shin-1さんの日記

○月並みな人並み

 私たち日本人は「月並みな言葉ですが」とか、「人並みに幸せになりたい」などと、月並みとか人並みとかいう言葉を日常の会話の中で何気なく使っています。月並みとは「平凡なこと、陳腐なこと」で、人並みとは「一般の人と同様な程度、世間並みな状況」をいいます。日本人の殆どはそうした横並び意識、いわば中流意識を持っているといわれています。そうした言葉を思いつくままに考えてみました。

 人並みに五体満足で生まれて良かった。人並みな暮らしがしたい。あの人は人並みはずれた特技を持っている。人並みな結婚をし人並みに子どもを育て人並みな人生を送りたい。月並みな話ですが人並みな生き方をしたいものです。

 こんな言葉を聞くと月並みや人並みとは一体どの程度の事を指すのだろうと、自分の暮らしの程度を考えながら、手の届きうる自分より一ランク上の人の存在を考えてしまいます。人間は悲しいかな自分の努力のなさを棚に上げて人が努力によって勝ち得た幸せをねたんだり羨ましく思ったりするものなのです。しかし忘れてならないのは、自分ではどうすることも出来ない月並み以下や人並み以下の立場に置かれている人が存在することなのです。

 私は仕事柄、そうした逆境に置かれ今なお人並みや月並みを求める群集から冷たい視線や仕打ちを受けている多くの人々に出会ってきました。ハンセン病やサリドマイド児など大きな社会問題になってきた人々は勿論のこと、原爆によって体に異常がある人などの不安な日々の暮らしは、まさに息を潜めて生きる苦しみであるに違いありません。

 「上見て暮らすな下見て暮らせ」なんて言葉を人生の戒めとして親から子へと受け継いできた生き方にも問題があるようです。かつて私はシーサイド公園の砂浜やミニ水族館の早朝清掃を12年間もやり続けました。ある朝子ども連れのお母さんが、清掃でドロドロになった私を指差し、「あんたも勉強せんとあのおじさんのように掃除をせんといけんよ」と子どもに言ってる姿を思い出しながら、月並みや人並みの怖さを思うのです。

 人間は悲しいかな一人では生きてゆけません。必ず人間という他人と生きて行くのですが、人と比較して自分の人生を決めるのではなく自分が人に生かされて生きてることを考えて生きなければならないのです。今日車の中で国会中継をカーラジオで聞きました。小泉首相が「人の憂いに涙し人の喜びに舞う」という言葉を引用して答弁していました。いい言葉ですがいかんせん今の世の中は強者の理論が多く、弱者への配慮はまだまだ足りません。

 不足と感じても何不自由なく暮らしている私たちが月並みや人並みを求めるのではなく、月並みや人並みが与えられていない人たちにこそ月並みや人並みを差し上げる心を持ったら、世の中はもっといい世の中になると思うのです。

  「月並みや 人並み求める 人ばかり 月並み人並み 誰にあるのか」

  「おいちゃんは 汚れた仕事 好きでする あんな人に なれよと親も」

  「あと僅か 残り少ない 人生を 生きてる証 人のお役に」

  「これ以上 何を欲しがる なあお前 妻と二人で 相槌打ちつ」



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shin-1さんの日記

○生活のリズム

 毎朝5時過ぎに起きて12時頃に寝る。その間ブログを書いたり調べ物をしたり、いい天気の日には人間牧場で作業をしたりと、私の生活のリズムは自分中心で動いています。ところが今年度に入って孫の存在で狂わされっぱなしです。まず今月の初めは10日間も孫中心の生活でした。さらに2日前から孫の熱で再び孫中心に戻りました。子守とはこんなにも疲れるものなのかと改めて子育ての大変さをかみ締めています。でもそのことを口にするとまず妻からえらいしっぺ返しがあります。「そうでしょう。私はあなたの分も含めて4人の子育てをしてきたのよ。二日や三日くらいで根を上げちゃあだめ」なんて百叩きです。一方娘は「私の面倒など見てくれなかったのだから、孫の守りくらいは当たり前でしょう」とこれもまた厳しいご意見です。その殆どが当っているだけに何の反論も出来ず、この一ヶ月は孫と暮らしました。私の生活のリズムが狂ってしまい、何だか別人のような気がします。原稿依頼への対応や講演依頼に一喜一憂しながら過ごすのですが、早くリズムを元に戻したいと思いつつ、孫と離れると近かった分妙に気がかりで、電話をかけたりするのですから、孫の存在も自分の意識の中では楽しみの部分でもあるのです。

 今日からいよいよ大学の授業がスタートします。授業といっても今日は全員を集めてガイダンスを行い、私の授業を希望する人たちを募る作業なのです。この3年間、ガイダンスの度にまちづくりに対する想いを学生の前でお話しするのですが、これも私の長年のリズムなのでしょう。人の前で話すことはそれなりの事前準備が必要ですが私はあえてその準備をすることなくアドリブでやります。いくら自分の机の前で事前準備をしても、事前準備をしない方が何だかいい結果が生まれるという期待感があって、その期待に応えるような自分に育て上げてきたのです。人の前で講演するのもリズムがあります。そのリズムが狂うと多分聞いている人の心の扉を開けることはできないでしょう。

 一日のリズムは初めが勝負のような気がします。朝起きた時、演台に立った時、人に会った時などその場その時の初めに全勢力を傾注し事に当ることが肝心です。そうすればいいリズムが生まれるのです。

 最近ハーモニカを吹いていますが、ハーモニカを吹く時も、へたくそながら「自分は吹ける」と心に念じて吹くと不思議にいいリズムで吹けるのです。やはり日々の暮らしも、極論すればいい人生もリズムをいかによくするかが決め手のようです。時計はたくさんの小さな歯車が組み合わさって確実な時を告げます。歯車のひとつが壊れると時計は止まってしまいます。家族もやはり同じで、誰かが病気になると家中が暗い雰囲気になります。家族のリズムは家族一人一人が気を配らなければならないのでそれは大変な作業です。でも穏やかないい家族はそのリズムをみんなの力で維持しているからこそ日々の暮らしがいい方向に回って行くのだと思います。孫の体調を早く回復させ、私やわが家そして娘の家庭にもリズムを取り戻させたいものです。

  「生活の リズム狂った 一ヶ月 孫の存在 実に大きく」

  「リズムよく 生きたいものだ 世の中は しかしあれこれ リズム狂って」

  「今までは 自分リズムで 生きてきた 家族のリズム 重きを置いて」

  「ハーモニカ リズム狂うと 雑音に 聞こえ人々 耳を塞ぎて」

 

 

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shin-1さんの日記

○自動販売機王国日本

 今や日本中何処へ行っても自動販売機だらけで、外国人が日本のことを「自動販売機王国」と呼ぶのもうなずける話です。私たちが子どもの頃は自動販売機などなかったのですが、いつの間にか自動販売機が増えて、ジュースや缶ビールなどの飲み物のほかにタバコやファーストフーズまで自動販売機で買えるのです。中を覗く機会はありませんが、業者さんが商品を入れている様子で中をうかがうと以外と簡単な仕組みのようです。でもあの自動販売機から冷たい物や温かいものが、お金さえ入れれば混在して出てくるのですから凄いことです。最近の自動販売機は盗難防止装置がついているそうです。

 一昔前といってもそんなに昔のことではありません。自動販売機が出始めの頃の商品は砂糖で味付けしたジュース類が主流を占めていました。ところが最近は水やお茶といった飲料水がよく売れるのだそうです。日本は何処へ行っても安心して水道水が飲める国だといわれているため、最初「六甲の水」なんて商品を売り出した時、こんなものは売れないだろうと思っていましたが、何と何とこの水類は深層水に至るまで凄い販売量のようです。

 もともとミネラルウォーターの商品化は健康志向のヨーロッパで流行ったものです。火付け役はレマン湖畔の泉から取水した「エビアン」でした。硬度291.0と欧州に湧く天然水の中では硬度が低く、フランスでは「赤ちゃんのミルクを作る水」とも言われていました。「エビアン」が日本人の口に合う味だったというので、日本国内で湧いているミネラルウォーターもボトリングして市販されるようになりました。商品名も様々で何とかの自然水とか、どこそこの天然水とか、知名度の高い自然をイメージするようなネーミングで競い合い、水商売を繰り広げているようです。それらの水は輸入・国産を問わずカルシュームやマグネシューム、ナトリウム、カリウムなどを含んでいるので飲むだけでミネラルを摂取できるといわれていますが、どうだか怪しいものです。

 しかしヨーロッパの基準は厳しく、含まれるミネラルの量が定められているし、無殺菌が条件とか。そのため「エビアン」では源泉の周囲10キロメートル四方は自然保護区になっていて建造物は一切禁止されているのです。アルプスの雪解け水が浸透し、大地によってろ過される湧水のメカニズムを考えれば当然の事といえますが、日本ではそんは規制はないようです。日本のミネラルウォーターは加熱殺菌されないと販売出来ません。したがっていくら自然水や天然水というレッテルを貼っても所詮は加工水なのです。

 最近はお茶がブームのようで様々な飲料お茶が販売されています。そのためか最近の会議はペットボトルのお茶が配られます。資源リサイクルから考えると考え物です。自販機にお金を入れる前にちょっと立ち止まってこんなことも考えないと、コマーシャルではありませんが「明日があるさ」ではなく、明日はないのです。

  「水が売れ お茶が売れる 世の中は どこか間違い 思いませんか」

  「天然水 表示してるが 加工水 中身はただの 水だというに」

  「レマン湖の 水にあやかり 水商売 今では数億 稼いでいます」

  「お茶や水 家で飲めば ただですよ コイン集めりゃ 凄いお金に」

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shin-1さんの日記

○名前の由来

 今年は野球の話題が何かと多く、最近はサッカー人気に押され気味だったのがやっと押し戻された感じです。その立役者は何と言っても王ジャパンの世界一ではないかと思うのです。それに加えアメリカのメジャーリーグで活躍する日本人が増えて、NHKなどは衛星中継までするのですから、野球人気はうなぎ上りといったところでしょう。これまでの野球は巨人・大鵬・玉子焼きの時代から巨人というとてつもなく大きな球団がリードをしてきました。金にあかしたトレードで超有名人を獲得し、優勝しても当然と言わんばかりの傲慢な経営をやってきたのです。でも結果は散々で優勝からも遠ざかるといった皮肉な結果となって、ドル箱だった野球放送も裏番組の方が視聴率が高くなったのです。野球も相撲と同じで大きいからといっていつも勝つとは決まりません。楽天のような弱小球団でさえ1勝2敗は戦えるし、相撲取りだって小錦を舞の海が倒すから人気があったのです。

 今年の巨人は原が2度目の監督に就任し快進撃を続けています。巨人ファンにとってみれば連夜のヒーローインタビューですからビールの味も格別ではないかと思われますが、関西では熱烈な阪神ファンや広島ファンもいるので、逆に目覚めの悪い日々が続いていることでしょう。

 ところでイチロー選手のアメリカでの活躍は凄いです。双海町が海外派遣事業でアメリカへ二人の青年を派遣して、シアトルからコレクトコールがかかった頃はシアトルという地名すら無名に等しく、地図を広げてああアメリカの北の町かと思ったくらいです。そんな田舎町を日本中の人が知るようになったのはイチロー選手の活躍に他なりません。

 イチローの本名は鈴木一朗といいます。伝統的に日本では一郎は長男につける名前なのですが、イチロ-選手は何故か次男です。その訳をお母さんの鈴木淑江さんに尋ねたそうです。お兄さんの名前は一泰さんで、彼らの祖父は銀一さんなのでそれがルーツだというのです。一泰さんが生まれた頃お父さんはサラリーマンだったので一に安泰、イチロー選手が生まれた頃は独立して商売をしていたので一に明るくあるようにと一朗とつけたそうです。

 ちなみに私の子どもは私進一の一を取って4人の子ども全てに一子・一心・一生・一公と名前をつけています。これも親のこだわりなんだと子どもに納得させていますが、娘には大きくなって随分女性らしくなくいい名前じゃないと文句を言われましたが、子どもの名前は親の権利です。いい名前を付けたと今も自己満足をしています。

 最近は面白い名前が多く、わが家の神棚には出産祝いを差し上げた方から届いた命名札が貼り付けてありますが、随分変わったのがあります。私の甥の子どもは虎樹です。人のことをいえる筋合いはありませんが、この名前を聞いた時、「えーっ」と思いました。熱烈な阪神ファンのなせる業でそう。阪神ファンならぬ安心不安にならないようにと思いましたが、親は結構いい名前をつけたと満足しているのですから世の中は面白いものです。

  「イチローは 実は次男で じいさんの 一字を貰って 付けたらしいね」

  「人のこと 言える柄かよ わが振りを 見つめてご覧 変な名前と」

  「わが家では 一がつく人 五人いる 三本折れぬが 五本はもっと」

  「娘には 何でこんな名 付けたのと いつもブーブー 文句言われて」


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shin-1さんの日記

○草も元気・甘夏かんが美味しくなりました

 草の勢いは凄いもので、家の周りの草も、先日引いたり削ったりしたと思ったのに早くも青い芽を出しています。わが家は家庭菜園も含めて660坪と広大な敷地のため、現在は88歳の親父が中心になって手入れをしていますが、中々追いつかないのが実情です。88歳で亡くなった祖母が元気な頃「家の周りの草を一周してやっと引き終わったと思ったらまた生えて、草は種もまかないのに元気なことよ」と感心をしていましたが、親子は良く似るもので同じような言葉を繰り返しています。やがて私も祖母や親父と同じような言葉をいいながら家の周りの草を引く運命にあるのでしょうか。嫌だなあと思いつつも、先祖がそうであったように私も目に見えないそんなこまごました仕事をこなし、家人としての役割を果たさねばならないと思うのですが、親父のように起用でもなく、ましてや小まめでもないのでどうなることやらと今から心配をしています。

 地元の春祭りがくると野菜の苗を植えるように死んだ母から聞いていましたので、もうそろそろ適期かなと思っていますが、既に親父は耕運機をかけて苗を植える準備をしています。そういえば苗売りの車があちらこちらで見かけるようになりました。今年も昨年のように枝豆も植えたいし、ナスやきゅうり、それにかぼちゃもと思うのですが、この週末は何かと忙しく思うに任せません。でもお宮の総代の仕事も一段落しましたのでこれからは昨年妻から買ってもらった麦藁帽子を被って、せいぜい畑仕事に精を出したいものです。

 わが家の畑の甘夏かんが今年は豊作で実りの頃を迎えています。普通のみかん類は晩秋から初冬にかけて収穫するのですが、甘夏かんは花が咲いても樹に成らしたままで初夏を迎えます。今は伊予柑や清美などの晩柑類がまだ豊富で酸味の強い甘夏かんは敬遠されていますが、5月の声を聞くといよいよ甘夏かんの食べごろです。一日一個と決めて食べるのですが、これが私のビタミン補給源なのです。

 妻は暇を見つけて甘夏かんの皮を剥ぎ薄皮を取って冷蔵庫に冷やしておやつを作ってくれます。これがまた美味しくて、特にサラダにも良く合うのです。何処かで聞いた話ですが、糖分と酸味は文化度に比例するそうです。糖分は文化が低い未開の地で重宝され、文化が進めば酸味が好まれます。そういえば戦後の物のない時代には砂糖が重宝されました。今は文化度が上がったのか甘いお菓子類は好まれなくなりました。逆にスポーツ選手はレモンなどを酸っぱくないのかかじっているようです。

 ご覧下さい。このように枝もたわわに甘夏かんが成っているのです。この甘夏かんも最近隔年結果がひどくなったので、近所の知人に頼んで思い切って剪定をしてもらいましたところ、今年はその成果でしょうか鈴なりに実をつけました。先日も北海道から視察が来た折このみかん畑に案内したところ、収穫させて欲しいと頼まれ、感激して帰りました。私たちがリンゴの成っている木を見て感激するのと同じようにないものに価値を見出すものなのですね。

  「甘夏の 鈴なり畑 案内し 北国育ち 感激しました」

  「甘夏の 酸味程よく 抜けてきて 木陰で休み 一人味わう」

  「甘夏の 皮は加工し ママレード わが家の自給 捨てるものなし」

  「東京の 店先甘夏 二百円 たった一個で そんなに価値が」 

 


 

 

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shin-1さんの日記

○しまなみ海道開通

 しまなみ海道が開通したのは今から7年前の1999年でした。四国に3本の橋が架かるとあって四国に住む私たちにとっては当時夢のような話でした。明石・鳴門ルート、岡山・坂出ルート、尾道・今治ルートそれぞれに違ったコンセプトで橋を造り、それぞれの生き方で橋を観光や暮らしに生かそうと開通以来様々な取り組みがされてきました。しかし残念ながらブームは去って高いと批判される通行料金が原因だけではない構造不況に見舞われています。

 しまなみ海道は岡山・坂出ルートのような鉄道併用橋のような物流ルートと違って、人が歩いて通れるスローな特徴を持っています。ゆえに観光という視点で考えると橋を渡る行為そのものが観光資源なのです。開通の時も今もその価値は何ら変わることはありませんが、ブームを仕掛けた観光業者にだけ任せて利を得ようとした地元の苦悩もまた今も長いトンネルの中に入ったままなのです。

 工事の遅れから部分開通で、これまで島内の一般国道を併用してきましたが、今回は未開通の部分の工事が終わったための開通です。したがってテープカットなどの開通セレモニーは何もなく、開通といってもパトカーが通った後を数台の車が走っただけの様子がテレビの画面に映っていました。観光業者や沿線の自治体では開通を記念してイベントを考えていたようですが、国土交通省の発表が二転三転し結局は肩透かしの感じです。でも夢よ再びのブームを夢見なくて良かったと私は思いました。何故ならむしろこの開通によって不利益をこうむる影の部分が多いからです。前回の開通もそうですが、何故にテープカットのセレモニーは仕事もしていない人がわれ先に群がるのか理解に苦しみます。あの橋の工事は難工事で亡くなった人も多いはずです。国会議員や県会議員や首長などの努力も認めますが、そうした遺族にもテープカットの場所くらいは提供してもバチは当らないのです。

 私はかつて海岸国道のバイパス工事の完成セレモニーを担当したことがあります。「テープカットを希望する人を募集し、ハサミを持ってきてください」なる提案をしましたら、当時のお偉方に大変叱られ、その案は抵抗しましたが没になった苦い経験を持っています。だって一般町民がテープカットしたなんて聞いたことがない企画ですから没になるのはごもっともなのでしょうが、あの企画は今でも色あせない企画だと自負しています。

 高速道路の開通によって吉海バラ園などの観光名所への入り込みやフェリー客の減少などが心配です。先日も上浦への所用の途中に立ち寄りましたが、今年もバラの美しい花を咲かせるために多くの人がひたむきに働いていました。間もなくバラの花も咲くでしょが、花は見る人あっての花です。どうか今まで以上にバラをゆっくり鑑賞するような気持ちで訪ねてほしいと願っています。そういえばローズ館の館長だった彼女はいま何処で暮らしているのやら、ふと気になりました。

  「開通は 明るい話題 違いない でも裏暗く 苦悩の人が」

  「開通の 時期をぼやかす 国交省 あえてしたとは 誰も気付かず」

  「バラ園に 丹精込めた 人がいる ゆっくり鑑賞 今年こそはと」

  「開通は 通過すること 知ってるかい 手放し喜ぶ 沿線自治体」



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shin-1さんの日記

○キヨスクというお店

 講演等の旅が近づくと必ずやらねばならないことがあります。それはどういう乗り物で行くか、そして宿はどの程度にするかです。私の場合は先方がチケットを手配してくれる場合を除いて、貧乏懐の癖がついているのか若い頃から「安い」という方法を探します。例えば東京へ行く場合も飛行機とバスでは倍半分ですから、少々時間がかかっても深夜夜行バスを選びます。こんな便利になった「速い」時代にそんなみみっちい旅は止めろと妻にも言われますが、私としては何故かそれが好きなのです。「安さ」と「速さ」は反比例の理論のように感じますが、考えてみれば安い料金で長時間乗り物に乗れるのですからこれほど得なことはありません。最近は出張旅費は実費支給ですから、半券の提出が求められることが多いのですが、相手も喜ぶ破格な安い旅費の請求に戸惑う姿もあって結構楽しいものです。

 普通は伊予鉄観光さんに知人がいてキップの手配は全てお任せしているのですが、機構改革とかでその知人が別の場所へ異動したため、久しぶりにJR松山駅の窓口へバスのキップを買い求めに行きました。時代の進歩著しい中で、松山駅は愛媛県の玄関口にも関わらず余り変化のない、いわば時代遅れな駅のような気がします。かつて九州の門司駅へ行ったことがありますが、門司駅ぐらい時代遅れになると一周遅れのトップランナーになって、レトロ調で懐かしさや古さが旅情を誘うのですが、何となく時代遅れ、何となく無造作で中途半端な感じがしました。

 駅の構内には昔鉄道弘済会と呼ばれたお店があって、今はキヨスクという呼び名で知られています。JRに売店が出来たのは旧国鉄時代の昭和7年だそうです。東京の上野駅と東京駅構内に店舗が作られましたがその後全国に広がりました。鉄道弘済会という名前を覚えている人もいるでしょうが、その名前を覚えている人は私のように賞味期限の切れかけた人間で、鉄道弘済会が創立40周年を記念して昭和48年に親しみやすい名前としてキヨスクという愛称をつけました。

 キオスクというのは英語ですが、語源はトルコ語の「あずまや」を意味する「キウシュク」でさらに語源を辿ればペルシャ語で宮殿や別荘の「コーシュク」へと行き着きます。このキヨスクは「駅の小さなお店」「駅や街頭の新聞雑誌売り場」として国際的に使われているいわばパクリです。本来はキオスクと発音するのですが、キヨスクは「気安く」「清く」などを連想する意味も込められているそうです。

 昭和62年に国鉄が民営分社化されたのを機にキヨスクもJRと同じで北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つに分社化され現在に至っているそうです。最近は駅の周りにもキヨスク風のコンビニが沢山出来て、キヨスクの利用も段々減っているのだそうですが、キヨスクで駅弁を買って列車の中から外の景色を見ながら食べる旅情もまた格別な感じがします。キヨスクのの駅弁やはりその土地の香りがして日本全国オール同じの画一を感じさせない嬉しいものです。

  「キヨスクの 店のおばさん 顔見知り 土地の言葉で 客に一言」

  「はよはよと せかされ生きる 今だから あえてのんびり スローな旅も」

  「キヨスクの 語源辿れば トルコ語と 聞いた話を ブログ書き込む」

  「車しか 乗らない普段 暮らしにて 駅は何故か 懐かし思い」


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shin-1さんの日記

○都会の片隅で

 今朝松山に住む娘から「孫が熱が出たから子守に来て欲しい」旨の電話が入ってきました。所用雑用の予定もあるのでどうしようかと迷ったのですが、娘夫婦揃って共稼ぎのためわが家で一番便利な人間であるとの結論から、急ぎキャンセルの電話を入れて朝早くから子守に出かけました。娘夫婦は都会といっても松山市道後のマンションに住んでいます。私が訪れた時には既に娘は出勤した後で、私を待っていたのか私の車が駐車場についた時は娘婿と孫が部屋の中から手を振って待ってくれていました。3歳になると少々の熱でも比較的元気でな様子でしたが、ヒエピタを額に張って眠れぬ夜を過ごしたような雰囲気でした。カギを預かり病院へ持っていく孫の体調メモと保険証を貰って早速近くの小児科へ出かけました。

 昨日が日曜日とあって病院は満員の盛況で、何人かの幼児は孫と同じヒエピタを張って痛々しい姿で母親やおばあちゃんにピッタリもせづいていました。子どもは病院イコール注射や薬だと思っているのでしょう。診察室へ入るのを嫌がっ足り、診察室からは泣き叫ぶ声も聞かれ、まるで戦場にでもいるような臨場感が伝わると同伴の孫も身構えていましたが、「僕は強い子」と虚勢を張って見せてくれるのです。

 やがて診察室に呼ばれましたが、開口一番「先生注射するんですか」です。余程注射が嫌なのか先生は「注射はなしですが喉が赤く腫れているのでヨウレンキンの心配もありますので検査をしましょう。はいあーんしてごらん」で一件落着です。先生が泣かない孫を見て「朋樹君泣かずに偉かった」と褒めると「僕強い子」とポーズをとって見せました。

 薬を貰い病院を後に帰宅しましたが、マンションというのは隣は何をする人ぞ的な感覚で自然もなく不自然で、よくもこんな所で暮らせるなあと思いつつ、クスリを飲ませたり遊び相手になったりでゆったりと過ごしました。熱が下がればと思いつつ外にも出れず、時おり大声を張り上げて通る松山市議会議員選挙の選挙カーのマイクの音やかすかな雑音が聞こえる程度で、静かな部屋の中です。

 そのうち薬が効いたのか孫は私の腕の中ですやすやと眠ってしまいました。ベッドへ連れて行くには重過ぎるのでソファーに寝かせ毛布を着せてやりました。孫の寝息は幸せそのもの、どんな夢を見ているのだろうと思いつつ子ども特有の匂いを感じながらつい私もウトウトの雰囲気でしたが、時おり架かる携帯電話のマナモードバイブルの度に安眠を妨げまいと隣の部屋に移動して通話しました。

 孫の目が覚めたのは一時過ぎでした。娘の用意している昼ごはんを孫と一緒に食べながら孫の話をいっぱい聞きました。孫を独り占めする幸せと、夫婦共稼ぎで寂しい思いをしている孫の「じいちゃんが一番大好き」というお世辞言葉を聞きました。

 孫は親がいないとすこぶる聞き分けのいい子どもです。ところが両親がいると甘えて私の話など見向きもしません。やがて5時半になって娘が帰ってくるとまるで手のひらを返したように母親のもとへすり寄って行きます。さっきまで「じいちゃん泊まろう」と指きりげんまんした約束事は一体なんだったのかと思えるほどの変身振りでした。それにしても幸せな一日でした。この分だと明日も朝同じような電話が架かってくるかも知れません。

  「マンションの 一室孫と 二人きり あれやこれやと 楽しい一日」

  「じいちゃんが 一番好きだと 褒め殺し 口渇かぬに 母が大好き」

  「聞き分けの いい孫親の 顔見れば 甘えてダダを こねるいじらし」

  「さあウンコ 小便薬 昼ごはん 孫のお守りも 以外と大変」



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shin-1さんの日記

○日本人は餅拾いがお好き

 日本では何かにつけて餅を撒きます。新築棟上、船の進水式、夏祭りのイベントなどなど、節目や慶事には決まって餅を撒くのです。私のようにまちづくりに深く関わった人間は、もう30年間も餅を撒いてきました。その都度何の疑いもなくではなく、その都度疑問は深まるばかりです。というのもこれほどO157などと騒いでいるのに、何故か餅は地面へ投げるのです。不衛生極まりないと思うのですが、相変わらず地面に落ちた餅を拾い、勿論洗ってはいますが焼いたり煮たりして食べるのです。戦前や戦後間もない物の不足した時代ならいざ知らず、物の豊かな現代にあってもなお何の不思議がることもなく撒き続け拾い続けているのです。最近ではやっとその事に気付いて、ビニールの袋に入れて撒いているのを見かけるようになりましたが、それでも主催者側から言わせるとビニールの袋に入れる面倒臭さを思うとやはりばら撒きが一番なのです。食品の衛生については何かと文句をつける保健所もこのことにはタブーですから、余り詮索はしない方がいいかも知れません。

 昨日は氏神様の春祭りで、神官にお払いを受けた餅を2俵も撒きました。神社は本殿、幣殿、拝殿という三つのブロックに分けられますが、餅を撒くのは拝殿です。拝殿は3方が吹き抜けになっているので餅撒きには都合がいいように出来ています。3時からの予告をしていたので太鼓の音にあわせて私たち総代が一斉に参加者めがけて投げるのです。殆どが顔見知りの人たちばかりなので、後で「投げてくれなかった」と恨まれないよう万遍に撒きました。神社の境内はいつの間にか人で埋まるほど集まっていました。

 餅撒きが終わるといよいよ福の交換が始まります。前もって餅に番号を張っておき、その番号が福交換所へ持ち込まれてくるのです。さどい人は20もの福餅を拾い、交換所へわれ先にやって来ます。交換所の窓口は蜂の巣をつついたような大騒ぎで、活気がみなぎっていました。1番・7番・13番、縁起を担いで4や9などの番号は欠番にしています。予想以上の景品に喜ぶ人、「難だティシュペーパーか」などと不平を言う人など様々です。中には扇風機が当って大喜びの人もいました。この福撒き、昔は確か竹でした。危ないからと変えたのですが、これは正解、でも約700枚の番号を餅に貼り付ける作業や、景品交換の準備も中々世話の焼ける作業なのです。でもみんな夜来の雨もあがった境内で喜んで福撒きを楽しみました。

 直会が終わると今度はお札配りです。寄付をしてもらった一軒一軒へお邪魔し、木札と紅白の重ね餅を半紙に包んで渡すのです。これも宮総代の大切な仕事ですから粗相のないように配って歩きました。長い一日が終わりました。快い疲れです。今年で2年目、2年任期なのでいよいよ宮総代最後の仕事です。後は秋祭りの神輿守りへと仕事は移り行くのです。

 ちなみにわが妻は餅拾いに参加して20個ほど拾い、箒とティッシュペーパーを貰って帰っていました。それでも鬼の首を取ったような武勇伝を私に聞かせてくれました。

  「餅拾い 下手糞な人 上を向き 地べた這う人 しっかりゲット」

  「不思議だな 地べたに落ちた 餅拾い 腹もうずかず 神のお陰か」

  「その昔 亀の子タワシ 景品で 今はティッシュが 最低ライン」

  「酒飲まぬ 子どもに酒が 当ったよ 親父喜ぶ 今宵の夕餉」

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shin-1さんの日記

○打診する

 先日定期健康診断で診察の先生に質問しました。「先生、いつかは質問したいと思ってたのですが、先生が今日も『はい上半身裸になって』といって腹や胸や背中に聴診器を当てた後、体をトントン叩きますよね。あれは何を調べているのですか」。唐突に私が質問したものですから「これは病気にならないためのおまじない」と言って側にいた看護婦さんの笑いを誘いました。透かさず私は「えっお医者さんがおまじないですか」と言ったものですから医者は『冗談冗談、これは打診といって、長年医者をしている私のような偉い先生には体内の異常な音が聞こえるのです」とさらりかわされました。私は前に何かの本で読んでこの打診という診療方法の語源を知っていたので、先生失礼ながらとそのことを話してしまったのです。医者は『若松さんは物知りだから適わんなー」と照れながら、「実は私も医者になりだちの頃、同じような質問を先生にしたことがあって、その先生に叱られると思いきや、『医者を志すものは疑問があったら徹底的に調べることが肝心でいい質問です』と褒められたことがあります。若松さんも褒めてあげます」と言うのです。「それにしても打診の語源がそんな所にあったなんて知りませんでした。今日はええ勉強になりました。診療費は払って帰ってください」でまた大笑いしました。

 お医者さんはトントントンと体を叩いて音を聞き、その後聴診器で音を聞きます。この医療行為を打診法というのだそうです。この方法が生まれたのは18世紀の終わりから19世紀のころだそうです。オーストリアのアウエンンブルッガー医師が叩くことによって内臓の働きに異常がないかどうか知ろうとしたことが始まりといわれています。彼は幼い頃、父親が酒樽を叩いてその音の違いで酒の残量を確認するのを見て育ちました。酒樽の音で中身が分るのなら人間の体内だって分るはずではないかと考えたのです。そして打診が診療方法として間違いないと医学的に完成させたのがナポレオンの従医だったフランスのコルブィサール・デ・マレ医師でした。

 しかし私が質問した先生が言うように音でその人の異常を判断するには、その人の正常な音を知っておかねばならないはずで、多くの経験が必要ではないかと考えられます。打診する色々な先生のやり方を見てきましたが、そうとも思えないただ仕草だけの先生も相当いらっしゃるようです。

 日本にもこの方法は江戸時代に伝わってきたそうですが、これとよく似たことを私たちもやっています。夏になるスイカのテレ具合を見るのです。硬い金属音のような音がしたら美味しいスイカと教わって、必ずこの行為をしますが、余り当った記憶はありません。今度スイカを切る時、「この打診法は医療行為である」なんて話しながらやってみて下さい。奥さんから「お父さん頭がおかしくなったんじゃあないの」と馬鹿にされるのが落ちです。先日もその話をしたら妻に「お父さん偉いお医者さんに滅多なことを聞かれん。恥ずかしい」と言われました。でも妻だってこのことは知らなかったようです。エヘン。どうだ参ったか。そういえば「打診」なんて言葉がありました。

  「人間と スイカは違う 打診法 俺の体の 何処が熟れてる」

  「なあ先生 そんな仕草で 分るのか 俺の体の 異常部分が」

  「よくもまあ 聞いたもんだと 呆れ顔 知ったかぶりで 医者から一本」

  「俺だって 今日の相談 打診する 叩きもせずに 何とはなしに」

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