代が懐かしいですね。

  「鉛筆は どうして丸か 五角なの 不思議な疑問 今でも消えず」

  「筆箱に 削った鉛筆 忍ばせて 入試受けたな 鉛筆倒して」

  「鉛筆の 芯は本当に 鉛なの これも疑問で 鉛筆割ったな」

  「鉛筆で 書いた文字消す ゴムもある 小刀ともに 昔持ち物」 

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shin-1さんの日記

○これからどうする

 今日の夕方食事をしていると仲間から電話がかかってきました。彼は今年の春、そう後10日で40年にも及ぶ公務員生活にピリオド打って退職だそうです。開口一番「あんたは何しよるん」でした。私が退職して忙しく振舞っていることは知ってるようでしたが、どんな仕事をしているのか詳しく知らなかったそうです。「俺は自由人、大学へ毎週一回非常勤講師で教えに行っている。地元の自治会長もしている。観光カリスマ百選に選ばれているので全国行脚で講演活動をしている」などなど近況を報告すると、「そうか、私もあんたみたいな生き方ができたらいいけど、当分は少し骨休めしたい」と言うのです。

 彼は人生の訳ありで世に言うバツイチです。でもかつての連れ添いや子どもの将来への責任を果たす手立てをしっかりしており、今は一人の暮らしを慎ましやかに営んでいます。時折わが家へも訪ねて来てわが父や私とのとの交友もあります。私から見れば家族の煩わしさもないわがままな生き方は少し羨ましくも思いましたが、人生の転機を迎えるとさすがに彼も逆に私の生き方が羨ましいというのです。

 電話での話しなので込み入ったことは分りませんが、「当分は骨を休める。住処を探す。再就職を探す」という彼の断片的な言葉に、少し忠告をしました。「骨を休めるのも結構だが、次に何をするのかしっかり考えておかないと再びのフライトはできない。住処は賃貸マンションをというが人生の碇を下ろす場所だからしっかりと考えろ。年金受給までまだ間があるからできるだけ早く再就職の水戸を考えろ」でした。「人のことだ。放っとけ」と言われそうでしたが、彼から夜10時ころ再び電話がかかってきて、「近々暇は取れないか。会って相談したいことがる」とのことでした。

 ふと気がつくと私たちの周りには働き蜂だった退職若しくは退職間近の人がたくさんいる事に気がつきます。その人たちの殆どは再就職をする人、家業である農業などをやる人、当分の間休む人、何もしない人、地域のお手伝いをする人、趣味の世界へ進む人などに分類されますが、さて人それぞれどれが正しいという結論もありません。ただ何もしない人だけにはなって欲しくないものです。

 彼のように退職を後10日に迫ってもなお自分の人生のいき方を考えていない人は正直言って危ないです。何が危ないかは定かではありませんがニコニコ・ピンピンと生きがいを持って健康的に生きるには、どう生きようとしているのかが大切なのです。団塊の世代といわれる年金暮らしの若年寄りが世の中に蔓延するこれからの社会は、この人たちの社会参加こそ地域の活力の原動力になることを、団塊世代自身も、勿論社会も考えてゆかねばならない大きな社会問題といえましょう。

  「十日すりゃ 退職言うのに わし何処へ 行くのか分らず 困ったお人だ」

  「若い頃 気ままなツケが 今頃に なって気がつく これから寂し」

  「団塊の 世代世の中 なだれ込む 年金生活 国も破綻だ」

  「働かず 国から年金 頂いて こんな世の中 まるで天国」

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shin-1さんの日記

○二次会は楽しい

 昨晩は送別会の後、久しぶりに二次会に繰り出しました。酒を飲まなくなったこともあって、このところトンとご無沙汰の二次会でしたが、この二年間お世話になった鵜野さんの送別会とあって同行しました。昔は二次会と称して深夜まで飲み屋街を徘徊していましたが、今はそんな馬力もないため飲み屋街のお店の位置がまったくといってよいほどつかめないのです。それでも四六十という全国の日本酒なら何でもあるというかつて行きつけの店へ行きました。昔は三日に上げずの表現ぐらいやって来ていたこの店もすっかり様変わりしていました。私が紹介した店にもかかわらず今ではすっかり乗っ取られた感じで、仲間たちは酒の話に花を咲かせながら通ぶりを発揮して盃を傾けていました。

 私はこの店が日本酒専門の店でありながら、この店で酒を飲んだことがありません。私がこの店に入ると女将さんも大将も「はい若松さんには大吟醸キリンビール」などといってビールを出してくれたものでした。そのビールさえも止めたのですから、「はい若松さんには泡の立たない大吟醸ウーロン茶」などと冷やかされました。

 それにしても若い人は元気です。一次会で2時間半、日本酒とビールと焼酎をまるで三種混合のように鱈腹飲みながら、二次会では冷酒をコップに並々ついで飲むのですから、羨ましい限りです。ある人から聞いた話ですが、受け皿の上に乗せたコップに表面張力で盛り上がったように注がれた酒を飲む姿で酒飲みかどうか分るそうです。コップに口を持っていって飲む人はまず酒飲み、コップを手で持って口に運ぶ人はそれほどではないそうです。受け皿に零れた酒を飲むのもまた通の飲み方でしょう。この店の女将さんや大将は酒の注ぎ方が実に上手く、神業かと思わせるほど零さず表面張力いっぱいに注ぎ分けてゆくのです。

 酒に酔った人と私のように飲めない人とでは話の歯車が合うはずがなく、もう一次会で同じことを繰り返し言う人がいます。「ああこの人は酔ってるな」と思っても、それを言っちゃあお終いよ」なんてところで適当に話を合わせるのですが、女性も参加しているのでそろそろおいとまをと二次会2時間のコースは割り勘を払い店を後にしました。そういえば最近はやたらと100円パーキングが増えて何かと便利です。2時間で600円ですから手ごろな値段です。同じ方向へ帰る事もあって主任さんを助手席に乗せ、途中で降ろして11時30分に無事帰宅したのです。少々料理の食べ過ぎ、ウーロン茶の飲み過ぎで腹が張っていましたが、これも大切な付き合いだと楽しい語らいの時間を思い出しつつ、今日届いた手紙やメールに目を通しながら、長かった一日が終わりました。

  「久々の 二次会楽し ウーロン茶 酔った気持ちで 歌まで歌う」

  「受け皿の 上のコップに 並とつぐ 手より口先 グイと飲み干す」

  「酒下火 言うけど酒が こんなにも あるのか棚の 銘柄感心」

  「若松さん 隣の席の 女から 突然声を かけられドキドキ」

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shin-1さんの日記

○涙の訳

 今日は私が代表運営委員を務める「えひめ地域づくり研究会議」の2ヶ月に一回の定例運営委員会がありました。結成以来19年も続いている地域づくりでは県内では老舗のような団体ですが、近年の社会環境の変化とりわけ市町村合併によって取り巻く環境も様変わりして、もうそろそろ私たち老兵は去らねばならない時期にきていることを実感しています。今日の会合は今年度の総括と20周年を迎える来年度の取り組みの道筋をつける大切な会と位置づけて終始熱心な議論がなされました。

 今日の会合のもう一つの目的は、えひめ政策研究センターに四国中央市から出向して研究員をしている鵜野さんの研究発表と送別会が予定されていて、いつもの運営委員会とは少し違った雰囲気でした。私の司会進行で運営委員会を終わったのは17時30分、いよいよ鵜野研究員の発表です。鵜野研究員はこの2年間センター研究員として県内外の先進地やまちづくり人の所を回って様々な勉強をしてきましたし、最後の一年は研究会議の事務局としてお世話をしてくれました

 彼の発表は予定された通り20分の時間でしたが、さすが2年間の研修を積んだだけあって、要領を得たものでした。まち・町・街・地域などで表現される「まちづくりとは一体何か」という基本を探して彼が見つけたものは「まちづくりとはまちと向かい合う姿勢」でした。「ややもすると頭では理解でき、口では分ったようなことを言うけれど、それは単なる評論家に過ぎない。本当のまちづくり人は両論家ではなく実践家である。今日から自分は実践家としての道を歩むことを宣言する」と最後は力強く結ばれました。

 今日の彼の発表を聞いて感動したのは、彼の20分の発表の締めくくりの頃には感極まってウルウルになったことです。多分発表の過程で様々な思い出が去来したのでしょうが、参加した運営委員も思わず貰いウルウルでした。涙を流すほど感動した彼の松山での2年間は、これまでの自分の人生ににはなかった体験だったかも知れません。またひょっとしたら彼の人生にとってこの2年間の松山の暮らしは遠回りだったかも知れません。でもこの体験、この遠回りが本当の宝物になるのです。

 彼はもう一週間もすれば住み慣れた松山を後に四国中央市へと帰って行きます。この2年間で愛媛県内も70市町村から20市町へと大きく様変わりしました。時代の流れの早さ変革の大きさに驚くのは、自分のふるさとに帰ってからでしょうが、大きく成長したことに自信を持ちしっかりと大地に足をつけて頑張って欲しいものです。ただ謙虚さと冒険心という二つの道具を使い分ける技量だけはくれぐれも忘れないように・・・。

  「旅に出て 外からふるさと 観察し それを土産に 桜咲く中」

  「人生は 芭蕉に似たり あっちこち 回り道して 糞と小便」

  「極まって 脳裏に浮かぶ 思い出が 涙となって 流れ出てくる」

  「去る人が いると思えば 来る人も だから世の中 帳尻合って」 

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shin-1さんの日記

○帽子の行方

 私は帽子が大好きです。ですから外へ出るときは帽子を被る習慣があります。しかし帽子は家の中へ入ると脱がなければなりませんので時々忘れておいとますることがあります。昨日親類へ新彼岸の線香を手向けに行って家を出てから気がついて、再びその家へ立ち寄ってしまいました。ものを忘れるのは今始まったことではないのですが、これも歳のせいだと諦めています。

 私の帽子好きは妻も承知しており、家を出る時「お父さん帽子は」、家に帰った時「お父さん帽子は」といつも注意をしてくれるのですが、「あっ、忘れた」が何度もあるのです。その都度「帽子くらいはまあいいか」なんて諦めるものですから随分と紛失し、その都度新しい帽子を買ってもらいます。昨日数えてみましたら何と私の帽子は10個を上回り、農作業用の麦藁帽子などを入れると数え切れないほどあるのに驚きました。その殆どは無造作にあちらこちらへ置かれていますが、それでも愛用と呼ばれるよく被る帽子は帽子掛けに掛けていつでも間に合うようになっています。

 今気に入って被っている帽子は昨年カナダ旅行に行った時妻が買ってくれた野球帽です。濃紺の生地に前はCDのデザイン文字、後ろには英語でCANADAと刺繍されています。お気に入りといってもいい被り具合です。

 私にはもう一つ被らない帽子があります。帽子を整理する度に妻から「こんな古臭い帽子は捨てたら」と言われている帽子です。それは北極まで歩いていった冒険家河野兵市さんが双海に来た時に貰った見るからにみすぼらしい帽子です。何処にでも売っているような安い帽子ですが、彼のサインが入っているのでどうしても捨て切れません。旅の途中で死んでしまった彼のことを思うと胸が痛くなるのです。彼とはそんなに長い付き合いではなかったのですが晩年、シーカヤックの大会が双海町である度に出会い、夢を語った間柄だけに何故か思い出の一品として大切にしまっておきたいのです。

 酒を飲む度に忘れた帽子、船から強風にあおられて海の藻屑と消えた帽子、破けて捨ててしまった帽子、

未だに使いもしないのに箪笥の中で眠っている帽子、あなた名前を書いている帽子を下さいと言われて譲った帽子、勿体無いと捨ててた帽子を拾って洗濯して今も愛用している帽子などなど、帽子にはそれぞれの思い出がいっぱい詰まっています。私の体を直射日光から守ったり、かっこよく見せたりした帽子の数々は

今も私のよき思い出です。

  「禿白髪 隠すつもりも ない帽子 被って鏡に どうだ格好」

  「被らない 思い出帽子 家の隅 しまって六年 いつかは処分」

  「麦帽子 恋し季節に なりました 親父早くも 帽子変えてる」

  「いい帽子 褒められカナダ 持ち出して 得意満面 相手渋顔」

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