shin-1さんの日記

○日々自分を磨く

 自分ぐらい嫌な人間はいないとつくづく思うことがあります。自分の意の向くままだと嫌いな人でも「嫌い」と面と向かっては言えないどころか逆にへつらっったりもして、それが世渡りだと分っているから適当にあしらって過ごすのです。特に自分を基準にして上だと思う人にはペコペコ、下には邪険にしてないつもりでも、一緒にいて片方に手厚くする人の一方で目下のような対応をされた他人から見れば、「何だこの人は」てなことになるのです。ある日何人かの女性が夕日を見学に来ました。私は得意げになって夕日の話をしましたが、熱心にメモを取ったり真剣にうなずいて話をする人よりも、参加者の中で一番見た目に美しい、しかも胸のときめきを覚えるような美女にいつの間にか目線がいっていました。やがて何事もなくその集団は帰っていったのですが、後日私の元へ一通のハガキが舞い込みました。「あなたの視線の先は別の人にありました。気付かなかったかもしれませんが私はその方の3人右側にいました」「お話をする時は万遍に」とやんわり手厳しい便りでお灸をすえられたあれ以来、話す時は万遍公平にするよう心がけるようになりました。

 毎日自分を高めたい一心から日々の暮しの中で自分を高めてきたつもりなのですが、やはり私は凡人なのでしょう、一向に高まらないのです。

 よく言われる言葉ですが 、「難局にぶつかったとき尋常な対応や実行が出来る人」は大物だそうです。安岡正篤はその書の中で、「原理はきわめて簡単、第一は人物に学ぶこと、第二は人物学に伴う実践、すなわち人物修練の根本的条件は、怖れず臆せず勇敢に、そして己を空しうしてあらゆる人生の経験をなめ尽くすことだ」と述べています。つまり師淑する師を持ち、愛読書を得て自分を磨きそれを実践することだと言うのです。

 同時に次の三つに心がけよといっています。

 ①どんなに苦しいことが遭っても、常に心のどこか奥に喜びを持つ。

 ②何かにつけて感謝の気持ちを持つ

 ③常に陰徳(人に知られない善行)を志す

 さてあなたは如何でしょうか。そして私の場合はどうでしょう。多分苦しい事に遭ったらその苦しみから逃れようとするでしょうし、その苦しみの原因を社会や人のせいにするでしょう。そんな場合に心に喜びなんて持てる訳がありません。感謝もしないから感謝もされません。人が見ている場所ではいい格好をしますが隠匿なんてとまったく逆の行動しか出来ないのです。

 私が体験した視察者への対応ぶりを一枚のハガキが指摘したように、私の「目の付け所」「心の持ちよう」の間違いに気付くことなのです。苦しさの中に喜びを、不平の前に感謝を、陽徳よりも陰徳を重んじるようになれば、自ずから道は開けてくるものです。

  「何処見てる はがきがくれた 警鐘に まだまだ未熟と 精進積んで」

  「膨らんだ 胸が見たけりゃ 乳牛を 人の値打ちは 見かけだけでは」

  「世の中は 上には上が いるものよ 近所のおじさん 名前も上田」

  「陰徳は 中々積めぬ 凡人も 気構え一つ 一日一膳」 

 

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shin-1さんの日記

○玄米食

 最近テレビの世界でよく目にする人に「みのもんた」さんがいます。昼の「おもいっきりテレビ」は今ではすっかりお茶の間のおば様族の人気で、「おもいっきり効果」なんて流行語も飛び出すほどです。人を食った機を見て敏な語り口は、何か好感の持てる人で、アナウンサー出身とは思えないようです。何せ私の妻も毎日昼ご飯を食べながら見ているので私も見なければなりません。我が家ではテレビチャンネルの主導権は完全に妻握られているのですから・・・・・。

 それにしてもよくもまあ毎日こんなに話題があるものよと思うほど、これでもかと言わんばかりに「健康」をテーマに、食についてコメンターやゲスト、それにおば様族を巻き込んで面白おかしく薀蓄を語るのです。その結果、例えば「痩せたい」と思うテーマだと「痩せたい」と常日頃思っている人の心をつかみ、痩せる方法と食べ物を紹介します。実際にはそんなものだけで痩せるはずはないのですが、紹介した食品がスーパーからその日のうちに消える珍現象が起こるのです。当然他のテレビ局でもこのみのもんた効果にあやかろうと、時間帯をずらして番組を組んできますから、同じような番組がいっぱい朝から晩まで放送されているのです。

 私の病気のことや自分の忍び寄る更年期のこともあって、妻もこれらの番組をくまなく見ていると思われ、最近ではノートを一冊「健康メモ」として書き込んでいます。お陰さまで毎日新しいメニューが追加され、「今日は変わった料理だ」と言えば、「実はこれを食べると成人病が・・・」と博学ぶり、「誰に聞いた」、「みのもんたのテレビで」という始末です。

 3日前からわが家の台所の隅に新しい炊飯ジャーがお目見えしました。妻の玄米食への挑戦が始まったのです。例によって「玄米食は肝臓によい」「あなたの体を思って」などと御託を並べ、ついにわが家は玄米食となりました。玄米は白米より栄養価が高いといわれていますが、でも白米になれた私たちの舌感覚ではまずいものの代表選手のようなもので、喰えたものではありません。私はそれ程抵抗はないのですが、息子は「これ何」と吐き出すような仕草をしました。「何言ってるの、これが噂の玄米食のパワーの秘密なの」。アーここまで来ると「みのもんた教祖」お教え通りです。

 玄米食は体によいから私も少し続けてみようと思っています。ブルガリアヨーグルトを一さじ入れて炊くのがコツとか、今朝も台所から玄米を炊く独特の匂いが家に広がり始めました。もし玄米食で長生きできたら妻とみのもんたさんに感謝状を差し上げます。あんたたち二人は偉いで賞。

  「玄米が 体によいと テレビ言う 妻は早速 ジャーまで買って」

  「玄米の ご飯を食べて 思い出す 戦後の粟飯 俺も古いな」

  「玄米の 飯の効果か ガスが出て 妻はどこかで 我慢の屁こき」

  「玄米で 健康なれば 食感は 何とでもなる 昭和生まれだ」

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○棚田の風景

 最近は俳句や短歌の季題や季語が分らないくらい人々の暮しが大きく変化してきました。例えばスイカは年中あるし、旬と言われる食べ物だってお金を出せば年中食べられるのです。また生活や生産の現場でもそうした国民の多種多様な価値観に応えるため、高い油を使ってハウスみかんやハウスさくらんぼを作って大都会へと出荷しているのです。まあ金儲けが出来るのですからそれはそれとして良しとしておきましょう。

 昨日人間牧場への行っての帰り、人間牧場の下で機械の音がするものですから、ついつい車を止めて足を止め眼下を見ると田植えが始まっていました。ここら一体は私たちが子どもの頃は、全て棚田の広がる美しい地域でした。春のレンゲが咲く頃には弁当を持ってよく遊びに来たものです。また夏の青田や秋の稔り田も美しかったのですが、6月の田植えをする前の水を張った光景は空の青さを写して何ともいえない風景だったことを今でも思い出せるほど目に鮮やかでした。

 しかしその棚田も高齢化や他作物への転換で次第に狭められたり歯抜けになっていますが、かろうじてこのような美しい田んぼが何枚か残っていたので、思わずパチリ写真に収めました。

 棚田の田んぼは目には美しく見えるのですが、その作業たるや大変な重労働です。田んぼの広さより畦のほうが広いといわれる高い畦の草刈は大変です。また耕運機も回転が出来ないほどの狭さに田植え作業は危険と隣り合わせです。更には水を谷から引いてくるのも毎日の水管理もこれまた一苦労でしょう。その割には実入りが少ないのが棚田なのです。こんな日本の風景を残せるのは行政が支援し、住民が支援しなければどんどんどんどん消えて行くのです。先日もこのことを産業建設課の職員に話したら、「私たちは減反政策も進めなければなりません。棚田が減ることは減反がやり易い」と少し胸を張っていました。こんな職員では棚田などの価値観を議論するだけ野暮だと諦めました。この棚田には多くの農村の歴史や文化が隠されているのにと残念でなりません。

 棚田の田植えのための農作業も随分早くなりました。五月には田植えをして台風の来る前の9月ごろには収穫です。棚田の稲木に掛けたお米も是非譲ってもらい、人間牧場で炊いて食べてみたいものです。もう少し元気だったらあの棚田をみんなの力で守って見たいと思いましたが、それも叶わず残念至極です。

 田舎にはこうした気付かないがその目で見れば美しい姿がいっぱいあります。少しずつ写真に収めて記録するようにしたいと思っています。カメラの嫌いな私が大変身です。

  「蛙鳴く 棚田の水面 美しく 思わず見とれ 写真にパチリ」

  「音がする 方角見れば 棚田なり 田植えの準備 日増しに整い」

  「棚田など 減反すれば いいんだと 言わんばかりの 人に幻滅」

  「棚田とは 祖父の築いた ピラミッド 畦の石垣 ひとつひとつに」 

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shin-1さんの日記

○芋とかぼちゃの苗植え

 「お父さん、人間牧場は赤土だからおいしいお芋が出来るかも知れないから芋を植えよう」と言うので、「ああその内な」と軽く聞き流していました。ところが最近になって「ふたみ少年少女おもしろ教室」の「芋植え」の話が具体的になって、暇さえあれば足しげく人間牧場に通うようになったものですから「お父さん、私の芋植えの話はどうなったの」と聞き返したので、「うん、畑はおもしろ教室に貸すことになったので、芋を植える所がなくなった」と一昨日の夜断ったら、「おとうさんどうしよう。私の注文した芋のつる苗が届いた」と100本も持って帰ったのです。今更教育委員会に断ることも出来ず、結局は今朝早く起きて五右衛門風呂下の畑を耕し、マルチを敷いて、今日は広報区長会が午後1時から予定されているので、11時までに何とか植えてしまいました。悪戦苦闘でした。何せ一人でマルチを張るのは骨が折れ時間がかかるものですから上手く出来ずイライラがつのりました。

 でもご覧の通り何とか2列を6畝で100本を植えたのです。マルチにカッターナイフで筋状に切りそこへ手を突っ込んで芋を植えるのですが、難度はCクラスでした。でも昨年からの百姓の真似事のお陰で畝切りも真っ直ぐで、自分で言うのもおこがましいのですが、それなりに板についてきました。

 20日には子どもたち約40人がやって来て芋を植えるお手本が出来たと内心妻の失敗を喜んでいます。

 今日はもう一つかぼちゃを植えました。芋つる苗を買ったお礼にと頂いたそうなのですが、日本かぼちゃの苗を二本、「どこかに植えといて」と妻に託されました。私は思うのです。私がサンデー毎日、妻がパートながら職業女性であることをいい事に、何でも簡単に頼むのです。芋つる苗しかり、かぼちゃ苗しかりです。そのためには耕したりマルチを掛けたりそれ相当の時間と労力が必要なことを理解しているのだろうかと少し腹を立てました。「腹が立ったら寝せておけ」とはよく言ったもので、あんなに腹立たしく思っていたのに、時間が経てば直るのですから不思議なものです。

 明日から東京なのでしっかり仕事をして、広報区長会でしっかり役所の言い分を聞きました。その疲れも明日は東京ですからリフレッシュして帰ります。

  「芋植える 前からイノシシ心配し 忠告する人 何にもせずに」

  「芋のつる 根もないはずが やがて根が 芋に膨らむ これも不思議だ」

  「種苗を にわか百姓 あれこれと 計算せずに 植えたがる はてお値段は?」

  「まあいいか 中途半端で 終わるのも 儲け度外視 にわか百姓」 

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shin-1さんの日記

○「何か質問はありませんか」

 講演会場で講演が終わり、司会の方が「何か質問はありませんか」と参加者に質問を促しますが、一向に質問が出ず、「それでは質問もありませんのでこの辺で本日の講演会は終わらせていただきます」と拍手を求めて終了する会合は以外と多いようです。その原因は講師の話が質問に値しなかったのか、参加者の意識が低いのかどちらかでしょうが、もうひとつ考えられる原因はそんな月並みな集会を仕組んだ主催者側にも大きな責任があるようです。つまり研修会は主催する人、話をする人、話を聞く人の三角関係で成り立っているのです。その束ねはやはり主催する人ですから、誰の話を誰にどんな目的で話させ、どんな成果を求めるのかが明確でない場合に得てしてこんな結末を迎えるのです。

 「桜をつくる」という言葉があります。前もって講演会の終了後に講師に質問をしてもらう人を頼んでおく手法です。これを「やらせ」ともいいます。普通は話しなれた参加者を2~3人ピックアップして頼むのですが、会場の雰囲気を上げるために「私は司会者から発言を頼まれましたいわゆる桜です」なんて種証をしてから発言する人もいて思わず大爆笑なんてことも経験しましたが、質問はその人の大きな能力と言えます。

 人の話しを聞いて要点をまとめ、その話の中で起こった様々な疑問やもっと深く聞きたいことを要領よく相手と参加した人に向かって話すことは容易なことではありませんし、その訓練が出来ていなければ折角の発言も水を差すどころか冷水を浴びせることにもなりかねないのです。その意味で質問力はその人の「総合力」だと思うのです。

 「正法眼蔵隋聞記」という本に「道を学ぶ人が教えを聞くときはよくよく追求して聞きただし、その上分らないことは重ねて質問して疑いのないようにしなければならない。質問すべきことを質問しない、言うべきことを言わないで過ごすことは自分の損害である」と述べています。

 講演会場を出て、「今日の話は面白かったが、もう少しあのことが聞きたかった」「私も質問しようと思っていた」などと会話を交わしながら去って行く人をよく見かけます。これでは何のための1時間半であったのか疑いたくなります。私は人の話を聞くときメモを取りながら、「私だったらこう思うとという要点や質問事項を書くよう心がけています。ですから「若松さんあなたはどんな考えですか」と尋ねられても即答できるのです。聞く、理解する、整理をする、質問して自分の意見を述べ更に理解を深めるなどなど、まさに総合力が

自分の知識を知恵に変えて行くのです。漫然と時を過ごしてはなりませぬ。

  「質問が ない会なんて 何のため 開いた意味が 分らず終い」

  「言うべきを 言わず言うなと 言えば言う 言うことあらば 言えばいいのに」

  「質問は ないかと聞くは 美辞麗句 俺は桜と 言って爆笑」

  「質問も その人値打ち 上げるコツ よくよく聞いて よくよく質問」

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○山二つのありがたみ

 私たちは『便利」という名の基に、何でもかんでも自分の近くに置こうという癖があります。松山まで僅か25キロの地域であるわが町のまちづくりも、実はそんな発想からスタートしています。道が開かれてからというものは、多くの人が住んでいる県都「松山」を意識して随分道をよくする運動をやって来ました。県道から国道への昇格運動、国道の改良陳情などにどれ程の知恵を出し努力をしてきたことでしょう。その結果25キロという距離は今も昔も変わらないものの、大幅にスピードがアップして2時間もすれば松山へ行って帰って来れるような便利さを手に入れました。過疎だ高齢化だと町の持っている負の部分を嘆いて「もっと便利に」が今も変わらず合言葉なのです。しかし近くなればなるほど、便利になればなるほど松山へ行った時の感動が薄れてゆくのは何故でしょう。非日常が日常に変化したからなのです。人間は日常の暮しだとだと感動しません。日常の暮しに飽き足らず非日常を求めるからこそメリハリがついて人生が楽しい思い出となるのです。

 江戸時代の儒学者に熊沢番山という人がいました。番山は家が落ちぶれて寒村で貧しい暮しをしていました。山二つ越した所に日本の陽明学の祖中江藤樹が塾を開いていたので、番山はいつも講義の時間になるとやって来て、垣根越しに講義を聞いていました。その姿を門弟が見つけ中江藤樹に告げたのです。中江藤樹は番山を呼んで「そんなに講義が聞きたいか」尋ねました。「雨の日も風の日もこうして先生の話を聞くのが私の何よりの務めです」と答えました。中江藤樹は「聞くところによるとお前は年老いた母と一緒に暮らしているそうだが、うちの馬小屋が空いているからどうだそこへ住まないか。4時間も山を越えて来なくてもいいではないか」。「ご親切なお気持ち感謝してもし切れません。しかし私は山二つ越えて来るからこそ辛抱のしがいがあるのです。私の心の励みとしてどうぞそのままに」と涙ながらに答えたといいます。

 今の私たちにはその気になれば幾らでも勉強に機会は与えられています。でも教えを体得するのは巻き返し繰り返しが大切なのです。

 今の便利な時代、熊沢番山のような生き方をする人もいないでしょうが、せめて不便さの中であえて学ぶ心を持ちたいものです。幸い人間牧場には距離的や空間的に非日常が存在します。家の横に30年前に造った私設公民館「煙会所」が非日常から日常に変わった今、人間牧場の非日常こそ心を鍛える場所としては最適だと思います。熊沢番山の歩く速度だと人間牧場は一つ山越す2時間程度だと思います。一度自分の足で自宅から歩いて人間牧場を往復してみたくなりました。そう是非実行してみたいものです。私たちはいつの間にか足があることを忘れていました。

  「番山の 生き方学ぶ 気構えが あれば学びに 心こもって」

  「何時の間に 足で歩くを 忘れたか 便利という名の 車に乗って」

  「直ぐそこに 中江藤樹の 大洲あり 偉大な足跡 訪ね学びし」

  「この歳に なっても未だ 山越えず 何をしてるか 早くしないと」


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shin-1さんの日記

○人間牧場ツリーハウスの棟上

 今日は忙しい一日でした。ツリーハウスの工事を始めるので、早朝に人間牧場に出掛けて水平線の家の鍵を開け、昨日運び込んだ木材のシートをはがして片付け、大工さんの来るのを待ちました。大工さんは今治の人ですから9時半過ぎに到着、簡単な打ち合わせをして自治公民館のウォーキング大会に参加するため下山しました。約百人の参加者が長い列を作り、旧役場前を出発、三島神社を経由して潮風ふれあい公園まで約1時間30分をかけて歩きました。山の緑も日増しに濃くなって渡る風も心地よく肌に感じ、思わず深呼吸したくなるような爽快さです。昼食が始まったところで私は前町長さんと一緒に歩いて下山しました。私は役場に置いていた車に乗り込み、12時に会う約束していた参議院議員の段本先生と魚吉で昼食をとり、随行の土地改良連合会の方々と人間牧場へ向かいました。東京で過ごしている段本先生は農林族で、四六時中日本全国を行脚されていますが、わが人間牧場への道程の急峻な道にはさすがに驚いた様子でした。でも人間牧場のロケーションや思想にはいたく感激された様子で、ツリーハウス建前のために訪れていた仲間たちと楽しく談笑され束の間の交流を楽しみました。

 居合わせた息子夫婦や次男も名刺をいただくなど気さくな先生の振る舞いに恐縮していました。先生は昨日内子町に泊まり、今日は八幡浜へ行き西の方から人間牧場へやって来ましたが、先生とはまだ興で度目なのですが、偉いそぶりも見せず頭が下がる想いです。先日参議院会館へお訪ねしたときはあいにく留守で高橋秘書と面会面談させてもらいました。

 3度人間牧場へ上がったのは2時過ぎでした。大野事務局長や湯山君も手伝いに訪れていたのでかなり作業が進んだのか思いきや、足場作りなどに手間取り、まだ3分ぐらいか仕事ははかどっていませんでした。それからは手も増えて一段とスピードが速くなり、夕方6時30分まで残業した結果骨組み作業と屋根の一部が完成し、ご覧のような状況となりました。

 人間牧場の「水平線の家」も「五右衛門風呂」も、今回の「ツリーハウス」も全て急峻な地形を利用したためよく似た外観をしています。ツリーハウスの中にはどっかりと杉の木が鎮座するように立っています。この杉の木は八本立てだったのですが、屋根の終いが出来にくく一本二本と切られ、残りは4本だけとなってしまいました。生きているこの木が生きたまま部屋の中に建っているのですから圧巻そのものです。さて屋根終いはどのように付けるのかこれまた大工さんの腕の見せ所といったところでしょう。生きた木が床柱なんて話は余り聞いたことがありません。畳3畳分の部屋は一体どんな夢を私たちに与えてこれるのでしょうか。楽しみがまた増えました。

 先日宮崎県の仲間からメールが入り素晴らしいツリーハウスを見せてもらいました。あの素晴らしいツリーハウスを見ていると、私たちの造っているものはツリーハウスと言えるかどうか疑問です。でもオリジナリティがまたいいのだと自分自身を納得させています。

  「ニョッキリと 屋根・床杉が 伸びている やることちょっと 過ぎていますよ」

  「大工さん ベートーベンでは ありません 大工第九と 同じ発音」

  「やっとこさ ここまで進む 計画に 安堵の胸を なでおろしつつ」

  「牧場に 国会議員も やって来た 俺の生き方 田舎人生」 

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shin-1さんの日記

○21世紀えひめニューフロンティアグループの愉快な仲間たち

 私が代表を務める「21世紀えひめニューフロンティアグループ」の会合が今晩7時から事務局長の大野哲治さん宅でありました。3日前に通知が届いて急な例会にもかかわらず殆ど全員が顔を揃え、楽しい語らいの場となりました。何せ南は愛南町から東は今治まで、中には中島という離島の人まで広範な地域に住んでいる会員なので、集まると言っても容易なことではありません。

 私が再び代表になって始めての会合でしたが、みんな個々力集まってくれました。

 今日の議題は四つありました。まず第一は人間牧場へツリーハウスを造ることの承認です。今年の新春に皆さんにお話をしているので異論もなく約50万円の出費が承認されました。私たちのボランティアグループも結成以来25年近くになりましたが、小さいながらも木の上に家を建てる奇抜なアイディアは初めてとあって関心も高く日浅さんが棟梁となって既に木組みも出来て、大安吉日で日がよいことから明日はいよいよ建前をするようです。心配された天気も雨かと思いきや一転して好天に恵まれるとのこと、幸先がよいようです。

第2は逆手塾への参加と協力です。これも6月10日と11日の両日人間牧場で行われる予定になっていて既に準備をしています。フロンティアグループはその塾の運営にスタッフとして協力することです。食事や寝床の世話と何かと大変なようですが、これも全面協力という形で決まりました。

第3には海外旅行の件です。フロンティアグループでは最初、アラスカへ丸木舟を造ったアラスカ産モミの木の切り株に会いに行くツアーを計画していましたが、日程的にそれ程余裕もなく結果的には8月25日・26日・27日の3日間韓国へ行く事に決まりました。会員の佐賀山さんが韓国語を習っていることもあって韓国行きを決めたのです。全員で行こうとアラスカとは少し違っていますが決意も新たに決定しました。

第4はフロンティア塾の再開です。40回が終了して充電期間が過ぎたので、今年はとりあえず学びの復活をすることで意見の一致を見ました。

 久しぶりにフロンティアグループの会員に会って思い出が蘇るやら多いに盛り上がりました。普通だと終わってからいっぱいやるのですが、明日はツリーハウスの建前も控えているので2時間足らずで散会となりました。お茶と国元さんが差し入れた醤油餅、それに大野さんが用意してくれたコーヒーやお茶で話が終わりましたが、昔はよく酒を飲んだ仲間も、昔のような元気は中々見ることはできませっが、口だけは達者でした。この分だと今年もいいグループの活動が出来そうでホッとしました。

  「集まれと 急な召集 かかわらず 殆どみんなが 集い議論す」

  「あの顔も この顔さえも 一昔 若い時代が あったのですから」

  「団塊の 世代殆ど 俺も歳 言う人横目に 俺は今から」

  「アラスカが 韓国行きの 計画に 何故か変更 それでも嬉し」


  

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shin-1さんの日記

○これは一体何

 人間牧場の水平線の家に突如として現れた得体の知れないこの物体を見て、『これは何?」と首をかしげる人が何人もいます。ひどい人は「これはひょっとしたらオーム心理教の第一サティアンではないか」とも言います。天井からワイヤーで吊るした物体に蛇腹のパイプが装着しているのを見たら誰だってそう思うでしょう。実はこれは息子が友人の鉄工所の若社長の指導協力を得て密かに鉄工所で手作りしていた吸煙機なのです。吸煙機の下には畳一畳の大きな囲炉裏を切っていますが、普段は板間と同じフロアーにカモフラージュしているのですが、囲炉裏を使うときはここを開けて五徳を置き、食の煮炊きや焼き物を作り、その煙がこの大きな風洞を通って外に排気される仕組みになっています。

 この変わった集煙機は常時取り付けではなく、電気チョッパーのスイッチを押すと驚くなかれ上がったり下がったりするのです。息子自慢の完璧な優れもののはずでした。でも頭では完璧な企画も機械のことですから人間の思うようには動いてくれず、微調整しなければ少し傾くようなのです。まあこれもご愛嬌なのでしょうがその内完成することでしょう。この物体を天井から吊るすことには私は最初反対でした。こんな重いものが何かの拍子で落下したら大変だと思ったからです。でも当の息子はいたって冷静で、そんな不安を他所にどんどんどんどん若いエネルギーを持ち込んでいます。「おいおい、この人間牧場のオーナーは私だぞ」と内心では思っていますが、息子もそこら辺はわきまえていて、自分の出費で賄っているようです。

 それにしても若者の考えや行動は私たちのような古い人間には理解し難い感じがします。囲炉裏の設計も囲炉裏の耐火煉瓦も、囲炉裏の灰も、囲炉裏の五徳までもしっかりとオリジナルなものを自分で作ってしまうのです。そして仕事が終わってから私たちが休むであろう時間になって彼らは行動を起します。ですから親子と言いながら思考も行動もいつも歯車が狂ったままなのです。

 息子は後ろに見えるストーブの横に釜戸を作る計画だそうです。今は作っの釜戸があるそうで、息子はインターネットで目ぼしい釜戸を探し当てているようなのです。これが出来るとこの部屋の土間で煮炊きも出来てこの上ないことには違いありませんが、私以上に夢を膨らませている息子に、妻は少し神経を尖らせています。私の懐具合が妖しくなっていることを薄々感じているのでしょう。オーナーの懐の次に狙われるのは妻の懐です。「住む訳じゃなし、これ以上のものは要らない」と反対する妻を無視して、私と息子は夢を語り合っています。

  「サティアンと 見まがう程の 集煙機 息子手作り 成果はいかに」

  「夢を追う 息子もやはり 私の子 妻の不安も 分かる気がする」

  「友だちが 色々知恵を 出してくれ やっとここまで 未だ半分」

  「金がない だけど知恵出し 汗を出し だから人生 楽しく生きる」 


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shin-1さんの日記

○「ありがとう」はどっちのセリフ

 私たちは毎日自分以外の沢山の人間と暮らしています。日々の暮らしはよほどのことがない限りは平凡で、意識もせずに流れて行きます。平凡が故に昨日のことなど余り覚えていません。昨日何時に起きて何をしたか、極端に言えば何を食ってどんな大便や小便をしたかまでは覚えていないでしょう。ところが仮にこの一週間便秘ぎみの人が、便通があったらそれは大きな喜び事として覚えているでしょう。

 毎日の暮らしの中で人から「ありがとう」と言われたこと、自分が人に「ありがとう」と言ったことを思い出してみると以外と多くの人に「ありがとう」と言われながら無視してきたことは多いのではないかと思い返すのです。

 先日所用で北海道へ行きました。遠路なので飛行機を使いましたが飛行機の搭乗員スチュワーデスさんは、さすがに社員教育が行き届いていて、至れり尽くせりのサービスをしてくれますが、飛行機が目的地に着くと乗客は直ぐに先を争うように降りてゆきますが、スチュワーデスさんはその一人一人の乗客に「ありがとうございました」と丁寧な言葉を掛けるのですが、殆どの乗客はまるで無視するように無造作に進んでゆくのです。そんな時「ありがと」の言葉を返したらどんなにか気持ちがいいだろうなあと、私はいつも「ありがとうございました」と言葉を返しています。北海道帯広空港でも、東京羽田空港でも、愛媛松山空港でも「ありがとう」を言って飛行機から降りました。ところがそれまで無口だった前列の人の次に降りようとした私が大きな声で「ありがとうございました」といったものですから、私の後ろに続いた乗客までもが私につられて「ありがとう」を言っているのです。嬉しい出来事でした。

 洋服を買う、店で食事をする。いつも店員さんは「ありがとう」の言葉を投げかけます。そんな折「ありがとう」を言いますかと尋ねたら、「何を言うか、こちらはお客で買ってやったのだから、『ありがとう』と言うのは

当たり前だろう」と叱られるかもしれません。「金を出しているから当たり前」という心を「飛行機に乗せてもらっている」「洋服を交わせてもらっている」「食事をさせてもらえる」なんて考えれば「ありがとう」の言葉は自然と出るはずなのですが・・・・・・・。

 先日友人の家の完成式に招かれました。その席で家主の友人は「この家を建てたのは自分の力だと最近まで思っていました。しかし毎日家の建築現場に足を運んでいるうちに、自分の考えが変わってゆきました。設計図を作る、土台を練り込む、柱を削る、壁を塗る、屋根を葺く、この家の完成までにどれ程の人が関わってくれたでしょう。瓦など私の知らない場所で作られているのですから。私は棟梁はじめそんな多くの方々に心から『ありがとう』と感謝の言葉を言います」とあいさつされました。いい言葉だったと思いました。

 お互いが感謝しあって生きる。わが家でも「ありがと」の言葉を自然な形で言おうと自分自身の心に決めていると、毎日の暮らしが何故か明るくなります。それは妻へのいたわりでもあり、息子への有言の教育でもあるのです。息子も最近「ありがとう」の言葉を言うようになりました。言葉は結局オーム鳥と一緒で、「ありがとう」と言えば「ありがとう」と返ってくるのです。

  「ありがとう そのくらいなら 言えるはず その一言で 家庭明るく」

  「生かされて 生きてることへの 感謝です ありがとうとは ありがたきかな」

  「スチュワーデス 俺に気がある そぶりする 何てことない みんな一緒だ」

  「ありがとう 言ったお陰で 得をした これおまけです 飴玉五つ」

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